ヘボやんの独り言
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2018/03/14 [Wed] 11:52:16 » E d i t
 流氷ツアー報告の途中だが、〝割り込み〟をしたい。国税庁批判だ。昨日は上が上なら下も下、という思いを見せつけられた。「下」の神田税務署を訪ねたときのことだ。

 昨3月13日は1970年からつづく「重税反対統一行動日」だった。今年は、520カ所・10万人が参加したという。千代田春闘共闘は例年、民商のみなさんと一緒に集団申告に同行している。今年もやった。行き先は神田税務署。税務申告と同時に、森友疑惑に関する文書改ざん問題について抗議、善処を促すことにしてあった。その行動に千代田春闘共闘を代表して私が参加した。

 実は私、いま左足の膝を傷めており、5分と立っていられない。申し入れに際して、その旨伝え、「座ってやりたいので会議室を準備して欲しい」と要望した。いつもは、玄関先で立ち話しで申し入れ書を渡し、文章を読み上げて渡すのだが、今回はこちら側の体調が悪いことと、森友文書改ざん問題があり、そこのところを詳しく聞きたかったのだ。

 ところが対応者は「空いている部屋はない。この場で(申し入れ書を)受け取りたい」の一点張り。「この税務署には会議室の一つもないのか」という質問に、「仮庁舎でありそういう場所はない」と答えた。

 この対応、だれが信じるだろうか。税務署に会議室の一つもないなど、あり得ないではないか。「下」でも平然とウソをつく体質は、文書改ざんをした「上」と同じだ。押し問答のすえ、「あそこで」と指さしたのは玄関ホールに据えられた長椅子。来客が待ち合わせをする場所だ。

 これが納税者としての〝お得意さん〟を遇する対応だろうか。信じられなかった。

 民間では考えられない。たとえば、みずほ銀行。ここは明治乳業の筆頭株主である。その立場から明治乳業の賃金差別事件について解決に尽力してほしい、と何回も要請してきた。銀行としては直接関係ない争議だが、その度に部屋を確保して対応する。これがフツーなのである。

 ところが、税務署はどうだ。上から目線でまるで「お前たちの話しを聞いてやるのだから」という態度丸見えである。長椅子で対応することに恥ずかしさはないのだろうか。私の膝の痛みは時間が経てば治る。これが、身障者が来訪してきたらどうするのか。あの人たちは同じ対応をするのだろうか。きっとそうだろうナと思った。

 驚いたのはこれだけではなかった。申し入れ書を読み上げたあと「森友文書改ざん問題で、納税者から声はないか」と聞いてみた。この質問に「申告を受けるのは違う場所なので聞いていない」と答えたのだ。何をかいわんや、である。いま、一番大事な問題について何も聞いていない、というのだ。その危機感のなさに呆れ果てて議論する気にもなれず、申し入れを打ち切った。

 文書改ざんを平気でやる上が上なら、納税者と直接対峙する「下」の対応もさもあらん、というところだ。税務行政の本来あるべき姿など、遠い、遠いところにあるようだ。改ざん疑惑、徹底して解明すべきだ。

 ★脈絡のないきょうの一行
森友文書改ざん問題、ここまでくれば安倍内閣総辞職でしょう。悪あがきはおやめなさい。

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2018/03/13 [Tue] 12:14:00 » E d i t
 先月22日から3日間、流氷を見ようということで網走を訪ねた。女性3人と私の仲良し4人旅となった。流氷観光は結論からいうと、勝率60%というところだっただろうか。以下、観光旅行だが報告したい。

 旅行はスタートから遅延となった。初日に流氷を見る予定にしていたため、気を揉んだがセーフであった。帰りはご覧のように大幅遅延。航空会社はお詫びとして一人2000円の「お食事券」を支給してくれた。それを活用し、ビールやジンギスカンとなって腹に納まったことはいうまでもない。

【行きは30分遅れ】
遅延2 (2)

【帰りは3時間25分遅れ】
遅延2 (1)

 女満別空港でレンタカーをゲット。雪道運転は久しぶりだったが、10分もすれば慣れた。一路、網走港へ。行くまでの間、同行者のケイタイで流氷船の運航状況を聞いてもらった。「流氷が接岸し、船が沖に出ることができず、網走港内をぐるぐると周るだけ」という回答を得た。明日はどうなるか、という質問には「分からない」。とにかく、網走港まで行ってみようということになり港を目指した。

 流氷船・おーろら号の乗り場は、道の駅と同居している。その道の駅に車を止めて、改めて様子を聞く。やはり、同じ。どういう状態になるのか、実際に見てみようということになり港沿いを車で走り様子を見る。

【停泊中のおーろら号、乗客はいっぱい】
出発前のおーろら号

【走る船を背景に記念写真】
走るオーロラ号 (1)

 上記写真よりさらに右側に進んだ所で船の様子をうかがったが、説明通り、港内を周るだけだった。シャレではないが「ぐるぐる周るだけと言っていたから、2周するのかな」と笑いながらみていたら、3周目に入った。周る様子を見ているだけでは面白くないとその場を撤退、この日の乗船をあきらめてホテルへの道についた。

【流氷の海に浮かぶ水鳥。元気に潜っていた】
網走港で。寒くないのかなー

【港内の流氷を割いて悠然とすすむ船】
港内を悠然と

 ホテルに向かう途中、「網走刑務所」という看板を見つけた。時間的余裕あるということで、ここに立ち寄ってみることにした。(次回につづく)

 ★脈絡のないきょうの一行
文書改ざん究明のため、辞任しないと麻生財務大臣。刑事被告と検察官が同一人物に見えるのは私だけかなー。

紀行 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2018/03/12 [Mon] 08:07:02 » E d i t
 東日本大震災が起きた翌日、2011年3月12日お昼前、私は宮崎空港に立った。この日から3日間、新燃岳噴火による被災状況を調査するためだ。この調査には15人が参加することになっていた。ところが準備のため前日に行っていた2人以外、到着できたのは私だけ。調査団は3人だけとなった。

 案内人が6人、参加者が3人という〝豪華〟な旅となった。都城市の降灰の状態、その灰を廃棄し山となった灰の堆積場、被害の大きかった牧場、噴石によって天井に穴のあいた倉庫などを案内してもらった。人的被害はなかったが、こちらもまた甚大であった。

 新燃岳は2010年3月ころから活動し始め、翌年2011年(平成23年)1月19日に小規模噴火の後、同26日に大きな噴火に変わった。1月27日頃から溶岩の出現も確認され、約300年ぶりのマグマ噴火となったものである。

 ここ2、3日この新燃岳の噴火が起き、火口から溶岩が流れだしたことが確認され、テレビ画面にも映し出されている。11年のときは新燃岳大噴火から約2か月後に、東日本大震災が起きた。予兆ではあるまいが、新燃岳の噴火が大震災の前触れでないことを祈りたい。

 東日本大震災は「あれさえなければ、復興はできたのに」ということが言われた。そう、「あれ」とは東電福島第一原発の事故である。原発の放射線で汚染された地域の復興は遅々として進んでいない。あの事故は、原発の持っているリスクの大きさを世界の人々に教えた。しかし、安倍内閣は原発推進をやめようとしない。あの、小泉元首相でさえ、原発はなくすべきだと言っているにもかかわらず、である。

 私も、原発はなくすべきだという一人である。その被害状態を知るために、福島第一原発近くを走る国道6号線沿いの線量を調べてきた。2014年の9月に第1回目を行い、昨年4月まで毎年行い4回を数えている。今年も行くつもりだが、改めて17年4月のものを報告したい(下図は17年4月30日の小ブログで紹介したものの再録)。

【4回目の線量調査】
170428線量調査
 私は「その国の政治の良し悪しは、弱者にどれだけ手厚い政治が行われるかによる」といい続けている。一つは、子供。もう一つはお年寄り。そして3つ目は、災害被災者。私自身、災害被災者への支援活動は25年を超えた。たくさんの現場も見てきた。そのたびに〝貧困家庭ほど被害が大きい〟ことを知らされた。

 その考えは今もって変わらない。国有地を森友学園に8億円もの値引きをするのであれば、被災者支援に回せ。オスプレイを買うお金があるのなら、被災者支援に回せ――そういう思いは、ごまめの歯ぎしりなのだろうか。

 ★脈絡のないきょうの一行
「森友文書改ざん 複数の職員関与」の報。問題はそれを誰が指示したかだ。
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11566 忘れない③止 
2018/03/11 [Sun] 21:36:29 » E d i t
 JAL争議支援の宣伝行動は午後5時から予定していた。とりあえず、集合場所に行こうということになり、マリオン前へ移動。ここから晴海通りの上に架かるJRのガードが間近かに見える。そこには下り方面の新幹線が止まったままになっていた。時間はすでに4時を回っていた。それに乗り合わせた人がどうなったか知る由もないが、不安だったことは推して余りある。

【有楽町の晴海通りのガードで止まった新幹線】
05.jpg

 この時間帯になると、ケイタイもつながりネットを見ることも出来るようになった。それを見せてもらうと津波が押し寄せてきたと伝えている。それを確認しあわてて、近くのビル壁面に設置されたテレビを見に行った。空から撮影した映像が流れていたが、津波がすさまじい勢いで押し寄せてくる様子が映し出されていた。

 その瞬間、私は「大量の犠牲者が出るぞ」と叫んでいた。その予想は悲しいことに的中した。宣伝行動は5時からの予定だったが、これも予想どおり「中止になりました」と争議団の仲間が伝えにきてくれた。

 交通は全面的に止まっているらしい、ということで「動き出すまでの間」ということで時間つぶしを兼ねて近くの居酒屋に入った。ビールを飲みながらこの日の行動の総括をやり電車が動きだすのを待つことにしたのだ。しかし、動いた、という情報はない。

 結局、夜9時過ぎまで居酒屋で過ごし、神保町にある事務所まで歩こうということになった。3時間は飲んだことになる。それなりに酔ったことは言うまでもない。有楽町から神保町まで、地下道を歩いた。大手町駅周辺には帰宅できない人たちが座り込んでおり、声をかけたら「電車が動くのを待っている」と答えた。

 そう、帰宅難民だ。壁際は寄り掛かった人でいっぱいになり、スペースがない状態になっていた。幸いにエレベーターが動いていた事務所にもどり、近くのコンビニをのぞいてみた。おにぎりなどの食料品の棚はからっぽになっていた。頷ける光景だった。

【からっぽになったコンビニの食料品棚】
カラの食料棚

 事務所の窓から外を見ると、普段の昼間でも考えられない数の人たちが、歩いていた。車は渋滞し、それこそ1ミリも動いていなかった。テレビを見ながら電車が動く時間を待った。しかしその気配がない。ところが都営地下鉄が動き出したという情報が流れた。

 練馬に住んでいる私はそれアテにすることにして、仲間たちに別れを告げて神保町から飯田橋まで歩き、大江戸線ホームで待った。電車は来ない。なかなか来ない。ホームは人で溢れている。やっと到着したそれに乗って都庁前で乗り換え。が、またしても苦難が。ホーム一杯に人がいて、電車が来ても乗れないのである。

 そこで一計を案じた。姑息だが「一駅戻ろう」がそれだ。行き先は終点。したがって一駅、「新宿」まで戻り乗り換えた。結果は成功だった。終点・光が丘に到着して迎えに来てくれるよう自宅に電話したのは、午前2時を回っていた。神保町を出て、3時間である。そして翌朝、私は新燃岳の被災地調査のため、羽田から宮崎に向かう飛行機の客となっていた。

 ★脈絡のないきょうの一行
佐川前国税庁長官、籠池森友学園前理事長と同じ道を辿りそう。逮捕はいつかな? よもや死ぬことはなかろうが。
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11565 忘れない② 
2018/03/11 [Sun] 18:25:07 » E d i t
 さて、どうするか。一緒に歩いていた仲間たちと相談し、この日の要請行動を断念することにし、「われわれも避難しよう」ということで、日比谷公園を目指した。その間も揺れが続いていた。地震が起きて15分とは経っておらず、震源地がどこか心配になった。

 ケイタイ電話(私は持っていない)を持っている人に、誰かに聞くことはできないかと、相談してみるが、電話がつながらないという。日比谷公園に向かう途中、誰からともなく「震源地は宮城沖らしい」という声が流れてきた。

 この時間帯には明乳争議に関する要請で、みずほ銀行に行った仲間たちはすでに話し合いに入っていた。そのとき、揺れのひどさに双方は「改めてやり直しましょう」ということで切り上げたという。要請は地下会議室で行っていたが、このままビルが倒壊したらどうなるんだ、と不安になったという。そのあと外に出るとき揺れが襲い、入り口のガラス窓が弓なり状態に曲ったという。これは恐怖である。

 日比谷公園は人であふれていた。防災用のヘルメットをかぶっている人もいた。それも色とりどりで「ヘルメットは黄色や白だけでなく、いろいろな色があるんだ」とヘンに感心したものである。

【日比谷公園、噴水付近】
03.jpg

【日比谷公園、地下鉄日比谷線入り口あたり】
04.jpg

 つづいてこのあとどうするか――。とりあえず、家族との連絡を取ろうということになったが、ケイタイが繋がらない。一番近い地下鉄「日比谷駅」に入れば公衆電話があるだろう、ということになりそちらへ移動。確かにあった。が、そこは列ができていた。

 仕方がないので、われわれもそこに並ぶ。すると、私の2人前の女性が困った。硬貨はあるがそこの電話機はカード専用のものだったのだ。こういうときは、ケイタイを持っていない私は有利だ。いつもテレカを持ちそれで自宅と連絡を取り合っているからだ。困ったときはお互い様だ。その女性にカードを貸してあげた。喜んでもらえた。

 その場にいた仲間たちは何とか家族と連絡がとれて、この日の最後の行動予定であった有楽町のマリオン前に向かった。ここでJAL争議の支援を訴える宣伝行動を行うことになっていたからだ。(次回につづく)

 ★脈絡のないきょうの一行
森友疑惑、ここまでくれば昭惠夫人の国会喚問しかない。日本の民主主義のカナエの軽重が問われる。

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