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フランスを二分する宿題廃止論争
プレジデントファミリー 1月24日(木)9時0分配信
■宿題は家庭教育の自由を侵害?
フランスで今、小学生の宿題をめぐる論争が盛り上がっている。その発端は、フランス最大の保護者団体が2012年3月に行った、2週間の「宿題ボイコット」。宿題は子供にとって苦痛なだけで効果が薄く、しかも移民の子は親に勉強を見てもらえないなど、家庭による教育格差をも拡大するというのがその主張だった。
さらに同年10月、フランソワ・オランド大統領も、教育改革の一環として公立小学校での宿題廃止を提言した。じつはフランスの公立小学校では、記述を伴う宿題が法で禁じられているが、最近は学力向上をめざす教師が、独自の判断で宿題を出すことが増えていた。
宿題が家庭学習の要とされる日本から見ると、こうした議論は奇妙に思える。だがその背景には、フランス革命以来の公教育に対する考え方があると、中央大学文学部の池田賢市教授は指摘する。
「フランスの公教育の大原則は、『公私の明確な区別』と『知育中心主義』です」と池田教授は言う。学校は公的領域、家庭は私的な領域であり、それぞれの場での教育は別のもの。その結果、学校の宿題が家庭の時間に侵入するのは、公による私の自由の侵害ということになる。また、知育は教師という専門家が行ってはじめて質を保証できるもので、家庭は家庭でしかできない徳育に集中するべきだ、とも考えられている。
こう説明されると、宿題廃止論もそれなりに筋が通っている気がしてくる。とはいえ、高所得層や高学歴層を中心に反対の声も大きく、ある世論調査では回答者の68%が大統領の提案に反対だった。フランスを二分する宿題廃止論争、どんな結果に落ち着くのか。
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この問題を「ばかばかしい」として一蹴するのか、それとも掘り下げてみるのか――。学校は公的な教育の領域であり、家庭は私的な領域であるという考え方、一理あると思います。その立場に立てば、公的な宿題を私的な家庭に持ち込むのは許されません。しかし、教育を「公的」部分と「私的」部分に分けることができるのかどうか、疑問はあります。
前述の記事をもう少し拡大解釈してみると、知的部分を公的領域で、徳育・情操部分を家庭という私的領域で教育すべきという議論になっているようです。この考え方、合理的に見えますがそうではない。教育はというものは、「グロス」で考えるべきものだと私は思うからです。
たとえば、「友だち・友情」を大切にする心は徳育の分野になるのでしょうが、家庭と学校の両方で養われるものだと思うからです。家に帰ればクラスメートはいません。学校という公的領域で友だちと接することによってこそ、その大切さや友だちとの付き合い方を学習するものだと思います。
例示すればきりがありませんが、公的、私的という二つの分野で割り切れないのが教育という「領域」だと思います。それにつけても、宿題をめぐって議論が起きるフランスは羨ましいかぎりです。日本ではそういう議論をする土壌さえ見いだせない、そんな気がするのは私だけでしょうか。
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