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ヘボやんの独り言
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2011/11/11 [Fri] 11:17:32 » E d i t
 きょうは、同じ数字が6回並ぶ百年に1回しかない特徴ある日です。日付をあらわすのに6桁がよくつかわれますが、きょうは「111111」となります。このように同じ数字が6回繰り返されるのは、11年11月11日しかなく次回は、2111年の百年後となります(もっともこの年は1が7つ並ぶことになりますが)。「だから何なんだ」といわれればそれまでですが、そういう日です。きょう生まれる女の子には「並子」とつけましょうかね。

 それはさておき、JR荻窪駅前の青梅街道を横断し、新宿方面に少し歩いた左手に「天沼八幡通」があります。入り口の門構えに提灯がぶら下がっており、分かりやすい。一方通行の狭い通りですが、ここを道なりに歩いて行くと突き当たりにこの通りの名称の由来となっている、天沼八幡神社が静かなたたずまいを見せています。

 ここをさらに道なりに歩いていくと、左手に天沼弁天池公園という小さな公園にたどりつきます。その公園奥の一角に「杉並区立郷土博物館分館」が建っています。公園入り口の花壇には、四季折々の花が目を楽しませてくれます。私がここを訪ねた日は、コスモスが満開でした。

 その杉並区立郷土博物館分館の1階で、いま、『孤独の扉を開く ~上林曉と濱野修の友情物語~』という展示が行われています(来年の1月22日まで)。ここを訪れたのは、この展示を観るためです。

 上林曉(かんばやし あかつき)という作家をご存知でしょうか。本名は徳廣巌城(とくひろ いわき)。1902年10月に高知県幡多郡田ノ口村(現・黒潮町)生まれ。21年に熊本大学に入学したものの東京大学に再入学、27年に同校を卒業しています。翌年、田島繁子と結婚。卒業後は出版社「改造社」に入社し、仕事のかたわらで小説を書き続けますが、34年に退社。

 文筆活動に専念したものの、生活は厳しいものとなります。加えて妻は精神病を患い、入退院の繰り返し。そのなかでも小説を書き続けます。上林は天沼に住み、この周辺に住んでいた作家たちとの交友が深まります。ドイツ文学の濱野修、太宰治、安成二郎、井伏鱒二、青柳瑞穂、木山捷平らがそれで、のちに「阿佐ヶ谷会」という名前がつけられます。

 この阿佐ヶ谷会、誰が命名しいつ発足したのは定かではないのですが、どうも酒と将棋を趣味としていたようです。年に何回か現存する奥多摩・御嶽駅ちかくの蕎麦屋「玉川屋」で、今風に言う飲み会を開いています。その模様は、彼らが残した小説のなかによく出てきます。写真も残っています。文豪たちが何を話しあったか、そば耳を立てて聞きたいものです(シャレではありません)。

 上林曉は、妻が病死(1946年5月)したあと、52年に軽い脳溢血で倒れ、さらに62年に再発し左半身不随となり寝たきりの生活に入ります。妻が入院しているころから、妹・徳廣睦子が田舎から上京し、上林曉一家の面倒をみることになります。その睦子さんは、現在でも上林と一緒に住んでいた、天沼の家で暮らしています。私はその睦子さんを訪ねたことがあります。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
野田首相、TPPの扱いに関する表明を先送り。熟慮か策略か。それでもなお「不参加」を求めたい。

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