敢えて、「戦争と平和」ではなく「いのち」としてみました。いのちは、地球誕生から今日まで営々として受け継がれ、未来にも引き継いでいかなければならないかけがえのないものだからです。いのちの大切さを考えれば、戦争がいかに愚かなことかを自ずと知ることができると考えたからです。
人類はなぜ戦争を起こすのでしょうか。原因は「富」(とみ)の争奪にあることははっきりしています。それを糊塗するために、「正義」や「道理」を振りかざしてヒトを殺すことを正当化するのです。
「富」の定義はいろいろ難しい面がありますが、近代のそれは経済における「市場」と同意語と解してもいいでしょう。相手国から市場を略奪し自国の市場を拡大する、その手段が戦争であるとみれば、比較的理解しやすいかもしれません。
危険だと思うのは、最近では鳴りを潜めて(いるように見えて)いますが新自由主義的考え方です。これは、私流に言わせていただければ「市場至上主義」であり、市場拡大こそが最大の目標で、強いものしか生き残れない考え方です。従って、その行き着く先にどうしても軍備力の増強が必要となってきます。その新自由主義を実践したのが、小泉・竹中流の「構造改革路線」だったことは知られているとおりです。
少し横道にそれました。太古、ヒトは太陽が昇ってから起きて、太陽が沈んだら寝るというごく自然の生活をしていました。しかし、くらしを楽にするためにモノづくりを始め、たまたまそのモノに余りが出てしまい、争奪が始まった。それが戦争の起源だといえます。だとしたら、戦争をなくすにはその余剰生産物の扱いについて、きちんとした国際的なルールをつくればいいはずです。
それが分かっていても、この地球上のどこかで戦争が起きています。なぜか。前述のルールがないことも一つですが、いのちの大切さの重さが、あまりにも軽視されているからではないでしょうか。だから「いのちを考える旬間」が必要ではないかと考えたのです。
すみません、判じ物のようになってしまいました。人間の寿命は地球の歴史からみれば短いものです。長いといわれる日本人でさえ女性・86.39年、男性・79.64年となっています。丸めて、たかだか80年。その間に、戦争を起こしてヒトのいのちを奪って喜びが生まれるのでしょうか。否であります。
「昔、戦争というものがあった。ヒトがヒトを殺すという考えられないことが行われていた。しかし、それではいけないと、やっとヒトは目覚め、いのちを考える期間を定めた。それが8月6日から15日までだ。この期間は日本という国で戦争があったことを記念しているという。いのちの大切さをこの期間に考えてみよう。」――そんなことが実現できるといいてすね。
★脈絡のないきょうの一行
花巻東高校、ねばったけど及ばす。球児たちの、光る汗と涙に拍手!!!
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