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ヘボやんの独り言
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2008/04/23 [Wed] 13:50:19 » E d i t
 私は、それでもこの条件は容認できないのですが、人が人を殺すことを許されるのは三つの場合に限られる、といいます。①戦争②正当防衛③法的処置すなわち死刑――の三つです。

 99年に起きた山口県光市の母子殺害事件で昨日、差し戻し審を受けた広島高裁は当時18歳だった元会社員に死刑を宣告しました。もとの1、2審の無期懲役判決を差し戻した最高裁の意を汲んだ形の判決でもありました。生後11ヶ月の乳児を床にたたきつけて殺害、その母親を強姦して殺害するという残忍な犯行は、とうてい許されるものではありません。その局面を見る限り「極刑は当然」という思いは理解できないではありません。

 しかしこの判決は、死刑判断に関する「永山基準」というものがありますが、それとの関係では逸脱しているとしか思えません。永山基準とは、68年から69年にかけて連続ピストル射殺事件で4人を殺害した、当時19歳の永山則夫元死刑囚(97年に死刑執行)の事件の審理過程で確立されたものです。

 それは①犯罪の性質②犯行の動機③犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性④結果の重大性、特に殺害された被害者の数⑤遺族の被害感情⑥社会的影響⑦犯人の年齢⑧前科⑨犯行後の情状――これら9項目を総合的に考慮し、その刑事責任が極めて重大でなおかつ罪の大きさと罰の重さのバランス、そして犯罪予防の観点から考えてやむを得ない場合に極刑が許される、としています。

 ここでは紙数がありませんので永山則夫元死刑囚の生い立ちや事件の内容には触れられませんが、この基準を当てはめた場合、今回の極刑判決は釈然としません。新聞各紙では、今回の判決はこの基準に沿ったものであるかどうかの賛否両論があります。そのなかで一つ、私のこころに引っかかったのは昨日の毎日新聞の夕刊で、「家裁の人」というコミックの原作者・毛利甚八さんのコメントです。

 「判決は裁判官が独立して決めることなので、どうこう言えないが、判決文で、被告の教育歴など事件の背景をきちんと認定し、記録として残すことが重要だ。死刑判決が出たことで、世の中にはホッとしたり、スッとした人もいるだろう。本当にそれでいいのか。被告は子どものころに虐待を受けており、その時、児童相談所は機能したのか、国民一人一人が真剣に考えるべきだろう。それが奪われた被害者の命に対する社会の責任だ」

 (次回につづく)
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