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ヘボやんの独り言
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2009/12/18 [Fri] 10:25:41 » E d i t
 この山は何故か雪のあるときに登っています。しかも95年5月、96年4月、03年2月と3回も。雪山訓練に手ごろであることも手伝っているのかもしれません。ここでは一番新しい03年2月9日の分を報告します。Kさんとの二人旅でした。
 
 赤城山といえば、即座に浮かぶのは「赤城の山も今宵かぎり」の国定忠治です。忠治について「Wikipedia」は以下のように説明しています。
                          ◇=◇=◇
 上野国佐位郡国定村(現在の群馬県伊勢崎市国定町)の豪農の家に生まれる。博徒となって上州から信州一帯で活動。赤城山南麓を「盗区」として実質支配。対立する博徒の島村伊三郎や玉村の主馬、関東取締出役道案内(目明し)の三室勘助などを殺害。信州街道の大戸(後の群馬県吾妻郡東吾妻町)の関所を破った。
 勘助殺害により忠治一家は関東取締出役から一斉手配を受け、一家の幹部の多くは逮捕され忠治は会津方面へ逃亡、4年後上州に舞い戻ったが中風を煩い嘉永3年8月24日(1850年9月29日)、関東取締役出役によって捕縛される。
 捕縛後は江戸の勘定奉行池田頼方の役宅に移送され取調べを受け、小伝馬町の牢屋敷に入牢。博奕・殺人・殺人教唆等罪名は種々あったが、最も重罪である関所破り(碓氷関所(群馬県安中市)を破る)により時の勘定奉行・道中奉行池田頼方の申し渡しによって上野国吾妻郡大戸村大戸関所(群馬県吾妻郡東吾妻町大戸)に移送され当地で磔の刑に処せられる。享年41だった。戒名:長岡院法誉花楽居士(養寿寺)・遊道花楽居士(善應寺)。
                          ◇=◇=◇
 ということで41歳の若さで処刑されています。こうしてみると、忠治は大悪人だったようですが、何故か浪曲や講談、芝居のネタにされます。それは、天保の大飢饉(1833年から1839年)のときに村民を救ったという逸話からきているといいます。この話し、本当だったのでしょうか。

 2月の赤城山は全山雪です。雪道のスリップに恐怖しながら、途中でチェーンを装着し大沼(おの)まで車で入りました。駐車場で支度を整え氷上のワカサギ釣りでにぎわう湖面を横目に、登山口へ急ぎます。すでに2回登っていますので、地図は不要です。樹木は霧氷で化粧して綺麗です。雪化粧ならぬ「氷化粧」とでもいうのでしょうか。風に揺られて震えているように見えました。途中で振り返ると、大沼の湖上には色とりどりのテントが見えます。ワカサギ釣りを楽しむ人たちのそれです。雪屁(せっぴ)を遠巻きにしながら高度を稼いで、稜線に出たらすぐ山頂です。

 山頂には3人の先客が休んでいました。この雪の中をやってくる、自分たちと同じような人がいるのですね。山頂は黒檜山(くろびやま)と呼んでいます。その理由は分かりません。山頂で持っていったピッケルを雪に差し込んでみたら、60センチほどになりその深さがわかりました。天気は晴れることはなく、結局、ピストンで下山しました。氷上のテントを見ながら一度、ワカサギ釣りを楽しみたいと思ったものです。

*徒歩総時間・2時間35分
大沼駐車場(9:00)-山頂(10:40 11:05)-大沼駐車場(12:00)

★脈絡のないきょうの一行
暫定税率を廃止して〝固定〟税率を創設? こりゃもう詐欺だ。票を返せ(一小市民)。
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