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ヘボやんの独り言
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2016/02/18 [Thu] 10:33:30 » E d i t
 貧困の現場からの報告である。身につまされる。

                           ◇=◇=◇
入学式に姿なく、2日目も、3日目も…制服買えず欠席 困窮家庭の子にとっては「関門」
西日本新聞 2月17日(水)11時5分配信


 3年前の春、九州北部のある公立中学校。入学式に新入生の陽介(仮名、12)の姿はなかった。2日目も、3日目も。母親は電話で「体調が悪いから」と説明するばかり。ぴんときた担任教諭は学校指定の制服業者に電話した。

 「ああ、その子、受け取りに来てませんよ」

 採寸して注文はしたが、約3万5千円のお金がなくて取りに行けず、登校させられなかった-。母親は、そう打ち明けた。

 校長が立て替え、制服を陽介の家に届けた。担任の勧めで母親は就学援助を申請し、校長に少しずつ返済すると約束した。

 4日目、陽介は真新しい制服に身を包み、ようやく校門をくぐった。

 翌年からこの中学では、制服を取りに来ていない生徒がいないか、入学式前に制服業者に確認するようにした。スタートから子どもがつまずくようなことがあってはならない。

(以下、省略)
                           ◇=◇=◇

 こういう現実が今でもあるのだ。この風景は、私が子どものころ経験したそのものである。

 写真家の土門拳さん(1909年-1990年)の「筑豊のこどもたち」という写真集をご存知だろうか。1960年の作品で、炭鉱まちの子どもたちの様子を収めたものである。これは優れた報道に贈られるこの年の「第3回JCJ賞」に選ばれている。

 その写真集の復刻版が我が家の本棚に収まっている。私はまさにその子のなかの一人と同じだった。その頃私は長崎県佐世保市の炭鉱長屋に住んでいた。もちろん、父は炭鉱夫だった。父が仕事を放棄したための貧困ではなかった。それこそ、早朝から深夜まで働き詰めだった。しかし、低賃金は子ども7人を養うには足りなかった。

 私(長男)の二人の姉は、中学を卒業する間もなく奉公に出された。口減らしである。私が小学校入学のとき、買ってもらったぴかぴかのランドセルは、一度の雨に晒されてぼろぼろになってしまった。なんと、段ボール紙で出来ていたのだ。今にして思えば、紙製のランドセルがあったこと自体が驚きだが、親の精一杯の入学祝いだったのだろう。

 小学校はすでに給食が始まっていた。しかし、給食費が払えない我が家は弁当を持参した。麦飯のうえ、おかずは毎日塩コンブとタクワンだった。クラスには同じような子どもが数人いたが、給食時間はいやだった。前出の「筑豊のこどもたち」では、弁当さえ持っていけない子がいて、給食時間に本を読んでいる姿が納められている。それと比べるとまだまし、だったのかもしれない。

 食べるものがなくなり、父親に連れられてイモ畑に行ったこともある。姉たちはすでにおらず、年長である私が見張り役をさせられた。泥棒をしている、と思うと怖かった。あれから60年を過ぎるが、今でも夢に見ることがある。トラウマになっている。

 そんな昔と同じようなことが、現代においても存在するという現実は(しかも筑豊で)、この国の政治がいかに貧困であるかを如実に物語っている。怒り心頭である。

★脈絡のないきょうの一行
民主党と維新の党の合流、先送り(朝日新聞デジタル)。〝生い立ち〟の違うもの同士の合流そのものが難しいのではないのかなー。
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