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ヘボやんの独り言
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11175 あれから4年④ 
2015/03/14 [Sat] 02:56:03 » E d i t
 仲間たちが驚いたのはいうまでもない。そして喜んでくれた。支援の物資を渡して、その足で河北新報の労働組合へ義援金を届けに。停電によってエレベーターが動いておらず、5階(だったと思うが)まで歩いた。次は、宮城県労連へ行きここでも義援金を渡して、帰路につくことにした。

 帰り際、少し被害状況を見てみようということになったが、ガソリンが心配で市内の一部を見るにとどめた。波打つ道路、倒れたスーパーマーケットの壁、剥がれ落ちたマンションのタイルなど、爪痕は激しかった。

【11/03/18/17:00頃 壊れたスーパーの壁/仙台市太白区】
110318壊れたスーパーマーケットの壁
【11/03/18/17:00頃 波打つ道路/仙台市太白区】
110318波打つ道路(太白区長町駅近く)

 夕闇が迫る仙台市内は暗かった。電気が復旧していなかったからだ。あのにぎやかな街がどうしてこうなったのか、わが目を疑った。しかし、それが現実なのであった。帰路は往路の逆コースを走ることにし、作並街道を抜けて天童のビジネスホテルでさらに1泊した。その頃、雪はやっと止んでいた。東京への帰り道、新潟市内でガソリンを満タンにしたのはいうまでもない。

 地震から10日ほど経った頃から、宅配便も活動するようになった。すると九州から大きな荷物が届いた。なんと、カップ麺である。一緒に卓上コンロも入っていた。前年に就職したばかりの従姉妹の娘が、熊本から送ってくれたものだ。嬉しかった。即刻、仙台に転送したのはいうまでもない。

 さらに震災から1ヵ月ほどした4月16日、東北自動車道が開通し、ガソリンの供給状態もよくなったことから実態を調査しようということになり、大型のレンタカーを借りて、宮城県石巻市から亘理町までを走った。

 被災から1ヵ月。まだ生活はもとに戻っていなかった。流された車や家屋はそのままの状態であり、海にあるべき船が陸に乗り上げたままだった。道路も通行止めがかなりあり、遺体収容作業だろうか、自衛隊員が集団で作業をしていた。

 以下、そのときの写真と、震災後間もないころ友人が撮影してくれたものを掲載したい。

【11/03/28/名取市閖上(ゆりあげ)の日和山/住宅の屋根が流れ着いていた】
110328日和山に流れ着いた家屋(名取市閖上)
【11/03/28/名取市閖上の現場】
110328名取市閖上地区
【11/04/16石巻市内、倒れた家屋】
110416石巻市内
【11/04/16陸にあがった大型船/石巻港】
110416石巻港
【11/04/16/すさまじい爪痕、東松島市】
すさまじい爪痕・東松島市
【11/04/16/寝具もむきだしのままだった/亘理町漁港近く】
110416亘理町

 私たちは、東日本大震災を忘れない。

★脈絡のないきょうの一行
インドで豚インフルエンザによって1500人死亡の報。軽視できない。

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