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ヘボやんの独り言
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11134 座死しない 
2014/12/30 [Tue] 08:25:47 » E d i t
 2014年もいよいよカウントダウン。時は行き、そして来る。「現在とは、過ぎ去った過去と来るべき未来の接点」。「今」を言い換えるとそっけない。しかし、私たちは間違いなくそこに生きている。

 今年、くらしや平和や民主主義を守るたたかいで行動を共にした少なくない仲間が鬼籍に入った。伊藤興三、大島秀五、鶴野道明、豊岡孝雄、藤本実、藤田充……。その姿は忘れられない。

 人は全ての人との別れが来る。分かりきったその事実に、時々ハラが立つ。馬齢重ねて、来年は68歳。記憶にある小学校に入る前の母方の祖父に始まり、身内を含めて彼岸に送った人の数は3桁になる。「別れ」は分かりきっているが、その度にハラが立つ。

 きのう、恒例の年末お墓参りに行った。春、秋、年末は訪ねることにしている。わが家の墓は、都営八王子霊園の一角にある。カミさんの実家のそれも同所にあり、いつも両家の墓参りを一緒におこなう。

 広々とした丘陵に立ち並ぶ墓石は壮観である。そこに眠る人たちのことを考えると、コペルニクス的脳の回転が起きる。この人たちは何を生業(なりわい)にし、何を考え、悩み生きてきたのだろうか。幸せを感じて彼岸に逝ったのだろうか――。

 わが家のお墓には、新しい樒(しきみ)が飾ってあった。最近、供えられたばかりだ。来てくれたであろう人は想像できる。ここには父と母と、会ったことのない戦中に1歳で亡くなった姉の3人が眠っている。

 ここに立つたびに、会ったことのない姉に思いが走る。姉もまた戦争犠牲者だからだ。父は中国に召集され、留守は母がまもっていた。姉は高熱を発し肺炎となり、そのまま帰らなかった。戦争でまともな薬も手に入らなかった時代、戦争さえなければ、と母はいつも悔やんでいた。

 物心すらおぼつかない歳で夭逝した姉。戦争への理不尽さがつのる。東京大空襲で、広島で、長崎で同じように逝った人たちのことを考えると、戦争を起こした者へハラが立つ。来年は戦後70年、同じことを繰り返そうとする恥知らずには、もっとハラが立つ。

 「戦争で死んだ」という言い回しは正しくない。「死」は自動詞だからだ。これを他動詞に替えると「殺される」となる。だから正確には「戦争で殺された」である。

 座して殺されてなるものか。「戦争反対」のデモ隊列を一緒につくり、先に逝った仲間たちの思いを引き継ぐためにも、立ち止まる訳にはいかない。「這うことも できなくなったが この手には 平和を守る 一票がある」(八坂スミ)。

 よい年をお迎えください。

★脈絡のないきょうの一行
年末年始、冬登山の季節。事故のないことを祈りたい。

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