ヘボやんの独り言
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2017/04/30 [Sun] 13:14:57 » E d i t
 昨年3月18日の小ブログで報告したが、東電福島第一原発近くの国道6号線沿いの放射線量調査を4月28日(金)に行った。今回は4回目である。初回は封鎖が解除(14年9月15日)された直後の9月21日。それ以降、2回目は15年11月20日、3回目は16年3月11日に行っている。

 今回は3台の線量計を使った。より正確な数値を出すためだ。例によって、同じ地点を調査した。相対的には初回より線量は減っている。が、世界基準からみるとほとんどがオーバーしており、通行も帰還もできるような状態ではなかった。

 【今回使った線量計】
170428線量計

 改めて、放射線量の被ばく許容量をみてみよう。
 ●世界基準は、年間1m㏜(ミリシーベルト)となっている。したがって、
 ●1m㏜は1000μ㏜(マイクロシーベルト)だから、
 ●1000μ㏜÷365日=2.74μ㏜(1日の許容線量)
 ●2.74μ㏜÷24時間=0.114μ㏜(1時間の許容線量)
ということになる。したがって(線量計は通常1時間あたりの線量を表示しているが)許容量は1時間あたり0.114μ㏜ということになる。

【観測地点の数値】
170428線量調査4ブログ用

 今回は、常磐道が全線開通したことから浪江インターで降りて東進、JR常磐線の跨線橋を越えて6号線に入った。少し高くなっている跨線橋から、浪江町の様子を見ながら走ったが、駐車場に止まっている車は見えず、人の気配はなかった。いつになったらこの街は復活するのだろうか……。国道6号線の調査区間は、許容数値をはるかに上回っていた。別図は1回目と比較している。全体として初回より数値は下がっているが、①の浪江町以外は全てアウトであった。

【第一原発が見える地点から】
第一原発近く

 写真は、第一原発に近いところだ。作業用のクレーンが見える。線量はこの辺りが無茶苦茶に高かった。許容量の50倍となっている。ところが、国道から左右に分かれる主要県道に、車の侵入を防ぐ警備員が立っていたこ。一応マスクはつけていたが、被ばくしているのは間違いない。この人たちの健康は大丈夫なのか、心配になった。国道6号線のこの部分、健康問題を考えるならば封鎖すべきだと、改めて感じた。

★脈絡のないきょうの一行
失敗した北朝鮮のミサイル発射。電車を止めたり、射撃訓練の執拗な報道は、戦争を想定した国民の〝教育〟ではないのか。
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2017/04/27 [Thu] 10:35:08 » E d i t
                           ◇=◇=◇
<今村復興相辞任>実際は首相の更迭「かばうことできない」
毎日新聞 4/26(水) 23:34配信


 今村雅弘復興相(70)=衆院比例代表九州ブロック=は26日、東日本大震災を巡る自身の失言の責任を取り、辞任した。今村氏は同日、安倍晋三首相に辞表を提出したが、実際には、首相による更迭だった。

 今村氏が25日、自民党二階派のパーティーで東日本大震災を「まだ東北だったからよかった」と述べたことは、首相官邸で経済財政諮問会議に出席中の菅義偉官房長官にすぐに伝わった。菅氏は会議終了後、首相と協議し、「かばうことはできない」という認識で一致した。更迭方針はこの場で決まった。

 (以下、省略)
                           ◇=◇=◇

 きのうの続編である。

 昨日も書いたが、この「更迭シナリオ」は当然だと思う。2万人を超える人々が犠牲になり、今もって復旧すら出来ていない東北に対して、冗談でも言ってはならない言葉を発した責任は軽くない。辞任は当然だし、国会議員としての資質も問われており、こちらも返上すべき事柄である。「言葉」というのはそれほど大切なものだからだ。

 その言葉を安倍首相は、復興相の比ではない弄(もてあそ)び方をしている。安倍首相の言葉と、今回の失言を単純に比較することはできないが、誤解を恐れずに言い換えると「失言はクビで虚言はOK」ということになるらしい。これはどうしても納得できない。

 きのうのブログで首相の虚言問題をいくつか例示した。これらは、「ポスト真実」などと言って見過ごすことのできない内容ばかりだ。「原発事故はコントロールされている」というウソと、「まだ東北だったからよかった」という失言を比較してみるとよく分かる。どう贔屓目に見ても、両方ともNGである。いや、首相発言は東北の人だけでなく、世界の人々を騙している点を考えると、今回の復興相失言より罪は重いと言える。

 その首相は「任命責任は私にある」と豪語したが、任命した責任を取ろうとしていない。(首相自身に何らのペナルティーを課していない)現段階で、これはいつもの虚言であったとしか思えない。もしかしたら更迭によって任命責任を果たした、と考えているのかもしれないが筋が違う。現状のままでは虚言的であり釈然としない。あなたはどう考えますか。

★脈絡のないきょうの一行
福岡の現金強奪事件、小説みたい。同じ日に大金が福岡空港から運ばれようとしていた。偶然とは実に面白い。
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2017/04/26 [Wed] 17:56:32 » E d i t
 今村雅弘復興相、「自己炎上」したね。辞任は自己責任であり当然の帰結だ。ここまで放置した安倍内閣にこそ問題がある。にもかかわらず、メディアはそこに触れようとしない。アベがこわいのか。

 がしかし、よくよく考えてみると復興相より首相のほうがもっとひどいことを言っている。首相の発言は〝失言〟扱いになっていないが、今村さんよりタチの悪い発言をしているのではないか。その典型が、今村発言のあとの「任命責任は(自分に)ある」という弁明だ。

 確かにすべての大臣など行政の責任者は首相が任命する訳だから、任命責任は首相にある。その意味において今村復興相の任命責任は、安倍晋三首相にあるのは紛れもない事実。そのことをさらりと言ってのけたところまでは、良しとするが「責任」をどう取るのか、という言及のないところをみれば、これは得意のインチキ発言としかいいようがない。

 もともと責任を取る、というのは何らかのペナルティーがつきものだ。一番重い責任の取り方は、自らが首相を辞任することだ。さらに減給や戒告、訓告、口頭注意などがある。ところが安倍首相は自らの責任の「取り方」(ペナルティー)について何一つ示していない。これは承服しがたい。考えようによっては、この方法も〝ポスト真実〟に類するのかもしれないが、言っていることとやっていることのアンバランスは甚だしく、分裂症を疑いたくなる。

 改めて首相の〝失言〟問題を振り返ってみよう。たくさんあり過ぎて選ぶのに迷うが、福島第一原発の「コントロールされている」発言からみてみたい。これは2013年9月、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで開催された国際オリンピック委員会の場で、2020年のオリンピックを東京に招致するために発言したものだ。

 現実はどうだろうか。コントロールされていないばかりか凍土壁の失敗など、放射線はダダ漏れ状態ではないか。この発言は当時からウソだということは分かっていた。が、メディアはそのことを批判しなかった。このウソは世界を騙したのだから、罪は復興相の発言より重い。

 そして強行採決問題。昨年10月17日の衆院TPP特別委員会で「我が党において、いままで結党以来、強行採決をしようと考えたことはないわけであります」と言い放ったのである。あまりにも凄すぎるウソに、嗤うことすらできなかった。

 極めつけは、アベノミクスだろう。破綻していることは誰の目で見ても明らか。しかし「道半ばだ」と言い張って、失敗を認めようとしない。日本経済は(ヘンな表現だが)真綿で首を締められるように奈落の底に堕ちつつある。

 「ポスト真実」などの言葉に惑わされず、安倍晋三首相の〝ウソ=失言〟にこそ批判の矢を向けるべきではなかろうか。メディアに注文したい。

★脈絡のないきょうの一行
トランプ米大統領「メキシコ国境の壁建設で、政府予算と支持者との板挟み」(毎日新聞ウェブ)だって。壁は土塁だから板ではなく「土挟み」じゃないかい?

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2017/04/25 [Tue] 16:03:38 » E d i t
 ソウルの人たちと立ち入った話しをする機会はなかったが、滞在中に感じたことをいくつか紹介しよう。

 まず、電車。運賃は韓国も日本と同じように前払いだが、切符はなく目的地まではタッチ式のカードを買うことになる。このカードを使わなくなったら、カード代金だけ返してくれるという。もちろんチャージは自由だ。1万ウォンのチャージで実質的に2日間、乗降できた。安い。タクシー代も安かった。

 電車に乗ったら立っている人がいるにもかかわらず、空いている席がある。妊婦専用の席だ。当事者以外は誰も座らない。加えて日本でいう優先席もある。白髪の私に若者が席を譲ってくれた。日本ではあまり目にしない光景だ。ナヌムの家のハルモニたちもそうだったが、年寄りが大事にされている。上海でも同じように、若者は必ず席を譲ってくれるというが、儒教の教えが徹底されているのか、習慣の違いか。

 車内でスマホや携帯電話を使っている人の様子を観察した。日本では8割くらいが、必ずそれらをいじっている。ソウルは逆だ。使っているのはせいぜい2割程度。普及率は韓国も日本も同じくらいだという報道を読んだ記憶があるが、マナーとしては韓国が上だ。

 地下鉄にガスマスクが置いてあるのには驚いた。どうも「北」対策らしい。絵図入りでマスクの使い方が説明してあったが、やや不気味。マスクの数は地下鉄利用者の量からすれば、とても賄えるものではないが、置いておくことで安心感が保てるのであろう。このマスクを使うことがないように祈りたいものだ。

【地下鉄に備えられたガスマスク】
地下鉄のガスマスク

 物価は円に換算しても日本よりやや低いか、と感じた。コンビニの「セブンイレブン」がやたら目立った。ここで円からウォンへの交換をしてくれる所もある。ホテル近くのそこは、手数料を取らないと書いてあり、得した感じを受けたものだ。

 泊まったホテルの位置する明洞は繁華街だ。歩いていると流ちょうな日本語で「偽物のバッグを売ってるよ。全部偽物だよ。買って行かないか」と声をかけられた。偽物を売りにしていることについ笑ってしまったが、われわれが日本人だということが、どうやって分かっのか不思議だった。この繁華街、夜になると屋台が出る。日本でいえば、新宿の歌舞伎町の通りに屋台が並ぶようなものだ。面白い。

 食べ物は相対的に甘くできている。焼き肉のタレも、麺類の汁も、コーヒーも。ナヌムの家で所長から話を聞く間にコーヒーが出されたが、すでにミルクと砂糖が入っており甘かった。強めの〝甘さ〟は韓国人の習慣なのかもしれない。そういえば、焼酎のアルコール度数は日本酒並みだった。

【市役所前の右翼のテント】
ソウル市役所前

【セウォル号犠牲者の抗議行動を続けるテントの中の写真】
セオル号の犠牲者たちか?

 ソウル市役所前の広場は、右翼がテントを張っていた。抗議行動をやっているらしい。100万人集会が開かれた大通りには、転覆したセウォル号の遺族が抗議のテントを張っていた。高校生だろうか、子どもたちの集合写真が貼ってある。経産相前のテントを撤去させた日本と違って、おおらかである。占領時代の日本へのそれを含む〝抵抗運動〟への寛容さなのかもしれない。私はいつの間にか、韓国贔屓になっていた。

★脈絡のない今日の一行
政府、名護市辺野古移設の埋め立てに関係する護岸工事に着手。またしても暴挙だ。

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2017/04/24 [Mon] 10:31:24 » E d i t
 平和の碑のすぐうしろに、韓国最大の通信社・聯合通信社がある。その入り口に面白いものがあった。新聞記者を模した大きな人形が、カメラとパソコンを持って歩いている姿だ。ひと昔前はペンだったが、それがパソコンに代わっているところが面白い。

【聯合通信社前】
聯合通信社

 日本大使館前から東門市場へ移動。前日は明洞(ミョンドン)の繁華街で夕食となったが、今度は市場の屋台に行くことに。もちろん、植村さんの案内だ。市場の通路には屋台がずらりと並んでいる。韓国にも「ハナ金」があるのか、人通りも多く賑やかだ。

 目的地に着いて、まずはビールで乾杯。屋台のおばさんは、日本語もできる。ギョウザが美味しかった。むこうのそれは、日本でいえば「水餃子」だ。韓国の家庭の味を頂いた。この日一緒に歩いてくれた姜さんとの会話になった。上智大を卒業した彼は、今度は早稲田大学の大学院のテストを受けたという。発表は4月下旬だという。彼の来日が待ち遠しい。

【屋台のおばさんと】
市場の屋台1

 3日目、帰国の日だ。植村さんとは前日にお別れをしておいた。あとはお土産を買うことにして、とりあえずホテルに荷物を預けて南門市場へ。朝から人通りも多い。立派な崇礼門を見て、同行の皆さんが必ず立ち寄るという店へ。そこの主人は日本語が達者で、おいしいお茶をごちそうになった。

【南大門市場を歩く】
南大門市場を歩く

 日本からの独立運動のレリーフが設置してある公園などを案内してもらいながら、ソウル市内を散歩。明洞の食堂で昼食を済ませて、荷物をホテルから引き上げタクシーで金浦空港に向かった。
                              ◇
 3日の旅だったが、考えさせられることは少なくなかった。従軍慰安婦問題を考えるとき、日本が朝鮮半島におこなった「併合」と言う名の植民地化を忘れてはならない。1910年(明治43年)8月29日から1945年(昭和20年)9月9日まで、35年間にわたって朝鮮半島は日本によって占領・統治されていた。その間、韓国人に主権はなかった。

 その苦しみは推して余りある。主権が奪われた中で、女性たちへの従軍慰安婦としての強制連行が進められたのである。それを「性奴隷」と言わずして何と言おう。女性を「性のはけ口」としてしか考えず、有無を言わせず服従させる。人間の尊厳を根底から奪ったのである。

 この問題を「戦争だったから」と済ませることは許されない。その戦争を許したのはほかでもない、日本国民だったからだ。戦争が根底にあったとすれば、その根底をつくったものの責任は免れないと思う。

 初めての韓国訪問は、慰安婦問題だけでなく、韓国と日本の歴史を考えさせられ、一番近い隣国とどうつきあうべきか。人間の尊厳とは何か。戦争の持つ悲惨さ――など新たな課題を突き付けられるような思いだった。が、何よりも大事なことは「記憶されない歴史は繰り返される」という教訓をしっかり学ぶことであろう。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
海水温上昇で日本国内のサンゴが2070年代に消滅の危機(読売新聞ウェブ)。そのまま進めば、人類も危ないのでは?

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2017/04/20 [Thu] 10:20:33 » E d i t
 ナヌムの家の正面にハルモニたちの胸像が建っている。そこには「歴史を消させない」という思いと怒りがあふれている。ナヌムの家は、ハルモニたちの暮らしの場であるとともに、旧日本軍への怒りの結晶の場でもある。そして、戦争の悲惨さを教えてくれる〝生きた教科書〟そのものである。そのことを肝に銘じたい。

【胸像。向こう側がナヌムの家】
ナヌムたちの像

 ナヌムの家に別れを告げ、駅近くの食堂で昼食をすませて「戦争と女性の人権博物館」を訪ねた。ここは、韓国挺身隊問題対策協議会(挺隊協)が運営している。そのパンフには「日本軍『慰安婦』問題解決を通じて被害者の名誉と人権を回復し、戦時下での女性への暴力を防止し、正しい歴史の確立と平和の実現に寄与しようと、1990年11月16日に第一歩を踏み出しました」と記している。

 人権博物館は、女性への性暴力の実態をあますところなく伝えている。日本軍の慰安所に関する資料、被害に遭った女性と遺品、現在の世界の戦時下における性暴力の実態など、ありのままの姿は、改めて怒りがわいてくる。

 この博物館のシンボルは、「水曜デモ」の写真にも出てくるが、黄色のチョウチョだ。それを模した紙に、来訪者が思い思いの感想を書いて、博物館外の金網に貼ってある。私たちが行ったとき、高校生らしき若者が出てきたところで、それを貼っていた。さしずめ〝幸せの黄色いチョウチョ〟ということになろうか。

【チョウチョに託された平和の思い。日本語もあった】
人権博物館のカベ

 次に日本大使館に向かった。途中、大統領弾劾を求めて100万人が集まった場所に立ち寄ってもらった。広い通りが交差しているあたりがメーンになったという。「ここだったら100万人は入るかもね」という会話になっていた。遠くに大統領の公邸である「青瓦台」が見える。確かに建物の屋根の瓦(カワラ)は青かった。

 ソウルでは1992年1月8日以来、毎週水曜日に日本大使館の前で「水曜デモ」が行われている。この行動を呼びかけたのが市民団体としての挺隊協である。デモは日本政府に対して①戦争犯罪認定②真相究明③公式謝罪④法的措置⑤責任者の処罰⑥歴史教科書への記録⑦追悼碑と史料館の建設――を求めている。

 日本大使館は改築中で、工事のトラックが出入りしていた。その正面に少女の像が座っている。目線の先に日本大使館がある。この像を韓国の人たちは「平和の碑」と呼んでいる。日本のメディアは「少女像」と報道しているが、韓国では違う。呼称は、韓国に倣って「平和の碑」とすべきではないのか、そんなことを考えていた。(次回につづく)

【日本大使館前の平和の碑】
平和の碑

★脈絡のないきょうの一行
政府は環太平洋経済連携協定(TPP)について、米国抜きの11か国での発効を目指す方針を固めた(読売新聞ウェブ)という。何を考えているんだ、この国は。

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2017/04/19 [Wed] 10:27:51 » E d i t
 ナヌムの家には「歴史館」が併設されている。入館料・5000ウォンが必要だが、日本人が来た場合、韓国人と結婚し慰安婦問題を後世に残すべきだとがんばっている山形出身の女性が案内してくれた。植村さんとは旧知の仲のようだ。この日は日本の高校の生徒たちがやって来て、一緒に案内してもらった。若者たちにそっとパワーをもらった。

 館内に入ったとたん、大きな絵が目についた。韓国の若い女性が日本兵に連行される様子を描いたものだ。実にリアルである。証言をもとに描かれたものだろう。こういうことが各地で行われていたことを思うと、改めて怒りが起きてくる。

【連行状態が描かれた絵画】
強制連行のり図

 慰安所は大陸だけでなく、太平洋にまで広く設置されていた。慰安婦は、各地に送られていたのである。戦後、祖国の土を踏むこともなく、そのまま亡くなった人もいることだろう。戦争の悲惨さと日本がおこなった人権無視の蛮行は度し難く、許されるものではない。

 博物館のなかを案内してもらっている最中、各国から贈られた千羽鶴が目についた。その中の一つをよく見てみると、日本からのもので「新日本婦人の会千代田支部」と書かれている。偶然とは面白いものだ。いつも千代田で一緒に活動している仲間たちがここにやって来た痕跡に、親しみを感じた。

【新婦人千代田支部から贈られた千羽鶴】
新婦人千代田支部

 歴史館を一通り見て、植村さんの案内でナヌムの家の中に入った。リビングだろうか、そこには二人のハルモニがいた。顔見知りの植村さんは、親しげに声を交わし激励していた。写真は、李玉善(イ・オクソン)さんだ。イさんに、何のてらいもなく「日本人にしてほしいことがありますか」と聞いた。実に驚くべき返事が返ってきた。

 「アベさんを辞めさせてほしい」だったのだ。ハルモニたちは、従軍慰安婦問題で安倍首相がかつて何をしたか知っているのだ。昨年12月の「日韓合意」も彼女たちは認めていない。「安倍首相がここまで来て、謝罪したら(合意について)考える」という。

 その怒りは、計り知れない。この思いを真正面から私たちは受け止める必要があるのではなかろうか。後述するが日本は戦前、朝鮮半島を35年間にわたって植民地として扱ってきた。その辛酸を、従軍慰安婦問題を含めて韓国国民は忘れていないのだ。イ・オクソンさんの一言は、日本国民全体が考えるべきことなのかもしれない。心が痛かった。(次回につづく)

【植村さんとイ・オクソンさん】
ハルモニと植村さん

【ハルモニたちと記念撮影】
頑張れハルモニ1

★脈絡のないきょうの一行
中央防災会議の専門調査会がまとめた関東大震災時の「朝鮮人虐殺」報告書の一部を、内閣府がホームページから削除(朝日新聞ウェブ)。またしても記憶を消そうというのか。
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2017/04/18 [Tue] 10:38:03 » E d i t
 小高い丘にソウルタワーが見える。その麓あたりに、いくつかの碑が建っていた。まだ工事をしていたが、従軍慰安婦問題や国民への圧政を忘れないために、こういうスペースをつくることになったという。慰安婦として強制連行された人たちの名前が碑に刻まれている。かなりの数だ。それでも分かっているだけだというから、推して知るべし、である。

 一角に「ヘソ」と呼ばれる楕円形の碑が横たわっていた。その石には、韓国語、英語、日本語、中国語で「記憶されない歴史は繰り返される」と書いてあった。私は一瞬、旧西ドイツの故・バイツゼッカー大統領の言葉とオーバーラップした。「過去に目を閉ざす者は未来に盲目となる」――。

 まさにその通りである。歴史修正主義を唱える人たちは、従軍慰安婦や南京大虐殺、沖縄戦における集団自決など、なかったことにしようと腐心している。記憶から消し去ろうとしているのだ。それは言い換えると、「歴史を繰り返そうとしている」ということになりはしないか。戦争法の強行採決も、審議が始まった共謀罪もそのための準備ではないのか。

 夕暮れ時になり、「ハラ減ったー」の声に促され明洞の繁華街にもどり、本場の焼肉に舌鼓を打った。韓国のお金の単位は「ウォン」だが、日本円のほぼ10分の1。計算はしやすいが1000円のものが、1万ウォンだからややギョッとする。

【「記憶されない歴史は繰り返される」と書いた碑の前で】
記憶されない歴史は繰り返される

【明洞の夜の賑わい】
明洞夜の賑わい

 2日目。ホテルの前に集合。前日、「通訳をしてくれる人がいる」と言われていたが、その人を見てびっくり。昨年秋に千代田区労協が主催して植村さんの話しを聞く集会を開いたときに、上智大学の学生だと紹介された姜さんだったからだ。彼も私のことを覚えていてくれた。

流ちょうな日本語で「久しぶりです」と言われたときは嬉しかった。そしてもう一人若者がいた。植村さんの息子さんで今年から医者として働くことになっているという。最後の春休みを利用してソウルに来たという。精悍な青年である。活躍を期待したい。

 最初に案内されたのは、ナヌムの家。電車を3回ほど乗り継いで、最後の駅からはタクシーでそこへ。ナヌムというのは「分かち合い」という意味だという。事前に植村さんから連絡が行っていた。事務所に案内され、ナヌムの家の所長と懇談した。

 ハルモニ(おばあちゃん)と呼ばれる元従軍慰安婦のみなさんは高齢化し、認知症や寝たきり状態の人が増えたという。昨年12月の慰安婦問題の「日韓合意」について、誰一人として納得していない。政府の役人が来て「もう終わった。心配しないでいい。補償金を出したいから銀行の通帳番号を教えてくれ」と言われても、だれも教えなかった。あの合意にみんな怒っている――。

 朴政権の国民不在の政治が、ここにも表れていたのだ。弾劾が決まったことが頷けた。(次回につづく)

【ナヌムの家の安所長を囲んで・左側中央】
ナヌムの家所長を囲んで

★脈絡のないきょうの一行
政府、北朝鮮に「武力攻撃切迫事態」に認定する方向で検討(読売新聞ウェブ)。これは武力衝突前段の準備で、明らかな挑発だ。
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2017/04/17 [Mon] 10:34:09 » E d i t
 3月23日から25日まで、韓国・ソウルを訪ねた。外国に足を運ぶのは30数年ぶりだ。弁護士の友人に誘われ、慰安婦問題に関心を持っていたこともあって、二つ返事でOKを出した。以下、3日間の行動を報告したい。

 羽田空港を後にして、ソウル・金浦空港に着いたのは午後3時過ぎ。入国までかなり時間がかかる。パスポートの顔写真を確認され、両人差し指の指紋を取られたらやっと〝自由空間〟に入る。同行は弁護士2人、日朝協会の事務局長と私の4人。小回りがきくし、他の3人は何回か韓国には来ており安心。

 預けた荷物が回って来るのを待って、構内から外へ。そこには案内の紙を持った出迎えの人がずらり。我々を待っていてくれた人はすぐに分かった。元朝日新聞記者の植村隆さんだ。植村さんは、週刊文春などによって「捏造記者」のレッテルを貼られ、ネトウヨらの執拗な嫌がらせを受けて、家族も含めて被害に遭った。ご本人自身は予定していた神戸の女子大学で教壇に立つことが出来なくなった。

 植村さんは捏造記者だと報道した週刊誌こそ捏造である、として捏造ではなかったという名誉回復と、被った被害の損害賠償の訴訟を起こして東京地裁と札幌地裁でたたかっている。裁判を起こしたあと、韓国カトリック大学から客員教授として招聘され、裁判をたたかいながら現在は同大学で教鞭を執っている。

 私は植村さんには、宮澤・レーン事件の真相を広める会の取材を受けたときに初めて会った。新聞記者らしく、一つ一つきちんと確認しながら取材するその姿に共感を覚えた。そのときは確か、函館支局長だったはずだ。

 まず金浦空港から、地下鉄で宿泊先の明洞(ミョンドン)のホテルへ直行。案内されたのは明洞聖堂。韓国カソリックの本山である。植村さんのカソリック大学は、ここがバックになっているという。立派な建物である。中に入ってみると、ちょうどミサの時間だったらしく、きれいな歌声が響いていた。さりげなく写真を1枚撮らせてもらった。

 次に「最近できた施設に行きましょう」と明洞の繁華街を歩いてそちらに向かった。途中、広い通りに面したところで座り込んでいる人たちがいた。聞いてみると、ホテルを解雇され抗議中だという。植村さんに通訳をしてもらい、激励してその場を後にした。(次回につづく)

【明洞聖堂】
明洞聖堂

【社前に抗議文をかかげて闘うホテル労働者】
韓国ホテル労働者

★脈絡のないきょうの一行
共謀罪法案が審議入り。「キノコ違法採取」も共謀罪だそうだ。笑えるけど、怒りたくなる。

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2017/04/16 [Sun] 15:06:20 » E d i t
 きょうは私の誕生日。70歳・古希である。馬齢を重ねている訳だが、私は自分の「年齢の節目」を考えてきた。

 最初に年齢のことを思い立ったのは、息子が生まれたときだ。私はちょうど30歳だった。この子が自分の年齢に達したとき世の中はどうなっているだろうかと考えた。息子が30のとき私は60歳・還暦になっているはずだ。これは、楽にクリアした。

 次の目標は67歳にした。オヤジが鬼籍に入った年齢だ。とりあえず父親の年齢を超えようと考えた。今だから言えるが、実は少し緊張した。〝大丈夫だろうか〟という得も知れぬ不安感と、期待感が入り混じった。誕生日を迎えたとき、なぜかほっとした。

 その次は古希である。昔は古稀と書いたそうだが「稀」という字は常用漢字にないことから、「希」を使うようになったという。由来は「唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)『酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり』(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)」(Wikipedia)だという。飲み屋のツケと年齢を重ねたところが実におもしろい。

 何か古希の記念になるものはないかと考えた。あった。山に登ることだ。思い立ったら吉日だ。きのう、誕生日には1日早かったが奥多摩三山(大岳山、御前山、三頭山)の一つ、御前山(ごぜんやま 1,405M)にチャレンジした。この山はカタクリの花が群生することで有名だ。5月中旬過ぎにはハイカーが列を作る。

 山頂で記念写真を撮った。仕上がりを見てみるとおもしろい写真になっていた。黄色だけがカラーで、あとはモノクロなのだ(写真)。どうも、自動シャッターを操作するとき、ほかのどこかを触ったらしい。紹介したい。

【御前山山頂にて】
170415御前山2

 古希の次の目標は76歳だ。理由がある。私が賭けた厚生年金の積立額(本人、使用者、国の総額)は76歳までいけば、全額回収することができるからだ。76でチャラ。ここまでは意地でも生きたいものだと考えている。

 欲張りだと言われそうだが、その次は89歳である。母が逝った年齢だ。これは遠い。一歩一歩、一日一日がそこに近づく道だ。気楽にいきたい。

★脈絡のないきょうの一行
アメリカによる北朝鮮への〝一撃〟は杞憂ではない。武力攻撃だけは何としても止めなければ。

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