ヘボやんの独り言
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11195 氷の雪崩 
2015/04/27 [Mon] 16:13:31 » E d i t
 25日午前に発生したネパールの地震は、時間経過とともに犠牲者が増えていく。この種の情報の特徴ではあるものの、心痛む。救出時間のリミット72時間を迎えようとしているいま、現地の救出活動の焦りが分かる。一人でも、二人でも助かって、という祈りが届いてほしいものである。

 地震によってエベレストで雪崩が発生し、日本人1人を含む18人の登山者の死亡が確認されている。不運としか言いようのないこの遭難。下山できない人がまだたくさんいるというが、こちらも心配だ。

 2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震では、17人が死亡し6人が行方不明となったままである。行方不明者の中には、季節柄山菜採りに出かけたままの人も入っている。今回のネパール地震でヒマラヤ登山にチャレンジしていたことと同じように。

 この地震による被災地の荒砥沢ダム上流の調査に参加したことがある。崩落地の最大落差は148mといわれ、そこはまさに写真でしか見たことはないが、グランドキャニオン状態であった。荒々しい土肌は、そのエネルギーを想像するに足るものであった。

 エベレストの雪崩は、雪が滑り落ちてくるのではない。氷の塊が超スピードで落ちてくるのである。土石流の土が、氷と雪の塊に変化したものだと思えばいい。20年ほど前、谷川岳に相対する「白毛門」という山に登ったことがあるが、そのとき、氷交じりの雪崩を見た。なんと、金属音が谷にこだましていた。

 以下、読売新聞ウェブから。

                         ◇=◇=◇
ネパール地震死者3300人、エベレストで雪崩
読売新聞 4月27日(月)11時31分配信


 【カトマンズ=西島太郎、丸山修】ネパール中部で起きた地震で、同国政府は27日午前の時点の死者数が計3218人に上ることを明らかにした。

 インドなど周辺3か国を含む死者数は3300人を超えた。世界最高峰のエベレスト(標高8848メートル)では雪崩が発生し、日本人1人を含め少なくとも18人の登山者が亡くなった。現場は標高5000メートル超の過酷な環境で、余震と雪崩が続いており、数百人の登山者が下山できない状態が続いている。

 ネパールの登山関係者などによると、近くで起きた雪崩で標高約5300メートルのベースキャンプは一瞬にしてのまれた。当時、登山者ら約1000人がいたとみられるという。

 下山ルートも通れなくなり、ヘリで重傷者を優先して病院に搬送しているが、天候の悪化で救助活動は難航している模様だ。ベースキャンプよりさらに標高の高い場所では、100人を超す登山者らが救助を待っているとみられる。
                         ◇=◇=◇

★脈絡のないきょうの一行
統一地方選挙の結果は、民主党の凋落傾向がつづいていることを示した。国民の目は厳しい。

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災害問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
11194 度し難い人 
2015/04/24 [Fri] 13:28:00 » E d i t
 またしても、である。この人は口を開かないほうがいいのではないか、そんなことを考えさせる。以下。

                         ◇=◇=◇
中国人記者への対応に波紋=麻生氏に批判相次ぐ
時事通信 4月23日(木)19時54分配信


 【北京時事】麻生太郎副総理兼財務相が今月3日の記者会見で、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加を見送った日本政府の対応を「野党が批判している」とただした中国人女性記者に対し、笑った上で「うちは共産主義じゃないから中国と違って(野党が)何でも言える。パクられることもない」と答えたことが波紋を呼んでいる。記者自身が「からかわれた」と感じた麻生氏の発言に中国メディアやインターネットで批判が相次いでいる。

 23日付の中国共産党機関紙・人民日報傘下の環球時報も「麻生太郎には日本人も恥ずかしく感じている」と題した論評を掲載するなど物議を醸している。

 麻生氏に質問したのは、香港の衛星テレビ局「フェニックステレビ」の李※(※=森の木3つが水)・東京支局長。李さんによると、AIIBについて日本語で質問すると麻生氏は「ハハハ」と笑いだした。さらに李さんが質問を続けようとしたところ、挙手しなかったことから英語で「ここのルールを知らないのか」と述べた。

 李さんは取材に「(日本で記者をして)8年間で初めての経験。麻生さんには真摯(しんし)に答えてほしかったし、首相や外相を経験しており、外国人記者に対する態度としていかがかと思う」と話した。

 李さんはフォロワーが21万人いる自身の中国版ツイッター「微博」でこのやりとりを紹介。日本メディアが報道したことを受け、21日からフェニックステレビもウェブサイトや番組で取り上げているほか、中国のネットでも「記者に対して失礼。重大な差別だ」「日本は国家なのか」との書き込みが相次いでいる。

 財務省広報室は取材に対して、「コメントは差し控えさせていただく」などと回答した。
                         ◇=◇=◇

 日本は「中国と違って(野党が)何でも言える。」国なのだろうか。過日の福島みずほ参議院議員の国会での「戦争法」発言に対して、あの人たちはなんと言ったか。的外れな、国際的にみても恥ずかしい〝批判〟をしたのではなかったか。その舌の根も乾かぬうちのこの舌禍。

 やりたい放題、言いたい放題は首相のみならず閣僚全体に伝染している。『暴走』はすでに個人の問題ではなく、自民党という組織の中に度し難く蔓延(はびこ)っている。この人たちに国の将来を任せていいのか。そんなことを日本国民が真剣に考えなければならない事態が到来していると思う。これは杞憂だろうか。

★脈絡のないきょうの一行
東京都豊島区の公園で480μ㏜の放射線量を測定したという。何? これ。

政治問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2015/04/21 [Tue] 10:20:38 » E d i t
 裁判官席は5つあったが、入ってきた裁判官は4人。傍聴席もその前に設置してある上告人、被上告人席に座った代理人(弁護士)も一斉に起立し、一礼。まず、報道用のビデオ撮りから始まる。マエセツ(事前の説明)では2分間の時間が与えられることになっていた。思ったよりテレビカメラは来ていた。新たな法的解釈が示されるための影響だろうか。

 2分間は意外に長い。それが終わるとカメラの後片付けを待って、裁判長が事件名を読み上げた。そのあと、上告人(大学側)代理人が、上告理由を読み上げ。10分程度だっただろうか。つづいて被上告人(Hさん側)の代理人が、上告棄却を訴えた。こちらは15分ほどだった。

 このあと、裁判官を交えてやりとりがあるものと思っていたが、判決日を指定してこれで終わり。なんとなくあっけない一幕だった。もちろん、裁判官が退廷するときも傍聴席は総立ちで一礼した。

 面白かったのは、被上告人代理人が最後に「よって上告棄却を求める」と発言した直後に、傍聴席から拍手が起きたときだ。案の定、担当職員が「静かにしてください!」と大声で叫んでいた。これはまあ、やむを得ないかなと考えたものである。

 傍聴券を得るために行列をつくって、裁判所に入ってから(前回書き忘れたが)ボディチェック用のマシーンをくぐらされ、法廷前のロビーで待たされて、弁論を聞いて――総時間2時間半余。疲れるほどのことではなかったが、〝権威がらみ〟の裁判所はこれでいいのか、疑問には思ったものだ。

 裁判所は本来、国民に開かれているべきものだ。たったの48席しかない傍聴席では、弁論を聞きたいと思っても聞けないではないか。限られた人しか聞けないということは、別の角度から見れば「閉ざされている」ことにほかならない。

 司法の府としてのそれを否定する訳ではないが、権威主義的ムードも気になった。開廷前の職員の「注意事項」読み上げは、無機質そのもので温かみを感じられなかった。敢えてそうしている、と言われればそれまでだが心中にとげとげしいざわめくものを禁じ得なかった。

 国民と最高裁判所の〝かい離〟は案外こういうところからきているのかもしれない。裁判所を国民の手に、もっと温かみのあるところに、という思いはごまめの歯ぎしりに過ぎないのだろうか。6月8日午後3時に判決言い渡しがある。その日もう一度、最高裁を訪ねたい。

★脈絡のないきょうの一行
統一地方選挙後半、私の住む練馬は静かだが事務所のある千代田区は立候補者多数で激戦模様。選挙は、このくらい賑やかでなくちゃーね。

2015/04/20 [Mon] 11:11:52 » E d i t
 先週の金曜日・17日、私は初めて最高裁の法廷に入った。事件は専修大学職員のHさんの職業病解雇問題である。地裁、高裁は労災認定を受けた患者を解雇することは許されないと、Hさんの主張を認めた。しかし大学側はこれを不服として上告していたもの。

 法廷が開かれ弁論が行われるということは、いわゆる「受理」したことになり、1、2審の判決には憲法に抵触する問題があったことを示唆したものである。労災患者の解雇は労基法から見て当然無効である。そのどこが間違いなのか、あるいは法律そのものに不備があるのか、さっぱり理解しかねる。

 そんな疑問を持ちながら、傍聴券を確保する列に並んだ。傍聴席は48席。並んだのは110人ほどで、思ったより多い。大学側が予想に反して動員をかけたらしく、倍率が高まった。JAL争議や、国鉄闘争のときもそうだが、私はこの種のくじ引きに当たったことはない。今回も、予想どおりであった。

【輝ける傍聴券】
150417最高裁傍聴券

 ところが、Hさんを支援する対策会議のメンバーが譲ってくれたのである。ありがたくそれを頂いて、初めて傍聴券ゲットした。開廷30分前、中に案内された。まず、ロッカールームの前で、貴重品と筆記用具以外はそのなかに仕舞い込むよう指示される。私はあらかじめ空身で来ていたので、ロッカーは不要。

 傍聴者がロッカールームから出てくると、今度は法廷の前まで職員に案内され、そこのロビーで待たされる。広々として、高級ホテルと同じ仕様でソファもゆったりしている。裁判所に入るときからそうであったが、何やら格式ばっている。

 開廷時間が近づくと法廷内に案内された。席はい、ろ、は順で一列12人、「に」までの48席、全指定だ。私は一番前の席の10番目。始まる前に職員から注意事項が読み上げられる。正面のドアから裁判官が入ってきたら起立して迎えること、ただし立てない人はそのままでいい。私語は慎むことなど、説明がある。法廷はそういうふうに作ってあるのだろうが、よく声が響く。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
与那国空港で、1時間に130.5mmの猛烈な雨。観測史上1位を更新しているというが、被害が心配。

2015/04/18 [Sat] 10:19:10 » E d i t
 暴走する政治はいよいよ、ここまで来た。メディアに政権与党が本格的関与を始めたのである。18日の毎日新聞は「自民党は17日、NHKとテレビ朝日の報道番組で『やらせ』や政治的圧力があったとされる問題に関連し、NHKと日本民間放送連盟でつくる『放送倫理・番組向上機構』(BPO)について、政府が関与する仕組みの創設を含めて組織のあり方を検討する方針を固めた。」と報じている。

 とりあえず放送を手中に収め、そのあと新聞・雑誌にも手を伸ばすであろうことは明らか。メディアが政府と政権与党の意のままになればどうなるか、説明不要であろう。

 こういう事態を招いている背景に、(もう遅いかもしれないが)メディアが暴走政治をきちんと批判してこなかったことがあると私は考える。そこに乗じて自民党は〝やりたい放題〟を始めたのである。政権批判が行われておればここまでは手を出せなかった、そう思うのである。

 全てのメディアがそうだとは言わないが、秘密保護法を例示するまでもなく、今回の事態を招いた背景にメディア自身の責任もあると思う。とりあえず、この問題の動きを以下、みてみよう。

                         ◇=◇=◇
自民党、テレ朝「報道ステ」をBPOに申し立て審理求める考え
フジテレビ系(FNN) 4月17日(金)18時59分配信


 17日午前、厳しい表情で自民党本部を訪れたのは、NHKの堂元光副会長と、テレビ朝日の福田俊男専務。自民党は、報道番組の内容に問題があったとして、党の情報通信戦略調査会に、NHKとテレビ朝日の幹部を呼び、事情を聴いた。

 情報通信戦略調査会で川崎二郎会長は「2つの案件とも、真実が曲げられた放送がされた疑いがある」と述べた。聴取の対象は、NHK「クローズアップ現代」でやらせがあったと指摘されている問題と、テレビ朝日「報道ステーション」で3月末、コメンテーターの古賀茂明氏が、番組降板をめぐり、「官邸からバッシングを受けてきた」」などと発言した件。

 終了後、テレビ朝日の福田専務は「(どのような話を?)当時のいきさつ、コメンテーターの位置づけなどについて、お話させていただいた」と語った。政権与党が、個別のテレビ番組の放送内容について説明を求めるのは異例のこと。「報道ステーション」で官邸からの圧力を訴えた古賀氏は16日、日本外国特派員協会で会見し、聴取は放送法違反だと批判した。

 この会見で司会をしたアメリカの経済誌「フォーブス」のジェームズ・シムズ記者は「異例という感じがしますね。アメリカではあまり聞いたことがない。政権与党が、いちいち細かいところに、『ああだ、こうだ』っていうのは不思議です」と指摘した。

 テレビの政治報道をめぐっては、2014年11月、TBSの「NEWS23」に生出演した安倍首相が、VTRで流れたアベノミクスに関する街の声について、「選んでいると思う」と指摘し、意図的に編集されているとの認識をほのめかした。その直後、自民党は、衆議院解散の前日に、民放テレビ各局に、選挙報道の公平中立・公正の確保を求める文書を送り、さらに「報道ステーション」に対しては、個別に番組内容を批判したうえで、公平な報道を求める文書を送付した。

 メディア論を専門とする上智大学の音好宏教授は「特定の番組について、事情を聴くこと自体が、1つのプレッシャーになるのは間違いない。(メディアが)萎縮してしまう。批判、または検証を緩めてしまうことになる危険性がある」と語った。自民党は今後も調査を継続する意向で、党幹部は、テレビ朝日の「報道ステーション」を、BPO(放送倫理・番組向上機構)に申し立てて、審理を求める考えを明らかにした。

 BPOは、問題があると指摘された番組・放送を検証する、NHKと民放連によって設置された第3者機関。しかし一方で、そのBPOについて、今回、調査に携わっている自民党の議員は、「BPOは全然透明性がない」と指摘していて、BPOのあり方を問うことが狙いだというふうにほのめかしている。
                          ◇=◇=◇

★脈絡のないきょうの一行
翁長・安倍会談、予想通り〝禅問答〟。安倍首相、沖縄の民意をアメリカにどう伝える?

2015/04/15 [Wed] 10:19:57 » E d i t
 当然の判決だが、意味は小さくない。以下。

                         ◇=◇=◇
<高浜原発>3、4号機再稼働差し止め 福井地裁、仮処分
毎日新聞 4月14日(火)14時6分配信


 福井県や関西の住民ら9人が関西電力高浜原発3、4号機(同県高浜町)の再稼働差し止めを求めた仮処分の申し立てに関し、福井地裁(樋口英明裁判長)は14日、住民側の主張を認め、申し立てを認める決定を出した。仮処分の手続きで原発の運転差し止めが認められたのは初めて。関電は高浜3、4号機の再稼働を今年11月と見込んでいたが、決定の取り消し・変更や仮処分の執行停止がない限り再稼働できず、スケジュールへの影響は不可避だ。

 【30キロ圏内に京都と滋賀】高浜原発、「地元同意」難航か

 仮処分は、判決確定まで効力が発生しない訴訟とは異なり、決定が出た段階で効力が生じる。関電側は決定に対して地裁へ異議申し立てができ、その場合は改めて地裁で審理される。

 原発事故を防ぐための安全対策などが争点になった。住民側は、今回と同じ樋口裁判長が関電大飯原発3、4号機(福井県おおい町)運転差し止めを命じた昨年5月の福井地裁判決に触れ、「再稼働で住民の人格権が侵害される危険がある」と主張した。一方、関電は「多重防護の考えに基づく対策を講じ、安全性は確保されている」と反論。住民側が主張する「人格権が侵害される具体的危険性はない」とし、却下を求めていた。

 高浜3、4号機については、原子力規制委員会が2月12日、再稼働の前提となる原発の新規制基準に基づく「審査書」を決定。福島原発事故後に定められた新基準を九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)に続いてクリアした。先月20日には、地元の高浜町議会が再稼働に同意している。【竹内望】
                         ◇=◇=◇

 この判決を受けて、菅官房長官は「原子力規制委員会の判断を尊重して再稼働を進める方針に変わりはない」(時事通信)と、いつものパターンを繰り返した。沖縄では民意を無視し、今度は司法をも無視する。「粛々」を使わないだけまだましかもしれないが、一歩も譲ろうとしないその姿勢、ファッショの入り口であり放置できない。

 この判決に対して、予想どおり賛否の反応が出ている。気になるのは高浜町長のコメントだ。「高浜町の野瀬豊町長は『司法という異なる土俵での判断。新規制基準や法にのっとり進めることに変わりはない』と述べ、再稼働を巡る町の判断には、ほとんど影響しないとの認識を示した。」(毎日新聞)

 裁判所=司法は、行政とは違うから〝異なる土俵〟というのは間違いではない。しかし、(今後の異議申し立てなどの展開は別として)司法の判断を行政が受け入れなければならないのは自明の理である。それを無視するかのような「町の判断にはほとんど影響しない」というコメントは、菅官房長官の発言と軌を一にしている。

 来週は、鹿児島県の川内原発再稼働停止に関する仮処分の決定が出る。今回のこの判決がどういう形で影響するか未知数だが、しっかり見ていく必要がある。

★脈絡のないきょうの一行
桐蔭中学・高校で、今度は保護者会の会費が教職員の給与として支払われていたことが発覚(JNNニュース)。だめだね、こりゃ。

原発問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
11189 二つの式辞③ 
2015/04/13 [Mon] 23:17:03 » E d i t
 〝ラジオ党〟のうちのカミさんによると、ラジオではこの話題を取り上げていたという。テレビでもそうして欲しいところだが、無いものねだりかな。かなり長めの文章だったが、読んでいただけただろうか。実に含蓄のある、考えさせられるところが多かった。まず、東大教養学部長の石井洋二郎さん。

 「太った豚と痩せたソクラテス」の話しは、高校生のころクラスで話題になった記憶がある。ませた高校生だったのだろうか。半世紀を経た今になっても、その誤りを説く探求心に脱帽だ。三つの間違いのなかで私が興味を持ったのは、三つめの「マスコミの間違い」である。

 丸めていうならば、「メディアはきちんとした調査をして報道せよ」「メディアの情報を鵜呑みにするな」ということだ。いうまでもないが、プロ野球の試合結果について、どちらが勝ったかの報道を疑えというのではない。日々流れてくる政治の動きや経済の動きの背景を考え、おかしいと思ったら調査せよ、というのである。

 たとえば、沖縄の辺野古新基地問題を取り上げてみよう。日本政府なぜあそこまで辺野古にこだわるのか。国民を犠牲にしてまで、なぜアメリカに忠誠を示さなければならないのか。国民の反対を理由に、アメリカに普天間代替地は置けないことを何故アメリカに伝えることができないのか――などなど。

 その理由ははっきりしている。砂川事件における「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、……日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である。」とした伊達判決について、それをひっくり返すために日・米両政府がやりとりした極秘文書を引き合いにするまでもなく、日本はアメリカから独立していないからである。

 そういう本質を見抜け、考えろ、というのが石井さんの言いたかったことではなかろうか。同時にそこには、メディアに対する批判も深く横たわっている。メディアが検証もせずに間違った報道をすることにも警鐘を鳴らしていると思う。

 信州大学の山沢清人学長のそれは実に明快だ。「個性」を大事にすることを題材にしながら、自分の頭で考えることを提起しているのだ。そのために「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」という大胆とも思える発想を展開している。

 この提起は、見方を変えると前出の石井さんと同じようにメディア批判とも受け取れる。つまり物事を深く考え追求することが弱まったメディアへの批判だ。この話しの対象を新入生ではなく、メディアに置き換えると分かりやすい。みごとにマッチするではないか。

 ほかの大学の卒業式や入学式の式辞をチェックした訳ではないので一概にはいえないが、このお二人の式辞を読む限り、この国の学府はまんざらではないと思った。大学が、教育が健全であるかぎり国の将来を託すことができるからだ。

しかしその一方で、安倍首相は9日の参院予算委員会で国立大学でも「国旗掲揚・国歌斉唱」を徹底すべきだと答えている。同時に道徳の教科化の動きや、歴史教科書から「従軍慰安婦」が消しゴムで消されるような事態をみるとき、いつか来た道に戻りつつある、と、警鐘を鳴らさざるを得ない。

★脈絡のないきょうの一行
一斉地方選挙前段、与党の勝ちか。とはいえ、共産党の道府県議の躍進は一服の清涼水。

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11188 二つの式辞② 
2015/04/10 [Fri] 08:08:48 » E d i t
 次に二つ目、信州大学の入学式。

                           ◇=◇=◇
(信州大学)平成27年度入学式学長あいさつ (2015年4月4日)

 寒暖の差が大きく厳しかった冬も過ぎ去り、うららかな日が続く松本でも、この二、三日降り続いた春の雨のお陰でしょうか、大学正門の脇の高遠小彼岸桜が可憐な濃いピンクの花を咲かせ始めました。人との新しい出会いの季節を迎えました。
 本日ここに、平成二十七年度信州大学入学式を開催できますことは大きな慶びでございます。関係の皆様に深く感謝を申し上げます。
 新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。信州大学は全学を挙げて皆様を歓迎いたします。そして、ご両親、ご家族の方々に心からお慶びを申し上げます。おめでとうございます。
 皆様が本日入学式を迎えることができましたのは、厳しい受験勉強を克服された努力の結果であります。と同時に、励まし頂いたご家族、ご友人そしてご指導頂いた先生はじめ多くの方々のお陰だということを改めて深く胸に刻み、感謝の気持ちをいつまでも持ち続けてください。
 そして、留学生の皆様は母国を離れ、言葉、文化、生活習慣の異なる信州のこの地に生活することになりました。初志を貫徹され、四年後に大きな成果を挙げられることを期待しております。
 また、信州大学大学院にご入学された皆様にも、心からお祝いを申し上げます。おめでとうございます。最高学府である大学院の入学式に臨まれて、決意を新たにされていることと存じます。今の新鮮な知的高揚感を決して忘れることなく、大学院での学びと研究を続けて頂きたいと存じます。
 ところで、新入生の皆様は、本日、大学受験から解き放たれたことになりましたが、もう勉強はしなくて良いなどとは考えていませんよね。
 今までは、皆様は正解のある問題を解くことに終始していました。知識の量を試されていました。世の中では、正解のない問題を解かなければなりません。誰も考えたことのないことを考えるという、知識の質を問われることになります。さらに、世界の状況は変化が大きく、スピードも速く、ICTの進歩で一気にグローバル化します。
 大学院入学生にも、是非聞いて頂きたいのですが、日本が今後とも活力ある社会を維持し、世界へ積極的に貢献していくためには、科学、技術、文化のいずれの分野でも独創性や個性を発揮することが重要となります。横並びの発想では問題を解決できません。
 皆様は、もしかしたら、個性の発掘に没頭する「自分探し」をしませんでしたか。また、これからしようと思っていないですよね。若い時の自分探しは勧められません。特に、解剖学者の養老孟司さんは、「個性は徹底的に真似をすることから生まれる」とまでおっしゃられています。伝統芸能の世界に見られる、師匠と弟子の個性の違いを指摘されてのことです。
 個性を発揮するとは、なにか特別なことをするのではなく、問題や課題に対して、常に「自分で考えること」を習慣づける、決して「考えること」から逃げないことです。自分で考えると他人と違う考えになることが多くなり、個性が出てきます、豊かで創造的な発想となります。
 学生で言うと、普段の勉強を真剣に取組むこと、そして身につける「知識の量」を主とするのではなく、「知識の質」すなわち自ら探求的に考える能力を育てることが大切となります。
 ところで、信州大学の学生は独創性が豊かなのでしょうか。ここに興味あるデータがあります。昨年六月の日本経済新聞の調査結果です。上場企業四三三社の人事担当者から見た「大学のイメージ」調査です。「対人力」、「知力・学力」、「独創性」などについてのランキング結果です。
 信州大学は、京都大学を抑えて、「独創性」項目で第一位です。この「独創性」の判断は「創造力がある」と「個性がある」という質問で行っているようです。
 一言付け加えておきますが、信州大学は、「知力・学力」の項目でも、高位にありました。「単に変わった人間が多い」ということでは決してありません。
 就職されている先輩諸氏は、「独創性」が高いという社会的評価です。皆様もそうでしょうか。卒業すると、そうなるのでしょうか。私は違うと思います。受験勉強と同じ気持ちでは駄目です。大学での勉強と生活の仕方を変えなければなりません。
 その理由をお話しましょう。創造性を育てるうえで、特に、心がけなければならないことは、時間的、心理的な「ゆとり」を持つこと、ものごとにとらわれ過ぎないこと、豊か過ぎないこと、飽食でないことなどが挙げられます。
 自らで考えることにじっくり時間をかけること、そして時間的にも心理的にもゆったりとすることが最も大切となります。
 子供の頃をちょっと思い出して下さい。子供の頃は、例えば、夏休みがゆっくり過ぎていたと感じませんか。大人になると、忙しさで、時間は走馬灯のように速く過ぎていきます。脳科学者のDavid Eaglemanさんは「記憶が詳細なほど、その瞬間は長く感じられる。しかし、周りの世界が見慣れたものになってくると、脳が取り込む情報量は少なくて済み、時間が速く過ぎ去っていくように感じられる」と言っています。
 自分の時間を有効に使うために、自力で時の流れを遅くする必要があります。
 そのための五つの方策が提案されていることは良く知られています。

 一、学び続けること。新しい経験が得られて、時間感覚がゆっくりとなる。
 二、新しい場所を訪ねる。定期的に新しい環境に脳をさらす。
 三、新しい人に会う。他人とのコミュニケーションは脳を刺激する。
 四、新しいことを始める。新しい活動への挑戦。
 五、感動を多くする。

 信州大学では、自然に囲まれた緑豊かなキャンパスでの勉学と課外活動、都会の喧騒とは無縁の落ち着いた生活空間、モノやサービスなどが溢れることのない地に足の着いた社会など、知的にものごとを考え、創造的な思考を育てる環境を簡単に手に入れることができます。先輩諸氏は、このようにして、ゆっくりとした時間の流れを作っていたのです。
 皆様はどうでしょうか。残念なことですが、昨今、この信州でもモノやサービスが溢れ始めました。その代表例は、携帯電話です。アニメやゲームなどいくらでも無為に時間を潰せる機会が増えています。スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません。スマホの「見慣れた世界」にいると、脳の取り込み情報は低下し、時間が速く過ぎ去ってしまいます。
 「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」 スイッチを切って、本を読みましょう。友達と話をしましょう。そして、自分で考えることを習慣づけましょう。自分の持つ知識を総動員して、ものごとを根本から考え、全力で行動することが、独創性豊かな信大生を育てます。
 最後にご紹介したいことがございます。本日の入学式では二つの歌を皆様と一緒に歌うことになっています。一つは信州大学の前身の一つである旧制松本高等学校の思誠寮寮歌「春寂寥」です。大正九年に吉田実さん(作詞)と濱徳太郎さん(作曲)の二人の学生によって作られました。
 旧制松本高等学校は、大正八年(一九一九年)に開校され、その後信州大学の発足にあたりその母体の一つとなり、文理学部に改組されて昭和二十五年(一九五〇年)には閉校となりました。
 文科と理科の専攻に分かれての勉強ですが、授業時間の四割が外国語、文科でも数学と自然科学が週五時間ほど課せられ、また理科でも国語及び漢文が週四時間ほど課せられる、文理の差が非常に少ないカリキュラムでありました。
 ほとんどの生徒は思誠寮での寄宿生活であり、寮生活を通して、切磋琢磨により、自らの生き方を見出すという恵まれた時間をつくることができたと言われています。まさに独創性が育まれたということです。作家の北杜夫さん、辻邦生さん、病理学者の飯島宗一さん、日本人として初めて南極点に到達した南極観測隊々長の村山雅美さんなど各界で著名な方々が多くいらしゃいます。
 もう一つの歌は、信州大学学生歌「叡智みなぎる」です。昭和三十五年に文理学部宮坂敏夫さん(作詞)と工学部羽毛田憲一さん(作曲)の二人の学生によって作られました。文理学部同窓会誌に、宮坂敏夫さんが書かれた「作詞の経緯」によりますと、信州大学学生部が六十年安保闘争のデモに明けくれる学生の実態を見て、学内に潤いが欲しいと思って、学生歌の募集を始めたのではないかとあります。なお、宮坂敏夫さんは、現在俳人としてご活躍でいらっしゃいます。この「叡智みなぎる」の学生歌ができた頃の学生達は、自らの勉学時間を削ってでも、日本の国の在り方と国の行く末を案じるという、熱い情熱を持って学んでいたのです。
 また、この二つの歌はいずれも、松本在住の音楽家丸山嘉夫さんによって、見事に編曲され、若者たちの「青春の歌」として蘇っていることを付け加えておきます。
 皆様は、一日も早く新しい生活環境に慣れ、心身ともに健全に保ち、勉学に励み、目標に向かって進んでください。大学生時代は、長い人生の中でもかけがえのない大切な時期であります。充実した楽しい大学生活を過ごされることを期待しています。
 そして、大学院に入学した皆様は、自らの高い問題意識と積極的な取り組みによって、初めて真理が探究でき、新しい知の創造の喜びが生まれ、社会に貢献できることを肝に命じてください。
 学術研究の将来を担うのは皆様です。信州大学の学術研究は皆様の肩にかかっています。高い志と熱い情熱を持ち続けてください。そのことによって、日本の明るい未来が開けるものと確信しております。

 平成二十七年 四月四日
 信州大学長  山沢清人

★脈絡のないきょうの一行
安倍首相、国立大学でも「国旗掲揚・国歌斉唱」実施を強調。剥き出しそのもの。

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11187 二つの式辞① 
2015/04/09 [Thu] 10:32:05 » E d i t
 いまネットで話題になっている大学の式辞があるという。一つは東大教養学部の卒業式(学位伝達式)、もう一つは信州大学の入学式だ。少し長くなるが、コメントなしで全文を紹介しよう。まず東大から。(出典はそれぞれの大学のホームページ)

                            ◇=◇=◇
 (東京大学)平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞

 皆さん、本日はご卒業おめでとうございます。
 また、ご列席のご家族の皆様方にも、心よりお祝い申し上げます。今年度の教養学部卒業生は175名で、そのうち女性は50名、留学生が1名です。
 全学の式典はすでに午前中、改装されたばかりの安田講堂で挙行されましたので、ここでは教養学部として、あらためて皆さんとともにこの日を慶びたいと思います。
 東京大学の卒業式といえば、もう半世紀も前の話になりますが、東京オリンピックが開催された年である1964年の3月、当時の総長であった経済学者の大河内一男先生が語ったとされる有名な言葉が思い出されます。曰く、「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」。
 当時、私はちょうど中学校にあがる年頃でしたが、この言葉は新聞やテレビでかなり大きく報道されましたので、鮮明に記憶に残っております。また、子供心に、さすが東大の総長ともなると気の利いた名言を残すものだと、感心したこともなんとなく覚えております。皆さんの中にも、どこかでこの言葉を耳にしたことのある人は少なくないでしょう。
 ところが、これはある機会に一度お話ししたことがあるのですけれども、じつはこの発言をめぐっては、いろいろな間違いや誤解が積み重なっているんですね。
 まず第一の間違いは、「大河内総長は」という主語にあります。というのも、これは大河内先生自身が考えついた言葉ではなく、19世紀イギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルの『功利主義論』という論文からの借用だからです。
 東大の総長ともあろうものが、他人の文章を無断で剽窃したのか、と思われるかもしれませんが、もちろんそういうわけではありません。式辞の原稿を見てみますと、そこにはちゃんと、「昔J・S・ミルは『肥った豚になるよりは痩せたソクラテスになりたい』と言ったことがあります」と書かれています。「なれ」という命令ではなく「なりたい」という願望になっている点が少し違っていますが、それはともかく、ここでははっきりJ・S・ミルの名前が挙げられていますから、これは作法にのっとった正当な「引用」です。ところが、マスコミはまるでこれが大河内総長自身の言葉であるかのように報道してしまった。そして、世間もそれを信じ込んでそのまま語り継いできたというのが、実情です。
 次に第二の間違いですが、これはもっと内容に関わることです。じつは、ジョン・スチュアート・ミル自身は「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」とも「なりたい」とも、全然言っていないのですね。さきほど題名を挙げた『功利主義論』の日本語訳を見てみますと、こう書いてあります。
 満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。大河内総長の言葉とはだいぶ違いますね。ちなみに、英語の原文はこうなっています。
 It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.
 この原文を見ると、どうやらさきほど引用した日本語訳は正確なようですから、大河内総長のほうがこれをまったく別の文章に改変してしまったとしか考えられません。たぶん漠然と記憶に残っていた言葉を、自分の言いたいことに合わせて適当にアレンジしたのでしょう。その結果、「満足した豚」は食べたいものを食べたいだけ食べるということで「肥った豚」になり、「不満足なソクラテス」は食べたいものにも安易に手を出さないということで「痩せたソクラテス」になったものと推測されます。しかしこれでは原文とまったく違ったニュアンスになりますから、ミルが語った言葉として紹介するのはさすがに問題なのではないか。下手をすると、これは「資料の恣意的な改竄」と言われても仕方がないケースです。
 ところが、間違いはこれだけではないんですね。じつは、大河内総長は卒業式ではこの部分を読み飛ばしてしまって、実際には言っていないのだそうです。原稿には確かに書き込まれていたのだけれども、あとで自分の記憶違いに気づいて意図的に落としたのか、あるいは単にうっかりしただけなのか、とにかく本番では省略してしまった。ところがもとの草稿のほうがマスコミに出回って報道されたため、本当は言っていないのに言ったことになってしまった、というのが真相のようです。これが第三の間違いです。
 つまり、「大河内総長は『肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ』と言った」という有名な語り伝えには、三つの間違いが含まれているわけです。まず「大河内総長は」という主語が違うし、目的語になっている「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」というフレーズはミルの言葉のまったく不正確な引用だし、おまけに「言った」という動詞まで事実ではなかった。というわけで、早い話がこの命題は初めから終りまで全部間違いであって、ただの一箇所も真実を含んでいないのですね。にもかかわらず、この幻のエピソードはまことしやかに語り継がれ、今日では一種の伝説にさえなっているという次第です。
 さて、そこで何が言いたいかと申しますと、まず、皆さんが毎日触れている情報、特にネットに流れている雑多な情報は、大半がこの種のものであると思った方がいいということです。そうした情報の発信者たちも、別に悪意をもって虚偽を流しているわけではなく、ただ無意識のうちに伝言ゲームを反復しているだけなのだと思いますが、善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。
 情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。ネットの普及につれて、こうした事態が昨今ますます顕著になっているというのが、私の偽らざる実感です。
 しかし、こうした悪弊は断ち切らなければなりません。あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。
 今朝の本郷での卒業式では、学生代表の文学部の学生さんが、答辞の中でたいへんいいことを言っておられました。私も今朝初めて聞いたばかりですから正確には再現できませんが、おおざっぱに要約すれば、「どんな言葉にも名前が記されている。たとえ匿名の言葉であっても、それを発した人間の名前は刻印されている。しかしそれで自己規制したり沈黙したりしてはならない。私たちは自分の名前において言葉を語らなければならない」といった趣旨であったと思います。
 まことにその通りで、これから皆さんが語る言葉には、常に名前が刻まれています。それは皆さんが普段名乗っているいわゆる「名前」だけでなく、東京大学という名前であり、教養学部という名前でもあります。ですから皆さんは、今後どのような道に進むにせよ、研究においても仕事においても、けっして他者の言葉をただ受動的に反復するのではなく、健全な批判精神を働かせながらあらゆる情報を疑い、検証し、吟味した上で、東京大学教養学部の卒業生としてみずからの名前を堂々と名乗り、自分だけの言葉を語っていただきたいと思います。
 ところで、もう一度「豚とソクラテス」に戻りますが、私ははじめてこの言葉を聞いたとき、子ども心に、どうして「肥った豚」か「痩せたソクラテス」のどちらかでなければいけないのだろうか、と不思議でなりませんでした。どうせなら「肥ったソクラテス」になればいいじゃないか、と思ったわけです。
 そこで大河内総長の式辞原稿をもう一度見てみますと、そこには例の有名なフレーズに続けて「我々は、なろうことなら肥ったソクラテスになりたいのですが」とも書かれていました。じっさい、ソクラテスであるためには必ず痩せていなければならないという道理はありませんから、この点では私もまったく同意見です。ただ、ぶくぶくと肥ったソクラテスというのもなんとなくイメージしにくいですね。本日の本郷での卒業式では、この3月末で6年間の任期を終えられる濱田総長が式辞の最後でとどめの「タフ&グローバル」を口になさいましたが、ここではその濱田総長と、半世紀前の大河内総長に最大限の敬意を表して、2人の総長の合わせ技で「タフでグローバルなソクラテスになれ」、と皆さんに申し上げておきたいと思います。
 さて、かく言う私も、この3月で教養学部長の任期は終了いたします。また、それと同時に、駒場の教員としても退職いたします。いささか恥ずかしげもなく月並みな言い方をすれば、今日は皆さんの卒業式であると同時に、私自身の卒業式でもあるわけです。人生のひとつの区切りを皆さんと一緒に迎えることができたというのは、何かのご縁かもしれませんが、ともあれこの壇上から式辞を述べるのも、これが最後の機会となりますので、私は大河内総長の「痩せたソクラテス」でもなく、濱田総長の「タフでグローバル」でもなく、自分自身が本当に好きな言葉を皆さんに贈って、この式辞を終えたいと思います。
 それはドイツの思想家、ニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくる言葉です。
 きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!
 皆さんも、自分自身の燃えさかる炎のなかで、まずは後先考えずに、灰になるまで自分を焼きつくしてください。そしてその後で、灰の中から新しい自分を発見してください。自分を焼きつくすことができない人間は、新しく生まれ変わることもできません。私くらいの年齢になると、炎に身を投じればそのまま灰になって終わりですが、皆さんはまだまだ何度も生まれ変われるはずです。これからどのような道に進むにしても、どうぞ常に自分を燃やし続け、新しい自分と出会い続けてください。
 もちろん、いま私が紹介した言葉が本当にニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくるのかどうか、必ず自分の目で確かめることもけっして忘れないように。もしかすると、これは私が仕掛けた最後の冗談なのかもしれません。
 皆さんの前に、輝かしい未来が開けますように。そして皆さんが教養学部で、この駒場の地で培った教養の力、健全な批 判精神に裏打ちされた教養の力が、ますます混迷の度を深めつつあるこの世界に、やがて新しい叡智の光をもたらしますように。
 万感の思いを込めて、もう一度申し上げます。皆さん、卒業おめでとう。

平成二十七年三月二十五日
東京大学教養学部長 石井洋二郎

★脈絡のないきょうの一行
日・米両防衛相会談。こんどはアメリカを使って辺野古新基地必要論。フザケルナ、と言いたい。

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11186 度し難い 
2015/04/08 [Wed] 10:53:31 » E d i t
 この人、度し難い。やはり「上から目線」だ。以下。

                            ◇=◇=◇
菅官房長官、辺野古のほかに移設先は「ない」
産経新聞 4月7日(火)0時10分配信


 菅義偉(すが・よしひで)官房長官は6日夜のBSフジ番組で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設先に関し、日米両政府が合意した名護市辺野古のほかに場所を検討する考えは「ない」と答えた。5日に辺野古移設に反対する翁長雄志(おなが・たけし)同県知事と会談した際、翁長氏が普天間の「危険除去」について具体案を示さなかったことも明らかにした。

 一方、菅氏は6日の記者会見で、辺野古移設作業について「粛々と進める」という表現を今後は使用しない意向を表明した。

 翁長氏が5日の会談で菅氏に「上から目線だ」と不快感を示したことを受け、「『上から目線』というふうに感じられるのであれば変えていくべきだろう。不快な思いを与えたなら使うべきではない」と述べた。
                            ◇=◇=◇

 変えなければならない、と言いながらその直後に対象である「上から目線」の発言。総理大臣を筆頭に安倍内閣の閣僚全てがそうではないかと思いたくなるこの態度、どうにもハラが立って仕方がない。この人たちは「上から目線」の何たるやを理解していないのだろう。

 辺野古以外に移転場所がない、ということ自体がすでに押し付け、すなわち「上から目線」である。常々私は、米軍は沖縄・日本から出ていくべきだと考えているが、とりあえずこれは保留して、政府は真摯に代替地を探したのだろうか。

 ノーである。全国の面積の0.6%しかない沖縄県に、米軍基地の73.8%が集中するというこの現実。そのことによる県民への被害は後を絶たず、沖縄県民は苦しみつづけてきたのである。戦前は日本軍から〝集団自決〟で命を奪われ、戦後は米軍によっていのち、くらし、財産までを脅かされつづけてきた。

 その沖縄に一日でも早い安定した生活を取り戻す、それが政治ではないのか。その努力さえしようとしない政治は、まさに堕落でしかない。堕落政治をやめさせるのは私たちの責任である、そんなことを考える今日この頃である。

★脈絡のないきょうの一行
私の住んでいる練馬でも雪が降りました。「寒のもどり」――日本語って綺麗ですね。

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2015/04/07 [Tue] 10:32:27 » E d i t
 5日の沖縄県知事と官房長官の会談時の、翁長知事の冒頭発言部分を、6日付のしんぶん「赤旗」が全文紹介している。そのなかからいくつか拾ってみたい。沖縄県民のこころを翁長知事はみごとに言い表している。いくつか抜粋してみよう。

 ①私は日米安保体制の重要性は十二分に理解していますが、たった1県の沖縄に多く米軍基地を負担させて日本の安全を守るといっても、他国から見たら、その覚悟はどうなのだろうかと思います。

 ②私は沖縄県が今日まで自ら基地を提供したことはないのだと強調したい。普天間基地もそれ以外の基地も、全部戦争が終わって、県民を収容所に入れて、そこにいないうちに、あるいはいるところはでは「銃剣とブルトーザー」で土地を奪って基地に変わったのです。すべて強制接収されたわけです。

 ③自ら奪って県民に苦しみを与えておいて、そして普天間基地は世界一危険だから、その危険性除去のために沖縄が負担しろ、おまえたち代替案は持っているのかと。日本の安全保障はどう考えているのか、こういった話しをすること自体、日本の政治の堕落ではないのか。日本の国の品格から見ても、おかしいのではないか。

 ④米国は強制接収された土地を、さらに強制買い上げをしようとしました。とても貧しい時期でしたから、県民はのどから手が出るほどお金がほしかったと思いますが、みんなで力を合わせてプライス勧告を阻止しました。ですから、今、私たちの手の中に基地が残っているのです。「粛々」という言葉には脅かされない。上から目線で「粛々」という言葉を使うほど、県民の心が離れて、怒りは増幅してくでしょう。

 ⑤私は辺野古の新基地は絶対に建設することができないという確信をもっています。県民のパワーは私の誇りと自信、祖先に対する思いが全部重なって、私たち一人ひとりの生きざまになっています。こういう形で「粛々」と進められるのなら、建設するのは絶対に不可能になると思います。

 ⑥官房長官から「沖縄にはいろいろな民意がある」との発言がありました。しかし昨年の名護市長選挙、知事選挙、総選挙の争点はただ一つ。仲井真前知事による辺野古の埋め立て承認の是非でした。それ以外、私と前知事に政策の違いはありませんでした。私が10万票差で当選したのは、もろもろの政策によるものではないのです。

 ――これらの発言を書き写しながら、不覚にも涙腺が緩んでしまった。悲しくてではなく怒りで、である。同時に驕ることなく淡々と語る翁長知事の、いや、沖縄県民のこころに触れたように思えたからだ。

 強引な、暴力的ともいえる手法で新基地建設をすすめようとする安倍内閣を、天は見逃すはずはない。いますぐ、辺野古新基地建設は中止すべきである。

★脈絡のないきょうの一行
首相、大阪都構想に理解。改憲を視野に入れた動きだろうが、見境ないね。

政治問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2015/04/06 [Mon] 11:58:27 » E d i t
 「上から目線で『粛々』という言葉を使えば使うほど、県民のこころが離れて、怒りは増幅していく」――沖縄県翁長雄志知事の一言は、的を射た。いうまでもなく、5日の菅義偉官房長官との会見冒頭の一コマだ。

 やっと政府は重い腰を上げて翁長知事と会った。それは世論に押されてのことだ。その会談は笑いを交えたものの、終始緊迫していたという。1時間の会談のうち、30分はメディアに公開したが、これは評価できるが当然のことだ。

 沖縄県民の最大の関心事であり、政府にとっても重要課題だからだ。(本土の)メディアの報道は不十分だが、会談の雰囲気が分かる朝日新聞デジタルから、以下。

                            ◇=◇=◇
攻めた翁長氏「政治の堕落ではないか」 菅長官と応酬
朝日新聞デジタル 4月6日(月)7時31分配信


 ようやく実現した菅義偉官房長官と沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事による5日の会談は、厳しい空気に包まれた。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古移設への理解を求める菅氏に、翁長氏は口を極めて反論。辺野古移設をめぐる対立は収まりそうにない。

 「30分で、何か言い尽くしたような感じがしました」。那覇市のホテルでの会談後、翁長氏は満足そうに報道陣に語った。

 事務方も同席しない2人きりの会談は1時間。冒頭から10分間程度を報道陣に公開する予定だったが、菅氏、翁長氏の順に約15分ずつ持論を述べ、30分余りが公開された。

 翁長氏は辺野古移設を「唯一の解決策」とする菅氏に徹底的に反論した。

 菅氏が辺野古移設の根拠とした「普天間の危険性の除去」については、「普天間も含めて基地は全て強制接収された。普天間は危険だから、危険除去のために沖縄が(辺野古で)負担しろと。こういう話がされること自体が、日本の政治の堕落ではないか」。70年前の沖縄戦で奪われた土地を返してもらうために、なぜ沖縄が基地を提供するのか、と問いかけた。
                            ◇=◇=◇

 (次回に続く)

★脈絡のないきょうの一行
東京の区議選は後半だが、地方選挙の最中とは思えない静けさ。どうしたの?

政治問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
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