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ヘボやんの独り言
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11174 あれから4年③ 
2015/03/13 [Fri] 10:24:55 » E d i t
 仙台と電話がつながったのは、宮崎から東京にもどった14日であった。連絡の相手は、河北新報を配達している「河北新報仙台販売労組」の仲間たち。仲間たちに犠牲者がいなかったことは何よりだった。しかし、親戚関係者や友人の中に津波に飲み込まれた人がいた、という話しは身につまされた。

 被災地に何らかの形で物資を届けようと、千代田区労協内で話しが持ち上がった。しかし、それをどうやって運ぶかである。車で運ぶには都内でガソリンを調達できなかった。「新潟は売っているらしい」という情報が入った。早速、新潟に住んでいる友人に連絡してみると、通常通り販売している、という。

 問題は、新潟までのガソリンがないことである。もしかすると、と思いつき甲府の友人に電話してみた。これがビンゴだったのだ。山梨県内ではガソリンスタンドは営業しているという。それが分かればあとは物資の調達だ。

 仙台に連絡し必要なものを聞いてみると、卓上コンロとカップ麺が欲しいという。カップ麺は簡単に食事がとれることから完全に品不足だという。都内で探してみたがすでに店頭から姿を消していた。それでもあきらめない。卓上コンロは自宅にあるものを供出してもらい、カップ麺は「まだこちらには残っている」という甲府の友人に頼んだ。遠く長崎に住んでいる従姉妹にも手配を頼んだ。

 17日朝、車いっぱいの荷物を積んで甲府をめざし勝沼インター近くのガソリンスタンドで満タンにした。甲府の友人がコンビニなどで買い占めてくれたカップ麺を預かり、中央道から長野道、さらに北陸道に乗り換えて新潟県新発田市のビジネスホテルに到着したのは、暗くなってからであった。ここで改めてガソリンを満タンにしたのはいうまでもない。

 翌18日朝、雪の降る中を日本海に沿って北上、山形県鶴岡市から最上峡、尾花沢、天童を経て作並街道から仙台市に入った。雪は降り続き、途中でガマンできなくなりチェーンを装填した。作並街道のガソリンスタンドはいつ来るか分からないタンクローリーを待つ車の列ができていた。

 このとき、私たちと同じように支援物資を積み込んで、大阪を出発した新聞労連の車も新潟から仙台をめざしていたが、湯殿山のコースを選んだものの雪に阻まれ、私たちの車と同じ日に仙台に到着している。

 仙台市内に着いたのは午後2時を回っていた。新聞労連の車は河北新報労働組合へ、私たちの車は河北新報仙台販売労働組合に行くことにしてあり、そちらへ直行。社屋は閑散としており人の気配さえしなかった。しかし組合事務所のドアをノックするといつもの顔が出てくれた。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
大相撲春場所。調子が上がっている遠藤がケガ。残念。ちょっと寂しい。

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