新聞掲載の写真は朝日新聞が所蔵しているものであろうが、無言館のそれは遺族から提供されたものと考えられる。無言館にあった写真の現物が手元にないので言い切ることはできないが、新聞のそれとは角度が少し違っているように思う。
私が気にしているのは、会場となった明治神宮外苑に6万5千人が結集したことや東條首相、岡部文相らの「激励」あいさつが掲載されているがそれらではない。その記事の中に参列した学徒代表があいさつした報道の方なのだ。
記事の中で「次いで参列学徒代表慶大医学部学生奥井津二君の壮行の辞を述べれば、学徒出陣代表東大文学部……」というくだりがある。ところが、前日の同紙(これも手元にある)の報道は「岡部文相餞けの言葉についで在学学徒代表、慶大経済学部一年宮澤晃君は高らかに壮行の辞を述べる」という予告を書いている。ということは、壮行の辞を述べる人物が一夜にして代わったということになる。
その理由ははっきりしている。小ブログで紹介したが、北大生・宮澤弘幸は米国人教師レーンらとともにスパイ容疑で検挙され、否定したものの有罪となり網走刑務所に送られた。もともと壮行の辞を述べる予定だった宮澤晃は、その北大生・宮澤弘幸の弟だったのである。軍部は兄・弘幸の存在に気づいたのであろう、「スパイの弟に壮行の辞などとんでもない」という議論になったであろうことは容易に想像できる。
弟の宮澤晃が行うべき壮行の辞が変更になったその「出陣式」の写真が無言館にも展示されていたのは、画学生のなかにも学徒出陣した若者がいたということである。軍機保護法によるスパイ冤罪事件の被害者の家族に関連する写真が、無言館にも違う形で資料として残されていることに因縁めいたものを感じる。
弟の晃はその後、海軍航空隊に学徒志願、戦闘機に乗り長崎に原爆が落とされたあと上空から調査をさせられている。それが直接の原因とも考えられるが、白血病によって40歳で亡くなっている。ここにも隠れた戦争被害者がいたことを忘れてはならない。
戦争は、若者を戦場に駆り出す。無言館に集まった若者たち(の遺作品)は、同じことを繰り返さないでほしい、と訴えている。もっと自由に絵を描きたかった、とも訴えている。いま、戦前の同じ道に戻ろうとする安倍内閣の暴走を止めることが、無言館の若者たちへの真の意味での供養ではないか、そんなことを考えていた。
展示場を出るとき、入った時には10人ほどいたはずの人影はなく私たち夫婦二人だけになっていた。絵や資料を見て(読んで)いるうちに時間が経つのを忘れてしまったようだ。
★脈絡のないきょうの一行
昨日、JAL不当解雇撤回裁判で、東京高裁「控訴棄却」判決。許しがたい労働者無視の判決。それでもたたかいはつづく。