ヘボやんの独り言
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2013/04/30 [Tue] 10:23:34 » E d i t
 すでに他界していますが、かみさんの叔母(母親の妹)が残したものが最近出てきました。①一つかみの「真綿」②「日本國防婦人會」名入りのタスキ③すでに全額引き出されていましたが「国債貯金通帳」④戦時貯蓄債券――がそれです。真綿は戦前のものですからかなり古くなっています。一緒に入っていた小さな書付によれば、戦災者への贈り物のようです。その書付はガリ版刷りでていねいにできています。以下。

                         ◇=◇=◇
 この真綿は戦災援護の資として、畏くも天皇陛下より本會に賜りました御下賜金を以って購入の上戦災者に御贈りする次第であります。就きましては戦災者各位に於かれましてはこの有がたい御聖旨の程を奉戴せられ一日も速やかに生活再建を図られます様祈り申し上げます。
戦災者各位。
恩賜財団戦災援護会 厚生大臣 芦田均
                         ◇=◇=◇

 戦時中、叔母は四谷に住んでおり空襲で家をなくし、下落合に住んでいた姉(かみさんの母親)のところにご主人と一緒に転がり込んだといいます。戦災者となった叔母夫婦に真綿が届けられたようですが、これが何の役に立ったのか不思議です。

 天皇の名前が出てきます。書付には厚生大臣・芦田均の名前が入っています。芦田は戦後、総理大臣となって活躍していますが、天皇の名前を出したことも含めて戦災者を鼓舞する意味があったのではないでしょうか。

 國防婦人會のタスキは映画でしかみたことはありません。現物が目の前に出現すると、なにやらタイムスリップしたような気分になります。実際にどう使われたのか分かりませんが、これもまた戦時動員の道具になったのでしょう。

 国債貯金通帳はおもしろい。「十五銀行新宿支店」が引受銀行になっています。最初の払い込みは昭和18年8月24日に弐円(数字は漢字表記されている)。19年11月4日まで、9回払い込んでいます。当時はそうだったのでしょうが、払い込み金額は全て手書きで、受け取った人を特定するためでしょう、ハンコが押してあります。興味深いのは、この貯金の説明書きです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
韓国国会、日本の閣僚や国会議員の靖国参拝に対して糾弾決議。安倍内閣への危機感の表れ。

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10883 主権略奪の日 
2013/04/29 [Mon] 14:31:10 » E d i t
 昨日、サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日を〝記念〟して「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開かれました。略称、「主権回復の日」。安倍晋三首相は「未来へ向かって希望と決意を新たにする」と胸を張りましたが、記念式典を開くに値することでしょうか。私はこの日は主権「回復」どころか、主権が「略奪」された日ではないか、そう思えてなりません。

 サンフランシスコ講和条約とは何かを、改めて考えてみましょう。大辞泉は「第二次世界大戦を終結させるため、日本と連合国との間で結ばれた条約。昭和26年(1951)9月サンフランシスコで、ソ連・ポーランド・チェコスロバキアの三ヶ国を除く連合国四八ヶ国と日本とにより調印。米国による信託統治、海外領土の放棄などを規定。対日講和条約(たいにちこうわじょうやく)。」--と説明しています。

 この条約は「サンフランシスコ平和条約」とも呼ばれ、第二次世界大戦の処理がこれで終結したことになっています。しかし問題は、前出にもあるようにアメリカによる信託統治を認めたことです。実際、同条約には「連合国日本占領軍は本条約効力発生後90日以内に日本から撤退。ただし日本を一方の当事者とする別途二国間協定または多国間協定により駐留・駐屯する場合はこの限りではない(第6条(a))」と明記されています。

 90日以内に撤退すべき連合国日本占領軍(実質的には米軍)は、61年経た今でも日本に居座り続けています。しかも「思いやり予算」というアゴアシつきで。何故か。理由ははっきりしています。この条文にある二国間協定、すなわち「日米安全保障条約」(日米安保条約)が結ばれたからにほかなりません。

 だから、昨日は沖縄で1万人もの人たちが集まり「4.28政府式典に抗議する『屈辱の日』大会」が開かれたのです。つまり沖縄の人々(本来的には日本国民全体がそうなのですが)にとって「4.28」は、サンフランシスコ講和条約-日米安保条約によってアメリカに主権を略奪された日なのです。それは今もつづいており、到底「回復」などと言えないからです。

 この講和条約がさらに問題なのは、ソ連、中国などが関与していないという点です。中国では1949年に「中華人民共和国」が設立されたばかりで、アメリカによる共産圏敵視策があったことは明らかです。当時、日本国内ではアメリカ中心の「単独講和」か、ソ連を含めた「全面講和」かの議論がありましたが、結局アメリカに押し切られた形で条約が締結されたのです。

 条約を結ばなければ戦争は終われないということを盾にソ連、中国を外したことになりますが、米・ソの冷戦構造に日本が巻き込まれた、いや、アメリカの要請どおりに条約にサインした、というのが本質だと私は考えています。それが、現在の「沖縄の悲劇」を生んでいるといっても過言ではないでしょう。

 したがって4月28日は「アメリカ隷属の日」であり、とても主権を回復した日とは言えないと思うのです。あなたはいかがお考えでしょうか。

★脈絡のないきょうの一行
連休前半で山の遭難相次ぐ。この季節、山の雪は緩む。注意しすぎるほどの注意が肝要。
政治問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2013/04/27 [Sat] 07:00:51 » E d i t
 松陰神社の門をくぐったら、すぐ左手に「松下村塾」あとの家屋が建っています。ここが、吉田松陰が講義を行ったところです。松下村塾について「ウィキペディア」をのぞいてみましょう。以下、その一部です。

                         ◇=◇=◇
 松下村塾は木造瓦葺き平屋建ての小舎で、当初からあった八畳の一室と、後に杉家の母屋を増築した十畳半の部分からなっている。1842年(天保13年)に松陰の叔父、玉木文之進が自宅で私塾を開き、松下村塾と名付けた。
 ついで松陰の外叔、久保五郎左衛門がその名を継承し、子弟の教育にあたった。1857年(安政4年)に藩校明倫館の塾頭を務めた吉田松陰がこれを引き継ぎ、1858年(安政5年)に松陰が野山獄に再投獄され廃止された。
 武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れた。明倫館は士分と認められた者しか入学できず、町・農民はもちろん、武士に仕えながら卒(卒族)、軽輩と呼ばれた足軽・中間なども入学できなかったのと対照的であった。
                         ◇=◇=◇

 この塾のすごさは、封建制度の時代にあっても武士、町民の分け隔てなく塾生を受け入れたことにあります。学問とは基本的にそうあるべきで、それを実践した吉田松陰が時の権力から忌み嫌われたことは想像できます。

 「松下村塾の四天王」と称された人たちがいます。高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一――のことを言っています。それぞれが明治維新でどういう役割を果たしたか、調べてみてください。

 塾跡を観たあと神社にお参りし松下村塾の資料館を回って、神社から少し離れた、萩博物館に入りました。ここは萩の歴史が詳しく説明してあり、この地がいかに変革と学びの地であったのかが、分かります。山口県出身の安倍晋三さんには真摯に学んでほしいものです。

 低気圧が近づいてきたのでしょうか、風雨は強まります。博物館から萩の土産物屋に立ち寄ったあと、この日の宿舎に入りました。海岸にたたずむ宿は、日本海からの強風で夜通し騒音に巻き込まれていました。

 最終日3日目も「風雨強し」状態となり、コンビニで入手した傘は壊れて使い物にならなくなりました。その風雨をついて「菊屋家」を訪ねました。地元の豪商だった菊屋家にはさまざまなものが残されています。私が気に入ったのは、江戸末期から使っていたという柱時計がまだ動いていたことです。150年余を超えて時を刻み続けるそれに驚嘆です。

 菊屋家のあと、木戸孝允の生誕地などを訪ね帰路につきました。山口宇部空港に着く直前で天気は回復し、羽田行きの飛行機は10分遅れで離陸、春の嵐をかいくぐった旅行に終止符をうちました。

★脈絡のないきょうの一行
4ヶ月で5人。政権交代後の死刑執行数。そのスピードに他の政策も含めて残忍さが浮かび上がる。
紀行 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2013/04/26 [Fri] 07:57:24 » E d i t
 低気圧接近で雨も降り出し風も強くなりました。初日に泊まった「海峡ビュー」を冠した国民宿舎は火の山公園の中腹にあり、本来なら門司の夜景がきれいなロケーションにあるのですが、悪天候は希望をかなえてくれませんでした。しかし、夕食のふぐフルコースの美味しさにそれは中和してくれました。

 2日目は、朝食を早目に済ませてスタートです。強風による車の横揺れが心配で、慎重に走ります。当初、2日目は萩を回り帰路に秋芳洞を歩く計画でした。が、天気が悪く雨の中でもOKの秋芳洞を先にすることに。「秋芳洞」。この読み方は「しゅうほうどう」だと思っていたのですが、地元の道路標識には「あきよしどう」と書いてあります。行ってみなければ分からないことがありますね。

 大自然の力はすごい。立派な変化ある洞窟が1㌔ほど続きます。きれいな水も流れています。ここは世界でも有数の鍾乳洞だといいますが、その大きさに驚きです。終点から元に戻るタクシーのなかで運転手さんから聞いたのですが、この周辺には川がないといいます。雨水は地下の柔らかい石灰石岩盤に吸い込まれるわけですから、川は必要ないのでしょう。

 洞窟の中には、「百枚皿」と呼ばれる棚田状態のそれがまず歓迎してくれました。「千畳敷」といわれる洞内空間があり、ライオンや菩薩の形をした石筍もあるなどその変化は楽しませてくれます。圧巻は「黄金(こがね)柱」と呼ばれる石柱状の大きなかたまり。これはこの秋芳洞のシンボルとも言われ、その前で写真を撮ろうと観光客がよどんでいました。順番待ちをして私たちもそこで、パチリ。

 秋芳洞黒谷口から外へ出て、タクシーで入り口近くの駐車場にもどり、今度は萩をめざしました。雨・風はますます強くなります。途中のコンビニでついにがまんできなくなり、ビニール傘を入手しました。秋芳洞から萩までは45㌔ほど、1時間強で到着です。

 萩市内に到着したらちょうど、お昼どき。事前にカミさんが調べておいた「うに丼」を食べさせてくれる店に急ぎました。店内に入ってみると強風雨のせいでしょうか、客は誰もいません。それは店を出るまで続き、その店で1時間ほど過ごしましたが、その間、客は私たち夫婦二人だけでした。旅行雑誌に書いてあるとおり、その店の〝名物女将〟が萩の歩き方など、親切に教えてくれました。

 少々、値が張りましたがうに丼は美味しかった。丼にたっぷり載ったウニは、潮の香りも満点でその美味さ加減を堪能しました。店を辞したあとは〝名物女将〟の指示どおり、松陰神社に急ぎました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
「活字文化議員連盟」が、新聞・雑誌の消費税軽減税率適用に向けて活動を開始。消費税増税に役割果した新聞へのご褒美かい?
紀行 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2013/04/25 [Thu] 11:23:29 » E d i t
 わが家では年に2回、夫婦旅行を〝定例化〟しています。カミさんの母親がショートスティに行っている間という限定はありますが、介護にがんばっている彼女へのねぎらいと、私自身の気分転換を兼ねたものとなっています。今年の春は、山口県の下関、秋芳洞そして歴史のまち萩を訪ねました。

 4月最初の週末でしたが、ご記憶の方もあると思いますが「春の嵐」が日本列島を襲ったあの日です。山口県も例外ではなく、泊まった下関と萩は嵐の中でした――。

 初日4日の金曜日、風は強くなっていましたがまだ雨は降っていません。山口宇部空港に無事に降り立ち、空港で予約していたレンタカーをゲット、下関をめざしました。自宅をゆっくり出ても間に合う便を取った関係で、下関に着いたのは午後3時を回っており、唐戸市場と壇ノ浦決戦場を見るにとどまりました。

 唐戸市場は、下関でも観光地で鳴らしています。さすが下関、立派なフグが水槽を泳いでいました。「美味しそう」と思っても、がまんして口には出しません。市場は私たちが到着直前に閉店時間となり、様子を見るにとどまりました。やむなくすぐ近くのお土産屋さんで、めぼしいもの探しです。

 お土産買いが一段落したら、今度は平家と源氏の最終決戦場となった「壇ノ浦」へ移動です。唐戸市場からそこへ向かう途中、安徳天皇阿弥陀寺稜がありますが、時間の関係で素通り。壇ノ浦は海に面した御裳川(みもすそかわ)公園に位置しています。その公園から見上げると、中国自動車道と九州自動車道を結ぶ関門橋が迫ってきます。その大きさに圧倒されますが、戦跡の場にははっきり言って似つかわしくありません。

 この公園は、源平壇之浦合戦の古戦場であるとともに、幕末の攘夷戦で外国船に砲撃した砲台跡でもあります。海に向かってレプリカの砲台が並んでおり、そのなかの1台は、100円玉を投入すると砲撃の音がして、煙もでるという演出が施されています。これは面白い。

 長州軍が砲台から打った弾に外国船はビクともせず、撃ち返されたそれで日本側はおののいたといいます。レプリカの近くに源義経と平知盛両雄の像が立っています。なかなか力強いですよ、一度ご覧ください。

 関門海峡を挟んで向こう側は九州・福岡県門司市になります。この海峡は流れが速く、逆行する船はノロノロと進み、これはこれでまた絵になります。公園から海峡を挟んだ向こう側に和布刈(めかり)神事で有名な「和布刈神社」があります。松本清張の小説に出てきて脚光を浴びたところですが、関門橋の橋げたから門司寄りのところにあったいくつかの建物が消えていました。

 そこにはかつて毎日新聞社の保養所がありました。組合大会の議案づくりの会議のため何回か泊まったことがあります。それがみごとに無くなっていました。健保組合の財政が厳しくなり、保養所を手放さすことになったためですが、それが消えるということは淋しいものがありました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
てんかん症の子ども(運転手)に薬を飲ませることを放置した親にも交通事故の賠償責任の判決。被害が大きく社会問題になったが、見せしめ的でちと厳しすぎる気もするが……。

紀行 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2013/04/24 [Wed] 15:16:21 » E d i t
 4月21日の日曜日。予定していた新聞OB会の「花見」が雨で中止になり、のんびり起きてまもなく、うちのカミさんが「今日の毎日新聞で、いい記事が載ってるよ。トーカイリンさんが書いたものだけど」と教えてくれました。2008年末の「年越し派遣村」の取り組み以来、同新聞社の東海林智(とうかいりんさとし)記者の大ファンとなったカミさんは嬉しそうでした。

 記事は「ストーリー」という企画原稿で広告なしで、1ページを割き、男性労働者が41歳になって初めて正社員になった経過をつづっています。東北地方の工業大学を卒業した彼は、仕事を捜しつづけますが見当たりません。大学の教授の紹介で10社あまりを訪ねたものの、内定すらとれませんでした。アルバイトで食いつなぎ、やっと自動車工場で派遣社員として働けるようになったのです。

 4年余務めたところで彼は、いきなりクビを宣告されます。低賃金のなかでもくもくと真面目に働いてきたにもかかわらず、モノ同様に扱われ切り捨てられたのです。落胆した彼を救ったのは首都圏青年ユニオンでした。

 労働組合に入り、仲間たちの支援を受けて雇い止めへの抗議を繰り返しました。そのとき、彼が嬉しかったのはビラまきに参加してくれた仲間たちでした。彼は、たたかいのなかで介護士の資格を取り、昨春、グループホームの職員として採用され、41歳にして初めて正社員になったといいます。

 新聞記事は、彼と同じような境遇を歩いたもう一人の女性の経過に触れます。彼女は「非正規の仕事はやればやるほど自分を殺し、従順にする。そうしないと罵倒され、仕事を干されて生活できなくなる。虚勢を張って周りには『自分で選んだ道だから』と言っていました」と語ります。

 この部分は実に、非正規雇用状態に置かれた人の思いを云い得ています。「会社に縛られたくないから、あの人たちは非正規がいいと言っている」という声をよく聞きます。それは嘘だと思います。非正規しか仕事がないから、そうせざるを得ない、というのが真実だと思います。

 そのことについて、東海林記者はきちんと伝えています。雇用状態の可視化、を貫徹しています。以前、小ブログで紹介したピュリッツアー(1847年~1911)は、ジャーナリストのあるべき姿として、「貧しき者への同情をいささかも忘れることなく、常に特権階級および公共の略奪者に反対し……」と述べています。つまり、弱者への視点を忘れるな、と言っているのです。この記事を読みながら、そんなピュリッツアーの言葉を思い浮かべていました。

 この特集記事は最後に「『労働は商品ではない』。1944年の国際労働機構(ILO)のフィラデルフィア宣言はそううたった。それから約70年。私たちの社会は、労働が人の営みとして尊重されているだろうか。」と結んでいます。

 ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)が叫ばれ始めて久しくなります。非正規雇用者拡大の現実は、その目標からひたすら遠ざかっています。それは「蟹工船」時代への逆戻りさえ連想させます。東海林記者がいう労働が人の営みとして尊重される社会をつくるには、まだまだ大きなカベがありそうです。

★脈絡のないきょうの一行
プロ野球選手727人の平均年俸、2年連続で減(労組日本プロ野球選手会発表)。それでも平均3766万円は高い、それとも安い?

10878 何かしている 
2013/04/23 [Tue] 10:32:04 » E d i t
 私の持論の一つに「何もしないということは、実は何かしていることである」というのがあります。哲学めいていますが、そんな難しいことではなく人間社会の常だからです。

 たとえば、TPPを例にしてみましょう。政府の側はTPPに参加したい、と言っているのですから、その提案を受ける国民の側は「イエス」か「ノー」かの二者択一を迫られます。ではこの問題について、賛成とも反対とも言わない人は、どうみられるのでしょうか。最近はやりの第三極としての「どっちでもいいよ」という意見も同じですが、それは賛成という「枠組み」に入れられることになります。

 なぜなら、人間社会は能動社会だからです。何も言わないということは、提案について「賛成」とみなされる仕組みになっているのです。人間社会は人々の意思によって動いています。あの戦争もそうでしたが、「戦争反対」を唱えた人々は弾圧を受け獄中につながれました。結果、国民は「目、耳、口」を塞がれモノ言うことができなくなったのです。

 その事態は、「戦争賛成」とみなされ暗黒の道を突き進んだのです。物を言えなくなる、つまり表現や言論の自由が奪われたとき、時の権力は「国民は賛成している」という大義を立てて、悪政を強行するのです。

 話しが横道にそれましたが、で、改憲問題です。気になるウェブを見つけました。〝是是非非〟を公然と表明するこの党、またしてもか、という観を強くしましたが、以下。今度の参議院選挙の重要な争点となる改憲に賛成かどうかについて、骨子といえども触れないというのは不思議なことです。「何かしようとしている」ことにならなければいい、と思うのは私だけでしょうか。

                         ◇=◇=◇
憲法改正には触れず…公明党の参院選公約骨子
読売新聞4月21日(日)19時45分配信


 公明党の山口代表は21日、さいたま市内で記者会見し、夏の参院選公約の骨子を発表した。

 道州制の導入や、巨大地震に備えた防災・減災対策の推進など5項目を掲げる一方、安倍首相が参院選の争点にする方針の憲法改正については触れなかった。5月中に公約をまとめる方針だ。

 山口氏は、最終的に憲法改正に関する立場を公約に盛り込むかどうかについて「どういう掲げ方をするか検討しているところで、結論を言う段階ではない」と明言を避けた。

 骨子では、経済活性化について「経済成長の果実を地方や中小企業にもたらす」と強調。外交面では「対話と協議により、領土をめぐる外交問題を制御する」と明記した。
                         ◇=◇=◇

 「平和の党」を標榜する公明党さん、公約で改憲を言い出すことはないでしょうね。

★脈絡のないきょうの一行
中国四川省の大地震、「復旧・救出が遅れ」の報道。72時間の区切りが迫るなか、心配だ。
政治問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2013/04/22 [Mon] 11:21:13 » E d i t
 春闘の取り組みなどで、ブログのアップがしばし遅れました。すみません。道徳の教科化問題の追稿です。

 文科省が道徳の教科化に着手し始めました。前回はその前にやるべきことがあるのではないか、ということを書きました。この問題をもう少し深めてみたいと思います。結論的には、今の子どもたちの〝道徳欠落〟状態は、大人が作り出しているものではないかということです。もう少し具体的に言えば、「新自由主義」が下敷きになって現状があるのではないか、というのが私見です。

 たとえば私たちが子供のころ多かれ少なかれ、学校でいじめはありました。しかしそれは多くの場合、子ども間で解決していました。いじめっ子がいれば、それを止める子どもが必ずといって良いほど、いたのです。

 私自身も経験があります。中学生のころ、ガキ大将を気取ったクラスメートが、同じクラスの特定の子どもを(暴力的に)いじめることが多々ありました。それを見かねた私は、その現場に踏み込んで「やめろ」と忠告、意外なことにその日からピタリと止んだのです。その特定の子だけでなく他の子へのそれも無くなりました。

 その理由はある程度分かっていました。ある事件をきっかけに、「あいつ(私のこと)を怒らせるな」ということが学校中に広がっていたのです。その事件はそのうち披露したいと思いますが、悪ガキたちから私は恐れられており、それが功を奏したようです。これは単なる一例ですが、かつては、いじめや喧嘩はよくないことを子どもたちどおしで分かりあっていたのです。それは見方を変えれば、「いじめはいけないことだ」といふうに、道徳についてお互いに学びあっていたのです。

 本題にもどしましょう。新自由主義は一言でいえば「弱いものいじめ公認イズム」です。弱いものを切り捨て、強いものだけが生き残る社会、それが新自由主義の本質です。TPPへの参加、非正規雇用の拡大、消費税の増税、高齢者医療の切り下げ、年金と生活保護基準の切り下げ、保育園の不足――などなど、例をあげればきりがありませんが、これらは新自由主義の具現化にほかなりません。

 政府や財界が先陣を切って弱いものいじめをしている姿は、子どもたちにどう映っているでしょうか。そこにこそ問題があるのではないでしょうか。学校におけるいじめが、あたかも道徳の問題かのようにレッテルを貼り、「道徳教育」を奨励する様はいつか来た道と同じではないでしょうか。道徳の教科化の前に、大人(とりわけ為政者)が道徳を学び直す必要があると言えます。

★脈絡のないきょうの一行
いよいよTPP協議参加へ。日本国民生活破壊への道を止めること、まだ間に合う。

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2013/04/04 [Thu] 16:20:07 » E d i t
 学校における「道徳」の教科化が議論され始めました。子どもによるいじめや暴力を無くそうということが目的になっているようですが、その前にやることがあるだろう、というのが私の意見です。

 30年ほど前の昔のことで恐縮ですが、私の娘の小学校の卒業式当日、事件が起きました。どういう事件かというと、校長が教師の反対を押し切って卒業式場に日の丸を掲揚したのです。この問題については、校長と教師の間で合意を得るまで保留にすることになっていました。しかし、校長が一方的に強行したのです。

 その強行に抗議して、教師たちは卒業式ボイコットで対抗しました。その結果卒業式は、学年主任の教師が卒業生の名前を読み上げ、校長が卒業証書を手渡しました。一旦、来賓などが参列した〝正式の〟卒業式を終えて、今度は担任の教師が卒業生一人ひとりにカーネーションの花一輪を手渡す卒業式となりました。子どもたちは、2度の卒業式をやったことになります。

 その卒業式に私も参列していましたが、子どもたちの表情はお仕着せの最初のそれよりも2度目のほうが生き生きと輝いていました。正直だなーとつくづく思ったものです。

 しかしその模様を8㍉で撮影していた父兄が、テレビ局にそれを流し表面化したのです。結果、校長には何らのおとがめはなく教師たちへの処分が下されました。卒業式をボイコットしたのがその理由でした。学校側はこの問題についての説明会を開きました。当然、私も参加しました。

 校長自身の説明と、教師側の説明がなされ、父兄からの質問時間になりました。大勢的には校長への批判側と教師への批判側が半々でした。私は「この問題の争点は、日の丸を掲げるのがいいかどうかの問題ではなく、教師と校長との話し合いの決着がつくまで保留にするという約束が破られたことにある。今回の事件は子どもには上の人、すなわち校長という責任ある立場に立てば何をやってもいい、日ノ丸の掲揚を強行しても許されると映っている。それが問題なのではないか」と発言しました。そのあと、会場から大きな拍手が起きたではありませんか。これは予想外のことでした。

 私がいいたいのは、道徳を教科化するまえに教える側や〝上に立つ人〟の道徳をしっかりさせることではないのか、ということです。その最たるものが安倍晋三首相。忘れません。かつてNHKに対して従軍慰安婦問題の報道で彼が言論抑圧を行ったことを。憲法を変えることに熱心で、自らに憲法順守義務があることを棚の上に置いていることを。

 橋下徹大阪市長もしかり。市職労に対する執拗なまでのバッシングは常軌を逸しています。以前問題になった、放送局の女性記者を批判するヒステリックな姿も異常でした。この人たちに道徳を語る資格はない、私はそう思うのです。道徳を教科化するのであれば、そういう人たち自らが「道徳」を示すべきだと思うのです。あの人たちが道徳を口にするたびに、犯罪者が「犯罪をなくそう」と言っているように聞こえるのは私だけでしょうか。

★脈絡のないきょうの一行
日銀、「量的・質的金融緩和」を追加。どこまでつづく泥濘(ぬかるみ)ぞ。

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2013/04/01 [Mon] 16:05:44 » E d i t
 きょうのウェブで、小ブログが3月19日に指摘した「ヘイトスピーチ」問題を見つけました。やはり気になります。再録になるかもしれませんが、まず以下のその記事から。

                         ◇=◇=◇
激化する「排外」デモ。新大久保で「反排外主義」のカウンターデモと激突
週刊SUPA 4月1日(月)9時21分配信


 ここ最近、東京・新大久保や大阪の鶴橋など在日韓国人が多い繁華街で「朝鮮人を殺せ!」「出てけ」となどとコールするデモが開かれている。今まで行われた同様のデモでは、日の丸や旭日旗を掲げた集団が「朝鮮人をガス室に送れ」などと掲げた板を持ちながら練り歩き、参加者が「朝鮮人の女はレイプしろ」と語っている動画がYouTubeにアップされるなど、過激化の一途を辿っている。

 3月の最終日曜日にもまた、新大久保でそうしたヘイトスピーチを叫ぶデモが行われた。この日のデモでは、上記のような過激な文言は陰を潜めたものの、春休み中の休日とあって子供も多く見られる新大久保の町中は、日の丸や旭日旗を掲げながら練り歩く嫌韓デモ集団に対して、異議を唱えるカウンターデモの集団や商店主らが揃い踏みし、一時騒然となった。

 また、この日はTwitterの有志が資金を出しあって、排外主義的な主張に異議を唱える映像を大久保通りに面した街頭ビジョンに映し出すという試みも行われていた。

 新大久保界隈には、在日韓国人以外の外国人観光客も多く、中にはデモの様子をスマートフォンで写真に撮る人の姿も見られた。そうした外国人観光客の目には、これらの光景はどのように映ったのだろうか? カナダから来たというクロードさん(26歳)は、「日本にはこのような人種差別はないと聞いていたので正直驚いています。カナダでは、こうしたヘイトスピーチは法律によって規制されていますし」と語っていた。

(一部省略)

 単純な法規制は言論の自由の侵害に繋がるため、ヘイトスピーチ規制も決して是とは言えない。しかし、こうした行為が過激化すれば、「法規制」という議論が沸き上がってくるのも必然と言える。

 日本を愛する愛国者を自称するのであれば、日本を訪れる外国人にマイナスイメージを植え付けることや、言論の自由を脅かす結果に繋がるような行為を行うことが、果たして本当に我が国を利することになるのか、今一度考えてみるべきではないだろうか?

 <取材・文/日刊SPA!取材班>
                         ◇=◇=◇

 私が2月に見たデモもこの原稿と同じ新大久保駅近くの繁華街でした。私も同誌の記者と同感です。あのシュプレヒコールを聞いていると、非常に居心地が悪いのです。なんだか自分が他国の人をなじっているような気がしてならないのです。気分が悪く(吐気さえする)なるのです。

 これは精神衛生上よくない。「それはお前の勝手だ」と言われるとそれまでですが、私には耐えがたいことなのです。私もSUPA誌と同じように「言論規制をすべきだ」とは言いませんが、言葉の暴力によって精神的に打撃を被る人もいることを知って欲しい、そういう思いをしています。

 そういえば、形は少し違いますが去年の11月に明治乳業の賃金差別争議支援のデモを日比谷公園からやったとき、ハンドマイクを持った集団が押しかけ「やめろ」と怒鳴り散らしていました。先月10日の反原発集会のあとのデモでも、虎ノ門を過ぎたあたりで右翼の宣伝カーから「やめろ、かえれ」の罵声が響いていました。ふと見てみると、去年の11月のときと同じ人物でした。あれもヘイトスピーチといえそうですが、もしかしたらそれを商売にしている人なのでしょうか。疑。

★脈絡のないきょうの一行
温暖化で南極の海氷面積が増加しているという。あれ、れ、のれ、だ。

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