早々と、アメリカ追随・財界本位の政策発表です。来年7月の参議院選挙までは「爪を隠す」と読んでいたのですが、見事にハズレました。さすがは自民党! と合いの手をかけたくなります。
具体的に見てみましょう。12月30日(日)21時9分配信の朝日新聞デジタルは「防衛省は、自衛隊に新型輸送機オスプレイを導入する検討に入った。2013年度予算案に調査研究費として数百万円を要求する。安全性への懸念から国内配備には沖縄を中心に反発が強いが、安倍晋三首相が指示した「自衛隊の態勢強化」に資すると判断した。」と述べています。
この記事の〝すごさ〟は、安全性に問題(懸念)があることを知りながら、検討に入ったというくだりです。日本国民のいのちや安全を完全に無視した暴挙としかいいようありません。先の総選挙の結果は、自民党政権にいのちまで預けたのではなかったはずです。選挙で自民党が大勝した結果は、私たちが心配したとおりになっているといえます。
そしてもう一つは原発推進です。31日付けの毎日新聞は1面でこれを取り上げ「安倍晋三首相は30日、首相官邸でTBSのインタビューに応じ、今後の原子力政策について『新たにつくっていく原発は、40年前の古いもの、事故を起こした(東京電力)福島第1原発のものとは全然違う。何が違うのかについて国民的な理解を得ながら、それは新規につくっていくことになるだろう』と述べ、新増設に前向きな考えを示した。」と報じています。
新たにつくる原発が以前のものとは違う、という見解そのものにこの人の(無知ではないかという)見識を疑いますが、この人が「国民の理解を得て」何かやったことがあるのか、という言葉に限れば『ゼロ』ではなかったか、と怒鳴りたくなりました。オスプレイ導入問題も、原発新設発言も数の暴力そのものです。
しかし、少し角度を変えてこの発言を見るならば、首相就任後に初めて行われた28日の原発やめろ、の「官邸行動」への〝反発〟とも受け取れます。彼にとって、あの官邸行動は受忍できないことなのかもしれません。子ども同士が言い争いをして負けそうになったとき「1兆万円賭けるかー」などと訳のわからないケタ数を持ち出して反論することがありますが、それに良く似ています。
子どもの喧嘩は笑ってみていられますが、安倍晋三さんはこの国の首相です。首相が訳のわからない発言をすることは、笑ってみていられません。きょうで首相就任5日目ですが、今後のことを考えれば「即刻、退場していただきたい」というのが、私の意見です。
2012年もカウント・ダウン状況、よい年をお迎えください。
★脈絡のないきょうの一行
ゴジラ・松井、夢をありがとう。お疲れ様でした。感謝、謝謝。
体調が思わしくない彼は、奥さんの病床で息を引き取るまで一緒だったといいます。しかも奥さんの通夜の夜、彼はまたしても体調を崩し緊急入院。それを圧して翌日の告別式には参列したといいます。「長年連れ添ったやつを、オレが見送らないでどうする」と。
彼の思いはいかほどだったでしょうか。連れ合いを亡くしたその精神的重圧は、私にははかり知れません。「つらかっただろう、苦しかったのだろう」と、声を掛けるしかありませんでした。そして、1ヶ月も経たぬうちに、彼は妻の後を追うように旅立ったのです。
この出来事は私にとってかなりのショックでした。その思いが整理できず、小ブログへの書き込みも出来なくなってしまいました。「ヒトは全ての人、万物との別れがやってくる」というのは分かっています。その理屈は分かっていても、心がついてきません。だから人間なんだ、と怒られそうですが、精神だけがまるで浮遊物のように彷徨っているような気がしてなりません。
告別式に行ってきました。山口県下関市。下関市と言っても、長門市に近い日本海・油谷湾の入り口にあたる阿川。10時からの告別式に間に合わせるため、前夜、新幹線の最終便で新大阪に出て駅前のホテルに投宿。翌日、またしても新幹線で新下関駅に出てレンタカーを確保し、阿川へ向かいました。
響灘を左手に見ながら海岸線を走ります。みぞれ交じりの雨が降ってきました。「涙雨」ならぬ「氷雨」です。寒い。間違いなく東京より寒い。
定年後も組合員の厚い信頼を得ていた彼は、組合の専従として活動をつづけてきました。たたかいの拠点は下関や長崎でしたが、よく東京にも出て来ました。その彼はこのまちから通っていたのです。「自宅まで下関から2時間くらいかかる」とよく笑っていました。
告別式には100人近い仲間たちが参列していました。私が知っている、東京からの参列者も少なくありませんでした。お寺の本堂で営まれたそれは、厳(おごそ)かでした。彼にふさわしい、別れの〝儀式〟だったのかもしれません。
労働者の権利や、平和を脅かすものに対して一歩も引かなかった貴方。弱い人への心遣いを決して忘れることのなかったあなた。その思いはまちがいなく引き継がれることでしょう。ありがとうKさん。
★脈絡のないきょうの一行
白川郷で来年4月からマイカー乗り入れ規制へ。世界遺産を護るためには必要な措置だ。
この制度は「日本国憲法第79条第2項及び第3項と最高裁判所裁判官国民審査法に基づいている制度である。最高裁の裁判官は、任命後初の衆議院議員総選挙の投票日に国民審査を受け、その後は審査から10年を経過した後に行われる衆議院総選挙時に再審査を受け、その後も同様とすると定められている。」(Wikipedia)
つまり、最高裁判事に対して国民が罷免できる唯一の機会です。裁判官の罷免方法にはもう一つ、弾劾裁判による決定がありますがこれは紙数の関係で後の機会に譲りましょう。
この国民審査の投票方法、フェアではありません。投票用紙に「×」印を書いた場合にのみ罷免の意思表示をしたことになり、「○」などのほかの記号を記入すると無効になります。さらにAさんに×、Bさんに○をした場合でも、その投票用紙全部が無効になります。つまり、信任の場合は何も記入してはいけないのです。
もう一つ、個別の裁判官に対する棄権ができないという問題があります。Aさん、Bさんは判断できるがCさんについてのみ分からないからこの人だけ棄権したい、と思っても、できないのです。意思表示として①何も書かずに全員信任②一部(あるいは全部)に「×」を書いて不信任③全部棄権(投票用紙を返すか持ち帰る)――という選択肢しかないのです。
この投票方法、変だと思います。この種の信任投票は、信任の場合は「○」をして、不信任(罷免)の場合は「×」をつけ、棄権の場合は何も書かない、という方法を採るべきではないでしょうか。本来的に国民投票は、「信任するかどうか」を問うものであり、その方法として「○」などの意思表示方法を定めるべきです。
ところが今のこの投票方法は、判断できずに何も書かない人もひっくるめて「信任」扱いされることになります。これでは意思表示になりません。
私は改憲提案が出てきた場合、同じような方法がとられるのではないかという強い懸念を持っています。改憲案が出されて国民投票が行われるとき、何も記入しない人は賛成として扱われるのではないかという懸念です。最高裁判事に対する国民審査の投票方法、改めて考えてみました。
番外の話しですが、法曹資格がない者が最高裁判所の裁判官に就任した場合、弁護士法の規定によって自動的に弁護士資格を得ることができます。しかも、国民審査で罷免された場合でも資格ははく奪されないといいます。率直に言って、これも合点がいきません。
★脈絡のないきょうの一行
憲法と震災復興が選挙の争点から外れている。政党もさることながら、メディアの責任もあるぞ。
それはそれとして、敦賀原発2号機の真下に活断層があり、危険性が指摘されています。常識的には廃炉にしなければなりません。しかし、廃炉にするための法的規定がないというのです。これはびっくり。以下、東京新聞ウェブから。
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廃炉 法的規定なし 運転停止 電力会社への「要請」
2012年12月11日 東京新聞朝刊
国は活断層の上に原発を建てることを認めていない。しかし、完成後の原発で活断層が見つかったとき、どう扱うのか法的な決まりはない。原子力規制委員会は運転を禁じることも廃炉も、強制はできず、電力会社への要請という行政指導で対応することになる。
活断層についての規定は、原発の耐震設計審査指針の手引に書かれている。「活断層の直上に耐震上重要な建物を設置することは想定していない」とあり、活断層上の建設を禁止する趣旨と解釈されている。
規制委の田中俊一委員長が、日本原子力発電敦賀原発(福井県)を、安全審査の対象から外し、再稼働させない考えを示したのも、こうした規定を根拠にしている。
ただ、規制委の事務局を務める原子力規制庁によると、規定は建設前の状況を想定したもので、完成後に活断層が見つかった場合のことは想定していないという。
定期検査にしても、現在は行政指導で止めているが、法的には申請されれば検査をし、一定の性能を満たせばパスさせることになっている。
規制委が原子炉等規制法に基づく運転停止の強制力を持つのは、来年七月になってからのことだ。
廃炉に関しては、今後も規制委は命令できず、あくまで電力会社の判断となる。田中氏は「経済的な理由から廃炉せざるを得なくなるのでは」と話すが、不確定要素が多い。
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この問題はこの国の原発行政が、いかにいい加減なものであるかを物語っています。官邸への毎週金曜日の行動、ますます重要になっています。
★脈絡のないきょうの一行
各種世論調査は、総選挙で自民党の圧勝。それをつくったのは民主党の悪政。いやはや。
この問題、小ブログで2010年4月5日から12日まで6回にわたって掲載しましたが、政党の機関紙とビラを配布した、として逮捕・起訴された事件です。共産党の機関紙「しんぶん赤旗」号外を配ったのは、旧社保庁職員(当時)の堀越明男さん。一方、同じ共産党のビラを配布したのは厚生労働省課長補佐(当時)の宇治橋眞一さんです。
二人とも、国公法に定める国家公務員の政治活動禁止条項に違反した、として起訴されました。二人とも東京地裁で有罪判決を受けましたが、堀越さんは高裁で逆転無罪、宇治橋さんは高裁でも地裁判決が維持されていましたが、最高裁は両事件ともに高裁判決を支持しました。つまり、同じ国公法違反にもかかわらず、堀越さんは無罪、宇治橋さんは有罪となったのです。報道された写真は、「無罪確定」と「不当判決」の書付を持った全く違う内容のものが掲載されています。
翌日の毎日新聞は、1面トップで「国家公務員 政治活動制限を緩和」という扱いをしています。他のメディアも同様に、公務員の政治活動を自由にすべきだという踏み込んだ論調となっています。その論調は歓迎するのですが、宇治橋さんの判決はそれでもしっくりしません。(以下、堀越事件と宇治橋事件と表記)
判決の中身をみてみましょう。判決の積極面は、公務員の政治活動が国公法に違反するかどうかは、「(制限の範囲を)政治的中立を損なう恐れが実質的に認められる行為に限られる」としたことです。これは、公務員の政治活動が一律禁止されると解釈した1974年の、北海道「猿払事件判決」を覆したものです。
このことを宇治橋事件に素直に当てはめたら、宇治橋さんも堀越さんと同様に無罪になるはずです。しかし、最高裁は「職員の地位、職務内容や権限、行った内容などを総合的に判断するのが相当」として、宇治橋さんが課長補佐という管理職的地位にあったことを根拠として、2審の有罪判決を維持したのです。
これが、私が「すっきりしない判決」と思う所以です。課長補佐が管理職なのかどうか、という問題ではなく「管理職的地位にある職員」と「そうでない職員」を振り分けたことが理解できないのです。国家公務員という点では同じわけですから、管理職にあるかどうかは関係なく政治活動を認めるべきだったのではないでしょうか。
つまるところ、最高裁は堀越事件によって公務員の政治活動を一定程度緩和したものの、宇治橋事件において旧来の判断を維持した、ということになります。最高裁は間違いなく自己矛盾、いや、一種の〝分裂症〟を起こしているとしか思えません。
判決は国家公務員の政治活動を禁止した国公法の違憲性を認めておらず、ウグイスの声は聞こえたものの姿が見えないもどかしさは払拭できません。そうはいっても、堀越事件の判決によって公務員の政治活動が緩和されたことは事実で、一歩前進には違いなく、運動の成果として確信を持ちたいものです。
★脈絡のないきょうの一行
敦賀原発2号機直下に活断層の可能性大。そりゃもう、即刻廃炉でしょう。
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奨学金制度のブラックリスト 厳しい取り立ても〈AERA〉
dot. 12月7日(金)7時10分配信
学生生活を支えるはずの奨学金に苦しんでいる人たちが増えている。大学卒業後も正規雇用に簡単に就けない中、厳しい回収が始まる。
この不況下、卒業しても奨学金を簡単に返済できない人もいる。大卒でも非正規雇用が珍しくないという状況。11年度だと、滞納者は約33万人、滞納額は876億円。数字の上では、滞納者は全体の11%弱に過ぎないが、無理して返済している人も少なからずいるだろう。
もちろん、救済策は用意されている。例えば、最長5年までの返還猶予。昨年からは、返還年数を最大で30年まで延ばし、回当たりの返済額を減らす「減額返還制度」も始まった。12度以降の利用者には、1種に限り、年収によって返還を猶予される「所得連動返還」制度も新設された。障害などによる就労不能者には返還免除も用意されている。
問題なのは、それが機能しているとは言い難いことだ。奨学金ホットラインを設けた首都圏なかまユニオン相談員の伴幸生(ばん さちお)さんは説明する。
「例えば、返還猶予制度は当初、機構のホームページにも載っていなかった。細かい字がぎっしりの内規の文書に載っていたのを07年に私たちが見つけて仲間とともに機構に訴え、やっとネットで周知されるようになったのです」
猶予にも問題はある。5年を超えての適用がされないことだ。それを補うために、機構は昨年、減額返還制度を設立したが、延滞金のある人は利用できないのである。
もう一つの問題点は、厳しい回収制度にある。
「特に、10年度から始まったブラックリスト登録はひどい」
こう訴えるのは、支援機構労働組合の岡村稔・書記次長だ。
「まず3カ月連続の滞納で、返還者は民間金融機関などが多重債務者対策などに用いる個人信用情報機関に登録されます。これでクレジットカードが持ちにくくなる。滞納3カ月から8カ月目までは回収業務が民間サービサーに委託され、滞納が9カ月続くと、機構が一括払いを求める『支払督促』を送付し、それでも応じない場合は給与の差し押さえや提訴が実施されます」(岡村さん)
※AERA 2012年12月10日号
★脈絡のないきょうの一行
JAL不当解雇撤回裁判、東京高裁で弁論開始。地裁判決の不当性・違法性は明らか。高裁の良識に期待したい。
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「笹子」だけ打音検査せず=他は実施、劣化見逃しか―トンネル崩落事故
時事通信 12月5日(水)1時8分配信
9人が死亡した山梨県の中央自動車道上り線・笹子トンネル崩落事故で、中日本高速道路(名古屋市)が管理する同型トンネル5本のうち、ハンマーでたたいて内部の劣化を調べる「打音検査」を行っていなかったのは笹子トンネルの上下線だけだったことが4日、同社への取材で分かった。
中日本高速は「天井が高くて手が届かず、目視点検で済ませていた」と釈明するが、内部の腐食など目視では分からない異常が見逃された可能性がある。
県警大月署捜査本部は、同社本社や保守管理を行う関係会社など計6カ所を捜索し、工事関係書類など550点を押収。5日以降もトンネル内で検証を続け、天井板を支える「つり金具」とトンネル最上部の接続部分などを重点的に調べる。
つり金具は、トンネル外壁にアンカーボルトを打ち込んで固定している。同社によると、天井板から接続部までの高さが低い他のトンネルでは打音検査でボルトの状態を調べていたが、笹子トンネルは高さが5メートル以上あり、検査にははしごなどが必要なため、双眼鏡による目視確認しかしていなかった。
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高さ5㍍以上はトンネルとして普通ですし、検査にはしごが必要なことは当然のことではありませんか。問題はトンネルの高さや、はしごの必要性ではなく、ごく基本的な検査すらやられていなかったことです。今回の事故は人災と断言できます。
私はもっとうがった見方をしています。中日本高速道路は、笹子トンネルの危険性を知っていたのではないかと。あのトンネルの上り線を利用したことのある人は経験していると思いますが、土・日曜日の混雑時間になると、トンネル手前は1車線を規制し流れが悪くなります。ところがトンネルに入ったとたん2車線が利用できることになり、車の流れは普通にもどります。
これはトンネル内で渋滞が起きることを防ぐための措置だと思っていました。しかしよくよく考えてみると、こういう措置を取っているところは(恐らく)全国でも、この笹子トンネルだけではないでしょうか。北海道から(沖縄を含め)九州まで、高速道路を利用したことのある自分としての実感です。
各地でトンネル内の渋滞はよくあり、普通のことです。同じ中央道でよく渋滞を起こしますが、小仏トンネルは車線規制などしていません。笹子トンネルにおけるこの措置は、渋滞を防ぐためのものではなく〝急いで通過させる〟意味をもっていたのではないでしょうか。つまり、当局は崩落の危険を察知しておりそれを少しでも回避させるために、トンネル内をスムースに流すための工夫だったのではないか、という疑念です。
考え過ぎ、であることを願いたいものですし、そういう視点からの検証もしてほしいものです。
★脈絡のないきょうの一行
衆院選に過去最多の1504人が立候補。小選挙区制による大量の死票は必出。
つまり、護憲かどうか、日米安保条約を廃棄する政策を取っているかどうか、という点における違いです。ところがこの2つの問題でいえば、メディアの言う第三極も「民・自・公」ブロックもほとんど変わりません。その意味からみて、私は新たな政党を「第三極」扱いをしていいのか、という疑問を呈しているのです。
最近の報道は、意図的と思えるほど「憲法」と「対米政策」問題を外しています。たとえば東京都知事選挙です。石原都政の継承を許さないという宇都宮けんじさんは、重要政策の一つに「憲法を生かす」ことを掲げました。しかしこの問題についてメディアは、ほとんど無視しています。
日米安保問題もしかりです。解散後、安保の最大の被害である沖縄問題=オスプレイ、普天間基地問題など=の報道は、停電のようにぷつりと切れました。さすがに米兵による犯罪報道は行われていますが、安保にその根源があることはもとより、沖縄県民の最大の関心事に本土のメディアは触れていません。
それでは、メディアの言う新しい政党は「第三極」に当てはまらないのでしょうか。私は「当てはまらない」と断言します。なぜなら、前回も触れましたように、政党はいろいろ生まれましたが、運営の中心に座っているのは元自民党員だからです。はっきり言って、これらの政党は自民党の分派だからです。
ではどういう表現が妥当なのでしょうか。単なる「多党化」というのがシンプルだと思います。敢えて「極」をつけたいのであれば、選挙後の政治地図を考えた上で、「非民自公勢力」としてはどうでしょう。同時に、共産・社民ブロックを「反民自公勢力」と峻別することもいいでしょう。
つまり、現在の「民自公」を第1極として、それに対抗してきた「共社」(反民自公勢力)を第2極、最近の政党(非民自公勢力)を第3極と規定すれば、「第三極」の本来の意味は守られると思うのです。政党の名前だけで『極付け』をする、現在のメディアの表現方法は承服できません。
それにつけても小沢一郎さんはすごいですね。何がすごいかといえば、〝政党づくり〟の変わり身の早いことです。時流に乗る、といえばカッコいいのですが、この人が所属してきた政党を振り返ってみましょう。自民党、新生党、新進党、自由党、民主党、国民の生活が第一党、日本未来の党――となっています。次はどんな党をつくるのか、ワクワクします。この人こそ、メディアのいう「第三極」男なのかもしれませんね。
★脈絡のないきょうの一行
原子力マネー、民・自に6億(しんぶん赤旗)。これじゃ、再稼動OKするしかないね。
もともと「三極」というのは、「宇宙の万物を表わす、天と地と人」(広辞苑)のことです。それが、「第三極」というふうに変化すると、『①(南極、北極に次ぐ極地)ヒマラヤ山脈をいう。第三の極地。②政治、軍事、経済などの二大勢力に割って入り、あわよくば主導権を取ろうとねらう新興勢力。』(大辞泉)――となるわけです。
このなかの②を準用して、政権政党の民主党を第1極、それと対抗する自民・公明両党を第2極、そして最近の「みんな」だとか、「維新」だとか「未来」だとかを第3極だとメディアは規定して報道しています。「未来」が誕生したことで『第三極が2分化』という報道もありました。
過日、NHKがこの問題について解説していました。その内容は大辞泉と同じで、「もともとは北極と南極の2極だったが、新たな勢力として第3極が誕生した」と、ご丁寧に地球儀を示していました。私が疑問に思っているのは、この規定の仕方です。
疑義の第1は、北極と南極を2極だというところは問題ないのですが、そこに「民主」と「自民・公明」を当てはめることが妥当かどうかという点です。一見、この枠組みは違って見えますが、消費税増税法案を一体となって可決したこと。憲法改定についてはほぼ一致していること。アメリカ追従政策を取りつづけていること――などなどの事実を考えれば、同じ極に存在しているとしか思えないのです。にもかかわらず、その二つの枠組みを2つの極になぞらえるのはいかがなものでしょうか。
疑義の第2は同様に、メディアのいう第三極といわれる〝新しい政党〟は『極』といえるのかという疑問です。たとえば大騒ぎして誕生した「日本維新」。大辞泉でいう「新興勢力」とはいえません。代表の石原慎太郎さんは、もともと自民党右派で古い人ですし、橋下さんだって核武装を容認したり、労働組合を毛嫌いする態度は現在の自民党と同じ考えですし、ある意味、石原さんよりもっと〝右〟ではありませんか。目新しさはありません。
「日本未来」も同じです。脱原発、消費税増税凍結は許容範囲であり、これは認めましょう。しかし、カゲに座っている小沢一郎さんは、生粋の、田中角栄を引き継いだ〝真性自民党〟ではありませんか。のれんの名前だけを変えて、新しい政党というイメージを作り出しているそういう集団を、「第三極」と決めて報道するやり方、明らかな誤誘導(ミスリード)ではないでしょうか。
ここでこの項目を終わったら、無責任のそしりを受けます。それではどう考えればいいのでしょうか。以下、私の意見です。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
中央道・笹子トンネルの崩落事故、いつも利用している者として他人ごとではない。行方不明者の早期救出と亡くなった方々の冥福を祈りたい。
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最低賃金廃止、橋下氏「雇用狙い」 維新公約に波紋
朝日新聞デジタル11月30日(金)14時52分配信
日本維新の会代表代行の橋下徹大阪市長は30日、維新の政権公約「骨太2013~2016」に盛り込んだ「最低賃金制の廃止」について、雇用の創出が狙いだと説明。「ハードルを課せば、最低賃金を出せない企業や、本当ならあと2、3人雇えるのに1人しか雇えないという企業もある。できるかぎり多くの雇用を生み出したい」と述べた。市役所で報道陣に語った。
一方で、収入が一定水準を下回る人については、所得税を免除し、逆に国が一定額を給付する「負の所得税」の考え方を導入し、国が最低限の収入を保障する考えを表明。最低限の収入の水準については「専門家が意見を出して制度設計する話。今の段階で出せない」として明示せず、「今の生活保護の支給基準は高すぎるところがある。負の所得税的な考え方では、水準は下がる」とも述べた。
ネット上では、維新が公約に明記した「最低賃金制の廃止」について書き込みが相次いでいる。「労働する国民を奴隷化するものだ」「望むのは財界だけだろう」との批判の一方、「反対が出るだろうが、一石を投じるのは悪くない」と理解を示すものもある。
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「反動的」という言葉があります。『[形動]1 ある動きや傾向に対して、それと逆の動きや傾向が生じるさま。「好景気が終わり―に不況感が募る」2 改革・革新などの流れに逆らい、それを妨害しようとするさま。「―な政治」』(大辞泉)。
まさに、最賃制度の廃止は反動的な公約そのものです。むしろ、社会の流れは現在の地域最賃ではなく、全国一律最賃制度を求めています。それを廃止しようというのは言語道断です。しかも、「生活保護水準が高すぎる」という発言も、上から目線そのものです。「あんたはナニサマのつもりか」といいたい。
そもそも最賃制度は、ナショナルミニマム(国家が国民に対して保障する最低限の生活水準)の根幹の一つです。それを廃止するということは、ナショナルミニマムの理念を否定するということです。つまり、この公約は国民の最低限の生活水準を壊してもいい、と言うに等しいのです。
こんな政党が政権を担ったらどういうことになるか、推して知るべしというところでしょう。こう見てみると、橋下さんと石原さんは実によく似ている。片方は大阪市職員いじめ、片方は日の丸・君が代で教職員いじめ。思いつき・無責任発言。憲法破壊発言の数々。貧しい階層への蔑視……。だから一緒になったのでしょうが、やはり、こういう人たちに政治を任せるわけにはいきません。総選挙で鉄槌を下すしかなさそうです。
★脈絡のないきょうの一行
東京は都知事選挙中のはずだが、静か。選挙制度改悪の弊害。もっと政策論争で騒いでもいいのでは。〝まつりごと〟なのだから。