ヘボやんの独り言
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10814 たかが40年② 
2012/10/31 [Wed] 11:10:52 » E d i t
 結婚40年を機に、その頃にはなかったものや社会現象について考えてみました。なかったもので今では当たり前のように普及しているものをあげてみましょう。電子レンジ、デジカメ、CD、DVD、ケイタイ電話、カーナビ、電子辞書。企業にはありましたが、パソコンやプリンターなどの周辺機器もあります。そういえば、全自動洗濯機も入れましょう。

 電子レンジの普及は、ある意味家庭の食卓に革命をもたらしました。冷凍食品が「チン」によって普通に食べられるなど、40年前には想像もできないことでした。全自動洗濯機も、家庭の主婦にとっては自分の時間をつくるうえで、大事な役割を果たしてくれています。

 レコード盤からCDへの移行も衝撃でした。「このレコード盤、どうしてくれるんだよ!」と叫んだものです。わが家にはあのレコード盤は1枚も残っていません。DVDも同様です。ベータだのVHSだのと騒ぎがありましたが、それを凌駕してDVDが登場しました。ビデオテープも風前の灯火となっており、レコード盤と同じ道をたどるのは時間の問題でしょうか。

 ケイタイ電話とカーナビの普及は、言及するまでもありません。カーナビは今でこそ、GPS(全地球測位システム)衛星からの位置情報が基本ですが、当初はアメリカの軍事衛星を利用しており、これは驚きでした。カメラも同じで、昔ながらの銀塩カメラは減ってきましたが、デジカメにはない良さがあります。私は銀塩カメラを無くしてしまわないで欲しい、そう願っています。

 それらの一方で、それまではなかった(少なかった)暗い社会現象も生まれています。振り込め詐欺、セクハラ、パワハラ、いじめ、子どもや年寄りへの虐待、DV、非正規雇用――など。これらは「弱者」への攻撃です。強いものだけが生き残るという、まさに、新自由主義の反映ではないでしょうか。

 「おれおれ詐欺」から「振り込め詐欺」に変わったこの犯罪、断じて許せない。高齢者が爪に火をともすように蓄えたものを、優しさを逆手にとった詐欺。物質だけでなく、心にも傷を負わせるものとして、看過できません。

 非正規雇用もひどい。派遣を含むこの制度を取り入れた自民党・財界の罪ははかりしれません。日本国民のくらしを根底から覆しました。1000万人を超えるワーキングプアーの根源ともいえるこの制度、葬り去る必要があります。

 40年の歳月は、新たなものをつくる一方で、それまであったものを壊してきました。その良し悪しはさらに50年単位の年月を重ねることによって証明されることになるでしょう。そのときに大事なことは、せめて、笑顔だけは絶やさない、そんな社会をつくることです。結婚40年を機にそんなことを考えています。たかが40年、されど40年――です。

★脈絡のないきょうの一行
参院の首相所信表明、中止。議会制民主主義を蹂躙したこの所業、封建時代に戻ったようだ。

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10813 たかが40年① 
2012/10/29 [Mon] 12:02:30 » E d i t
 今日は、私たち夫婦の結婚40周年記念日です。あっという間の40年だったような、長かったと思うような複雑な気がします。これも節目、少し振り返ってみます。お惚気(のろけ)が入るかもしれませんが、お許しください。

 結婚式は1972年10月29日、当時、水道橋にあった労音会館で行いました。いわゆる会費制で、会費・500円は恐らく私たちが最後だったと思います。高度成長にともない、会費は1500円、3000円、5000円と上昇し、いつの間にか会費制もそうでない結婚式も同じような負担となり、すたれていきました。

 結婚の条件は二つだと思っています。①二人の間に愛と合意があること②経済的に独立して生活できること――です。私にはこのなかの『経済』に問題がありました。なぜなら(結婚式のときは解決していましたが)、プロポーズしたときは解雇撤回闘争の最中だったからです。

 それでも彼女の実家を訪ね、ご両親に許しを乞いました。私の両親は九州で暮らしていましたので、単身、彼女の家に乗り込んだのです。そのときの私の顔は、恐らく、鬼気迫るものがあったのではないでしょうか。優しいご両親で、その日のうちにOKの返事をもらいました。

 そのとき、彼女のお母さんが夕食にと準備してくれた、海老フライの美味しかったこと。あの味は今でも忘れられません。

 会費制の結婚式ですから、仲間たちは実行委員会を作ってくれました。実に楽しかった。案内状に、「結婚を意識したとき心と心のメロディーが響きあいました」と書いています。この思い、今でも大事にしています。

 新婚旅行は、彼女が行ったことのないという四国を選びました。新幹線に乗ってしばらくして、車内の売り子さんたちがやってきました。二人の若い女の子でしたが顔を合わせて、お互いに人前はばからず大声を上げてしまいました。知っている子たちだったのです。

 その子たちは千代田区内でサークルに参加してきて、そこで知り合った間柄でした。当時の新幹線食堂の営業は、本数は限られていましたが帝国ホテルが担当していました。彼女たちは帝国ホテルに入社し、新幹線の食堂に配属されていたのです。

 その年の春に高校を卒業したばかりの彼女たちの驚きと喜びの声は尋常ではなく、私たちが恥ずかしくなるほどの大声で「おめでとうございます!」と祝福してくれました。しかもお祝いにと、商品のアイスクリームを2個、その場でプレゼントしてくれたのです。美味しくも甘ずっぱいアイスクリームでした。

 四国旅行は、松山・道後温泉、宇和島、足摺岬、高知・桂浜、高知城などをそぞろ歩きしました。当時は車の免許を持っていませんでしたので、バスと鉄道を使って移動です。これも楽しかった。来月中旬、40年ぶりに夫婦で四国旅行に行きます。あのとき行けなかったところを周る予定です。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
東電女性社員殺害事件の再審で検察側、ゴビンダさんの無罪を主張。11月7日に改めて判決。検察側=権力の罪はどう裁かれるのか。
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2012/10/26 [Fri] 10:44:44 » E d i t
 昨日の産経新聞ウェブは笑いました。ヘタな芸人より、この3人の漫才のほうが面白い。少し長くなりますが、笑い飛ばしましょう。

                         ◇=◇=◇
解散棚上げ、居直る首相…3党合意崩壊の内幕
産経新聞 10月25日(木)7時55分配信

 ■「武装解除と言ったのに問責出したのは谷垣さん」
 19日の民主、自民、公明3党党首会談の全容が24日、明らかになった。野田佳彦首相は消費税増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法の成立に際し、谷垣禎一自民党前総裁が内閣不信任決議案や問責決議案を提出せず「武装解除する」と述べたと“暴露”した。単に衆院の解散時期をめぐる対立ではなく、3党の信頼関係が根底から崩れた会談だった。
 「『野党にとって最大の対抗措置の不信任案、問責決議案を封印する。武装解除するから解散時期を言ってほしい』と言ったのは谷垣さんですよ」
 首相は年内解散を求めた安倍晋三自民党総裁、山口那津男公明党代表に向かって表情を変えず反論した。
 谷垣氏の「武装解除」は「一体改革関連法の成立まで」という意味だったが、首相の口ぶりは約束を破ったのは武装解除どころか問責決議に賛成した自民党と言わんばかりだった。

 ◆「概算要求だけ」
 会談は特例公債法案など諸課題に関する首相の長い説明で始まった。解散時期をめぐる「新たな具体的な提案」はなく「(解散時期を)明示的にすることは控える」と繰り返すばかり。そこで安倍、山口両氏は「隠し玉」を持ち出した。
 安倍氏「谷垣さんに引き継ぎを受けました。(8月に)首相は谷垣さんに、来年度の予算編成はやらないとおっしゃった」
 山口氏「私も谷垣さんから聞きました。『概算要求だけはやらざるをえないので理解を』。そう谷垣さんに言ったはずですよ」
 来年度の予算編成は行わず年内に解散する。表向きは「近いうち解散」。この8月の「密約」履行を2人は首相に迫ったのだ。首相は一瞬ひるむも「一体どんな引き継ぎをしたのか」と応じ、おもむろに「武装解除」発言を持ち出したのだった。

 ◆「何を信じろと」
 「信頼関係を持てなくなる」
 安倍、山口両氏は反発した。2人をなだめようと首相は続けた。
 首相「だらだら延命することはしません。信じていただけるかどうかです」
 山口氏「何を信じろとおっしゃるんですか」
 安倍氏「阿吽(あうん)の呼吸で、と言われても不可能です」
 3人「…」
 沈黙は長く続き、結局会談は物別れに終わった。3党の間で修復できない亀裂が走った瞬間だった。
 自公両党は首相に「民主党では珍しくまともな人」との印象を抱いていた。だから一体改革関連法にも協力した。同法に賛成した際、首相が「解散したいと思っている」との感触も得ていた。だが、この日の党首会談を通じ「物事を最終判断できず、流されてしまう人」との判断を下した。

 24日の首相と新党大地の鈴木宗男代表との会談は、自民党にかすかに残っていた期待を裏切るものだった。
 鈴木氏から「領土問題など国家主権が大変なときに選挙をやっている場合ではない」と水を向けられると、首相は即座に応じた。
 「わたしもそう思います!」
                         ◇=◇=◇

いや、はや。

★脈絡のないきょうの一行
突然の都知事辞任。石原さんって、相変わらず超ジコチューだね。

政治問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2012/10/25 [Thu] 14:58:06 » E d i t
 昨日(24日)、予定どおり北海道大学・新田孝彦副学長が、宮澤弘幸さんの妹・秋間美江子さん(85歳)と面会しました。その模様を報道した25日付けの北海道新聞と毎日新聞の記事が、札幌在住の仲間から送られてきました(現地のNHKは24日の18:30頃から10分ほど放送したそうです)。その際、美江子さんは弘幸さんのアルバムを大学に寄贈、同行した友人らが弘幸さんの名誉回復を訴えました。

 これに対して新田副学長は「退学届が無く当時の記録は乏しいが、客観的資料を集めて調査したい。」(毎日新聞)と答えています。その調査に期待したいものです。

 この面会に同席した毎日新聞OBの山野井孝有さんは、10月17日付けで『悲劇を繰り返させないために』という表題のメモに、「宮澤弘幸さんが『スパイ』として逮捕されてから71年、政治は大きく右旋回し、再び『秘密保全法』制定の動きが、尖閣諸島・竹島の領土問題に便乗するかのように急速に進められようとしている。再び宮澤さんのような悲劇を繰り返してはならない。そのためにもこの事件を知る人が少なくなっている今だからこそ、今回の北海道大学訪問を機会に伝えていかなければならないと私は強く思う。」と書いています。

 全く同じようなことを、『国家秘密法の爪痕-ある北大生の受難』を著した上田誠吉さん(故人)は、その著書のあとがきで述べています。「この本は、いうまでもなく、自由民主党が立法を企画している国家秘密法に反対する努力のなかで執筆を思い立ったもので、この本自身が法案反対の運動に貢献することを目指したものです。」と。

 この本が上梓されたのは、国家秘密法反対の運動が大きく盛り上がった時期、1987年9月でした。(上田さんもあとがきで触れていますが)この年の5月3日に朝日新聞阪神支局が何者かに襲撃され、2人の記者が死傷する事件が起きています。事件当時の同支局の支局長は、新聞労連委員長を退任後、間もなくして赴任した大島次郎(故人)さんでした。大島さんは国家秘密法制定に反対して、徹底してたたかったお一人でした。国家秘密法問題と支局襲撃事件が直接かかわっているかどうかは不明ですが、奇妙なめぐりあわせです。

 上田さんが「思い立った」その時期と、山野井さんが指摘する現在とがあまりにも似通っていることに愕然とさせられました。いやむしろ、現在のほうがメディアの〝体たらくさ〟を見るにつけ、厳しいのかもしれません。

 改めていま、この「北大生スパイえん罪事件」を見つめ直し、風化させることなく、故・上田誠吉弁護士が訴えた国家秘密法=秘密保全法の成立を許さない運動の糧にしたいものです。そのことこそが、宮澤弘幸さんの無念さに応える道であり、同時に、85歳という高齢になった秋間美江子さんへの限りないプレゼントになるだろう、そう思っています。

★脈絡のないきょうの一行
日本維新の会幹事長・大阪府知事の松井一郎氏に違法献金疑惑(しんぶん赤旗)。自民党と同じように、やはり同じ穴のムジナだったか?
2012/10/24 [Wed] 10:54:17 » E d i t
 きょうは、山野井孝有さんと宮澤弘幸さんの妹・秋間美江子さんが北海道大学副学長と会うことになっています。昨夜はこの事件を調査した北大の関係者と、札幌在住の毎日新聞OBなど15人が集まり、懇談会が開かれたという一報が届いています。それらの報告を楽しみに待ちたいと思います。

 この山野井さんの動きに連動して、前述のように毎日OBのみなさんが協力態勢をつくることになり、その中で意外なことが判明しました。毎日OBのKさんは北大で学んだお一人ですが、なんと、レーンさんから英語を教わったことがあるというのです。さらに、60年安保闘争のときに全学連委員長で、一世を風靡した唐牛健太郎(かろうじ けんたろう/1937年2月11日-1984年3月4日)さんと、北大で一緒に学生運動にかかわったといいます。人と人のつながりが、思いもよらぬ方面から明らかになっています。

 懸案の宮澤さんの復学問題ですが、2010年3月に北大の逸見勝亮(へんみ まさあき/現在副大学長、山野井さんと秋間さんが面会するという副大学長はこの人かもしれないが)さんが「調査報告」を提出しています。(この項の冒頭で事件の経過などを説明したのは、この報告をもとにしていますが)この報告書によると、1942年5月7日の北大工学部教授会議事録に宮沢さんの「退学許可」が記載されているといいます。

 ところが「復学許可」については学籍簿に、「昭和20年12月21日復学許可ス」と青インクで書き込みがされているものの、教授会の議事録には見当たらないとしています。逸見さんはこの書き込みは、教授会決定に至る段階で行われたものだろうと推測していますが、不自然なのは、「退学」を決めた教授会の議事録は残っているが、「復学」を決めたそれがないという点です。

 北大側は学籍簿の書き込みがあることをもって、宮澤さんの復学を認めた(名誉回復をはかった)という説明をするかもしれませんが、私はあくまでも教授会の議事録で確認すべき事案だと思います。したがって教授会議事録による復学確認ができていないのであれば、改めてその作業(教授会を開いて復学確認)をおこなうべきです。

 宮澤弘幸さんは1919年8月8日生まれですから逮捕時は22歳、それから71年が経ています。存命であれば93歳。えん罪にもかかわらず網走刑務所に送られたために栄養失調に陥り、それが主因となって結核を患い、27歳という若さで亡くなったその無念さは推して余りあります。権力の暴力に改めて怒りがわきます。きょうの北大副学長との面会の模様は、メディアも同行するといいます。北海道大学は、宮澤さんと妹・秋間美江子さんの思いに真摯に答えてほしい、そう願うばかりです。

 この北大生スパイえん罪事件を考えていて、網走刑務所で6年間、通算18年間にわたって獄中でたたかった白鳥事件の村上国治さんを思い起こしました。白鳥事件も松川事件などと同じように、明らかなえん罪事件でした。獄中にあっても待遇改善を要求してたたかっていた村上国治さんの、網走刑務所の面会所で出迎えてくれた43年前のあの笑顔は今でも忘れられません。

★脈絡のないきょうの一行
昨夜、東京で「オスプレイ帰れ」の集会。同じ時間帯に、沖縄で初のオスプレイ夜間飛行訓練。日本国民への明らかな挑発。ふざけるな!

2012/10/22 [Mon] 11:32:02 » E d i t
 宮澤弘幸さんとレーン夫妻の逮捕理由は、戦前の軍機保護法(ぐんきほごほう)違反でした。軍機保護法は、1899年(明治32年)に制定。軍事上の機密保護を目的としたもので、1937年(昭和12年)に改正されて対象範囲が拡大、強化されました。戦後の1945年(昭和20年)10月13日廃止されています。

 改正された法律がクセモノで、軍事機密に関する探知、収集、漏洩を処罰対象としています。しかもその対象者は軍人だけでなく一般人すべてを含み、言論・出版をはじめ、旅行・スケッチ・撮影なども制限され、違反した場合の最高刑は死刑。もちろん、言論統制にも使われました。

 共産主義を排除する思想的統制と処罰を「治安維持法」(1925年-1945年)で行い、軍事機密保護を理由に「軍機保護法」で言論統制を行い、メディアを含めて国民全体に投網をかけたのです。軍事機密には全く無縁であった宮澤さんとレーン夫妻は、この法律の拡大解釈によって逮捕されたものと考えられます。そのとき逮捕に出向いたのは、特高警察であったことはいうまでもありません。

 逮捕された3人は一貫して「スパイ行為はなかった」と主張しました。しかし特高警察は、戦争開始と同時に宮澤さんがレーン夫妻を心配して自宅を訪ねたこと、レーン夫妻が本国(アメリカ)に連絡を取ったとして、それを逮捕理由にしました。取り調べにあたって、拷問も行ったといいます。結果、逮捕から1年半という超スピードで最高裁は結論を出したのです。しかも、懲役15年という極刑に近いもので、これはある意味、国民への「見せしめ」でもありました。

 どうして宮澤さんとレーン夫妻が狙われたのか。上田誠吉さんも北大の調査チームも、謎としています。3人は思想的に左翼的なものを持っていた訳ではなく、特段問題はありませんでした。むしろ、宮澤さんは国家主義的傾向が強かったとされています。

 ただ、レーン夫妻は前述したように、43年9月にアメリカの「交換船」で帰米しています。このことを指して、アメリカに抑留中だった日本人のなかに、どうしても帰国させる必要のある人物がいて、それと交換するためにレーン夫妻を利用したのではないか、という仮説を立てる人もいます。しかしそれは証明されていません。

 宮澤弘幸さんは、刑が確定(43年6月)したあと、網走刑務所に送られます。そのとき母親のとくさんは、同じ車両の別の場所に乗って、息子の心配をしたといいます。家族の気持ちはいかほどだったでしょうか。

 網走刑務所で結核と診断された宮澤さんは、終戦間際の1945年6月に宮城刑務所に移送されました。この同じ月に、治安維持法違反で有罪判決を受けた日本共産党の宮本顕治さんが網走刑務所に収監されています。二人のえん罪被告が、網走刑務所で〝すれ違った〟ことは、単なる偶然ではないような気がするのは私だけでしょうか。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
内閣支持率最低の18%に(朝日新聞ウェブ)。末期状態だね。いや、もう終わっているね。

2012/10/19 [Fri] 10:48:39 » E d i t
 毎日新聞のOBで大先輩の山野井孝有(やまのい たかゆき・80歳)さんが、来週24日に北海道大学を訪ねます。その理由は、戦前、スパイ容疑で逮捕・監禁された同大学の学生であった故・宮澤弘幸(みやざわ ひろゆき)さんの妹さんが所有している宮澤さんのアルバムを寄贈し、名誉回復=退学処分取り消しを要請するためです。大学側は副学長が対応してくれることになっているといいます。

 あまり知られていない事件ですが、北大では「宮澤弘幸・レーン夫妻軍機保護法違反冤罪事件」と呼んでいます。「宮澤・レーン事件」という言う人もありますが、ここでは便宜的に『北大生スパイえん罪事件』と称することにします。

 この事件はえん罪である、と弁護士の上田誠吉(うえだ せいきち、1926年-2009年)さんが告発したことによって世に知れ渡りました。上田さんは1974年から1984年まで自由法曹団団長を務め、自由と正義のためにたたかわれたお一人です。

 私はこの事件と同じ札幌で起きた「白鳥事件」の村上国治さんの救出運動に関わったとき、上田誠吉さんを知り「厳格な人」という印象を持った記憶があります。亡くなる2年ほど前だったでしょうか、この白鳥事件の運動に参加した人たちの〝同窓会〟でお会いして、同じ弁護士の松本善明さんらと酒を酌み交わしたのが最後でした。

 北海道大学もこの『北大生スパイえん罪事件』ついて調査をすすめています。ネットを通じて入手した同大学の「調査報告」をもとに、少し事件のおさらいをしてみます。1941年12月8日、あの忌まわしい戦争が始まったその日、北海道帝国大学工学部電気工学科2年の宮澤弘幸さんと、同大学の英語教師として教鞭をとっていたハロルド・メシー・レーン、ボーリン・ローランド・レーン夫妻がスパイ容疑(軍機保護法違反)で逮捕されたことに端を発します。

 宮澤さんは翌42年4月に起訴され、札幌地裁で懲役15年の判決が下り、43年6月に最高裁で確定、網走刑務所に送られました。一方のレーン夫妻も最高裁で刑が確定し、札幌大通拘置所・苗穂刑務所に服役。しかし43年9月にアメリカの「交換船」で帰米。このときは日本人捕虜とレーン夫妻が交換された、と言われています。

 宮澤さんは網走刑務所の厳しい環境の下で、栄養失調に陥り結核に罹病。終戦直前の45年6月に宮城刑務所に移送され、10月10日に釈放されたものの、病状は悪化しており47年2月に東京で死去しています。27歳でした。レーン夫妻は1951年4月に北大に復帰、再び教鞭を執り英語担当の外国人教師として活躍、札幌で亡くなっています。

 以上が事件の概略ですが、なぜ山野井孝有さんがこの事件にかかわるようになったのかを説明しなければなりません。以前、小ブログでも紹介しましたが、山野井さんは登山家の山野井泰史さんの父親です。泰史さんがまだ無名で、アメリカで活躍していたころコロラドの岩壁から滑落して、ボルダ―の病院に運ばれたとき、面倒をみてもらったのが宮澤弘幸さんの妹・秋間美江子さんだったのです。

 美江子さんは自分の兄や家族のことを理解してくれた秋間浩さんと結婚、アメリカに渡りました。ボルダ―で病院の仕事をしていたとき泰史さんが運ばれ、「日本語の分かる人」ということで知り合い、以来、父親の孝有さんとの交流が始まったといいます。私は秋間美江子さんとは、2002年に山野井泰史・妙子夫妻がギャチュンカンで遭難して生還したことが評価されて「上村直己冒険賞」を受賞しましたが、その受賞式にご一緒させていただいたことがあります。物静かなご婦人でした。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
密室協議上塗りの民自公三党首会談、沖縄の米兵暴行事件など、話題にならないんだろうねー。

10807 子どもの目 
2012/10/17 [Wed] 15:45:13 » E d i t
 前回のブログを書くために調べものをしていたら、「第51回青少年読書感想文コンクール」(2005年/主催・全国学校図書館協議会、毎日新聞社)で、岡山県の「県知事賞」を偶然に見つけました。朝日塾小学校2年(当時)の光岡あかりさんが受賞しています。山古志村の「マリ」のことが題材ですが、実にかわいい。

 あかりさん、もう中学3年生になっているはずです。きっと真っ直ぐに育ってきたことでしょう。少し長くなり平仮名が多いので読みにくいかもしれませんが、全文を紹介しましょう。

                         ◇=◇=◇
 山古志村のマリと三匹の子犬を読んで

 ママ、山古志村のマリはね、地しんの日の朝、赤ちゃんをうんだんだよ。地しんで村がぐちゃぐちゃにつぶれて、ヘリコプターでひなんしたけれど、マリは犬だからヘリコプターにのれなかったんだよ。えさもなくなって人もいなくなった村の中で、やせ細ってどろだらけになってマリは赤ちゃんを育てたんだよ。

 地しんの日から少ししてむかえに行ったゆたかさんに会えてマリはとってもうれしかったと思うよ。きっとむかえに来てくれるとしんじて、がんばっていたんだね。マリはね、地しんのあと、家の下じきになったおじいさんをきずだらけになりながら、何回もなめてはげましたんだよ。おじいさんは、マリに生きる力をもらったんだよ。「がんばれ。」と声に出さなくても気もちはつたわるんだね。

 わたしのいもうとのわかなが、手じゅつを三回もする心ぞうびょうだとわかって、ママはわかなをうんだつぎの日から、わかなのいる遠くのびょういんへ行っていたね。今もずっとそこで、ほとんどねないで、わかなを育てているママは、マリみたいにつよいんだね。やさしいんだね。わかなががんばって生きようとしているのを見て、わたしもがんばっているよ。わかなのしゃしんを見ると、力がいっぱいでてくるよ。だからね、あん心してね。パパとママが、家にいなくてもわたしはだいじょうぶ。マリが三びきの赤ちゃんをまもったように、ママもわたしとおにいちゃんとわかなを守ってくれているのが分かるからだよ。ありがとうママ。

 ほんの中にこんな言ばがあったよ。世の中には「どうにもならないこと」と「どうにかなること」の二つがあるんだって。わかなが心ぞうびょうで生まれたのは、どうにもならないことだけれど、みんなでわかなを元気にすることは、どうにかなることだよね。わかな、きっと元気になるよ。わかなが元気になって家に帰ってきたら、ママも、この本読んでね。
                         ◇=◇=◇

 コメントは不要でしょう。わかなちゃん、元気になっているといいですね。

★脈絡のないきょうの一行
沖縄でまたしても米兵が成人女性に暴行。今やるべきは綱紀粛正ではなく、米軍撤退だ!
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2012/10/15 [Mon] 11:50:33 » E d i t
 動物も災害のストレスを受けている――。私の友人に動物愛護運動の一環として「ペットレスキュー」の手伝いをしている人がいます。東日本大震災後、動物用の缶詰などを買い入れ、現地の仲間たちと連絡をとりながら救援活動にあたってきました。物言えぬ動物たちの救援は、人間の側が積極的にアクセスしていかない限り成立しません。

 様子を聞いてみると、被災地から救出されたイヌやネコは概しておとなしいといいます。ペットレスキューですから、捨てられた動物や飼い主が病気などになった場合の世話が中心で、その「子」たちは怯えた様子が見受けられるものの元気ですが、被災地からのそれは覇気がないといいます。

 私の家でも、(もう死にましたが)18年ほどネコを飼ったことがあります。食事の時間になると必ず近寄ってきます。様子を見ていると家族の一員になりきっています。人間社会に溶け込んだ動物たちは、災害を受けたとき予想以上のストレスを感じているのかもしれません。そのことを立証した研究結果が、朝日新聞ウェブに載りました。以下、紹介しましょう。

                         ◇=◇=◇
被災地の犬も心に傷 麻布大、ホルモン値から判断
朝日新聞デジタル 10月15日(月)5時1分配信

 東日本大震災の被災地で保護されたペットの犬も、強いストレスを感じ、心に傷を負っていたことが麻布大獣医学部のチームの研究でわかった。ストレスの度合いを示すホルモンの数値が高く、学習能力が低下したり、世話をする人への愛着行動があまり見られなくなったりしているという。11日付の英科学誌サイエンティフィック・リポーツに発表した。

 チームは、被災地で保護した犬と、震災前に神奈川県の保護施設から引き取った犬計25匹を比較した。被災地の犬はストレスの指標になる尿中のコルチゾール値が5~10倍高く、調査から10週間たった時点でもその傾向が続いていた。教えたしぐさの覚えが悪かったり、人にすり寄るなどの愛着行動が少なくなったりする傾向があったという。

 犬の年齢や育った場所の違いなどの条件をそろえることで、さらに詳しい結果が得られるとしている。麻布大獣医学部動物応用科学科の茂木一孝准教授は「震災で人とのきずなが突然切られ、社会の混乱状況に置かれることで、ペットの犬はより大きな心の傷を負うことが分かった。人と暮らす犬が人の社会に溶け込んで生きていることを裏付けている」と話す。
                         ◇=◇=◇

 研究はまだ途上のようですが、注目したいと思います。この記事を読みながら新潟県中越地震(2004年)のときに取り残された犬たちの、映画にもなった「マリと子犬の物語」のことを思い出しました。

★脈絡のないきょうの一行
リトアニアで原発建設に関する国民投票で、64%が反対。さあ、ベトナムはどうする。

災害問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2012/10/10 [Wed] 11:09:22 » E d i t
 この歌が生まれた1922年は、暗い世相でしたが明るいこともありました。その一つは、現在の日本の政党では一番古い日本共産党が誕生したことです。〝弾圧時代〟にもかかわらず、共産党の創立はすごいことでした。部落差別をなくそうと、全国水平社も設立されています。年末には、1917年のロシア革命を経てソビエト連邦が成立しています。

 この年、第3回メーデーが開かれていますが、ここで「聞け万国の労働者 轟きわたるメーデーの」で始まる『聞け万国の労働者』の歌が、メーデー歌として初めて登場しています。労働者の心意気は高かったのですね。しかし、庶民のそういう心をよそに、日本は戦争へひた走ったのです。

 国民のくらし向きはどうだったでしょうか。現在と比較してみましょう。私は、かなり似通っていると思います。

 まず子どものことです。産まれたばかりの胎児が遺棄されるという報道を最近よく見かけますが、これは間引きそのものです。親による虐待で子どもの死亡が伝えられる事件が増えています。いじめが大社会問題になっています。これらの現象も、大正末期から昭和初期と同じように、形を変えた子どもへの間引きなのではないでしょうか。

 くらしはどうでしょうか。現在は失業者が増えつづけています。電気産業では10万人を超えるリストラが準備されているといいます。収入が200万円以下のワーキングプアは1000万人を超え、増加傾向にあります。これに消費税が上がれば、年金者家庭をはじめ低所得者層には大打撃です。これらは〝シャボン玉時代〟と同じといえないでしょうか。

 国際的な問題はどうでしょうか。大正末期から昭和初期にかけて、日本は海外侵略を強めていきました。とりわけ日本は、1910年(明治43年)の朝鮮併合以来、中国への侵略を虎視眈々とねらっていました。形は少し違いますが、現在は尖閣諸島や竹島問題など、中国、韓国との関係はあの時代と同じようにぎくしゃくしています。

 尖閣諸島と竹島問題については別の機会に触れたいと思いますが、〝シャボン玉時代〟は1929年の世界大恐慌で終焉状態を迎えます。そして、1931年の満州事変から1945年ポツダム宣言までの『日中15年戦争』を含む、あの忌まわしい第二次世界大戦に突き進んでいきました。

 こう見てみるとこの項の最初に述べたように、政治、経済、社会全般が現在とあの大正末期から昭和初期にかけての世情と似通っている、と断言できそうです。そしてそれは、自民党に安倍晋三総裁がゾンビのように復活したことに、さらに、日本維新の会に代表される戦前回帰の路線・思想が強まっていることに見られるように、〝拍車〟がかかっていると言えるのではないでしょうか。

 だとしたら、そうだとしたら、その行き着く先にいつかきた道が待っているのかもしれません。

 ところが、どっこいそうは許さない。〝シャボン玉時代〟と決定的といえる大きな違いがあります。庶民の側の抵抗があることです。「原発ノー」「野田やめろ」の声は日ましに強まっています。「オスプレイ帰れ」のたたかいも沖縄県民を軸に前進しています。「9条守れ、憲法守れ」の草の根の運動も、広がっています。

 この動きを巨視すれば、現在は「支配者側と民衆側がせめぎあっている時代」といえるのではないでしょうか。それは換言すれば、間引きを許さない、いのちを大切にする社会を作る大きなチャンスです。

脈絡のないきょうの一行
中国共産党、5年間で8027万人中66万人の党員を規律違反などで処分を発表(読売新聞ウェブ)。事実関係の成否は分からないが、ケタが違うね。

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2012/10/08 [Mon] 08:58:34 » E d i t
 この「シャボン玉」は、野口雨情がわが子を亡くしたときの歌だといいますが、これに異論を唱えた人を雑誌「ナーム」は紹介しています。フォークシンガーの高石ともや(1941年生まれ)さんです。関西方面を拠点に活躍していますが、もう40年ほど前になるでしょうか、私はこの人のナマの歌を聞いたことがあります。

 高石ともやさんのホームページを開くと、以下の言葉が出てきます。

 人生は暗い一面と輝く一面と
 いつでも二つの面がある
 でも明るい方を見ようと努力すれば
 太陽はきっと君を抱いてくれるよ

 飾りっ気のない言葉ですが、ずしんときます。この4行に彼の生き方が凝縮されているのかもしれません。その高石ともやは、「シャボン玉は間引きの歌」だというのです。とくに2段目の――シャボン玉 消えた/飛ばずに消えた/生まれてすぐに/こわれて消えた――という部分は、貧困家庭に生まれた子どもが〝間引き〟された姿を歌ったものだというのです。

 まびき【間引き】とは、「本来は菜、大根など散播する作物の苗を、良好なものを残してその他を引き抜き、良苗の生育を助ける作業を〈間引き〉と呼んだ。おろぬく、うろぬくなどともいう。転じて人間の出生に当たり、虚弱、貧困などの理由で育てえないと考えた赤子を死亡させることにも、この語を用いた。この語はいわばそれについての公称であって、例えば奥羽地方では、おしかえす、もどす、ぶっかえすなど、生まれ出るものを生前の世界、いわば霊界に逆行させる意味の言葉が使われ、関東・中部では薪拾いにやった、魚捕りに行ったなど、葬地や処分法を意味する語が多く用いられた。」(世界大百科事典第2版の解説)

 つまり、人間社会における間引きというのは、貧困などを理由に、生まれたばかりの赤子を殺すことです。

 前回紹介しましたが、この「シャボン玉」の歌が生まれたのは1922年(大正11年)でした。その前、1914年から1918年にかけて戦われた第一次世界大戦の影響はまだ残り、世界の政治・経済は不安定になっていました。その影響は日本にも及ぼし、大正末期から昭和にかけて国民のくらしは厳しいものがありました。

 とりわけ、1929年(昭和4年)の世界大恐慌は失業者がまちなかに溢れ、日本でも深刻な事態に陥りました。生活できないその状況下で、(問題が問題だけに)そのデータは全く残っていませんが、「間引き」が行われたであろうことは容易に想像できます。

 この時代のことを、私は〝シャボン玉時代〟と呼ぶことにしました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
被災地でストレス性潰瘍が増大しているという(東北大病院)。災害は健康をも蝕む。
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2012/10/05 [Fri] 16:17:21 » E d i t
 表題は、バブル経済問題のことではありません。童謡を軸にした大正末期から昭和にかけての話しです。

 シャボン玉 とんだ
 屋根まで飛んだ
 屋根まで飛んで
 こわれて消えた

 シャボン玉 消えた
 飛ばずに消えた
 生まれてすぐに
 こわれて消えた

 風 風 吹くな
 シャボン玉 飛ばそ

 ご存知、野口雨情の「シャボン玉」です。童謡作家としての野口雨情について、「ナーム」(水書房)という月刊誌が10月号で取り上げています。この月刊誌、『ブッダとともに、人とともに』をテーマとして、仏教を通じたものの考え方などを説いています。

 雨情の特集(A5版で6ページ)を読み終えて、その時代背景に興味が湧いて調べてみました。すると意外なことに、現代と似通っていることに気づきました。以下、それらについて考えてみたいと思いますが、月刊誌「ナーム」から若干の引用をお許しいただきたいと思います。この童謡歌「シャボン玉」がつくられたのは1922年(大正11年)のことでした。

 本題に入る前に、野口雨情(のぐち うじょう/1882年5月29日-1945年1月27日)のことを少し紹介しましょう。本名は野口英吉、茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)出身。北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人といわれました。三人は大正末期に活躍します。つまりその頃、童謡がブームになったのです。

 3人のなかで北原白秋と西條八十は軍歌をつくりましたが、野口雨情はつくることをしませんでした。戦争への抵抗がそうさせたようです。もう一人、忘れてならない人がいます。作曲家の中山晋平です。この「シャボン玉」もそうですが、「雨降りお月さん」、「証城寺の狸囃子」など、野口雨情と中山晋平の〝タッグ作品〟はいいものが残っています。

 野口雨情は二人の子供を亡くしています。一人は3歳、もう一人は生まれて間もなくのことでした。この「シャボン玉」はそのときの心情を歌ったものだといわれます。もう一度、この童謡を読み返してみてください。そのこころが分かります。ところがこれに異を唱えた人がいるといいます。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
オスプレイの配備、中国けん制も狙っているのではないか、という意見も。だとしたらより悪質。

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2012/10/04 [Thu] 17:11:24 » E d i t
 昨夜の毎日新聞ウェブが、気になる原稿を流しました。私もルール違反だと思います。こういう報道、もっともっとしてほしいですね。

                         ◇=◇=◇
<オスプレイ>市街地で転換モード 運用ルール違反か
毎日新聞10月3日(水)20時52分配信


 配備先の米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に飛来した垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが、回転翼(ローター)を上に向けた「垂直離着陸モード(ヘリモード)」や、ローターを斜め前方に向ける「転換モード」で宜野湾市街地上空を飛行したことを沖縄県や宜野湾市が確認した。垂直離着陸モードでの飛行を原則、米軍基地や区域内に限るとした日米の運用ルールに反した可能性があり、沖縄県と宜野湾市は今後のオスプレイの訓練時に職員を派遣して飛行状況をチェックすることにしている。【福永方人、井本義親、西田進一郎】

  【オスプレイ運用ルール、その内容は】高度制限「150メートル以上」など

 オスプレイは1日に6機、2日に3機が米軍岩国基地(山口県岩国市)から普天間飛行場に飛来した。

 1日にも市街地上空を垂直離着陸モードで飛行したとの情報があったことから、沖縄県は2日、宜野湾市など4カ所に職員を派遣し、飛行状況を目視調査した。その結果、滑走路の延長線上にある市内2カ所で、垂直離着陸モードや転換モードで飛行したのを確認した。宜野湾市が市役所屋上で実施した目視調査でも、2日は同飛行場東側の住宅地上空を垂直離着陸モードで飛んでいたという。

 オスプレイは4月にモロッコで、6月に米フロリダ州で墜落事故を起こした。いずれも転換モード時だったことなどから、日米合同委員会は垂直離着陸モードでの飛行を米軍基地、区域内に限り、転換モードの時間を短くすることで合意した。

 ただ「運用上必要となる場合は除く」との条件がついており、米軍機の騒音や飛行ルートに関するこれまでの日米合意が事実上形骸化している沖縄では、この条件を理由に当初からルールは守られないとの見方が大勢だった。

 また、運用ルールには、基地への進入・出発経路について人口密集地を避けることも盛り込まれたが、普天間飛行場は市街地の真ん中にあり、市基地政策部は「住宅街を避けるのは事実上不可能」と話している。

 運用ルールに反した飛行の可能性について、玄葉光一郎外相は3日の記者会見で「よく調べたいが、仮にそういう事例があれば事例をしっかり集め、当然ながら合同委でフォローアップする必要がある」と述べ、合意違反が確認されれば合同委で取り上げる考えを示した。
                         ◇=◇=◇

 10月10日(水)18:30から四ツ谷駅前の「主婦会館プラザエフ」4階で、東京法律事務所9条の会が「オスプレイ配備反対県民大会等の報告会」(無料)を開催します。オスプレイ問題を考えるいい機会です。ぜひご参加を。

★脈絡のないきょうの一行
ドクター・中松が『日本維新の会』を商標登録申請。相変わらず面白い人だ。

10801 オスプレイ② 
2012/10/04 [Thu] 11:45:34 » E d i t
 オスプレイは大きさもさることながら、輸送力や速度、飛行距離も大幅アップしています。「防衛省のパンフは、現在の海兵隊ヘリCH46と比べると、最大速度は約2倍、戦闘作戦行動範囲は約4.3倍、武装兵員の輸送が約2倍の24名になり、貨物の搭載量も約3倍になると説明しています。」(前出・パンフ)。この、CH46というヘリは前と後ろにローター(プロペラ)がついている、よくテレビの映像で見かける大型ヘリです。

 問題のオスプレイ、戦闘行為を目的としています。それも中山間部の戦闘を対象にしています。それゆえにレーダーに捕捉されないために、低空飛行が求められているのです。いや逆に、低空飛行でなければ山間部の戦闘行為はできないのです。

 この低空飛行の訓練について、安保条約にもとづいて日米間に協定があります。1991年1月に合意したもので『在日米軍による低空飛行訓練について』がそれです。そこには「戦闘即応体制を維持するために必要とされる技能の一つが低空飛行訓練であり、これは日本で活動する米軍の不可欠な訓練所要を構成する。」と述べています。日本は米軍の低空飛行訓練を事実上、無条件で認めているのです。

 この輸送機、欠陥機であることは以前から言われてきたことです。報道に載った死亡事故だけを拾ってみましょう。92年7月・米バージニア州/7人、00年4月・米アリゾナ州/19人、同年9月・米ノースカロライナ州/4人、10年4月・アフガニスタン/2人――などとなっています。オスプレイが「未亡人製造機」と言われるゆえんです。

 その危険なものを沖縄に配備したのです。しかも訓練は、沖縄だけでなく九州、四国、中国、信越、東北など全国の山間地帯も対象になっています。「危険なものは来るな」という国民の声は当然です。

 にもかかわらず、日本政府は根拠もなく「安全宣言」をだし、沖縄配備を強行したのです。強行の背景に日米安保条約があります。確かに日本政府の言うように、安保条約に基づけば米軍の提案は拒否できません。しかし、こういう危険なものを「国民のいのちよりアメリカが大事」とばかりに、唯々諾々と受け入れる神経を疑います。多くの人たちが指摘するように、日本は明らかにアメリカの植民地です。

 ということは、アメリカから独立するには日米安保条約を廃棄するしかありません。この日米安保条約は、軍事的なものだけでなく、たとえばTPPなどのような経済についても、アメリカに縛られる条約になっているのです。

 それにつけても恐ろしいのは、米国防総省の国防分析研究所で試験・評価部長を務めたレックス・リボロ氏の「オスプレイがヘリモードから航空機モードに変換するためには、12秒かかる。その間に高度は(パイロットのミスがなくても)約500㍍下がる」という証言(前出・パンフ)です。何かを暗示しているのではないでしょうか。

★脈絡のないきょうの一行
衆院決算行政監視委員会が、復興予算の被災地以外の支出について調査(毎日新聞)。徹底的にやってほしい。

10800 オスプレイ① 
2012/10/03 [Wed] 13:11:32 » E d i t
 ブログ、800回の節目です。

 1日に沖縄県民の総意に反して、米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが、沖縄に配備されました。地元の新聞、琉球新報と沖縄タイムスは、号外を出してこの配備を伝え抗議しました。それは文字通り〝怒髪天を衝く〟です。

 この問題を考えてみたいと思います。まず、オスプレイとは何者なのかについてです。

 毎週日曜日の朝、NHKが「さわやか自然百景」という番組を流しています。9月30日のそれは、高知県・横浪半島の海の生態を映し出していました。その映像に「ミサゴ」と呼ばれるタカが一瞬でしたが出てきました。もちろん、ナレーションがあったから分かったのですが、「おっ」と、少しだけですが嬉しく思ったものです。

 この「鶚(みさご)」がオスプレイのことで、魚を主食とする大型で無害のタカのことを言うらしいですね。「らしい」というのは、前述の番組までは見たことがないからです。「タカ科の鳥。全長約55センチ。上面は茶褐色で、頭と下面が白い。翼は細長く、短い冠羽をもつ。水辺にすみ、飛びながら魚を探し、水中に突入して足でつかみ取る。極地を除き世界中に分布。雎鳩(しょきゅう)。州鳥(すどり)。うおたか。」(大辞泉)

 私が日帰りで山に出かけるときに使う小型のザックには、「OSPREI」と刺繍が施されていて、鳥の絵が描いてあります。この鳥、ワシだと思っていたのですが、あれが出てきて以来、タカなのだと認識を新たにしました。

 そんなことはどうでもいいのですが、プロペラ飛行機にも変身するヘリの名前が「オスプレイ」なのです。これを米・海兵隊が沖縄に配備することが、沖縄だけでなく全国で大問題になっているのはご承知のとおりです。この〝怪物〟はどういうものでしょうか。一言でいえば、「大型ヘリ仕様輸送機」ということになるのでしょうか。

 オスプレイがいかに大きなものであるか、比較してみましょう。「全長: 17.47 m(ピトー管含まず)、全幅: 25.54 m(ローター含む)」(Wikipedia)。安保破棄中央実行委員会のパンフは「18.9メートル、27.8メートル」と紹介しています。どの部分を測定するかによって違うのでしょうから、ここは同じ事ということにしておきましょう。

 それに対して、世界で3600機と一番普及している「ロビンソンR22ヘリコプター」というのは、「全長(メインローターを含む)8.76m、全福(メインローター直径)7.68m」(同ヘリ説明のURLより)といいますから、オスプレイの大きさが分かろうというものです。もう少し、イメージを膨らませてみましょう。「R22」は60㎡(20坪弱)程度のマンションの一室に入りますが、オスプレイは25メートルプールの大きさに匹敵するのです。

 15年ほど前になりますが、自衛隊東富士演習場で攻撃用ヘリ・コブラを見たことがあります。操縦者が見えるほどの低空まで飛んできましたが、あの威圧感は忘れられません。25㍍プールほどのオスプレイが低空を飛ぶ様子は、推して知るべし、です。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
原子力規制委員会、しんぶん「赤旗」排除を撤回。当然だけど、自分をしっかり規制してほしいね。

2012/10/01 [Mon] 10:31:16 » E d i t
 早いですね、もう10月になりました。昨日来の台風被害、なかったでしょうか。秋の味覚の収穫期で、それへの影響が心配です。今年もあと3ヶ月、がんばりましょう。

 想定内であったことが可視化されつつあるようです。消費税増税もそうですが、弱いものいじめの政治がここでも行われています。行政の仕組みというか、政治の土台を根本から変えないことには、この種の問題は解決できないように思いますが、あなたのご意見はいかがですか。以下、時事通信のウェブから。

                         ◇=◇=◇
復興予算に「流用」疑惑=被災地優先へ基準見直し―政府
時事通信9月29日(土)15時48分配信

 17兆円に上る東日本大震災の復旧・復興予算が、被災地の再建という本来の目的とはかけ離れた事業に充てられているとの疑惑が広がっている。平野達男復興相が記者会見で「正直に言って使い道としていかがなものか」と疑問を呈し、政府内にも「流用」「便乗」を批判する声もある。財務省は補助金の認定基準などを被災地優先に改める検討に入った。

 岩手、宮城の両県では巨大津波などで発生したがれきの約8割が放置され、福島県では東京電力福島第1原発周辺地域の除染作業が緒に就いたばかり。予算執行の大幅な遅れに対する被災地の不満は強い。

 その一方で、2012年度の復興予算では独立行政法人「日本原子力研究開発機構」の核融合発電研究に42億円が計上された。防災の名目で被災地以外の道路整備や税務署の耐震化工事にも復興経費が充てられている。

 さらに、11年度第3次補正の復興経費として5000億円が計上された工場立地補助金は、被災地以外での工場建設にも支出された。中小企業向けの円高対策という側面もあるが、被災者には釈然としない思いがくすぶる。

 これを受けて、平野復興相は13年度予算編成では「震災の復旧・復興に直結するものに充てるとの観点から厳しく見直す」と表明。財務省も「被災県以外は後回しにするなど国民目線で見ることが重要だ」(藤田幸久財務副大臣)と、予算査定で被災地を優先する姿勢を示した。
                         ◇=◇=◇

 復興予算を余らせる一方で、被災者をないがしろにしたこういう「流用」が行われる。ハラが立って言葉も出ません。この国の行政は、度し難い「権益政治」に成り下がっています。この種の事件における行政の長たる内閣総理大臣の責任は、西欧諸国の場合は絶対的に免れないのですが、この国の〝寛容さ〟はその責任を素通りさせます。ひどいですね。

★脈絡のないきょうの一行
へえー、田中真紀子文部科学相だってね。またあれかい、スカート踏ませるのかい。

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