ヘボやんの独り言
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2012/07/30 [Mon] 16:36:56 » E d i t
 先週金曜日27日は土用の日。ウナギ屋さんには行列ができていました。このウナギ、私が子供のころ、川遊びをしながら獲ったことを思いだします。捕獲方法は〝企業秘密〟ですが、つかまえたそれは生臭く子どもの口には合わず、父が独り占めしてうまそうに食していたことを思いだします。

 そのウナギが絶滅の危機に瀕しています。それを救うにはどうしたらいいか、ウェブで下記の記述を見つけました。考えてみたいものです。以下、少し長いので2回に分けて紹介します。

                         ◇=◇=◇
“世界的ウナギ博士”からの提言 「ニホンウナギを守ろう!」/塚本勝巳(海洋生命科学者)
どうすれば効果ある保全活動ができるのか
PHP Biz Online 衆知 7月27日(金)8時0分配信

 ここ3年間のニホンウナギ資源の激減ぶりをみていると、ただならぬものを感じる。それは大西洋の2種にも匹敵する減り方だ。ヨーロッパウナギは2007年にワシントン条約の付属書IIに記載されて国際商取引が制限されるようになった。また2008年には「国際自然保護連合(IUCN)」の絶滅危惧種としてレッドデータブックに記載されるに至った。

 このままいくといずれ、ニホンウナギも絶滅危惧種に指定されかねない。そうなる前にわれわれはできることから着手してウナギの保全に努めなくてはならない。すなわち、海の彼方の海洋環境についてはひとまず研究レベルにとどめ、人が改善可能な乱獲と河川環境の問題に取り組みたい。

 ウナギの乱獲は卵やレプトセファルスを除くすべての発育段階に及んでいる。ウナギは接岸直後のシラスウナギから、クロコウナギ、黄ウナギ、河川の下りウナギ、さらには沿岸を産卵回遊する銀ウナギまで漁獲される。

 韓国でウナギの資源をめぐって紛争があった。黄ウナギや銀ウナギを獲っている河川組合は河口や沿岸でシラスウナギを獲るシラス採捕組合に「お前たちがシラスを獲るから、俺たちの川にウナギが遡上してこない」となじり、逆にシラス採捕組合は「下りの銀ウナギをもう少し獲らないでいてくれたら翌年シラスが増えるのに」と要求する。結着のつかない水掛け論だ。

 ウナギの生活史はすべての発育段階がぐるっと円になってつながっているので、どこで個体数が減っても最終的には資源減少につながる。逆に資源を増やそうとするなら、生活史の全段階について保護の手当てを払わねばならない。生活史の多くの段階で人びとに利用されつくしている魚であるために、様々な利害関係が生じて、ウナギの保護はひと筋縄ではいかない。人に近すぎる魚であるが故の、難しさである。

 では、どうすれば効果ある保全活動ができるのか。

 まずは、銀ウナギや下りウナギの捕獲制限であろう。産卵回遊の準備を始めた銀ウナギや実際に産卵のために降海中の下りウナギを1匹でも多く産卵場に返してやることで、次世代の資源のかさ上げにつながる。人工種苗生産の技術がまだ実用化されておらず、今後もしばらくは、養鰻業の種苗を天然のシラスウナギに100%依存しなくてはならない現状を踏まえると、今の時点でシラス漁業は続けざるを得ない。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
「特需なき五輪、売れないテレビ」(産経新聞)。消費税増税対策が庶民に始まったのでは?
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2012/07/27 [Fri] 11:46:09 » E d i t
 いよいよ最終日3日目、8月9日。

 台風は関東地方の海上を東側に進み、北アルプスには直接的な影響を及ぼさなかった。東京は雷雨となり、板橋区では雷に当たって死者もでたという。しかし、ここ黒部湖は青空が見えるくらいの好天で、安心して出発だ。まず、黒部湖の針の木谷側にある渡船場をめざす。梯子の登り降りを繰り返すなかなか厳しい道だ。ヒュッテを先に出た前日の4人組みさんをまたしても追い越す。渡船場には渡しの時間より1時間ほど早く着き、その時を待つ。

 ここの渡し賃は何故か無料だ。渡船後、船頭さんにお礼を言って今度は「平ノ小屋」側の山道を黒部ダムへ向けて歩く。この道もまた、梯子が多数待ちうけており気分的には嫌気がさす。途中、風通しのいい場所を選び奥黒部ヒュッテで作ってもらった弁当を開ける。これがすこぶるうまい。体調がいい証拠でもある。途中の沢の水も冷たくてうまい。前日の「水不足」がウソのようだ。

 最後の休憩地「ロッジくろよん」で一休み。ここから先はコンクリートのゆるやかな道となっており、黒部湖までの客も散歩できる状態で何人かに出会う。ダムはちょうど放流を開始したところで、下流にはきれいな虹が立っていた。それを見ながら、黒部側のバス停に急ぎ、扇沢に戻っていつもの大町温泉・薬師の湯で汗を流し帰路についた。3日間、ひたすら歩いた山行であった。

*徒歩総時間・1日目/2006年8月7日(7時間15分)、2日目/8日(10時間10分)、3日目/9日(5時間50分)

・第1日目/高瀬湖(5:55)-(途中休憩10分×3回)-烏帽子小屋(10:35 11:10)-(途中休憩10分×3回)-野口五郎小屋(14:25)泊

・第2日目/野口五郎小屋(3:00)-野口五郎岳(3:20)-(途中休憩10分×3回)-水晶小屋(6:20 7:15)-水晶岳山頂(7:53 8:20)-(途中休憩10分×3回)-赤牛岳山頂(11:20 11:40)-(途中休憩10分×5回)-奥黒部ヒュッテ(16:20)泊

・第3日目/奥黒部ヒュッテ(7:25)-(途中休憩10分×2回)-平ノ船着場(9:20)-船着場・平ノ小屋(10:30)-(途中休憩10分×2回、昼食休憩20分)-ロッジくろよん(14:30 14:50)-黒部湖バス停(15:25)
                         ◇=◇=◇

 今回で百名山報告は終わりますが、報告は合計161回となりました。1冊の本にすれば、深田久弥のそれよりも分厚いものになりそうですが、おつきあい、ありがとうございました。改めてお礼を申し上げます。

 振り返ってみると、百名山の最初に登ったのは瑞牆山(みずがきやま・山梨県)で1992年9月15日のことでした。最後が今回報告の2006年8月8日ですから、丸14年かかったことになります。ずいぶんと長いたたかいだったような気がします。「一番良かった山はどこか」ということをよく聞かれます。私は躊躇せず、岩手山と答えています。

 高山植物で印象に残っているのは、花の宝庫・白山を筆頭に、北海道の旭岳、岩手県の早池峰をあげることができます。白山はクロユリ、旭岳はエゾイチゲ、早池峰はハクサンチドリ……など、その愛らしさに時間の経つのを忘れそうでした。

 百名山の報告はここまでですが、今後は違う山も紹介していきたいと思っています。これからもよろしくお願いいたします。

★脈絡のないきょうの一行
五輪サッカー男子予選で日本、スペインに金星。なでしこだけでなくこちらにも注目を。

2012/07/26 [Thu] 10:19:46 » E d i t
 北西方面には薬師岳が大きな塊となっており、北側にはこれからアタックする水晶岳が手招きしている。その向こう側には赤牛岳が、さらにその遠くには立山が側面から姿をさらしている。北東方面には針の木岳があり、さらに東側に目を移すと、きのう歩いた稜線と野口五郎岳が同定でき、その先の南東方面には餓鬼岳、燕岳、大天井岳の稜線がうっすらと見え、南側の槍ヶ岳に戻って来る。これは見事な景色である。北アルプスの全容を見せてくれる、360度のパノラマは見飽きることがなかった。

 われわれが食事中、先に出て行った野口五郎小屋からの4人組みを再度追い越して、午前7時53分、水晶岳に到着だ。記念写真を撮る準備をしている間に登山者が次々とやってくる。「100名山達成」のメモを持って写真を撮っていると、「記念に一緒に入っていいですか」と野次馬たちが要請してくる。断る理由もなく、狭い山頂で苦労しながらの撮影であった。

 水晶岳の山頂をあとにして、次なる赤牛岳へ急ぐ。ガレ場あり、砂場ありの歩きにくい道ではあったが、Kさんのスピードが少し落ちている。疲れが出てきたのだろうか。赤牛岳は深いところに位置する。北アルプスの中で、どのコースを歩いてもどこかに1泊しなければ到達できない山である。その魅力が昨年、鷲羽岳まで来たときに「水晶と赤牛を一緒に登りたい」とかき立てられ、敢えて水晶岳を100番目の山にした次第だ。高天原山荘への分岐、温泉沢の頭を経て赤牛岳に到着だ。

 赤牛岳の山頂には黒部湖方面からやって来た、先客一人がいるだけだった。ここまで足を伸ばす人は少ないのだろう、水晶岳山頂の賑わいとは大違いだ。山頂でゆっくり休みたいと考えていたが、台風の影響かもしれないが空には雲が広がり妖しげな様子となってきた。雨はどうでもいいが、雷が発生したら怖い。これから下る読売新道の稜線の半分は樹木がなく、避難場所もないからだ。

 急ぐが勝ち、とばかりに先へ進むことにする。次なる目標は、本日宿泊予定の奥黒部ヒュッテだ。コースタイムで5時間の長丁場になる。確かに地図には「健脚向き」と書いてあるだけあって、下りといえども厳しいものがあった。樹林帯に入ってからは風もなく、うだるような暑さとのたたかいともなり、足取りも重くなる。水筒の水もほとんど底をつき、不安がよぎる。やっと沢の音が大きくなり、目的地が近づいたことを教えてくれる。

 ヒュッテには午後4時20分に到着した。赤牛岳からは休憩を入れて、4時間40分でありこれは疲労が大きかった割には早いタイムである。野口五郎小屋を出発して、実に13時間20分であった。ヒュッテに入ったら、思いがけずお風呂に入ることができた。疲れた身体にはありがたかった。後から到着した4人組みは、日暮れ前のわれわれより2時間遅れであった。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
中央最低賃金審議会、目安として時給7円の増額を決定。1000円にほど遠く、ここでも民主党はマニフェスト違反。
2012/07/24 [Tue] 16:22:05 » E d i t
 野口五郎小屋に近づいたところで雲行きが怪しくなりはじめ、ゴロゴロと遠くで雷鳴が響きはじめた。雷は怖い。どこから「攻撃」してくるかわからないし、稜線上では逃げる場所もない。これは危ないと、先を急ぐことにする。高瀬湖から8時間半、この日の宿泊所・野口五郎小屋に到着である。

 小屋に着いたら早速、台風情報を聞く。台風は大きく東側に反れて、明日は紀伊半島あたりに上陸するかもしれない、という。これは少々危ない。時間が経つほどこちらに近づくことになる。早め早めの行動が要求される。

 夕食後、小屋周辺を散歩した。歌手、野口五郎の名前の由来ともなったその山頂が見える。天気が良ければ大天井(おてんしょう)岳も見えるというが、ガスが邪魔しやっと燕(つばくろ)岳と、その根っこに赤い屋根をつけた燕山荘(えんざんそう)が臨める程度であった。小屋で同室になった関西方面から来たらしい4人組みも、われわれと同じように明日は水晶岳から赤牛岳を経て、読売新道を下るという。お互いにがんばりましょう、と激励しあって就寝した。

 2日目。

 同室の人たち4人は、予定どおり午前2時に出て行った。こちらは1時間遅れで出発だ。ヘッドランプを頼りに、まず野口五郎岳の山頂に着く。暗い中で記念写真を撮って前進だ。山頂から小1時間で明るくなりライト・オフである。真砂岳を巻いて湯俣への分岐に出たところで、眼前に槍ヶ岳が現れた。左側から朝日を浴びて、神々しさに拍車がかかっている。

 東沢乗越(のっこし)から目前の岩稜を登りきったら、本日のメーン・水晶岳が現れた。その右手先に赤牛岳がはっきりと同定できる。この辺りから太陽が射してきて暑さを感じるようになる。水晶小屋は見えているのだが、なかなかそこに届かない。陽射しを背中で受けて、急登をしのいだら小屋前である。そこには野口五郎小屋を先に出発した4人組みが休んでいた。3時間20分で追いついたことになる。

 水晶小屋前で、前夜作ってもらった朝食弁当を開ける。槍ヶ岳と穂高岳山塊、鷲羽岳の広々とした景色を見ながらの朝食は贅沢そのものだ。天気は台風がどう動いているのか分からないが、青空が広がってきており、ほっとする。

 朝食が終わったら、いよいよ100番目の水晶岳にアタックだ。水晶小屋までは長野・富山両県の県境を歩いてきたが、ここからは富山県側に入ることになる。小屋を後にして10分足らずで見通しのよい稜線についたら、ここがすばらしい絶景であった。南側に昨年登った鷲羽岳がデンと構え、その向こう側に槍ヶ岳と穂高山塊がたたずんでいる。西側に旋回すると三俣蓮華岳の先に、特徴ある形をした笠ヶ岳が立っている。さらに西方向に回ると今度は雪をしっかり抱いた、黒部五郎岳のカールが綺麗だ。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
尖閣諸島を国が購入することに賛成。ついでに普天間の代わりにアメリカに貸したら?

2012/07/23 [Mon] 11:26:37 » E d i t
 いよいよ100番目です。この山は2006年8月7、8、9の3日間の行程で踏破しました。しかも赤牛岳、野口五郎岳という名山も一緒に。3日間の徒歩総時間は23時間15分となり、体調はクタクタになったものの、台風襲来はなんとか回避してくれ、天気に恵まれ絶好調の山行となりました。以下、その報告ですが私が作った冊子をそのまま掲載させていただきます。「である調」になっていますが、ご了解ください。

                         ◇=◇=◇
 今回の山行で、深田久弥が記した「日本百名山」全山の頂を踏むことができた。1992年9月に瑞牆山(みずがきやま)から始まって、ちょうど14年目である。ということは、「月1登山」の目標も、着実に積み重ねていることになる。この目標が到達できた背景に、家族の理解があったこと、そして、健康であったればこそ、を忘れてはなるまい。

 百名山達成にKさんが伴走してくれることになり、二人旅だ。前夜は長野県の「扇沢」で仮眠、7日午前5時、予約してあったタクシーで烏帽子岳の登山口・高瀬湖の上部まで車で入った。この湖はコンクリートではなく大きな石を積み重ねて作ってあり、ダムのイメージがまるで違う。タクシーから降りて、備え付けのベンチの上で朝食をとる。湖面にはかなりの量の流木が浮いており、放水時に障害にならないのかと、心配したほどだ。

 朝食が済んだら、歩き出しだ。とりあえずの目標は烏帽子小屋である。ここからの道は、北アルプス三大急登(中房温泉から燕岳への合戦尾根、新穂高から笠ヶ岳への笠新道、高瀬湖から烏帽子岳へのブナ立尾根)と言われるその一つ「ブナ立尾根」を歩くことになる。濁沢までの40分は平坦な道であったが、ここから急登の苦しみが始まった。

 樹林帯を歩く関係で風もなく、蒸し風呂状態の中を前進することになる。天気は台風7号が発生したというものの、夏特有のジリジリした太陽が容赦なく照りつける。何回かの休憩を繰り返し、やっとの思いで烏帽子小屋に到着である。苦戦はしたものの、ここまでは地図のコースタイムは6時間となっているが、休憩を含めて4時間40分で登りきったから上出来だ。

 当初予定は、烏帽子岳をピストンしこの小屋に泊ることになっていた。しかし、台風が近づいていることもあり先へ進んだほうが得策と判断、烏帽子岳をパスして野口五郎小屋を本日の宿舎にすることに変更、前進である。進行方向はガスで覆われていたが、稜線歩きで風があり、ブナ立尾根よりも楽であった。

 三ツ岳の中腹にさしかかったとき、目の前に動くものを発見。ライチョウである。親鳥が4羽、小ども鳥が5羽の2家族らしい。後ろからやって来るKさんにそっと教え、カメラをザックから取り出す。親鳥は子どもの動きをしきりに見つめている。が、私には見えるのだが、木に隠れて1羽が見えにくい場所に動いたらしい。それを探すために親鳥は必死に鳴きながら、ハイマツの上を走り回っていた。子どもを持つ親の、本能・本来の姿を見せつけられたような気がした。ライチョウの家族を何コマかカメラに収めて前進だ。(次回につづく

★脈絡のないきょうの一行
国民の反対を押し切って「オスプレイ」を岩国基地に強行搬入。そこでクイズ。野田内閣、これでいくつ目の強行でしょうか。
2012/07/20 [Fri] 00:20:32 » E d i t
 年に一度あるかないかということを、昨日やってしまいました。「週刊文春」を買ってしまったのです。電車内の吊り広告を見て、衝動的に買ってしまったのです。

 なぜ衝動的になったのかというと、「橋下徹大阪市長は スチュワーデス姿の 私を抱いた!」という見出しが躍っていたからです。

 作家の松本清張さんは、小説のなかで男女のセックス描写をあまりしない人でしたが、その理由を「性生活は日常的だから」と言っています。つまり日常的なことを書いても面白くない、というのです。私もこの意見に同感です。他人のセックスを揶揄したり、〝論評〟したり、覗き見するのは体質的に受けつけません。にもかかわらず、セックス記事の載っている週刊誌を衝動買いしたのです。

 なぜか――。「スチュワーデス姿」という言葉に惑わされたからです。以前、小ブログで紹介したことがありますが、スチュワーデスというのは「ブタ小屋の番人」という意味です。ということは、橋下大阪市長はブタ小屋の番人が好きなんだ、面白い人なんだなー、という連想をしてしまったのです。

 何故、ブタ小屋の番人が好きなんだろうという、ミーハー的興味がムクムクとわき上がり、不覚にも出勤途上の乗換駅、地下鉄大手町の半蔵門線ホームの売店で週刊文春に手が伸びてしまったのです。

 こんな言い訳的自己批判しても面白くありませんので、コトのついでにこの記事の〝内容〟を紹介しましょう。記事は大阪・北新地の高級クラブに勤めていた元ホステスが橋下さんと出会って、ホテルに行くまでの関係になった経過を語ったものです。そのホテルでスチュワーデスの制服に着替えた彼女に橋下さんはたいそう喜んだ、というおはなしです。世の中には数え切れないくらいよくある話しですが、男性が有名人になってしまったから記事になったのでしょう。

 詳細について興味のある人は、380円を出して読んでください。この記事で面白いと思ったのは、文春側は告白者の話しの裏づけを実によく取っていることです。最初に会ったというクラブ、橋下さんに連れて行ってもらったというレストランや有名和食店、何回か泊まったというホテル、そのホテルにスチュワーデスのコスプレが置いてあったという事実、などなど周辺取材・証言は細やかです。これは橋下さんから告訴された場合の用意周到さの表れでしょう。橋下徹さんがブタ小屋の番人を好きになったらしい、と同じくらいこの記事の書き方に興味を持ちました。

 さて、記者会見で毎日放送の女性記者を1時間余にわたって〝批判〟しつづけた、いや、いたぶり続けた橋下さん、今度は貴方が批判される側になりそうです。この文春記事にどう対応するのでしょうか。ワタクシ的には随分昔、宇野宗佑という総理大臣が同種問題で辞任したことがあり、とってもワクワクしています。

★脈絡のないきょうの一行
不倫報道で橋下市長「市長職つづける」(読売ウェブ)。横山ノックはセクハラで知事を辞めたけどねー。
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2012/07/18 [Wed] 16:22:03 » E d i t
 16日の代々木公園の原発反対集会は17万人が集まり、いのちの大切さを訴えました。立錐の余地なし状態の代々木公園。よくぞ集まりました。この声は単なる「音」なのでしょうか、野田佳彦総理大臣殿。

 前回のつづきです。下山はピストンです。ところが、花之江河の手前で後から歩いていたOさんとMさんは道を間違え、黒味山方面へ進んでしまいました。花之江河でSさんとひたすら待つこと1時間半、道迷いに気づいた2人と合流できました。

 ここから登山口までは一気です。ホテルにもどって、ゆったりと風呂に浸り夕食は外でとることにして出かけました。屋久島の夕風は涼しかった。小さな小料理屋を見つけ、そこに入り屋久島の名物・首折れサバを食することができました。

このサバは、関サバと同じように貴重なもので一本釣りです。釣ったあと、血を抜くために首を折ることからこの名がついたといいます。一本釣りですから天気が悪いと船が出せず、消費者のところに回ってきません。この日はタイミングがよく、プリプリした鯖とは思えない食感を愉しみました。

3日目。島を経つのは午後ですから、島内見学をとガジュマル園と白谷雲水峡を訪ねました。

 白谷雲水峡は、宮崎駿のアニメ「風の谷のナウシカ」の舞台になったところだといいます。ゆったりと滝を流れる水、緑色に染まった木々、あくまで澄み切った川の流れ、立派な杉の木立――。アニメに出て来るあのシーンそのものです。

 時間があったので少し歩こうということになり、縄文杉への登山道を1時間ほど進みました。樹齢1000年を超える縄文杉は惚れ惚れするほど立派です。白谷雲水峡の駐車場から往復2時間程度のこの散歩、ぜひおすすめです。

                         ◇=◇=◇
 今年の5月27日、この100名山報告が終わるまでに縄文杉を訪ねたい、という思いが実現しました。このときは白谷雲水峡からではなく、トロッコの軌道がある荒川登山口からチャレンジしました。例によって、朝から雨。同行のSさんと2人でひたすら歩き続けました。

 午後になって雨はやみましたが、軌道の枕木は気を許すと滑り慎重さが要求されます。ウィルソン株内の広さにびっくりし、ある方向から見るとハート型になっているところも確認できました。縄文杉の前はさすがに人だかり。この杉を撮影するために買った超広角レンズが役に立ったことはいうまでもありません。徒歩総時間・8時間10分は、65歳になったこの身にこたえました。

 紙数がありませんので、この縄文杉の詳細報告は機会があれば改めてさせていただきます。

*徒歩総時間(2003年5月9日)・7時間05分
淀川登山口(5:40)-淀川小屋(6:15)-(途中休憩15分)-花之江河(7:40 7:50)-(途中休憩20分)-宮之浦岳山頂(10:15 10:45)-(途中休憩15分)-花之江河(12:15 13:55)-淀川岳登山口(15:25)

*参考・縄文杉/2012年5月27日/徒歩総時間・8時間10分
荒川岳登山口(5:30)-白谷雲水峡分岐(6:50)-大株歩道入り口(8:05 8:20)-ウィルソン株(8:45 9:00)-休憩(9:35 10:00)-縄文杉(10:55 11:15)-ウィルソン株(12:30 12:45)-大株歩道入り口(13:05 13:15)-白谷雲水峡分岐近くトイレ(14:10 14:25)-事業所跡(14:50 15:00)-荒川登山口(15:45)

★脈絡のないきょうの一行
大飯原発の下に活断層。隠していたのだろうが、ガソリンスタンドでストーブを焚いているようなものだ。

2012/07/16 [Mon] 07:41:37 » E d i t
 きょうは、「原発ゼロ」を課題に12時30分から、代々木公園で『10万人集会』が開かれます。さまざまな団体が寄り合って、「原発なくせ」の一点で一日共闘を繰り広げます。いのちを守るたたかいにイデオロギーは不要です。私も参加します。

 宮之浦岳報告のつづきです。ホテルから登山口まで車で1時間15分程度。それでもまだ薄暗いのですが、登山者が次々とやってきます。途中で拾った山姥(その姿が似ていたので、そういう名前にしました)は先に出ていきました。われわれはザックを少しでも軽くしようと、朝食を済ませて5時40分にスタートです。

 九州地方の日の出は、東京と比べると1時間ほど遅くなります(したがって、日の入りも遅くなります)。この時間帯は東京でしたらヘッドランプは不要ですが、屋久島では1時間ほど使うことになりました。

 歩き始めは、小雨がしょぼついていました。「1年366日雨が降る」と言われるほど、雨の多い屋久島としては当然のことでしょう。それだからこそ、杉の木が育ったともいえます。そのしょぼつく雨を縫って、最初の目標点である淀川小屋に向かいます。1時間足らずで小屋を通過、次の目標点の花之江河に急ぎます。

 この花之江河に着いたあたりから、雨は上がりました。いや、雨が止んだというより私たちが雨雲の上に出た、ということのようです。陽が射し始め、振り返ってみると登山口方向は雲に覆われていたからです。ここからは雨具も不要で快適です。が、今度は暑さとの戦いとなりました。

 しかし、ほかの山と違うところは水が豊富なところです。途中の沢でたくさんの水をいただきました。水の飲み放題です。これも雨の多い島の恵みです。高原状の場所に出たところで、遠くにピンク色が見えました。登山道から100㍍ほど外れているのですが、どうもシャクナゲのようです。先頭を歩いていた私は好奇心よろしく、クマザサをかき分けて近寄ってみました。

 ビンゴです。ヤクザル、ヤクシカにつづいてヤクシャクナゲに面会です。5月の上旬ですから時期的にはまだ早いはずですが、すぐそばの岩が太陽を反射して熱をもたらし、それが、早咲きの遠因となっているようです。急いでカメラのシャツター押したのはいうまでもありません。

 宮之浦岳の山頂には5、6人の先客がいました。天気は上々です。しかし、下界を見下ろせばそこは雲海に覆われており、海を臨むことはできません。西側には男性的な永田岳がスックと立っています。縄文杉方面は、緑色につつまれていました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
豪雨による九州地方の大被害、人間は自然の力に適わないのか……。やるせない。
2012/07/13 [Fri] 12:40:38 » E d i t
2012/07/13 10763 百名山報告99宮之浦岳(1,936M)①
 しばらくお休みしていた百名山報告は、99番目となりました。深田久弥が記した「日本百名山」では宮之浦岳が一番南にあることから、ここが100番目になっています。しかし私が最後に登ったのは北アルプスの黒岳(水晶岳)だったことから、宮之浦岳を先に報告させていただくことにします。了承ください。

 九州最高峰のこの山にチャレンジしたのは、2003年5月9日。ゴールデンウィークは込み合い、交通費も高くなることから少しだけずらして、4人で出かけました。先輩のOさんと女性陣MさんとSさん。この4人、よく一緒に九州や北海道を歩いた間柄です。

 前日、8日に屋久島入り。羽田から鹿児島空港、さらに屋久島空港へと乗り継いでここでレンタカーをゲット。飛行機利用だったことから屋久島に到着したのは昼過ぎと早目。それではと登山口の確認から始まりました。

 島の南側に位置する安房(あんぼう)から、推定樹齢3000年という紀元杉の前まで一気に前進。途中、シカとサルに出会いました。「ヤクザル」と「ヤクシカ」です。両方とも本州のそれと比べると少し小ぶりです。紀元杉は立派です。見上げるほどのその姿に圧倒されます。この少し先に川上杉がありましたが、紀元杉の迫力にはかないません。2本の杉を見て、淀川登山口まで車を走らせました。

 淀川と書いて、ヨドゴウと読ませます。その由来は分かりません。登山口と駐車場を確認し宿に向かう途中、Mさんの提案で「屋久杉ランド」を歩いてみることにしました。樹齢1000年を超える杉だけを「屋久杉」というだけあって、立派な杉並木にため息が出ます。吊り橋なども設置され、変化もあり楽しみながら歩きました。宿泊は宮之浦港に近いところにあるホテルです。

 2日目、5月9日。

 ホテルで朝食は弁当を作ってもらい、それを持ってまだ暗い午前4時にスタートです。前日下見をした安房から淀川登山口をめざします。すると、大きなザックを持った登山者が手を振っているではありませんか。何事かと運転していた私は慌ててブレーキを踏みました。

 車のライトで見た瞬間、男の人かと思ったのですが女の人でした。聞いてみると淀川まで乗せて欲しいと言います。5人乗りの車ですから、詰めればなんとかなります。一人分の負荷が増えた車は、重そうに登山口まで走りました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
「国民の生活が第一」党誕生。古ぼけた家をちょっとリニューアルして、新たな装いをしただけ。中身の変化に期待薄。

2012/07/11 [Wed] 13:44:35 » E d i t
 これはひどい。もっとも基本となる捜査もせず配達員を逮捕。33日間にわたって身柄を拘束し続けた警察と検察。犯人と〝決めてかかる〟取り調べがいかに危険か、あの人たちは学んだはずです。にもかかわらず同じことを。以下、毎日新聞ウェブから。

                         ◇=◇=◇
<横領公判>大阪地検、無罪求める論告 即日無罪判決
毎日新聞7月10日(火)12時17分配信

 宅配ロッカーから配達物を横領したとして業務上横領罪に問われたアルバイト郵便配達員の男性被告(24)の公判が10日、大阪地裁(福島恵子裁判官)であり、検察側は「男性の犯行とは証明できない」として無罪を求めた。検察側の無罪論告は極めて異例で「33日間にわたり身柄拘束し誠に申し訳ない。今後このようなことを起こさない所存です」と謝罪した。福島裁判官は同日午後、無罪判決を言い渡した。

 ロッカーの開閉などを感知するセンサーの記録が立証の柱だったが、公判で記録時刻の誤りが判明した。弁護側は「犯人と決めつけられ強引な捜査が行われた。他の証拠を集める様子もなく自白を求められた」と述べ、刑事補償を求める方針。

 弁護人や起訴状によると、男性は11年6月24日、車のルームミラー(5390円相当)を大阪市内のマンションに配達した際、相手が不在だったため、午後2時48分ごろにマンションの宅配ロッカーに配達物を入れたが、その直後に持ち去ったとして、大阪府警が同年9月に窃盗容疑で逮捕、大阪地検が業務上横領罪で起訴した。男性は否認していたが、保釈されるまで約1カ月間、勾留された。

 公判で検察側は、配達物がロッカーから取り出された際にセンサーが記録した時刻が午後2時48分だったと主張。配達物を入れた時刻と出した時刻が同じだとして、男性が持ち去ったと認定した。これに対し男性は「ロッカーに配達物を入れた後、扉を閉めることができず、そのまま帰ったが持ち去っていない」と反論。このため地裁は検察側に補充捜査を求めた。

 検察側が今年6月、ロッカーのセンサー記録システムの設計者に尋ねたところ、扉を閉めずに放置すると、配達物が取り出されても、扉を閉めずに放置した時刻が誤って記録されることが判明した。【渋江千春、堀江拓哉】
                         ◇=◇=◇

 大阪府警の刑事総務課長は「このような事態を招いたことについて、申し訳なく思う。今後、十分な捜査を尽くし、二度とこのようなことを起こさないよう努める」とコメントした(毎日)といいますが、謝って済むのならケイサツはいらない!

★脈絡のないきょうの一行
東日本大震災被災者の介護保険と利用料の減免措置、9月で打ち切り。ここでも冷たい政治。
2012/07/10 [Tue] 16:04:18 » E d i t
 他紙と若干トーンが違っていたのは日経でした。社説の見出しだけで分かります。「事故調報告を原子力改革の第一歩に」としているからです。原発推進の日経らしい、といえばそれまでですが報告の中身についてはほとんど触れず、関連法整備による原子力行政の推進を主張しています。あの人たちが『改革』という単語を使うときは危ない、と私は主張してきましたが、今度は原子力政策に出てきました。またしても怪しい。

 日経の社説で不思議に思ったのは、脈絡なく福島県に対する批判が出てきたことです。「原発事故とは知らずに避難した住民がいたことが事故調の調べでわかった。防災体制の不備は、過酷事故の発生に目をつぶった『事なかれ主義』が原因だ。政府だけでなく福島県にも責任がある。」としているところです。

 この指摘、私には的外れに思えます。原発事故とは知らずに避難した人がいたことは、情報を隠した政府に責任のあることです。むしろ福島県は、被害者だったのではないでしょうか。このような責任転嫁の背景には、「原発ノー」を主張する佐藤雄平福島県知事への〝暗黙の批判〟が隠されているように思うのは、私だけでしょうか。

 今回の報告書が、当面する原発再稼動にどう生かされるか、これが最大の問題です。再稼動に関して明確に反対の立場を主張しているのは、東京と毎日だけでした。「暫定的な安全基準で大飯原発の再稼働に踏み切った政府も、報告書の重みを読み取ってほしい。報告書は真っ先に訴えている。『福島原子力発電所事故は終わっていない』と。」(東京)。

毎日は、「報告書が言うとおり、福島原発事故はまだ収束しておらず、被害も継続している。国会事故調は個々の原発の再稼働に関する審議は見送ったが、報告書の指摘事項の再検討なしに、再稼働が認められることがあってはならないはずだ。」と、社説を締めくくっています。

 それにつけても情けなかったのは朝日の社説。「全原発見直しに生かせ」と見出しは元気いいのですが、事故調報告のどういうところを生かすのかの言及が一行もありません。どうしたことでしょう。社説掲載が1日遅れてしまったために、〝寝ぼけ〟たのでしょうか。小ブログで朝日の引用が一行もないのは珍しいことです。

 今回の国会事故調につづいて、次は政府事故調の報告の番です。8月中には答申することになっています。どういう中身になるか、楽しみに待ちましょう。それにつけても、大飯原発の再稼動は、これらの報告が行われてからそれをもとにして検討に入る、というのが手順だったのではないでしょうか。「稼動ありき」から始まったその対応に、改めて憤りを感じます。

★脈絡のないきょうの一行
〝恩赦〟〝特赦〟の大安売り、鳩山由紀夫元代表の懲罰期間の短縮。さすが政治同好会・民主党。

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2012/07/09 [Mon] 12:16:05 » E d i t
 金曜日に定例化した「原発再稼動やめろ」の官邸抗議行動に、6日夜、仲間たち6人と参加しました。ところが、所用を済ませて官邸近くに到着したのが午後7時を過ぎてしまい、道路を封鎖した機動隊に阻止され、官邸に近づくことすらできませんでした。やむなくそこから引き返しましたが、それでも雨の中、たくさんの人が集まってきていました。間違いなく「いのちを守れ」の声は、広がりつつあります。

 本題にもどります。事故調報告に関する各紙の社説をみてみましょう。6日には読売、毎日、東京、産経が、7日に朝日と日経が掲載しました。これらをみながら考えてみます。各社社説に共通しているのは、あの事故は「人災であった」という報告を重視している点です。

 読売は冒頭から「国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会が、報告書で『事故は自然災害ではなく人災』と結論づけた。政府と東電は、厳しく受け止めるべきだ。重大事故は起こらないという『安全神話』と決別し、原発の安全性向上に全力を挙げねばならない。」と厳しく指摘しています。

 毎日は報告書の結論部分を引用し、さらに手厳しい。「事前に対策を立てる機会が何度もあったのに実行されなかった。根本的原因は、日本の高度経済成長期にまでさかのぼった政府、規制当局、事業者が一体となった原子力推進体制と、人々の命と社会を守るという責任感の欠如にあった−−。」

 大飯原発の再稼動は、まさにこの報告書に真っ向から反しています。人々の命と社会を守るという責任感はカケラも見当たらないからです。同じ過ちを繰り返すこの愚挙に対抗する、「金曜日官邸抗議行動」は国民の生きる権利の主張です。よもやこの行動に、警察権力による弾圧はないでしょうね、野田さん。

 事故原因について東電は想定外の「津波」を主張してきました。しかし事故調査委員会は「地震」であった可能性を示唆しています。各紙ともこの問題を取り上げていますが、東京はかなりのスペースを使っています。紹介しましょう。

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 東電は、事故の直接的原因について早々と「津波」であるとしてきたが、国会事故調はこれに大きく異を唱えた。「1号機の地震による損傷の可能性は否定できない」と指摘した。地震による損傷が起きていれば、他の原発でも危険性があることを意味し、東電だけでなく全国の原発で耐震強化といった問題がでてくる。

 事故のカギを握る重要な機器類は高線量で検証することができない原子炉建屋などにあるため、国会事故調は引き続き第三者による検証を求めた。だが、実証なしに原因を「想定外の津波」に限定しようとする東電の責任回避の姿勢は明らかだ。そこに、安全対策より経営コストを優先させようとする経営姿勢が透けて見える。
                         ◇=◇=◇

 他の原発の地震対策への警鐘、東電の経営姿勢への批判は、的を射ており見識です。(次回に続く)

★脈絡のないきょうの一行
11日に小沢新党結成、大阪維新の会に秋波(読売ウェブ)。やはりねー、維新の会にねー。

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2012/07/06 [Fri] 15:52:33 » E d i t
 昨日、東京電力福島第一原発事故に関する「国会事故調査委員会」(黒川清委員長)が最終報告書を発表しました。その中身について、メディアの第一報は「当時の菅直人首相ら官邸の初動対応を『現場介入を頻繁に繰り返した』と批判。」(朝日)など、官邸の対応を批判するものが多くなっていました。

 官邸批判は否定しませんが、もっと大事なことがあります。それは「なぜ地球全体を汚染する大事故になったのか」という点です。なんだか一番大事なその部分を隠しているようにも見受けられました。きょうの各紙の社説をみながら、この報告の内容を考えてみます。

 その前に、この委員会のメンバーを紹介しておきます。以下。

委員長
 黒川  清(医学博士、東京大学名誉教授、元日本学術会議会長)
委員
 石橋 克彦(地震学者、神戸大学名誉教授)
 大島 賢三(独立行政法人国際協力機構顧問、元国際連合大使)
 崎山比早子(医学博士、元放射線医学総合研究所主任研究官)
 櫻井 正史(弁護士、元名古屋高等検察庁検事長、元防衛省防衛監察監)
 田中 耕一(化学者、株式会社島津製作所フェロー)
 田中 三彦(科学ジャーナリスト)
 野村 修也(中央大学大学院法務研究科教授、弁護士)
 蜂須賀禮子(福島県大熊町商工会会長)
 横山 禎徳(社会システム・デザイナー、東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム企画・推進責任者)

 委員のみなさんが日常的にどういう活動をしているか、調べればわかることですが敢えて割愛します。ご存知の方、このブログへの書き込みなどをお願いしたいと思います。

 委員会は昨年12月に設置され、昨日まで20回の開催となっています。この種の調査委員会としてはスピーディーでしたし、その内容も東電の経営者、管元首相なども含め38人の参考人を招致、延べ1167人の関係者とヒヤリングを行い、その時間は900時間を超え多面的になっています。

 調査委員会の会議録や活動については、インターネットで「国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」を検索すれば詳しく出てきます。参考人との一問一答や、委員会の議論についてきちんと掲載されています。情報公開、という点では評価できます。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
きょうも官邸前で原発再稼動の抗議行動。「金曜日に政治を変える」そんな取り組みにしたい。

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2012/07/04 [Wed] 11:26:17 » E d i t
 私の予想が見事に的中しました。万馬券並みです。カネにならない予想でしたが、なんだか嬉しいですね。パチンコ依存症は大当たりの瞬間、アドレナリンが放出されそれが快感となり忘れられないことから起きる、といいますが、そんな気分なのかもしれません。

 何が的中かというと、衆議院議員の小沢グループに対する除名処分です。民主党はやっと昨日、小沢一郎氏をはじめ消費税増税に反対した造反議員37人に除名(除籍)処分を決めました。参議院の離党者は採決に至っていないということで、離党届を受理する形を取りました。その返す刀で、消費税法案に反対した鳩山由紀夫氏は権利停止6ヶ月、造反したが離党しなかった議員は同2ヶ月(何故このような差が出るのか理解に苦しむが)という処分を出しました。

 これでやっと「同好会」から「政党」に格上げされたようにみえますが、メディアにそそのかされ、党内外からの声に押された結果の後追い処分でした。見た目はそうでも内実は相変わらずというところでしょう。

 おもしろいのは、「党員資格停止期間中は、代表選で立候補や投票が出来ない。国政選挙の公認は執行部判断だが、輿石幹事長は3日の役員会で公認しない考えを示した。鳩山氏は停止期間中、代表選に参加できず、衆院選があれば公認されない見通しだ。」(7月4日読売新聞ウエブ)という部分。

 鳩山氏は「処分は覚悟の上。50名の離党者を出した執行部の責任こそが問題の本質」(各メディア)と語っていますが、これは正論。「消費税は4年間据え置く」というマニフェストをつくったのは、鳩山さんが民主党代表のときですから、その責任において法案に反対したのでしょう。マニフェスト違反を行った執行部こそが、責任を追及され批判される対象です。

 秋の民主党代表選挙にも鳩山さんは出馬できないことになるようですが、これはやむを得ないことでしょう。鳩山氏の地元・北海道室蘭では「まるで党を出ていけといわんばかりだ」という声が出ているそうですが、分かりにくい処分です。政党ではなく同好会だから故でしょう。

 さて、次のステージは「小沢新党」です。前回ブログで紹介したように小沢さんは〝新党づくりの名人〟ですから、簡単なことでしょう。勝手にすれば、という心境ですが忘れてならないのは、この人は政治資金規正法違反の容疑で、現在被告人であることです。地裁では無罪になりましたが、東京高裁で争われています。この人の政界遍歴をみる限り、新党に期待できないのは、メディアと同意見です。

 それにつけても小沢一郎さん、ブログネタを提供してくれる人ですね。小ブログでは断トツのトップです。

脈絡のないきょうの一行
タービンの異常で発電延期の大飯原発。「やめろ」という天の啓示では?

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2012/07/02 [Mon] 10:37:48 » E d i t
 7月に入りました。1日が日曜日でしたから、なんだか1日損をした気分です(ヘンかな?)。梅雨が明けると、本格的な夏。山や海が待っています。若い頃はちょっとだけウキウキしたものですが、最近では「暑いのはいやだなー」という気分一辺倒ではあります。

 昨日来、メディアは民主党元代表・小沢一郎さんの離党問題でにぎわっています。政党ではなく同好会と化した民主党は、消費税増税法案に造反した自党の議員を処分できず、結局、小沢グループは自ら離れることになりそうです。あるいは〝盗人に追い銭〟的に、後追い除名があるかもしれません。この離党についてメディアは批判的ですが、その理由を「民主党のマニフェスト違反である」と主張する小沢さんの言い分に理があると思います。

 小沢一郎さんの華麗なる政界遍歴いや失礼、履歴を見てみましょう。「衆議院議院運営委員長(第41代)、自治大臣(第34代)、国家公安委員会委員長(第44代)、自由民主党幹事長、新生党代表幹事、新進党党首(第2代)、自由党党首、民主党代表(第6代)、民主党幹事長(第9代)などを歴任。90年代以降、55年体制終焉後の日本を代表する政治家の一人である。」(ウキペディア)

 すっかり忘れていたのですが、新生党なるものがありましたね。新進党は覚えているのですが、自由党は忘れかけていました。この遍歴ゆえに『壊し屋』の異名を取ったのでしょうが、今度はどうなるのでしょうか。

 離党後に新党結成ということになるのでしょうが、今までと意味が違います。消費税増税という、国の政策の根幹問題が横たわっているからです。成り行きによっては、参議院で否決される可能性も秘めており、二大政党制、いや、政界全体が〝激震〟に襲われ経験したことのない方向に走り出す恐れもあります。

 ところがこの動きは面白い。なぜなら、誤解を恐れずにいえば、いまの政党は一度「がらがらぽん」したほうがいいと思っているからです。国民不在・アメリカと財界べったりの政治――しかできないこの現実を変えるためには、「再編」ではなく「再生」が求められているからです。

 消費税法案は、事実上の大連合によって衆議院を通過しました。同法案通過直後に発表された整備新幹線の着工、原発の再稼動、オスプレイの配備強行……などなど、国民の声を反映しない政党・政府は不要です。小沢新党がそういう動きをつくるきっかけになれば、と、ネコの額(ひたい)やスズメの涙程度に思うのですが、ないものねだりになる恐れがあることは充分、承知しているつもりです。

 そんななか、民主党は衆院の比例定数削減に向けて動きを強め始めました(しんぶん「赤旗」)。消費税増税を毒とするなら、比例定数削減は皿といえます。「毒を食らわば皿まで」ということなのでしょうが、どこまでも泥濘(ぬかるみ)にはまり込むこの党、いや失礼、この政治同好会、日本の未来のためにレッドカードを突きつけるしかなさそうです。

★脈絡のないきょうの一行
沖縄でも岩国でもオスプレイ配備、総スカン。それでも消費税同様に強行ですか、野田総理。
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