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ヘボやんの独り言
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2012/04/18 [Wed] 16:40:26 » E d i t
 前回ブログ報告の仙台に入る前、女川町、南三陸町、気仙沼市のその後の復興状況を調査しました。女川は原発施設に近づきましたが、さすが中に入ることはできず遠巻きに見ただけでした。ところが驚いたことに、国道398号から原発施設に向かう女川湾に入ったあたりは、津波によってすべての建物が破壊されていたのです。

 もし原発施設を津波が直撃していたら、福島第一原発と同じことになったであろうことは容易に想像できました。女川原発は不幸中の幸いだっただけであり、「安全」「とは言い切れないと思ったものです。

 南三陸町は、建築制限がかけられているからでしょう、がれきが撤去された状態のままでした。それらは1ヵ所に集積されていましたが、そこになんと巨大なSLが横たわっているではありませんか。もしかしたら交通公園(博物館)でもあったのでしょうか、横倒しになったSLは悲しいものがありました。

 南三陸町の庁舎まで足を運んでみました。津波が押し寄せてくるなかで、最後まで「避難してください」と防災無線で住民に呼びかけた女性の声は、多くの人々の涙を誘いましたが、その現場となった建物は鉄骨だけを残していました。しかし、看板の「防災対策庁舎」だけはきちんと残っており、リアル感を増していました。

 その基部にはたくさんの花と千羽鶴が捧げてありました。たまたま私たちが行ったとき、中学生たちでしょうか2台のバスで横づけし、千羽鶴や花束、そしてお線香をあげていました。線香の香りは、「あ、ここで多くの人たちが亡くなったのだ」という実感を強くさせたものです。

 この建物を残そうという計画があったそうですが、遺族の思いもあって撤去することになったという報道を見ました。大災害を忘れないために建物を残すことは一つの方法ですが、遺族の思いはもっと重視されなくてはなりません。その思いに寄り添った結論は大事なことです。

 気仙沼の港は、大島への航路が再開され活気を取り戻していました。しかし数メートル内陸に入ってみると、がれきが撤去されたままの廃墟と化していました。そこにあったであろう食堂も、プレハブの簡易づくりでかろうじて営業していました。市街地に入ってみると、目を見張る光景が待っていました。

 ぐにゃぐにゃになったバスが1ヶ所に集められていたのです。これはまるでバスの墓場です。そのすぐそばには、普通自動車がこれまた山となっていました。周辺の建物が流されたために、その山が大きく見えてやけに目立ちます。あの震災直後、気仙沼港は出火し大変な事態に陥りましたが、映像で流れたあの光景をイメージすることはできませんでした。

 それにしても、津波の爪痕のすごさには改めて驚きました。そして、その犠牲となった人々がたくさんいたことを忘れてはならない、そう思いながらこの日の宿泊地・仙台駅前に急ぎました。

★脈絡のないきょうの一行
尖閣諸島のうち個人所有の島の国有化も選択肢、と野田首相。しっかり、中国と台湾に説明してね。

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