ヘボやんの独り言
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2012/04/30 [Mon] 09:01:58 » E d i t
 今年の秋、中央労働委員会は改選を迎えます。3者委員(公益委員、労働者側委員、使用者側委員)の構成はそれぞれ15人。そのうち現在、労働者側委員は独法担当4人中1人が非連合、民間(一般)担当11人は全て連合が独占しています。独法担当は4年前に非連合からやっと1人が入りましたが、民間担当は未だにゼロのままです。

 労働戦線が1989年に連合と全労連に分かれて以降、中労委の労働者側委員は連合独占がつづいてきました。それは民主的ではない、として全労連、MIC(日本マスコミ文化情報労組会議)、純中立労組懇談会の3団体は、「全国労働委員会民主化対策会議」をつくり、非連合からも委員を選出すべきだという運動を広げてきました。

 労働省(当時)は、労働委員の選出基準を地方の労働委員も含めて、「委員の選考にあたっては、産別、総同盟、中立等系統別の組合数及び組合員数に比例させる」よう通達しています。通称、54号通牒といいます。少し長くなりますが、以下がその詳細です。

                         ◇=◇=◇
昭和24年7月29日付 労働省労働次官発 発労第54号(抄)
各都道府県知事 宛

【地方労働委員会の委員の任命手続きについて】
 標記の件に関しては、本年1月8日附労働相発労第2号次官通牒「労働組合法施行令第37条の改正に伴い地方労働委員会委員の委嘱手続きについて」を以て委員任命以前において労働大臣の承認を受けられたい旨を通知していたのであるが右の事前承認は必要でないから、従来労働大臣が本件に関して承認要件としていた事項特に左記事項等を承認の上貴下の責任において任命されたい。
 なお委員の任命に当たって地方民事部の事前了解を得ることは必ずしも必要はないが、貴下の意向により相談されることは差支えない。

                           記
 一 労働委員会が三者構成の合議体である性格に鑑み、労働委員会委員はすべてこれが運営に理解と実行力を有し、かつ申立人の申立内容等をよく聴取し、判断して、関係者を説得し得るものであり、自由にして建設的な組合運動の推薦に協力しうる適格者であること。

 二 労働者委員については特に次の点に留意すること。
 1 貴管下総べての組合が積極的に推薦に参加するよう努めるとともに、推薦に当たっては、なるべく一組合から委員定数の倍数を推薦せしめるよう配慮せること。
 2 委員の選考に当たっては、産別、総同盟、中立等系統別の組合数及び組合員数に比例させるとともに貴管下の産業分野、場合によっては地域別等を充分考慮すること。なお委員についてはなるべく所属組合をもつものであるよう留意するとともに労働組合法第2条但し書第1号の規定に該当しない者であること。

 三 使用者委員については、貴管下の系統別、産業分野等を充分考慮すること。

 四 公益委員については、準司法的機能を果す点から特に専門別(法律、経済等)を充分考慮の上、政党政派に偏せず、その主義主張において真に中立な人物を選ぶこと。

 五 委員に欠員を生じた場合の補充についても前各号により新たに委員任命の手続きを要すること。

 六 委員を任命した時は、本年7月11日附労働相発労第46号次官通牒の記5によりその年月日等至急報告すること。
                         ◇=◇=◇

 この通達は1947年のものでかなり古いのですが、厚労省は「この考え方は現在でも生きている」としています。が、現実は事件の多い民間担当は、連合が独占しているのです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
29日未明に起きた関越道の死者7人のバス事故。原因は居眠りだというが、本当は長距離を走った労働加重ではなかったのか。
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2012/04/27 [Fri] 11:00:04 » E d i t
 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加問題も同じです。貿易にあたって関税をなくすという、見た目は良さそうですがその内実は腐臭だらけです。その腐臭は①農・漁業をはじめとした第一次産業崩壊の脅威②食の安全への脅威③国民の健康への脅威④中小企業倒産の脅威⑤雇用破壊の脅威――などに大別されます。

 詳細は省きますが、これはもう本末転倒そのものです。それに加えて、過日、港湾労働者とこの問題で意見交換する場がありそこで初めて知ったのですが、治安に重要な影響をもたらすというのです。もしTPPに参加したら関税作業が不必要になります。そうなれば海外からの荷物はノーチェックで日本に上陸することになります。それは食の安全問題にとどまらず、麻薬などの犯罪も〝自由化〟され、国内に流入するというのです。たしかに、これは由々しき問題です。

 いのちとくらしにとどまらず、民主主義の分野でも本末転倒が行われようとしています。その一つが「秘密保全法」制定の企てです。1985年から86年にかけて国家秘密法反対の大きな市民運動が発展しました。新聞協会はこれに反対し、私たちも集会や新聞への意見広告運動などを行い、廃案に尽力しました。

 この国家秘密法は葬ることができたのですが、このときの焼き直しが秘密保全法です。公務員を対称にすると装っていますが、とんでもありません。あの人たちがやってきたことを振り返れば、メディアや一般国民にも適用してくることは疑いの余地はありません。 情報管理の問題でいえば、世界の動きは「規制」ではなく「公開」です。秘密保全法はそれに反する本末転倒の動きといえます。

 君が代・日の丸の押しつけも看過できません。とくに大阪で行われているそれは常軌を逸しています。教師が歌っているかどうか唇の動きをチェックする。これは人権侵害です。秘密保全法で情報を管理し、モノ言わぬ国民をつくる。教育現場で教師に日の丸・君が代を押し付ける。この姿は戦前、日本がたどってきた道そのものです。

 本末転倒は行政だけかと思いきや、司法にも広がっています。JALの不当解雇問題に対する東京地裁判決は、企業の主張のみを受け入れ、司法自らが定めた「解雇4要件」を空洞化してしまいました。昨日の陸山会事件の判決も、(判決を読んでいませんが、報道によると)〝検察側〟の主張をことごとく認めたものの、小沢一郎被告は無罪となりました。これもまた、本末転倒です。

 これらの諸状況に憂えるだけではいけません。反撃が必要です。そろそろ、国民が立ち上がる潮時(しおどき)が到来したようです。

★脈絡のないきょうの一行
期待はしていなかったが、小沢一郎さんはやはり無罪。政局から目が離せない。

政治問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2012/04/25 [Wed] 12:18:20 » E d i t
 なにしろひどい。政治というものは本来、国民のために行われるべきものです。しかし、最近の民主党政権は自ら国民に約束したマニフェストをかなぐり捨て、実に〝見事〟なまでに、本末転倒政治をすすめています。その姿は、自民党を越えてより自民党的としか言いようのないほど、反国民性を浮き彫りにしています。

 敢えていくつかを例示してみましょう。

 まず「いのち」の軽視は甚だしいこと。その典型が原発の再稼動です。3.11東日本大震災で国民は筆舌に尽くしがたい辛酸をなめたにもかかわらず、同じことを繰り返そうとしているのです。その発想は原発依存症と揶揄するには恥ずかしいほど下劣です。周辺住民、いや日本国民と世界の人々をも犠牲にする、原発再稼動を許してはなりません。

 そして消費税増税。ワーキングプアといわれる、年収200万円以下の人は1000万人を超え、年々増加傾向にあります。この状態は消費税を上げる2014年までに改善するとは思えませんし、経済状態はむしろ悪化のきざしすら見せています。その状態のなかでの消費税増税は、低所得者のくらしを直撃することは明らかです

 最近、「孤立死」の報道がやたら目につきます。それも被災地だけではなく、いわゆる一般家庭において。これは実に深刻です。地域社会のコミュニティ不足、と言えばそれまでですが内実は食べるものもなく、健康が悪化して動けなくなった人が多いではありませんか。もし消費税増税が強行されることになれば、孤立死はますます増えることになりかねません。

 私が描く最悪のパターンは、「孤立死者が自動車事故死者をついに超えた」という報道が、遅からずあるのではないかという恐怖です。

 そして、障害者自立支援法。この法律は障がい者の自立をさまたげるものとして、民主党は全面改正を約束していました。ところがなんと、たった3時間の審議で民主、自民、公明3党の賛成で、応能負担を残し難病の扱いについて〝区別〟を残して、救済されない人が生まれるなど不十分さを入れたまま採決したのです。「応能負担」を言うのであれば、これこそ税制に導入して大金持ちや株の取引などの課税を増やすべきです。まさに本末転倒です。

 この障害者自立支援法改悪は、大政党3党が結託して成立させたところに深刻さがあります。しかも問題の本質が明らかになることを恐れたのでしょう、たったの3時間という審議で成立させました。国民不在の政治としか言いようがありません。(次回に続く)

★脈絡のないきょうの一行
JR福知山線事故から7年。二人の肉親を亡くした友人Aさんのたたかいは終わらない。

政治問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2012/04/23 [Mon] 10:23:05 » E d i t
 2日目、5時半に起床。前日コンビニで買っておいたおにぎりで朝食ですが、な、なんと凍っているではありませんか。口の中で解凍して時間をかけて噛み砕きます。何がなんでも食べておかないことには、ばててしまうからです。6時15分、必要な物だけを持って小屋を出ました。もちろんまだ暗い。空は前日の雪雲は去ったらしく、星さえ見えます。この凛とした静けさと、星空は山の醍醐味です。

 ヘッドランプを頼りに歩きます。30分ほど歩いたあたりから、道の地肌は雪で見えなくなり雪山歩きになりました。ここから前日購入した滑り止めのためのロープが活躍するところなのですが、なんとか下山まで使うことはありませんでした。

 国観(くにみ)峠の開けた場所に出ると、祖母山の山頂が目に入ってきました。雪化粧したその山頂は、神々しく見えます。このあたりから木々は凍りつき、霧氷化していました。風がないせいか、形はずんぐりむっくりしており可愛い。ここから雪が深くなっていきました。

 途中で山頂への分岐が現われました。9合目小屋へと山頂への直登の二つです。小屋への道は帰りに辿ることにして、直登を進みます。周辺が明るくなったな、と思ったら山頂に到着です。風ひとつなく穏やかです。山頂の吹き溜まりには20センチほどの雪が積もっていました。小春日和のそれは心地よさを誘います。空は晴れ上がり遠くまで見通せます。

 北側には前月登った九重山塊がデン、と座っています。手前に稲星山、左側に九重山、中央に中岳が同定できました。西側には阿蘇山が大きく立ちはだかっています。山頂から少し南側に移動すると、宮崎から鹿児島にかけた山々が重畳と連なっています。「うん、たいした高さはないが九州の山もいい」と自己満足に浸っていいました。

 下山は9合目小屋を通りました。通年営業しているのですが、この日は雪が降ったためでしょうか、「不在中」の札がかかっていました。下山は雪で滑らないよう、慎重に歩きます。もし骨折などしようものなら、助けに来てくれる人はいません。二つ目の沢の音が聞こえたら、5合目小屋です。

 小屋に到着後、改めて荷物を整理し直して駐車場に向かいます。ガスボンベは、空港で取り上げられるのははっきりしていますから、次の利用者のために小屋に残しました。駐車場では中年のカップルが登る準備をしていました。きょうは9合目小屋に泊まるといいます。雪の状況などを教えると、たいそう喜んでくれました。

 登山口の駐車場から、熊本駅に出てレンタカーを返して駅前のビジネスホテルに早目のチェックインをして、熊本城を散策しました。ゆったり、広々とした城内は気持ちのいいものでした。翌日からの会議に備えて早目の就寝、祖母山チャレンジに幕を下ろしました。

*徒歩総時間/2003年12月20日/30分、21日/4時間30分
■20日=神原(かんばる)登山口駐車場(14:20)-5合目小屋・泊(14:50)
■21日=5号目小屋(6:15)-国観峠(8:05 8:15)-祖母山頂(9:00 9:30)-5合目小屋(11:05 11:20)-登山口駐車場(11:40)

★脈絡のないきょうの一行
今週26日、小沢一郎さん関与の陸山会事件の判決。あてにならない司法だが、嘘と事実は区別がつくだろう。ね。

2012/04/21 [Sat] 20:56:23 » E d i t
 前回の百名山報告で触れましたが、この山は阿蘇と九重に登ったときの2003年11月3日にアタックするつもりでしたが、雨のため断念せざるを得ませんでした。そこで、たまたま翌月の12月に九州で会議が開かれ、その会議前日が土、日となりそれを使って20、21日にアタックし直すことにしました。阿蘇のときは5人連れでしたが、今回は一人です。しかも九州の初雪と遭遇して。

 前回と同じように、熊本空港を利用しました。祖母山の深さからみて、東京から熊本に出て、その日のうちに山頂を往復するのは難しいと判断、5合目の山小屋(無人)に泊まることにしました。そのためには当然、シュラフや食料などを準備しなければなりません。

 ダメだろうな、と思っていたとおりコンロのガスボンベを羽田空港で取り上げられました。帰ってきてから受け取ることにして、とりあえずカウンターで預かってもらうことに。さて、熊本に着いてからそのガスボンベをどうやって手に入れるか、思案です。山用ですから、どこにでもあるというものではありません。レンタカーで走っているとホームセンターが目につきました。もしかしたら、という思いはビンゴで、ボンベを無事にゲット。

 そしてもう一つの忘れ物の代用品も入手しました。天気は崩れるという予報で、もしかしたら雪になる可能性があります。ところがなんとアイゼンを持参しなかったのです。この季節にアイゼンを忘れたのは大失態でした。ホームセンターにはさすがにアイゼンは売っていません。代わりになるものはないかと探してみたら、あったではありませんか。ロープです。直径の大きさはいろいろありましたが、1センチ程度のものを1㍍買いました。靴に巻きつけて滑り止めにするためです。

 ここには1ヶ月前に来たばかりですから、道は分かります。順調に前回やってきた駐車場に到着しました。土曜日でしたが翌日の天気予報もあったのでしょう、天気はすでに雪模様で車は1台も見当たりません。仕度を整えて午後2時20分、スタートです。粉雪がまとわりつき、歩きにくいことしきりですが前進です。

 5合目の山小屋には地図のコースタイムどおり30分で到着しました。小屋の中はもちろん誰もいませんし、寒い。手元の寒暖計はマイナス5度を示していました。じっとしていたら震えがきます。登山家の山野井泰史・妙子夫妻がギャチュンカンで遭難したときの寒さと比べものにならないのでしょうが、少しだけ味わった気がしました。

 シュラフをシュラフカバーで覆い、その中に足を突っ込んで持ってきた純米酒をチビリ、チビリとやりますが寒さには適いません。「ふもとの民宿に泊まれば良かった」などと考えても、もう遅い。寒さしのぎを兼ねて、コンロに火をつけて早めの夕食仕度です。6時過ぎには夕食も済ませ、シュラフに潜り込みます。

 それでも寒い。どうしようかと考えていたら、いいアイデアが生まれました。飲み終わった日本酒のビンと、持参した水筒で湯たんぽをつくることです。ガスボンベは新調したばかりですから充分です。2本の臨時湯たんぽは、ぐっすり眠らせてくれました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
参議院で防衛大臣と国交大臣の問責決議が可決。でも「やめない」。日本の国会のなんと軽いことか。
2012/04/18 [Wed] 16:40:26 » E d i t
 前回ブログ報告の仙台に入る前、女川町、南三陸町、気仙沼市のその後の復興状況を調査しました。女川は原発施設に近づきましたが、さすが中に入ることはできず遠巻きに見ただけでした。ところが驚いたことに、国道398号から原発施設に向かう女川湾に入ったあたりは、津波によってすべての建物が破壊されていたのです。

 もし原発施設を津波が直撃していたら、福島第一原発と同じことになったであろうことは容易に想像できました。女川原発は不幸中の幸いだっただけであり、「安全」「とは言い切れないと思ったものです。

 南三陸町は、建築制限がかけられているからでしょう、がれきが撤去された状態のままでした。それらは1ヵ所に集積されていましたが、そこになんと巨大なSLが横たわっているではありませんか。もしかしたら交通公園(博物館)でもあったのでしょうか、横倒しになったSLは悲しいものがありました。

 南三陸町の庁舎まで足を運んでみました。津波が押し寄せてくるなかで、最後まで「避難してください」と防災無線で住民に呼びかけた女性の声は、多くの人々の涙を誘いましたが、その現場となった建物は鉄骨だけを残していました。しかし、看板の「防災対策庁舎」だけはきちんと残っており、リアル感を増していました。

 その基部にはたくさんの花と千羽鶴が捧げてありました。たまたま私たちが行ったとき、中学生たちでしょうか2台のバスで横づけし、千羽鶴や花束、そしてお線香をあげていました。線香の香りは、「あ、ここで多くの人たちが亡くなったのだ」という実感を強くさせたものです。

 この建物を残そうという計画があったそうですが、遺族の思いもあって撤去することになったという報道を見ました。大災害を忘れないために建物を残すことは一つの方法ですが、遺族の思いはもっと重視されなくてはなりません。その思いに寄り添った結論は大事なことです。

 気仙沼の港は、大島への航路が再開され活気を取り戻していました。しかし数メートル内陸に入ってみると、がれきが撤去されたままの廃墟と化していました。そこにあったであろう食堂も、プレハブの簡易づくりでかろうじて営業していました。市街地に入ってみると、目を見張る光景が待っていました。

 ぐにゃぐにゃになったバスが1ヶ所に集められていたのです。これはまるでバスの墓場です。そのすぐそばには、普通自動車がこれまた山となっていました。周辺の建物が流されたために、その山が大きく見えてやけに目立ちます。あの震災直後、気仙沼港は出火し大変な事態に陥りましたが、映像で流れたあの光景をイメージすることはできませんでした。

 それにしても、津波の爪痕のすごさには改めて驚きました。そして、その犠牲となった人々がたくさんいたことを忘れてはならない、そう思いながらこの日の宿泊地・仙台駅前に急ぎました。

★脈絡のないきょうの一行
尖閣諸島のうち個人所有の島の国有化も選択肢、と野田首相。しっかり、中国と台湾に説明してね。

災害問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2012/04/16 [Mon] 14:34:26 » E d i t
 ずいぶん前のことですが、読売新聞奨学生の過労死の責任を求めてご両親が東京地裁に裁判を起こし、そのたたかいを支援する運動がありました。裁判所で1999年7月に和解が成立し、たたかいに終止符を打ちました。それから13年余、関係者が久しぶりに集まろうということで、先週末、仙台まで行ってきましたが心温まるいいつどいになりました。

 その内容を報告するまえに、事件の概要です。1990年、大阪府立高校を卒業した上村修一(かみむら しゅういち)君は、スキューバダイビングのインストラクターをめざして上京し、調布市の読売新聞販売店で新聞奨学生として仕事をしながら、学んでいました。ところがその年の12月に「小脳出血」により死亡したのです。

 高校時代は水泳部で副キャプテンをつとめるほど元気で、健康には問題のなかったはずの息子が18歳で帰らぬ人になったことを不審に思った、父親・上村二活(つぐいく)さんと母・カズ子さんは販売店と読売新聞奨学会に説明を求めました。しかし納得いく説明を得られず、3年後の1993年12月に損害賠償請求を東京地裁に起こしたのです。

 この裁判を聞きつけた新聞販売労働者や、読売新聞社のある千代田区内の労働者が「読売新聞奨学生・上村修一君の過労死裁判を支援する会」を立ち上げました。この運動には、元新聞奨学生、新聞発行本社の労働組合、子どもたちを送り出す側にある高校の教師たちでつくる日本高等学校教職員組合など、幅広い人々が結集しました。なかでも、新聞販売労働組合の河北仙台販売労組の仲間たちは、その運動の中心的な役割を果たしました。

 その役割を〝記念〟し、東日本大震災の復興状況を調査しようと、会場を仙台に選んだ次第です。

 事件が起きてから22年、裁判闘争が終わってからも13年という時間的経過があり、当時の関係者が呼びかけに応えてくれるか不安はありました。しかし、父親の二活さんと弁護団、青森の東奥日報販売労組、東京からの参加者も含めて15人となりました。

 2泊の日程をとり、交流を深めました。もし、修一君が生きていればちょうど40歳、働き盛りです。たたかいを支援した仲間たちは、当時は若くて独身者もいました。が、今では亡くなった修一君と同じような年齢の子を持つ親になっています。

 「自分の子どもが就職して家を出て行った。あのころは気づかなかったが、子どもが出て行ったあと、修一君のことを思うお父さんの気持ちが痛いほど分かるようになった。子どもを亡くした気持ちはいかほどだったか。大変だったと思う。よくたたかったと思う。改めてお父さんに感謝したい」――。

 ある参加者の言葉です。それを聞きながら、私は「いのち」を考えていました。

 東日本大震災は日本人の価値観を変えた、とよく言われます。では、どういう価値観を変えたのでしょうか。私はその一つが「いのち」だと思います。一瞬のうちに2万人近い人々のいのちが奪われました。その衝撃ははかり知れません。普段あまり考えない「いのち」がいかに大切かを、津波が改めて教えてくれた、そんな思いを強くしています。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
「すべての原発が止まってしまうのはまずい」――枝野経産大臣の本音はここ。停止から廃炉へのガチンコのたたかいさらに。
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2012/04/11 [Wed] 14:04:11 » E d i t
 祖母山を諦め、「荒城の月」の岡城址を観光してこの日の宿泊先の久住高原のコテージに急ぎました。このコテージ、温泉がありそこから阿蘇山の全景を見ることのできるロケーションで、私の「もう一度行ってみたい宿」にノミネートされました。

 11月4日、天気は曇りですが午後からはからいい天気になるという予報。前日、雨に悩まされただけに心がはやります。九重山の西側の登山口・牧の戸峠から取りつきました。登山道はきちんと整備されていて歩きやすい。

 九重山は大きな山の塊の総称です。この山は今では市町村合併によって竹田市と九重町にまたがっていますが、2003年当時は久住(くじゅう)町と、九重(ここのえ)町にまたがっていました。この町の読ませ方、なかなか面白いですね。何がしかの論争を想起させます。町村合併でそういう面白さがなくなったのはさびしい限りです。

 九重山には中岳、稲星山、久住山などのピークがありますが、一番高いのは中岳です。ところがしばらく久住山が一番高いと考えられていました。実際、百名山を記した深田久弥の記述にも、そのことは出てきません。那須岳についていえば、「三本槍が一番高い」と書いていますから、おそらくこれが書かれたころは久住山がピークだと思われていたのではないでしょうか。

 まず、一番高い中岳をめざします。その付け根に久住山避難小屋がありますが、この周辺が広い。ソフトボールができそうなくらいです。それを横目に御池(みいけ)と呼ばれる池の水面に中岳が映し出され、えも知れぬ雰囲気を醸し出していました。そこから20分で中岳の山頂、さらに20分で稲星山山頂へ到着。ここで昼食休憩としました。

 稲星山から前日泊まった久住高原が広がり、振り返れば右手に中岳、左手に久住山がたたずんでおり九重山塊の大きさを実感させてくれました。食事を済ませたら、一旦、鞍部に下り登り返せば久住山です。ここは主峰だけあって人が多い。あるいは中岳のほうが高いことを知らない人が多いのかもしれませんが。

 下山は2度の休憩をはさんで登山口へ。そこから車で内牧(うちのまき)温泉に移動、汗を流して熊本空港へ向かいました。目標の一つ・祖母山は達成できませんでしたが、5人旅の楽しい山行となりました。

 *徒歩総時間/2003年11月2日/阿蘇山・2時間50分、4日/九重山・4時間20分
 ■阿蘇山=仙酔峡ロープウェイ頂上駅(15:00)-中岳(15:35)-高岳(16:00 16:10)-ロープウェイふもと駅(18:00)
 ■九重山=牧の戸峠(8:40)-久住山避難小屋(10:10 10:25)-中岳(11:00 11:25)-稲星山(111:45 12:15・昼食)-久住山(12:40 13:00)-牧の戸峠(14:30)

★脈絡のないきょうの一行
東北3県で仮設住宅入居待機家族が1400世帯(毎日新聞)。1年以上経ってもこの状態、先進国かねー。
2012/04/09 [Mon] 16:49:22 » E d i t
 百名山報告は九州編に入りました。最後の100山目は北アルプスの水晶岳(黒岳)になりますが、報告の最終コーナーでもあります。

 2003年11月2日に阿蘇山を、同4日に九重山にチャレンジしました。中1日空いているのですが、この日は祖母山に登る予定であったものが、大雨で断念したためです。当然祖母山は別の日に登りました。

 参加者は5人となり羽田空港から熊本空港に降り立ち、レンタカー2台をゲット。1台でも良かったのですがツアーにレンタカーがセットになっていたため、そうなったものです。熊本空港からまず阿蘇山東側の仙酔峡ロープウェイをめざします。なんとか予定時間に乗り場に到着。山頂駅から歩き始めました。

 阿蘇山は通常、「草千里ヶ浜」といわれる南側からが観光コースになっています。しかしピークを踏むには反対側からのほうが面白い、ということになり北側の仙酔峡からのコースにしたものです。

 噴火口淵までは、10分足らずで到着。雄大な噴火口を見るのはこれで5度目でしたが、やはりすごい。百名山で噴火口を見ることができるのは、大雪山、十勝岳、羊蹄山、岩手山、草津白根山、浅間山、焼岳、富士山、霧島山(韓国岳)そしてこの阿蘇山の10山となりますが活動しているのは大雪、浅間、焼とこの阿蘇の4山に過ぎません。その意味においては貴重な山です。

 噴火口と別れてまず、中岳で記念写真。そのあとピークの高岳をめざします。ところが途中から霧雨に変わり、雨具を装着しました。山頂では雨の中の撮影となり、雨が強くなる前にと下山を急ぎます。下山時間には本格的な雨となり、道はすべりやすく慎重を期します。ロープウェイのふもと駅に着いたころは、すでに暗くなりかけていました。

 2日目、11月3日・文化の日。朝から雨です。熊本市内のビジネスホテルをあとにして、この日登山予定の祖母山の北側に位置する竹田市のふもと神原(こうばる)をめざしました。祖母山はこの北側と、東側、南側の3ヶ所に登山口を持っていますが、次の九重山アタック予定との関係で、ここからにしたものです。

 ところが雨足が強くなり、登山口で2時間ほど様子を見たものの止む気配はなく断念。相談の結果、竹田市にある滝廉太郎の名曲「荒城の月」のモデルとなった岡城址を訪ねることにしました。雨の岡城でしたが、荒城の月の気分を味わうには十分でした。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
北朝鮮のミサイルに、はりぼて報道(読売新聞ウェブ)。事実だとしたら、笑うより悲しいね。

2012/04/07 [Sat] 12:22:41 » E d i t
 政府は大飯原発(福井県)の再稼動を急いでいます。しかも「地元自治体の承認を得なければならない法的根拠はない」と恫喝までして。消費税増税や、TPP参加のように「不退転の決意で」と言わないだけまだまし、というところですがそれにつけても異常です。その理由はどこにあるのでしょうか、考えてみました。

 ①ウソ隠し。一つは、全国に54基ある原発のうち現在稼動しているのは、泊原発(北海道)の第3号機だけで、あとは全て点検などで停止しています。しかも、その泊3号機も今年の5月5日には、法律にもとづいて定期点検のため停止しなくてはなりません。従って、今のままですと5月6日以降は全ての原発が止まることになります。

 これは政府にとっては、非常に都合が悪い。何故なら原発は電力不足に対応するために必要である、と国民に説明してきたことのウソが明らかになるからです。最近も、枝野経産大臣が「電力の需給のために再稼動は必要だ」と発言していますが、ここに、何がなんでも「1基でもいいから動かしておかなければならない」理由があります。

 ②利権守り。二つ目は、ご多分に漏れず利権がからんでいるからです。「動かしてナンボ」の原発ですから、止まってしまえばカネの流れも同時に止まります。すなわち、利権が回ってこなくなるのです。これは一部の人たちにとっては具合が悪い。その利権を守るために、原発は動かさなくてはならないのです。これは分かりやすい。

 ③反原発運動抑制。そして三つ目は、一旦全てが止まると「福島第一原発の二の舞はゴメンだ」という国民世論が今以上に高まり、再稼動反対の運動が大きくなります。それを〝未然に防ぐ〟ためには、とりあえずどこかを動かしておかなければなりません。そのスケープゴードとなったのが、「大飯」だともいえます。

 ④廃炉費用の恐怖。同時に、原発を止めたままにしておくということは廃炉につながることになります。これもまたあの人たちにとっては都合が悪い。3月23日の小ブログでも述べましたが、廃炉には20年から30年かかるといいます。それはその間、膨大な費用を必要とすることと同義語です。

 その費用は、電力会社だけでまかなうことは不可能で、税金投入が不可欠となります。野田内閣が消費税増税を打ち上げたいま、その増税分を廃炉費用に充てるとなると世論から袋叩きに遭います。廃炉費用を出さなくても済む方法は、再稼動しかありません。原子炉の「賞味期間」を40年から60年にするという動きがありますが、これも廃炉費用の先送りに過ぎません。

 以上4つを挙げましたが、これを反対側から見てみると政府が追い込まれていることの証明でもあります。いま、大きな国民の世論によって大飯原発の再稼動を許さないことは、脱原発のたたかいにとって重要な節目となります。そういう立場からも、この問題を注目したいものです。

★脈絡のないきょうの一行
石原、亀井、橋下、河村――。コップの中が騒がしくなってきたぞ。

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10718 『情勢』 
2012/04/04 [Wed] 12:53:09 » E d i t
 私は、集会などのあいさつのときに『情勢とは何か』という話しをすることがあります。どんな話しかというと、「情勢とはあれやこれやの状況を言うのではなく、敵と味方の力関係の到達点である」というものです。

 すみません、判じ物ではありません。私たち(広義の意味で国民運動や労働運動)が、ある一つの目的をもって動くとき、必ず相手側(政府や企業)も動きます。いや、仕掛けてくるのはむしろ政府や企業です。それに対抗して庶民の抵抗運動が起きるわけですが、そのときの相手側の力の到達点と私たちの運動の到達点、それが『情勢』というものです。

 たとえば、消費税増税問題を考えてみましょう。政府は増税について閣議決定をしました。それに対抗して反対の運動が起きつつあります。今回の場合も来週・12日に日比谷野外音楽堂で反対の大集会が開かれます。もしかりに反対の運動が何も起きなかったら、仕掛けられた攻撃は素通りし、相手の思うつぼに陥ります。

 少し横道にそれますが、だから「何もしないということは、実は何かしていること」なのです。つまり消費税増税反対という意思表示をしない人は、本人が思うと思わざるとにかかわらず、増税を認めることになってしまいます。それはこの人間社会が能動社会として形作られているため、やむを得ないことなのです。

 したがって、「情勢を切り開くということは、味方の力を強く大きくする」ということと同義語です。同時に大事なことは、「相手側も追い込まれている」という視点を忘れてならないことです。消費税問題でいえば詳細は省きますが、政治の行き詰まりが背景にあるのは知られているとおりです。

 やっと本題に入りますが、翻って、先月末のLAL不当解雇事件の地裁判決を改めて検証してみましょう。なぜあのような論理性のかけらもない、厚顔無恥の判決が出せたのでしょうか。

 原告団の仲間たちは全国に訴えて、17万筆を超える「公正判決署名」を東京地裁に積み上げました。私もその一部を持って、裁判所に要請したことがあります。不当解雇撤回を求めるパレードも波状的に行われました。支援の運動も全国に広がりました。

 そのたたかいの広がりに恐れた裁判所は、間違いなく追い込まれたのです。どう追い込まれたかというと、「経営困難に陥った企業の人員整理ができなくなる」と。その結果が、会社の主張を鵜呑み・丸のみにした判決だったのです。つまり、視点を変えると①いま一歩私たちの力を強くすることが遅れた②力関係に押されて道理のない判決を出さざるを得なかった――ということになります。いいかえれば、力関係を反映した「苦肉の判決」だった、ということにもなります。

 JAL裁判のたたかいは、もう一つあります。東京都労働委員会が命令した会社の不当労働行為の認定に対して、会社側がその命令の取り消しを求めて行政訴訟を起こしている件です。都労委の命令は、労働者の権利と生活を守るための当然のものでした。今後は、この命令を守るたたかい(東京地裁)と、控訴審(東京高裁)のたたかいの2本立てとなります。私たちも心して、情勢を切り開く取り組みを展開したいものです。

★脈絡のないきょうの一行
昨夜の〝春の嵐〟はすごかった。地震だけでなく、風雨への防災対策も重要。

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2012/04/02 [Mon] 11:44:10 » E d i t
 久しぶりに怒りで身体が震えました。これは明らかに司法による暴力です。

 骨抜き・改悪派遣法が強行採決され、消費税増税法案を閣議決定し、TPP参加に〝意欲〟をみせるなど、国民不在の行政が横行しています。そのような中でJALの不当解雇事件の判決が東京地裁において3月29日に民事36部(パイロット関係)、翌30日に同11部(客室乗務員関係)で判決が出されました。その内容は「司法よお前もか」と怒鳴りたくなる、ひどいものでした。解雇の自由を認めた、許しがたいこの判決、なんとしても覆す必要があります。

 判決内容について、先に判決を受けたパイロットの抗議声明は以下のように述べています。

                         ◇=◇=◇
 ①人員削減の必要性について、大幅な営業利益を計上していることに目をつむり、解雇については何も触れていない更生計画を盾にとって、全ての雇用が失われる破綻的清算を回避し、利害関係人の損失の分担の上で成立した更生計画の要請として事業規模に応じた人員規模とするために、人員を削減する必要性があったと認めることができるとして、安易に整理解雇の必要性まで認め、

 ②解雇回避努力義務の履行について、原告らが有効な解雇回避措置を提示していたにもかかわらず、これを一時的な措置で問題を先送りする性質のものであるとし、希望退職募集等をもって、一定の解雇回避努力を行ったことが認められるとし、

 ③人選基準の合理性について、原告らが立証してきた人選基準の不合理性を全て認めず、病気欠勤・休職等による基準、年齢基準の合理性をほぼ無条件で肯定し、削減目標154名を達成していた機長についても、削減目標人数は運航乗務員全体に設定されていたなどと事実をねじ曲げて不当性を否定し、

 ④手続の妥当性について、形式的交渉に終始した労働組合との交渉をもって足りるとし、 整理解雇が有効であるとしました。
                         ◇=◇=◇

 裁判官はここまで無知蒙昧、厚顔無恥、我田引水を平然と行えるのかと、その適格性を疑いたくなります。「稲盛会長が法廷でも『会社の収益状況からいけば、誰が考えても雇用を続けることは不可能ではなかった』と述べたとおり解雇の必要性はなく(以下、略)」と、前出声明も述べているとおり、会社自らが解雇の必要性はなかった、と認めたのです。にもかかわらず理屈にならない理由をつけて、解雇の〝正当性〟を認めたのです。これはもう、司法という権力による暴力以外のなにものでもありません。断固、抗議するものです。

★脈絡のないきょうの一行
消費税増税をめぐって、政党再編のきざし。ここはじっくり冷静に見ていきたいものだ。

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