ヘボやんの独り言
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2011/11/30 [Wed] 10:49:35 » E d i t
 最近、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加をめぐる動きのなかで、やたらに「国益を守る」という言葉が聞かれます。この単語、魔術的要素を持っているようで、「国益なら個人の利益は我慢しなければ」という気持ちになってしまいがちです。その背景に日本人特有の儒教的思考があるように思います。

 11月17日、千代田春闘共闘(千代田総行動の一環)としてこのTPP問題で参加反対の陳情をするため、経済産業省を訪ねました。担当部署は「通商政策局経済連携課」。実は今回ここに行くまで、こういう部署があることを知りませんでした。聞いてみると、今回のTPPのように外国との通商条約などが成立するまで、ここが取り仕切ることになっているといいます。

 その要請のなかでも担当者は、TPP参加にあたって「国益を守ることが大前提です」としきりに強調していました。その『国益』とは何でしょうか。以下、考えてみます。

 例によって広辞苑は『国の利益。国利。』とそっけない。大辞泉も同様に『国家の利益。』としています。では、さらに突っ込んでみましょう。「国家」とはなんでしょうか。広辞苑は『①くに。邦国。②一定の領土とその住民を治める排他的な権力組織と統治権を持つ政治社会。近代以降では通常、領土・人民・主権がその概念の三要素とされる。』――と記しています。

 少々、小難しくなりましたが、広辞苑で説明している後段の「領土・人民・主権」の三要素を考えてみると分かりやすいのかもしれません。翻って、国益というのは領土を守り、人民の利益を守り、その国の主権を守ることである、と理解してもよさそうです。

 では、TPP参加によって国益は守られるのでしょうか。否、です。もしTPPに参加したら、確かに自動車などの輸出産業は利益を得るでしょうが、農産物の自由化で農業は壊滅的な打撃を受けます。同時にそれは食の安全が脅かされることにつながります。海外から人が流入し日本人の雇用が破壊されます。国民皆保険の制度が揺らぎます。

 こうしてみると、TPP参加は明らかに「人民の利益」に反することになりますし、アメリカの要請にもとづく動きは、「日本の主権」が損なわれます。これでは、国益どころか〝国損〟になってしまうではありませんか。

 前述の経産省への陳情のとき、担当者があまりにも「国益」を連発するので、ついムカッとして私は「国益とは、どこかの企業の利益のことではなく、国民にどれだけ利益をもたらすかだ。労働者が、農民が今より豊かなくらしができるようになることこそが国益だ。そういう立場からこのTPPに対処してほしい」と、語気が強まってしまいました。

 だから、TPP参加は「開国」ではなく「壊国」と言われるのです。

★脈絡のないきょうの一行
防衛省沖縄局長の暴言、更迭が早かったね。これが議員だと時間がかかるのにね。

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2011/11/29 [Tue] 10:49:16 » E d i t
 翠ケ池に向う途中にお花畑が広がり、幾度も足を止められてしまいました。コイワカガミ、アオノツガザクラ、ミヤマリンドウ、ミヤマキンバイ、チングルマなどが競演です。池をめぐりつつ、花のメーンである「クロユリはどこだ」とみんなの関心はそこに移りますが、なかなか見つかりません。

 室堂センターが近づいたところでTさんがついに発見。クロユリと初めての対面です。群生している場所もあり、その厳かなムードにしばし浸ってみます。やはり不思議な花です。化学的には解明済みでしょうが、黒い色素がどうやって生まれるのでしょうか。花を観察しながらこの日の宿舎・室堂センターに下りましたが、実に山頂から2時間もかかってしまいました。こういうのんびり歩きもいいものです。

 室堂センターにもどり宿泊の手続きを済ませ、部屋に移動。平日だというのにやはり込み合っていました。食事までの間かなり時間があり、込み具合を見ると食事をしながら酒を酌み交わすなどできそうもなく、早めに「宴会」をやろうということになり、外のテーブルで雪渓の雪で冷やしておいたワインを開けて乾杯です。T夫妻が持参してくれたウィスキーも空けて、しばし山談義に花が咲きました。

 2日目。

 早朝、外はガスで何も見えない状態でしたが、早々と出かける人がおり暗いうちから部屋の中は騒がしくなりました。山頂で日の出を見ようということでしょうが、恐らくダメだったでしょう。前日のうちに山頂を踏んでいる私たちは、朝食を済ませて予定通り7時に下山開始。大倉山の避難小屋で休憩していたら、熊本からやってきたという集団が登ってきました。休む場所が一緒になったわけですが、50半ばの同年輩の男女10数人が元気に行動をともにしていました。聞いてみると、御嶽山と常念岳に登って白山が3つ目だといいます。すごい馬力です。

 その集団と別れ、登山口へ急ぎます。登山口に着いたらこれも予定どおり入浴です。大白川温泉は露天風呂だけですが情緒があって気に入りました。入浴料金200円も魅力的です。風呂は、上下2つの湯船があって、上の方が女性で下が男性用となっています。ちょっと覗かれそうなスリルがあったりして。

 温泉で一汗流した後、平瀬の町までもどり昼食を済ませ、「9月は空木岳に登ろう」と約束し、愛知県春日井市から来たT夫妻と別れたあと、五箇山ICから東海北陸道、北陸道、関越道を経て練馬ICで降りて解散しました。白川郷と五箇山観光、花の白山、それに加えて天気にも恵まれ、前月の北海道(台風により羅臼岳に登れず)の仕返しをするかのようないい山行となりました。

*徒歩総時間/第1日目・7時間35分、第2日目・3時間35分
 第1日・8月5日/大白川登山口(6:05)-朝食休憩(7:10 7:30)-大倉山避難小屋(9:05 9:30)-室堂センター(昼食 11:50 12:40)-白山山頂(13:20 13:50)-室堂センター(15:45)泊
 第2日・8月6日/室堂センター(7:00)-大倉山避難小屋(8:05 8:35)-大白川登山口(10:45)

★脈絡のないきょうの一行
大阪ダブル選挙で陰に隠れた、東電の補償問題と原発事故の真相究明。放置は許されない。
2011/11/28 [Mon] 18:14:50 » E d i t
 あこがれの山でした。高山植物の宝庫です。しかも「百名山」登山70座目の区切りの山でした。2002年8月5、6の両日にアタックしました。

 仲間たちとの前年の約束どおり、白山にアタックすることになりました。山小屋が込み合うという情報があり、それを避けるために月・火曜日の平日に挑戦することにし、その前段で白川郷と五箇山を観光、白川村・平瀬の民宿「山水」に投宿。参加者は愛知県春日井市からかけつけたT夫妻と、関東方面からはいつものO、M、Sさんと自分の合計6人。にぎやかなメンバーとなりました。

 平瀬から林道を車で30分ほど走ると大白川の登山口に到着。支度を整えてスタートです。いきなりという感じで大倉尾根の急登に取りつき、最初から息を切らせます。天気は上々過ぎて暑さがこたえます。「30分歩いて休憩」のパターンをきちんと守り前進しました。大倉山避難小屋までやってくると何故か、ほっとした気分になりました。

 ここで長休憩ののち、いよいよ室堂へ前進です。ここからは、歩くペースを合わせようと早い人は先に行ってもらうことにし、スロースターターのMさんと2人でゆっくりついていくことにしました。小屋から20分ほど歩くとお花畑が出現。色とりどりの花が今を盛りと咲き誇っていました。

 その様子に「これが白山だ」と妙に納得したりしていました。虫たちは食事をしながら花の種の保存に手を貸しています。その様子を見ていると時間の経つのを忘れそうで、カメラのシャッターを切るのに、もどかしさを感じてしまいます。

 右手に白山が大きく立ちはだかってきました。「今日の目標はあれだ」と考えると、力が入ります。雪渓のある場所で休憩しそこを過ぎて15分ほど進むと、高原状態のところに出て眼前が広がりました。ここまで来ると風もあり、気分的にも楽になり一気に室堂センターへ。先着の仲間たちが待っていてくれ、早速、昼食をとることに。食堂のカレーライスはうまかった。

 食事が終わって、いよいよ山頂にアタックです。不要な荷物はセンターの片隅に置かせてもらい、サブザックに換えて歩き始めます。Tさんのダンナはいつものペースでスイスイと歩いていく。鮮やかな歩きで、見ていてほれぼれします。登山道の途中で後ろを振り返ると、別山が「自分を忘れないで」とばかりにしっかりこちらを見つめていました。

 山頂のお宮に全員分のお賽銭をまとめて入れて、それぞれが思い思いの願い事をして、山頂を示す標柱の前で記念撮影。太陽も出ており天気はいいのですが、遠望はありませんでした。白山は大きな三つの峰によってなっています。自分たちが立っているピークの御前峰(ごぜんみね)、北側に剣ケ峰(けんがみね)、その左手に大汝峰(おおなんじみね)です。

 剣ケ峰は、人を寄せ付けるのを嫌うかのようにゴツゴツした岩でできています。登ろうと思えばできないことはないでしょうが、ちょっと勇気が必要なようです。大汝峰はゆるやかなカーブで稜線をつくっており、剣ケ峰と対照的です。その風景に満足して翠ケ池(みどりがいけ)を中心とした池めぐりの開始です。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
〝大阪都選挙〟の結果は極端な政治不信の表れ。同時に政党政治の危機。自民、民主両党の責任は重い。

2011/11/24 [Thu] 10:35:01 » E d i t
 前回報告のように91年7月に、坂本弁護士一家の救出をめざす集会が開かれました。千代田区労協の機関紙(91年6月29日・第290号)にその集会の案内を出し、参加を訴えています。私が書いたものですが、「かえっておいで」という題名をつけて、つたない詩で呼びかけました。20年も前のものですが、紹介します。「たつ坊」が生きておれば、もう23歳になっているのですね。

                         ◇=◇=◇
「かえっておいで」

 もうすぐ3歳ですね/言葉もずいぶん覚えたことでしょう
 箸の使い方は 上手になりましたか/そして パパとママに
 いっぱい甘えていますか

 きみが きみの両親といっしょに/何者かに 連れ去られて
 きょうで 623日目/いま どこで何を しているのでしょうか

 きみの おばあちゃんとおじいちゃん
 そして 日本国中の 良心が/きみたち一家の
 一日も早い帰りを 心待ちにしています


 あなたたちは 何ゆえに
 坂本弁護士一家を/連れ去ったのですか
 意見の違い? 思想の違い?/それとも 利害の違いから?

 平和に生きる自由や 言論の自由が/保障された 法治国家で
 あらゆる暴力は 否定されているはず
 にもかかわらず あなたたちは/問答無用で
 一家を 幼な子さえも/連れ去った

 かえしてください たつ坊を
 さと子さんを つつみくんを
 いますぐ かえして下さい


 梅雨が明けると そこはもう夏
 麦わら帽子が きっとよく似合う きみに
 おばあちゃんの 「こやぎのうた」が/聞こえますか

 いますぐ かえっておいで
 たつ坊
 パパとママといっしょに
                         ◇=◇=◇

 坂本堤弁護士の母親、さちよさん(現在80歳)は龍彦ちゃんに「こやぎのうた」をよく歌って聞かせたといいます。心が張り裂けるほどの、さちよさんの思いは痛いほど理解できます。死刑制度はないほうがいい、と考える私でも、この事件の関与者だけは許しがたい気持ちをどうしても抑えることができません。

★脈絡のないきょうの一行
今度の日曜日27日、〝大阪秋の陣〟。『思い込み男』に城を明け渡してはならない。

2011/11/21 [Mon] 12:08:15 » E d i t
 オウム真理教が引き起こした一連の事件の最後の審判となった、元幹部・遠藤誠一被告の上告に対し、最高裁はきょう、棄却の決定を下し死刑が確定しました。16年という長きにわたった裁判は全て終結したことになります。終結はしたものの、事件の「真相」は明らかにならないまま終わったことになります。

 私(たち)もこれら一連の事件は、日本の民主主義にとってゆるがせに出来ない問題として取り組みました。とりわけ、坂本堤弁護士一家の拉致事件はオウム真理教によるものではないかという疑いが強く、救出活動に力を注ぎました。その活動の一環として1991年7月19日に千代田区公会堂(現在は閉鎖)で集会が開かれました。

 この集会は弁護士の木村晋介さんらが呼びかけたもので、会場が千代田区内にあったことから、千代田区労協としても全面的に協力しました。当時私は区労協の教宣部長という立場にあり、機関紙を通じてこの集会への参加を訴え(呼びかけの全文は後出)ました。

 坂本堤(殺害された当時33歳)弁護士は横浜弁護士会で活躍、横浜市内に住み、国労弁護団などにも入り司法修習生のときから熱心な日本フィルファンの一人で、音楽愛好家でもありました。修習時代に知り合った法律事務所の事務員だった都子(さとこ・同29歳)さんと結婚、龍彦(同1歳)ちゃんと穏やかな日々を過ごしていました。

 しかし、1989年11月4日の未明、何者かによって自宅を襲われ3人は拉致されたのです。現場にオウム真理教のバッヂが落ちていたにもかかわらず、神奈川県警は「事件性はなく失踪である」として捜査をしませんでした。しかし、地下鉄サリン事件(1995年3月20日)の捜査が進むなかで、オウム真理教の幹部が坂本堤弁護士一家の殺害を供述、5年10カ月後の95年9月に新潟県で堤さん、富山県で都子さん、そして長野県で龍彦ちゃんが、遺体で発見されたのです。

 もし神奈川県警が、この拉致事件をきちんと捜査していたなら地下鉄サリン事件は起きなかったのではないかと言う人もいます。何故、神奈川県警が捜査を行わなかったのか。坂本弁護士はいわゆる共産党系の弁護士といわれ、県警とは論争相手であったことが指摘されています。オウム真理教の一連の事件を見たとき、神奈川県警の〝失態〟は禍根を残すものとなっています。

 きょうの判決で、計189人が起訴されたオウム真理教の一連の事件が終結したことになります。それは同時に、教祖・麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚以下、教団元幹部13名の死刑が確定(特別抗告という手法がありますが)したことになります。皮肉とでもいうのでしょうか、殺害された坂本堤弁護士は死刑制度の廃止をめざす活動家だったといいます。

 そういえば、わが家の古いアルバムのなかに坂本都子さんの写真があります。年月日を特定できないのが残念なのですが、毎日新聞労組・青年部主催のクリスマスパーティーに彼女が参加したときのもののようです。あのはつらつとした笑顔は、もう見ることはできません。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
「政策仕分け」が進んでいるが、政党助成金や思いやり予算こそ仕分けすべし。

2011/11/18 [Fri] 10:28:19 » E d i t
 前回、「あかつき文学保存会」のことを書きましたが、この会、上林曉の残した数々の資料を後世に残す目的でつくられたものです。きっかけは、サワダオサムさんの「わが上林暁」の上梓でした。

 その出版祝う会を、滋賀県大津市で開きました。その席でサワダさんから「上林の関連資料は、妹の睦子さんが全て管理している。睦子さんもそう若くはない。資料が分散しないよう、何か方法がないだろうか」という提案があり、動きが始まったのです。東京に上林曉の研究をしている高校の教師がいました。萩原茂さんがその人で、上林研究という一致点で、サワダさんとの交友がありました。

 そしてもう一つ、面白い集団がありました。サワダオサムさんの本を売り出そうと、「サワダオサム熱烈予約実行委員会」なるものをつくり、動いたグループです。その中心に、何故か、元毎日新聞労働組合の委員長と書記長が座ったのです。サワダオサムの上林曉に対する熱意に触発されたのです。私も微力ながらお手伝いをしました。

 サワダオサムさん自身は脳こうそくで歩くのがやっとという状況となり、そのグループと、萩原さんが合体して「あかつき文学保存会」を立ち上げたのです。以降、何回か睦子さんの自宅を訪ね、上林曉のことなど聞き取り調査も行いました。「兄はそこに寝ていたんですよ」と、昔をなつかしむように睦子さんは語ってくれました。

 睦子さんが住む家には、貴重な資料が残されています。川端康成の揮毫による「上林曉生誕の地」という掛け軸は立派です。太宰治や井伏鱒二らからの手紙もあります。もちろん、上林曉全集も全てありますし、出版された単行本もそろっています。私にはその価値が分かりませんが、画家から贈られた絵も多数あります。これらはある意味、かけがえのない文学遺産です。

 そして極めつけは、上林曉が半身不随になって書いた原稿です。みみずが這うような、象形文字にもならない文字は、最初の頃は睦子さんが本人に確認しながら清書していました。しかし、後半になるともう読める状態ではありません。その原稿をコピーさせてもらい、サワダオサムさんが解読を試みていますが無理なようです。

 これらの貴重な文学資料を残そうと「あかつき文学保存会」を立ち上げたのです。会報をつくり、周りの人々に協力を呼びかけています。それは静かな広がりとなり、思ってもいなかった方向から連絡が入ったりしています。徳廣睦子さんは90歳を迎え、はっきり言って残された時間は多くありません。上林曉の貴重な文学資料を、できれば杉並区に管理してもらいたい、そんな思いも持っています。

 上林曉は1980年8月28日に77歳で生涯を閉じました。それでも、昨年は講談社学芸文庫が「聖ヨハネ病院にて・大懺悔」を、今年に入って「星を撒いた街」(夏葉社)が刊行されるなど、上林作品は現在でも息づき見直されています。

 とりあえず、杉並区立郷土博物館分館(杉並区天沼3-23-1天沼弁天池公園内)で、来年1月22日まで展示中のものをご覧いただきたいと思います。「阿佐ヶ谷会」の文豪たちの雰囲気にあなたも浸ってみませんか。そして貴重な文学遺産を保存する運動に、ご協力をいただけると嬉しいです。なお、「あかつき文学保存会」の連絡先の一つに、このブログを発している千代田区労協も入っています。

★脈絡のないきょうの一行
労働者派遣法の改正問題、逆流が始まった。これはTPPの雇用自由化と連動したものだ。
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2011/11/17 [Thu] 10:33:45 » E d i t
 杉並区立郷土博物館分室の展示会場に、展示物や上林曉と濱野修の交友関係について紹介したメモが置いてあります。これは、「あかつき文学保存会」の会報号外の形をとっています。この保存会の成り立ちは後述しますが、この会の代表を務めている萩原茂さんが、上林曉の作品を紹介しています。その部分を転載させていただきます。

                         ◇=◇=◇
 「薔薇盗人」(昭和7年)で、新進作家として注目され、代表作には▼「聖ヨハネ病院にて」(昭和21年)、「春の坂」(昭和32年)=この作品を収録した『春の坂』で昭和33年度芸術選奨文部大臣賞受賞、▼「白い屋形船」(昭和38年)=この作品を収録した『白い屋形船』で昭和39年読売文学賞、▼「ブロンズの首」(昭和48年)=昭和49年第1回川端康成文学賞受賞、などがあります。(以下略)
                         ◇=◇=◇

 もちろん、上林の作品はこれだけではありません。上林曉全集(筑摩書房)が出版されていますが、それは全19巻あり膨大です。前出のサワダオサムさんが、1964年に「上林暁作品年表」を編纂したとき、何人かの作家などに上林作品のなかで何が一番好きか、というアンケートをとっています。これは興味深い。

 ▼川崎長太郎(作家)/「聖ヨハネ病院にて」
 ▼宍戸恭一(三月書房)/評論集「文学の歓びと苦しみについて」
 ▼尾崎一雄(作家)/何が一番と云われると困ります。「聖ヨハネ病院にて」も好きだし、最近では「白い屋形船」も好きです。
 ▼野間宏(作家)/「薔薇盗人」の書き出しは、すぐれていると思います。題名もよい。しかしその後、美しい題名がなくなっていきます。
 ▼山室静(評論家)/特にこれ一篇という名作のあげにくいのが氏の遺憾な点で、「聖ヨハネ病院にて」「草深野」「春の坂」その他好きな作はかなりありますが、どうも一篇となるとあげにくい。「真乙女」などはその候補。

 このアンケートは「上林の文学をどう思うか」という質問もしています。
 ▼川崎長太郎/私小説の一高峰。
 ▼中野重治(作家)/静かな滋養。
 ▼尾崎一雄/親愛感溢れた作風です。化粧で美しくするのではなく、生地をみがいて綺麗にしようとする流儀だと思ひます。
 ▼野間宏/誠実を貫こうとする文学です。
 ▼山室静/全作品を読んでみたい一人です。文人文学といったものの最後の人(氏一人というわけではないが)と思います。

 ――などが返ってきています。中野重治の「静かな滋養」というのがいいですね。これらのアンケートの回答、上林作品の紹介にあたって私の感想を書くよりよほど的を射ていると思い、紹介しました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
プロ野球日本シリーズ、中日とソフトバンクが2勝2敗のタイに。いい試合してるね。
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2011/11/16 [Wed] 13:10:09 » E d i t
 前回の続きです。

 徳廣睦子さんは今年90歳、元気です。生きていれば私の母と同じ歳です。初めて会ったのは4年ほど前になるでしょうか。私の友人でサワダオサムという人がいます。滋賀県草津市に住んでいますが、この人が長年かけて、上林曉研究をやってきました。その集大成というべき本を出版することになり、睦子さんとの連絡役を私が引き受けることになったのです。

 サワダオサムさんは、生前の上林曉にも睦子さんにも会っています。最初の連絡は電話でしたが、サワダさんが本を出版することになったことを伝えると、たいへんな喜びようでした。そのとき、睦子さんは自分の兄を「兄」あるいは「じょうさん」と表現していました。最初、「じょうさん」とは何のことかと理解できなかったのですが、上林の本名は「巌城」でありその下の文字を使ってそういう言い方をしたのでしょう。

 兄と妹、仲の良さがこの言葉に表れています。その電話のやりとりのなかで、初めて「阿佐ヶ谷会」の存在を私は知ったのです。そのとき睦子さんは「阿佐ヶ谷会のメンバーだった青柳瑞穂さんのお孫さんが本を出版したそうです。阿佐ヶ谷会の人たちの作品をまとめたものだそうですよ」と教えてくれました。「そのうちお宅に伺います」ということで電話を切りました。

 睦子さんが教えてくれたその本を、神田の三省堂書店で探したらありました。青柳いづみこ、川本三郎の共著で「『阿佐ヶ谷会』文学アルバム」というタイトルです。改めて、青柳瑞穂の孫だという青柳いづみこさんのことを調べてみました。肩書きは「ピアニスト・文筆家」となっています。むしろ、ピアニストしての活動のほうが主のようです。

 この本は面白かった。阿佐ヶ谷会なるものの一端に触れることができます。あの文豪たちは仕事以外のときは将棋と酒に明け暮れていたようです。この本は「アマゾン」で検索すれば入手可能です。少し高いのですが、おすすめです。一方、サワダオサムさんの上林曉研究の本は2008年10月に出版されました。表題は「わが上林暁―上林暁との対話―」となっています。

 上林曉は「私小説家」として知られています。私小説(ししょうせつ、わたくししょうせつ)は、大辞泉によれば「1)作者自身を主人公として、自己の生活体験とその間の心境や感慨を吐露していく小説。日本独特の小説の一形態で、大正期から昭和初期にかけて文壇の主流をなした。わたくし小説。2)イッヒロマンの訳語。」としています。

 つまり上林の文学は、自身の生活体験を小説化したもの、ということになります。ということは、前回紹介したように、上林の生活は苦しいものがあり結果として小説自体が暗いものになっています。暗さゆえでしょうか、上林の小説に対して「プロレタリア文学ではないか」という人が少なからずいるといいます。が、社会批判という視点で見れば当てはまらなくなります。上林曉の作品を少し紹介しましょう。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
野田首相のTPP対応、内閣総辞職あるいは国会解散の始まりとみた。

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2011/11/11 [Fri] 11:17:32 » E d i t
 きょうは、同じ数字が6回並ぶ百年に1回しかない特徴ある日です。日付をあらわすのに6桁がよくつかわれますが、きょうは「111111」となります。このように同じ数字が6回繰り返されるのは、11年11月11日しかなく次回は、2111年の百年後となります(もっともこの年は1が7つ並ぶことになりますが)。「だから何なんだ」といわれればそれまでですが、そういう日です。きょう生まれる女の子には「並子」とつけましょうかね。

 それはさておき、JR荻窪駅前の青梅街道を横断し、新宿方面に少し歩いた左手に「天沼八幡通」があります。入り口の門構えに提灯がぶら下がっており、分かりやすい。一方通行の狭い通りですが、ここを道なりに歩いて行くと突き当たりにこの通りの名称の由来となっている、天沼八幡神社が静かなたたずまいを見せています。

 ここをさらに道なりに歩いていくと、左手に天沼弁天池公園という小さな公園にたどりつきます。その公園奥の一角に「杉並区立郷土博物館分館」が建っています。公園入り口の花壇には、四季折々の花が目を楽しませてくれます。私がここを訪ねた日は、コスモスが満開でした。

 その杉並区立郷土博物館分館の1階で、いま、『孤独の扉を開く ~上林曉と濱野修の友情物語~』という展示が行われています(来年の1月22日まで)。ここを訪れたのは、この展示を観るためです。

 上林曉(かんばやし あかつき)という作家をご存知でしょうか。本名は徳廣巌城(とくひろ いわき)。1902年10月に高知県幡多郡田ノ口村(現・黒潮町)生まれ。21年に熊本大学に入学したものの東京大学に再入学、27年に同校を卒業しています。翌年、田島繁子と結婚。卒業後は出版社「改造社」に入社し、仕事のかたわらで小説を書き続けますが、34年に退社。

 文筆活動に専念したものの、生活は厳しいものとなります。加えて妻は精神病を患い、入退院の繰り返し。そのなかでも小説を書き続けます。上林は天沼に住み、この周辺に住んでいた作家たちとの交友が深まります。ドイツ文学の濱野修、太宰治、安成二郎、井伏鱒二、青柳瑞穂、木山捷平らがそれで、のちに「阿佐ヶ谷会」という名前がつけられます。

 この阿佐ヶ谷会、誰が命名しいつ発足したのは定かではないのですが、どうも酒と将棋を趣味としていたようです。年に何回か現存する奥多摩・御嶽駅ちかくの蕎麦屋「玉川屋」で、今風に言う飲み会を開いています。その模様は、彼らが残した小説のなかによく出てきます。写真も残っています。文豪たちが何を話しあったか、そば耳を立てて聞きたいものです(シャレではありません)。

 上林曉は、妻が病死(1946年5月)したあと、52年に軽い脳溢血で倒れ、さらに62年に再発し左半身不随となり寝たきりの生活に入ります。妻が入院しているころから、妹・徳廣睦子が田舎から上京し、上林曉一家の面倒をみることになります。その睦子さんは、現在でも上林と一緒に住んでいた、天沼の家で暮らしています。私はその睦子さんを訪ねたことがあります。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
野田首相、TPPの扱いに関する表明を先送り。熟慮か策略か。それでもなお「不参加」を求めたい。

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2011/11/09 [Wed] 15:35:23 » E d i t
 4日、友人の一人が逝きました。長谷川兼二・62歳、現職の豊島区労協事務局長。20代で不当解雇とたたかい勝利、その後労働運動の道を歩みました。豊島区内の労働運動の先頭に立ち、はたはたらく者の生活と権利を守り続けました。夫婦で山登りを趣味とし、豊島区の労山の会員としても活動、元気の象徴のような人でした。しかし、「いつか一緒に山に登ろう」という約束は永遠に反故となりました。

 昨年の初夏、「定期健診で食道に腫瘍が見つかった。近く手術することになったよ」という連絡を受けました。手術は成功し8月下旬に仲間たちと療養中の自宅に見舞いにいったとき、ほとんど通常に戻っていました。「来月あたりから仕事に出ようと思っている」というその言葉どおり、動き始めました。

 12月には、年中行事となっている地区労の専従者有志による忘年会を池袋の居酒屋で開き、少しですが酒も飲めるようになっていました。良かったね、と喜びあったものです。ご本人もすこぶる上機嫌で、誰もが彼の『復活』を信じてやみませんでした。

 ところが今年に入ってがんの転移が見つかり、新たなたたかいが始まったのです。しかしがん細胞は全身を蝕み、彼の身体をいためつづけました。10月に入ってから症状は厳しいものとなり、見舞いに行った仲間たちから「かなり危ないようだ」という報告を受けました。そして11月4日、帰らぬ人となったのです。

 彼の山登りは、力でねじ伏せるようなそれでした。テントを背負い、ルートファイティングで山頂をめざすといスタイルです。彼は山に登るときは必ず渓流釣りの準備をします。イワナを現地調達するためです。「イワナ入れ食いの沢」を教えてもらったことがあります。しかしそこは、とてもとても、私が入って行けそうな場所ではありませんでした。

 毎年、年末に奥多摩の山野井泰史・妙子夫妻(登山家)の家でやっている「餅つき忘年会」に誘ったことがあります。「うちのかあちゃん(奥さん)は、山野井さんの大ファンだから」と一緒に行く準備をたこともありましたが、日程の都合がつかず断念しています。彼の力をアテにした餅つきも、永久に実現できなくなりました。

 症状的に、「かなり危ないらしい」という情報を得て、1ヶ月足らず。早すぎるその死に戸惑いを隠し切れない私です。いつかは別れの日が来ることが分かっていても、心をすり抜ける〝すきま風〟は、どうしても押し止めることはできません。明日の午前、お別れに行ってきます。

★脈絡のないきょうの一行
オリンパスの不正経理、1000億円超に。背景に政治的な動きはないのか、解明が急がれる。

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2011/11/07 [Mon] 10:54:28 » E d i t
 最近、変な、へ理屈を発見しました。11月4日の毎日新聞夕刊の対社面(社会面の反対の面)です。ベタ記事ですが「村木元局長は冤罪当たらず」というものです。本来なら「冤罪」のあとに「に」を入れたかったのでしょうが、ベタ(1行)扱いのため、文字が入らずこんな不十分な見出しになったのでしょう。

 内容は村木厚子・元厚労省局長の裁判をめぐって、平岡秀夫法相が「無罪である者が有罪判決を受ける状況を冤罪と呼んでいると理解している」と述べ、この事件は無罪が確定しており、えん罪には当たらないと表明したことを扱ったものです。しかもご丁寧に「法務省の中でも冤罪という言葉が使われている文書があるが、法令上の用語ではなく、……」と述べています。

 この発言の誤りについて考えてみましょう。

 はっきり言って、こういう見識を持った人が法務大臣を務めていることに危機感を持ちます。この発言を言い換えれば、「(本来、無罪にもかかわらず)裁判で有罪判決を受けた事案だけを『えん罪』という」と規定したことになります。一見、なるほどと思いがちですが、どこか変、だと思いませんか。

 百歩譲りましょう。裁判で(無罪にもかかわらず)有罪を受けた事件だけが、えん罪だとすれば、再審で無罪になった古くは免田事件や松山事件、そして最近の栃木県の足利事件や、布川事件は無罪が確定しましたが、それらは「えん罪」ではなかったのでしょうか。再審も立派な裁判です。平岡法相の考え方を当てはめれば、これらの事件はえん罪ではなかった、ということになります。これはおかしい。

 何ゆえに今頃このような発言が飛び出してきたのでしょうか。前出の毎日新聞夕刊をもう少し見てみましょう。「政府は村木元局長のケースに関し『冤罪』の定義について『特定の見解を有していない』とする公式見解を示していたが、法相発言はこれと異なるものだ。」としています。

 つまり、政府はえん罪の定義を持っていない(これ自体がおかしい)のですが、平岡法相はそれに反する発言をしたことになります。なぜイマドキこの発言なのでしょうか。これは検察擁護と考えれば辻褄が合いそうです。つまり、厚労省・村木事件や今進められている、小沢一郎裁判にしろ、検察の〝失態〟はひどいものがあります。加えて、間もなく22年度の「犯罪白書」が発表(毎年11月)されますが、犯罪検挙率は低下していると思われ、その先制的発言と言えそうです。

 これらの実態に対して、警察と検察を鼓舞する役割を平岡発言は持っているように見受けられます。つまり「有罪にならない限りえん罪ではないのだから、積極的に捜査し検挙率を上げろ」と。

 えん罪とは、無罪の人を検挙(逮捕)した時点から発生するもので、裁判の結果とは無関係のものである、と私は考えます。広辞苑は「無実の罪。ぬれぎぬ」とだけ記述しています。あなたはどうお考えですか。

★脈絡のないきょうの一行
「橋下(前大阪府知事)ファッショを許すな」の声、日増しに増大。芽のうちに摘むべし。

2011/11/04 [Fri] 02:07:54 » E d i t
 えっ!? おいおい本当かね、と目を疑いたくなるウェブを発見。2日付けの東京新聞です。以下。

                         ◇=◇=◇
TPPルール 主張困難 米「参加承認に半年」
(東京新聞)2011年11月2日 07時03分

 環太平洋連携協定(TPP)交渉について、米通商代表部(USTR)の高官が、日本の参加を認めるには米政府・議会の非公式な事前協議が必要で、参加決定に時間がかかるため「受け入れが困難になりつつある」との認識を示していたことが、日本政府の内部文書で分かった。正式協議を合わせると米議会の参加承認を得るのには半年間程度が必要な見込みで、早期参加表明しても来夏にまとまる予定のルール策定作業に実質的に加われない可能性も出てきた。

 日本に有利な条件を得るため早い参加が必要、というTPP推進派の主張の前提条件が崩れかねない状況だ。野田佳彦首相は、今月十二、十三日にハワイで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で参加表明を行いたい意向とみられ、民主党内で調整中。表明すれば、これが最速となる。

 日本政府は、米国の承認手続きに関連し、米議会の了承には最低九十日間の協議期間が必要としていたが、事前協議には触れていなかった。日本政府関係者によると、この期間は三カ月間程度という。

 内部文書によるとUSTR高官や米議会関係者は、事前協議は「米政府と議会が時間をかけ非公式な協議を行う」とし、日本政府のTPPへの姿勢を歓迎できる見通しがついて「初めて九十日の期間に入る」と説明している。日本を受け入れるため、現在、米国やチリ、豪州など九カ国で進行中のTPP交渉を遅らせることは望ましくなく「既に参加期限は過ぎた」と明確に述べている米議会関係者もいる。

 TPP参加を後押しする経済産業省などはこれまで「早期に参加して有利な条件を獲得すべきだ」と主張。しかし、APECで参加を表明しても、交渉参加できるのは早くて来年の夏前。九カ国は来夏までの合意を目指している。日本が加わった段階ではルールの細部まで議論が終了している可能性が大きい。

 内部文書は、日本の外務省などの職員がTPPの交渉に集まった米国などの担当者に、日本参加の期限などについて質問し、まとめた。
                         ◇=◇=◇

 難解なようで実はカンタン。日本が今からTPP参加を決めても、手続きに時間がかかる(6ヶ月近く)ことから、事実上間に合わないというのです。政府が夏以降急いだ理由がここにあったようです。が、この報道によればどうも時間切れ状態の様相を呈しています。それでもなお、TPPに秋波を送るつもりなのでしょうか、野田佳彦総理大臣殿。「TPP辞任」にならなければいいですね。

★脈絡のないきょうの一行
国民投票を決めたギリシャに批判続出。中止勢力の巻き返しで、混迷が深化。どうするEU。
経済問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2011/11/02 [Wed] 10:54:12 » E d i t
 これもまた初日と同じパターンで、ヘッドランプをかざして雨とガス状態の中を、聖岳と便ヶ島(たよりがしま)の分岐へと急ぎます。分岐で若干の腹ごしらえをして、荷物は必要なものだけを一つにまとめ、Sさんは空身で歩いてもらうことにしました。ここで前夜同じ小屋に泊った、年齢的には同じくらいでしょうか長野県の伊那に住んでいるという女性が「一緒に歩いていいか」と聞いてきました。断る理由はなく、ここから3人組みとなりました。

 急登をしのいで前進します。樹林の中は良かったのですが、遮るものがない場所に出ると強風が襲ってきました。まずは無事に小聖岳に到着です。一休みして前進しようとしたのですが、すごい強風です。周辺はガスで何も見えない。しばらく様子をみてみましたが、その風は止む様子はありません。

 ここからはあと1時間で目標の聖岳です。山頂まで前進するかどうか、決断を迫られましたが、「もう一度来ればいいさ」ということで撤退ということにしました(これが前回報告につながっているのです)。この先は稜線歩きとなり、風をまともに受ける恐れがあり、少しでもよろめいたりすると、滑落の危険があります。山での「日和見」はある意味、勇気ある美学といえるかもしれません。

 小聖岳の標柱の前で記念写真を撮り、下山にかかりました。途中で4組のパーティとすれ違いましたが、あの人たちがあの強風にどう対応したか分かりません。伊那の女性から住所を聞いて、出来あがった写真を送ることを約束し、分岐からは先に歩くことにしました。長い下りです。「この坂は登りたくないね」とSさんと会話になっていました。

 稜線の中ほどから雨足が強まり、西沢渡を渡渉できるかどうか気がかりになります。沢は無理をすれば渡れる状態でしたが、面白いからと「渡し篭」を使ってみました。二人は乗れる篭で、自力でロープを引き寄せて動く仕組みになっており、無事に対岸に到着。この西沢渡は、前回報告した1964年の遭難のとき、昭和山岳会のメンバーが荒川岳に向けて取り付いた地点でもあります。

 便ヶ島にもどり、車で雨の中を走り抜け、途中、松川IC近くの町営温泉で汗を流して、帰途につきました。帰ってきて、伊那の女性に写真を送ったのはいうまでもありません。即座に、メールでお礼の返事がきました。

*徒歩総時間/第1日目・8時間15分、第2日目・8時間20分、第3日目・5時間25分
 8月15日/便ヶ島(4:00)-易労岳(10:35 11:00)-光小屋(13:50 14:55)-光岳(15:10 15:30)-光小屋(15:45) 泊 ※途中休憩10分×4回
 8月16日/光小屋(4:05)-易労岳(6:15 6:35)-茶臼岳(9:15 9:30)-上河内岳(11:40 12:00)-聖平小屋(14:00)泊 ※途中休憩10分×4回
 8月17日/聖平小屋(4:30)-分岐(4:50 5:05)-小聖岳(6:00 6:15)-分岐(6:55 7:05)-便ヶ島(10:40) ※途中休憩10分×2回

★脈絡のないきょうの一行
やらせメール解明ないまま、九電・玄海原発再稼動。無責任の極み。政府責任で止めるべき。
2011/11/01 [Tue] 10:18:00 » E d i t
 11月に入りました。歳をとると日にちの経つのが早く感じます。これは科学的根拠があります。学んだのですが、説明するのがなかなか難しい。そのうちタイミングが来れば、挑戦してみたいと思います。期待しないで待っていてください。

 2日目、8月16日。

 K弁護士らは直接下山するというので前夜のうちにお別れを言っておき、私たちは予定どおり午前4時過ぎに小屋を後にしました。前日同様、ヘッドランプをかざして。空には星がまばたき、好い天気を予感させてくれます。前日通った易老岳で一休みし、次の目標である茶臼岳をめざします。お花畑で写真を撮ったりしながら、いくつかのアップダウンを繰り返し、仁田岳(にっただけ)の往復はパスし茶臼岳山頂に直行です。

 午前9時をまわっていましたが、この時間になると青空が見えだしました。が、今度は暑さとのたたかいになります。茶臼岳山頂から、北アルプスの槍ヶ岳が見えました。これは感動で、何やら得した気分です。木曾御嶽山の大きさがよく分かり、木曽駒ヶ岳の千丈敷カールも同定できます。進行方向には、ピラミッド型のかっこいい上河内岳(かみごうちだけ)がたたずんでおり山の醍醐味を味わいました。

 一休みして次なる目標、上河内岳へ前進です。日差しは強くなってきましたが、風が出てきたことで救われまました。上河内岳山頂への分岐前の急登をこらえて、そこに着いたら荷物をデポしてカメラだけを持ってジグザグ道を山頂へと急ぎました。上河内岳山頂から広がるパノラマはすばらしいもので、南アルプス南部の重鎮、悪沢岳、赤石岳、聖岳が眼前に展開しています。すごい、これは大きい。3000メートル峰が目の前にこの大きさで広がる場所は、ほかにはないのではないでしょうか。上河内岳が200名山にノミネートされている訳が分かったような気がしました。

 このままここにしばらくいたい、そんな思いが走ります。それを振りきって縦走路の分岐にもどり、今日の宿泊場所である聖平小屋へ急ぎました。次のピーク・南岳から下りになり午後2時ちょうど、小屋に到着しました。歩き始めて10時間でした。

 3日目、17日。

 4時過ぎに目を覚まし、準備をしていると「雨が降り出した」という声が外から聞こえてきました。前夜の気象情報は午後から降り出すとしていましたが、少々早い。やむなく最初から雨具を着けます。初日と同じパターンです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
10月30日に開かれた福島の「なくせ原発集会」に1万人が参加。いのちを守る運動は確実に前進。
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