ヘボやんの独り言
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2011/08/31 [Wed] 11:19:05 » E d i t
 2日目、2007年9月23日。

 前日の疲労が抜けないままスタートです。間ノ岳への厳しい急登に息を切らせます。天気は雲ひとつなく太陽はジリジリと照りつけます。高山であるがゆえに樹木はなく、日陰は望めません。やっとの思いで間ノ岳山頂に到着しました。山頂は天気に誘われたのでしょうか、大勢の人で賑わっていました。

 当初はここに荷物を置いて、前回来たときに果せなかった三峰(みぶ)岳を往復する予定でした。しかし、体調が回復しておらず無理をしないことにして前進です。一旦、鞍部に位置する北岳山荘まで下って、今度は北岳に登り返すことになります。途中、前方に展開する中白峰あたりからの北岳の景色は、雄々しく惚れ惚れとしたものです。前回は北岳山荘の少し先から八本歯のコル方向へ巻いて歩きましたが、今回は北岳の山頂を踏むため直登となります。この登りも農鳥岳小屋から間ノ岳と同じように苦しかった。

 北岳山頂からの眺望は、天気が下り坂となっており期待外れとなり〝アリバイ写真〟を撮って次の目標である、肩の小屋をめざします。小屋に着いたのはまだお昼前。Sさんと相談の結果、疲労回復を図るためにここに留まることにしました。この日チェックインしたのは私たちがトップだったかもしれません。靴を脱いで小屋に入り横になったとたん、睡魔が襲ってきました。

 3日目、9月24日。

 早めの食事を済ませて、小太郎山にチャレンジです。荷物を下山路の分岐にデポして、飲み物をサブザックに入れて(表現が変ですが)眼下に見える山頂をめざします。なぜ眼下かというと、山頂へは一旦下って登り返すことになるからです。こういう山はかなりあります。この場合は下山に「登る」ことになるわけで、少しいやです。しかし、小太郎山山頂からの甲斐駒ケ岳と仙丈ヶ岳は、眼前に広がり立派でした。

 分岐まで戻り、いよいよ本格的な下山です。ルートは前回登ったときと逆ルートをとり、二俣から大樺沢を下ります。北岳に登ったとき一度歩いている道ですが、疲れがあったのでしょう、スピードがでません。Sさんを先にやりながら必死に後をついていきます。広河原に着いたときは、疲労困憊状態となっていました。

 ここからバスで奈良田にもどり、駐車場で待っているマイカーに乗り換え、近くの温泉で汗を流して帰路につきました。この山行、スタートからエネルギーを必要とした厳しいものとなりました。

*徒歩総時間/第1日目・12時間15分、第2日目・5時間45分、第3日目・6時間30分
 9月22日/奈良田(2:15)-(途中休憩1時間)-大門沢小屋(7:10 7:35)-農鳥岳(14:10 14:30)-農鳥小屋 (16:15)泊
 9月23日/農鳥小屋(4:25)-間ノ岳(6:35 6:50)-中白峰(8:00 8:25)-北岳山頂(10:15 10:55)-肩の小屋(11:30)泊
 9月24日/肩の小屋(4:50)-小太郎尾根分岐(5:10 5:25)-小太郎山(7:15 7:35)-小太郎尾根分岐(9:10 9:20)-広河原(12:05) ※バスで奈良田へ

★脈絡のないきょうの一行
大増税内閣誕生。先行き、暗いなー。

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2011/08/29 [Mon] 10:18:42 » E d i t
 百名山報告も、8合目までやってきました。「頂上」までもう少しです。今回は間ノ岳(あいのだけ)です。本来なら前回の北岳と連続して報告したほうが分かりやすかったのですが、別々になりました。参照していただければさいわいです。

 この間ノ岳は、奥穂高岳に次いで日本で4番目に高い山です。が、その割にはあまり知られていません。言わば「マイナーな山」ということになりましょうか。しかし山梨県側から見ると、北岳との吊り尾根は立派ですし存在感があります。名前に「間」が入っているのは、農鳥岳と北岳の間に位置するからでしょうか。

 この山、前回報告の北岳のときに一緒に登っていますが、この報告は2007年9月22日から24日に大門沢から登ったときのものとします。ルートは奈良田から大門沢を登り、農鳥岳、間ノ岳、北岳、小太郎岳の山頂を踏んで、広河原ということにしました。

 このときの同行はがんばり屋のSさん。前夜、山梨県早川町の奈良田まで車で入り、仮眠。朝、まだ暗い2時過ぎにヘッドランプを頼りに歩きはじめました。空に星は輝いていましたが、樹林帯は暗く迷わないよう慎重に前進です。途中、沢にかかった吊橋はおっかなびっくりで渡りました。明るくなりはじめ、ランプをオフに大門沢小屋で一休みです。

 暑さもあって、この小屋から稜線までの道のりが厳しかった。下山後、山登りしている友人にこの話しをしたところ、「あのルートは下ることはあっても登るものじゃない」と一蹴されたものです。泊りの予定は初日に農鳥小屋、2日目は前進できればお池小屋、だめだったら北岳の肩の小屋にすることにしてあり、荷物も少々重くなっていました。

 稜線に出ると、農鳥岳の山頂が見えるのですが、なかなか届かない。そのもどかしさは、表現が難しい。頂上に着いて、やっと小屋に入れると思ったら、何と小屋ははるか下にあるではありませんか。こういうとき、力が抜けるものですね。やっとの思いで農鳥小屋に到着。午後4時過ぎでした。とたんに、小屋番に「遅すぎる」と怒鳴られてしまいました。確かに、「4時までに小屋に到着するように」とは言われていましたが、怒鳴ることはないだろうと思ったものです。

 夕食時、小屋はかなりの利用者でいっぱいでした。ところが不思議なことに、従業員の姿が見えません。外に雑種の犬が一匹いるだけです。結局、食事の支度などは小屋番のオヤジさん一人でこなしていました。後日、山の雑誌で知ったことですが、「農鳥小屋の小屋番は変わっているから気をつけろ」という記事を目にしました。なるほどなー、と、思ったものです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
日本の内閣の短命さに「優れた政治制度への過渡期か、継続的な衰退の症状か」と米・ワシントンポスト紙。これは最大の賛辞か、それとも皮肉か。

2011/08/26 [Fri] 10:57:34 » E d i t
 右足のひざが「半月板損傷」で3月以来治療を続けていますが、一時ほどひどくはないものの痛みが取れません。こんどは7月中旬に、かつて経験したことのない腰の痛みに襲われ、冷や汗が出ました。慌てて痛み止めを飲んだところ収まりましたが、右足に少し痺れが残ってしまいました。

 右ひざの痛みを左足で庇ったために、左足に負担がかかったのでしょうか。右ひざの痛みも、左足の痺れも今でもつづいており、身体全体を支えるのが困難になっています。したがって、急斜面の山などは踏ん張る力が低下しており、とても登れません。とはいえ、そう厳しくない山であれば、4時間程度は歩けるまでに回復してきました。

 そこで、百名山踏破にあと4山と迫ったSさんの要望もあり、尾瀬ヶ原の東側に位置する燧ヶ岳(ひうちがたけ)に挑戦することにしました。しかしSさんは燧ヶ岳に直登したあと尾瀬ヶ原に下り、私はまき道で三条の滝を経て尾瀬ヶ原に出ることにして。お盆の真っ盛り、8月15日に福島県側の登山口・御池(みいけ)のロッジに泊まり、翌朝、夜明けとともに歩き出しました。

 歩き始めて5分足らずで分岐に着いて、Sさんとはお別れです。私は湿原に備えられた木道を歩きます。1時間ほどのところにベンチがありそこで休憩です。すると間もなく同じ年恰好の男性が現われました。聞いてみると前日、Sさんが登った燧ヶ岳へのコースを歩いたものの膝の痛みで歩行困難になり、下山して御池のロッジに泊まって私と同じまき道で、昨日別れた仲間たちと尾瀬ヶ原で落ち合うことにしたといいます。しばらく旅は道連れです。

 その人とは段吉新道との分岐で別れ、私は三条の滝へ下ります。ここは急な下りで地図のコースタイムは30分となっていますが、なんと1時間もかかってしまいました。冒頭述べたように、足の踏ん張りが利かず恐る恐る歩くしかなかったからです。

 三条の滝の写真を撮って、尾瀬ヶ原に向かいます。まだお昼前で行き交う人は多いだろうという予測は外れました。1時間ほどの間にすれ違ったのは4組、10人程度だったでしょうか。尾瀬ヶ原の入口には休憩所が設置してありましたが、当然そこもまばらです。さらに進んでこの日泊まる予定の温泉小屋のベンチで一休み。時間があったので、Sさんを迎えに行くことにして、小屋の集中する「下田代十字路」まで歩くことにしました。

 途中、尾瀬ヶ原を歩きますがここもまた、予想に反して人は少なめです。弥四郎小屋の前でSさんを待つことにしました。そこの「弥四郎清水」の水は冷たく美味かった。おすすめです。30分ほど待ったらSさんは登場しました。改めて、宿泊する小屋に向います。途中、尾瀬ヶ原に注ぎ込む小川にイワナが泳ぐ姿を発見しました。何故か嬉しく思ったものです。

 温泉小屋もガラガラでした。泊り客は30人程度だったでしょうか。この小屋は180人を収容できるキャパをもっています。込み合うときは寝返りも打てないほどになりますが、これは〝天国〟です。なぜ、シーズン真っ盛りにかかわらず尾瀬ヶ原が閑散としていたのか。理由ははっきりしています。原発の風評です。ほとんど関係ないと思われる尾瀬ヶ原をしてこうですから、他は推して知るべし、です。久しぶりに訪ねた尾瀬ヶ原でしたが、ちょっと後味の悪いものとなりました。

 ちなみに、Sさんの百名山完登まで残りは、飯豊山、平ヶ岳、槍ヶ岳の3山となっています。

★脈絡のないきょうの一行
北海道電力でも〝やらせ〟発覚。電力会社は度し難いね。

山の閑話 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2011/08/24 [Wed] 10:29:04 » E d i t
 最近、「原発に依存しないエネルギー政策」だとか、「原子力に依存しない社会の発展を」など、『依存しない』という言葉をよく耳にします。この言葉の意味について少し考えてみました。結論的に言えば、「原発に依存しない」という表現・考え方は、『脱原発』『原発ゼロ』を意味するものではない、ということになろうかと思います。

 依存、という言葉を聞くと条件反射的に「アルコール依存症」が浮かびます。このアルコール依存症をテキストにしながら考えてみます。アルコール依存症は「飲酒行動をコントロールできなくなる病気」と定義されています。ちなみに「日本の飲酒人口は6,000万人程度と言われているが、このうちアルコール依存症の患者は230万人程度であると言われている。飲酒者の26人に1人がアルコール依存症…」(Wikipedia)。

 ちょっと気になる数字ですが、それはおいといて、原発依存症とは何かについてアルコール依存症になぞらえてみると、「原発がないと、社会がコントロールできなくなるという錯覚や幻覚に陥った症候群」ということになるでしょうか。と同時にもう一面で原発依存症は、実は原発「マネー依存症」でもあるとも言えます。

 先週(8月19日)、毎日新聞が原発に関連してこれまで使われたカネは2兆5000億円に達するという報道をしました。原発を擁する地方自治体のなかには、この原発マネーが予算の半分を占めるところもあり、まさに原発マネー依存、すなわち原発依存そのものとなっているといえます。それは、エネルギーとして原発が必要であるということではなく、原発に群がるマネーがなくてはならない存在になっているのです。だから、住民の健康問題を無視してでも、原発を稼動せざるをえないのです。最近の北海道・泊原発の再稼動の動きはその典型といえます。

 全ての依存症を克服する最大の近道は、その対象物を無くしてしまうことです。ところが、アルコール依存症でみれば社会的には、克服のために「アルコールをなくしてしまえ」とはなっていません。つまり、アルコールそのものの存在は認めているのです。もちろんアヘンや覚せい剤などは法的に禁止されていますから、依存症があってもなくてもその撲滅のための方策が取られます。

 翻って、「原発に依存しない」という考え方ですが、アルコール依存症を克服するためにアルコールそのものをなくしてしまうことではない、ことと軌を一にしており、原発は認めているのです。言い方を変えればニュアンス的には、「今の原発依存率は高いから、もっと減らすべきだ」という意味合いも含んでいます。真に原発のない社会づくりをめざすのであれば、「脱原発」「原発ゼロ」などの言い方をすべきです。

 私は「脱原発」であるべきだと考え、そのための運動を強化すべきだと提言しています。その運動づくりにあたって、「原発に依存しない」という人たちとも行動をともにできると思っています。なぜなら原発依存症を克服しよう、すなわち、原発を減らそうという意識は「脱原発」につながる道ですし、運動的には行動をともにして行くことは(相手から拒否されれば別ですが)十分可能だからです。そんなワイド的視野をもった、国民的運動をつくりたいものです。

 さて、あなたは?

★脈絡のないきょうの一行
島田紳助の芸能界引退、見出しだけみたら「大阪府知事選に立候補か」と思ったが、もっと低俗なヤクザがらみだった。笑止。

原発問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2011/08/22 [Mon] 10:20:53 » E d i t
 なんとあの九州電力の「やらせメール」は、国の意向を反映したものでした。あの事件は九州電力という企業だけでなく、国も間接的ですが関与していたことが判明したのです。それを暴露した、読売新聞ウェブを紹介します。以下。

                         ◇=◇=◇
エネ庁、九電に賛成の投稿要請…玄海原発再稼働
【読売新聞8月20日(土)14時45分配信】

 九州電力の「やらせメール」問題で、経済産業省資源エネルギー庁の担当者が、同省主催の佐賀県民説明番組(6月26日)の事前打ち合わせの席で、玄海原発(佐賀県玄海町)2、3号機の再稼働を容認する意見を投稿するよう九電側に要請する趣旨の発言をしていたことが20日、わかった。

 打ち合わせが行われたのは九電幹部が社内外にメールを送信した後で、「やらせ」の契機となったわけではないが、国の意向が九電の組織的な世論工作を後押しした可能性が出てきた。

説明番組への国の関与が明らかになったのは初めて。九電は18日、同省の第三者委員会に報告した。

 九電は、2005年10月の玄海原発プルサーマル導入を巡る同省主催のシンポジウムで、原子力安全・保安院側から動員要請を受けていたことに加え、昨年5月の川内原発(鹿児島県薩摩川内市)3号機増設に関する同省主催の第1次公開ヒアリングでも、同庁担当者から「なるべく空席がない方がいい」などと、動員を求めるような発言を受けていたことも報告。原発推進に向け官民一体となった動員が常態化していた構図が改めて浮き彫りになった。
                         ◇=◇=◇

 誤解を恐れずに申し上げれば企業や政府が主導する、やらせメールや、やらせ投稿は民主主義への冒涜であり暴力です。私たちもある問題について集団的に反対の意思表示(集会やパレードもその一つ)や、メディアへの投稿運動を組織することがあります。政府や国会に対する反対署名をつきつけたりもします。

 これらの行動は暴力ではなく、市民に与えられた「抵抗策」であり、表現方法の一つです。つまり民主主義の発露です。ところが国や企業は権力です。その権力がある種の目的をもってメールや投稿を組織することは許されざることで、一種の暴力といっても過言ではありません。

 今回の事件に限らず私たちは政府や企業、とりわけ大企業の思惑に沿って動かされてきたのかもしれません。その総仕上げが、改憲なのかなと私は考えます。今回のやらせメール問題はこの国の民主主義の〝水準〟を知る上の事件だった、そのことを肝に銘じて目前の「脱原発」運動に取り組みたいものです。

★脈絡のないきょうの一行
忘れてならないTPP問題。27日(土)午後、日比谷公会堂で反対集会。ぜひ参加を。

原発問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2011/08/19 [Fri] 10:32:06 » E d i t
 二股で昼食を済ませたあたりから、体調は戻ってきました。それでも小太郎山までの分岐はつらいものがありました。「これでもか、これでもか」と自分に言い聞かせながら前進です。とろこが稜線に出たとたん、その景色の素晴らしさに、それまでのつらさは吹き飛んでいました。

 稜線から東側の鳳凰三山は雲に隠れていましたが、北側の尾根の突端に小太郎山があります。その延長線上に谷間を隔てて甲斐駒ケ岳がたたずんでいます。西側に目を移せば、仙丈ヶ岳が「テコでも動かないぞ」としっかり根を張っています。空は秋めいて高くなっており、そのコントラストがまた見事です。これこそ至福のひとときです。

 分岐から肩の小屋まで30分です。小屋前の広場に着いたら、北岳が目に飛び込んできました。やはりいい。何故か男性的なそれは見飽きることはありません。「明日はあれにアタックするんだ」と思うと、小屋までの疲れが癒えてくるから不思議です。小屋は金曜日だったせいでしょう、思ったより空いていました。

 2日目。人の動く気配で目が覚めて、小屋の外に出てみると前月に登った鳳凰三山が手の届く位置にありました。太陽が昇ってくると、霧が立ち込み始め、その中を北岳山頂めざします。山頂は早立ちしたためでしょう、5人だけとなりました。霧の中ではありましたが、日本で二番目に高い山を少人数で占領したことに優越感を覚えたものです。

 次の目標は間ノ岳です。それには一旦、北岳山荘まで下らなくてはなりません。その下り切った山荘前で朝食です。持参したラジオから流れてくる天気予報は「崩れる」ことを知らせており、この日登る予定にしていた山梨・長野・静岡の3県にまたがる三峰(みぶ)岳を断念し、間ノ岳を往復することにしました。

 荷物を山荘に置いて、水とみかんと若干のパンをサブザックに詰めて、一気歩きです。キリで視界はゼロ、自然に急ぎ足になります。間ノ岳で二人の若者に追いつきました。聞いてみると、農鳥岳から大門沢を下るといいます。その元気が羨ましくさえありました。山頂から走るように北岳山荘に戻り、荷物を整理しなおしていよいよ下山です。

 下山は北岳を巻く八本歯のコルを経て、登りで苦戦した二俣を通過します。八本歯のコルから二俣までの道のりが意外なほど長く、うんざりしたものです。結局、この日の霧はあがることはなく、終日、乳白色のなかを歩いたことになります。

*徒歩総時間/第1日目・5時間40分、第2日目・8時間10分
 9月5日/広河原(7:35)-(休憩1時間)-二股・昼食(11:10 12:05)-小太郎山分岐(145:35 14:55)-肩の小屋 (15:30)泊
 9月6日/肩の小屋(5:30)-北岳山頂(6:10 6:20)-北岳山荘・朝食(7:05 7:30)-中白峰(7:55)-間ノ岳(8:45 8:55)-北岳山荘(9:55 10:10)-八本歯のコル・昼食(11:20 12:15)-二俣(13:35 13:45)-広河原(15:45)

★脈絡のないきょうの一行
原発マネー、2.5兆円(毎日新聞)。これじゃ、原発依存というよりはマネー依存だね。

2011/08/17 [Wed] 11:30:15 » E d i t
 暑い日がつづいています。もう少しです、がんばりましょう。百名山報告です。

 私の子どものころの記憶では、日本で一番高い山は富士山で、二番目は奥穂高岳、三番目が白根山――というふうに刷り込まれていました。それが何時だったでしょうか、測量をし直してみたら奥穂高岳より白根山のほうが3メートル高かったことが判明。以来、白根山が「第二位」の座を確保しています。

 この白根山の最高峰が、北岳です。通称、「白根三山」と呼ばれていますが、この北岳と間ノ岳(あいのだけ)、農鳥岳(のうとりだけ)の三山を指しています。間ノ岳も百名山に入っており、それぞれ高さといい形といい立派です。農鳥岳は二百名山にカウントされていますが、他の山と比べて決して見劣りはしません。

 「マークスの山」という映画を観たことがあります。この映画は同名の高村薫の小説を映画化したもの。この小説は1993年に早川書房から単行本として刊行され、第109回(1993年上半期)直木賞を受けています。映画は1995年4月に崔洋一監督、中井貴一・萩原聖人主演で映画化されたものでした。映画に北岳が出てくるというので観に行ったのですが、なかなか見応えのあるものでした。

 この北岳には2回登っています。最初は映画を観てから2年後の1997年9月5、6日に南アルプスの北側の玄関口ともいうべき広河原から登りました。2度目は、農鳥岳の山頂を踏みたいと思い、2007年9月22、23、24の3日間に大門沢から歩きました。両方とも日本で二番目に高い山だけあって厳しかった。ここでは最初に登った97年のものを報告します。このとき、百名山のひとつ間ノ岳も登りましたが、この報告は次回に譲ります。

 9月初旬は下界ではまだ夏模様ですが、3千㍍級の山は冬支度に入っていました。前夜零時過ぎにわが家をスタート、広河原に着いたのは午前3時頃。今ではこの広河原にはマイカーは入れませんが、当時はOKでした。単独行の気楽さで、途中のコンビニで買ったビールを飲んで一眠りです。ビールが効いたのでしょうか、明るくなっても寝入っていました。

 コースは、広河原の吊橋を渡り、広河原山荘の横から大樺沢を経て二股から小太郎尾根の分岐に乗って、肩の小屋泊まりとしました。ザックには素泊まりとしたため、昔ながらの重いシュラフ、しかも農鳥岳まで行くつもりで食料は3日分となり、当然重くなりずっしりと肩に食い込みます。歩き始めから、「これはヤバイかも」と内心不安が走りました。それでも「いつか目的地に着くさ」と自分に言い聞かせ、ゆっくり、ゆっくり歩きます。

 当然、後から来るパーティーには道を譲ります。全部で5パーティー・20人くらいだったでしょうか、先に行ってもらいました。前夜の寝不足もあったかも知れません、二股までの間の苦しかったこと。通常2時間で行けるところを3時間半かかってしまいました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
福島第一原発の「水素爆発予測しなかった」と東電(毎日新聞)。想定外だった津波被害だろうが、お粗末至極。
2011/08/12 [Fri] 10:37:12 » E d i t
 8月4日、東海テレビの「ぴーかんテレビ」番組で、岩手県産のコメを聴視者にプレゼントする企画の放送中、不適切なテロップを流し批判が集中しました。テロップは「怪しいお米」「汚染されたお米」「セシウムさん」等が表示されたといいます。

 東電福島第一原発の放射能汚染が問題になり、風評被害が広がっていただけに、岩手県をはじめ多くの被災者の怒りを買いました。同社はこの問題について岩手県庁と全国農業協同組合連合会岩手県本部にお詫びに行き、5日18時半から約15分間放送された特番の中でもお詫びを出しました。あわせてこの事件の経緯を、ホームページで明らかにしています。以下、原文のまま。

                         ◇=◇=◇
 1)なぜ常識を欠いた不謹慎なテロップが放送現場に存在したのか?
 CG制作を担当する50代の男性スタッフにより作成された。
 CG制作担当者が、実際に当選者の名前を記入する前の仮のものとして「ふざけた気持ち」で作成してしまったものだった。
 CG制作担当者に渡す発注書には、不謹慎な文言は記載されていなかった。
 ・8月3日(水)(=放送前日)にテロップ画面をタイムキーパー(以下TK)が確認、その場で訂正を依頼した。しかし、CG制作担当者はそれを訂正の依頼と認識せず、そのまま放置した。
 ・8月4日(木)(=放送当日)朝、TKが問題のテロップを再度確認し、改めて訂正を依頼したが、CG制作担当者はこの時点でも「訂正の依頼と認識せず」放置した。
 ・「訂正」を巡るスタッフ間の理解の食い違い、テロップをチェックすることになっているディレクターに、問題のテロップの存在が伝わらなかったことで、チェック機能が働かなかったという管理体制の甘さにより、常識を欠いた不謹慎なテロップが、放送の最終段階まで残ることになってしまった。

 2)なぜそのようなテロップが23秒間も放送されてしまったのか?
 ・不謹慎なテロップが出たのは、通販コーナーのVTR O.A中だった。番組スタッフはその裏で、その後に予定されていたスタジオコーナーのリハーサルを行っていた。
 ・TKがリハーサルに合わせ当選者発表の仮テロップを準備する作業をしようとした際、仮テロップが不謹慎な文言のままだということに気づいたが、誤操作でテロップが放送されてしまった。
 ・不謹慎なテロップが画面に出た際、ディレクター他の制作スタッフは、放送画面ではなくリハーサル用の画面を見ながら作業をしていたため、放送画面のチェックが遅れ、その後慌ててテロップを外したが、結局23秒間にも渡り放送してしまった。
                         ◇=◇=◇

 「ふざけた気持ち」やジョークを否定するつもりはありません。しかし緊張感のなさにただ、あ然とするばかりです。前記の経緯を見ると、訂正依頼があったにもかかわらず、訂正依頼だと思わなかったという点においては、何をかいわんや、です。

 いや、流れたテロップの内容は「訂正」などの依頼がなくても、本来なら問題視すべき事柄です。それがノーチェックのまま流れた。これは企業としての体質を疑われても仕方がありません。東海テレビに電波を扱う資格はない、私はそう言いたい。

 同社によると事件後、抗議のメールが6日の9時までに約1600通に上ったといいます。さらにコマーシャルから撤退する企業も出ているといいます。これらは当然の帰結ですが、評判の悪いメディアに、また汚点が増えたことは間違いありません。

★脈絡のないきょうの一行
東日本大震災の復興策財源として、所得税納税額に10%または5%の上乗せ案(読売)。おい、おい、冗談じゃねぇぞ!

2011/08/11 [Thu] 11:15:22 » E d i t
 巣立ちのお祝いや激励のメッセージがたくさん届きました。収容し切れませんでしたのでもう一度おつきあいください。

 ▼心温まるエピソードを有難うございました。雀と同じように鳩にも無関心でいましたが、子育ては大変なのですね。人間も見習って欲しいものです。(香)

 ▼千代田区労協が、平和の拠点であることを、ゆりかごであることを、示したかな? 去れば去ったで少し淋しい。お疲れ様。(梅)

 ▼おはようございます。今朝ゆっくり親子の姿(写真)を見ましたが少し小さい? と思うぐらいで、飛んでいたら立派な成鳥に思いそうです。東京、神奈川等埼玉も、もちろんですが、放射能汚染が場所を特定出来ず拡がり、動物、生物渡り鳥達の広範囲での汚染を止めたり、検査したりが不能です。地球上のあらゆる生物が、安心して暮らせる環境は無理なのでしょうか?(お)

 ▼温かい見守りご苦労さまでした。写真では子も親も区別つきませんね。得てして子は一人で大きくなったかのように錯覚するのですが・・・彼らはどうだったでしょうか。さあ慈父だったあなたの再度の仕事はベランダの掃除です。アレルギーや細菌等の元・・・です。除染ならぬ除去は大事、頑張って!(淀)

 ▼ハトの巣立ちおめでとうございます。平和の象徴のハトが巣立ち・飛び立つのはすがすがしいです。原発問題でもやもやした気持ちが多少やわらいた感じがします。(嶋)

 ▼「鶴の恩返し」という民話がありますが、「鳩の恩返し」もあるかもですね!(欲深きバアバ)

 ▼あ~とうとう巣立ったのですね~とても楽しかったので、寂しいです。水久保さん、ありがとう。(仁)

  ▼鳩の巣立ち 感動しました。4羽の姿に愛を感じました。平和を運んでいったのでしょうね。ファイナルの皆さんの感想を読ませていただきそうだ、そうだと頷きながら住みよい世の中でありますようにと祈らずにはいられません。ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。(江)

 ▼ファイナル情報ありがとうございました。一連のおもしろいニュースでした。区労協ニュースにかこみで入れたらどうですか。(山)
                         ◇=◇=◇

 たくさんのメッセージありがとうございました。謝謝。都心の一角で育った小さないのち。それが羽ばたいていく姿は、絵になります。8日と9日の午後4時頃(同じ時間帯)、親鳩がベランダに並んでいました。もしかしたら、子鳩が帰ってきてはいないかという点検ではないでしょうか。だとしたら、動物の親はいつまでも親なのですね。

 今回、初めて写真を使いました。千代田区労協のホームページの管理者から、「これは写真があったほうがいい」という指摘があったからです。これからも時おり、活用したいと思います。オマケに「ハトポツポ家族風景」をあと2枚ほど、UPします。

★脈絡のないきょうの一行
菅直人総理大臣、ファイナルへいよいよ秒読み。起死回生の策がでるか?!


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2011/08/10 [Wed] 10:58:58 » E d i t
 ハトポッポ情報のつづきです。

 11/8/4⑥
 区労協のベランダ(ビル7F)で生育中のハトは、随分大きくなりました。きょう、2羽とも初めてベランダの手すりの上にたちました(写真)。親鳩より一回り小さいですが、立派な姿になってきました。まだ飛び立つ勇気はなさそうですが、周辺の様子を伺っています。間もなく飛び立つかもしれません。タバコを吸う場所を占拠されたみなさん、もうすぐです。お待ち下さい。

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 11/8/8⑦
 今朝出勤してきて、事務所のベランダを覗いたら予想通りハトポッポたちの姿は消えていました。無事に巣立ったようです。写真は、もしやと思って先週5日夕方に撮影したものです。親子4羽がそろっているのを見るのは初めてでした。巣立ちの打ち合わせでもしていたのでしょうか。6月14日以来、久しぶりにベランダのドアを開けてみました。周辺はフンだらけで、掃除に一苦労しそうです。平和の象徴が、ヒロシマの日あたりに飛び立って行ったことを嬉しく思っています。ハトポッポ最終情報でした。

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 以上がその経過報告ですが、巣立ったあと、たくさんの「お祝い」や「激励」が届きました。電話もありましたが、メールを紹介しましょう。

                         ◇=◇=◇
 ▼ハトポッポの旅たちおめでとうですね。ひょっとすると、平和を追求する区労協の姿に、親バトが天空から見つめ惚れて間借りを決めたのでしょう。多分、広島~長崎へ飛んでいるかもね。ともかく約2ヶ月の間ご苦労さまでした。(明乳・村)

 ▼心優しい水久保様。お疲れさまです。無事の巣立ちお慶び申し上げます。(の)

 ▼そうか。鳩も行動開始前には実行委員会をやるのか。コングラチュレーション。(仲)

 ▼こんにちはっ。うち、もっか、かれこれ30年以上ずっ~と実家…笑。いぃかげん巣立ちたぃですっ…笑。(え)

 ▼巣立ちの打ち合せの写真よく撮れてますね。この2ヵ月子供の巣立ちを見守る親の気分でしたね。最後の後片付けご苦労さまです。(発つ鳥後を濁さずというのはウソだったのね!)。(牧)

 ▼連載「ハトポッポ」もめでたく最終回を迎えご苦労様でした。それにしても、最終回の写真を拝見するに「鳩首会談」とはよく言ったものです。日本の政治家にもこれくらい真剣に会議をしてもらいたいたいものです。(丹)

 ▼よかったですね。無事に巣立ってくれて。カラスにねらわれないかと気になっていました。先週飛んでいってしまうかなと思いつつ、本日事務所に寄りました。予告してくれたら、巣立ちのパーティ開いたのに…、と無念の会話でした。(富)

 ▼まずは、お疲れ様でした。広島平和記念日での、無事の巣立ちに何か感じるものがあります。家族4羽なんとか仲良く幸せに、この厳しい都会の自然を生き延びてくれればと願うばかりです。(深)

 ▼巣立ちの気配を察していたハトポッポ情報者、さすがです。しばしの宿を借りることが出来て幸せの一家でしたね。(ひ)

 (次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
マニフェストの見直し合意。変更できるマニフェストは、マニフェストといわないのでは?

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2011/08/09 [Tue] 11:02:45 » E d i t
 きょうは、66回目の「ナガサキ」の日。平和を願うそれにちなんだわけではありませんが、私が勤めるこの事務所のベランダにハトが子育てを行い、6日あたりに巣立ちました。この模様を、あちこちの団体・個人のみなさんに、「ハトポッポ情報」として送りました。すでに受信済みの方もあろうかと思いますが、改めてその模様の全文を以下、紹介します。

 11/6/15①
 14日の午後、千代田区労協(サンライトビル7F)のベランダに、ハトが卵を産み落としました。ここは意外と安全だからかもしれません。昨日までは産みっぱなしで時々、親鳩(つがいらしい2匹)が様子を見にきていましたが、今は抱卵しています。しばらくそっとしておいてあげたいと思います。ベランダへのドア、しばし開閉禁止にしますのでご協力ください。元気な赤ちゃんが生まれるといいですね。

 11/6/22②
 前回の報告以来、鳩はしっかり抱卵しています。昼間、一日に数回交代しています。恐らく食事時間でしょう。抱卵中はけっこう向きを変えています。温かさの伝わり方を調節しているのかもしれません。モノの本によると、孵化するまでは産卵から20日ほどかかるといいます。まだ先ですね。鳩は通常、雌雄2個の卵を産むといいますが、私が見たのは1個だけ。さて、どうでしょうか。ここの鳩、卵を産んでから巣作りをしていました。これはもう「できちゃった婚」だと、笑っているところです。見づらいのですが、抱卵中の写真を添付してみます。
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 11/7/6③
 ある人から「鳩はどうなった」というメールを頂き、覗いてみたところ本日午後、ハトポッポが孵化しました。写真は見づらいのですが、茶色の産毛です。ちゃんと動いています。卵を産んでから、22日目ということになります。問題はこれから。飛び立つことができるように祈りたいものです。
 ところで、鳥類の誕生日はいつになるのでしょうか。卵として産み落とされた日か、はたまた、きょうのように孵化した日か。「無精卵もあるから、孵化した日ではないか」という人が多いようです。悩みますなー。法律的には何か定めがあるのでしょうか。教えて、法律の専門家のみなさん!(そんなもんないか)。 取り急ぎ報告まで。
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 11/7/7④
 な、なんと! 親鳥が留守した間に点検してみましたら、雛鳥が2羽いました。「だいたい、ハトは卵を2個生む」という連絡をいただいた方がありましたが、そのとおりでした。ここのベランダから2羽が巣立つ日が楽しみです。緊急速報でした。

 11/7/29⑤
 ハトポッポ、随分大きくなってきました。ピンボケですが写真でも分かりますように、ハトらしくなっています。時おり羽根を広げています。もしかしたら飛ぶためのイメージトレーニングをしているのかもしれません。親鳥は2羽とも一緒にいる場合が増えています。7階のベランダから下界を睥睨(へいげい)しています。敵が襲ってこないか監視しているのでしょう。飛び立つのがいつになるか、楽しみです。
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 (次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ。そしてノーモア・フクシマが加わった。悲しい。

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2011/08/08 [Mon] 14:20:31 » E d i t
 8月6日、8月9日、そして8月15日――。いうまでもなく、ヒロシマ、ナガサキ、そして終戦です。この10日間を、平和を考える期間として位置づけられたらいいな、と思っています。題して「いのちを考える旬間」。

 敢えて、「戦争と平和」ではなく「いのち」としてみました。いのちは、地球誕生から今日まで営々として受け継がれ、未来にも引き継いでいかなければならないかけがえのないものだからです。いのちの大切さを考えれば、戦争がいかに愚かなことかを自ずと知ることができると考えたからです。

 人類はなぜ戦争を起こすのでしょうか。原因は「富」(とみ)の争奪にあることははっきりしています。それを糊塗するために、「正義」や「道理」を振りかざしてヒトを殺すことを正当化するのです。

 「富」の定義はいろいろ難しい面がありますが、近代のそれは経済における「市場」と同意語と解してもいいでしょう。相手国から市場を略奪し自国の市場を拡大する、その手段が戦争であるとみれば、比較的理解しやすいかもしれません。

 危険だと思うのは、最近では鳴りを潜めて(いるように見えて)いますが新自由主義的考え方です。これは、私流に言わせていただければ「市場至上主義」であり、市場拡大こそが最大の目標で、強いものしか生き残れない考え方です。従って、その行き着く先にどうしても軍備力の増強が必要となってきます。その新自由主義を実践したのが、小泉・竹中流の「構造改革路線」だったことは知られているとおりです。

 少し横道にそれました。太古、ヒトは太陽が昇ってから起きて、太陽が沈んだら寝るというごく自然の生活をしていました。しかし、くらしを楽にするためにモノづくりを始め、たまたまそのモノに余りが出てしまい、争奪が始まった。それが戦争の起源だといえます。だとしたら、戦争をなくすにはその余剰生産物の扱いについて、きちんとした国際的なルールをつくればいいはずです。

 それが分かっていても、この地球上のどこかで戦争が起きています。なぜか。前述のルールがないことも一つですが、いのちの大切さの重さが、あまりにも軽視されているからではないでしょうか。だから「いのちを考える旬間」が必要ではないかと考えたのです。

 すみません、判じ物のようになってしまいました。人間の寿命は地球の歴史からみれば短いものです。長いといわれる日本人でさえ女性・86.39年、男性・79.64年となっています。丸めて、たかだか80年。その間に、戦争を起こしてヒトのいのちを奪って喜びが生まれるのでしょうか。否であります。

 「昔、戦争というものがあった。ヒトがヒトを殺すという考えられないことが行われていた。しかし、それではいけないと、やっとヒトは目覚め、いのちを考える期間を定めた。それが8月6日から15日までだ。この期間は日本という国で戦争があったことを記念しているという。いのちの大切さをこの期間に考えてみよう。」――そんなことが実現できるといいてすね。

★脈絡のないきょうの一行
花巻東高校、ねばったけど及ばす。球児たちの、光る汗と涙に拍手!!!

2011/08/05 [Fri] 10:53:29 » E d i t
 3日付けの産経新聞ウェブで「『千年に一度の巨大地震の世紀』首都圏直下型や3連動型の可能性も」という記事がありました。長い記事なので少しカットして紹介しますが、今世紀は「大地震」が襲うのではないかという予想です。最近、週刊誌でも騒ぎ始めましたが見過ごすことはできません。以下。

                         ◇=◇=◇
【産経新聞8月3日(水)3時15分配信】
 東日本大震災規模とされる平安時代の貞観(じょうがん)地震(869年)や関東直下型地震、東海・東南海・南海地震の3連動とみられる仁和(にんな)地震など9世紀に起きた地震が、阪神大震災(平成7年)以降の地震の状況と酷似していることが、産業技術総合研究所の寒川(さんがわ)旭(あきら)・招聘(しょうへい)研究員(地震考古学)の分析でわかった。近い将来に首都圏直下型や3連動型地震が起きる可能性が高いとの見解を示し、「千年に一度の巨大地震の世紀になるかもしれない」と警鐘を鳴らす。

 寒川氏は、古代以降の文献史料とともに、各地の遺跡で発掘された地割れや液状化現象による噴砂などの地震痕跡を調査。9世紀前半に関東北部や東北などでマグニチュード(M)7前後の地震が相次いだ後、貞観地震が発生していることを確認した。

 貞観地震は当時の歴史書「日本三代実録」に、「海は猛(たけ)り吼(ほ)え、津波が怒濤(どとう)のように多賀城下に押し寄せ、千人がおぼれ死んだ」と記述。当時の海岸から約5キロ内陸の多賀城跡(宮城県多賀城市)周辺では道路が寸断された跡が見つかり、仙台市などでは津波で運ばれた堆積物もあった。

 878年には関東南部でM7以上の直下型地震が発生。887年の仁和地震では、日本三代実録に「都(京都)の建物は倒壊し、圧死する者多数。海岸には海潮(津波)が押し寄せ、無数の人がおぼれ死んだ。大阪湾岸も津波被害が甚大だった」と記録。東海から四国にかけて甚大な被害があったという。

 寒川氏の分析によると、最近数十年間に秋田などで死者100人以上を出した日本海中部地震(昭和58年、M7・7)や阪神大震災(M7・3)、新潟県中越沖地震(平成19年、M6・8)など各地でM7前後の地震があり、その後東日本大震災が発生した点が、平安時代の状況と共通していると指摘した。

 首都圏直下型地震や東海・東南海・南海地震について寒川氏は、いずれもフィリピン海プレートの影響下にあり関連が深く、過去の首都圏直下型や仁和地震に匹敵する3連動型地震が発生する可能性が高いとした。

 (略)

 寒川氏は「東日本大震災では『想定外』という言葉がしばしば使われたが、文献史料には過去の巨大地震が詳しく記されており、決して想定外ではない」と話した。

 古村孝志・東大地震研究所教授(地震学)の話「これまで、江戸時代以前のデータは不確かさがあるということで防災対策などでもあまり注目されなかったが、今回を教訓に文献史料などを見直さないといけない。東日本大震災後の余震は以前より落ち着いてきたが、陸のプレート深部はまだ動いており、バランスをとるために再び大地震が発生する可能性が高く、対策が急がれる」
                         ◇=◇=◇

 ノーコメントにしておきましょう。

★脈絡のないきょうの一行
株価、アメリカが下がったら日本も追随現象。株を持っていない私にはカンケイないが、経済の先行きが心配。

災害問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2011/08/03 [Wed] 10:52:26 » E d i t
 この前の日曜日、千代田区労協の年間総括と方針を議論する会議(会場は、福島県棚倉町)が終わったあと、仲間たちと福島県いわき市の小名浜港を訪ねました。大震災後の復旧状況を見るためです。

 実態は復興どころか復旧さえ出来ていません。海岸線を走る大きな通り(片側2車線)の信号は消えたままです。電柱も傾いたままのものがあります。街路灯にいたっては、液状化のせいでしょう倒れかけています。報道では水族館は再開したとありましたが、その周辺の施設は閉じたままです。

 漁港に行ってみました。3.11前まではセリの元気な声が響いていたであろう、その建物は床が陥没し、ひびが入っているところがあります。「これを復旧するには、床のコンクリートを全部はがして処分したあと、平地にするしかないなー」とぼんやり考えていました。岸壁も海に面している部分はいいのですが、少し離れるとここも陥没しています。車が入れる状態ではありません。

 周辺の海産物を扱っていたと思われる店は、津波に襲われたのでしょう1階部分が抜けています。食堂も市場の2階にあるそれは営業していたものの、周辺は建物が壊れたままで、修復さえできていません。市場の1階の駐車場に変な止まり方をしている軽自動車がありました。そのフロントガラスは亀裂が入り、車体もキズだらけです。車体の横に「持ち主は処分してください」という張り紙がありました。震災後、この場所に放置されたままなのでしょう。

 大震災によるいわき市の被害は、8月2日付けで死者・308名、不明者・39名、全壊家屋・6,510棟、大規模半壊・5,919棟、半壊・13,321棟、一部損壊・20,679棟――となっています。東電福島第一原発による避難などの影響はないものの、厳しいことに変わりはありません。

 堤防では何組かの親子連れが釣り糸を垂れていました。のどかな風景です。ついこの前、大津波が襲い多くの人のいのちを奪ったなど、考えられません。小名浜港が活気づく日はいつになるのでしょうか。市場からトンネル方向に少し歩いた場所に営業している食堂があり、そこでお昼にしました。海鮮丼がウリで美味しかった。

★脈絡のないきょうの一行
「鳩山氏、海江田氏に辞任促す」――小さな親切、大きなお世話だ。

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10605 寿命 
2011/08/01 [Mon] 10:52:11 » E d i t
 7月27日、厚労省から「平均余命」の発表がありました。これによると寿命は女性・86.39年、男性・79.64年となっています。前年比では男性は0.005年上回り、女性は0.55年下回っています。この問題、ちょい、考えてみることにしました。

 まず、おさらいから。平均寿命とは、現在(今回の発表は10年度分ですが)ゼロ歳児があと何年生きられるか、ということを指しています。したがって、ここから単純に引き算をしたものが自分の余命だと思ってはいけません。たとえば、今回の調査では(カッコ内は女性)、40歳の男性の余命は40.81歳(47.17歳)、60歳は22.84年(28.37歳)、80歳は8.57年(11.59歳)などとなっています。

 そこで自分のことを考えてみました。データは5歳きざみしか出ていませんので、65歳のところを見てみます。余命18.86歳となっていました。あと19年ということは、84歳ではありませんか。こ、これは素直に「嬉しい」とは思えません。

 長生きすることは喜ぶべきことです。が、いまの社会状況を考えると澱のようなものが消え去りません。「本当に生きていけるのか」という疑問の澱が。消費税が上げられようとしています。原発もあれだけ「痛い目」をあったにもかかわらず、再稼動だの推進だのの声は止まりません。医療制度も年寄りを邪魔者扱いするかのように、改悪が繰り返されています。「ゆたかに生きる」ことが間違いなく阻害されています。

 ところで過去の平均寿命はどうだったでしょうか。私が生まれた年1947年は、男・50.06歳、女・53.96歳となっていました。戦争が短くしたのは明らかです。それが65年には男・67.74歳、女・72.92歳となり、00年には男・77.72歳、女・84.60歳と延びています。医療の発展が大きく寄与しているであろうことは、容易に想像できます。

 それでは諸外国の場合はどうでしょうか。調査年にアンバランスがありますので、09年、ないし10年の最近の調査、それも男だけを拾ってみましょう。中国・69.63年、イスラエル・79.7年、韓国・77.00年、デンマーク・77.05年、ドイツ・77.33年、オランダ・78.80年、スウェーデン・79.53年、スイス・79.80年、イギリス・77.70年――などとなっています。イスラエルが以外に長いですね。スウェーデン、スイスは、さすが、と言えそうです。あのアメリカは、07年の調査ですが75.4年となっています。意外に低いですね。

 発表されたデータ、丁寧に「死因別死亡確率」も出ています。生きていることだけでなく、死因についても言及するとはなかなかバランスが取れています。全体としてもほぼ同じ数字になるようですが、65歳男性のところをみてみましょう。▼悪性新生物=29.17%▼心疾患(高血圧性を除く)=14.82%▼脳血管疾患=10.08%▼肺炎=13.62%▼その他=32.31%――となっています。これが90歳になると、トップは肺炎・19.80%となります。私の母もそうでしたが、高齢化になると肺炎の死亡率が高くなるようです。悪性新生物というのは癌のことですが、最近鬼籍に入った友人たちのことを思い浮かべると、やはり多いですね。

 さて、残された時間、まだまだたっぷりありますがどう生きましょうか。

★脈絡のないきょうの一行
同じ状態になった場合の首都圏の備えは不十分。40万人の避難者を出した新潟・福島の豪雨被害、他山の石とすべし。

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