ヘボやんの独り言
06« 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 31.»08
スポンサーサイト 
--/--/-- [--] --:--:-- » E d i t
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 *  TB: --  *  CM: --  * top △ 
2011/07/29 [Fri] 16:54:38 » E d i t
 先日の「千代田平和集会」のパネルディスカッションのなかで、法政大学の増田正人教授から、大震災問題にからんで「住民を中心にした復旧や復興をどうしていくのかが大事な問題だ」という発言がありました。この「復旧」と「復興」のちがい、長年被災者支援の運動に取り組んできましたが、私自身明確にしないまま、ぼんやりと使っていました。ところがこの集会で発言となって現われましたので、改めて考えてみることにしました。

 広辞苑には「復旧=もと通りになること。もと通りにすること。」と説明しています。一方の「復興=ふたたびおこること。また、ふたたび盛んになること。」としています。ほかの辞書を調べてみましたが、同じように書いてあります。

 たしかに、「復旧工事」という使い方はしますが、「復興工事」という言い方は目にしません。「復旧」は原状回復の意味合いが強く、「復興」はそれより先の発展した状態をイメージしています。新聞やテレビを見ていて、この言葉が出てきたとき私は復興も復旧も同じようなものだと、漫然と考えていました。

 この問題について福島県の「福島県復興ビジョン検討委員会」(座長・鈴木浩福島大学名誉教授)が、7月8日に佐藤雄平福島県知事に「復興提言」を諮問しました。その中には名文化されていませんが、検討委員会で「復旧」と「復興」についての興味ある議論がされています。

 同検討委員会の議論では、復旧は「従前の姿に戻す」ということとし、復興は「震災の結果を踏まえてよりよい状態にする」と位置づけました。この考え方、非常におもしろい。復興は復旧よりさらに進んで、よりよい状態にすることだというのです。この使い方の違い、学びたいものです。

 当然私たちは「復興」すなわち震災以前より、よりよいまちづくりや労働を要求します。それは何より人間性の回復につながるからです。以前、この小ブログで「復興とは人間性の回復を実現することによってこそ完遂する」ということを書きました。それは災害被害がいかに人間性を破壊するものであるかが明らかだからです。

 間もなく大震災発生から5ヶ月目に入ります。被災者のみなさんの生活はどうなっているでしょうか。仮設住宅の建設は遅々としています。せっかく仮設に入れるようになっても、食事の提供がないことから断るケースが生まれているといいます。

 福島県の「ホットスポット」周辺のみなさんは、避難場所から自宅に戻れない状態が続いています。まだ正確な数字は発表されていませんが、震災関連自殺は急増しているといいます。これらは人間性の破壊そのものです。まちづくりもさることながら、被災者のくらしに人間性を取り戻すことも緊急に求められています。

★脈絡のないきょうの一行
痛まれる豪腕投手・伊良部秀輝さん(42)の死。ヤンキースの「永遠にヤンキースファミリーの一員だ」の声明に安堵。

スポンサーサイト
災害問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2011/07/27 [Wed] 09:43:37 » E d i t
 きのうの千代田平和集会は、140人に参加いただきました。ありがとうございました。これらの運動を通じて、脱原発の「ホット・スポツト」を全国津々浦々につくりたいですね。

 26日の毎日新聞ウェブで、「<今夏の電力供給>揚水発電、2割過小評価…東電など7社」という記事をみつけました。以下。

                         ◇=◇=◇
 経済産業省がまとめた今夏の電力需給見通しで、電力7社が水力発電の一種である揚水発電による電力供給力を、発電能力を示す設備容量より約2割(535万キロワット)少なく見積もっていたことが25日分かった。原発停止による電力不足で需給見通しに注目が集まる中、専門家からは「供給力を低く見積もる根拠を示すべきだ」との指摘も出ている。

 揚水発電は、水力発電所の下流と上流に貯水池を造り、夜間に余っている電力を使って下流から上流に水をくみ上げ、日中の電力需要のピーク時間帯に放水する仕組み。

 電力需給見通しは9電力会社の報告を基に経産省がまとめた。9社が公表した設備容量は計2621万キロワットだが、需給見通しは今年8月の供給力を2割少ない2086万キロワットと設定。最も差がある東京電力は設備容量1050万キロワットに対し、供給力は約3割少ない700万キロワットにとどまる。関西電力も設備容量506万キロワットに対し、供給力は449万キロワットと1割程度少ない。

 東電は毎日新聞の取材に「夜間のくみ上げ量に限界があるため」と説明している。本来は主に原発の夜間の余剰電力を使って水をくみ上げるが、福島第1、第2原発の停止で余剰電力が減少しているため、揚水発電も設備容量通り使えないという。

 ただ、専門家によると、揚水発電は、一般の水力発電に比べ雨量に左右されないため、設備容量通りの供給力を発揮しやすい。さらに、原発が停止しても、夜間の余剰電力は、原発以外の発電で代替できる。経産省の需給見通しで九州電力と北陸電力は供給力と設備容量が一致している。【大迫麻記子】7月26日(火)2時31分配信
                         ◇=◇=◇

 おや? と思われる向きが多いことと思います。早い話しが、データに手心が加えられているのです。原発事故が起きた後の時期が時期だけに、疑惑は深まります。「この供給量では間に合わない」から、従って「原発再稼動は必要」との世論誘導をしようとしているのではないか、という疑惑です。ついこの間、九州電力の「やらせメール事件」が発覚したばかりで、同じ臭いがしてなりません。

 電力各社の説明が楽しみですが、供給量に手心を加えていれば、使用量にも同じことが行われているのではないかと、もう一歩突っ込んだ疑念が生まれます。いや、もうすでに分母である供給量が大きくなる関係から、使用率は小さくなるはずです。電力会社と経済産業省は、真の供給量と使用量(率)を国民に知らせるべきです。原発を使用しなくても、もしかすると現在の設備だけで十分、間に合うのかも知れないからです。

★脈絡のないきょうの一行
埋めた車両の掘り起こし。中国高速鉄道は、花咲か爺さんの「ここ掘れワンワン」かい。

未分類 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2011/07/25 [Mon] 10:12:10 » E d i t
 明日26日、「第20回千代田平和集会」がエデュカス東京の7階ホールで開かれます。首都から平和と民主主義を守るメッセージを発しよう、と始まったこの集会、早いもので20回目です。私は当初からこの運動にかかわってきましたが、多くの仲間たちの支えがあったからこそ続いてきました。改めてお礼を申し上げます。

 今年の集会は原発問題を取り上げることにしました。安全はどうなるか、健康は大丈夫か、経済はどうなるのか、そしてメディアの報道はどうだったか、など総合的な議論をすることにしています。講師陣は、放射線の専門家である日本大学専任講師の野口邦和さん、経済問題に強い法政大学教授の増田正人さん、そして元朝日新聞記者で現在は専修大学教授の藤森研さんです。

 この集会はパネルディスカッション形式で行うことになっています。ぜひご参加を。

 山の報告のつづきです。2日目は鳳凰小屋で午前3時半に目を覚まし、4時にスタートしました。山頂近くで日の出を見ようということから、早めの出発となったものです。地蔵岳直下でサンライズに遭遇しました。天気は前日と打って変わって雲一つ見当たらず、絶好調でその神々しさに息を呑んだものです。

 直下から見上げるオベリスクは、力強さがあります。周辺には、その名のとおり沢山の地蔵が置いてあります。人々がここまで運んできたのでしょう。もちろん、大きなものは重くて持てませんから小ぶりのものばかりです。その地蔵さんたちの表情はまちまちですが、なぜか心休まります。オベリスクと地蔵さんに別れを告げて、急登をしのぎアカヌケの頭に出たとたん、パノラマが広がり感動です。

 南側に北岳と間ノ岳と農鳥岳、西側には甲斐駒ケ岳、遠く北側には八ヶ岳と蓼科山が雲の上に頭を出しています。その景色は、苦しさに打ち勝って山頂に立った者だけに与えられる特権です。アカヌケの頭で朝食にして、白鳳峠から一気に下り広河原に出て、バスで夜叉神峠まで出てマイカーに乗り換え、帰路につきました。

 この山、08年8月にもチャレンジしました。そのときも同じコースを歩きましたが、泊まったのは白鳳峠からかなり先の早川小屋でした。初日は12時間を超える行動時間となり、これも厳しかった。そのときは天気に恵まれアサヨ峰に登り、甲斐駒ヶ岳をいつものJR中央本線の反対側から見ることができましたが、やはり甲斐駒は立派でした。そういえば、鈴木やっさんとの「いつか早川小屋で一緒に泊まろう」という約束は、永遠に反古になりました。

徒歩総時間/7月19日・7時間40分、20日・5時間40分
 1日目
 夜叉神峠登山口(4:45)-夜叉神峠・朝食(5:40 6:35)-杖立峠(8:00 8:15)-途中休憩・仮眠40分-苺平・昼食(10:40 11:20)-南御室小屋(11:45 12:00)-薬師岳小屋(13:35 13:45)-薬師岳山頂(13:55 14:05)-観音岳山頂(14:35 15:00)-鳳凰小屋への分岐(15:30 15:45)-鳳凰小屋(16:10)・泊
 2日目
 鳳凰小屋(4:00)-地蔵岳(5:15 5:30)-アカヌケの頭・朝食(5:40 6:45)-高嶺(7:15 7:50)-白鳳峠(8:20 8:45)-広河原(11:00)

*参考08年8月14、15日
徒歩総時間/1日目・10時間55分、2日目・5時間30分
 1日目/14日
 夜叉神峠登山口(2:45)-南御室小屋・朝食(7:35 8:00)-薬師岳山頂(9:40)-観音岳山頂(10:10 10:30)-アカヌケの頭(11:35)-地蔵岳(11:45)-アカヌケの頭・昼食(12:00 12:25)-白鳳峠(14:00 14:10)-早川小屋(16:00)・泊
 2日目/15日
早川小屋(5:00)-アサヨ峰(7:35 8:05)-栗沢山(9:10 9:30)-北沢峠(11:20)

★脈絡のないきょうの一行
中国の高速鉄道事故、日本のJR西の福知山線事故を想起させる。安全軽視・利益第一だったのではないか。

2011/07/22 [Fri] 16:38:17 » E d i t
 山の報告がつづきます。この山、昨年鬼籍に入ったやっさんこと、鈴木靖雄さんと一緒に登った山の一つです。1997年7月19、20の両日にアタックしました。97年ということは14年前ですから、まだ若かったし元気がありました。メンバーはこれもいつもの毎日新聞の先輩Oさんとのトリオ登山でした。

 前夜、千代田区竹橋の毎日新聞社前を車でスタート、中央道の甲府昭和ICまで一気に走り、途中のコンビニで食料を買い込み、登山口の夜叉神峠の駐車場に車を止めて仮眠。朝、4時過ぎに起きて準備し暗いうちから早めのスタート。この早目のスタートが後述しますが功を奏しました。夜叉神峠で朝食。天気は雨こそはないもののガスが立ち込め、あいにくの状態です。

 「8ヶ月ぶりの登山だ」というやっさんのペースはイマイチです。それでもゆっくり登り詰めていきます。南御室小屋に到着して、この日泊るつもりの薬師岳小屋の状況を聞いてみると、「予約がいっぱいで泊りは無理だから、その先の鳳凰小屋まで行ってください」と冷ややかです。予約をしておけば良かった、と後悔しても間に合いません、少々、機先を削がれた気分ですがやむなく、気を入れなおして前進です。朝の早めのスタートがあったからこそできたことでした。

 鳳凰山は薬師、観音、地蔵の三つの山で形成されています。したがって、山仲間は「鳳凰三山」という言い方をします。全て2500メートルを超える標高であり、立派です。JR中央本線からは、地蔵岳のオベリスクがひときわ目立ちます。

 このネーミング、よくできています。オベリスクとは「古代エジプトで、神殿の門前の両脇に立てられた石造の記念碑。方形で上に向かって細くなり、先端はピラミッド形。柱面には象形文字の碑文や図像を刻む。方尖(ほうせん)柱。方尖塔。方尖碑。」(goo辞書)という意味だそうですが、バーベキューなどで使う「焼き串」の意味にも用いられます。地蔵岳のそれは言い得て妙、かもしれません。

 鳳凰三山は夜叉神峠から取り付くと、薬師岳から始まります。その山頂から30分足らずで、三山のうち一番高い観音岳に到着です。天気がよければ、展望は楽しいものなのでしょうが、残念ながら叶いません。最後の地蔵岳には、観音岳から一旦下らなければなりません。300メートル、いや、もっとあるかもしれません。

 地蔵岳に行くには、鞍部から登り返すことになりますが、私たちはさらに下って鳳凰小屋をめざします。「せっかくここまで登ってきたのに」と、損をした気分になっていました。同時に、その急な下りを翌日は登り返すことになるわけですから、気分的にも暗くなります。小屋は思ったより空いていました。夕食に出てきたカレーライスは、私の山の記録には、「山小屋の粗末な食事には慣れているが、はっきり言ってうまくなかった。」と記されています。(次回に続く)

★脈絡のないきょうの一行
東電OL殺人事件、無期懲役で服役中のネパール人とは違うDNA検出。やはり、えん罪だった。

2011/07/20 [Wed] 10:59:27 » E d i t
 小ブログ、掲載600回記念日です。08年の2月4日にスタートしましたので、きょうまで1,233日であり、なんと2.055日に1回の掲載となりました。「数が多ければいいというものではない」というのは、その通りですが少しだけ誉めてあげてください。

 で、キリバンのいいところで山の報告です。しかも百名山報告77回目というこれもキリバンです。この仙丈ヶ岳は、白馬岳のところでも紹介しましたがここを下山後に白馬のふもとまで車で走り、翌日、白馬岳にチャレンジしています。しかも、両山とも雨に降られてしまいました。率直に告白しますが、今ではその元気はありません。

 2000年8月1日、山友だちのOさんと二人で前夜から車を飛ばして、南アルプス北部の玄関口・広河原で車中仮眠。Oさんはそこから歩いて北岳から農鳥岳を経て大門沢へ下ることになり、明るくなると同時にお別れ。私はこの日一番早い「北沢峠」行きの村営バスに乗りました。

 天気はまあまあで、期待をもって歩き始めました。バス停からすぐの尾根に取り付いたものの、これが思ったよりつらい。前日寝ていないことも理由のようですが、身体がなれるまでの1時間あまりの苦しかったこと。身体が慣れてくると余裕が生まれます。まず、進行方向左手に北岳が目に飛び込んできました。そのあとしばらくして後ろを振り返れば、甲斐駒ヶ岳のピラミダルな姿が目に映り、その左手にギザギザした鋸岳が山容を見せてくれました。

 さらに高度を稼いでいくと鳳凰三山が見え始め、地蔵岳のオベリスクの天を衝く様子が見えました。これまで登ったことのある山を見ながら歩くのは気分爽快です。ピーク手前の子仙丈ヶ岳に近づくと今度は北岳の向こう側に間ノ岳の姿が同定できます。これはもう贅沢です。ところが仙丈ヶ岳直前で、ガスが立ち込み始め風景は一瞬にして乳白色となりました。

 山頂で登山者にカメラのシャッターを押してもらい、「何も見えない」山頂はそそくさと撤退です。下山は仙丈小屋から馬の背ヒュッテへの道をとりました。仙丈小屋では、つい数年前に風力発電機が備え付けられており、3000メートルの高地の風車は、なかなか見応えのあるものでした。

 途中で雨がポツポツと降ってきたかと思うと、それはあれよ、あれよという間に大粒の雨となり、慌てて雨具を取り出し装着しましたが、雨脚の速さには敵わずかなり濡れてしまいました。身体中が濡れており、少々気分的にも参りながらやっとの思いで、次の目標点・大平山荘に到着。雨はここで小降りとなり雨具を脱いで飲んだビールの美味かったこと。ここのビールは、安達太良山から下山したときのビールに匹敵する美味さでした。

 大平山荘から15分で北沢峠にもどり、最終の広河原行きのバスに乗りました。広河原では濡れた衣類を着替えて、一眠り。暗くなる前に高速道路まで出ることにし、やわら、車を長野県・白馬町に向けて走りました。途中、驚くほどの雨が降り出し前進を阻まれそうになりましたが、負けません。夜、11時過ぎに白馬岳の登山口・猿倉の駐車場に到着、翌日の白馬岳アタックに備えて2日目の車内仮眠に入りました。

*徒歩総時間/6時間55分
 北沢峠(7:20)-藪沢分岐・大滝の頭(9:10)-子仙丈ヶ岳(10:30 10:45)-仙丈ヶ岳(11:45 12:00)-馬の背ヒュッテ(12:50)-大平山荘(14:30 14:45)-北沢峠(15:00)

★脈絡のないきょうの一行
国家公務員の賃下げ法案、成立に暗雲。憲法にも違反したこの法案、廃案は当然。

2011/07/19 [Tue] 10:15:54 » E d i t
 夕食は「バイキング方式」でした。どこかの豪華なホテルのそれと違い、品数は少なかったものの「しょっつるなべ」など郷土料理が出ており、美味しかった。バイキングは「品数の多さ」ではなく、その土地のものを食材にした「質の高さ」のほうが大事なのかもしれません。私にとっては地産地消の宿こそがあこがれです。

 2日目。7時半ホテルスタートで、まず十和田湖畔の「乙女の像」へ。この像、詩人であり彫刻家でもある高村光太郎の作品で力強さを感じさせます。1953年に建立されたものですが、一度は訪ねていい所ではないでしょうか。

 その乙女の像からバスは奥入瀬(おいらせ)渓流へ移動します。水の流れは文字通り「清流」そのもので爽やかです。本流に注ぎ込む小さな滝は、むし暑さを吹き飛ばしてくれます。途中でバスから降りて、1時間ほどの渓流歩きを楽しみました。川に沿って歩いていると、緑の中に溶け込んでしまいそうでした。その景色は秋の紅葉も、見逃せないようです。

 バスは十和田湖に戻る道を走り、途中の道の駅で昼食をとって、いよいよ平泉をめざします。「月見坂」と呼ばれる参道を登りきった辺りに、中尊寺のメーンの建物、国宝・金色堂(こんじきどう)が建っています。この近くまでバスで送ってもらいそこから月見坂を下りました。

 金色堂は1124年の建造だといいますから、900年近い歴史を誇っています。「ご本尊は阿弥陀如来。その前に観音菩薩、勢至菩薩、左右に三体ずつの六地蔵、最前列には持国天と増長天が仏界を守護しています。」(案内しおりより)。長い年月を経ているにもかかわらず、菩薩群は今でも輝いており神々しさを放っていました。金色堂から参道を少し下ると、本堂があります。ここでも写真を撮って、時間に追われるようにバスの待ち合わせ場所に急ぎました。

 バスは最後の走りになります。それでも、白河までは3つの県を走るわけですから距離もあります。途中休憩を入れて、走ります。やっとの思いで白河ICに到着しましたが、料金所は500メートル手前から長蛇の列。大震災関連で、被災者は高速料金が無料となっており、その確認に手間取っているのです。新白河駅から乗る新幹線に間に合うか、薄氷を踏む思いでしたがなんとかセーフ、胸をなで下ろしました。

 この旅行によって、日本の世界文化遺産指定地12ヶ所のうち、私が訪ねたことのあるのは、法隆寺、姫路城、京都、白川郷・五箇山、原爆ドーム、厳島神社、奈良、日光、琉球王国のグスク、そして今回の平泉――の10ヶ所となりました。まだ足を運んでいないのは、紀伊山地の霊場と参詣道、石見銀山の2ヶ所です。自然遺産は屋久島、白神山地、知床に行っていますが、今年指定された小笠原諸島はまだです。そのうちチャレンジしてみます。そのためには元気でなくてはなりませんね。

★脈絡のないきょうの一行
やったね、日本女子サッカー。世界一おめでとう!!

紀行 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2011/07/13 [Wed] 12:05:18 » E d i t
 小ブログでも紹介しましたが、30年余の長きにわたった東和システム争議が、昨日、東京地裁で和解が成立し全面解決しました。電算労をはじめMIC、千代田区労協などの支援が実を結んだものです。お互いに喜びあいたいものです。もちろん当該労組・当事者のみなさんのご苦労ははかりしれず、改めて「ご苦労さまでした」と申し上げます。同時に、労使紛争の不幸な出来事を乗り越えて、東和システム社が今後発展するよう願わずにはいられません。

                         ◇=◇=◇
 本題です。7月9、10の両日、久しぶりにカミさんと旅行に行ってきました。世界文化遺産に登録されたばかりの、東北の「平泉」を訪ねる旅です。本命は平泉なのですが、なんと欲張りなことに厳美渓(げんびけい)、八幡平(はちまんたい)、十和田湖、奥入瀬(おいらせ)渓流散策などが入っており、大忙しの2日間でした。

 ある旅行会社のツアーに参加しました。まず、新幹線で新白河駅まで行って、バスに乗り換えです。添乗員の説明によればその方が安く(なんと2食付で2万円)あがるためだといいます。したがって(十和田湖畔のホテルに泊りましたので)、福島県の入口・白河から宮城県、岩手県を通過し青森県までとかなりの距離を走ったことになります。ツアー案内メモによると1千㌔近く走ることになります。

 まず、岩手県の厳美渓へ。東北道・一関インターを降りたらすぐです。近くに平泉はあるのですが、ここは翌日回しです。河原と川向こうの団子屋の間にケーブルが張ってあり、そのケーブルを伝って、ロープで結ばれた籠がぶら下がっています。そこに400円を入れて、合図をすると籠が引っ張られ団子3本とお茶がついて戻ってきます。これは面白い。早速頂きました。団子は美味しかった。厳美峡は……、紅葉の季節がいいのではないでしょうか。

 次は八幡平です。時間的にピークまで登る余裕はありませんので、駐車場の展望台からの景色を楽しむだけです。ところが残念ながら、周辺はガスで閉ざされ展望を得ることはできませんでした。途中で岩手山が大きく広がっていたことが救いでした。もう一ついい花に出会えました。バスの中から紫色の可憐な花があちこちに咲いているのが見えました。ヨツバシオガマかと思っていたのですが、駐車場近くで同じものを見つけてびっくり。なんとハクサンチドリではありませんか。なにやら得した気分になったものです。

 八幡平から一気に十和田湖畔のこの日に泊るホテルへ。時間はサンセット(日没)寸前で、風呂に入る前に十和田湖のそれを楽しませていただきました。そういえば、泊まったホテルは秋田県側でしたが、小さな川(神田川)を隔てた向こう側は、青森県であり、県境の一夜を明かしたことになります。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
貧困率が16.0%に。調査のたびに悪くなる。原因ははっきりしている。非正規雇用の拡大だ。

紀行 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2011/07/11 [Mon] 13:30:06 » E d i t
 松本龍前復興大臣の辞任と、玄海原発の再稼動中止問題に共通するのは民度(民主主義の度合)の低さでした。原発再稼動反対勢力は、九州電力自らが招いた「やらせメール」によって労せずストップをかけることができました。松本大臣にいたっては、生来の粗暴さがそのまま東北の被災地で表面化し、これも自分で墓穴を掘ったようなものでした。

 それはそれで、笑えない「成果」ではありますが、結果よしの結末は評価しましょう。しかし、この二つの問題にかかわって、メディアはどう対応したのか疑問がないわけではありません。なぜなら、民度の低さはメディアにも感染しているのではないかと思えてならないからです。まず、放送を見てみましょう。7月8日付けで「憲法メディアマガジン」から、以下の配信がありました。

                         ◇=◇=◇
 民主党の松本龍・復興担当大臣が就任9日で辞任した。辞任理由となった「暴言」は確かに政治家の資質を問われるようなものだったが、気になるのはマスメディアの報道のしかただ。7月3日、宮城県庁で村井嘉浩知事と面会した松本氏は、遅れて入室してきた村井知事に腹を立て、乱暴な物言いで叱責したが(実は松本氏の到着が予定より早く、知事の入室は時間どおりだったらしい)、最後に「今のはオフレコ。書いた社は終わりだから」と、メディアへの恫喝ともとれる発言をした。

 この「オフレコ」発言をその日のうちに報道したのは地元民放の東北放送だけ。ところが、この“ローカルニュース”がYouTubeにアップされると、それが100万回以上も再生され、そのコメントの非常識さを批判する意見がツイッターなどで拡散された。その段階に至ってようやく東京のメディアも問題視するようになり、7月5日の辞任へと向かったのだ。

 村井知事との面会の際には、各社のカメラが並んでいた。とても「オフレコ」が成立するような場面ではないが、東北放送以外の各社は、彼の発言に疑問を感じなかったのか?それとも、松本氏が部落解放同盟副委員長を務めた人物であることなどから、妙な「自主規制」を起こしてしまったのか…。
                         ◇=◇=◇

 どうも復興大臣暴言辞任は、オフレコを無視した東北放送のニュースがきっかけになっているようですが、新聞はどう動いたのでしょうか。ではもう一方の、九州電力の「やらせメール」問題はどんな経過をたどったでしょうか。これは、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が7月2日付けで報道しています。しかし、全てのメディアはこれを「無視」しました。そのやらせメール問題を、6日の衆院予算委員会で同党の笠井亮議員が追及し、菅首相の「大変けしからんことだ」という答弁で、メディアが取り上げてご承知の事態になっています。

 暴言辞任の発端は、東北放送でした。やらせメール問題は政党とはいえ、その機関紙が発端でしたが、暴言問題も含めてメディアは「ダンマリ」を決め込もうとしたフシがあります。もしそうだったとしたら、これは明らかに民度の低さの現われであり、(注・じぃさんですが)老婆心ながら、本当に笑えない状態に陥っているのではないのかと、不安が募ります。

★脈絡のないきょうの一行
「ストレステスト」とまた横文字。なぜ解かりやすく「耐性診断」と言わないのかなー。

2011/07/08 [Fri] 10:41:14 » E d i t
 百名山報告の続きです。

 小屋で作ってもらった弁当をパクついたあと、サブザックにカメラと水とパンを詰め替え、甲斐駒に向けて前進を開始。途中で、去年撤退した場所を確かめるが、今年は紅葉がなく枯れ木と化していた。10日も違うと、山の気候がこんなにも変わるものかと感心しきりである。駒津峰を一旦下りきって、甲斐駒をめざすが、ちょっと歩くと直登コースと巻き道コースの分岐に出会う。前夜、山小屋で若者たちが「直登コースの方が楽だった」という会話をしていたのを思い出し、そちらを選んで前進する。

 ちょっとした「岩歩き」を楽しむ。駒津峰からの甲斐駒は、白っぽくて雪でも降ったのかと、間違えそうに見えるが、その正体は白いガレの集団であった。部分的には、白い岩が風雪に耐えながら小さく砕け、砂状態になっており、歩きにくくなっていた。

 頂上には、(早い時間にもかかわらず)反対側から登ってきた人たち十数人が、思い思いに休憩をとっている。「そういえば、駒津峰からの登山者は、オレが一番だったな」などと考えながら、その集団に溶け込むように、自らも一休みする。鳳凰三山の方を臨めば、その向こう側に富士山が大きく見える。駒津峰からの眺望と随分違っている。高さの違いが、大きさの違いに見えたのではないだろうか。

 しばし休憩したあと、摩利支天に向う。砂っぽいガレ場を滑るように歩く。そこで一休みし、本格的な下山にとりかかる。駒津峰で、そこに置いていた荷物を背負いなおし、北沢峠に下りる道を前進する。駒津峰頂上のすぐ近くで、3、4人がザワザワしていた。何事かと聞いてみると「ライチョウが止まっていますよ」と下方の木を指す。枯れ木につがいのライチョウがやすんでいる。大急ぎでカメラのシャッターを押したが、遠すぎてうまく撮れていなかった。しかし、ライチョウの姿を見ることができたのはラッキーだったといえよう。

 北沢峠から村営バスで広河原まで戻り、車を転がし途中、白根町営の温泉に入った。風呂は檜作りで、広々としていたが入っているのは、お年寄りばかりで「さすが」と思ってしまったものだ。
                         ◇=◇=◇

 今ではこの広河原はマイカーで入ることはでません。夜叉人峠下の駐車場に止めるか、さらにその下の登山者専用駐車場に止めることになります。ご注意を。

*徒歩総時間/第1日目・40分、第2日目・5時間30分
 10月8日/北沢峠(14:40)-仙水小屋・泊(15:20)
 10月9日/仙水小屋(3:10)-仙水峠(3:40 3:50)-駒津峰・朝食(5:15 6:15)-甲斐駒ヶ岳(7:20 7:55)-摩利支天(8:15 8:25)-駒津峰(9:05 9:15)-双児山(9:50)-北沢峠(10:55)

★脈絡のないきょうの一行
やらせメールで玄海原発の再稼動頓挫。民度の低さが原発を止める皮肉。結果良しだが、悲しいね。

2011/07/06 [Wed] 13:00:02 » E d i t
 この山も随分前に登っています。94年10月8、9日のことですから17年前ということになります。この山、JR中央本線の甲府を過ぎたあたりから左手にひときわ大きく見える、ピラミダルで形のいい山です。高速道路からの眺望もよく、双葉SAからは眼前に広がります。

 実はこの山、登った前年の93年にもチャレンジしていますが、早朝の暗がりで道迷いをし、加えて山小屋は自炊としたため荷物が多くなり、その重さで膝を傷めてしまい駒津峰から撤退しています。その意味ではリベンジの山行でした。

 この山に登るには三つのコースがあります。中央線から見える直登コースと、その裏側の北沢峠から取り付くコース、そしてもう一つは甲斐駒ヶ岳のとなりの鋸岳からのコースです。鋸岳からのコースはあまり使われないようですが、私は一番楽な北沢峠からのコースを選びました。

 中央線からの正面のコースは「黒戸尾根」と呼ばれていますが、これは日本三大急登の一つに数えられています。あとの二つは、谷川岳への西黒尾根、北アルプスの烏帽子岳へのブナ立尾根がそれです。西黒尾根とブナ立尾根は歩いたことがありますが、黒戸尾根は残ったままです。そのうち、気が向いたら挑戦したいものです。

 前書きが多くなってしまいましたが、報告は私の山の記録をそのまま転載させていただきます。

                         ◇=◇=◇
 1年ぶりの挑戦である。昨年(9月)の轍は踏むまいと、少々気を遣った。まず荷物であるが、最小限にとどめることに腐心した。水はいつもの2Lタンクのところを1.5Lにし、着替えも薄手のものを選んだ。さらに食事は小屋で作ってもらい、寝具も借りた。

 道を迷わないように、ヘッドランプと懐中電灯の二つを使い、午前3時過ぎ小屋から仙水峠に向う。結果は「うまくいった」といえよう。昨年は50分かかっているが、今年は30分で到達している。20分の短縮は大きい。それでも、ちょっと手間取った場所があったことを記しておこう。

 峠から駒津峰への急勾配は、荷物が軽いとはいえ昨年同様、厳しいものがあった。しかし、駒津峰の頂上には暗いこともあり誰一人いない『爽快さ』を味わうことができた。北に甲斐駒ヶ岳、南に仙丈ヶ岳、東に鳳凰三山、西方に鋸岳が聳え立つ。それら360度のパノラマを独り占めした様は、その一言につきる。曇り空で残念ながら、日の出を見ることはできなかった。

(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
品格のない復興担当大臣が辞職。当たり前だが、任命した人もまた品格を問いたい。

2011/07/05 [Tue] 10:35:27 » E d i t
 昨7月4日にウェブで以下のような記事を見つけました。19世紀ならいざ知らず、21世紀の今日においても、このようなことが起きていることに、衝撃を覚えました。見落とした方もあると思いますので、転載します。

                         ◇=◇=◇
インドネシア:「奴隷だった」オマーンから帰国の元家政婦

 サウジアラビアで雇用主を殺害したインドネシア人家政婦が6月中旬、死刑となったのをきっかけに、出稼ぎ労働者に対する虐待への批判が高まるインドネシア。「まさに奴隷だった」。2カ月前に中東オマーンから帰国した元家政婦ルスナニさん(47)は毎日新聞の取材に、その実態を証言した。【ジャカルタ佐藤賢二郎】

 サウジ、クウェート、オマーン。ルスナニさんはこれまでに計3回、中東諸国に出稼ぎに行った。「雇用主や家族の暴力は当たり前。サウジで斬首刑になった女性と私の境遇はとてもよく似ている」と打ち明けた。
 3人の子供の教育費を稼ぐためだった。夫とは離婚。いずれの国でも、雇用主から虐待を受けたり、給与の不払いを経験した。「何度も復讐(ふくしゅう)したいと思ったが、私は殺さなかった。お金のため、と自分に言い聞かせ、子供のことを考えて耐えた」
 09年5月、アラブ首長国連邦のアブダビへ。他の家政婦と一緒に「マネキンのように並べられ、8000サウジリヤル(約17万円)でオマーンの政府高官に買われた」。仕事は炊事、洗濯、掃除に庭の手入れ。睡眠時間は、平均すると約3時間程度。10年4月に雇用主が失業してからは、特にその妻からの虐待が激しくなり「仕事が遅い」と木の棒や素手で殴られ、賃金の支払いも滞った。
 「大金を払ったのだから、あんたは私のモノ。何をしてもいいの。政府や法律なんて関係ない」。妻は何度もそう言ったという。手紙を出すことも電話をかけることも許されず、外出もできない。「インドネシアに帰らせて」。そう頼むたびに、暴力を受けた。
 4月中旬、キッチンで妻が「新しいナイフはどこ」と尋ねた。思い出せずに探していると、自分で見つけた妻がルスナニさんの首にナイフを突きつけ、「帰ることばかり考えているから忘れるんだ。だったら先に首だけ帰してやる」と叫んで力を込めた。あごが切れ、血が流れた。
 翌朝、雇用主から不払い給与13カ月分のうち4カ月分の約520万ルピア(約4万9000円)だけ渡され、そのまま放り出された。
 今も棒で殴られた右腕がしびれ、力が入らない。虐待された記憶がよみがえり、恐怖と怒り、悔しさで涙が止まらなくなる。末っ子の長男はまだ高校生。大学生の長女と約束したパソコンは今も買えていない。
 中東諸国は一般に、渡航手続きの規制が緩い。出稼ぎ労働者の多くは地方の貧困層で、年齢などで規定に満たない場合も少なくない。書類を偽造し、渡航をあっせんするアラブ系移民の業者もあり「行きやすい」ことが背景にある。
 一方、インドネシア人の大半はイスラム教徒で「アラブ」は預言者ムハンマドを生んだ聖地であり、雇用主はその末裔(まつえい)と考えることが多い。富裕層への憧れもあり、「アラブ人は豊かで善良」とのイメージも根強い。
 だがアラブ社会には、アジア人に対する偏見がある。アラブ人と非アラブ人、富者と貧者を区別し、男尊女卑の文化も色濃く残る。最上位はアラブ人男性で、アジア人女性は最下位に置かれる。同じアジア人でも、フィリピン人の多くは看護師など医療部門で働くが、インドネシア人の女性は家政婦中心で最下層と見なされ、差別意識が虐待などを助長している。

 毎日新聞 2011年7月4日 11時40分(最終更新 7月4日 11時44分)
                         ◇=◇=◇

 このような奴隷労働がまかり通っていることに怒りを覚えます。ふと足下を見てみますとこの日本でも、たとえば看護師の「お礼奉公」や、新聞奨学生の「しばり勤務」なども形は違っても同類の労働なのかもしれません。しっかり見つめなおしたいものです。

★脈絡のないきょうの一行
品性なく人格さえ疑いたくなる松本龍復興大臣の発言。ニッポンの恥だ。

未分類 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2011/07/04 [Mon] 11:07:03 » E d i t
 恥ずかしながら、私は長野県と岐阜県にまたがるこの山の全容を見たことがありません。しかも2回登っているのですが登山口から山頂は見えませんし、見えるはずの近くの山、たとえば愛知県で一番高い山・茶臼山(1,415M)に登っていますが、天気が悪く叶いませんでした。ということで「登ったことはあるが全容を見たことのない山」の一つに入っています。

 この山に登ったのは1999年7月24、25日と2008年7月19日の2回です。最初のときは岐阜県中津川の黒井沢キャンプ場から、2回目は長野県の阿智村(あちむら)からと、ルートを違えて登りました。2回目のときは翌日、御嶽山に登っています。ここでは最初のときのものを報告します。

 夜中、車で自宅をスタートし中央道・中津川ICで降りて、国道19号から県道、さらに林道を30分ほど走って黒井沢のキャンプ場に到着。驚いたことに駐車場は車でいっぱいになっていました。しかも大型バスも鎮座しています。この山の人気なのでしょうか。

 この山行は野熊ノ池避難小屋に泊ることを前提にしました。しかも小屋が満杯になるといけないと思い、テントも背負ったのです。これは結構重い。沢に沿って子ども3人と、大人3人のグループと前後しながら前進です。歩いていて、ふと「何か足りない」と気づきました。そう、この季節にあるはずの花が見当たらないのです。これは珍しい光景でした。

 とりあえずこの日の宿泊地・野熊ノ池避難小屋に到着。ここで昼食をとり、テントなど重い荷物を置いて山頂をめざします。荷が軽くなれば当然、スピードも出ます。山頂直下に冷たい水があり、これに救われました。反対側からの登山道との分岐に、立派な避難小屋が建っていました。ここはいつか泊りたい、そんな思いを持ったものです。

 その小屋から10分足らずで山頂に到着しました。だだっ広い山頂は、三角点や標柱がなければどこがピークだか分からないほどです。ここも信仰の山なのでしょう、あちこちに祠がまつってあります。山頂からは樹木と折からのガスで、眺望は得られませんでした。山頂で自動シャッターの記念写真を撮って下山です。

 小屋に戻ってみると、名古屋から来た2人連れが泊る準備をしておりそこに合流。結局、もって行ったテントは使用せず、翌朝早く(名古屋からの客は山頂をめざしましたが)小屋を後にしました。

*徒歩総時間/第1日目・5時間50分、第2日目・1時間20分
 7月24日/黒井沢登山口(9:45)-野熊ノ池避難小屋・昼食(12:15 12:45)-恵那山山頂(14:45 15:00)-野熊ノ池避難小屋・泊(16:20)
 7月25日/野熊ノ池避難小屋木曽殿山荘(6:00)-黒井沢登山口(7:20)

 *参考08年7月19日 徒歩総時間6時間20分
 阿智村登山口駐車場(7:00)-途中休憩30分-恵那山山頂(10:55 11:20)-途中休憩20分-登山口駐車場(14:10)

★脈絡のないきょうの一行
昨年度の政党別国会議員の平均所得。▽自民2306万円(前年比24万円減)▽新党改革2164万円(同83万円減)▽社民2136万円(同68万円減)▽民主2122万円(同28万円減)▽たちあがれ日本2024万円(同179万円減)▽公明1979万円(同27万円増)▽共産1874万円(同19万円減)。高いか低いか?

2011/07/01 [Fri] 11:50:27 » E d i t
 拝啓、東日本大震災復興構想会議諮問委員の皆様。もう一度だけおつきあいください。

 「提言」のなかで気になったもう一つは、民間企業(とくに大企業)の資本力を活用することを名目にした「水産業復興特区構想」です。この構想は、漁民をサラリーマン化するばかりか漁業権を剥奪することにつながります。これは言い方を変えると、「近海漁業の企業化」です。

 全漁連をはじめ少なくない漁業関係者がこの構想に反対を表明していますが、当然のことです。「サラリーマンとして魚を獲ればいいじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、漁師のみなさんは自分の力で仕事をしてきたし、これからもつづけたいと思っています。いま水産業の復興にとって必要なことは、特区づくりではなく、漁船の確保と漁港の整備による漁師(漁協)の独り立ちです。これこそ公助、共助が必要です。

 縷々申し述べてきましたが、「提言」の内容すべてが不満というわけではありません。復興を契機にして日本が環境問題について発信することや、災害に関する学術の充実、「鎮魂の森」などの大震災を忘れない取り組みの強化などは賛同できます。

 なかでも、「防災」から「減災」へという発想の転換は大事な視点だと思います。欧米諸国ではすでに、地震や洪水など災害は起きるものであり、起きたときに被害をどれだけ最小限に食い止めるか、という「減災」の考え方が主流になっています。つまり、「災害を防ぐ・防災」ではなく、「被害を減らす・減災」に力を入れようというもので、これは評価できます。この「減災」の思想、時間がかかるかもしれませんが徹底していただきたいと思います。

 私が災害問題に取り組み始めたのは、20年前の雲仙普賢岳の火砕流災害からでした。私自身が長崎県出身だということが運動にかかわる動機でしたが、あれはすごかった。91年6月3日に発生した大火砕流は、死者行方不明者43名を出す大惨事となりました。被災地の皆さんを励ますとともに、東京からツアーを組んで現地調査も行いました。

 以来、北海道・奥尻島の津波災害、阪神・淡路大震災、有珠山の噴火災害、中越沖地震、宮城・岩手内陸地震などの被災者のみなさんとかかわりを持ってきました。中越沖地震では、支援物資を車一杯に積んで被災から4日後に現地を訪ね、その被害のひどさに驚いたものです。それらの取り組みの中で得られた教訓、とりわけ阪神・淡路大震災の被災者の皆さんと一致したのは、「復興とは人間性の回復である」ということでした。

 今回の東日本大震災も例外ではなく、人間性をどれだけ取り戻すかが復興のバロメーターといえます。そして大事なことは、被災者自身の立場に立った施策、すなわち「被災者目線」の復興をすすめることです。今回の「提言」は、第一次分だと聞いています。であるならばさらなる検討が加えられることになるのでしょうが、「人間性の回復」を基軸にした施策づくりを強くお願いするものです。

★脈絡のないきょうの一行
10年代なかばに消費税10%へ。これが強行されたら、大震災の復興は10年遅れる。

災害問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。