ヘボやんの独り言
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2011/04/29 [Fri] 12:48:30 » E d i t
 大震災発生後、この問題を中心に考えてきましたが、久しぶりに100名山報告に戻ります。

 百名山で「駒ヶ岳」という名前がついているのは、この木曽駒ヶ岳以外に、会津駒ヶ岳と甲斐駒ケ岳の二つがあります。見る角度にもよるのでしょうが、それぞれピラミダルな形をしており申し分ありません。JR中央線沿線から見える甲斐駒ケ岳は、なかなか男性的で私は好きです。高速道路からは、双葉PAからのそれもいい形をしています。

 木曽駒ヶ岳には2度登っています。最初は2000年2月5日の真冬に、2回目は2005年11月3日の晩秋でした。2月はいうまでもなく雪山でしたが、11月も雪と氷に阻まれ苦戦しましたが山頂を踏むことができました。ここでは最初の2月のものを報告します。

 山に登るだけでなく「雪見酒をかねて雪の千畳敷を見ませんか」、という誘いをかけたところ東京から4人、愛知県春日井市からご夫婦の合計6人となりました。前日、ロープウェイで千畳敷ホテルまで登り投宿。翌朝、男3人がアタックすることになりました。千葉県のOさん、春日井市のTさんです。残りの3人は〝応援団〟になってくれ、新雪を歩く私たちを下から励ましてくれました。

 千畳敷ホテルは、真冬にもかかわらず土、日は予約で満室になっており平日をつかっての山行となりました。天気はピーカンでベスト。ホテルは標高2600メートルに建っていますので、当然周辺は雪に覆われています。チェックインと同時に、持参したワインで宴会です。なかなかうまかった。

 東側に位置するホテルの窓から、南アルプスの全景が見えました。左から甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、北岳、間ノ岳、農鳥岳、塩見岳、悪沢岳、赤石岳、聖岳、光(てかり)岳。おまけに、農鳥と塩見の間には富士山の顔も。これはもうかつて経験したことのない贅沢そのものです。

 2日目。

 午前6時52分、太陽は間ノ岳あたりから昇ってきました。雲ひとつない空に、じわりじわりと上がってくるその様は、神々しいという表現にぴったりです。数多くの山で日の出を迎えていますが、雪山のそれがこれほどまで心を清楚にしてくれるものかと、驚いたものです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
大震災からきのうで49日。黙祷する人々の姿は涙を誘う。
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10559 届いた意見② 
2011/04/28 [Thu] 14:35:49 » E d i t
 3月に大震災に関する届いた意見を紹介しました。つづく第2次支援行動の報告に対しても、沢山の意見や感想をいただきました。それらを読みながら、被災者に心をいためている人々が大勢いることも知ることができました。その心を以下紹介したいと思います。

                       ◇=◇=◇
 受信し書状と貴重な写真とを拝見しました。ありがとうございました。第二次支援行動ほんとうにご苦労様でした。被災地はこれからも大変でしょう。
 添付の写真を拝見し、桁違いの地震と津波の規模とに接し、言葉がありません。自然力には人智は遠く及ばないことを痛感、そして人間も自然の一生物に過ぎないが実感です。従って自然を征服するとか、越えると言うのは人間の傲慢であり、錯誤に思えてなりません。
 科学はこの自然法則を発見し応用すること、これに則った自然の一員としての生活であり、行動だと思います。今度の福島・原発事故は権力者の傲慢による人災の典型に思えてなりません。東電、原子力保安委員会の対応や政府答弁から明白です。根底にあるのは利益を優先すること、これに向け政治もからみ、その結果安全についての科学を軽視しているからです。
 加えて曲学阿世の徒の言動も許せません。それは、869年(貞観11)の大地震と津波を始め慶長災害、近くは明治、昭和の大災害の教訓を軽視、原子炉の危険も承知で進言しているからです。
                       ◇=◇=◇
 ご無沙汰しています。被災地が再生までに10年以上かかると懸念しています。明日は今日よりいい日が来ます。必ず来ます。いろいろな形で再生を見つめていきたいですね。復興ではありませんが、私が出来ることをずっと実行していきたいと思います。
 みつめています。母の故郷岩手、義母の故郷福島を!日本が世界の中でも原発のエネルギーに2番目に頼っている国なんですね。3月11日で止まってしまっている多くの人の時計がゆっくりまわるといいなと願わずにはいられません。ボランティアはしんどいです。お体大切に。
                       ◇=◇=◇
 ご苦労さまです。すごい行動力と発進力に心うたれます。
 昨日、福祉関係のネットワークの集まりがありました。車イスの人たちも多いので、みんなが被災地に行けるわけではありません。でも、支援したいという気持ちはいっぱいで、その人たちの思いを届ける意味で、行ける人は被災地に足を運び、映像や声を届けることが大切だと思いました。そして、みんなが被災地のものを買おう。それも支援という意思表示をしていました。
                       ◇=◇=◇
 ありがとう。あたまさがる。津波のすごさ、こわさ、改めて息呑む。火事に似て、また火事とも違う。
阪神淡路のときは、火に襲われた地域と襲われずにすんだ地域との違いを目の当たりにしたが、水は文字通りすべてを呑み込み朽たし尽くすんだと。比べてどうこうでなく、これでもかこれでもか、の巨大な意志が存在する思いがして怖ろしい。底抜けのなれとゆだん、のなせるゆえと。
                       ◇=◇=◇

 仲間たちからの意見と激励は、私自身のエネルギーともなります。あの広大な被災地を目の当たりにしたとき、「復興は可能か」という疑問を持たざるをえませんでした。しかし、ヒトが生きていく限りやらなければならないことです。もてる小さな力ですが、出し惜しみはしないつもりです。

★脈絡のないきょうの一行
そういえば、水道水の放射線データの発表がなくなったように思うが、どうしたのだろう?
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2011/04/27 [Wed] 14:11:48 » E d i t
 集会は休憩をはさんで、ノンフィクション作家の柳田邦男さんが「事故の加害者と被害者による共同検証の意義」というテーマで講演を行いました。柳田さんは、「なぜあの事故が起きたのかが解明されない限り、遺族にとっては重荷を背負ったままとなる。そのことに正面から取り組んだのが今回の被害者と加害者の共同検証であり、意味ある作業だった」と評価しました。

 そのうえで考え方の一つとして、「福島第一原発も同じだがリスク認識をどう持つかが問題。原発の場合はそんなに高い津波は来ない、という認識に立っていた。この脱線事故も、起きることはないだろうという認識だった。だが、起きた。リスク認識を正確に持つことは未然に事故を防ぐためには欠かせないこと。そのためには〝外の空気〟を内側に取り込むことが大事だ」と強調しました。

 確かに企業の多くは、内部に閉じこもりがちです。閉じこもっている限り、その企業の発展は阻害されるであろうことは容易に想像できます。JALの御巣鷹山の墜落事故もそうでした。日本航空は「沈まぬ太陽」にあるように唯我独尊的経営を続けた結果、あの事故が起きたとぃっても過言ではありません。その人たちがまた、たたかう労働者の大量解雇を強行するという過ちを冒していることに、不安を抱くのは私だけではないでしょう。

 交通機関は、安全がいのちです。その安全は〝外からの空気〟があってこそ担保されるもので、JR西日本は緒についたばかりかもしれませんが、そのことに気付き始めているのかな、という印象を持ちました。同じ過ちを繰り返さない、最大限の努力をしてほしいものです。

 集会は最後に、事故調査委員会の情報漏えい問題について、弁護士の佐藤健宗さんから報告を受けました。佐藤弁護士はこの問題が起きた当初からかかわっており、この問題もまたJR西日本の経営体質と同根だったと厳しく批判しました。あわせて、同様の事件を起こさないために調査委員会の委員の選定や、情報公開問題にも触れ、集会は終わりました。

 6年ぶりくらいの関西でした。夜は尼崎のガード下の居酒屋で、関西の友人たちとひとときを過ごしました。集まった仲間たちは、すでに定年を過ぎていますが元気です。近況を報告しあうなど、久しぶりに打ち解けあう「飲み会」となりました。それはまた、仲間たちから元気をもらう、ひとときでもありました。

★脈絡のないきょうの一行
スーちゃんこと、田中好子さんの早すぎる死。「私はしあわせでした」という残された言葉に胸があつくなる。
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2011/04/26 [Tue] 16:50:08 » E d i t
 25日昼過ぎ、尼崎のアルカイックホールに向う前に、福知山線の事故現場を訪ねました。塚口駅から尼崎に戻る感じで15分ほど歩けば現場に着きます。電車が突っ込んだマンションはまだ建っており、1階部分には目隠しを兼ねているのでしょうか天幕が張ってあります。

 報道によると現場は急カーブとありましたが、私が見た目では思ったより鋭角ではありませんでした。むしろ、尼崎駅から塚口駅に向う間もなくのところの方が急カーブになっており、こちらのほうが危険性を感じたものです。つまり、普通のスピードであったなら事故になることはなかったのではないかと思えるほどのカーブでした。率直に言って「どうしてここで」という思いを持ったものです。それは逆に言えばスピードが起こした事故だった、といえるのかもしれません。

 現場周辺は事故日でしかも7回忌に当たるからでしょうか、記帳所が設けられ報道関係の車(タクシーやハイヤーなども含む)がひしめいていました。犠牲となった人の関係者でしょうか、喪服に身を包んだ人たちが行き来していました。私はその様子を見ながら手を合わせてその場を辞しました。

 アルカイックホールで開かれた「JR福知山線脱線事故追悼と安全のつどい2011」は、『なぜ事故が発生したのか』というタイトルで、遺族とJR西日本による共同検証という、かつてない取り組みの報告集会となりました。遺族を代表して4.25ネットワークの淺野弥三一さんが、JR西日本からは副社長の西川直輝さんがそれぞれ報告。両者の検証会議に参加したノンフィクション作家の柳田邦男さんと、情報漏えい問題にかかわった弁護士の佐藤健宗さんが補足的な報告を行いました。

 淺野さんは冒頭、「こんな不条理があってはならない。なぜ(あれだけの人が)死ななければならなかったのか、遺族は知る権利がある。その権利にアクセスするためには、JR西日本という企業の構造を抜きにはできない。その立場からこの種の事故でやったことがないという、被害者・遺族と加害者・企業が同じテーブルに着いて検証作業を行った。そのとりあえずの報告書がきょう配ったもの。ご意見をいただきたい」と発言。

 報告書は「福知山線列車脱線事故の課題検討会 報告」としてあり、①当該列車の運行状況ち運転状況②乗務員の再教育等の問題③ダイヤの問題④ATS設置問題⑤安全管理体制⑥事故に関するJR西日本と4.25ネットワークの見解――など瀧に渡っています。さらに、この会議に一貫して参加してきた作家の柳田邦男さんも一文を寄せています。

 淺野さんは「この報告書は、遺族が知りたいと思っていることの緒についたばかりのもの。さらに深めていきたい」としながら、事故の根源的な原因ともなったと思われる、JR西日本の「日勤教育」のあり方、ダイヤの作り方などを厳しく批判しました。

 つづいて報告したJR西日本の西川直輝副社長は、「事故調査委員会の漏洩問題は、遺族と向き合っていなかったことの表れで反省している。安全問題は他社との比較ではなく、自らの問題として受け止め、改善を図ってきた。安全優先を社内の風土としてすすめたい」と強調しました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
統一地方選挙、盛り上がらぬまま終わり結果も特筆する変化なし。うーん。
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2011/04/22 [Fri] 07:05:24 » E d i t
 福知山線の脱線事故とはどういうものだったのか、復習してみます。

                      ◇=◇=◇
 2005年4月25日午前9時19分ごろ、列車はJR福知山線塚口駅-尼崎駅間の曲線で脱線し、先頭の2両が線路脇のマンションに激突。先頭車は1階駐車場へ突入、2両目はマンション壁面へぶつかり原形をとどめない形で大破。事故現場は、尼崎市久々知の半径300mの右カーブ区間。
 被害状況は、近隣住民および下り列車に対しての二次的被害は免れたものの、直接的な事故の犠牲者は死者107名(当該列車の運転士含む)、負傷者562名を出す大惨事に。犠牲者の多くは1両目か2両目の乗客で、ほとんどが多発外傷や窒息で亡くなっており、クラッシュ症候群も確認。
 死者数において、JR発足後としては1991年の信楽高原鐵道列車衝突事故(死者42名)を抜いて過去最大となり、鉄道事故全般で見ると戦後(国鉄時代含む)では桜木町事故(106名)を上回り、八高線の列車脱線転覆事故(184名)・鶴見事故(161名)・三河島事故(160名)に次いで4番目、戦前・戦中に遡っても関東大震災時の根府川駅被災(112名)を含めた中で7番目となる甚大な被害を出した。
 のちに、事故では負傷しなかった同列車の乗客やマンション住人、救助作業に参加した周辺住民なども心的外傷後ストレス障害 (PTSD) を発症するなど大きな影響をおよぼした。また、マンションには47世帯が居住していたが、倒壊した場合などに備えてJRの用意したホテルなどへ避難した。事故後も2世帯が残っていたが、8月上旬までに順次マンションを離れていった。( Wikipediaから抜粋)
                       ◇=◇=◇

 淺野さんの奥さんが犠牲になったらしい、という連絡をくれた友人は「淺野さんは、JRを絶対に許さないといっている」と報告してくれました。以来、淺野さんはその原因と責任を追及して「4.25ネットワーク」を立ち上げるなど、「許さない」活動をつづけてきました。

 事故後、私は彼と連絡を取ることをためらっていました。最愛の家族を亡くした思いが分かるし、できるだけそっとしておいたほうがいいのではないかと考えたからです。そして今年の1月、小ブログでも紹介しましたが私の師匠の一人である大屋鍾吾さんの偲ぶ会に彼は参加してきたのです。

 久しぶりに会った彼は、心なしかやつれを感じました。「その後、娘さんはどうですか」という問いかけに「電車に乗れなくなった。バスもだ」とPTSDに悩んでいる様子を話してくれました。そして「今年の4.25は7回忌になる。ある意味区切りで、ふさわしい集会を開こうと準備している。ぜひ来て欲しい」と要請されました。

 来週月曜日25日の午後、尼崎のアルカイックホールで「なぜ事故が発生したのか」というテーマで集会が開かれます。私も参加します。次回、その報告をさせていただきます。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
東電下請けの原発作業員の被ばく線量を「管理手帳」に不記載。これはもういのちの軽視だ。
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2011/04/21 [Thu] 10:51:44 » E d i t
 淺野弥三一(あさの やさかず)さん、69歳。20年近いおつきあいになりますが、6年前の2005年4月25日に起きたJR福知山線脱線事故で、奥さんと妹さんの二人を亡くし、娘さんが大怪我をするという被害者家族の一人。ご本人は仕事で会社にいて難は免れています。

 あの事故が起きたとき映し出されたテレビの映像は、すさまじい、の一言で多くの人々を釘付けにしました。その日の夕方、大阪の友人から「淺野さんの奥さんと妹さんがあの事故で亡くなったらしい。娘さんも大怪我したそうだ」という電話が入り、私は息をのみました。その淺野さんのことを、昨年4月10日付け神戸新聞が以下のように紹介しています。

                       ◇=◇=◇
 浅野弥三一(やさかず)さん(68)が妻陽子さん=当時(62)=の遺体と対面したのは、事故翌日の夜のことだ。
 確認の決め手は外反母趾(がいはんぼし)の足だった。
 警察から連絡を受けて、遺体安置所となっていた尼崎の体育館に向かう。そこで、まずインスタント写真を見せられた。ひどい打撲で、妻かもしれないと言われても戸惑うだけだった。
 写真の女性は濃いグリーンのワンピースを着ていたが、今朝は紺色の服で出掛けたような気がする。ただ、首に巻かれたスカーフには見覚えがある。
 遺体のそばにいた係りの人に「足を見せてほしい」と頼む。外反母趾の足がのぞいた。妻に間違いない。
 目の前に、妻が横たわっている。遺体となって、静かに横たわっている。
 そのとき、たぎるような感情がこみあげてきた。「こんな不条理なことがあっていいのか。なぜこんなことが起きるのか。なんかオレが悪いことをしたか」
 夫妻はお見合いで知り合った。夫は神戸大学大学院で建築学を専攻し、修士課程を終えていた。妻は薬剤師の資格を取っていた。同じ2月生まれで、1歳違いのカップルだった。
 事故の前日、夫妻はどんな一日を過ごしたのだろうか。
 2005年4月24日。そろって神戸市須磨区の千歳地区に出掛けた。震災から10年を経て、まちの基盤となる道路や公園の整備がようやく終わった。その記念式典の日である。
 浅野さんは、阪神・淡路大震災で被災したこの地区のまちづくりに、都市計画コンサルタントとしてかかわってきた。2人は新築された千歳地区センターで、苦労を共にしてきた住民たちと喜びを分かち合った。
 帰り道、浅野さんが「これで少し肩の荷が下りる」と話すと、陽子さんは「少しペースダウンしたらどう?」と声をかけた。苦労を分かってくれている妻の気遣いが心に染みた。
 これが事故前日の出来事だ。
 そして2日後、尼崎の体育館に妻は横たわっている。所帯を持って38年間、いつも笑顔を浮かべて、そばで支えてくれた妻が。
 「あまりに不条理だ」。夫はほかに言葉が思い付かない。     (三島大一郎)
                       ◇=◇=◇

 淺野さんと初めてお会いしたのは、雲仙普賢岳被災地の調査(1991年)のときでした。以来、災害被災者の支援運動に私もかかわるようになり、阪神淡路大震災後のまちづくりでは現地を案内してもらったこともあります。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
米大手、原発投資を断念。合弁の東芝に打撃(毎日新聞)――。普通の措置であり識見である。
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2011/04/20 [Wed] 11:27:10 » E d i t
 仙台空港は岩沼市にありますが、一部は名取市にまたがっています。空港内の泥だらけになったエレベーターはもちろんまだ動いていません。空港と言えば近代的なイメージを持ちますが、ここはちょっとした地方都市のバスターミナル状態です。トイレは未だに仮設ですし搭乗口も手作業です。施設は自家発電で運営しているといいますが、空港もまた、津波には勝てませんでした。

 空港をあとにして、亘理(わたり)町に入りました。ここもひどい状態となっていました。仙台に住んでいる友人のSさんが4月4日に東京で報告してくれたとき、ここの写真を見せてくれましたが、そのとおりです。家の中に突っ込んだ車、骨組みだけしか残っていない家屋。想像を絶する状態です。しかし、通りのサクラは満開状態を見せていました。その奇妙なアンバランスに、戸惑いすら感じたものです。

 この亘理町で実態調査に終止符を打って、労働者を中心としたボランティアのセンターとなっている宮城県労連に寄って、ボランティア活動に必要な軍手やマスクなどを届け、集まった義援金カンパを渡しました。夜は、河北仙販労組の仲間たちと交流を深めました。

 今回の実態調査はテレビや新聞、写真集などでは測れないものを得ることができたと思いました。写真や映像はある意味、被災現場の「点」でしかありません。しかし実際に被災地を歩いてみると、「線」から「面」へとつながることになり、その災害の実相を知る上で「見ること」は重要な役割を果す、ということも理解できました。

 被害状況を見るにつけ、あの状態から住民はどう立ち直るのか、気が遠くなりそうでした。簡単に「復興にがんばろう」と言えない威圧感さえ覚えました。かつて経験したことのない大震災からの復興は、経験したことのない「力」を必要としていると言えます。加えて原発事故。これもまた、経験したことのない事です。

 今回は、現地を調査するだけでなく被災者支援運動の一環として、地元の物産を売ることができないかの相談もしてきました。義援金も大事ですが、被災地の「物」を買うことも立派な支援です。その物を作ることは雇用が生まれることにつながります。千代田争議団のみなさんの協力を得て、取り組むことにしています。

★脈絡のないきょうの一行
震災復興のためと称して消費税増税が浮上。あの人たちには被災者にも増税になるというイマジン(想像力)がないのか!
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2011/04/19 [Tue] 15:05:15 » E d i t
 私が津波の被災現場に立ったのはこれが初めてです。すさまじいそのエネルギーにただ呆然とするばかりでした。家屋をなぎ倒したばかりか、周辺のあらゆるものを流し込み車が家の中に入り込んでいます。これを人為的にやろうと思えば、大型クレーン車が必要になることでしょう。隣の家と家が寄りかかるようにして〝建って〟います。早朝だったせいもあるのでしょうか、人の気配はありません。

 石巻市役所の旧庁舎に29歳という女性の写真が張ってあり、「探しています。津波に流されました」と書かれてありました。行方不明者の一人でしょう。石巻市は死者2,783人、行方不明者2,770人、家屋全壊2万7,000戸(4月18日現在)と大きな被害を受けています。石巻市の人口は今年の2月末現在で16万2,822人ですから実に3.4%の人が亡くなったり行方不明になっているのです。

 車はJRの駅前にある市役所に寄って、前進しました。海寄りの道を走っていると、JRのそれでしょうか引込み線を見つけました。地図を見ると日本製紙につながっています。線路はぐにゃぐにゃに曲がっており、紙の倉庫らしき壊れた建物の中には、新聞用紙の巻き取りが散乱しています。もちろん、紙は使える状態ではありません。震災後、紙の供給が減ったため印刷物もままならないといいますが、原因の一つがこれだったのです。製紙工場が使い物にならないほどの打撃を受けていたのです。

 石巻港に入ってみました。なんと、大型貨物船が陸に上がっているではありませんか。これはすごい。あれだけ大きなものを〝運ぶ〟力のエネルギーはいかほどのものか。さらに岸壁まで行ってみると、60センチほどの段差ができており、そこにあったと思われるコンクリートの道は、流されていました。近寄ることだけでも危険です。

 港をあとにして東松島市の荒涼とした被災地を縫って進みましたが、道路の復旧工事で通行止めとなっており、Uターン。予定とは違う道を使って松島をめざしました。松島は遊覧船のチケット売り場はガラスが崩壊し使えず、船の運航もやっていませんでした。ところが、名勝の「五大堂」はしっかり残っていました。何故か嬉しくなったものです。

 塩竈は港に寄ってみました。つい最近、市場の一部が使えるようになり魚の競りが行われています。人の動きもありそれまでの被災地と少し雰囲気が違います。しかし、港のすぐ近くに船が横倒しのままになっていました。撤去する余裕がないのでしょうか。

 車は多賀城市を経て、仙台市宮城野区から若林区に入りました。広い場所が倒れた樹木や流された車で散乱しています。このあたりは犠牲者が多く出たところです。この広さでは、逃げ切るのは困難だったでしょう。被害が大きかったという名取市の閖上げ(ゆりあげ)地域まで進もうと思ったのですが、ここも道路工事で通行止めとなっており、やむなくそこをパスして国道4号線を経て、仙台空港に入りました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
栃木県鹿沼市で小学生の登校の列にクレーン車。歩いていた6人全員が死亡。何をやっているんだ!と怒鳴りたくなる。
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2011/04/18 [Mon] 15:30:14 » E d i t
 先週末からの16、17の両日、2回目の仙台入りをしてきました。今回は当該被災地で活動する人たちの激励と、被災現場の実態をきちんとつかもうという目的を持ちました。参加者は5人。若い人たちに被災実態を見てほしいと思い、声をかけましたが平均年齢は考えたより高くなってしまいました。

 16日零時に7人乗りのレンタカーに支援物資をたっぷり積み込んで、東京をスタート。今回の物資は、ボランティア活動のセンターとして活躍している宮城県労連に、軍手、マスク、紙コップ、元気づけにと山梨から取り寄せたワインと、ぶどうジュースとしました。軍手やマスクはボランティア活動に必需品で、なかでもマスクは壊れた建物に隠れていると思われるアスベストから身を守るためのものです。

 車は深夜の東北道をひた走りました。福島県に入ったあたりから、車は突然ガタガタと騒音がし始めました。これは余震が起きたためではなく、道路事情によるものです。つまり、道路に入った亀裂や凹凸が全面的に修復されていないためです。強い余震があるなかで修復しても、もとに戻る可能性もあり車が走れるぎりぎりの状態にしてあるようです。3列シートの一番後ろに乗ったYさんは「何回頭を車の天井にぶつけたことか」とぼやいていました。

 その道路事情は、東北道から三陸道に入ってからさらに悪化、加えて濃い霧は行く手を阻み、楽天家の私も少々不安が募りました。出かける前に自宅のメールを開いてみると、青梅市に住む友人のKさんが同じ日に宮城県に物資を持って行くとあり、三陸道の矢本PA(パーキングエリア)で夜明けまで仮眠を取る、というスケジュールも入っていました。その時間に間に合わせようと急いだのですが、同PAに着いたのは30分遅れとなり合流はかないませんでした。

 まず、実態調査からです。2日間にわたって行う予定でしたが、1日で済ませることができました。ルートは石巻から南下して矢本、東松島、松島、塩竈、多賀城、仙台市宮城野区、若林区、名取、岩沼、亘理(わたり)までの約60キロです。夜が明けたばかりの石巻市からです。市街地(商店街)を抜けて市役所の旧庁舎に行く途中、道路の両脇は瓦礫が積み上げられていました。1ヶ月経ったというのに、車がすれ違うスペースを確保して、あとは「瓦礫置き場」となっていました。

 石巻市は漫画家の石ノ森章太郎(いしのもり しょうたろう)さんの出身地だそうで、メーンストリートには、『サイボー009』や『仮面ライダー』の模型が置いてありました。周辺の家屋は壊れているものの、何故かこれらのキャラクターはシャンと立っていました。「仮面ライダーは強い」と感心したものです。しかし、旧最上川の河口近くへ移動するとそこは想像を絶する状態となっていました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
報道関係者が入れない原発事故現場。一方向からだけの情報は危ないが、やむを得ない側面も…。
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2011/04/13 [Wed] 12:36:55 » E d i t
 4月6日の時事通信ウェブは、福島第一原発から10キロ圏内に自宅のある男性が自宅に戻ったときの模様を以下のように紹介していました。

                     ◇=◇=◇
 第1原発10キロ圏内の富岡町。左官をしていた男性(47)は、夜中に友人の車で避難先の同県郡山市から自宅へ向かった。体がすっぽり隠れる雨がっぱにゴム手袋、マスク2枚を重ねて着けた。途中で警察官2人から「どちらへ」と尋ねられ、30キロ圏外の村の名前を挙げて「家畜に餌をやりに」と答えて切り抜けた。

 町にたどり着くと、人の気配はなく、牛や犬が徘徊(はいかい)していた。「真っ暗で怖かった。みんな、死んじゃうから放したんだね」とぽつり。自宅からは健康保険証や息子の写真を持ち帰った。「放射線は目に見えないから怖い。でも、大切なものは全て家に置いてきた。できればもう一度戻りたい」と話す。
                     ◇=◇=◇

 ここで私が問題にしたいのは、今度の大震災によって家畜やペットがどう扱われているかということについてです。ここでは〝捨てられた〟家畜たちが徘徊していたといいます。乳牛酪農家は、えさを与えるために危険を承知で自宅に戻るといいます。

 それでは津波から救われたペットたちや、避難家族のペットたちはどうしているのでしょうか。先日、あの津波から救出された犬が飼い主のもとに戻ったことが話題になりましたが、ペットたちの様子はテレビの画面にはほとんど現われてきません。私が懸念するのは、前述の時事通信のウェブにあるように、捨てられてしまったのではないかということです。

 犬やネコも生きる権利があります。避難先に連れて行けないという問題はあるかもしれませんが、いつかは一緒にすめるときがきます。山古志村では犬の「マリ」が子育てをしながら生き抜いたではありませんか。まだ間に合います。どうか、ペットたちを見捨てないでください。下記はペットたちを預かるなどの対応をしてくれる機関です。これ以外にもたくさんありますが、ぜひ相談してください。

●緊急災害時動物救援本部
(事務局:財団法人日本動物愛護協会)
〒107-0062 東京都港区南青山7-8-1南青山ファーストビル6階
TEL 03(3409)1821 ファクス 03(3409)1868
●財団法人日本動物愛護協会
〒107-0062 東京都港区南青山7-8-1 南青山ファーストビル6階
TEL:03-3409-1822 FAX:03-3409-1868
●社団法人日本動物福祉協会
東京都品川区西五反田8-1-8 中村屋ビル4階
TEL:03-5740-8856 FAX:03-5496-0930

 いま不足している物は、バリケンネルなどの犬猫を入れるキャリー・猫のドライフード・猫の缶詰め・犬のドライフード・犬の缶詰めなどだそうです。皆様のご協力お願い致します。

★脈絡のないきょうの一行
プロ野球が開幕。少年たちの夢をのせた選手たちのはつらつプレーに期待したい。
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10550 1ヵ月② 
2011/04/12 [Tue] 13:24:28 » E d i t
 昨日夕方の東京の揺れもすごかったですね。私は7階の事務所にいましたが、かなりのものでした。この地震で福島県と茨城県で死者がでました。残念なことです。そして今朝の揺れもすごかった。東北地方から震源域が西へ西へと動いているようで、不気味です。

 前回のつづきです。被災地からの報告をしてくれたSさんは、「港には流された家屋がいまだに沈んでいる。そこには数多くの行方不明者がいると思われる。国をあげて早くなんとかしてほしい」と訴え、参加者の涙を誘いました。

 緊急集会は、千葉県旭市と浦安市の被災状況の報告に移りました。もし東北地方の大被害がなければ、大問題となったことは疑いありません。4月11日現在で千葉県が発表した被害状況をみてみましょう。▼死者・18人▼行方不明者・2人▼負傷者・223人▼全壊・695棟▼半壊・1630棟▼一部損壊・15467棟――などとなっています。

 一番死者が多かったのは旭市で13人となっており、これは津波によるものです。その被災地の写真は、東北と同じように家屋を襲っていました。1階部分が持って行かれた家、道路に横たわったコンテナなど津波の爪痕は東北のそれと同じ様相をしていました。

 さらにひどいのは浦安市です。液状化による被害は住民生活を直撃しています。昨日現在で断水しているのは33,000戸にのぼっています。1ヶ月以上も水のない生活が続いているわけで、これはひどい。一昨日の県議選で、浦安市は投票を行えませんでした。この被害状況では当然のことといえます。にもかかわらず投票を行わせようとした県選管や国の選管は何を考えているのでしょうか。怒りを感じます。

 集会は最後に、築地の移転地である豊洲においても液状化が起きたことが報告されました。豊洲の地盤にはベンゼンやヒ素などの猛毒が含まれており、食料を扱う市場としてふさわしくないことが指摘されてきましたが、今回の震災でそれが証明された形になりました。液状化は、地質から猛毒を表面上に浮き上がらせます。そういう場所に市場をつくるなど、自殺行為です。なんとしてもストップをかける必要があります。

 集会が終わったあと、Sさんと旧交をあたためたのはいうまでもありません。

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福島第一原発の危険レベルは7に〝格上げ〟。チェルノブイリと同じになったというが、対応は?
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10549 1ヵ月① 
2011/04/11 [Mon] 15:30:22 » E d i t
 あれから1ヵ月。被災地の人々の思いはいかほどでしょうか。1ヵ月が過ぎたというのに、確認された死者より行方不明者が多いという現実。津波の爪痕は時が流れるほどに深化し、心は痛むばかりです。2万7000人、いや数字に表れない人々を入れると3万人を超えるのではないかと思われる死者・行方不明者の数。想像を絶する被災現場。被災地の人々の苦悩はいかほどでしょうか。

 正直に申し上げます。このブログ、しばし筆が止まってしまいました。自分でも「あれ!?」と思うほどの戸惑いからです。何故か書けなくなってしまったのです。自己分析的なことをやってはみるのですが、腕が重くなるのです。自分では気付かない、どこかに震災の痛みが澱んでしまい、そうさせているのだろうということまでは分かるのですが、筆が動かないのです。

 昨日、昨年の4月13日に永眠した母の「一周忌」を行いました。それを機に『何とかしなければ』という少し焦りにも似た気分が自分を支配していましたが、何とか脱出できそうです。母に感謝です。

 先週4月4日に東京労働会館の会議室をお借りして、今回の地震被害に関する「緊急集会」を開きました。『防災問題を考える首都圏懇談会』(略称・防災首都圏懇)が主催したもの。この防災首都圏懇は、20年前の雲仙普賢岳被災の支援をきっかけにつくられたもので、建設関係、地質学者、土木研究者、防災研究者、まちづくりの専門家などが参加しています(詳細は小ブログ11/1/27-31を参照)。私も何故か、当初からの参加者の一人です。

 緊急集会は、仙台から友人のSさんに来てもらい被災現場の写真を見ながら、防災首都圏懇のメンバーから千葉県旭市と浦安市の被災状況の視察結果について、それぞれ報告を受けました。さらに、築地市場の代替地となっている豊洲の液状化の危険性問題についても報告を受けました。

 会議室は40席程度しかないところに60人近くが集まり、立ったままの人も出る〝盛況ぶり〟でした。Sさんは、被災各地で撮影してきた100枚を超える写真を紹介しながら「被災現場は、津波の怖さを見せつけている。これだけの被害をどうやって復興するのか、考えたら気が遠くなる。ガソリンがあったらもっと多くの人が救われたと思う。その意味では人災だ」と指摘しました。

 写真は、事前にお願いしていたとおり被災現場を回ってくれ、痛々しいほどの現状を映し出していました。陸にあがった漁船、家のなかに突っ込んだ車、原型を止めないほどひしゃげた車、遺体捜索をする消防団員などなど、厳しいものでした。(次回に続く)

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東京都知事、またしても石原氏に。1,200万都民が〝地方自治被災者〟に。
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10548 風評被害 
2011/04/06 [Wed] 13:14:08 » E d i t
 多忙を極めて、ブログのUPが遅くなりました。すみません。今回は風評被害を取り上げてみたいと思います。

 全労連から連日、「メールニュース」が送られてきます。きょう届いたものの中に、以下のものがありました。風評被害の生々しい中身です。「建交労福島県本部委員長で、大震災の現地対策本部長となった森谷稔さんからの福島県の深刻な状況についての報告」となっています。

                      ◇=◇=◇
 福島県は原発問題もあり、下記のようなことも問題になっています。県本部のある郡山市は、原発から50 キロほど離れていますが、ここ(郡山市)に配達するにも乗務拒否をするトラック運転手が多数いると報道されています。

 福島県にとって、放射能の風評被害は想像を絶する状況になっています。地元紙報道ですが、郡山市熱海温泉のホテル「華の湯」は、7月までの予約客15,000人全てが、飯坂温泉の吉川屋では7,000 人がキャンセルなどとなっています。

 旅館の従業員の大半が契約社員ですから経営者は「契約更新出来ない」となっています。もちろん、温泉ホテルなどに借金はあっても「内部留保」などはありません。また、野菜の出荷停止措置が出た翌日に自殺した須賀川市の農民は、民商会員の方でした。有機栽培で作った7,000株のキャベツを出荷する直前でした。

 3日のテレビ番組で姜尚中氏が、今度の震災で一番悲惨な状況にあるのは福島県だとも言っていました。県民が、毎日放射能にさらされている深刻さが理解されないと、「東京に福島県民が入る際はゼッケンを付けて来い」などの風潮が出て来るのだと思います。
                        ◇=◇=◇

 観光にダメージが大きいことは、新燃岳の場合も同じでした。噴火とは直接関係ないにもかかわらず、ホテルのキャンセルが続出したというのです。福島でも同じことが起きていることがよく分かります。

 これらはやむを得ない側面がありますが、トラックの運転手が福島県に入りたがらないというのは、困ったものです。私もテレビでこの報道を見ましたが、福島県に物資が入らないことになる訳ですから、事は深刻です。その背景に、人々が風評に乗ってしまうという面と、政府や東電が発表するデータに不信感をもっていることも否定できないと思います。「風評に惑わされるな」という批判だけでは済まされない、発表モノへの信頼度も考えてみる必要がありそうです。

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「リアルタイム 世論調査.net」が都知事選挙で誰を支持するかをやっているが、小池あきら候補が50%を超えてダントツ。おもしろいね。
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