ヘボやんの独り言
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10547 届いた意見 
2011/03/30 [Wed] 12:22:15 » E d i t
 被災地から届く写真を添付しながら、ここのメールアドレス帳に記載されている仲間たちに現状を報告しています。それを見た意見が寄せられました。そのなかから2つだけ紹介します。

                      ◇=◇=◇
 ご報告ありがとうございます。今回の地震・津波・原発事故に関して、私が今すごく感じる事は、マスコミの報道の偏り…というか不自然さ…というか…です。

 無事家族と再会できた喜びの姿とか、支援物資が運びこまれる光景とかを最近よくテレビで見ます。もちろん伝えるべき情報だとは思いますが、本当はもっと他に伝えなくてはならない事がたくさんあるんじゃないかと思うんです。

 遺体の処理の問題もそうですし、支援物資が行き渡っていない現状や今後生まれるであろう衛生面の危惧等、嫌な暗い情報もきちんと流し続けなければいけないと思うんです。原発に関しても、無駄に恐怖心をあおる報道には反対ですが、東電も政府も信用できなくなっている今、私達がやらなくてはいけない事は、ひとりひとりが学んで考えて、議論して答えを導き出して…ということなのかな、と思います。

 そのためにマスコミという存在は必要不可欠ですし、もっと「事実」を伝える存在であって欲しいと感じます。実際、現時点でもガソリンや水等の買い占めが起こっています。「事実」を伝える事で更なるパニックになるかもしれません。

 それでも、それによって被害者がこれ以上増えてしまう事を防げるのであれば伝えるべきだと思います。また、事実を継続的に伝え続ける事で、最悪のパニックというのは防げるのではないかとも思います。

 ツイッターやらブログやら、色々な情報が行き交う世の中です。冷静に情報を取り入れつつ学んでいこうと思います。
                      ◇=◇=◇
 地獄絵巻のような環境に元々鬱病で入退院を繰り返していたオジサンは耐えられなくって急性心不全で亡くなったんだなぁと思いました。正直想像がつきませんが「新聞で23年分の瓦礫」と見ました(※注・仙台に住んでいるこの人のおじさんが震災後亡くなっています)。

 動ける人も物も足りてない状態。十分の燃料があれば火葬場も動かせるし、暖もとれるのに。海外からの応援も来ているが日本政府からの要請がないと活動出来ないため待機しているとニュースを見ました。

 命よりも優先させるものなんて何もないことくらい、小学生だって判ることなのに。この国のトップはどぉなっているのだろうと呆れ返ります。日本よりも遥かに年収の低い台湾からは既に60億もの義援金。モンゴルの議員は年収の1割を義援金に。なのに、日本政府は――。

 東電のテキトーぶりに保安員や学者ポッイ方々、司会者の「人体に影響がなぃ」とやたらと繰り返し安全を主張しまくるニュース。流石にここまでくると見ていて笑えます。そんなに人体に影響がなく安全なら福島へ移住すればいいのに。対策本部もスグに動けるょぉに原発30キロ辺りにでもつくればいいのにな。

 最近自分で意地が悪くなった気がします。イライラするとお腹が空くので寝ます。
                     ◇=◇=◇

 過激な部分もありますが、うなづけます。

★脈絡のないきょうの一行
センバツ高校野球、はつらつとしたプレーに心休まるのは私だけだろうか。
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2011/03/29 [Tue] 11:45:16 » E d i t
 美容師として著名な山野愛子さん(故人)が設立した学校法人・山野学宛に勤めている先輩がいます。彼は山野愛子さんの甥にあたり、既に古希を越えていますが山野美容芸術短期大学の事務局長も務めたことがあり、今でもがんばっておられます。その先輩から、「学校として福島県の被災地に行ってボランティアを行った」という連絡が入りました。

 添付された写真は、お年寄りたちの笑顔に満ちていました。子どもの笑顔も、お年寄りの笑顔もまた、平和の象徴です。笑顔は私たちに和み=安堵感をもたらします。不足物資や義援金を送ることも大事な行為ですが、このように美容の分野で支援することも、すごいことです。髪の毛を洗うという日常的なことが、一旦災害がおきたら出来なくなる、そこにスポットを当てた「支援」にモノではないココロを豊かにする方法があることに嬉しく思いました。

 同校がプレスリリースしたものも届いています。新聞やテレビは報道しないかもしれませんが、ここでその一部を紹介します。

                   ◇=◇=◇
 学校法人・山野学苑は、「東日本大震災で被災された高齢者を激励しよう」との目的で、福島県の老人福祉施設へ行き、入所者にヘアカットとアロママッサージ(ハンド・マッサージ)のボランティア活動を実施した。

○ 日時=2011年3月26日(土)~27日(日)
○ 場所=特別養護老人ホーム「しんちホーム」
      福島県相馬郡新地町小川字川向18
○ 参加者=山野美容芸術短期大学と山野美容専門学校の美容担当教員(美容師)8人、サポートスタッフ4人、計12人
○ ボランティア活動内容
 ヘアカット=4人の教員が1人で4~8人、計44人に実施。
 アロママッサージ(ハンド・マッサージ)=3人の教員が1人で4~6人、計50人に実施。

 今回のボランティア活動は、山野美容芸術短期大学元教授で、北本市で「ひらおクリニック」を経営している平尾良雄医師が、震災後、支援に取り組んでいる「しんちホーム」の入所者を元気づけるために、美容ボランティアをお願いしたいとの要請で実施したもの。スクールバス1台で、八王子を出発。途中、給油しながら往復約900キロの行程だった。

 同ホームも震災で壁にヒビが入るなどの被害を受けたが、津波は建物の直ぐ前まで止まったため、被災を免れた。入所者は85歳から104歳で、自宅を流されたデイサービス利用者もいた。みな地震と津波被害で、精神的にも不安定な様子だった。

 施術した教員たちは、「震災の状況を聞きながらカットとアロママッサージを実施したが、励ましの言葉をかけるうちに、冷たかった手首から手先が温まっていき、辛かった心のカギが開いていくことを実感した」「原発事故で放射能に不安があったが、その下でも苦しんでいる方々が美容の力で元気を出してくれた。実施してよかった」と感想を語っている。

 挨拶に来られた加藤憲朗・新地町町長と施設長は、「美容ボランティアを受け入れたことはありませんが、利用者がこんな笑顔を見せてくれたのは初めてです」と語った。

 今回のボランティア活動は、比較的被害が小さかった施設だが、そこでも入所者は大きなストレスを抱えている。自宅を失い、慣れない地で避難生活をしている被災者のストレスは計り知れないと推察される

 復興まではまだ長期間かかると想定される。美容業界上げて、また美容教育の現場でも、長期的な支援体制を整えることが急務であると痛感した。
                    ◇=◇=◇

 美容教育の現場でも、長期的な支援体制を整えることが急務であると痛感した――。涙が出そうです。この国の国民が大震災被災者に、形は違っても「がんばれ」のメッセージを送っていることが実感できます。

★脈絡のないきょうの一行
震災の陰に隠れた秋葉原無差別殺傷事件の判決。「死刑」は妥当なのだろうか?
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2011/03/28 [Mon] 15:36:26 » E d i t
 先週は知事選挙が、そして昨日は政令指定都市の市長選挙が告示されました。東北関東大震災のさなかの選挙、街頭宣伝など音を出すことの自粛ムードのなか、有権者はきちんとした判断を示せるのでしょうか。私には疑問です。

 この選挙日程の問題で、共産党はいち早く「全国的に6ヶ月間の延長をすべきだ」と主張しました。しかし当局はそれを無視し、被災地の選挙延長は決めたものの、日程を強行するにいたっているのです。大震災発生により、国民が〝浮き足〟立っている状況のなかで、政策で決めるべき地方自治の代表をきちんと選びきれるのか、疑問です。結局、組織力をもっている政党を利することになるのではないでしょうか。

 加えて、「自粛」です。候補者が有権者に訴える手段は、音と活字です。なかでも音は重要な役割を果たします。ところが、自粛ムードのなかでは十分な政策宣伝が行えません。結果として活字による訴えも、やりにくくなります。つまるところ、前述のように組織力を持っている政党が有利になります。

 自粛で気になるのは、区民集会室など公的機関の会議室の夜の貸し出しが中止なっていることです。千代田区でいえば、今のところ5月いっぱいだそうですが、これもクビをひねりたくなります。「計画停電」に協力するためだそうですが、昼間はOKで夜は禁止、という措置は納得いきません。確かに夜は室内灯を必要とします。が、それがどれほどの電力を必要とするのでしょうか。

 むしろ、そういう集会室を貸し出すことによって人の交流が生まれ元気になるはずです。地下鉄ホームの薄暗さ、最初の頃は気になりましたがもう慣れました。あの程度の明るさがあれば十分です。今までが明るすぎたのです。過度なネオンも姿を消しました。これは大賛成です。

コンビニの営業時間もしかりです。夜通し店を開く必要はないと思います。夜中もコンビニが開いていることが犯罪の温床にもなってきました。真夜中まで働く人がいることも、本来的に不自然です。この計画停電を奇禍として、原子力発電の可否はもとより、電力消費のあり方、国民生活のあり方を根本から考え直すことが求められていそうです。

 それにつけても、「何でも自粛」を自粛して、そのあり方をしっかり考える必要があるのではないでしょうか。

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見えない恐怖、排出量が通常の2倍とか3倍と言われると分かるが、1000万倍と言われてもねー。
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2011/03/25 [Fri] 18:20:53 » E d i t
 新燃岳噴火による被害を忘れないでください。被害地域(宮崎県都城市、小林市、高原町)の人々は、人的被害はないものの、せっかく作った農作物は売り物にならず、鹿児島県側においても、観光客のキャンセルが相次ぐなど厳しい状況に陥っています。

 11日の大地震の翌日からの12、13の2日間、「新燃岳噴火の被害調査」が、全国災対連の呼びかけで行われることになっていました。ところがこの地震のため参加予定者が羽田空港まで行けないこともあり、東京から参加を予定していた10人のうち、前日から現地入りしていた2人と私の3人だけの参加となってしまいました。3人だけの参加でしたが、行動は予定どおり行われ、以下、その内容を報告したいと思います。

 噴煙によって地上に落ちてくるものは3種類あります。一つはパウダー状になった灰、もう一つは浴槽などでも使われることがある、軽石。そしてもう一つは、これは重さがあるのですが花崗岩です。パウダー状の灰は、農作物に降りかかり商品としての価値をゼロにしています。道路は天気のいい日は灰が舞って、目を開けていられないほどです。樹木は灰をかぶって白くなっています。見ているだけで〝呼吸困難〟を起こしそうです。

 軽石と花崗岩は、そんなに大きくありません。大きなものは重いので、恐らく火口の近くに落ちるのでしょう。しかし、軽石はこぶし大の半分ほどのものが飛んできます。その石は、民家の屋根や酪農家の動物舎の屋根を直撃し、被害は広がっています。とくに都城市は自宅のソーラー(太陽光発電)がかなり普及しており、屋根にとりつけたそれは噴石によって破壊され、噴火はいつ終わるか分からず壊れたままで放置してあります。

 牛舎や豚舎も見てきました。トタン屋根が破れた穴から空を見上げることができます。よくぞ動物や人に被害がなかったものだと感心しきりです。花崗岩の大きなものが人間の頭を直撃したら、いのちにかかわる問題となるでしょう。

 2日目は、鹿児島県側の霧島市を訪ねました。鹿児島側は降灰が少しあるものの、全く被害はありません。しかし、風評によって観光客が激減したといいます。霧島温泉の新燃岳に一番近いホテルの支配人が私たちに会ってくれました。「テレビ取材を受けたとたん、キャンセルがきた。マスコミはよくない。ここは全く被害はないが、客は引いている。集客のために無料温泉の開設や、各種イベントを企画している。県内の人にも来て欲しいと思っている」と胸のうちを語りました。

 東北・関東大震災発生によって、新燃岳の報道が消えました。しかし、現地では人々が生活しています。この噴火、専門家によると2、3年は覚悟したがいいと言います。この山の噴火被害も忘れてはならないと思います。

 私は2年前の4月、新燃岳を見下ろす二つの山に登っています。韓国(からくに)岳と高千穂峰(たかちほのみね)です。高千穂峰は、坂本龍馬が登ったことで少し有名になりましたが、両山から見た新燃岳はいい形をしていました。韓国岳は「百名山」の一つですから、後日、改めて触れたいと思いますが、1日も早くあの美しい姿に戻ってほしいものです。

★脈絡のないきょうの一行
宮城の被災現地から、メディアには出てこない悲惨な報告も。やるせない。
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2011/03/24 [Thu] 13:05:04 » E d i t
 最後に、宮城県労連を訪ねました。事務局長と話しをすることができました。「いま、安否確認をすすめているが困難な状態。ある組合では分会ごと連絡が取れないところもある。かなり被害は大きいようだ」と、状況を説明してくれました。

 その場に同席した知人のAさんは「うちは娘と孫が津波にやられた」と語ります。Aさんには随分前にお世話になったことがあります。その厳しい現実に慰めの言葉も見つかりません。この言葉で、「被災地に来たんだ」という実感が沸き起こりました。それでもAさんは、「今日はどうせ泊るところはないのだから、うちに泊っていけ」と誘ってくれます。その優しい心遣いに感謝ですが、甘えるわけにもいかずその場を辞しました。

 時計はすでに午後4時を回っており、津波に襲われた被災地を訪問したいと思っていたのですが、暗くなることと帰りのガソリンも心配であり断念。市内を回ることにして、住宅があるだろうと思われる太白区の長町駅にナビをセット、急ぎました。途中で、道路が波打っているところを発見、そのエネルギーに驚きです。

 駅近くのパーキングに車を止めて周辺を歩いてみました。とたんに謎が一つ解けました。阪神・淡路大震災のときは、倒壊した建物の下敷きになって亡くなった人(6割といわれている)が大勢いました。ところが、今回はテレビで流れてくる映像は津波の現場が中心です。「家屋やビルの倒壊はなかったのだろうか」という疑問を持っていたのですが、それが少なかったのです。あれだけの揺れがあったにもかかわらず、少なかったのです。直下型でなかったことが幸いしたのかもしれません。

 夕暮れどきになっても、人の行き来はまばらです。静か過ぎる仙台市内を後にしたのは、午後5時を過ぎたところでした。帰りは、雪の暗い道を走るのは危険なことから、山形県天童市のビジネスホテルに泊り、翌19日に往路と同じルートで新潟県・新発田で給油し帰ってきました。この行動に同行し、交代で運転してくれたSさんに感謝です。

 災害が起きたとき早い時期に行う必要があるのは、生活物資の供給と励ましです。地震発生から1週間後に現地に入ったことは、意味のあることでした。今後は物資も供給されるようになり、少し落ち着きますが必要になるのはお金です。着の身、着のままで避難した人たちの心細さは推して余りあります。今、必要なのはお金です。

 そしてそのあとは、住宅、雇用、災害補償、そして復興の課題が待っています。なかでも、雇用は深刻です。企業ごと津波に飲み込まれたところも少なくありません。それを再建するのは至難の技で、同時に雇用確保は深刻な問題です。この問題は、政治的な支援がなければ出来ないことから政策闘争の分野にもなります。

 原発の「見えない魔の手」も深刻ですが、いま急ぐべき被災者支援に全力をあげたいものです。

★脈絡のないきょうの一行
知事選告示。震災で気勢が上がらないが、東京は何としてもストップ・石原を。
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2011/03/23 [Wed] 12:27:50 » E d i t
 新発田インターを出るころから、雪が降り始めました。買い物をしている間に時間も過ぎて、午後5時に近づいていました。雪の夜道、しかも慣れていないところは危ないと考え、新発田駅前のビジネスホテルに投宿しました。

 翌18日、早めにホテルをでましたが、雪は降っています。その中を走ります。うちの車のタイヤはノーマルで雪道には向いていませんが、前進あるのみです。ルートは日本海沿岸を北上し、山形県の鶴岡市を経て天童市へ東進します。そこから仙台市に入るという予定です。新発田から260キロ強の距離です。もう一つ、小国町を走るルート(こちらのほうが70キロは短い)があるのですが、これは雪で厳しいのではないかと想定し、最初から外しました。

 雪は鶴岡を過ぎたあたりからやみましたが、道路は凍結状態です。そこを慎重に走りましたが、ついに我慢できずチェーンを装填します。チェーンが着けば安心です。とにかく前進です。天童と仙台を結ぶ国道48号線は除雪してありました。山形県内で、ガソリンスタンドに向けた車の列には驚きました。新潟県にそれはなく、その落差はすごいものです。

 仙台市に入ると、今までと風景が変わりました。静かなのです。ガソリンスタンドには車の影はありません。が、閉じられています。人影もまばらです。仙台市内の繁華街に入っても、人は少なく、これが東北一の街かと疑うほどです。昨年の2月に友人の葬式に参列して以来の仙台ですが、その静かさに異様な感じを受けました。

 物資をおろす予定の河北新報仙台販売労働組合(河北仙販労組)に着きました。午後2時半を回っていたでしょうか、5階建てビルは人影がありません。やむなく、動いていたエレベーターを使って屋上の組合事務所に直行しました。そこでやっと、書記さんに会えました。Iさんは、私たちがやってきたことに驚き、喜んでくれました。

 荷物は東京で預かった20キロのコメ、山梨でいただいたカップ麺100個余、ガスコンロにガスボンベ、毛布、プラスチックのカップ200個、割り箸200膳、水などとなりこれを降ろし、カンパを渡して次の河北新報労組へ移動です。ここでは組合の委員長と会うことができました。新聞社は(特に地方紙間で)災害時の緊急策として、他の新聞社と協定を結んでいます。その社が災害等で印刷ができなくなったとき、協定を結んだ相手の会社が代わって印刷するという協定です。河北新報は新潟日報と結んでいます。

 「新潟で印刷したのは震災翌日の12日だけ。13日からは自力でやっている。輪転機や新聞づくりの工程はかなりのダメージを受けたが、短時間で修理をやり遂げた。新聞記者にはまねのできない、この力はすごいと思った。こういう状態のなかで、広告の仲間たちは走り回って広告を確保してきた。そういう総合的な力が早期稼動につながった」と、委員長は熱く語りました。私もそう思います。

 河北仙販も河北新報も、組合員とその家族に震災による犠牲者はいなかったといいます。これは不幸中の幸いといえます。しかし、親類のなかには津波に巻き込まれた人もあるといい、厳しさが漂います。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
プロ野球開幕延期の考え、労組のほうに説得力あり。支持。
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2011/03/22 [Tue] 19:51:13 » E d i t
 ブログのUPが遅れました。地震災害に巻き込まれたのでも、体調を崩したからでもありません。16日に緊急連絡を取り合い、千代田区労協の常任幹事会として被災地に支援物資を届けることにし、その役割を私が担ったからです。決まれば、即、行動です。17日にスタートすることになりました。以下、その報告です。

 ガソリンが手に入らないことから、車は燃費がいい私のうちのものを使うことにしました。通常であれば満タンにしておけば仙台を往復できます。ところが東北道は閉鎖され、東北につながる国道4号線は渋滞で身動き取れず状態です。どうするかと悩んでいるところに、「新潟から回れる」という情報がMICから入りました。しかも新潟県下ではガソリンスタンドは通常営業しているといいます。

 ところが、新潟まで行くガソリンがありません。そこで山梨県笛吹市に住む友人に聞いてみたところ、山梨はまだ通常営業しているガソリンスタンドがあるといいます。それではと、彼の車を満タンにして17日早朝に八王子インターで待ち合わせ、こちらの車に「給油」してもらう段取りにしました。ところがそれを実践してみたところ、最近の車はそれが出来ないことが判明。

 打つ手は一つしかありません、「一か八か」で中央道の勝沼インターチェンジまで進み、そこで私の車に直接給油することに。途中、笹子トンネル手前でガソリンの量を示すゲージが点滅し始めました。トンネル内でガス欠はいけません。薄氷を踏む思いでなんとかガソリンスタンドに到着。ところが「3000円分」しか給油できないといいます。やむなくその分を入れて、もう1軒のガソリンスタンドへ。ここは「1000円分」だといいます。その分を給油して、先ほどの店にUターンです。そこでやっと満タンになりました。その時点で計算してみたら、残ったガソリンは1リットルだけでした。

 山梨の友人は、事前に頼んでおいたカップ麺を買い込んでくれていました(まだ山梨にはあったのです)。数にして100個近くはあったでしょうか。「変なオジサンがカップ麺を買い占めていると思われたらしく、白い目で見られていた」と笑いながら彼。いやはや、申し訳ない。それを受け取って再スタートです。中央道、長野道、北信越道、北陸道、そして耳慣れしない日本海東北道の「聖籠・新発田」インターで降りました。この行動を知って事前に調べてくれた仲間がいて、このインター近くに24時間営業しているガソリンスタンドがあるのです。

 インターチェンジから、そこへ直行です。スタンドは車の列はなくすぐに入れ、拍子抜けです。その傍にホームセンターがあるのを見つけました。「もしかしたら」ということでそこに走ってみました。ビンゴです。ガスコンロとガスボンベがありました。ここも「お一人さま1個」です。もちろん、〝繰り返し買い〟したことはいうまでもありません。(次回に続く)

★脈絡のないきょうの一行
原発異変、見えない恐怖はいつまでつづくのか。いい加減にしてくれ!
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2011/03/15 [Tue] 10:06:23 » E d i t
 生命線と言われる72時間が過ぎて、厳しい状態が続いています。被災地での混乱状況は推して余りあります。仙台に住む仲間たちと連絡をとりたいと思うものの、電話はつながりません。やっと昨日、元新聞労連副委員長の小関勝也さんからメールが届きました。彼は河北新報を配達する会社・河北仙台販売会社に勤めています。その内容を紹介します。

                          ◇=◇=◇
 正直、もうダメだと思いました。宮城県沖地震を経験している私でも想像を絶した揺れ(時間も長かった)でした。

 配達スタッフのおかげで、地震直後の11日夕刊は約90%超を配達。翌日12日朝刊は100%配達、午後に出された臨時号外を緊急避難所280カ所へ配達。きょうから通常のダイヤ(紙面は大幅減ページ・チラシはもちろん無し)に戻っています。

 従業員の安否については、社員(組合員)及びその家族は大丈夫ですが、配達スタッフが8人ほど連絡つかずという状況です。河北仙販の販売エリアについては、テレビの画像で流れているような建物の損壊や津波の被害はありません。沿岸部の河北系自営店は行方不明という状況です(その販売店エリアは立ち入り禁止地区になっていて新聞輸送もできません)。

 新聞販売店に一番必要なのは配達に必要なガソリンなのですが、これはどうしようもありません。自転車と徒歩で時間がかかっても配るしかありません。

 MIC山下さんのお計らいを受けて、その旨を現役執行部委員長の飯田と河北労組の樋口委員長と協議をしてもらったところ、まずは生活支援物資が必要とのこと。ガス、水道は市内中心部から復活しているのですが、ガスの供給はストップしています。

 取り急ぎ、ガスコンロとガスボンベ、水、保存がきくカップラーメンが最も必要との連絡を受けて、山下さんへ連絡したところです。

 私の叔父と叔母も津波の被害を受け、おととい遺体確認をしてきました。

 このような状況です。被災者がイライラし始めて所々で口論をしている姿が増えていますが、まずは目の前の新聞を待っている読者へ届けることに踏ん張ります。

 小関勝也
                          ◇=◇=◇

 正直、冷静な彼の報告にほっとしました。こういう状況下でも、新聞を読者に届けるという自らの仕事に全力投球している姿もすごいと思いました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
震災の被害もさることながら、福島第一原発がチェルノブイリ化するのではという心配が。
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2011/03/14 [Mon] 14:29:05 » E d i t
 11日午後2時46分に起きた大地震には驚きました。この日は「千代田総行動」で、私は朝から宣伝行動を行い、昼デモが終わり税務署への要請のあと次の厚労省への年金問題の要請(午後3時から)に移る最中でした。厚労省の受付まで10メートル足らずのところで、いきなり来ました。

 揺れで足がもつれて最初は、脳梗塞でも起こしたのかと心配したくらいですが、すぐに地震であることに気付きました。近くにあった街路灯に摑まって我慢しましたが、すごい揺れです。厚労省の庁舎を見上げましたが、揺れている様子は伝わってきません。しかし、「これが倒れてきたら駄目だろう」と一瞬身構えたものです。

 その近くを歩いている人たちも、樹木にしがみついたりしています。揺れが収まったところで、ビルの中から次々と人が出てきました。その人たちの会話を聞いてみると、外に避難せよという指示が出たようです。周辺の官庁街のビルからも、次々と人が出てきます。その人たちは全て、日比谷公園に吸い込まれます。

 揺れが収まったとき私が考えたのは、この地震の震源地が東京に近いところだったらいいが、遠いところだったらその周辺に大きな被害が出るだろう、ということでした。その心配は当たってしまいました。

 私も避難する人たちのあとについて、日比谷公園に入りました。そこはものすごい人だかりでした。日比谷公園に面した公会堂でどこかの学校の卒業式をやっていたのでしょうか、若い人たちが不安顔で集まっていました。噴水は何故か動いており、これだけが異質に写りました。公園の中でも余震が襲ってきました。その度に女性の悲鳴が響きます。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
鉄道各社は自前の発電所を持っており、東電の電力は必要ないはずだが……。
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2011/03/11 [Fri] 09:09:49 » E d i t
 9日の衆院国土交通委員会で、共産党の穀田恵二議員の質問に答えて、JALの管財人・水留浩一氏(企業再生支援機構常務取締役・日航副社長)は、「整理解雇」問題について銀行との約束はなかったことを明らかにしました(3月10日・しんぶん赤旗)。これにより京セラから送られてきたJAL稲盛和夫会長の、「整理解雇の必要性はないが、銀行との約束があったから反故にできない」という発言がウソであったことが明らかになりました。

 水留氏は「個別具体的に『整理解雇』に対して要望を(銀行から)お聞きしたことはない。先方(銀行)からコメントをいただいたこともない」(同)と語っています。JALの解雇問題に銀行が〝関与〟したことは全くなかったということであり、JAL経営陣は架空の理由をつけて解雇を強行したことになります。

 これはひどい。経営的には整理解雇の必要性はまったくないことを認めながら、銀行との「約束」を盾にして昨年末に165人を放り出したその〝根拠〟を失ったことになります。小ブログで「この解雇は銀行のスケープゴードだったのか」と書きましたが、それは虚構の世界だったのです。明白なフレームアップ(捏造、でっち上げ)だったのです。

 フレームアップは歴史を紐解けば、ヒトラーのそれが有名です。1933年のドイツ国会放火事件です。自らの指示で国会に放火させ、それを共産党がやったとして大弾圧を行い追放したうえ独裁体制をつくりました。それがあの戦争へと突き進み、ホロコーストにつながりました。

 日本でも戦後間もない頃、白鳥事件や三鷹事件、菅生事件などがありますが、歴史家の犬丸義一さんは、政治的フレームアップを行う背景に①時の権力に大きな政策変更が求められているとき②反権力(民主)勢力の力が弱まったとき③国民にフレームアップの経験が乏しいとき――の三つをあげておられます。これをJALの『整理解雇』問題に当てはめてみたらどうなるでしょうか。言わずもがな、というところでしょうか。

 不当解雇を受けた当事者のみなさんは「この解雇は仕組まれたものである」と一貫して語ってきました。それは今回の水留氏の発言で裏づけられたことになります。つまり、JALのあの解雇は「整理解雇」ではなく、「活動家追い出し解雇」だったのです。何故、活動家を追い出さなくてはならないのか、あの人たちが考えるJALの再建にとって、たたかう労働組合は目の上のたんこぶだからです。

 3日のパイロット組合につづいて、きょう11日は客室乗務員(CCU)のみなさんの東京地裁第1回弁論が開かれます。解雇の根拠を失ったいま、JAL経営者陣は即刻解雇撤回を行うべきです。真にJALを再建したいのであれば、現場で働く労働者の声を真摯に受け止め、航空業界の生命線である「安全」問題を機軸にした経営を展開すべきです。

 それにつけても、パイロットとキャビンクルーだけでなく、JALの整備で活躍してきた私の友人が、仕事を外されていることが気になります。

★脈絡のないきょうの一行
きょうは、3.11千代田総行動。いのち、くらし守る行動にあなたも参加を。
2011/03/09 [Wed] 11:26:15 » E d i t
 前回につづいて百名山報告です。この山はシャクナゲ(石楠花)とツツジ(躑躅)とアセビ(馬酔木)がみごとです。この三つを全て楽しもうと思うなら、5月15日前後がおすすめです。きっと素晴らしい出会いがあることと思います。万次郎岳を過ぎると、ツツジが咲き誇り、その先にはアセビのトンネルが待っていてくれ、さらに天城山の最高峰・万三郎岳から「十字路」と呼ばれる天城ゴルフ場への下りにはシャクナゲ畑がつづきます。

 5月中旬のこの時期に私は行ったことはありません。しかしこの時期がいいというのは、理由があります。私がこの山を訪ねたのは、1995年6月12日と98年5月23日の2回ですが、その2回とも遅すぎてその美形は終わり状態であり、経験則から15日前後がいいと思ったからです。そのうち改めて、5月15日前後にチャレンジしてみたいと思っています。ここでは最初のときの95年6月のものを報告します。

 登山口は一番オーソドックスな天城ゴルフ場としました。車をゴルフ場の片隅に止めさせてもらってスタートです。『日本百名山』のなかで深田久弥は、「五万分の一の地図がなかったせいもあるが(略)終戦後、軍が廃止されて天城の地図が出た。(略)秘密地帯のなくなったのは嬉しいことであった」と書いています。きちんと調べたわけではないのですが、戦争中のこのあたりは軍事的に重要な場所だったようです。それゆえに当時は地図もなかったのでしょう。

 ゴルフ場からまず、万次郎岳をめざします。1時間ほどで万次郎岳の標識をみつけ、あっけない感じで第一関門突破です。ここから少し下がったところに岩場があり、ガイドブックによればここから富士山が臨めるはずですが、この日は曇り空で叶いませんでした。鞍部となる石楠立で昼食としました。周辺はガスが立ち込みはじめ、これもまた趣きです。

 昼食が終われば、いよいよ伊豆山塊(伊豆半島)の最高峰でもある万三郎岳にアタックです。アセビのトンネルをくぐり、南国のせいでしょうか大きくなり過ぎた感のあるシャクナゲの木の間を通り抜け、高度を稼いでいきます。小ぶりの急登をがまんしたら、万三郎岳の山頂に出ました。ガスが上がることはなく、山頂は写真を撮ってスルーです。

 少し傾斜のある下り道の左右には、シャクナゲが林立していました。ここは盛期には素晴らしい景色となることでしょう。「もう一度来てみよう」そんなことを考えながら、登山口に戻りました。

*徒歩総時間・4時間25分
天城ゴルフ場(11:00)-万二郎岳(12:05)-石楠立(12:50 13:35)-万三郎岳(14:10)-十字路(14:55)-天城ゴルフ場(16:10)

*参考/98年5月23日登山/徒歩総時間・4時間10分/天城ゴルフ場(9:40)-万二郎岳(10:30 10:45)-万三郎岳(12:05 13:00)-天城ゴルフ場(15:00)

★脈絡のないきょうの一行
石原慎太郎さん、都知事選挙に立候補の動き? こりゃもうゾンビだね。
2011/03/07 [Mon] 10:09:26 » E d i t
 その時点でハタと気づきました。これはもう高山病だということを。それが分かったからと言って何のタシにもなりません。思っていることと身体のバランスが取れないということは、実に良くない。気持ちだけが前に進み、身体はイヤイヤをしながら数秒後からついてくる、という奇妙な感覚です。情けない気分で、もしかしたら意識もぼんやりしていたのかもしれません。

 時間についても気にならなくなっていました。これは危ない。山頂直下まで来たところで、(私が遅いことに)しびれを切らしたらしくOさんが心配して迎えにきてくれ、私のザックを背負ってくれました。空身がこんなに楽なものかと新発見に喜んだりしましたが、そんな場合ではありません。

 頂上は、人、人、人でごったがえしていました。さすが人気の富士山です。お釜を一周しようかということになりましたが、私の体調がいまいちで、雨も降り出し風も強くなってきて断念、「早めに山頂に着いたらその日のうちに下山」ということにしてありましたが、「無理はしない」という山の鉄則に従い、泊まることにして山頂の山口屋に投宿。決められた布団にもぐりこんで、昼寝ならぬ早寝を決め込みました。疲れと高山病で熟睡したことはいうまでもありません。

 2日目。周辺の喧騒で無理強い的に起こされましたが、前日のあの不快感はウソのように治まっていました。身体の慣れでしょうが、すごいものです。1畳2人の〝ベッド〟を抜けて外に出てみると、夜中に登ってきたらしい登山客でいっぱいでした。ご来光を期待しましたが、雨と風でそれはかなわず、小屋にもどって再度布団にもぐりこみ天気の回復を待つことにしました。しかし天気は変わらず、お釜一周も諦めて下山開始です。

 下山道は登り禁止でこの方式はいいねなどと相棒と会話しているうちに、8合目あたりから登山者の数珠つなぎとなりました。砂状態の道は歩きにくいものの、雪山の下りの要領でやればOKです。下りはスピードが出ました。山頂から5合目まで、休憩時間を除いてなんと1時間45分という記録でした。前日に高山病に罹った者とは思えない元気さです。駐車場にもどり、河口湖インターチェンジに近い「溶岩温泉」で汗を流してこの山行に終止符を打ちました。

*徒歩総時間/1日目・7時間40分、2日目・2時間10分
 1日目=8月1日/駐車場(4:45)-5合目・朝食(5:15 5:35)-6合目(6:05 6:15)-花小屋・2700M(7:10 7:30)-8合目・太子館(9:10 9:30)-本8合目・富士山ホテル(11:05 11:20)-富士山山頂奥宮(13:50) 山口屋・泊
 2日目=8月2日/山口屋(7:30)-7合目(8:30 8:55)-5合目(9:40 10:15)-駐車場(10:40)

*参考/01年7月15日登山/1日目・5時間50分(休憩含む)、2日目・3時間25分
 7月14日/富士宮新5合目(11:40)-9合目・万年雪山荘(17:30)泊
 7月15日/万年雪山荘(6:40)-富士山頂(8:10 9:00)-7合目(10:00)-新5合目(10:55)

★脈絡のないきょうの一行
民主党の前原さん、2度目の辞任。実のところは政治家に向いていないのでは?
2011/03/04 [Fri] 17:23:43 » E d i t
 百名山報告、富士山までやってきました。富士山は日本人のこころにしっかり根付いています。まさに日本の象徴であり、知らない人はいないでしょう。姿、形、歴史と持っているもの全てが「百名山」の条件に当てはまります。

 思い起こしてみれば、九州生まれの私が富士山を初めて見たのは、1964年のことでした。集団就職で〝金の卵〟ともてはやされて愛知県刈谷市の鉄工所に就職した私は、若者にありがちな向学心に燃え、そこを辞めて東京に出ました。その車窓から、雄大な富士山が見え感動したものです。そのナマ富士はしっかり刷り込まれています。そのせいでしょうか、今でも富士山を見るとほっとします。

 この山、「登る山ではなく見る山だ」と言われますが、そのとおりです。その山に1998年8月1日と2001年7月15日の2回、登っています。最初のときは単なるチャレンジで富士吉田側の5合目口から、2回目のときは毎日新聞社が山頂にバイオトイレをつくり、そのチップを運ぶボランティアを募集しており、それに参加する形で富士宮口の新5合目から登りました。ここでは最初のときの、高山病に閉口した山行を報告します。

 今ではシーズンになると5合目に行く道路は一般者通行止めとなり、ふもとでシャトルバスに乗り換えなくてはなりません。この98年のときはまだ規制がなく、5合目まで入れました。しかし、登山客が多くかなり下まで道路わきに車が止まっており、私たちもそれに倣うしかありません。結局、30分ほど余分に歩くことになりました。同行は山仲間のOさん。

 前夜、ふもとに入り仮眠。明るくなって動き出し、まず5合目の観光売店が並ぶところまで登って朝食です。ここの土産物屋で1000円を払って、長い木製の杖を仕入れました。6尺(1.8メートルかな?)の長めですが、富士登山にこれは便利です。おすすめです。

 空は残念ながら曇り気味。とはいえ東の空は赤く輝いていました。二人で順調に歩きます。このペースだと日帰りが可能かな、と考えるほどのいい調子です。ところが、8合目あたりから、かつて経験したことのない難業苦行となりました。とにかく眠いのです。車での仮眠時間が少なかったからだろう、と思っていましたが、どうも違います。

 空気が薄くなってきたこともあるのでしょう、呼吸も苦しくなってきました。そして今度は頭痛です。かなり苦しくなり、Oさんには先に行ってもらうことにして、ゆっくり歩きます。10分歩いて10分休憩のパターンを繰り返しますが、体調は回復しません。しかも何と途中で眠さに負けて、登山道の脇で人の邪魔にならないように20分ほど眠ってしまいました。時間が経つにつれて直射日光が厳しくなり、体力を消耗します。(次回に続く)

★脈絡のないきょうの一行
受験にケイタイ。就職がうまくいかず、バスジャック。単なる若者の暴走だろうか?
2011/03/02 [Wed] 11:14:32 » E d i t
 3月・弥生(やよい)に入りました。別名に、あまり耳慣れませんが花見月(はなみづき)、桜月(さくらづき)、花月(かげつ)、嘉月(かげつ)、夢見月(ゆめみつき)、暮春(ぼしゅん)などがあるといいます。花の季節到来にふさわしい、先人のこころが表れています。日本人ってすごいですね。

 2月25日、大阪地裁は肺がん治療薬の「イレッサ」を投与され、副作用で死亡した遺族の損害賠償請求の判決を下しました。判決は製薬会社のアストラゼネガ社の責任は認めたものの、国の責任は免罪しました。

 判決を前にして裁判所は、この問題について和解を勧告しました。国はこれを拒否、製薬会社も同様に追随しました。国が拒否した理由は、「和解を受け入れれば、今後の新薬開発と新薬承認が萎縮する」というものでした。つまり、和解を受け入れれば新たな薬を国が承認する場合、その薬の効能があっても承認することに躊躇が生まれ遅くなったり、承認しなくなったりするというのです。

 この論法、まともなようで何か変です。薬害問題がいま始まったのであれば、新薬開発うんぬんということは屁理屈として成り立つでしょう。しかし、過去、この国の行政は薬害問題で何度か和解しているではありませんか。その典型が私も運動にかかわったことがありますが、スモン訴訟です。詳細は省きますがスモン訴訟は「全国33地裁、8高裁で闘われ、原告数は合計7561名に達した。和解によって補償を受けた被害者は6470人、和解額は約1430億円にのぼる」(Wikipedia)――というものです。

 今回のイレッサ訴訟の和解拒否の国の言い分は、30年も前に決着のついていることなのです。それを今、持ち出してくるそこに何らかの意図を感じずにはいられません。それは後述しますが、国の〝言い分〟を裁判所が忖度(そんたく)した結果が、今度の判決といえると思います。薬害訴訟においても司法の独立にカゲリが見えるのは、私だけでしょうか。

 それでは何故いま、和解拒否か。はっきりしています。これ以上、現政権の〝キズ〟を深めてはならないからです。菅政権の末期症状はご承知のとおりです。いつ総選挙があってもおかしくない状況下で、和解を認めるということは自らの失政を認めることにつながり、あの人たちにとっては承服できない事柄なのです。

 このイレッサ、全ての肺がん患者に有害かというとそうではないといいます。製薬会社に勤める友人は「ピンポイントには効果がある」といいます。問題は、そういうリスク・副作用があることを知りながら、製薬会社も国も患者に説明しないで服用させたことです。3月23日には大阪地裁につづいて、東京地裁の判決が言い渡されます。和解を拒否した国を弾劾する判決に期待したいものです。

★脈絡のないきょうの一行
民主党、11年度予算を強行採決。管内閣への国民不信を広げただけだったりして。
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