ヘボやんの独り言
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2010/11/29 [Mon] 14:00:52 » E d i t
 山の報告、66山目です。この山、なかなか洒落たネーミングです。甲州(山梨県)、武州(埼玉県)、信州(長野県)のそれぞれの頭文字を取って付けられています。その名のとおりこの山は3県にまたがっています。3県にまたがっているとともに、分水嶺ともなっています。山梨県側は富士川に、埼玉県側は利根川に、そして長野県側は信濃川にそれぞれ注いでいます。したがってその三つの川の源流は、甲武信ヶ岳の〝付け根〟にあります。

 山の雑誌に出ていましたが、この山を「こうぶしん」と読む人が多いといいます。確かにそうでしょう。「こぶし」とストレートに読める人は少ないと思います。名前から拳(こぶし)をイメージしてしまいます。労働者がストライキなどで、拳を上げる様とオーバーラップしてしまうのは、きっと私だけでしょう。……。

 この山、随分昔に登ったことがあります。まだ30歳になったころだったでしょうか、西沢渓谷の手前から取り付いて戸渡尾根に乗って歩きました。尾根筋にはシャクナゲの木がひしめいており、いつかその季節に登ってみたいと思ったものです。甲武信小屋に泊り、翌朝、外に出てみると雪化粧しておりびっくりした思い出があります。下山はモウキ平に出ました。11月初旬の一人歩きでしたが印象に残った山行でした。

 今回の報告は、1997年8月30日の日帰り登山の模様です。

 このときのコースは、その昔登ったときとは逆の長野県側のモウキ平から入り、千曲川源流を経て甲武信ヶ岳。山頂からは埼玉県側に入り、三宝山を経て武信白岩山から十文字峠に出て、モウキ平に戻るというものでした。私の山の記録には「20年ぶりに甲武信ヶ岳にアタックすることにした」と書いています。それほど久しぶりでした。

 真夜中の零時過ぎにわが家を車で飛び出し、中央道の韮崎ICで降りて、増富鉱泉方面に走り信州峠を越えて長野県入り。梓山からモウキ平に着いたのが午前4時前。一気に走ったため、疲れもありあっという間に車の中で仮眠です。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
沖縄の県知事選挙、歴史の転換点になるかと思ったが残念。
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2010/11/26 [Fri] 15:29:41 » E d i t
 ハチ/朝鮮半島38度といやー、戦争状態になってるのはオレも知っているくらい有名だ。なんで韓国はあんなトコで〝砲撃訓練〟をしちまったんだい? 北が怒るのは当たり前じゃねーか。モメるようなところで、やるなっつーの。もっと南でやってりゃ、何の問題もなかったんじないかい。

 クマ/そ、そうなんだよ。おいらもそこんとこが合点いかねぇ。どうも、これはおいらの推測だけど、誰かがやらせたんじゃないのかい。

 ヨタロウ/おまえさんたち、今ごろ気がついたのかい。ヤラセにきまってるじゃねーか。ありゃー、ニッポンを助けるための芝居なんだよー。

 クマ/おい、よたろう、そりゃ聞き捨てならねー。どういうことなんだよ。ニッポンなんか、これっぽちもかかわりねーじゃないか。

 ヨタロウ/それが違う。かかわりもかかわり、大かかわりのコンコンチキってんだ。ニッポンのカンちゃんが、アメリカのオバちゃんところに電話してさー、沖縄の知事選挙が危ないってんで、何とかならんかと泣き込んだんだよ。

 ハチ/おう、それでどうしたんだい。

 ヨタロウ/オバちゃんは、「任せとけ!」ってんで、北のキムちゃんところに電話したんだ。38度の海のとこで、爆弾騒ぎ起こすからお返しに爆弾を撃ってくれって。

 クマ/おいおい、そりゃないだろう。そんな無茶したら韓国のイちゃんは怒るぜよ。

 ヨタロウ/そこはオバちゃん、抜かりない。事前にイちゃんの家にも電話しといた。それで丸く収まって、韓国軍はドカンと爆弾を打ち込んだ。来た、来たってんで予定どおり北からお返しをした。ところが北の大砲の性能が悪いんで、島の住民のところまで届いたうえ、死人まで出ちまった。こりゃまー、韓国は怒るわなー。

 ハチ/おいおい、物騒だなー。それでそのあと、どうしたんだい。

 ヨタロウ/あとは皆が知ってるとおりさ。韓国も日本も、アメリカも国連も北を非難した。ちょうど沖縄では選挙の真っ最中で、この事件で「基地はやはり必要だ」という声があがって、基地反対を訴える候補者が不利になった。

 クマ/うん、うん。それでどうしたんだい。

 ヨタロウ/そうせかすなよ。この騒ぎで中国のコちゃんは、蚊帳の外に置かれちまって、ふてくされている。気持ち分かるよなー。で、沖縄の選挙だけどさ、結局カンちゃんの思惑どおり行かなかった、というところで目が覚めた。今晩、つづき見るよ。

 ハチ、クマ/××**××**。(-_-;)。_(_^_)_。(ToT)/~~~。

★脈絡のないきょうの一行
北朝鮮による韓国・ヨンピョン島への砲撃事件。誰が一番得をしたか、考えてみよう。
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2010/11/25 [Thu] 10:54:22 » E d i t
 報道各社の内閣支持の世論調査は、新しいものほど低落しています。追い討ちをかけるように、「氷河期突入だ」という見出しで、昨日(24日)の読売新聞ウェブは以下のような報道をしています。これはかなり衝撃的で、看過できません。その一部を紹介しましょう。

                     ◇=◇=◇
 21日投開票の千葉県松戸市議選(定数44)で、民主党は公認候補11人のうち、当選は新人2人だけで、現職4人を含む9人が落選する惨敗となった。22日朝には、柳田法相が自らの失言の責任を取って辞任し、同党への逆風が強まっている。来春に統一地方選を控え、同党県連内には、「有権者の反発は想像以上。このままでは大変なことになる」と、危機感が広がっている。

 ●当選わずか2人
 4年前の松戸市議選での同党公認候補は5人で、このうち4人が当選した。今回は同市をエリアにする衆院小選挙区の6区から7人、7区から4人を擁立。11人の得票総数は前回選の民主候補の得票総数を上回ったが、当選した2新人のうち1人は29位、もう1人は44位でぎりぎりの当選だった。

 落選した現職市議の一人は「有権者に電話しても国のだらしなさを言われて切られるケースが多く、途中からは民主候補を名乗らずに支持を呼びかけた」と振り返る。別の市議は「民主党というだけで批判を受けた。逆風の中で公認同士のつぶし合いになってしまった」と悔しがった。

 ●「氷河期に突入」
 県連の岡島一正選対委員長は「候補者の活動不足に加え、党支持率低迷が影響したことは否定できない」と語った。同市議選の結果を受け、統一地方選を控えた同党の地方議員は「民主党は氷河期に突入した」(民主県議)と危機感を強めている。

 ある千葉市議は「衝撃的な結果だ。自分の選挙区の民主現職は私1人だが、新人も公認で立候補する。国政の悪影響を受ければ、当選者はゼロだ」と焦りを隠さない。船橋市議の一人も、「自分にも民主党への厳しい声が寄せられている。柳田法相の辞任は当然で、党として早くうみを出し切ったほうがいい」と話した。
                      ◇=◇=◇

 これはコメントの必要なしでしょう。まさにいま、民主党に逆風が吹き荒れています。昨年の総選挙の勢いは見る影もない、そう断言できます。有権者は見抜いているのです。「沖縄」「小沢」「柳田発言」などなど、国民の思いに逆行した結果がこれです。菅内閣はいつまで続くのでしょうか。

★脈絡のないきょうの一行
北朝鮮の砲撃で韓国の民間人も犠牲に。いまこそ人間の叡智を集めて平和的解決を。
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2010/11/24 [Wed] 10:59:20 » E d i t
 許しがたい暴挙です。企業再生支援機構はJALの支援に関して、労働組合がスト権を立てるならば3500億円の出資を延期することを組合に通告していました。これはもう暴挙以外のなにものでもありません。労働者の基本的権利である罷業権と団結権を否定するもので、断じて容認できません。

 こういうやり方が許されていいのでしょうか。経営再建のための出資問題と、労働者が団結して自らの権利や生活を守るためのスト権とは、次元の違う性質のものです。それを〝一体化〟させて出資をテコに労働者の権利を剥奪しようという、これはもうファッショです。「経営危機に陥った会社の労働組合は、団結権もなければスト権もない」というのでしょうか。

 理不尽なこの攻撃に対して、客室乗務員860人で構成するCCU(日本航空キャビンクルーユニオン)は、一昨日、スト権を確立しました。しかも89.3%という高率で。同労組はスト権を確立したもののストライキを打つ手続きは「留保」すると表明しています(毎日新聞)。こういうことは、労働組合としてよくある戦術です。

 一方、日本航空のパイロットを中心に組織している「日本航空乗員組合」(1750人)は、残念ながらスト権投票を中止しています。大量解雇が予想されるなかで、労働者がスト権を持つということは、交渉をすすめる上で重要なテコとなります。組合が複数あることの厳しさを見た思いです。

 もともとJALの経営不振は、国の政策が招いたものでした。①海外からの無理な飛行機の買い付け②利用客が少ないにもかかわらず建設された地方空港への就航の強要③親方日の丸的経営姿勢と経営戦略④そして経営陣のたたかう労働組合敵視政策――が、経営をおかしくしたといわれています。「沈まぬ太陽」を例に出すまでもなく労働組合攻撃はひどく、同じようなことを企業再生支援機構が行おうとしていることに、ことさらハラが立ちます。

 経営不振のひとつである地方空港への強制的就航は、詰まるところ無駄な地方空港をつくったことに起因しており、国の政策の〝犠牲〟がJALの経営危機だったといえます。その意味では、現在のJALの経営問題の責任の一端は国にあります。そのツケを労働者に押し付けようとしているのが、いまの大量人減らし政策だといえます。

 このような経営危機の根源について、きちんとした報道がなされていないことに苛立ちを禁じ得ません。さらに、「ストライキをやるなら資金的支援を止める」という憲法に違背した恫喝とも言える、前代未聞の労働組合攻撃についても批判がなされていません。メディアはJALの経営問題に潜む、これらの問題を掘り下げるべきではないでしょうか。同時に、この攻撃を放置しておくことは労働組合活動の規制につながります。まさに労働組合の鼎の軽重(かなえのけいちょう)がいま、問われています。

★脈絡のないきょうの一行
韓国軍の訓練射撃を、攻撃と〝勘違い〟したらしい北朝鮮の報復攻撃。いつか来た道、危ないぞ。
2010/11/18 [Thu] 11:22:12 » E d i t
 昨日というか、きょうというか久しぶりに美味いワインを飲みました。ちょっと勢い余ってそのことに触れたいと思います。

 きょうは、ボジョレ・ヌーボーの解禁日です。毎年、11月の第3木曜日に販売、そして飲用が解禁されることになっています。少し角度を変えて詳しくみると、「ボージョレ・ヌヴォー(Beaujolais Nouveau)とは、フランスのブルゴーニュ地方南部に隣接する丘陵地帯・ボジョレーで生産されるヌヴォー(プリムールまたは試飲新酒)仕様の赤ワインである。したがって、ボージョレの通常の赤ワインとは異なる。試飲酒だけに、通常のワインが出来上がるより早く試飲できなければ意味がないために、ヌヴォー(試飲新酒)用のボージョレは、ブドウを収穫したら速やかに醸造してボトルへ詰め、収穫したその年の11月に出荷を済ませる。ヌヴォー(試飲新酒)仕様で軽い仕上がりの赤ワインである。」( Wikipedia) ということになります。私が飲んだワインのラベルには、以下のように書いてありました。

                            ◇=◇=◇
空輸品  J.P.CHENET
BEAUJOLAIS NOUVEAU 2010
ライトボディ
原産国:フランス 品名:ワイン
容量750mI アルコール分:12.0%VOI
酸化防止剤(亜硫酸塩)
輸入者:カルベジャパン株式会社
(以下、略)
                            ◇=◇=◇

 このワイン、新酒ですから当然香りが良く意外なほどまろやかでした。どちらかというと、私はミーハー的な騒ぎが何となく嫌いで(ワインは好きです。きっぱり。)、しかも解禁日を設けるという売り方が気に入らなくて、ボジョレ・ヌーボーを飲むことに抵抗を持っていました。従って、初めての経験でした。それも解禁日に。飲んだワインが美味しかっただけに、結果オーライ、ということでしょうか。

 きょうは新聞もテレビも、解禁の模様を報道していました。日本人的といえばそれまでですが、こういう〝祭り〟が好きな国民ですね。その報道の影響もあるのでしょう、日本はボジョレのお得意さんのようです。「昨年のボジョレ・ヌーボーはフランス国内で840万本が消費されたほか、1520万本が海外110カ国に輸出された。国外最大の消費国は日本で、昨年実績は600万本とフランスを除いた欧州連合(EU)加盟国全体の520万本を上回る。米国は230万本、ドイツは130万本だった。」(共同通信ウェブ)

 ワインは日本にもいいものがあります。私は、中央道方面の山に登ったとき途中下車してでも山梨県・勝沼のあるワイン工場に行くことにしています。「蒼龍」(そうりゅう)という蔵元です。戦前の日本海軍の航空母艦と同じ名前ですが、ここのワインはおすすめです。販売契約があるらしく蔵元では手に入らないのですが、ここの「生ワイン」が絶品。試してみてください。

 第3木曜日といえば、千代田区春闘共闘委員会は毎月この日に東京・御茶ノ水駅前で「消費税反対」の宣伝行動をやっています。午後6時からですが、きょうもあります。ご参加を。

★脈絡のないきょうの一行
ミナマタ東京訴訟の和解、前進だが全ての被災者救済には道は遠い。
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2010/11/17 [Wed] 13:55:01 » E d i t
 昨日、横浜地裁において裁判員裁判による、初めての死刑判決がでました。事件は昨年6月、新宿・歌舞伎町のマージャン店の経営をめぐって男性経営者(当時28)と、男性会社員(同36)の2人を千葉県内のホテルに監禁し、男性経営者から現金約1340万円を奪ったあと2人を殺害、遺体を横浜市金沢区の海や山梨県鳴沢村の富士山麓に捨てたというものです。被告は池田容之(ひろゆき、32)という元暴力団員。

 この事件の〝争点〟は、殺害方法が電動のこぎりを使うなど残虐で、死刑か無期懲役かの選択でした。法廷では被害者の遺族が「極刑を望む」という意見陳述を行いました。弁護側は起訴内容については争わず、死刑ではなく無期懲役を主張するという展開になったといいます。結局、検察側は死刑を求刑しこれが認められた形になりました。

 法廷で朝山芳史裁判長は「あなたは法廷ではいかなる刑にも服すると述べているが、重大な結論であり、裁判所としては控訴することを勧める」と最後につけ加えたといいます。これは異例だそうですが裁判官の思いはどこにあるのでしょうか。

 死刑が許される基準として最高裁が1983年に示した「永山基準」があります。これは、①事件の罪質②動機③事件の態様(特に殺害手段の執拗=しつよう=性、残虐性)④結果の重大性(特に殺害された被害者の数)⑤遺族の被害感情⑥社会的影響⑦被告の年齢⑧前科⑨事件後の情状――から成っています。この中の④の被害者の数がよく俎上にのぼりますが、今回は報道によると②と③が重点的に判断されたようです。

 今回の死刑判決は一般市民が関与して下されたものです。私は「死刑廃止論者」ではありませんが、判決が及ぼす影響に懸念をもっています。その最たるものは担当した裁判員のメンタルの問題です。自分(たち)が下した死刑という判断によって、これが執行されたとき担当した裁判員は小さくない心の負担が生じると思うのです。だとしたら、そのケアはできるのでしょうか。

 「極刑にしてほしい」という家族の思いは理解できないではありません。しかし、それで家族は真に救われるのでしょうか。死刑判決が出たものの、気持ちのなかには澱んだオリのようなものが残されたままなのではないでしょうか。死んだ人は帰ってこない、その悲しみや怒りが、死刑判決によって解消されるとは考えられません。「考え過ぎ」という批判があろうかと思いますが、加害者の極刑で救われる人がいるのでしょうか。

★脈絡のないきょうの一行
大相撲69連勝のカベは厚かった。白鳳よ、再挑戦せよ。
2010/11/15 [Mon] 15:24:34 » E d i t
 先週の土曜日、13日に大田区産業プラザで「東京9条まつり」というイベントが開かれました。この取り組みは「九条の会東京連絡会」の呼びかけで、東京各地の9条の会や産業別の9条の会、労働組合、平和団体、女性団体などが実行委員会をつくり準備されたもの。普段、あまり交流のない人たちが集まった実行委員会の割には、スムーズに運んだようです。

 「まつり」は大田区産業プラザの1階から6階までを使い、さまざまな催しが展開されました。参加者は3000人を超えて大盛況となりました。私は少しだけ裏方の協力をさせていただき2階ホールで、案内や講演者の著作物などの販売を行いました。

 この2階ホールは、椅子が250席程度の小規模です。これが全て埋まったばかりか、立ち見が出るほどの盛況ぶりでした。それもそのはずです。このホールは4回に分けて講演がおこなわれましたが、憲法9条や平和の問題について語れば第一人者ばかりだからです。

 午前中はジェームス三木さんと、小森陽一さんの対談からスタート。終始笑いは絶えません。2番手は、東大教授の高橋哲也さん。DVDを使い、韓国併合100年と東アジアの歴史を語りました。3番手は一ツ橋大学名誉教授の山内敏弘さん。日米安保と沖縄の米軍基地問題について講演しました。

 そして4番手のトリは聖路加病院理事長の日野原重明さん。受付に座っていると、始まる前から次々と参加者が押し寄せます。99歳になった日野原さんの話しを聞こうというのでしょう。心配したとおり、会場は立錐の余地なし状態と化しました。遅れた人は会場に入ることができず「残念だ」といいながら退散。諦める人が多く、申し訳なく思ったものです。

 日野原さんの講演を聞いた友人は、「99歳になって、10年、20年後を見通すべきだという発言にびっくりした。もしかしたら日野原さんはそのくらい行くのではないかと思うくらい元気だった。平和に対する執念というか、学ぶものは大きい」と語っていました。同感です。

 私が担当した2階ホールは、4回の講演で延べ1300人近くが集まりましたが、他の会場では若者の広場あり、音楽あり、映画あり、落語まであるという実に幅広い催しとなりました。憲法9条を守ろうという一点で取り組まれたこのイベント、今後の平和や民主主義を守る運動を前進させるための大きな一歩になったと思います。実行委員会のみなさん、本当にごくろうさまでした。なかでも大田区のみなさんありがとうございました。

★脈絡のないきょうの一行
横浜で開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議、成果ゼロじゃないかい?
2010/11/12 [Fri] 10:25:59 » E d i t
 雲取山について深田久弥は「三多摩が東京に編入されて以来、この大首都はその一隅に二千米の高峰を持つ名誉を獲得した。あえて名誉という。煤煙とコンクリートの壁とネオンサインのみがいたずらにふえて行く東京都に、原生林に覆われた雲取山のあることは誇っていいだろう」と書いています。深田が、「名誉」と敢えて言ったのは、環境破壊への批判の意味が込められていますが、その言わんとするところを私たちはくみ取る必要があります。

 山頂で写真を撮っているとき、ふと「四季おりおりに来て見たい」と思ったことが、この年この山に4回もチャレンジするきっかけでした。山頂を愉しんで雲取山荘に下ります。当然この時期は雪道で、滑らないよう慎重に歩きます。山小屋は冬にもかかわらず賑わっていました。水場の凍りそうなそれでウィスキーを割って飲む。これはまた格別です。

 朝、目を覚まして枕もとの水筒を見ると凍っていました。それくらい寒かったのです。その寒さのなかで外に出て、小屋の正面から昇ってくる太陽を待ちます。オレンジ色のそれは、霊験あらたかな気持ちになります。7時過ぎに小屋を後にして、埼玉県側の三峰神社をめざします。ここからの道は北側になるため、アイスバーンとなっており、その上に雪が積もっています。滑り止めなしには危険です。アイゼンを着けてしっかり歩きます。

 途中休憩を繰り返しながら、三峰神社に到着。ここには温泉がありました。「神の湯」と名づけられており、薬草が入っていました。その香りを楽しみながらゆったりした時間を過ごしました。風呂から上がって、ビールを飲み、昼食の蕎麦をいただきました。これはもう至福のときです。帰りは(いまはもうなくなりましたが)ロープウェイとバスを使い、三峰口から帰路につきました。

*徒歩総時間/1日目・5時間20分、2日目・4時間00分
2月11日/鴨沢 (9:25)-昼食休憩(11:50 12:40)-(途中休憩15分)-雲取山(15:25 15:45)-雲取山荘(16:05)泊
2月12日/雲取山荘(7:05)-(途中休憩15分)-白岩小屋(8:45)-(途中休憩20分、15分)-三峰神社(11:55)

 ※参考タイム
5月20日/日原林道・富田新道口(7:45)-(途中休憩5分2回、10分1回)-大ダワ(10:25)-雲取山荘(10:50)-雲取山頂(11:20 12:15)-小雲取(12:25)-富田新道口(14:30) *徒歩総時間/5時間05分

8月4日/後山林道終点(7:35)-三条小屋(8:05)-三条ダルミ(10:20 10:35)-雲取山頂(11:10 11:35)-雲取小屋(昼食11:50 12:40)-三条ダルミ(13:10)-三条小屋(14:40)-林道終点(15:05) *徒歩総時間/6時間00分

11月11日/後山林道塩沢橋(10:05)-林道終点(11:40)-三条小屋(12:20 13:05)-三条ダルミ(15:20 15:40)-雲取山荘(16:20) *徒歩総時間/5時間10分
11月12日/雲取山荘(5:30)-雲取山頂(6:00 7:30)-七つ石山(8:45 9:00)-鴨沢(11:45)-(バス)-お祭(11:35)-塩沢橋(12:10) *徒歩総時間/4時間05分

★脈絡のないきょうの一行
明日13日、大田区産業プラザで「東京9条まつり」。ぜひご参加を。
2010/11/11 [Thu] 11:05:36 » E d i t
 知る人ぞ知る、この雲取山は東京都の最高峰です。しかも、山梨、埼玉、東京の3都県にまたがっています。同様に百名山で3県にまたがっているのは、甲武信ヶ岳(山梨、長野、埼玉)、白馬岳(新潟、長野、富山)があります。南アルプスの間ノ岳は山梨、長野にまたがっていますが少しだけ静岡側にもはみ出しています。百名山以外で、3県にまたがる山はほかにもたくさんあります。そのうち紹介しましょう。

 この雲取山、最初に登ったのは30年以上も前のことですが、1995年には4回登りました。それも季節とコースを違えて。2月11日、5月20日、8月4日、11月12日がそれです。しかも「定点観測」を行い、山頂の特定の場所から写真を撮ってみました。4回とも天気は良く、季節の違いがはっきり分かります。その写真は、私の山のアルバムにしっかり納まっています。なかでも4回とも富士山を見ることができ、これは自慢です。

 ここでは冬の季節に登った、1995年2月11日、12日の分を報告します。

 同行は愛知県に住んでいるのですが、短期異動で東京に来ていた山好きのTさん。「東京にいるうちに関東の山を登ってみたい」ということで案内も兼ねて一緒に登ることになりました。2月11日朝、もちろん寒さが襲ってきます。電車とバスを使って、奥多摩・鴨沢から登り区も鳥山荘で1泊して、秩父側に縦走することになったため、早起きしなければなりません。

 朝5時過ぎ、まだ暗いなかを通勤で使う「石神井公園」まで歩き、西武線で拝島まで進み、JRに乗り換えてTさんと合流。奥多摩駅でバスに乗り換えます。登山客は大勢いて、バス1台に収容し切れず2台になりました。それでも、下車する鴨沢まで立ちっぱなしです。雲取山はこのときで4回目だったでしょうか、ここは最初に登ったときのコースです。

 天気は上々、ピーカンです。ゆっくり登ろうということにし、七つ石小屋と七つ石山をワープして山頂をめざします。そういえば、最初にこの山に登ったときは仕事が終わってからでした。従って、鴨沢に着いたときからから懐中電灯を頼りに歩きました。七つ石小屋に到着したのは夜の9時を回っており、小屋のおじさんに「遅すぎる」としたたか怒られたものです。しかも一人歩きでしたから、よけいです。ひたすら謝って泊めてもらいました。

 この山は登山客が多いためでしょうか、途中にヘリポートがあります。ここまでは比較的楽な道のりですが、これから息が切れます。雲取山の山頂は見えるのですが、なかなか届きません。急登を3つほどしのいだら山頂です。天気が良い関係で山頂からは遠く北アルプス、浅間山も同定できます。富士山はすこし霞んでいました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
流出ビデオのコピーしたものが、「ユーチューブ」に海外から流入。見てネ。
http://www.youtube.com/watch?v=M3H-A7rB3wo
2010/11/08 [Mon] 13:10:19 » E d i t
 百名山報告、100回目です。これで64山ですから、まだまだ先はあります。おつきあいをよろしくお願いいたします。

 この山は1994年9月24日、98年9月13日、03年11月22日の3回登っています。それもコースを違えて。94年のときは地権者と環境省の間で相続問題(だったと思う)のトラブルが起きて、今では有料になっているといいますが南側の白井差(しらいさし)から、98年は八丁峠を越えるために西側の上落合橋から、そして03年は一番オーソドックスな東側の日向大谷(ひなたおおや)からそれぞれチャレンジしています。それなりの厳しさもあり、変化に富んだ山行でした。報告は一番古い94年9月24日の白井差登山口からのもとします。

 23日が秋分の日で、3連休の谷間です。当初、谷川岳を狙おうと思っていたのですが、全国的に天気が悪く、とりわけ谷川岳方面は荒れ気味というので「午後からは雨が降る」と覚悟を決めて両神山にアタックすることにしました。

 早朝4時に起きて支度を整えスタートです。関越道・花園ICから長瀞、秩父を抜けて三峰口近くを右折して、白井差に向います。途中道幅が狭くなり、対向車が来ないか心配です。登山口の道路わきには5、6台の車が止まっていました。車内で1時間ほど眠って歩き始めました。

 空はどんよりしていて、いつ雨が降ってきてもおかしくない雰囲気です。山上を見上げるとガスに覆われていて何も見えません。「よし行くぞ」と一人で気合を入れて歩き出しました。天気が不安定ということもあったのでしょう、登山客と出会ったのは3組7人だけでした。

 山頂までの間にクサリ場が何ヶ所かあり変化を楽しみながら歩きます。清滝小屋と鏡平との合流(分岐)に小屋が見えました。何だろうとのぞいてみますと神社です。ここまで資材を運ぶのもたいへんだったろうと、感心しきりです。

 両神山山頂には、すでに5、6人が休んでいました。ここで昼食です。コンロに点火し持ってきた野菜を水と一緒にコッフェルに入れ、温めます。そう、ラーメンづくりです。出来上がったものをおにぎりと一緒にほおばります。うまい。山頂の食事はまた格別です。

 下山路は登ってきた道をピストンするのではなく、大峠への道を採ることにしました。昼食を済ませて下山し始めて10分も経たないうちに、天気予報どおりに降りだしました。うっそうとした樹林帯の中を歩いているので、木々の枝葉が傘の役割りを果してくれ、雨具はすぐには必要ありませんでした。「ぬれたくない」という気持ちが足を速めます。

 大峠から歩く向きが変わったとたん、雨にたたきつけられました。やむなく雨具をつけて汗と雨でびしょ濡れになって車にたどり着きました。狭い車内で着替えをし、帰路につきました。帰りは、秩父から奥多摩・青梅に抜けるコースを選び、この山行に終止符を打ちました。

*徒歩総時間/4時間45分
白井差(8:20)-一位ガタワ(9:50 10:00)-鏡平(10:20)-分岐(10:35)-両神山山頂(11:00 11:50)-大峠(13:05)-白井差(14:05)

 ※参考タイム
上落合橋(7:05)-八丁峠(8:00 8:15)り-両神山(10:40 11:30)-西岳(13:00 13:15)-八丁峠(13:55 14:10)-上落合橋(14:50) *徒歩総時間/6時間15分

日向大谷(7:20)-清滝小屋(9:30 9:50)-両神山(11:10 11:45)-清滝小屋(12:35 12:55)-日向大谷(14:20) *徒歩総時間/5時間45分

★脈絡のないきょうの一行
国会証言拒否の小沢一郎さん、混迷を深めるだけ。民主党がぶっ潰れるよ。
2010/11/05 [Fri] 14:22:32 » E d i t
 復興に関して、鉄工所などのものづくりを行ってきた人や、商売をやっていた人たちなど中小業者の支援・再開をどうするのかを忘れてはなりません。これにはかなりの資金を必要とする場合があります。その調達は個人では限界があり、行政の支援がどうしても必要になります。

 少し山古志から離れてしまいましたが、もどします。3階建ての山古志支所には3本の長い垂れ幕がさがっていました。「全国の皆さん元気をありがとう」「私たちは山古志で生きます」「愛するふるさとを再生します」というものです。この三つの言葉に、山古志の人たちの心意気が伝わってきました。

 集会が終わって山古志の油夫(ゆぶ)集落にあるアルパカ(ラクダ科に属する南アメリカ・アンデスの高地にいる草食動物)牧場に案内してもらいました。このアルパカは米・コロラド州で牧場を営む日系女性から「復興の役に立てば」ということで昨年11月に贈られたもの。大きな瞳は可愛く、癒してくれます。

 今年の6月にアルパカの赤ちゃんが誕生しましたが、猛暑にやられ熱中症で死にました。6月9日に生まれたから「ムク」という名前だったそうですが、残念です。私たちが行ったときは6頭でしたが、翌日11月1日にさらに11頭が到着し17頭となって賑やかになったという報道がありました。アメリカから、こういう形で復興に協力する人がいるということは、驚きですがすばらしいことでもあります。

 山古志の錦鯉養殖の復活も軌道に乗りつつあります。「欧州ではガーデニングブームを背景に池でコイを飼う人が増え、ホームセンターでも販売されている。オランダで8月にあった品評会は、4日間で2万5000人もの人出があったという」(毎日新聞)というほど、海外で注目されているようです。日本国内では、不況の影響もあり伸び悩んでいますが、期待したいと思います。

 中山間地の典型ともいえる、山古志。そこに暮らす人々と、ほんの少しだけでしたが接することができました。6年前のあの大地震を乗り越えて、人々はたくましくがんばっています。条件が整えば帰ってくる人も増えるかもしれません。帰り道、山古志の野菜類を買いましたが、いまそれがわが家の食卓に乗っています。

★脈絡のないきょうの一行
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2010/11/04 [Thu] 10:06:38 » E d i t
 神戸からは復興状況の報告がありました。大型の「鉄人28号」をつくりそれが目玉となって観光客が増えることで、商店街も活気づいているといいます。その一方で、震災時(1995年1月)に県から借り入れたお金の返済を迫られ、高齢化で返せない人が増えていること。さらにその人の連帯保証人になっている人も返済を求められることから、〝二重破産〟状態となり新たな問題となっています。

 柏崎からは中越沖地震による被災者で仮設住宅に住んでいた、全ての住民が撤収したことが報告されました。これは大きな前進です。新しい公営住宅が建設され、そこに引越ししたといいます。しかもその新しい住宅の中の1棟はペットを飼うことも可能とし、住民の要望にも応えています。

 あらゆる災害は弱者を直撃します。生活苦にあえいでいる人をはじめ高齢者、障害者、子ども、女性などの被害がとくに大きくなります。つい先日の奄美大島の水害もそうでした。老人ホームでくらしていた高齢者が犠牲になっています。災害で犠牲者を出さないためには、弱者に対応した防災計画が求められます。心のケアも重要です。

 私は災害問題の取り組みは、労災・職業病のたたかいと似通ったものがあると考えています。労災・職業病のたたかいは①予防②治療③補償の3分野に分けられます。これに対応して、災害問題の取り組みは①防災②救援③復興――に分けられると思うからです。

 防災の点では、建物(住宅)の強化や災害時を想定した道路の整備、災害に強いまちづくりなどが課題となります。しかし、欧米では災害はやって来るものであることを前提に「防災」ではなく、「減災」対策に力を入れているといいます。考え方としてはおもしろいですね。

 救援では、いのちの問題と直結します。阪神淡路大震災のときもそうでしたが、いかに早く動くかがカギとなります。同時に、ボランティアの役割も重要です。前述の奄美大島には医療関係の団体「民医連」のみなさんがいち早く駆けつけました。医者、看護師が現地に入り健康に関する相談を受け、健診などもやりました。自衛隊の活用もさることながら、このような活動もまた大事です。

 復興の問題では、山古志の人も強調していましたが、住居の確保が何よりも急がれます。住むところがないということは、働くこともままならなくなるからです。そして生活支援です。阪神淡路大震災では、孤独死が問題になりました。生活資金の援助だけでなく、一人暮らしの被災者への対策は大切です。(次回につづく)

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米・オバマ民主党、中間選挙で歴史的大敗。似てるなー、どこかの国と。
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2010/11/02 [Tue] 10:29:02 » E d i t
 集会が始まる前に、地元の人に被災地を案内していただきました。山古志は自然いっぱいのすばらしい山村です。棚田がひろがり、錦鯉養殖の発祥の地でもあります。しかし、その棚田が崩壊し錦鯉は地震のとき壊滅的な打撃を受け、6年経ってやっと再開できる状況になったといいます。

 テレビにも映し出されましたが、崩落した土砂によって川がせき止められ、堰止湖ができて水没した家はそのまま残っていました。その様子は、雲仙普賢岳の土石流で埋まった家屋と全く同じで、災害のすごさを改めて感じました。

 一方で復興住宅の建設も着々と進んでいます。地元の杉(越後杉)の木を使ったモデルハウスもあり、しっかりしたつくりです。「この家の建築費は土地代を除いて1200万円かかります。しかし、そのうちの180万円は県から補助されます」という説明がありました。180万円だけではまだまだ不足です。その家庭の収入状況によって全額補償があってもいいのではないでしょうか。

 地震が起きたとき、山古志村(現・長岡市山古志地域)には690世帯、2167人がくらしていました。ところが今年10月1日時点では485世帯(71.0%)、1310人(62.5%)となっています。集落のなかには3分の1近くになったところもあります。村から離れようと思っていた人は別にして、帰りたくてもかえる家がない、仕事がないという現実がそこには横たわっていました。

 交流集会で、地元の人たちは訴えます。「生活再建には、住む家をどう確保するかが第一の課題。そのうえで、仕事をどうするかということが次の問題になる」、「復興は人が行うもの。しかし個人では無理。被災地域の人たちが協力し合える関係をどう築いていくかがカギ。地震が起きて以来、集落の人と人のつながりが深まった」、「中山間地は、都会と山を結ぶ間にありここが崩れると、都市部に住んでいる人たちへの影響は大きい」――。

 小さな村ですからまとまった客を収容できるホテルはありません。東京などからの参加者は民宿に分散しました。私が行った民宿は、代々、錦鯉の養殖・養鯉業(ようりぎょう)をやってきたといいます。そこのおかみさんに話しを聞きました。

 「地震がきて水がなくなり、錦鯉は全部死んでしまった。家もほとんど壊れてしまい、今のこれはやっと3年前に再建した。前の家より狭くなり、泊りにくるお客さんには不便をかけている。地震直後はどうしたらいいか分からず途方に暮れたが、やっと落ち着いた。錦鯉の成育も順調にいっている。同じようなことが起きないか心配だが、家族が元気なことが何よりだ」と、おかみさんは静かに語りました。(次回につづく)

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2010/11/01 [Mon] 10:36:51 » E d i t
 2004(平成16)年10月23日・土曜日、午後5時56分頃、私は大きな揺れを感じて東京千代田区にある学士会館のその部屋から飛び出しました。この日はちょうど、毎日新聞の記者で労働問題を中心に取材をされ、たたかうジャーナリストのお一人でもあった故・板垣保さんが書き残したものをまとめた「検証 労働運動半世紀」の出版記念パーティーの最中でした。

 部屋を飛び出したのは、ケイタイ電話を持たない人である私ですから、その地震の模様を知りたいと思って公衆電話から自宅に連絡を入れるためでした。うまい具合にカミさんがいてくれ、新潟県が震源地であること、震度6を超えているらしいこと、かなりの被害が出ているらしいことなどをテレビからの情報として教えてくれました。

 この地震はマグニチュード6.8、川口町で最大震度7を記録し、住民を恐怖に落としいれました。さらに発生から2時間あまりの間に、以下のように強烈な揺れを感じる余震が発生しています。この地震、「新潟県中越地震」と命名されました。

17時59分/M(マグニチュード)5.3/最大震度5強
18時3分/M6.3/最大震度5強
18時7分/M5.7/最大震度5強
18時11分/M6.0/最大震度6強
18時34分/M6.5/最大震度6強
18時36分/M5.1/最大震度5弱
18時57分/M5.3/最大震度5強
19時36分/M5.3/最大震度5弱
19時45分/M5.7/最大震度6弱
19時48分/M4.4/最大震度5弱

 この地震は、上越新幹線が脱線しあわや大惨事という寸前で停止。ワゴン車で県道を通行中に母子3人が崩落した土砂に巻き込まれ、東京消防庁のレスキュー隊がそれを救出する様子をテレビがナマ中継。2歳の男の子が4日ぶりに救出されましたが、母親と幼い女の子は亡くなり涙を誘いました。また、山古志村では飼い犬を避難先へ連れて行けず残された犬(マリ)が、地震当日に生まれた3匹の子犬とともに元気に生きており、後日救出され「マリと子犬の物語」という映画にもなる――などの想像を絶するドラマが生まれています。

 その山古志村(地震の翌年2005年4月1日に長岡市に編入合併)に先週末10月30、31の両日、行ってきました。山古志の復興状況を調査し、現地の人たちとの交流を図ることを目的とした、「2010年被災地復興推進交流集会」に参加のためです。主催は防災や災害問題を調査・研究、被災者支援運動を行っている「全国災対連」。地元の「新潟災対連」には大変お世話になりました。

 交流集会には07年7月に起きた柏崎市を中心に被害が大きかった「中越沖地震」の被災者など地元新潟県をはじめ、神戸や岩手など地震災害を受けた各地から65人が参加しました。三宅島からも参加する予定でしたが、折からの台風の影響で船も飛行機も動かず、断念しました。(次回につづく)

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