ヘボやんの独り言
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2010/10/29 [Fri] 11:06:31 » E d i t
 夜、夜空の写真を撮ろうということになり、小屋から少し離れたところから赤岳頂上方面を狙うことにしました。天気は快晴で満天の星空です。小屋とテントの明るさでうまく撮れるか心配でしたが、かなり離れたところからカメラを1時間開放にして撮影、2人ともうまくいきました。

 2日目。空に青さは見られませんが、雲は高いところにあるらしく小屋の前から北アルプスがしっかり見えます。風もなく冬にしては登山日和です。初めての本格的な冬山で気合が入ります。「よし」と意を決して、小屋の前からトラバースが見える文三郎尾根に取り付きました。

 中岳との分岐にあたる稜線に出ると、そこからの景色に圧倒されました。南側には権現岳と編笠山を前景にして中央に甲斐駒ケ岳、右手に仙丈ケ岳、左手に北岳が鎮座しこちらと対面しています。西側には、阿弥陀岳の左手に中央アルプスと御嶽山が、右手には奥穂高岳を盟主とする北アルプスが広がっています。

北側に目を移すと、左手に円錐形をした蓼科山、右手には前年に登った北八ツの天狗岳が、その向こう側にはこれも前年の夏に踏んだ雨飾山と火打岳・妙高山の特徴ある山容が同定できました。冬山の冷たい空気の中であるがゆえの展望で、なにやら得した気分になったものです。

 この分岐からの赤岳への登りは厳しいものがありました。足下はアイスバーンで絶対に滑落は許されない。そんな緊張感のなかで、岩場に張り巡らされたクサリを慎重に伝いながら前進します。そして10時15分、歩き始めてから2時間20分で2人一緒に山頂に到達しました。2,899メートルの冬山の山頂は、何ものにも代えがたい、とりわけこのとき52歳の自分がその足で冬この山に登れるとは思ってもいなかっただけに、喜びいっぱいでした。

 山頂の凍りついた標柱の前で記念写真を撮り、下山です。小屋に置いた荷物を整理しなおして、車を止めたところまで一気に下りました。そのスピードに、2人して驚いたものです。寒さで気が急いていたのでしょうか。帰途、鉢巻道路の途中の『鹿の湯』でのんびりと汗を流しました。

*徒歩総時間/1日目・3時間33分、2日目・4時間45分
1月8日/美濃戸駐車場(8:15)-行者小屋(11:15 12:00)-中山展望台(12:15 12:30)-行者小屋(12:45)泊
1月9日/行者小屋(7:55)-中岳分岐(9:25 9:45)-赤岳山頂(10:15 10:55) -行者小屋(11:55 12:15)- 美濃戸駐車場(13:55)

★脈絡のないきょうの一行
「レアアース」、喰ったことはないが、使ったことはあるらしい。何者?
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2010/10/28 [Thu] 11:32:43 » E d i t
 本格的ないわゆる「冬山」に登ったのは、これが初めてです。それ以前には同じ八ヶ岳の天狗岳や雲取山には登っていますが、これだけ厳しい冬山はありませんでした。その意味では、私の登山の歴史にそれまでとは違った一歩を築いた山行だったと言えます。

 2000年1月8、9の両日にアタックしました。泊ったのは行者小屋。この小屋は年末年始と正月休み明けの日曜日までは営業してくれており、安心です。同行は、先輩の大貫さん。「雪山に登ろう」という話しがとんとん拍子に進み、周りを誘ったのですが結局2人だけになりました。「無謀だ」という声がない訳ではありませんでしたが、持ち前の気楽さでスタートしました。

 中央道の小淵沢ICで降りて、八ヶ岳のふもとを走る「鉢巻道路」で美濃戸口に急ぎます。普通はここで車を降りるのですが、さらに林道を進み美濃戸をめざしました。ところが、途中でアイスバーンにつかまり、車がスリップし前進できません。やむなく、少し引き返して車の入るスペースを見つけて〝違法〟駐車。結果的に駐車料金はありませんでしたが、歩く距離が長くなりました。以降、冬にここに入るときはチェーンを持参しています。

 美濃戸から南沢の道を選んで進みます。小1時間ほど歩いたところで、アイゼンなしでは歩けなくなり装填。沢の水は完全に凍結しており、神秘的と思えるほどの青色に輝いていました。その上をアイゼンの爪を食い込ませて歩いてみるとこれが快適。ガシッ、ガシッと歩いていることの確かさが伝わってきます。相棒の大貫さんと「これはクセになりそう」と笑ったものです。

 高原状態のところに出ると、前方に「大同心」と「小同心」がニョキとそそり立ち、その右手に横岳がデンと構えています。その迫力に、無意識の歓声を上げてしまいました。行者小屋に着くと、色とりどりのテントが張ってあり、雪山シーズンを実感させてくれます。この年から成人式が1月の第2月曜日(それまでは15日)となったため、ほとんどの企業で3連休となり山登りに有利になったことも手伝って、人も増えたのでしょう。

 小屋にチェックインして、早ければ初日に山頂アタックを済ませようということにしてありましたが、それは翌日に回すことにして、阿弥陀岳の展望がいいとガイドブックに書いてある、中山展望台に行ってみることにしました。ここからの展望は期待どおり、阿弥陀岳と赤岳が眼前にたたずみうっとりするほどの景色を提供してくれました。二人して、しばらくカメラのシャッター音が止まりませんでした。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
民主党、企業献金容認へ。そういう体質なんだろうが、節操がないね。
2010/10/27 [Wed] 10:42:54 » E d i t
 やはり、小沢さんは最高裁に特別抗告しましたね。高裁並みのスピードで棄却されるのでしょうか。

 前述の専大・藤森研准教授は、検察審査員の初のくじ引きが行われた1949年の新聞の「民主検察の確立のため国民からお目付け役を選ぶ検察審査会」という記事を紹介しています。つまり、「国民主権を司法にも及ぼそうとの理念のもとに(検察審査会は)出発した」というのです。

 (私は疑問をもっていますが)裁判員制度もその精神でつくられました。労働審判制度もそうですし、広義にはこちらは行政の分野ですが、労働委員会に労働者側、使用者側、公益と三者委員がいるのも、国民主権を活かそうという主旨です。その延長線上で考えれば、「検察のお目付役」としての検察審査会の役割は小さくありません。

 ところが実際に、検察審査会で『不起訴不当』などの結論が出て、起訴された事件の扱いをめぐっては複雑な結果を生んだものも少なくありません。その典型といわれるのが、甲山事件(かぶとやまじけん)です。これは兵庫県西宮市の知的障害者施設「甲山学園」で、1974年に2人の園児が死亡した事件です。

 事件の詳細は省きますが検察は当初、この学園の女性職員を逮捕しましたが、容疑不十分で不起訴となり釈放しまた。しかし遺族が検察審査会に不服を申し立て、検察審査会が「不起訴不当」の決議を出したため、警察による再捜査が始まりふたたび女性職員は逮捕され、今度は起訴されたのです。裁判所の審理では、地裁も高裁も無罪の判断を下し、最高裁が差し戻しを命令して、1999年になってやっと無罪が確定するという、25年にもわたる事件となりました。

 これは稀有な事例として記録に残っていますが、一方で検察審査会の判断が一歩誤るとたいへんな事態を招くという、貴重な教訓をもっています。この事件になぞらえて言えば、今回の小沢一郎氏の強制起訴は市民感覚に合致したものですが、藤森研准教授や『週刊金曜日』で佐倉奏さんが指摘するような、人権侵害に発展する危険性をはらんでいることは否定できません。今回の検察審査会の議決は、そういう危険な側面を持っていることを認めながらも、私はやはり小沢一郎氏の「説明責任」がまっとうされない限り、起訴はやむを得ないと考えます。あなたはいかがでしょうか。

★脈絡のないきょうの一行
日本航空の退職強要の動き、安全に影響しないのか心配。やめてほしい。
2010/10/25 [Mon] 10:56:13 » E d i t
 小沢氏の地裁判決を不服とする高裁の即時抗告の判決、早かったですね。最高裁への特別抗告をしたとしたら、これも早いのでしょうか。労働裁判もこのくらいの早さで判決を出してほしいものです。前回のつづきです。

 今回の検察審査会の議決について、新聞記者の佐倉奏さんは10月15日付「週刊金曜日」に「小沢氏強制起訴は市民感覚を盾にした『検審ファッショ』だ 暴走する可能性を孕んでいる」という主張を書いています。「小沢氏を長期間にわたって被告人の立場に置くことが許されるのか」という、人権に配慮した部分もありますが、私は『検審ファッショ』とは言い切れないと思っています。

 佐倉氏はつづけます。「『市民感覚』を盾に不起訴となった人物を次々と法廷に引っ張り出すような事態を招きかねない今回の議決は、検察不信という派手な毛皮に隠された検審ファッショに過ぎない」と断じています。審査員が特定の人であれば、そういうことが生じるかもしれませんが、前述したように検察審査会の審査員はくじで選ばれるのです。つまり、市民が起訴すべきかどうかを判断するのです。「陸山会」のこの事件、市民感覚で見るならば、変です。数億ものカネが最高責任者の許諾なしに動いたというのですから、普通では考えられず、やはり、変、です。むしろヘンだと思うほうが市民感覚なのではないでしょうか。

 小沢氏は今回の問題について、国会はもとより公式の場で一切説明していません。説明責任を果たしていないのです。私は、たとえば国会の政倫審でもいいから、一度でも説明しておればもしかしたら、検察審査会ではこういう結論になっていなかったのではないかと思っています。小沢氏が「身の潔白」を主張するなら、記者会見でも国会でもきちんと説明すべきではないでしょうか。それをしていないところに、今回の事態を招いた根源があると思うのです。その意味において、「起訴相当」は市民感覚そのもといえます。それを『ファッショ』と評するのは少々、穿(うが)ち過ぎではないでしょうか。

 一方、毎日新聞10月18日付けの「メディア時報」欄で、専修大学・藤森研准教授は違った視点で面白い提起をしています。「普通の人にとって、起訴されることの生活への打撃は甚大だ。起訴を議決するのには、十分に慎重でなければならない」としながら、「(検察審査会が)『不起訴』のチェックだけをして、起訴への一方向にのみ民意が反映されるのはおかしい」と指摘します。

 つまり「検察の『起訴』が正当か否かも、一定の要件を満たせば市民がチェックできる制度設計を考えるべきだ。つまり『起訴不当』という議決も可能にすることである」と主張しています。この視点は今までになかったもので面白い。たとえば、マンションへのビラ配布で逮捕・起訴された「葛飾ビラ配布事件」では、(被告側が負けましたが)起訴に値するのかという公訴権の濫用問題が争点の一つになりました。ビラ配布は日常的なことであり、それを不法として起訴するのはまさに公訴権の濫用だと思います。このように起訴そのものが不当な場合もあり得、それをチェックする機能(機関)が存在してもいいと思います。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
北海道衆院5区補選、「政治とカネ」への断罪だ。有権者は見抜いている。
2010/10/22 [Fri] 10:53:34 » E d i t
 政治資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反容疑問題で、小沢一郎元民主党幹事長に対して検察審査会が「起訴相当」という判断を下したことについて、賛否両論があります。この問題を考えてみることにしました。法律条文が出てきたりして少し難しくなるかもしれませんが、しばし、おつきあい下さい。

 この事件の経過をおさらいしましょう。この問題、小沢氏の政治資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐって、政治資金規正法違反ではないかという疑いがもたれ、検察は陸山会の元会計責任者の大久保隆規氏、元会計事務担当で衆院議員の石川知裕氏、元会計事務担当の池田光智氏ら3人を起訴、しかし小沢氏に対しては「不起訴」を決めました。この不起訴決定を疑問として検察審査会が動き出し、今年に入って4月27日に04年と05年分の政治資金報告について「起訴相当」、7月8日には07年分について「不起訴不当」の議決が出されました。

 これを受けた検察は再捜査した上で、またしても「不起訴」処分としました。が、これを問題視した検察審査会は再度議論(審査員は第1回目と別人)し、9月14日に再び「起訴相当」の結論を下しました。結果、2度の「起訴相当」議決を受けると強制的に起訴するという規定に基づいて、強制起訴へと移っているのです。この9月14日は、小沢氏が立候補した民主党代表選挙の当日でした(議決の内容は10月4日に判明)。小沢氏はこの「起訴議決」は無効であるとして、取り消しなどを求めて行政訴訟を起こしましたが東京地裁は却下、小沢氏はこれを不服として昨21日東京高裁に即時抗告しています。

 検察審査会は、「検察審査会法」に基づいて運営されます。審査員の選定については公務員や弁護士など除外規定がありますが、その4条で「検察審査会は、当該検察審査会の管轄区域内の衆議院議員の選挙権を有する者の中からくじで選定した11人の検察審査員を以てこれを組織する」としており、最近の裁判員や労働審判員と同じように、一般の人から選ばれます。詳細は割愛しますが、その選び方がやや複雑で、最近、審査員の平均年齢の発表が2回も訂正されたのはそのためです。

 検察審査会の仕事は、第2条で①検察官の公訴を提起しない処分の当否の審査に関する事項②検察事務の改善に関する建議又は勧告に関する事項――と定めています。今回の小沢一郎さんの件は、このなかの第1項に当てはまります。審査の議決は11人中「8人以上の多数」と規定しています。9月14日の議決は、全会一致だったという報道があります。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
8月の日刊新聞の発行部数、前年比で121万部の減(ABC協会調査)。すごいねこりゃ。
2010/10/20 [Wed] 10:13:22 » E d i t
 わが家のプリンタの経歴は、カミさんがつけている家計簿が頼りです。機種はエプソンの「PM940C」。2003年9月22日に購入しています。この間、2度、修理に出しています。したがって今回が3度目ということになります。03年の9月購入ですから、丸7年になります。

 この機種は購入した翌年の4月に生産を中止したといいますから、逆に考えると生産中止の直前に買った、ということになります。もし、間もなく生産が中止されるということを知っておれば、違う機種を購入したかもしれませんが、ない物ねだりです。2004年4月で生産中止ということは、それ以降に同じ機種を買った人がいるかもしれません。その人には「修理の終了期間は5年程度」という説明をするのでしょうか。

 この問題、今でも納得がいきません。ゆえに敢えてこのブログにUPした次第です。どこが納得できないかというと、第一は修理可能期間の問題です。このPM940Cという機種、メーカーの説明によると生産を中止して6年で部品の供給を止めています。パソコン周辺機器の寿命はそんなものなのでしょうか。だとしたらかなりの手抜きと思わざるをえません。せめて家電並みの10年は保障していいのではないでしょうか。

 第二は、「エコ」との関連です。環境を大事にしよう、ということはモノを大事に使おうということです。たったの6年で使えなくなる機器は「反エコ商品」なのではないでしょうか。モノを大事に使ってきたからこそ、今回で3度目の修理となったのです。「使い捨てはやめよう」というのが、環境保護運動の第一歩だったはずです。ちなみにわが家の冷蔵庫は10年をはるかに超えています。

 第三は周知徹底の問題です。修理期間とエコ問題はとりあえず横において、その人が使っている機種(プリンタに限らずそのほかのものも)が、いつ修理ができなくなるかを周知すべきではないかということです。もしかしたら、私が知らないところでそういうことが行われているのかもしれません。しかし、少なくとも私はその機種のユーザーであり、その人が知らないということは不親切のそしりを免れません。うちのプリンタの場合、前回修理は2006年6月23日ですから、すでにそのとき2010年3月に部品供給がストップすること(予定)は分かっていたはずです。少なくともそういう機会にユーザーには告知すべきだったのではないでしょうか。

 「6年で買い換えろ」「6年で廃棄しろ」「もう貴方の機種は終わりました」という方式の〝上から目線〟的なやり方に疑問と不快感を持っているのは、私だけでしょうか。せめて家電並みにパソコンの周辺機器も「10年」にして欲しいと思うのは、私だけでしょうか。

★脈絡のないきょうの一行
プロ野球パリーグのCS戦、「這い上がる」の典型を見せたロッテ。すごいね。
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2010/10/18 [Mon] 11:15:31 » E d i t
 先日、わが家のパソコン用プリンタの紙送りに不具合が生じて修理に出しました。ところが5日ほど経って、修理に出したところから「メーカーから部品がなくて修理できないという連絡が入った。預かったプリンタを引き取りに来て欲しい」という連絡が来ました。わが家のプリンタは、使い始めて10年とは経っておらず、釈然としません。

 そこで修理に出したところに連絡を取って、メーカーの連絡先を聞き電話を入れて、なぜ部品がないのか問い合わせてみました。回答は、「この機種は2004年4月に生産を中止しており、2010年3月に部品供給が終了、修理できない」ということでした。あわせて、「家電は10年という法律があるが、パソコンの周辺機器には法的な規定はなく、当社は5、6年をメドにしている」と説明しました。つまり生産中止から、5、6年で修理は出来なくなるので新しいものを買え、ということと同義語です。

 どうしても得心がいかず、修理できない理由をきちんと説明してほしいと頼んだところ、下記のような説明書きがファックスで送られてきました。

                              ◇=◇=◇
エプソンサービス株式会社東京修理センター 担当○○○

 診断内容
オートシートフィーダ(ASF:給紙機構部)の不具合により、給紙不良となっておりました。なお、本機種は既に部品供給終了に伴い、修理(交換)対応不可能となっております。

 処置内容
修理依頼いただきました製品につきましては、長年のご愛顧をいただき厚く感謝致します。本製品につきましては、2010年3月に部品供給が終了しており、部品交換を伴う修理対応が不可能となりました。誠に申し訳ございません。何卒、ご理解のうえご了承いただきますようお願い申し上げます。製品は2日後に発送させていただく予定となっております。未修理にて返却いたします。
                              ◇=◇=◇

 かなり丁重ですが、事務的です。紙送りの部分だけが不調であとは何一つ問題ないプリンタ。さらに1本1000円する新しいインクジェットを最近3本入れ替えたばかり。これも廃棄処分してしまわなければならない。これはどうしても納得がいきません。そこでこのプリンタの〝経歴〟を調べてみました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
那覇市の不発弾処理騒動、戦後が終わっていない証。県民は米兵だけでなく、爆弾にもおののく。
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2010/10/15 [Fri] 13:34:58 » E d i t
 チリ・サンホセ鉱山に世界のメディアが〝集結〟しました。70日ぶりに地下700メートルから救出される33人の労働者の様子を伝えるためです。救出の瞬間、歓声はサンホセ鉱山だけでなく世界各地からわき起こったといいます。人間の持つありったけの知恵を出して、救出作業が行われました。いのちの大切さを実態として伝えることができたこの事件、忘れてはならないし、同じことを繰り返させてはなりません。

 この鉱山では2007年にも爆発事故があり、閉鎖されたことがありますが、安全が確認されないまま翌年に操業が開始され、今回の事故につながったといいます。安全軽視の経営姿勢に怒りすら起きます。チリのピニェラ大統領は、責任追及に全力を挙げるとしています。

 それにつけても、長期間33人もが地底に閉じ込められ救出されたことは驚きです。リーダーがいたことが混乱しなかった理由にあげられています。もともとヒトは集団で生活するものであり、その習性がうまく活かされたのではないでしょうか。すでに始まっているようですが、この教訓から学ぶものは少なくありません。

 忘れられつつありますが、日本でも鉱山事故が多発し大問題になったことがあります。戦後最大といわれる1963年(昭和38年)11月9日の三井鉱山三池鉱業所三川鉱の炭塵爆発事故は、死者458名、一酸化炭素中毒(CO中毒)患者839名を出す大惨事となりました。経営側は認めませんでしたが、このときの原因も保安のサボが指摘されました。1960年に2700人を指名解雇した「三井三池争議」が起きて以来、人が少なくなり保安面での不安が指摘されていた矢先の事故でした。

 この三川鉱炭塵爆発事故とチリ鉱山の今回の出来事は、経営者が安全配慮を怠ったという点で一致しています。今回救出された労働者のほとんどが、「同じことを繰り返してほしくない」と語っています。それは偽らざる気持ちでしょう。経営者も政府もその声を真摯に受け止めてほしいものです。

 そういえば、前出の三川鉱のガス爆発事故は補償に関連して二つの画期的な面をもっています。一つは一酸化炭素中毒(CO中毒)患者を救済するための特別法が制定されたこと、もう一つは企業が亡くなった人に労災保険以外の補償をしたことです。後者はいまでは当たり前のことになっていますが、当時は企業が補償するなどありませんでした。それが初めて打ち破られたのです。

 蛇足の蛇足ですが、この爆発事故が起きた同じ日、神奈川県横浜市鶴見区で死者161名、重軽傷者120名を出す国鉄(当時)の「鶴見事故」と呼ばれる列車脱線事故が発生しています。この日のことを「血塗られた土曜日」とも呼ばれています。

★脈絡のないきょうの一行
おい、おい、オバマさん、未臨界実験強行だってね。ノーベル平和賞、返してよ。
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2010/10/13 [Wed] 10:19:32 » E d i t
 蓼科山は「諏訪富士」とも呼ばれています。山の形が富士山のようになっているからで、全国各地にあります。ちなみに、長野県内にはこれと同じように「○○富士」と呼ばれるものが蓼科山を含めて5山あります。▼諏訪富士(蓼科山・2530m)▼信濃富士(黒姫山・2053m)、(有明山・2268m)▼高井富士(高社山・1351m)▼伊那富士(戸倉山・1681m)――信濃富士と呼ばれているのは、黒姫山と有明山の2山です。さらに有明山は、安曇富士(あづみふじ)、有明富士(ありあけふじ)とも呼ばれています。おもしろいですね。

 この蓼科山は1997年6月8日にチャレンジしました。なぜ6月かというと、サクランボ狩りを計画したからです。山梨の牧丘町に住む友人の実家がブドウやモモ、サクランボを作っており、行く途中にそこで遊ばせてもらおうと計画したのです。サクランボ狩りだけに参加した人もいましたが、たわわに実るサクランボ狩りを楽しんで、この日泊る予定の蓼科のペンションに急ぎました。

 このペンションも知人夫妻が経営(現在はやめています)しており、大歓迎してくれました。夕食にはたいへんなご馳走が並び、参加者6人は大喜びで舌鼓を打ちました。

 早朝、前夜からお願いしていたおにぎりをいただいて、午前6時にペンションをスタート。女神茶屋から登り始める予定でしたが、もっと楽なコースを歩こうという提案があり、反対側に位置する大河原峠から入ることにしました。

 大河原峠には広い駐車場があり、そこから歩き出して間もなく、男女のペアを追い越しざま「お先に」と声をかけて、振り返ると男性と目が合ってびっくり。広告会社に勤めるSさんではありませんか。しかも彼とは数日前に組合関係の会議で会ったばかりでした。世の中の狭さというか、面白さというかを味わった瞬間でもありました。

 歩き始めて1時間と少し、蓼科山荘に到着しここで朝食です。おにぎりも美味しかったし、特製のミョウガ入りの味噌汁はありがたかった。山の食事はシンプルがいいですね。山荘からいよいよ厳しい急登が出現します。20分ほどそれをしのいだら、山頂に飛び出しました。

 山頂は驚いたことに、広々と高原状態となっていました。苗場山の山頂も高原状態ですが、それと違うのは大きな石が無原則的にゴロゴロと転がっていたことです。どうやってこれらが形作られたのか、想像ができません。「宇宙人が運んだんじゃないか」などと軽口をたたくくらい、それは芸術的ですらありました。

 天気が良ければ『富士』と言われるだけあって、展望はいいはずですが、残念ながらガスがかかっており遠望は効きませんでした。不思議な山頂で1時間ほど遊んで下山、帰りは関越道を利用することにし、途中で佐久の「三笹温泉」で汗を流しました。

*徒歩総時間/3時間35分
大河原峠(7:00)-蓼科山荘(8:10朝食8:55)-蓼科山山頂(9:20 10:30)-蓼科山荘(10:45 11:00)-大河原峠(11:50)

★脈絡のないきょうの一行
「自分を最後にしてくれ」――。地下で救出を待つチリ鉱山の労働者33人全てが言ったという。資本家には言えない、これが労働者の優しさだ。

2010/10/12 [Tue] 11:13:59 » E d i t
 3連休はいかがでしたか。私は古い仲間たちと、北海道旅行を楽しんできました。何回か通過したことはあるのですが、函館に初めて泊りました。五稜郭に足を伸ばし、明治維新を少しだけしのんできました。2月に道東、7月に道央、そして今回は道南と今年は3度の〝北海道旅行豊作年〟となりました。

 久しぶりに百名山の報告です。霧ヶ峰といえばどこかの電機メーカーのエアコンがありましたが、あれではありません。れっきとした山です。が、山というより丘といったほうがピンとくる山です。この山、いや丘、何回も登っています。最初はうちの子どもたちが小さかった(下の子が小学生になった)頃のことです。子どもたちを連れて、強清水から歩き始めて霧ヶ峰のピーク・車山の山頂を踏み、八島湿原を経て強清水に戻りました。これはちょっと厳しかったらしく、以来、子どもたちは山歩きが嫌いになったようです。父ちゃんの大失敗でした。

 1995年12月2日のものを報告します。12月ですから当然、山は雪です。道路も一部凍結しており、車でこわごわと走りました。女性2人と男性3人の5人パーティーで、賑やかです。中央道を走りましたが、事故渋滞が起きておりやっと談合坂あたりからスムーズになり、この日の目的地である登山口の強清水に到着したのは、15分遅れ程度。かなり巻きましたね。

 寒さもあり登山客は私たちだけ。この山はどちらかというと夏場にハイキング気分で登る程度のグレードで、冬に好んで登る人はなさそうです。空気は冷えており、遠くまで見通せます。南アルプスの仙丈ケ岳、甲斐駒ケ岳、鳳凰三山、北岳が同定できます。八ヶ岳は眼前に広がり、至近距離に蓼科山が真っ白に輝いていました。もちろん、八ヶ岳の向こう側に富士山もデンと構えています。

 しかし、北アルプスと中央アルプスは、雲がかかりその姿を見せてくれませんでした。車山の山頂に立つと、白樺湖方面がやけに賑やかで、覗いてみるとスキー場になっていました。色とりどりのウェアを着た若者たちが滑っています。スキーは毎年行っているという、メンバーのSさんは早速現地調査を始めていました。

 この山、山頂までゲレンデが伸びており山というにはふさわしくないのですが、景色を見るには最高といえそうです。そして、7月のニッコウキスゲの咲く頃は丘陵一面が黄色に染まり、これもまたみごとです。スニーカーでOKです、ぜひ一度お出かけください。

*徒歩総時間/2時間25分
強清水(13:05)-車山山頂(14:20 14:40)-強清水(15:50)

★脈絡のないきょうの一行
大臣の国会内写真撮影より、雇用や尖閣諸島問題で時間を取って議論してほしいなー。
2010/10/07 [Thu] 12:00:51 » E d i t
 菅直人様。

 最後に、尖閣諸島問題についてお聞きします。日本政府は、「尖閣諸島に領土問題はない」といい続けています。これは非常に分かりにくい表現です。尖閣諸島に領土問題はないということは、たとえば対馬に領土問題がないということと同じで、尖閣諸島が日本の領土だからでしょう。なぜ中国や世界に向けて「尖閣諸島は日本の領土だ」と言わないのですか。私は不思議でなりません。

 尖閣諸島の歴史を少し振り返ってみましょう。この諸島は沖縄県石垣島市に所属し、一番大きな魚釣島(うおつりじま)をはじめ、久場島(くばじま)、大正島(たいしょうじま)、北小島(きたこじま)、南小島(みなみこじま)沖の北岩(おきのきたいわ)、沖の南岩(おきのみなみいわ)、飛瀬(とびせ)の8つの島と岩礁で構成されています。沖縄本島から約400キロ、中国本土からは約300キロに位置しています。

 いうまでもなく、この島々は神代の昔からありました。中国では明の時代にこの島に関する記述があるといいます。琉球王朝との交易の際、この島を航路の目印にしたといわれています。この島に日本が目をつけたのは、明治になってからでした。それまでは無人島として、どこの国(とくに一番近い中国)もその存在を無視していました。

 ところが日本政府が諸島の調査に入り、「この島が清国(当時の中国)に所属する証拠はない」として1895年(明治28年)に日本の領土として編入したのです。このような無人島など所有者のない土地については、国際法上では最初に占有した国に支配が認められています。つまり尖閣諸島は日本が最初に領土として宣言したことにより、日本の統治下に置かれたのです。いまから115年前のことです。

 以降、この島の使用許可が民間人におりて魚釣島を中心に、最盛期には200人が住み漁業を行っています。いまでこそ無人ですが、かつては日本人が住んだこともある島ですから、歴史的にみても日本の領土です。ところが、1970年代に入って、諸島に海底資源が眠っていることが発見されて、台湾と中国が動きはじめたのです。台湾は70年に入って、中国は71年12月に領有権を主張するにいたりました。つい最近、39年前のことです。

 この歴史的経緯を見てもお分かりのように、尖閣諸島は明らかに日本の領土です。したがって『尖閣諸島に領土問題はない』というあいまいな言い方はやめて、「日本の領土である」と言い切るべきではないでしょうか。あいまいな言い方が、〝領土問題〟を引き起こされている、と私は思います。お考えを聞かせてください。

★脈絡のないきょうの一行
閉塞状況のなか、ノーベル賞受賞は明るい話題。鈴木章さん、根岸英一さんありがとう。
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2010/10/06 [Wed] 12:43:04 » E d i t
 菅直人様。

 平和の問題に関連して、次に核兵器廃絶についてお聞きしたいと思います。2009年4月5日、チェコのプラハにおいてオバマ・アメリカ大統領が核兵器廃絶問題について演説しました。この演説は『プラハ演説』として、核兵器廃絶への道筋をつけたものとして大きく評価されました。

 その評価の一つが、この年のノーベル平和賞にオバマ大統領が選ばれたことです。現職アメリカ大統領の受賞は1906年のセオドア・ルーズベルト、1919年のウッドロー・ウィルソン以来で、90年ぶりといいます。しかも、就任して1年にも満たない大統領が選ばれるのは異例であり、それだけノーベル賞委員会がオバマ大統領に期待したことの表れでもあります。

 オバマ大統領は核兵器の拡散は止められない、監視できないなどと言う人々を厳しく批判しながら「だから今日、私は明白に、信念とともに、米国が核兵器のない平和で安全な世界を追求すると約束します。」と宣言しました。日本に関係する部分でいえば、「核兵器を使用したことがあるただ一つの核保有国として、米国は行動する道義的な責任を持っている。私たちは一カ国ではこの努力を成功させることはできないが、リードすることはでき、始めることはできる。」と述べています。

 これを受ける形で、鳩山由紀夫首相(当時)は国連で「被爆国として核兵器廃絶に力を注ぎたい」と述べました。そしてあなたは、今年9月24日に同じ国連で核軍縮・不拡散に関し「人類の生存を脅かす状況を作ったのが人間である以上、人間の努力で解決は可能だと信じている」と述べ、「核兵器のない世界」の実現に向けて具体的に行動する考えを示しました。

 ところが具体的行動の中身がよく見えません。あなたは8月の広島で相変わらず「核抑止論」を説き、広島市長との違いが浮き彫りとなり、少なくない人から失笑を買いました。核抑止論に立つ以上、核兵器の廃絶はありえないと思いますし、ましてそのための具体的行動など考えられません。したがってまず、「核抑止論」や「核の傘」の考え方を改め、その上で核廃絶のイメージを描く、これが大事だと思います。あなたのお考えを聞かせてください。

★脈絡のないきょうの一行
ほらね、辻元清美さんが民主党会派に入ったでしょう。彼女も大臣病に冒されてるね。
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2010/10/04 [Mon] 11:17:13 » E d i t
 菅直人様。

 当然、平和の問題にも触れざるをえません。最初に申し上げたいのは、沖縄の普天間基地移転についてです。「少なくとも県外」という過去のあの人の発言は、文字通り霧消しました。あなたはどうなさるおつもりですか。まさか、まさか、いつか発言された「沖縄は独立するしかない」などということはおっしゃらないでしょうね。

 普天間基地の移設問題がクローズアップされたのは、1995年9月に起きた米兵によって沖縄の女子小学生が暴行された事件でした。3人の米兵がいたいけな少女を集団で暴行し、沖縄県民の怒りは沸点に達しました。本土でも「沖縄に平和を、米兵は出て行け」という大きな運動となりました。私たち(千代田春闘共闘)も、この運動に連携して首都から沖縄県民にメッセージを送ろう、と、新聞への意見広告運動に取り組み、琉球新報に全面広告を掲載しました。

 運動の広がりを恐れた自民党政権は、翌96年に5年から7年の目標で普天間返還を求めることにし、代替地として名護市の辺野古付近が浮上、これが2002年に固まりましたが沖縄県民はこれに反発、以来、現在まで2000日を超える反対の座り込みが続いています。さらに、2004年には普天間基地に隣接する沖縄国際大学構内に米軍ヘリが墜落し、返還・移設要求は急速に高まり、2014年までに代替地に移転するという方針が固まりました。

 このような経過をたどって、2009年9月に鳩山内閣が成立し、8月の総選挙で民主党鳩山代表の普天間基地移設に関する「海外、少なくても県外」という発言に期待が集まりました。ところが鳩山首相(当時)はそれを翻し、徳之島案を打ち出すなど混迷を深めた挙句、辺野古案に先祖がえりするという醜態をさらけ出しています。そして、鳩山内閣はこの問題とともに自らの「政治とカネ」問題で政権を投げ出さざるをえなかったことは、ご承知のとおりです。

 そこで、貴方はこの問題をどうなさるおつもりですか。「2014年」という政府目標は事実上不可能となっています。時間との勝負もありますが、沖縄県民の思いを真摯に受け止め対応されることを切に望みます。

 それはそれとして、私には対案があります。「少なくとも県外」からは外れてしまうのですが、普天間代替地として魚釣島はいかがでしょうか。尖閣諸島はアメリカも日本の領土として認めており、沖縄県に所属しています。あそこであれば、建設費が少々かさむかもしれませんが、県民に被害は起きないでしょう。お考えを聞かせてください。(次回につづく)

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09年度で年収200万円以下のワーキングプアーが1099万人に。広がる貧困化、どうする。
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2010/10/01 [Fri] 13:16:09 » E d i t
 拝啓、菅直人殿

 臨時国会が始まりましたね。ごくろうさまです。くらしがどうなるか、国民はその動きに注目しています。強行採決などが行われないよう、全ての問題について十分な議論をしていただくよう予めお願いしておきます。

 国会議員の比例定数削減問題の続きです。報道によって、「日本の国会議員は多すぎる」というイメージが根づいています。ところがこれは実態的には誤りです。先進7カ国だけを比較してみますと、日本は議員数が少ないほうに入ります。以下、議員一人あたりの人口を具体的にみてみましょう(共同通信社がまとめたものです)。2院制度になっている国は、両方の議員数と人口を比較しています。

 イギリス/5.7万人、イタリア/6.0万人、フランス/6.6万人、カナダ/7.6万人、ドイツ/10.9万人、日本/16.4万人、アメリカ/52.6万人――となっています。人口比でみると、日本はアメリカに次いで国会議員数が少ない国、ということになるのです。これはもう、論評の必要はありませんね。「日本の国会議員は多すぎる」と、単純にたれ流すメディアにも責任があると思いますが、実態をきちんと国民に知らせていただきたいものです。

 減らすのであれば、議員の歳費ではないのか、というのが私の個人的意見です。議員には手当などがあり、単純に比較はできないのですが手元にあるものだけでみてみますと、日本/2400万円、アメリカ/1800万円、フランス、ドイツ/1000万円、イギリス/890万円となっています。日本の議員の歳費はダントツですね。これをフランスやドイツ並みにすれば、定数を減らすどころか議員数を倍にしてもバランスを保てることになります。

 ちなみに、今年4月に改訂された議員の歳費は、月額ですが、議長・218万2000円、副議長・159万3000円、議員・130万1000円となっています。これに通信費や期末手当などが加わり、前出の総額となっています。

 もう一つ、減らすべきといいますかこれは廃止すべきだと思うのですが、政党への交付金(助成金)の問題です。この制度は直近の国勢調査をもとに、国民一人あたり250円を一定の規定に合致する政党に交付するというものです。2010年度交付金は以下のようになっています。民主党・172億9700万円、自民党・103億7500円、公明党・23億8900万円、社民党・8億6400万円、国民新党・3億9700万円、新党日本・1億3500万円、みんなの党・3億6100万円、改革クラブ 1億2000万円――と、総額319億円にのぼっています( Wikipedia、日本共産党は一貫して受け取りを拒否)。

 あえて、今年の全ての政党の受け取った交付金を羅列しました。交付金(助成金)が憲法に抵触する問題は別に譲りますが、これらを廃止し歳費を減らせば、国会議員の比例定数を減らす必要はまったくないのではないでしょうか。お考えを聞かせてください。

★脈絡のないきょうの一行
尖閣諸島は歴史的にも日本の領土であることを、日本政府は内外に知らせるべきではないか。
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