ヘボやんの独り言
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2010/05/31 [Mon] 10:17:23 » E d i t
 口蹄疫は、対象が家畜とはいえ疫病です。対応が遅れると疫病はまたたく間に広がることは知られているとおりです。先週、政府の関係者はここまで広がった理由として「埋却処理をする土地が少なかった」ことをあげていました。私はちょい違うのではないかと思っています。確かに殺処分した家畜を埋める土地が少なかったかもしれません。が、それは埋却しなければならない頭数が増えたためで、その前段で迅速にやるべきこと、すなわち「封鎖」や「隔離」が遅れたことに理由がありそうだからです。いや、遅れたというよりやってはならない措置を取ったとしか思えないこともあります。

 その最たるものは種牛の扱いです。高級種牛6頭が移動した問題は報道にもありました。本来ならこの種牛は動かしてはならないはずです。ところが国の特例で最初の事例が発見されて20日以上も経った5月13日、種牛6頭はそれまでいた同県高鍋町の県家畜改良事業団から北西に約24キロ離れた、同県西都市の標高約700メートルの簡易牛舎に移されました。ここが選ばれたのは周囲5キロに畜産農家がなかったからだといいます。つまり他から感染することを防ぎ、他に感染させないことを眼目においています。ここはむしろ後者に重きが置かれたように思います。

 移された牛舎は2メートル四方の部屋が7つあり、それぞれ高さ3メートルの木板で仕切られ、接触はなかったといいます。ところが、この中でブランド中のブランド「忠富士」はウィルスが発見され、殺処分になりました。つまり忠富士は、口蹄疫ウィルスを背負って24キロも移動したことになるのです。残りの5頭は観察中のようですが予断は許しません。その後、別のところで同様に種牛49頭について特例の申請が出されましたが、さすがにこれは国も県も認めませんでした。

 もう一つ、明らかになっていない問題としてヒトの動きがあります。報道関係者や、国・県の関係者が大量に動いたであろうことは容易に想像できます。当然、消毒などの防疫態勢はとったことでしょう。しかし、ウィルスはヒトを介しても広がります。本来ならヒトの動きも遮断、規制されなければなりません。防疫だけでは不十分であることは、先述しましたように新型ウィルス騒動で実証済みです。行政もメディアもこの問題について一言も触れていません。どうしたことでしょう。ヒトが介して広がったことはありえないというのでしょうか。

 以上見てきましたように、今回の事件についてウィルスがどのように広がったのかまだ解明されていません。問題は10年前のときのように、完全遮断が行われたかどうかです。種牛とはいえ本来動かしてはならない罹疫の恐れのある家畜を動かしたことに見られるように、対策が甘かったのではないでしょうか。せめて救われるのは、特別立法で酪農家を救済する措置を早めにとったことです。しかし見方によれば、行政の対策ミスを問題が大きくならない事前にフォローしたともいえそうですが。

 昨30日付けの農水省の「プレスリリース」は、233例目~238 例目の疑似患畜を確認したこと。その結果、累計は163,492頭(牛30,002頭、豚133,474頭、山羊8頭、羊8頭)になったことを報じています。連日新たな症例が発見されており、これはひどい。それにつけても、今回の口蹄疫の対応といい、普天間基地移設問題といい、鳩山内閣の迷走ぶりがオーバーラップするのは私だけでしょうか。

★脈絡のないきょうの一行
社民党、連立を離脱。識見だが、〝お代わり〟に公明党が入ったら嗤うね。
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2010/05/28 [Fri] 10:14:25 » E d i t
 この問題に関する取材の術がありませんので、農水省のホームページと報道を中心に見るしかありません。そのことを予めご容赦いただきたいと思いますが、2000年に起きたときと比べてみると、対応が遅れていることがはっきりします。

 まず今回の問題に関する、農水省のホームページをみてみましょう。最初に「平成22年4月20日に、宮崎県において口蹄疫の疑似患畜の1例目が確認されました。感染拡大を防ぐための防疫措置を実施するとともに、畜産農家に対する経済的支援を実施しています。以下のページをご覧ください。人が牛肉や豚肉を食べたり、牛乳を飲んだりしても口蹄疫にかかることはありませんが、感染している家畜の近くに行ったりすると、無意識のうちにウイルスを運んでしまうことがあるので、感染した家畜がいる農場に行くことは避けてください。」と囲みで書いてあります。

 最初に発見されたのは4月20日だったようです。すでに1ヶ月以上が経過しています。同じホームページの「プレスリリース」の「経過」をみると、4月20日付けで第1例目について「本日、宮崎県の農場の飼養牛に、家畜伝染病である口蹄疫の疑似患畜が確認されました。このため、本日、農林水産省に口蹄疫防疫対策本部を設置しました。なお、当該農場は、感染が疑われるとの報告があった時点から飼養牛の移動を自粛しています。口蹄疫は、牛、豚等の偶蹄類の動物の病気であり、人に感染することはありません。現場での取材は、本病のまん延を引き起こすおそれもあることから、厳に慎むよう御協力をお願いします。」と警告しています。

 以降、連日2例目、3例目、4例目を報告し5月27日には「219例目~221例目」を報告しています。一方、対策はどうでしょうか。発見後の22日に1例目の殺処分を行って以降、次々とそれはつづけられています。しかし、県が「非常事態宣言」を発したのは殺処分が10万頭を超えた5月18日でした。非常事態宣言そのものに法的拘束力はないにしても、これはどうしたことでしょう。

 私がもっと気になったのは前出の「当該農場は、感染が疑われるとの報告があった時点から飼養牛の移動を自粛しています」という部分です。口蹄疫は人間でいえば法定伝染病です。移動を「自粛する」のではなく「禁止」すべきだったのではないでしょうか。ついこの間、新型インフルが日本に上陸したとき、帰国した人たちが禁足を受け大騒ぎになりましたが、あの経験はどこにいったのでしょうか。

 それでは2000年のときの対応はどうだったでしょうか。宮崎市内の牛肥育農家で口蹄疫の「擬似患畜」と診断されたのが3月25日でした。その診断時間ははっきりしないのですが、午後2時にはその農家の通行遮断措置をとっています。半径50メートル以内を立ち入り禁止にしました。同時に周辺の家畜に対して半径20kmを移動制限にし、同50kmを搬出制限地域に指定しました。

 4月3日に2例目が、9日に3例目が発生していますが、1例目同様の迅速な対応をとり、殺処分は全体で35頭にとどまっています。しかも、同じ時期に韓国でも口蹄疫が発生し、4月10には韓国からの偶蹄類の動物と肉類の輸入を禁止しました。5月11日に北海道でも発生しましたが、防疫体制を強化し殺処分は705頭と宮崎と比べ大量になりましたが、畜産農家1軒のみの被害にとどめています。

 10年前の事件と比べて、対応のスピードが違うことに注目いただきたいと思います。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
普天間移設問題、国民との合意がなくてもアメリカと合意? おい、おい、おい、おーい。

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2010/05/26 [Wed] 15:46:30 » E d i t
 連日報道されているように、宮崎県の口蹄疫問題が深刻さを増しています。作25日付けの発表によりますと「本日判明分を含めた合計頭数は、147,894頭(牛19,720頭、豚128,159頭、山羊7頭、羊8頭)です。」としています。なぜこういう事態になったのでしょうか。2000年に起きたときと比較しながら考えてみたいと思います。行政の〝力量の低下〟がうかがえるからです。

 本題に入る前に、「口蹄疫」とは何かをみてみましょう。少し専門的になります。

 口蹄疫(こうていえき、学名 Aphtae epizooticae、英語: foot-and-mouth disease、通称FMD)とは家畜の伝染病のひとつである。偶蹄目※注(豚、牛、水牛、山羊、羊、鹿、猪、カモシカなど)やハリネズミ、ゾウなどが感染するウイルス性の急性伝染病。日本では家畜伝染病予防法において家畜伝染病に指定されており対象動物は牛、水牛、鹿、羊、山羊、豚、猪、ヒトである。旧国際獣疫事務局(OIE)リストA疾病に指定されていたが2005年5月にOIEのリスト区分は廃止された。

 この病気は高い伝播性、罹患した動物の生産性の低下、幼獣での高い致死率という特徴を持つ。先進国では他の家畜への感染拡大を防ぐために罹患した患畜は発見され次第殺処分される。また他地域の家畜への伝播を防ぐため地域・国単位で家畜の移動制限がかけられることから、広い範囲で畜産物の輸出ができなくなる。これらによる経済的被害が甚大なものとなるため、畜産関係者から非常に恐れられている病気である。(Wikipedia)

 ※注/偶蹄目(ぐうていもく)とはひづめが偶数あるもの。それに対してひづめが奇数のものを、奇蹄目(きていもく)という。奇蹄目の代表はウマで、サイ科とバク科もこれに属し、ウマは口蹄疫に罹患しないという。偶蹄目をウシ目、奇蹄目をウマ目とも言われている。

 別の説明では「口や蹄(ひづめ)などに水泡ができるのでこのように呼ばれている。その他、発熱や歩行困難といった症状も現れることがある」(時事用語)というものがあり、口と蹄に水泡が出ることからこの名前がついたようです。

 日本では2000年に北海道と宮崎市で感染が確認されました。このときは日本国内で口蹄疫が発生したのは1908年以来92年ぶりのことだったといわれます。事件発覚とともに、緊急対策がとられ広がることはなくその後、国際的にも『安全』が確認されましたが、今回は大量殺処分が行われ、深刻さを増しています。問題はなぜ今回、こんなに被害が広がったのでしょうか。私見ですが、以下考えてみます。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
親方が暴力団に観戦の便宜。もしかしたら、相撲協会は治外法権団体か?
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2010/05/25 [Tue] 11:56:04 » E d i t
 昔、子どものころ祖母に語ってもらった寝物語は、今でも奇妙に私の記憶に残っています。あちこちの民話にありそうな話しです。

 昔、昔あるところに大きな大蛇が棲んでいました。この大蛇、人に悪さをすることで有名でした。あるとき旅人がこの大蛇と遭遇しました。大蛇はこの旅人を襲い、食べようとしました。そのとき旅人は大蛇に懇願しました。「母が亡くなって、これから葬式にいかなくてはなりません。どうか見逃してください。その代わり、葬式が終わったら、必ず戻ってきます。約束しますからここは見逃してください」と。

 大蛇はしばし考えた挙句、「葬式では仕方がない。ここは通してやろう。しかし戻って来なかったら、お前が一番嫌いなものを持って家まで訪ねていくぞ」と言って、「嫌いなものを教えろ」と迫ってきました。旅人は一瞬考え「私の嫌いなものは小判です」と答え、「ところであなたの嫌いなものは何ですか」と聞き返しました。相手が素直に自分の嫌いなものを答えたので、大蛇も気を許してしまい「ワシの嫌いなものはタバコのニコチンだ」と答えました。

 それから数日後、旅人は約束どおり大蛇のところへ行きました。しかし、ニコチンを持って。大蛇が襲ってきたとき、旅人は持ってきたニコチンを大蛇に投げつけました。驚いた大蛇は七転八倒しながら、「お返しだー」といい旅人に大量の小判を投げ返しました。旅人は苦しむふりをしながら、その小判を拾い上げ懐一杯になったところでその場から逃げ出しました。以来、大蛇が出てくることはなく人々は安心して暮らせるようになり、旅人は大金持ちになりました、とさ。

 と、まあ概略、こんな短い話しなのですが似たようなことが起きているのではないか、と気づきました。普天間基地移設問題がそれです。民主党は、「少なくとも県外」と基地移転問題で国民に約束しました。ところが、自公政権時代の辺野古案に逆もどりしたばかりか、被害拡大が明らかな徳之島への一部肩代わりを提案しています。しかも、大蛇と同じように苦しまぎれに大量のカネをちらつかせて。

 昔話しでは大蛇から大金をせしめた旅人は豊かになりましたが、徳之島の人々はどうでしょうか。基地導入促進派もいるようですが、多くの島民は「島の自然を守ろう」という点で一致しています。カネに代えられないものがあることを、鳩山政権は知らないようです。こんなことではきっとそのうち、ニコチンをばらまかれることになります。7月の参議院選挙が楽しみです。

★脈絡のないきょうの一行
山田宏杉並区長が参院選出馬だって? 日本創新党の名前をかかげるらしいが、何?
2010/05/24 [Mon] 09:56:34 » E d i t
 母が逝ってから1ヶ月が過ぎました。「そんなことはないだろう」と思っていたことが起きていることを、不思議な感覚で受け止めています。

 何をか、といいますと、多くの人から親や兄弟が亡くなると脱力感を覚える、ということを聞いたこととの関連です。自分にはそんなことはないだろう、と思っていたのですがどうも例外ではないようです。どう表現すればいいのでしょうか、気づかない深いところで情緒不安定に陥っているような気がします。力が出ないのです。

 ずいぶん前、ある友人から「おふくろが死んで、夜も眠れなくなり薬に頼るようになった」という話しを聞いたことがあります。そのときはまさにヒトゴトでした。そんなこともあるんだー、という感じでした。ところが実際に自分の身に同じことが起きているようです。

 通勤途中に母の最期の場となった病院が車窓から見えます。そこを通るたびにいつの間にか、母が入っていた病室を探しています。時おり『行ってあげなくっちゃ』と思ったりしますが、「違う、ちがう」と我に返って否定しています。時間があってボンヤリしていることが多々、あります。しっかりした認識はないのですが、母のことを考えています。土、日が近づくと「特養ホームに行かなくっちゃ」と考えています。この10年余の生活がそうなっていたからでしょう。行かなくてもいい、楽になったはずなのですが、どうも楽になったとは思えないのです。

 「お母さんのことをずっと面倒みてきたからそうなるのではないか」という友人もいます。確かにそれもあるように思えます。特養ホームに入る前から、母の存在は私の中で大きな〝面積〟を占めていました。正直、大変だったし面倒臭いと思ったことがないわけではありません。しかし放置するわけにはいかず、母の介護はカミさんも含めて、二人三脚、いや三人四脚でした。

 母が突然逝って、生活の一部が欠如したことになります。そこから情緒不安状態が生まれているのかもしれません。ヒトは慣れ親しんだことが変化すると、心の中に穴が開くといいますが、ほんとうにそのようです。母のいない生活に慣れるまで、もう少し時間がかかるかもしれません。よろしくお願いします。

★脈絡のないきょうの一行
「痛みは分け合うものではなく、取り除くもの」。23日の岩国集会での参加者発言。そのとおり。

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2010/05/21 [Fri] 10:14:06 » E d i t
 笠ヶ岳の山頂からの視界はガスに阻まれゼロ状態でした。やむなく写真だけ撮って下山です。Sさんが左ひざの痛みを訴え、自分のサポーターをそこに着けてみたら楽になったといいます。そのままの姿で下山に取りかかりました。

 抜戸岳の分岐で一休みし、デポした荷物を整理し直して〝恐怖の下り〟にはいりました。予想どおりそれは長い。飽きてきます。ジグザグに下りますから、思ったより高さは稼いでいない。それでもひたすらしのぐしかありません。Sさんの左ひざが何とか持ちこたえてくれたことがさいわいでした。林道に出たときは薄暗くなっており、最後の宿泊所・ワサビ平小屋への道がもどかしく思えました。

 聞いたとおり、この下りはすごいと思いました。もう一度チャレンジするとしたら、この道は登りに使いたいものです。

 第5日目最終日・8月7日。あとはもうラクチンです。1時間程度で新穂高の駐車場にもどりました。時間的に余裕があったので、甲府で一旦高速を降りておみやげのモモなどを買って早めの帰宅となり、5日間の山行=北アルプス3名山一気登頂、に終止符を打ちました。5日間で歩いた総時間は実に47時間余となり、1回の山行で歩いた時間としては最高記録となりました。

*徒歩総時間・3日/5時間45分、4日/7時間10分、5日/10時間40分、6日/11時間10分、7日/1時間05分 ※合計46時間50分
 第1日目・8月3日/新穂高(9:15)-笠ヶ岳分岐(10:15 10:30)-水場(12:15 12:30)-鏡平小屋(15:30)泊り
 第2日目・8月4日/鏡平小屋(4:15)-弓折岳稜線(5:30 5:50)-双六小屋(7:00 7:35)-三俣蓮華岳(10:25 10:50)-黒部五郎小舎(12:45)泊り
 第3日目・8月5日-黒部五郎小舎(4:00)-(途中休憩10分×2回)-黒部五郎岳山頂(6:15 6:40)-黒部五郎小舎(8:30 9:15)-三俣蓮華巻き道分岐(10:45)-三俣山荘(11:55 12:20)-鷲羽岳山頂(13:30 13:50)-三俣山荘(14:40 15:00)-(途中休憩10分×2回)-双六小屋(17:45)泊り
 第4日目・8月6日/双六小屋(4:10)-朝食途中休憩(6:50 7:05)-抜戸岳分岐(9:10 9:30)-笠ヶ岳山頂(11:00 11:05)-抜戸岳分岐(12:45 13:10)-(途中休憩10分×4回)-ワサビ平小屋(17:25)泊り
 第5日目・8月7日/ワサビ平小屋(5:30)-新穂高(6:35)

★脈絡のないきょうの一行
口蹄疫の広がり、〝ノー政〟のツケの典型じゃないの。
2010/05/20 [Thu] 10:23:19 » E d i t
 黒部五郎岳の山頂でゆっくりしていたい気分でしたが、先へ急がなければなりません。下山は稜線を歩きましたが、これは大正解でした。6人ほどのパーティとすれ違った直後、ライチョウの親子に遭遇したのです。静かにカメラを取り出ししばらく様子を見ます。3匹の雛たちはチョコチョコと歩き回ります。親鳥はそれを心配そうに見つめています。その様子は家族団らんそのものです。

 稀有な場面をカメラに収めて黒部五郎小舎にいったん戻り、腹ごしらえをしてつぎなる鷲羽岳に向けて再スタートです。三俣蓮華岳の中腹まで登り返して、三俣小舎への短縮ルートに乗りました。雪渓を二つ横切ってテント場を抜けて三俣山荘に到着しました。ここで再度、サブザックを取り出して荷物を小さくして鷲羽岳にアタックしました。荷物を軽くしたのが功を奏し、コースタイムを20分縮めて山頂に到着です。

 状況を見て、水晶岳まで行こうということにしてありましたが、これは残すことにして鷲羽岳を下りて、この日は双六小屋まで進みました。

 第4日目・8月6日。この日は広島に原爆が落とされてちょうど60年目の区切りの年です。核兵器廃絶の課題は、私が平和運動や労働運動にかかわるようになったきっかけでもあります。その意味では一日も早い廃絶を実現したい、そんな思いを改めて強くしています。山に入って3日続けて早朝4時出発です。風もなく、(初日に少々あったものの)雨も降らず順調な山行となっています。

 双六小屋を出てみると、槍ヶ岳方面へ行く人たちのヘッドランプが樅沢岳(もみさわだけ)方面につながっています。「狐の嫁入り」の風情たっぷりです。それはまた、夏場の富士山を連想させます。われわれはそれとは90度の方向、弓折岳から抜戸(ぬけど)岳歩く稜線に向かいます。弓折岳から二つの大きなアップダウンをしのぐと、進行方向に笠ヶ岳の特徴あるピラミッドが目に入りました。それが見えると、何故か気分的に楽になります。

 抜戸岳の下山路の分岐に荷物をデポして、山頂をめざしました。思ったよりここからの道のりが長かった。笠ヶ岳山荘の前を通り、一気に山頂へ進みました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
大阪・泉南アスベスト訴訟で大阪地裁が国の責任を認め、被害者原告に勝利判決。前進だ。
2010/05/19 [Wed] 11:10:24 » E d i t
 三俣蓮華岳の山頂は見えるのですが、その道のりは急登で厳しい。やっとの思いで山頂に到着です。これが広い。ちょっとしたキャッチボールならできそうです。北東方面の目の前に鷲羽岳とピラミッドの形をした割物岳(わりもだけ)がそびえ、その先には大きな塊となった水晶岳が同定できます。北側にはこんなに大きかったのかと思うほどの薬師岳がデンと構えています。Sさんと「2年前にあそこに登ったんだよね」という会話になっていました。

 ここで長めの休憩を取って、黒部五郎小舎に下ります。小舎近くのゴロタ石に少し苦戦。小舎に到着したのはほぼ予定どおり、12時半でした。この時間だと、黒部五郎岳の往復は可能です。しかし、空模様が怪しく山頂アタックは翌日回しにすることにして、靴を脱ぎました。この判断は正解で、午後3時過ぎたころから山特有の激しい雨となりました。

 第3日目・8月5日。山での早立ちは三文の得。サブザックに最小限の荷物を詰めて4時ちょうどに小舎をスタートしました。黒部五郎岳はカール側と稜線側の二つのルートがありますが、登りはカール側を、下りは稜線側を歩くことにしました。途中までヘッドランプをつかってゆるやかに登っていきます。山頂が見え始めたころ、朝日が射し込んできました。オレンジ色のそれは山肌を優しく変化させていきます。

 山頂への急登にさしかかると、左右にコバイケイソウの群落が広がり、まるで励ましてくれるようです。稜線に出たら3分足らずで黒部五郎岳の山頂です。午前6時15分われわれがこの日の山頂一番乗りらしく、誰もいないスペースを独り占めしました。小舎からは全く見えなかった笠ヶ岳が、山頂に立つと眩しく光っていました。振り返れば、薬師岳がその大きさを誇っています。

 きのう通過した三俣蓮華岳の向こう側に鷲羽岳の頭の部分が見えます。その左手手前には思ったより大きい祖父(じじ)ヶ岳があり、その先には水晶岳が「人を寄せ付けないぞ」とばかりにふんぞり返っています。これらのパノラマは、山頂を踏んだ人だけに与えられる特権です。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
メキシコで2700年前のピラミッド(墓)を発見。ロマンがふくらむ。
2010/05/17 [Mon] 13:20:14 » E d i t
 百名山の3山一気報告になります。この山に登ったのは2005年8月3日から7日の間でしたが、この年は7月に北海道の3山(羅臼岳、斜里岳、トムラウシ山)を、そして翌月の9月には南アルプスの3山(悪沢岳、赤石岳、聖岳)を登るという〝快挙〟をやっています。がんばった年でもありました。

 同行はいつものSさん。天気の状態をうかがいながら、南アルプスにするか北アルプスにするか思案の結果、北行きになりました。早朝にスタートし長野道の松本ICで降りて、安房トンネルをくぐり新穂高へ進みました。ここの無料駐車場に車を止めて歩き出しです。時計は午前9時15分を指しています。

 初日の泊りは鏡平小屋で6時間程度。とはいえスタートが遅かったので少しギアを上げます。しばらくして笠ヶ岳への分岐あたりでどこかで見たことのある顔が迫ってきました。なんと元出版労連委員長のIさんではありませんか。こちらもそうですが、向こうもびっくり。東京でもなかなか会わないのに、こんな山奥で会うなんてと笑ったものです。別れを告げて鏡平をめざします。ゴロタ石との格闘が終わると、とうとうと水が流れる秩父沢に到着し一休みです。

 ここから徐々に高度を稼いでいきます。お花畑が現れると、その周辺に人がたむろしています。小さな池を前景にしてどうも、槍ヶ岳の写真をねらっているようです。しかし雲に隠れた槍ヶ岳は顔を出してくれませんでした。お花畑から間もなく山小屋です。

 2日目・8月4日。前夜のうちにつくっておいてもらった弁当を持って、ヘッドランプを頼りに歩き出します。弓折岳の稜線に出て振り返ると、槍ヶ岳が大きくたちはだかっていました。立派です。その槍ヶ岳を右側に見ながら、当面の目標である双六小屋をめざします。この双六小屋で朝食にしました。弁当は多くの場合、おにぎりですがしっかりした弁当になっており、立派なものでした。

 食事が終わって、前進です。双六岳のふもとを巻くように歩きます。途中の沢の水がうまかったこと。きょうの難関、三俣蓮華岳が見えたのと同時に鷲羽岳が目に飛び込んできました。大きい。その大きさは北アルプスの大きさを無言のうちに物語っているように思えました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
普天間基地人間の鎖行動に1万7000人。これでも沖縄の声は鳩山邦夫首相に届かないのか。

10404 「一行」編23 
2010/05/14 [Fri] 17:16:00 » E d i t
10/04/02
 前代未聞の〝代理投票〟。一押しで議員辞職の若林正俊参議院議員、辞職は当然。

10/04/05
 新党をつくるという与謝野馨さん、「どーんと消費税を上げる」論者。アブナイぞ。

10/04/06
 与謝野馨代議士は自民党の比例区当選者。離党するなら議員を辞めるのがスジでは?

10/04/07
 核を保有しない国には核攻撃はしない、とオバマ大統領。新たな抑止力論と脅しに思えるが…。さて。

10/04/08
 新党名は「たちあがれ日本」だってね。あの人たちだと「立ち枯れニッポン」になるよ、きっと。

10/04/09
 調査の度に支持率低下の鳩山内閣。これじゃ、政権交代じゃなく政権後退だ。

10/04/12
 バンクーバー五輪で3回のトリプルアクセル(3回転半)成功にギネス。浅田真央ちゃんまた快挙。

10/04/14
 母の葬儀は、身内だけで行うことにしました。前から決めていたことで、ご理解ください。

10/04/15
 政府税調で消費税増税問題が浮上。3党合意・民主党マニフェストを凌駕して。これ何!?

10/04/16
7月の参院選挙に向けて民主党の公約骨子案が分かったらしいが、年寄りを大事にする政策にしてほしい。

10/04/19
 徳之島で「基地はいらない」の大合唱。沖縄の思いと和音となって、日本列島を揺るがした。

10/04/21
 ヘェー、普天間代替地案は徳之島だってね。へぇー、バカじゃないのこの国の政府は。

10/04/23
 鳩山首相の元秘書に有罪判決。秘書が仕えていた議員の社会的・同義的責任はどうなるの。

10/04/26
 「無条件で普天間基地を返せ」――先週の徳之島につづいて沖縄で9万人集会。歴史は流れる。

10/04/28
 小沢一郎さんの政治資金虚偽記載の不起訴は不当と、検察審査会が結論。正論だ。

10/04/30
 殺人などの時効廃止法が成立・発効。米軍は全く役立たずだがこれは犯罪抑止力になる。

★脈絡のないきょうの一行
普天間代替案の「くい打ち方式」にアメリカが難色だってね。へー、嗤っちゃうね。
10403 「一行」編22 
2010/05/13 [Thu] 08:37:39 » E d i t
10/03/01
 チリからの津波のスピードはジェット機なみだという。自然はすごい。

10/03/04
 奈良県でまたしても子への虐待殺人。5歳の子はどんなに心細かったか、それを思うと心が痛む。

10/03/08
 迷走から逆走に変わった観の普天間基地移設問題。しっかりしろよ、民主党。

10/03/09
 日本航空で35歳以上の社員も特別早期退職者の対象に。有能な社員が去っていくぞ。

10/03/10
 あさって12日は「10春闘勝利をめざす3.12千代田総行動」。いよいよ春闘本格稼動だ。

10/03/11
 大雪のなかでも高知でサクラ開花の知らせ。春はすぐそこだぞー。

10/03/15
 鳩山内閣またしても支持率が下落(毎日新聞世論調査)。さもあらん。

10/03/17
 自民党の貴方に投票した人のことを考えれば、離党の前に議員辞職ですよ、鳩山邦夫さん。

10/03/19
 生方幸夫副幹事長の小沢一郎幹事長批判を端にした民主党の〝お家騒動〟、自民党みたい。

10/03/30
 朝青龍のいなくなった大相撲、人気が復活しつつあるのでは。いいことだ。

10/03/30
 国公法堀越事件、東京高裁で逆転無罪。旧態依然の法律にもムチ。当たり前だが遅すぎる。

10/03/31
 郵便貯金の限度額2000万円へ引き上げ。国債発行時の買い手の懐が膨らむことになるなー。

★脈絡のないきょうの一行
日本の政党党首でニューヨークのNPT会議に参加したのは共産党だけ。象徴的だ。

10402 「一行」編21 
2010/05/10 [Mon] 16:55:39 » E d i t
10/02/01 
 小沢一郎金脈問題、検察と幹事長の権力争いに矮小化させず、徹底解明を求めるべきだ。

10/02/03 10360
 えっ! 小沢一郎さん不起訴方針だって? この間のメディアの大騒ぎは何だったの?

10/02/04
 トヨタのリコール、国際問題に。原因は派遣・非正規切りによる技術水準低下では?

10/02/05
 「引退」と「不起訴」。メディアは踊っているが、得したのは朝青龍と小沢一郎のどっち?

10/02/08
 キリンとサントリーの統合計画が挫折。持ち株比率の不統一が原因らしいが、やはりカネか……。

10/02/12
 小沢一郎金脈の元金庫番・石川知裕衆議院議員が民主党を離党。それで世論をかわしたつもりか。

10/02/15
 バンクーバーで冬季五輪開催。競技が始まったがやはり世界のカベは厚い。

10/02/17
 チェンジとは 言ってたことを 変えること!(サラリーマン川柳)。消費税論議がまさにそれ。

10/02/19
 稲嶺進名護市長、「海にも陸にも(基地を)造らせない」と首相に。政治家はかくあるべし。

10/02/22
 長崎県知事選挙、無党派層が大仁田候補に流れたとはいえ、民主党批判の反映。さあどうする。

10/02/23
 浅田真央とキム・ヨナ。よきライバルである銀板のかわいい妖精たちの競技に期待。

10/02/24
 1047名の大量解雇をとたたかう国鉄闘争、やっと解決のきざしが。それにつけても遅すぎる。

10/02/25
 銀盤の妖精キム・ヨナと浅田真央、世界の人々を釘づけに。相談だが、特別に金メダルを2つ出せないか。

★脈絡のないきょうの一行
ヤワラちゃんこと谷亮子が参院選に民主党から出馬? おいおい、人気とりに一役かい?
10401 「一行」編20 
2010/05/07 [Fri] 10:24:54 » E d i t
 「脈絡のないきょうの一行」のまとめ編です。1ヶ月単位で報告させていただきます。

10/01/02
 公設派遣村のこの実態、新自由主義の具現化にほかならない。

10/01/03
 2年連続箱根駅伝5区の新記録、東洋大学・柏原竜二。すごい、の一言だ。

10/01/04
 悪天候下でも山に入った人たちがいた。気持ちは分からないこともないが……。

10/01/05
 年末年始の「公設派遣村」への入所者833人。事態は深刻の度を増している。どうする鳩山内閣。

10/01/06
 小沢一郎さんの「陸山会」と似たような名前で、田中角栄さんの「越山会」というのがあったなー。

10/01/07
 小沢一郎さんに司直の手。師匠・田中角栄なみのスキャンダルの可能性も秘めつつ…。

10/01/08
 財務大臣の交代劇、早すぎかもしれないが鳩山内閣の終わりの始まりかも。

10/01/11
 日航の経営難の原因は、地方の赤字路線に国が無理やり就航させたからではなかったのか。

10/01/12
 魁皇、幕内807勝で最多勝タイ記録。横綱にならなくてもできたことがすごい。

10/01/13
 公設派遣村から200人が消えた、は誤報だった。仕組んだのは誰だ!

10/01/14
 いよいよ東京地検特捜部による〝小沢マネー〟解体作業が始まる。しっかりやれよー!

10/01/15
 遅々としている、ハイチ地震による被災者救援作業。人類の叡智を早くこの国に。

10/01/18
 基地問題を争点とした沖縄県名護市長選挙がスタート。24日の開票が楽しみだ。

10/01/20
 ハイチ大地震、すでに7万人を埋葬したという。時間の経過とともに被害が広がる……。

10/01/21
 政治とカネ問題の徹底追及と同時に、国民生活問題も重要だ。国会論議を空中戦にするな。

10/01/22
 陸山会・小沢一郎の土地購入疑惑報道、「しんぶん赤旗」がいちばん詳しい。がんばれ共産党。

10/01/25
 名護市長選挙、市民と良識派の勝利。おめでとう! 基地ノーのたたかいはこれからだ。

★脈絡のないきょうの一行
鳩山首相の国内〝島めぐり〟は、火に油を注ぐだけの観光旅行に終わりそうだ。
2010/05/06 [Thu] 10:12:49 » E d i t
 このブログ、400回目となりました。これからもよろしくお願いします。連休でしばらく間合いがありましたが、薬師岳のつづきです。

 小屋から先も、山頂は見えているのですがなかなかそこに到着できない。一種の焦りみたいなものが走り抜けました。時間的にはそうかかっていないのですが、体調の変化は時間を遅くしてしまうようです。

 やっとの思いで10時40分に山頂に着きました。折立をスタートしてから休憩を入れて7時間20分は、スピードとしては悪くありません。山頂には集団さんもいて、賑やかです。この時間になるとガスが立ち込み始めて赤牛岳が隠されていきました。「そのうちあの山にも登ってやるぞ」と密かに考えていました。

 下山は登ってきた道をそのまま下るだけです。太郎平から三角点までの道のりが、思ったより長く感じられました。元気に登った時間は短く、疲労が出てきた下山は長く感じる、不思議な〝現象〟を目の当たりにしました。折立に着いたらテントを整理しなおして、早めの食事を済ませてバタンキューです。

 翌朝、折立はガスにつつまれ雨模様に変わっていました。早々にテントをたたんで、帰路は有峰湖ダムの上を走り、岐阜県側に出て平湯から安房トンネルを経て松本から中央道を利用しました。したがって、出かけるときからの行程は東京、埼玉、群馬、新潟、富山、岐阜、長野、山梨、神奈川、東京――と9都県を走ったことになります。ちなみに、自宅から自宅までの車の走行距離は825㎞を記録していました。

 道路は雨とお盆休みでおなじみの渋滞を起こしており、それに巻き込まれたのはいうまでもありません。それでも、早い時間にスタートしたため早めの時間に帰り着くことはできました。それにつけても、徒歩総時間10時間15分というスピード感あふれる山登りとなりました。しばらくあとになりますが、登山途中で見えた黒部五郎岳、鷲羽岳、水晶岳に登ったのはいうまでもありません。もちろん、赤牛岳の山頂もしっかり踏みました。

*徒歩総時間/10時間15分
折立(3:20)-三角点(4:55 5:15)-太郎平小屋(7:05 7:45)-薬師岳山荘(9:35 9:50)-薬師岳山頂(10:40 11:10)-太郎平小屋(12:55 13:20)-三角点(14:50 15:05)-折立(16:00)

★脈絡のないきょうの一行
普天間基地移設問題、やはりねー。「少なくとも県外」発言、どう責任をとるのでしょうか。