地図で見る限り、一番厳しい急坂はランプを頼りに登ることになり、気分的には楽になったようです。4時半過ぎから周辺は明るくなりだし、ランプをザックに仕舞います。第一の目標である三角点で一休み。同行のSさんは、眠たげであとで聞いたことですがこのあとの太郎平小屋までが一番苦しかったといいます。
太郎平に近づくと下山客とすれ違います。皆一様に「もうここまで登ってきたんですか」と驚きます。小屋到着は7時5分、登り始めて3時間45分です。そのハイペースに少しだけ満足します。小屋周辺は前日の泊り客でしょう、大勢がたむろしていました。小屋の横に回ってみると、右手に黒部五郎岳、左手に赤牛岳が大きく見えます。鷲羽岳と水晶岳も見えるはずですが、周辺の山が邪魔して同定できません。長休憩ののち、改めて前進です。
太郎平からテント場まで一旦下り、沢筋を登り返します。沢には冷たい水が流れており、その流れで生じる風がすずしい。生き返るようです。水がなくなってからもしばらく沢のゴロタ石を踏み越えると、チングルマの群生地に着きました。その大きさに歓声を上げました。そこを過ぎて5分足らず薬師平に到着。するとSさんが「あれは槍ヶ岳では」と指さします。誰にでも分かるトンガリ帽子は実に立派です。
薬師平から先は、私がバテ気味になりました。突然、という感じで足が重く感じます。たいした距離はないはずですが、薬師平山荘までの距離がやけに長く感じられました。山における体調の変化は、こういう形で突然やって来ることがよくあります。注意が必要です。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
殺人などの時効廃止法が成立・発効。米軍は全く役立たずだがこれは犯罪抑止力になる。
この薬師岳は、1963年(昭和38年)に愛知大学山岳部13人のパーティが、1月に正月登山として頂上を目指したところ、山頂手前で断念し引き返す途中で道に迷い、全員が遭難死したことで名前が知られるようになりました。このとき、このパーティの中に地図とコンパスを携行している者は誰もいなかったといいます。それが悲劇を起こしたのではないかという推測がなされています。
このとき13人が下山せず「遭難したのではないか」という情報を得て、朝日新聞社の本多勝一記者は取材のためヘリで太郎平小屋に強行着陸、小屋には誰もいなかったことから遭難が確実視されました。本多記者は、この事件をはじめ多くの山岳事故や山に関する本を書いています。関心のある方はぜひご覧ください。
私がこの山に登ったのは、2003年8月16日でした。この年は冷夏で、農作物や観光に被害がでました。海水浴場は閑古鳥が鳴き、日帰り温泉が賑わうという、およそ夏場には考えられない現象が起きていました。それを横目に、富山県・折立から日帰り登山を企画しました。同行はいつもの元気なSさんで、早朝3時20分にスタートし、午後4時ちょうどにもどってくるという、行動時間12時間40分の快挙を果しました。
折立までの道は、有峰湖の湖畔を走る有料道路を利用しますが、湖底にはかつての山村が沈んでいるといいます。「百名山」を記した深田久弥は、(湖が出来る前に)薬師岳を登ったことを振り返りながら、そのとき同行した熊谷太三郎がのちの建設会社・熊谷組の社長となり、そのダムづくりに当たったことを感慨深げに書いています。歴史の皮肉ともいえそうです。
折立の登山口にあるキャンプ場に着いたのは前日15日の午後3時頃。それからテントを張ったり食事の準備をします。夜、夜空に目をやってみると満天の星が輝いていました。明日の天気に期待です。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
小沢一郎さんの政治資金虚偽記載の不起訴は不当と、検察審査会が結論。正論だ。
まず、ギフト関係です。あちこちのギフト会社からパンフレットやカタログが送られてきましたが、ある有名デパート2店からは直接自宅を訪ねてきました。いわゆる香典返しの営業です。もちろん丁重にお断りしました。送られてきたパンフやカタログもすごい。いまわが家にはかなりの数のそれが積み重ねられています。デパートの営業マンが言っていましたが、「本来なら四九日が終わってから香典返しをするものですが、最近は葬式当日にお返しは済ませるようになっています。その場合は葬儀会社が扱うんですよね……」。ギフト専門会社が、葬儀社に侵食されているのです。
次は墓石の営業です。パンフも送られてきましたが、電話も入りました。たまたま私が受けましたが丁寧です。どこから情報を得たのでしょうか「このたびはお母様がお亡くなりになりお悔やみ申し上げます」のあいさつから始まって、墓を作る予定はないかと切り出します。すでに墓はあると伝えるとすぐに引き下がりました。
仏具の案内もきました。浅草・田原町には仏具店が並んでいますが、そこの一店からでした。その内容を紹介しましょう。カラー印刷のチラシになっており、仏壇は「製造直売、職人手作り」をウリにして、4万円から200万円までさまざまです。20万円台がいちばん多いようです。仏具セットも4万円台から18万円台まであります。仏壇や仏具にも「格差」があることが分かりました。
そして極めつけだと思ったのは、相続税申告の案内です。ある税理士法人から送られてきたパンフは、カラー印刷で上質の紙を使っており高級感があります。パンフには「相続税申告、税理士の選び方間違えていませんか――私たちは相続税申告のプロフェッショナルです」とアピールしています。わが家では全く不要ですが、ちなみに費用は「遺産総額1億円までの基本報酬は、通常プランで30万円、加算報酬は土地・1区分につき5万円、非上場株式・1社につき15万円、相続人が複数の場合上記基本報酬額×10%×(相続人の数-1)、但しご依頼日が申告期限より3ヶ月以内の場合は別途報酬総額の20%がかかります」と書いてあります。「報酬総額」の計算式が出ていないのでなんとも言えないのですが、高いのでしょうか、安いのでしょうか、不知としておきましょう。
葬儀が終わって1週間が過ぎて落ち着きましたが、うちのカミさん、しばらく電話に出るのをやめ留守電に入る声を聞いて、関連の営業でないことが分かれば出る、という対応をとりました。送られてきた諸案内パンフやカタログは30点近くになりました。これはもう〝洪水〟です。詮索するつもりはありませんが、どこから情報は流れるのでしょうか。個人情報保護法とやらはどこへ行ったのでしょうか。
★脈絡のないきょうの一行
「無条件で普天間基地を返せ」――先週の徳之島につづいて沖縄で9万人集会。歴史は流れる。
前夜、「もし雨が降っていたら危険だから、剣岳アタックは断念しよう」ということになっていました。天気は、雨は降っていないもののガス状態です。4人で相談の結果、「行く」ことを決め、前夜つくってもらった弁当の朝食を平らげて、ちょうど5時にスタートしました。雨具は必要なく、ヤッケで対応できます。ここで休めというのでしょうか、なかなか洒落たネーミングの一服剣(いっぷくつるぎ)を越えて、前剣(まえつるぎ)とコルの中間点あたりで、一瞬、晴れ間が広がりました。進行方向右手に剣沢雪渓と真砂沢ロッジが見え、その大きさを実感させてくれます。
前剣に近づくにつれて、またしてもガスが立ち込めその状態は山頂を踏んだあと、剣山荘までつづきました。前剣の山頂で、大阪・堺市からやって来たという男性が「一人では心細いので、一緒に歩かせてもらっていいですか」と申し入れてきました。断る理由はありません。ここから5人パーティーです。前剣から先で、いきなり切り立った場所に設置された鎖場が出現しました。大阪からの男性はここまで来たものの、不安になって引き返したといいます。
ここから鎖場が連続し、「カニのタテバイ」と呼ばれる30メートル近い鎖場に取り付きます。これは緊張させられました。仲間たちと声を掛けあい、安全確認をしながら慎重に登っていきます。この難所を過ぎて15分程度で剣岳山頂に到着しました。天気は相変わらずガス模様で、展望はありません。山頂の記念写真を撮って下山です。
下山路の一部は一方通行となっており、今度の難所は「カニのヨコバイ」です。最初の右足の位置さえ確保すればあとは大丈夫。その位置を仲間たちに指示・確認しながら、下っていきます。一服剣で、文字通り一服して剣山荘まで一気にもどりました。山荘で荷物を整理しなおして、次の目標である剣御前小屋をめざします。途中で昨日同様に雨が降り出し、雨具をつけます。少し遅れて歩いていたOさんらは、ライチョウを見つけたといいます。いいことがあるかもしれないと喜んだものです。
剣御前小屋で遅めの昼食をとり、今度はひたすら下って雷鳥沢まで進みます。途中、道はぬかるんでおり歩きにくいことしきり。雷鳥沢では「雷鳥沢ヒュッテ」にチェックインし、温かい温泉に入っていのちの洗濯をした気分になりました。
3日目。やっと雨は上がり立山の全景を目にすることができました。大きい。その大きさに納得しながら、ミクリガ池で記念写真を撮り、花の写真を撮ったりしてのんびりしながら室堂まで戻り、帰路に着きました。
*徒歩総時間/1日目・5時間05分、2日目・6時間55分、3日目・1時間10分
1日目・8月9日/室堂(9:45)-一ノ越(10:40 11:05)-雄山(昼食 11:50 12:45)-大汝山(13:10 13:30)-別山(15:15 15:30)-剣御前小屋(15:55)-剣山荘(16:45)泊
2日目・8月10日/剣山荘(5:00)-前剣岳(6:25 6:45)-剣岳(8:05 8:30)-剣山荘(10:55 11:40)-剣御前小屋(昼食 12:45 13:50)-雷鳥沢ヒュッテ(15:30)泊
3日目・8月11日/雷鳥沢ヒュッテ(6:05)-室堂(7:15)
★脈絡のないきょうの一行
鳩山首相の元秘書に有罪判決。秘書が仕えていた議員の社会的・同義的責任はどうなるの。
室堂は濃いガスとともに雨も降っていました。これは仕方がない、最初から雨具を装着です。10メートル先も見えない霧の中を、まず「一ノ越」目指して進みます。高地であることから、8月とはいえ寒さも襲ってきます。一ノ越山荘手前で、雨は激しさを増してきました。山荘の軒下でしばし、雨宿りです。
小降りになるのを待って、雄山(おやま)への急登に取り付きました。途中で可憐な花をたくさん見つけましたが、雨で撮影どころではありません。かなり厳しいものがありましたが、4人が離れることもなく、一気に雄山神社まで前進です。立山は日本三霊山(富士山、立山、白山)の一つでもあり、神社では登山客が安全祈願のお祓いをしてもらっていました。
お祓いのたびに太鼓の音が響き、霊験あらたかな気分になります。神社で昼食としました。食事が終われば、次なる目標は大汝山(おおなんじやま)です。立山はいくつかのピークによる塊となっています。一番高いのが3,015メートルの大汝山です。そしてこのピークは、日本における3,000メートル超級の最北端に位地しています。
大汝山は、雨が降っていたせいかもしれませんが、注意しないと見落としてしまいそうでした。そのくらいピークとしての特徴がありません。ここで記念写真を撮って前進です。つづいて映画「剣岳 点の記」でもシーンが出てきましたが、別山(べっさん)の山頂を通過しました。が、ここも雨でした。天気がよければ、ここから映画のシーンと同じような剣岳を眺望できたはずです。少々後ろ髪を引かれる思いで、剣御前(つるぎごぜん)小屋を経て、この日の宿泊小屋・剣山荘(けんざんそう)には16時45分、歩き始めてちょうど7時間で到着しました。小屋はシーズンであることから平日を選んだため、思ったより空いていました。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
へエー、普天間代替地案は徳之島だってね。へぇー、バカじゃないのこの国の政府は。
昨年6月、「剣岳 点の記」という映画がヒットしました。カミさんと一緒に観に行きました。明治39年(1906年)、陸軍参謀本部から北アルプス剱岳への登頂と三角点埋設の命令を受けた測量手・柴崎芳太郎をモデルとして、新田次郎が書き下ろした小説を映画化したものです。それまで誰も登ったことのない剣岳。日本山岳会のメンバーも〝先陣争い〟に加わります。浅野忠信、香川照之、松田龍平らの演技が光っていました。
後で聞いた話しで納得したのですが、この映画の監督・木村大作さんは空撮やCGを一切使わず、地上からのロケに徹したといいます。たしかに、空からの映像はありませんでした。地上から撮影道具を運んで2007年4月に撮影を開始、200日以上を費やしたといいます。そのせいでしょう、迫力は満点でした。上映されたこの年(2009年)の6月7日、つくば市の国土地理院において、「測量の日」功労者として、木村大作監督に感謝状が贈呈されています。さらにこの映画は、第33回日本アカデミー賞・最優秀監督賞、第52回ブルーリボン賞・作品賞、2009年度日本映画ペンクラブ賞などを受賞しています。
この映画の撮影中、落石でスタッフが怪我をするというアクシデントもあったそうです。山頂アタックシーンは史実に合わせて7月13日に撮影する予定でしたが、山頂部の天候不順のため17日に再挑戦したといいます。こだわりの映画だったのですね。映画は、一隊が山頂に着いたときすでに誰かが登っていた痕跡を発見します。日本における未登頂の山として一つだけ残った剣岳に、すでに登っていた人がいた……。これもまたロマンです。
今回の報告はその映画の題材となった剣岳ですが、前回同様、立山と剣岳を連続して登った関係で、両方の報告とさせていただきます。2001年8月9、10、11の3日間かけて歩きました。山友だち4人パーティーの行動となり、天気は3日間とも不順で、雨具をつけての山行となりました。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
徳之島で「基地はいらない」の大合唱。沖縄の思いと和音となって、日本列島を揺るがした。
告別式までの間、遺体をどこに安置するつもりか。葬儀はどこ(の地域)で行うのか。宗派はどこか--など細かい質問を受けます。その質問は、事務的ですがソフトです。おおむね話しが終わると「寝台車を手配しましたのでまもなく到着すると思います。それまで病院の霊安室でお待ちいただきます」と案内されました。
母の身体は、病院の地下にある霊安室に移動しました。入院時に持ち込んだ私物は整理され、ワゴンにまとめて載せられておりそれも一緒に運びます。霊安室で初めて線香が焚かれました。病室で線香を使わないのは、人目に触れ線香の臭いが染みつくのを避けるためでしょう。線香の煙が静かに上がっていくと、母の死がやけに実感を帯びてきます。私につづいてカミさんも焼香します。
寝台車が到着するまでの時間を使って、返ってきた手回り品をマイカーに運びます。母のものであったことを考えると、悲しみが募ってきます。寝台車が到着したことを葬儀社の人が病棟に伝えると、医師や看護師さんたちが見送りに来てくれ焼香してくれました。最後までありがたいことです。母の身体は、葬儀が始まるまで葬儀社の霊安室で預かってもらうことにしたため、寝台車はそれのある世田谷に向けて病院を離れました。
全てが終わって自宅に戻ったのは午前1時前でした。母が息を引き取ってから3時間余のことでしたが、私には2日も3日も過ぎたような気がしてなりませんでした。そして翌日の午前、葬儀社の担当者が自宅を訪ねてくれ、葬式の準備に関する打ち合わせとなりました。葬祭場が込み合っていることもあり、あす17日に通夜、18日に告別式ということになりました。本格的な母との別れです。奇しくもきょうは私の63回目の誕生日。ここまで育ててくれた母に改めて感謝し、こころからお礼を言いたい。そして、母のぬくもりは忘れられない、大事な、大事な思い出となりました。
★脈絡のないきょうの一行
7月の参院選挙に向けて民主党の公約骨子案が分かったらしいが、年寄りを大事にする政策にしてほしい。
あまりの急展開に少々うろたえながらケイタイを持たない人の私は、病院の廊下に設置された公衆電話からまずカミさんへ連絡です。自宅に帰り着いたばかりの彼女も驚きです。兄弟にそれを知らせてくれるよう頼んで、電話を切りました。病室に戻る途中担当医から呼び止められ、「死亡確認をしたい」といいます。
初めて知ったことですが、死亡確認は家族立会いを原則にするといいます。医師、看護師、そして私の3人で改めて時間を確認しました。「ただいま午後9時57分、確認します」という医者の事務的な声に、私はうなずくだけでした。母が息を引き取ったのは私の時計では9時50分でしたが、私が自宅に電話したりするためのロスタイムがあり57分が確認時間となりました。
次の作業の手順を聞くと、遺体の体をきれいに拭いて新しい衣類(持参のパジャマ)に着替えさせたあと、病院と契約している葬儀業者が来るといいます。葬儀業者は家族が指定できる、と言いますがあてはなくそこに依頼することにします。身体を拭いてもらっている間、面会室で待ちます。その間、連絡の必要事項を確認するため、改めて自宅に電話を入れて車で来てくれるよう、頼みました。
「準備ができました」という声がかかり病室に戻ると、母と二人だけの時間が過ぎていきます。化粧も施してくれたのでしょう、頬のあたりが薄いピンクになっています。声こそ出せませんでしたが、つい先ほどまで呼吸をして脈もあり、生きていた母が無言の人になったことに言葉にならない違和感が走ります。白く長くなった髪の毛を、撫でてやります。「よくがんばったね。もうゆっくり眠っていいよ」とつぶやきながら。しばらくすると、黒い服を着た葬儀社の人がやってきました。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
政府税調で消費税増税問題が浮上。3党合意・民主党マニフェストを凌駕して。これ何!?
昨13日午後9時50分、母は、深呼吸をしたのではないかと思ったとたん、静かに息を引き取りました。その様は「息を引き取る」という表現にふさわしい、眠るような安らかさでした。享年89歳、人が彼岸に旅立つときは、こんなにもあっけないものかと不可思議の世界に迷い込んだような錯覚もありました。しかし母は、間違いなく息を引き取りました。大正、昭和、平成と3つの時代を生き抜いた女がひとり、黄泉の世界へ旅立ちました。
13日の午後、入院中の病院から「容態が急変した」という連絡が入りました。胃ろうの手術後、そこから〝食事〟を補給していた母は、昼食後にその食事の一部をもどしました。その際、それが誤嚥と同じ状態で肺に逆流し肺炎を起こしたようです。もともと肺機能が弱っていた母の身体には大きなダメージだったのでしょう、急激なドロップダウンを引き起こしました。死亡診断書の「死因」欄には肺炎、そのなかの「疾病経過に及ぼした病名等」には肺気腫と記されています。
連絡を受けた私は、病院へ急ぎました。先に病院に着いて様子を見ていたカミさんは、私の到着を待ちわびていました。担当医から病状を聞いて状況を把握、とりあえず職場にもどって仲間たちに連絡を取り、改めて病院へUターン。病室には、付き添い用の簡易ベッドが搬入されていました。ただ見守るだけしかできないことに、隔靴掻痒感は募るばかりです。茨城県つくば市から妹が子ども(母にとっては孫)の車に乗せてもらい、到着しました。
様子に変化はなく、妹たちには翌日の仕事もあることから帰ってもらい、カミさんには翌朝に再度来てもらうことにして引き上げさせました。私一人になって、仮眠態勢に入ろうとしたとたん、母の呼吸回数が少なくなりました。もしやと思い、母とパイプでつながれた計測器に集中します。その器械には心拍数、血圧、体内酸素濃度、呼吸数の数字が並んでいます。血圧は15分おきくらいでしょうか、自動的に計測しています。
計測器は最初に酸素濃度を示す数値がゼロになりました。間もなく呼吸数もゼロ表示となりました。その段階で間隔が長くなっていましたが、母はまだ呼吸をしていました。心拍数も表示されています。最新の情報を示す血圧は48-30と高い方が50を切る数値を示しています。とはいえそれは、計測器が冷厳に人のいのちの「終焉」を知らせていることにほかなりません。看護室のモニターで監視していたのでしょう、事態を察知した医者と看護師さんがかけつけてくれました。
母は深呼吸したのではないかと思うほど、大きな呼吸を一つしました。そのあと、静かに永久(とわ)の眠りに入りました。私の腕時計は午後9時50分を刻んでいました。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
母の葬儀は、身内だけで行うことにしました。前から決めていたことで、ご理解ください。
不思議なことに判決に触れられていない問題があります。公安警察による違法・不当な捜査方法についてです。堀越さん側は、尾行のみならずビデオ撮影までしたのは捜査方法を逸脱したやり方だと批判しました。この問題をめぐってビデオを公開すべきである、ということで裁判所と論争になり、裁判官を忌避するところとなりました。忌避は却下されましたが、それだけもめた問題について、判決には一行の言及もありませんでした。
何故か。理由は分かりませんが、堀越さんを無罪と判断した以上、捜査方法に言及する必要はなかった、と考えるのが自然でしょう。有罪であれば、それに触れざるをえないからです。いずれにしろ、国公法弾圧・堀越事件の東京高裁判決は司法がやっと国民の手に少しだけ戻ってきた、それを実感させるものであったといえます。
しかし、この高裁判決を快く思っていない人たちがいることを忘れてはなりません。4月4日付けの「世界日報」(統一教会の機関紙)の社説は、この判決は猿払事件の判例から逸脱している、と批判しながら「判決はネットの普及に触れ、表現の自由への認識が深まっているとするが、国民は無制限な何でも表現の自由と言わんばかりの風潮に批判的だ。最高裁は3月、『ネット中傷』に初めて有罪判決を下したばかりだ。表現の自由の濫用は許されず、『公共の福祉』の枠内にある。公務員の政党機関紙の配布は『蟻の一穴』となって、最高裁判決が危惧したように公務員の政治的中立を損ないかねない。政治活動を安易に容認すべきではない」(ウェブから)と述べています。
先週、4月7日に検察側は上告しました。上告の主旨は恐らく、前出の世界日報の社説と同じようなものでしょう。堀越さんを有罪とするには「言論・表現の自由に反する」と断じられて〝肉〟を切られただけならまだしも、国公法による公務員の政治活動の規制を見直すべきである、と〝骨〟まで切られたのですから、検察としては立場がなくなり上告したのでしょう。
いま、国家公務員法による政治活動規制の是非をめぐって熱く議論されています。5月13日には、もう一つの国公法・宇治橋事件(世田谷事件)の控訴審判決が出ます。私たち(千代田春闘共闘)は人事院に対して、公務員の政治活動を規制する人事院規則14―7(政治的行為)の改定を求めて、今週の金曜日・16日に陳情します。いま大事なことは、このような運動ではないでしょうか。
★脈絡のないきょうの一行
バンクーバー五輪で3回のトリプルアクセル(3回転半)成功にギネス。浅田真央ちゃんまた快挙。
ところが74年の最高裁判決から30年も経った2004年になって、突然、この〝亡霊〟がゾンビのごとく蘇り、社会保険庁職員の堀越明男さんが「国公法違反」容疑で逮捕・起訴されたのです。しかも、執拗な尾行やビデオ撮影など、なりふり構わぬ人権侵害の挙に出てまで。
なぜ公安警察はそこまでやらなければならなかったのか。今回はそれが主要なテーマではありませんので、簡単に私見を二つほど。一つは、この時期すでに自民党は崩壊の危機にあったと思うのです。言い換えると「自民党の終わりの始まり」の情勢にあったのではないでしょうか。2002年からつづいた小泉内閣(2006年9月まで)に翳りが見え始め、国民は「構造改革」の何たるかを見抜き始めていました。それを食い止めるために目先を共産党攻撃に変えて、堀越さん逮捕に踏み切ったのではないでしょうか。
もう一つは、公安警察の仕事が減ってきたことがあると思います。80年代後半から90年代、公安はオウム真理教を追い回していました。そこに彼らの〝活路〟(仕事)があったのですが、地下鉄サリン事件などの問題が明るみに出て、教祖の麻原彰晃らが逮捕(1995年5月16日)されて以降、間違いなく仕事が減ったのです。仕事がないということは、公安部そのものの廃止にもつながりかねません。そこで考えられたのが、国公法をタテにした共産党弾圧だったのではないでしょうか。自ら仕事をつくって延命を図った、ともいえましょう。
私見のそれはそれとして、今回の東京高裁判決は猿払事件最高裁判決の誤りをただすことはしませんでした。前出のように判決では、「国家公務員による政治的行為を禁止する目的について判断すると、猿払事件判決が指摘するとおりであり、当裁判所も、現時点においても、その正当性は十分認められると考えられる。」としています。確かに最高裁大法廷の判断は重いものがあり、それを覆すのは容易ではないでしょう。
ところが、そう言いつつも時代の流れのなかで、国公法における公務員の政治活動の規制は見直すべきであると、判決は言及したのです。これは「肉を切らせて、実は骨を切った」と言い換えることができるでしょう。聞くところによると、公務員の政治活動がこれほど規制されている国は、日本と南アフリカだけだというではありませんか。「グローバル化」をタテして物事を論じることを私は好みませんが、地球規模で民主主義のあり方を考えるとき、この人事院規則は撤廃すべき対象だと思います。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
調査の度に支持率低下の鳩山内閣。これじゃ、政権交代じゃなく政権後退だ。
(政治的行為の定義)
6 法第102条第1項の規定する政治的行為とは、次に掲げるものをいう。
一 政治的目的のために職名、職権又はその他の公私の影響力を利用すること
二 政治的目的のために寄附金その他の利益を提供し又は提供せずその他政治的目的をもつなんらかの行為をなし又はなさないことに対する代償又は報復として、任用、職務、給与その他職員の地位に関してなんらかの利益を得若しくは得ようと企て又は得させようとすることあるいは不利益を与え、与えようと企て又は与えようとおびやかすこと
三 政治的目的をもつて、賦課金、寄附金、会費又はその他の金品を求め若しくは受領し又はなんらの方法をもってするを問わずこれらの行為に関与すること
四 政治的目的をもって、前号に定める金品を国家公務員に与え又は支払うこと
五 政党その他の政治的団体の結成を企画し、結成に参与し若しくはこれらの行為を援助し又はそれらの団体の役員、政治的顧問その他これらと同様な役割をもつ構成員となること
六 特定の政党その他の政治的団体の構成員となるように又はならないように勧誘運動をすること
七 政党その他の政治的団体の機関紙たる新聞その他の刊行物を発行し、編集し、配布し又はこれらの行為を援助すること
八 政治的目的をもって、第5項第1号に定める選挙、同項第2号に定める国民審査の投票又は同項第8号に定める解散若しくは解職の投票において、投票するように又はしないように勧誘運動をすること
九 政治的目的のために署名運動を企画し、主宰し又は指導しその他これに積極的に参与すること
十 政治的目的をもって、多数の人の行進その他の示威運動を企画し、組織し若しくは指導し又はこれらの行為を援助すること
十一 集会その他多数の人に接し得る場所で又は拡声器、ラジオその他の手段を利用して、公に政治的目的を有する意見を述べること
十二 政治的目的を有する文書又は図画を国又は特定独立行政法人の庁舎(特定独立行政法人にあっては、事務所。以下同じ。)、施設等に掲示し又は掲示させその他政治的目的のために国又は特定独立行政法人の庁舎、施設、資材又は資金を利用し又は利用させること
十三 政治的目的を有する署名又は無署名の文書、図画、音盤又は形象を発行し、回覧に供し、掲示し若しくは配布し又は多数の人に対して朗読し若しくは聴取させ、あるいはこれらの用に供するために著作し又は編集すること
十四 政治的目的を有する演劇を演出し若しくは主宰し又はこれらの行為を援助すること
十五 政治的目的をもって、政治上の主義主張又は政党その他の政治的団体の表示に用いられる旗、腕章、記章、えり章、服飾その他これらに類するものを製作し又は配布すること
十六 政治的目的をもって、勤務時間中において、前号に掲げるものを着用し又は表示すること
十七 なんらの名義又は形式をもってするを問わず、前各号の禁止又は制限を免れる行為をすること
私も最初はそうでしたが、読みながらあきれ返った方が多いのではないでしょうか。ことほど左様に公務員は「空気を吸ってはいけない」と思われるほど、政治的活動について、がんじがらめに規制されているのです。目を覆いたくなる〝惨状〟といえます。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
新党名は「たちあがれ日本」だってね。あの人たちだと「立ち枯れニッポン」になるよ、きっと。
この裁判は、地裁、高裁で無罪となったものの、1974年(昭和49年)11月に最高裁大法廷で逆転有罪となり、国公法にある公務員の政治活動を制限する判例(根拠)となっているものです。
このときの公訴事実によれば、郵便局員の行為は国家公務員法102条1項に反する、としたのです。同法は、一般職の国家公務員に関して「職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。」と規定しています。
この条項に基づき人事院規則14―7が制定されているのです。少々長いのですが、猿払事件の有罪判決の根拠であり、今回の国公法・堀越事件の根源ともいえる条項となっており、ぜひ目を通していただきたいと思います。かなり長くなりますので、「適用の範囲」などあまり関連しないものは省かせていただきます。
人事院規則14―7(政治的行為)
(政治的目的の定義)
5 法及び規則中政治的目的とは、次に掲げるものをいう。政治的目的をもってなされる行為であっても、第6項に定める政治的行為に含まれない限り、法第102条第1項の規定に違反するものではない。
一 規則14―5に定める公選による公職の選挙において、特定の候補者を支持し又はこれに反対すること
二 最高裁判所の裁判官の任命に関する国民審査に際し、特定の裁判官を支持し又はこれに反対すること
三 特定の政党その他の政治的団体を支持し又はこれに反対すること
四 特定の内閣を支持し又はこれに反対すること
五 政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張し又はこれに反対すること
六 国の機関又は公の機関において決定した政策(法令、規則又は条例に包含されたものを含む。)の実施を妨害すること
七 地方自治法(昭和22年法律第67号)に基く地方公共団体の条例の制定若しくは改廃又は事務監査の請求に関する署名を成立させ又は成立させないこと
八 地方自治法に基く地方公共団体の議会の解散又は法律に基く公務員の解職の請求に関する署名を成立させ若しくは成立させず又はこれらの請求に基く解散若しくは解職に賛成し若しくは反対すること
(以下、次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
核を保有しない国には核攻撃はしない、とオバマ大統領。新たな抑止力論と脅しに思えるが…。さて。
「……猿払事件判決当時と異なり、国民の法意識も変容し、表現の自由、言論の自由の重要性に対する認識はより一層深まってきており、公務員の政治的行為についても、組織的に行われたものや、他の違反行為を伴うものを除けば、表現の自由の発現として、相当程度許容的になってきているように思われる。」
「また、様々な分野でグローバル化が進む中で、世界標準という視点からも改めてこの問題は考えられるべきであろう。」
「公務員制度の改革が論議され、他方、公務員に対する争議権の付与の問題についても政治上の課題とされている折から、その問題と少なからず関係のある公務員の政治的行為についても、上記のようなさまざまな視点の下に、刑事罰の対象とすることの当否、その範囲を含め、再検討されるべき時代が到来しているように思われる。」
判決文は多くの場合難解なものが多いのですが、今回のこれは解説なしで読み込むことができます。ひらたく言えば、堀越さんの政党機関紙やビラ配布の処罰に関しては、言論・表現の自由に違反しており、公務員の政治活動の自由はグローバル化社会にあって検討されるべきものである、というのです。
ところが判決文はその一方で、「国家公務員による政治的行為を禁止する目的について判断すると、猿払(さるふつ)事件判決が指摘するとおりであり、当裁判所も、現時点においても、その正当性は十分認められると考えられる。」と述べているのです。この猿払事件判決とは、いかなるものか、以下、みてみましょう。(次回につづく)
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与謝野馨代議士は自民党の比例区当選者。離党するなら議員を辞めるのがスジでは?
判決の主文が読み上げられた瞬間、東京高裁の傍聴席から大きな拍手が起きたといいます。最近の司法判断の傾向からみて、支援者のなかには無罪判決が下されることは思いもよらなかったのでしょう。私はこの日、東和システムの不当労働行為事件の調査があり、東京都労働委員会にいました。都労委の控え室で同席の弁護士にケイタイで判決の内容を調べてもらいました。「逆転無罪になったようです」というその弁護士の話しに、私もつい拍手してしまいました。
この判決は、猿払事件(後述)の最高裁判決を踏襲し、国公法における公務員の政治活動の規制を温存したままではあったものの、堀越さんがビラを配布して逮捕されたことは言論・表現自由に違反する、と断じたのです。無罪となった理由の部分を判決から拾ってみましょう。(※判決文は難解なものもありますが、一番最後から読むのがコツです)
「なお、付言すると、我が国における国家公務員に対する政治的行為の禁止は、諸外国、とりわけ西欧先進国に比べ、非常に広範なものとなっていることは否定し難いところ、当裁判所は、一部とはいえ、過度に広範に過ぎる部分があり、憲法上問題があることを指摘した。」
「また、地方公務員法との整合性にも問題があるほか、かえって、禁止されていない政治的行為の方に規制目的を阻害する可能性が高いなど、本規則による政治的行為の禁止は、法体系全体から見た場合、様々な矛盾がある。」――まだまだ続きます。(次回につづく)
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新党をつくるという与謝野馨さん、「どーんと消費税を上げる」論者。アブナイぞ。
その前提となる病状を医学用語的にまとめてみますと、①胃ろう②慢性腎不全③COPD在宅酸素④尿道バルーン⑤意識レベルの低下――ということになります。③は母の肺機能が衰えており、在宅酸素を使用しなければならないことを示しています。④は尿処理にあたって自力では困難なことから、器具を利用する状態です。
この五つの条件をかかえた年寄りを受け入れてくれる病院があるかどうか、素人の私にも困難であろうことは想像できます。早速その準備を始めました。現在入院している病院のケースワーカーにまず相談してみました。病院は親切に対応してくれます。最長3ヶ月しか患者を置いておくことができない、母と同じような条件の患者さんを看てきているからでしょう。データもかなりあります。
しかし問題は、これだけ多くのリスク(病気)を背負った患者を受け入れてくれる病院があるか、そして費用です。長期療養型の病院がベストですが、それが見つからない場合は、3ヶ月きざみで転院を繰り返さなければなりません。それは当然、本人にも体力的負担がかかります。お金を出せば、近くて条件のいいところはたくさんありそうですが、限度があります。「地獄の沙汰も金次第」の言葉は、生きているうちから生じているようです。カミさんに協力してもらいながら、病院探しをスタートさせました。新たなたたかいの始まりです。また、折に触れて報告させていただきます。
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前代未聞の〝代理投票〟。一押しで議員辞職の若林正俊参議院議員、辞職は当然。