ヘボやんの独り言
11« 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 31.»01
2009/12/28 [Mon] 16:52:01 » E d i t
 年末の〝風物詩〟に「今年の○大ニュース」というものが出てきます。今年は多くの場合、政権交代があげられています。が、私はこれをパスしました。自民党の本流を歩いてきた民主党・小沢一郎幹事長が黒子として陰で動いている限り、政策の変化は期待できないからです。それは普天間移転問題に如実に現われています。

 で、私にとって今年は何だったかといいますと、「核なき世界」へ動き始めたことでした。米・オバマ大統領のプラハ演説は、全世界から歓迎されました。私もその一人でした。そしてそのあとの国連安保理で、鳩山首相が「被爆国の同義的責任として」核廃絶に力を注ぎたいと演説しました。日本の代表者がやっとここにたどりついたかと、隔世の感を覚えたものです。

 何故か――。

 私が初めて街頭で署名活動を行ったのは、高校生のときの御茶ノ水駅前のことでした。クラスメートを広島の原水禁世界大会に送る一環で、署名とカンパ活動を行ったのです。署名板を持って、ビラを配りながら訴えました。初めての経験で脚が震えました。高校生が必至に訴えるその様子は鬼気迫るものがあったかも知れません。とにかく必死でした。この活動が後に労働運動へと変化していったのです。

 その活動を通じて、ある意味、私の人生観が形作られたといっても過言ではありません。それは「戦争で殺されるより、戦争反対の運動で死にたい」という、若者にありがちの気負った価値観として私を支配しました。そしてそれは今でも、私の中に座右の銘として息づいています。

 だから、今年の私の重大ニュースは「核なき世界への始動」でした。来年5月、NPT(核不拡散条約)再検討会議が開かれます。この会議で「モデル核兵器禁止条約」が議論され、本格的な核廃絶となることを願ってやみません。

 今年もあと数日、よい年をお迎え下さい。

★脈絡のないきょうの一行
あとで支払っても、脱税は脱税ですよね、鳩山さん。9億円、普通人だったら逮捕されてるね。
スポンサーサイト
未分類 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2009/12/24 [Thu] 11:06:38 » E d i t
 この山も実に3回も登っています。97年10月、02年5月、そして06年7月です。ここでは97年10月24日のものを報告します。97年ですから私がちょうど50歳の年でした。Oさん、Sさんそして私と、男3人のタッグを組んで鳥居峠から登ることにしました。

 3人ですから早朝出発とはいかず、前日の夜中に集まり、Oさんの車で関越道から上信越道に入り、東部・湯の丸ICで降りて鳥居峠へすすみました。ここには予定どおり午前3時に到着、車の中で仮眠です。空は満天の星で久しぶりに大自然を堪能した思いでした。6時に起きて、Sさんが買ってきた「うなぎ弁当」で朝食です。朝からなかなか豪華です。

 四阿山へはまず、林道歩きから始まります。10月下旬ですから、寒さが襲ってきます。しかし、太陽が昇りはじめると暖かさが周辺を包んでくれます。林道が終わると本格的な登りになりました。まず「的岩」が目標です。この岩、源頼朝が弓矢の練習で的にしたという言い伝えがあるそうです。

 ここから次の目標の東屋まで、急登になります。歯を食いしばって前進すると、開けた場所に東屋がたたずんでいました。ここで一休みです。この東屋から少し下ってから、山頂への道です。ここも少し厳しい。天気は上々で気持ちよく、快適な歩きです。しかし、天気がよすぎてガスが発生し遠望は利きませんでした。しかし2回目に登った02年のときは、奥穂高を盟主とした北アルプスと、鹿島槍ヶ岳など後立山をしっかり同定することができました。

 山頂には祠が建っておりそこで記念撮影です。下山はOさんとSさんには四阿山の隣の根子岳に登ってもらうことにし、私は鳥居峠にもどって車で根子岳のふもと、菅平牧場で待ち合わせることにしました。この計画はみごとで、私が10分ほど早く牧場に到着しました。

 このとき一緒に登ったSさん、余命宣告を受けていま闘病中です。がんばっています。祈るだけしかできないことに隔靴掻痒の感を免れません。66歳はまだ若い。……。

*徒歩総時間・4時間25分
鳥居峠(6:25)-的岩分岐(7:00)-的岩(7:50  8:05)-東屋(8:35 9:05)-四阿山(11:00 11:40)-東屋(12:10 12:20)-鳥居峠(13:25)

★脈絡のないきょうの一行
政権100日。メディアは「迷走」と評するが、私はマニフェスト「逆走」と見る。あなたは?
2009/12/21 [Mon] 13:55:59 » E d i t
 1997年8月5日、前線が日本列島に横たわり全国的に天気は崩れ、中国地方で災害が発生していました。8月としては多い雨量で、地球の温暖化が影響しているのではないかという心配もありました。当初の予定は飯豊山(いいでさん)アタックでしたが、天気の崩れで予定を変更しこの山にした次第です。

 天気の様子を見るために普段より遅く自宅をスタート、白根山ロープウェイの山頂駅に着いたのは午後1時半を回っていました。この山、03年7月にも登りましたが、今回はロープウェイまで車の乗り入れはできなくなっており、国道沿いの大駐車場から歩きました。歩き始める時点で雨は上がっていましたが、強い風とガスが立ち込めていました。

 登山道は整備されており、木道を歩きます。その木道が終わり、土肌の道を登りきったら突然視界が開け、「から釜」が目に飛び込んできました。字のごとく大きなお釜の形をしたくぼみがあります。その縁をなぞるように進むとコマクサの群落に出会いました。地元の山岳会や観光協会が、丹精こめてこのコマクサを育てているそうで、しっかりしています。コマクサの群落は、短時間歩くだけで見ることができる場所としては、ここが一番かもしれません。ちなみに、車から降りてすぐに見られるコマクサは、蔵王山に行く途中の「コマクサ平」にあります。

 群落には出会いましたが、残念ながらコマクサはピークを過ぎており、その余韻を楽しませてもらうにとどまりました。この道の最高地点には、2,150㍍と表示してあり本当の頂には行けないようにしているようです。恐らく自然保護の関係でしょう。下山はピストンではなく、お釜を一周する道を選びました。下山して間もなく雨が降り出しました。車の中で天気情報を聞いてみますと、翌日は上がりそうな気配だというので、予定していた苗場山へ向いました。苗場山は、すでに報告したとおりです。

*徒歩総時間・1時間30分
ロープウェイ駐車場(14:00)-山頂(14:40)-ロープウェイ駐車場(15:30)

★脈絡のないきょうの一行
後期医療導入後、健診率が急落。このままでは次のデータは「寿命が短くなった」だ。
2009/12/18 [Fri] 10:25:41 » E d i t
 この山は何故か雪のあるときに登っています。しかも95年5月、96年4月、03年2月と3回も。雪山訓練に手ごろであることも手伝っているのかもしれません。ここでは一番新しい03年2月9日の分を報告します。Kさんとの二人旅でした。
 
 赤城山といえば、即座に浮かぶのは「赤城の山も今宵かぎり」の国定忠治です。忠治について「Wikipedia」は以下のように説明しています。
                          ◇=◇=◇
 上野国佐位郡国定村(現在の群馬県伊勢崎市国定町)の豪農の家に生まれる。博徒となって上州から信州一帯で活動。赤城山南麓を「盗区」として実質支配。対立する博徒の島村伊三郎や玉村の主馬、関東取締出役道案内(目明し)の三室勘助などを殺害。信州街道の大戸(後の群馬県吾妻郡東吾妻町)の関所を破った。
 勘助殺害により忠治一家は関東取締出役から一斉手配を受け、一家の幹部の多くは逮捕され忠治は会津方面へ逃亡、4年後上州に舞い戻ったが中風を煩い嘉永3年8月24日(1850年9月29日)、関東取締役出役によって捕縛される。
 捕縛後は江戸の勘定奉行池田頼方の役宅に移送され取調べを受け、小伝馬町の牢屋敷に入牢。博奕・殺人・殺人教唆等罪名は種々あったが、最も重罪である関所破り(碓氷関所(群馬県安中市)を破る)により時の勘定奉行・道中奉行池田頼方の申し渡しによって上野国吾妻郡大戸村大戸関所(群馬県吾妻郡東吾妻町大戸)に移送され当地で磔の刑に処せられる。享年41だった。戒名:長岡院法誉花楽居士(養寿寺)・遊道花楽居士(善應寺)。
                          ◇=◇=◇
 ということで41歳の若さで処刑されています。こうしてみると、忠治は大悪人だったようですが、何故か浪曲や講談、芝居のネタにされます。それは、天保の大飢饉(1833年から1839年)のときに村民を救ったという逸話からきているといいます。この話し、本当だったのでしょうか。

 2月の赤城山は全山雪です。雪道のスリップに恐怖しながら、途中でチェーンを装着し大沼(おの)まで車で入りました。駐車場で支度を整え氷上のワカサギ釣りでにぎわう湖面を横目に、登山口へ急ぎます。すでに2回登っていますので、地図は不要です。樹木は霧氷で化粧して綺麗です。雪化粧ならぬ「氷化粧」とでもいうのでしょうか。風に揺られて震えているように見えました。途中で振り返ると、大沼の湖上には色とりどりのテントが見えます。ワカサギ釣りを楽しむ人たちのそれです。雪屁(せっぴ)を遠巻きにしながら高度を稼いで、稜線に出たらすぐ山頂です。

 山頂には3人の先客が休んでいました。この雪の中をやってくる、自分たちと同じような人がいるのですね。山頂は黒檜山(くろびやま)と呼んでいます。その理由は分かりません。山頂で持っていったピッケルを雪に差し込んでみたら、60センチほどになりその深さがわかりました。天気は晴れることはなく、結局、ピストンで下山しました。氷上のテントを見ながら一度、ワカサギ釣りを楽しみたいと思ったものです。

*徒歩総時間・2時間35分
大沼駐車場(9:00)-山頂(10:40 11:05)-大沼駐車場(12:00)

★脈絡のないきょうの一行
暫定税率を廃止して〝固定〟税率を創設? こりゃもう詐欺だ。票を返せ(一小市民)。
2009/12/16 [Wed] 10:10:48 » E d i t
 百名山の報告です。北アルプスの穂高岳と混同しないために、「上州武尊」という言い方もします。この山も2回登りました。96年8月と10年後の06年9月です。2回とも天気には恵まれず、ガスの中を歩きました。どうもこの山にも嫌われているようです。ここでは96年のときのものを報告します。この年の8月は、この武尊山、乗鞍岳、槍ヶ岳、金峰山の4山にアタックしており〝豊作〟の夏でもありました。

 実は前年の95年7月にもこの山にチャレンジしていますが、このときはものすごい雨で途中から引き返しています。したがってリベンジ山行です。8月11日、関越道・水上ICで降りて武尊神社をめざします。その駐車場で一眠りしてスタートです。この駐車場から沢に少し下ったところに、「裏見の滝」があります。たいして大きな滝ではありませんが、滝の裏側から見るそれは味わい深いものがあります。ここの美味しい水も含めておすすめです。

 前年に引き返した手小屋沢までのタイムを比べてみますと、今回は25分も早くなっていました。天気によってこうもスピードが違うのかと、驚きです。手小屋沢から先は尾根歩きとなります。岩場をよじ登ったり、鎖場に息をはずませたりしながら前進です。背丈ほどのハイマツとシャクナゲが入り混じった場所に出たら、もうすぐ山頂です。

 人の話し声が聞こえ、頂上が近いことを教えてくれました。山頂には10人ほどのハイカーが思い思いに休憩していました。その一角でラーメンをつくり早めの昼食です。天気は結局好転せず、山頂からの眺望は得られませんでした。

 下山は剣ヶ峰のピークを踏むコースを選びました。がこの道は普段あまり使わないらしく荒れていました。しかも急な坂で前日の雨で滑りやすくなっており、3回も尻もちをついてしまうありさまでした。手小屋沢への分岐で、新潟から来たという人と一緒になりました。聞いてみると仕事帰りだといいます。東京に出てきたとき、埼玉や栃木の山によく登るといいます。これも費用を浮かせる一つの方法かと感心したものです。

*徒歩総時間・6時間05分
武尊神社(6:25)-分岐(7:05)-手小屋沢(8:00)-武尊山山頂(9:40 10:30)-剣ヶ峰(11:20)-武尊神社(13:20)

★脈絡のないきょうの一行
布川事件、再審開始へ。遅すぎる決定、42年は長すぎ当事者の裁判官への怒り、当然だ。
2009/12/14 [Mon] 15:22:09 » E d i t
 国公法違反に問われたもう一つの世田谷事件は、2005年9月に起きました。この年の9月といえば何があったか、記憶に新しいところです。そうです、小泉構造改革路線の華とも言えた郵政民営化を問う総選挙が行われました。選挙結果はご承知のとおりでしたが、その背景に共産党への執拗な攻撃があったのです。

 何ゆえに今、共産党弾圧か。このことを私たちは軽視してはならないと思います。ずいぶん前のことですが、1950年から1978年まで京都で革新自治体の金字塔を立てた蜷川虎三さん(1897-1981)だったと思いますが、「共産党弾圧は戦争前夜だ」という言葉があります。まさにそのとおりだと思います。それは近代史が無言のうちに物語っています。あの苛烈な戦中の弾圧にあってもなお、日本共産党は「戦争反対」「天皇制反対」を唱えました。小林多喜二の虐殺はその犠牲でした。

 共産党は現在においても、憲法擁護や反戦を言い続けています。「国民本位の政治」を貫く努力を続けています。支配者にとって、目の上のたんこぶ的存在が共産党であるといっても過言ではないでしょう。その政党を弾圧するために、言論・表現の自由という基本的人権を投げ打って、ビラ配布を有罪としたのです。司法は自ら憲法を破ったのです。

 第2次世界大戦のとき、ヒットラーの行為について何もできなかったことを悔やんだ、ドイツの牧師・マルチン・ニーメラ(1892-1984)さんが以下のような詩を作っています。この短文は、私たちに大きな教訓として残っています。ぜひご一緒に考えてみましょう。

                              ◇=◇=◇
 共産党が弾圧された
 私は共産党員ではないので黙っていた
 社会党が弾圧された
 私は社会党員ではないので黙っていた
 組合や学校が閉鎖された
 私は不安だったが、関係ないので黙っていた
 教会が弾圧された
 私は牧師なので立ち上がった
 そのときはもう遅かった

 はじめに彼らはユダヤ人を逮捕した
 私はユダヤ人でないから黙っていた
 次に彼らはコミュニストを逮捕した
 私はコミュニストでないので、黙っていた
 それから彼らは労働組合員を逮捕したが
 私は労働組合員ではないので沈黙していた
 そして彼らは私を捕らえたが
 もう私のために声を上げてくれる人は一人も残っていなかった

★脈絡のないきょうの一行
中国の副主席と天皇の会見、政治利用だと思うが、安倍晋三サンには言われたくないね。
2009/12/11 [Fri] 11:31:12 » E d i t
 例示的に堀越事件をみてみましょう。国際的にみてもこの異常な法律をタテに、公安警察は堀越さんの監視をはじめました。それも尋常ではありませんでした。ビデオカメラを回し、ビラ配布で活動する堀越さんを盗撮したのです。そのビデオの多くはビラ配布とは関係ない、たとえば堀越さんが共産党事務所に出入りする様子などが撮られています。その一部は法廷で開示されましたが、22本分については開示されていません。

 弁護団はこのビデオの開示請求を、現在審理中の東京高裁におこないました。しかし裁判所は11月18日の公判で「訴訟を遅延させるのみが目的」として拒否、それを不服として弁護団は裁判官の忌避を申し立てました。この忌避申し立てに裁判所はその場で簡易却下しましましたが、この決定は承服できないと弁護団は中山隆夫裁判長ら3人の裁判官に対して、最高裁に特別抗告を申し立てています(現在審理中)。

 弁護団は、「今回の忌避は訴訟の遅延が目的ではなく、重大な争点となっている捜査の違法性、国公法と人事院規則で禁じている政治活動の違憲性を解明する上で、盗撮ビデオの取り調べは必要不可欠」であるがゆえである、と主張しています。同時にこれを取り調べないのは、公平な裁判を受ける権利の侵害(憲法37条)にも当たると指摘しています。

 「高裁よ、おまえもか」と言いたくなる対応です。ビデオは公安警察の違法な捜査を物語るものです。ビデオはしゃにむに堀越さんが国公法〝違反〟をしていることを立証しようとしており、それは同時に弁護団が指摘するように国公法が違憲であることを証明しているのです。その証拠を却下することは、実は裁判所が訴訟を遅延させていることにほかなりません。

 この堀越事件の背景に何があったでしょうか。すでにお気づきかと思いますが、事件が起こされた2004年当時は「消えた年金」などが社会問題化し、社保庁のあり方が問われはじめる頃でした。そのさまざまな議論のなかで社保庁の「民間化」が言われ始め、来年1月に「機構」が誕生することになったのです。社保庁職員であった堀越明男さんを逮捕・起訴したのは、その反対運動を押さえ込む役割も果していたといえます。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
平和のために武力行使もありうる、というオバマ演説。侵略者が言い続けてきたことの繰り返しだ。
2009/12/10 [Thu] 14:34:01 » E d i t
 葛飾ビラまき事件と同じような弾圧事件で、現在裁判所でたたかわれているものがあと2つあります。「国公法堀越事件」と「国公法世田谷事件」がそれです。

 堀越事件は、2004年、東京目黒の社会保険事務所に勤務していた堀越明男さんが、休日に自宅周辺の民家やマンションのポストに日本共産党のビラを配布したことが、国家公務員の政治活動を禁止している国家公務員法・人事院規則に違反するとして逮捕・起訴された事件。堀越さんは、この起訴が憲法で保障された言論表現の自由を抑圧するものであり、公安警察の違法な尾行・監視・盗撮によって仕立て上げられたと主張し、公訴棄却・無罪を要求して裁判で争ってきました。しかし東京地裁は2006年6月堀越さんを有罪とした不当な判決を下し、現在、東京高裁でたたかわれています。

 もう一つの世田谷事件は、2005年9月、当時厚生労働省の職員だった宇治橋眞一さんが東京・世田谷区の住宅の集合ポストに「しんぶん赤旗」号外を配布したことが、住居侵入罪にあたるとして逮捕。東京地検は住居侵入については不起訴にしたものの、国公法違反で起訴。2008年9月の東京地裁は罰金10万円の不当な判決を下しました。この事件も現在、東京高裁でたたかわれています。

 この2つの事件が葛飾事件と違うのは、住居侵入罪ではなく国家公務員法違反で起訴されていることです。日本の公務員は何故か、政治活動が認められていません。その公務員の政治活動を規制しているのは国家公務員法第102条第1項、同110条1項19号そして人事院規則14-7です。国公法102条は「職員は、政党又は政治的目的のために、寄付その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以ってするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない」としています。

 これを受ける形で人事院規則がつくられているのですが、実にこの規則、「適用の範囲」「政治目的の定義」「政治的行為の定義」とこと細かく定めています。そこまでやるかー、という感じですが、公務員に政治活動はやらせない、という思想がみなぎっています。いうまでもなく、この規定は思想・信条の自由と、言論・表現の自由をうたった憲法に違反しています。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
背番号17。素数。単なる沿線住民ファンだが埼玉西武ライオンズのルーキー、菊池雄星投手に期待。
2009/12/09 [Wed] 12:32:42 » E d i t
 ビラ配布弾圧に関する国公法問題に入る前に、前述の最高裁判決に対する弁護団の声明を以下、転載させていただきます。少し長いのですががまんしてください。

                            ◇=◇=◇
 1 葛飾ビラ配布弾圧事件(平成20年(あ)第13号)につき、2009年11月30日、最高裁判所第二小法廷(今井功裁判長)は、弁護人らの上告を棄却し、荒川氏に対し罰金5万円の刑罰を科した原判決を維持した。重要な憲法上の権利に関わる事件であるにもかかわらず大法廷に回付することなく、口頭弁論期日を一度も開かないまま上告を棄却したことに強く抗議する。

 2 本件は、2004年12月23日午後2時過ぎ、葛飾区内に居住する荒川氏が、7階建マンションのドアポストに日本共産党発行「都議会報告」や「葛飾区議団だより」・「区民アンケート」などを配布した事案である。このマンションのドアポストには商業ビラや政治ビラが日常的に投函されており、荒川氏の配布もこれらのポスティングと何ら変わることはなかった。

 3 こうしたビラ配布を有罪とした本判決は重大な問題をはらんでいる。
まず、住居侵入罪の適用を検討するにあたっては、ビラのポスティングをめぐるさまざまな事実を総合的に衡量して「正当な理由」もしくは「侵入」の成否を判断すべきところ、本判決にはこうした慎重な衡量や評価を行った形跡は微塵もない。
 また、本件は憲法上の人権である言論・表現の自由にかかわる事件であるが、本判決は、管理組合の管理権・私生活の平穏といった利益に絶対的価値を認めて、言論・表現の自由より優位においており、憲法上の人権を無視したものとなっている。
 さらに、荒川氏の逮捕・起訴後5年が経過しているが、現在も多数のビラが集合住宅にまかれている。それらのビラ配布行為に対する起訴事例は見あたらず、本件が、捜査機関による日本共産党に対するあからさまな政治的弾圧であったことが明らかとなっている。本判決により、最高裁判所は捜査機関の政治的弾圧に追認を与えたのであり、憲法の番人としての職責を放棄したものと言わざるを得ない。この判決によって、わが国の言論・表現の自由と民主主義は、崩壊の危機に迫られているといっても過言ではない。

 4 もっとも、本判決の適用範囲は、必ずしも明確ではない。
 本判決は、法益侵害の程度を検討するに際し、荒川氏が玄関内ドアを開けて7階から3階までの廊下部分に立ち入った事実を強調し、そのことから「法益侵害の程度が極めて軽微なものであったということはでき」ないとしている。本判決は法益侵害の程度が住居侵入罪の成否に影響することを示唆しており、集合ポストに対するビラ配布まで違法としたものとはいえない。

 5 国際人権規約委員会は、本事件を名指しして不当な逮捕・起訴と指弾しており、わが国の人権の後進性は国際社会でも問題化している。自由権規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)の選択議定書が批准されれば、荒川氏の正当性と本判決のはらむ問題は国際人権規約委員会において明らかにされるであろう。たたかいは決して終わっていない。
 言論・表現の自由を始めとする人権は、すべての人間に保障される前国家的な権利である。それは最高裁判所であっても奪うことのできない権利であり、本判決によって、言論・表現の自由の具体化であるビラ配布の自由が奪われてはならない。
 ここに葛飾ビラ配布弾圧事件弁護団は、これからも言論・表現の自由と民主主義を守るため、たたかい続けることを表明するものである。
                         2009年11月30日
                                        葛飾ビラ配布弾圧事件弁護団
                             ◇=◇=◇

 (次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
菅副総理と亀井金融・郵政相との口論、目くそと鼻くその喧嘩にみえるね、私には。
2009/12/08 [Tue] 11:24:18 » E d i t
 「個別の住民の許可を得れば、ドアポスト投函はOK。だから表現の自由の侵害にならない」というこの論理、はっきり言っちゃいますが、サルも笑いそうです。個別の住民の許可が得られるようであれば、ポスティングなどする必要はなく、直接、その住民と会話ができるではありませんか。住民の許可を得ることが問題ではなく、自由にビラを配布する権利が問題なのです。

 これはあくまでも想定ですが、この論理をよしとして個別の住民に許可を得るために訪ねたとしましょう。その場合、恐らくこの裁判官は「公選法違反」で有罪にするでしょう。そのくらいの非常識判決だと思うのです。

 この東京高裁の逆転判決に、メディアは一斉に反発しました。当然のことです。報道機関にとっても他人事ではありません。マンションに立ち入ることが犯罪だということになれば、自由な取材ができなくなります。新聞各社は社説で「ビラ配り有罪―常識を欠いた逆転判決」(朝日)、「権力の暴走こそ監視せよ」(神奈川)など批判の声をあげました。

 こういう理不尽な判決を受け入れるわけにはいないと、荒川庸生さんと弁護団は上告し、たたかいは最高裁の場に移りました。そして出されたのが、先月30日の判決でした。さすがに高裁の理解に苦しむ「住民の許可を得ればOK」という判断はなくなっていました。が、言論・表現の自由よりも結局は(ポスティングによって被害は何一つ起きていないにもかかわらず)住居侵入罪を重用して荒川さんを有罪としたのです。

 それゆえに私は、裁かれるべきは最高裁判所だった、と思うのです。この葛飾ビラまき弾圧事件は住居侵入罪か、言論・表現の自由かという問題が主論議でした。しかしもう一つ、国公法違反に問われた堀越事件と世田谷事件は、国公法そのものをめぐる議論もあります。それらについても考えてみたいと思います。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
結局、税収不足で国債発行に頼るという。事業仕分けは、そのためのアリバイだったんだー。
2009/12/07 [Mon] 15:58:00 » E d i t
 裁かれるべきは最高裁だった――。11月30日、葛飾ビラまき弾圧事件について最高裁は上告を棄却し、罰金5万円の有罪判決を言い渡しました。これはひどい。憲法擁護義務を負う判事が、言論・表現の自由という基本的人権を投げ捨て、白昼堂々と憲法違反を行ったのです。人は時折、間違いを起こします。しかし、この誤りだけは絶対に許されない歴史的汚点となりました。

 この事件のおさらいをしてみましょう。当事者となったのは荒川庸生さん。

 2004年12月23日午後2時過ぎ、荒川さんは東京都葛飾区でオートロックでないマンションの共用スペースに入って、ドアポストにビラを配布していました。それを見た住民が110番通報し、亀有警察の警察官が駆けつけ荒川さんを逮捕。お正月をはさんで23日間も勾留のうえ、起訴したのです。配布していたのは、日本共産党の「葛飾区議団だより」「東京都議団ニュース」「区民アンケート」とその「返信用封筒」の4種類。

 検察の起訴理由は住居侵入罪。ビラ配布は住民の生活を脅かす行為である、というのです。これに対して2006年8月28日、東京地裁は無罪判決を出しました。その判決は「居住者とコンタクトを取る機会が事実上失われるのは不当」とした上で、集合ポストへのビラ配布はいかなる場合も合法であるという当たり前の内容でした。さらに、ビラをドアポストへ投函することは「刑事処罰の対象となるような社会通念は確立していない」と明確な判断を示したのです。

 この判決は、今で言う「国民目線」からは当然過ぎるものでした。メディアも「ビラはお金や組織を持たない人にとって、自分の主張を世間に訴える大切な表現方法である」(東京新聞)。「表現の自由は基本的人権の中でも民主主義社会を支える根幹であり、最大限に尊重されねばならない」(毎日新聞)――などと報道しました。同時に、警察・検察による強引な捜査を批判しました。

 こうした世論を無視して東京地検は控訴したのです。東京高裁は、07年12月11日一審判決をくつがえして罰金5万円の有罪判決を出しました。この判決は最初に結論ありき、というものでした。そのために無茶苦茶な理屈を並べています。「個別の住民の許諾を得た上で、そのドアポストにビラを投函するために本件マンションに立ち入ることは禁止されておらず……住民の情報受領権や知る権利を不当に侵害しているわけでもない」と。すなわち、個別の住民の許諾があればビラのドアポストへの投函はOKであるから、言論表現の自由を侵害していないと言うのです。驚くべき非常識でした。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
子ども手当捻出に扶養控除廃止? 何のための事業仕分けだったのか。
2009/12/04 [Fri] 10:11:14 » E d i t
 発表された毎日・共同の提携のなかに、今後のテーマとして①共同通信社との航空取材の連携②紙面制作システムや印刷委託、新聞販売網の効率化など――があげられています。航空取材は飛行機を両社別々に2機飛ばすより、1機の方が環境にも優しいし経費削減にもなります。これはよしとしましょう。ただし、少ない数ですがここでも人減らしという問題が生じることを忘れてはなりません。

 紙面制作システムや印刷委託は「母屋」を取られぬ程度であればいいかもしれません。しかし、印刷委託については地方紙へのそれを想定しているのでしょうが、分散印刷・別会社化で転籍を余儀なくされた毎日新聞社員がたくさんいる(た)ことを忘れては困ります。その人たちの仕事がなくなるような事態は許されません。

 そしてもう一つの販売網の問題です。「効率化」をうたっていますが、具体的には地方紙の販売店に毎日新聞を扱ってもらう、ということでしょう。これは首都圏をはじめすでに行われていることです。しかも競走相手の読売や東京の販売店への委託が多々、見られます。私が住んでいるところは、毎日の専売店がつぶれて産経の店に委託されています。

 他紙系統に委託した結果、毎日新聞の部数はどう変化したでしょうか。具体的なデータがありませんので分析のしようがないのですが、「増えた」ということは考えにくいのが、この業界の常です。たとえば、読売の店が委託された毎日を増やすということは、まずありえません。そうしてみると、つまるところこの政策は、販売経費の削減を目的としたものと断定できるでしょう。結果、部数がジリ貧になることは明らかです。

 毎日新聞社内は現在、編集も営業も全ての部門で「経費削減」が強められているといいます。人件費も例外ではなく、年末一時金の回答は50万円を切りました。その現実を見る限り、今回の毎日・共同の提携はやはりこの項の冒頭に述べました「背水の陣」すなわち、経費削減を命題とした生き残るための方策、としか思えないのです。あなたはいかがお考えでしょうか。

★脈絡のないきょうの一行
普天間基地移設問題の結論、越年へ。強引に決められるよりまだましか。
2009/12/03 [Thu] 10:12:22 » E d i t
 今度の毎日・共同による提携のメリットは何でしょうか。まず毎日新聞側を考えてみましょう。これは分かりやすい。地方の事件や動きを共同通信と共同加盟社の配信を受けてカバーし、地方機関の人員をさらに減らして人件費を削減できる、というものです。これはある意味〝一挙両得〟かもしれません。一方の共同通信側はどうでしょうか。共同は記事配信を主な収入源としていますが、紙媒体を持っていません。かねてから共同内に「紙媒体を確保したい」ということがささやかれていました。それが今回の提携で、毎日新聞を通じて間接的に実現する形になります。

 メリット論はそれとして、考えなければならない大事な問題は、この毎日・共同の提携によってジャーナリズムがどう活性化されるかという点です。率直に申し上げて、私には見えてきません。この提携の発表の場で朝比奈豊毎日新聞社社長は「これからの時代の新聞は、記事の正確さはもとより、深い内容、解説力がこれまで以上に要求される」と強調し「『脱発表ジャーナリズム』が(新聞の)進むべき道」(11月27日・毎日新聞)と言っています。

 「脱発表ジャーナリズム」は耳障り良く聞こえます。「深い内容と解説力」も方向としては申し分ありません。問題はこの提携によってそれが額面どおり保障されるかどうかです。毎日新聞社というこの企業の体質からして、前述した人減らしは容赦なくすすめられることでしょう。新聞は人がつくるものです。新聞社の最大の財産の一つは人です。その「人」が減らされれば、脱発表ジャーナリズムも、深い内容と解説力も、日常の取材に追われてできなくなることは目に見えています。
 
 同日づけの毎日紙面で春原昭彦上智大名誉教授は、毎日・共同の提携に対して「地方分権が進めばより一層、地方権力の監視は重要になる。今回の包括的な提携の内容が毎日と共同、地方紙との合同での調査報道にまで広がってほしい」と期待を寄せています。確かに宮崎、大阪、千葉、東京を例に出すまでもなく、地方権力の監視はますます重要になると思います。調査報道もしかりです。問題はこの提携によってそれらの強化につながるかどうかです。もし人減らしが行われれば〝ない物ねだり〟にとどまらず、絵に描いたモチになりかねません。

 結果として残ったのは、人減らしだけだったということになってしまうのではないか、という懸念は払拭できません。そしてもう一つ、この毎日・共同の包括的提携の行き着く先に、「ひさしを貸して、母屋を取られる」があるのでは、という危惧感も捨て切れません。これらは過ぎたるもの、でしょうか。

 次回は前出の「新聞販売網の効率化」問題を考えてみます。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
やはりねー。母親だもん、邦夫ちゃんにもあげるよねー。
2009/12/02 [Wed] 10:27:28 » E d i t
 先月26日に毎日新聞社、共同通信社、共同通信加盟社による「包括提携」が発表されました。その内容の柱は、①毎日新聞社が各県を拠点とする共同加盟社の一部から地方版記事の配信の協力を受ける②毎日新聞社が来年4月1日に共同通信社に加盟する――というものです。

 この動き、突然のようですが以前からくすぶっていたものです。とりわけ地方の取材体制が他の全国紙の朝日、読売と比べて弱い毎日は、その補強のためにも必要だという考え方がありました。しかしその一方で、共同通信の配信記事を利用するとなれば、毎日新聞の全国紙としての体制が崩れるのではないか、という意見もありました。

 新聞社間の提携といえば、2007年10月1日に発表された朝日、日経、読売のそれがあります。この提携(週刊ダイヤモンドがスクープ。各社の頭文字を取ってANY/エニー構想と呼ばれている)は、3社が①インターネット分野での共同事業②販売事業分野での業務提携③災害時の新聞発行の相互援助――を展開することを中心としています。

 このANY構想と今回の毎日・共同(便宜的にこういう言い方をします)の提携は、中身において少々違います。ANYは「ネット時代」に対応するための対策と、販売分野および災害時の危機管理を主としているのに対し、今回の場合は新聞記事そのものの扱いを主たる目標にしています。とはいえ、今回の提携の一つに今後のテーマとして『新聞販売網の効率化』があげられていることは、注目しておく必要があります。

 今回の毎日・共同の提携は、ANY構想への対抗策のように見えますが、私には毎日新聞社の背水の陣に思えて仕方がありません。ご承知のように新聞業界は、経済状況を反映して広告収入が激減し、経営的に厳しいものがあります。なかでも毎日新聞はぜい弱な経営基盤にあって、他社のそれよりもより厳しくなっています。経営不振は、今年の夏と年末一時金回答に反映し、社員の生活を圧迫しつつあります。個人的には、毎日新聞の経営者は業務提携よりも社員の生活向上に力を注げ、といいたいところです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
JOCの選手強化策27億円削減など、思いやり予算を少し移せば簡単に捻出できる!