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ヘボやんの独り言
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10292 争議支援を!② 
2009/09/15 [Tue] 10:04:32 » E d i t
 新国立劇場のたたかいは、労働者性を争っていますが、労働委員会の決定が裁判所によって覆されたことに私は憤りを感じます。確かに、裁判を起こす(受ける)権利は、法人であっても個人であっても保障されています。しかし、労働委員会で労働者側の主張が認められたものが裁判で覆されるのは、どうしても納得できません。

 もともと労働委員会は「労働者救済」の機関です。従って、使用者側から救済の申し立てはできない仕組みになっています。ここに労働委員会の特徴があるのです。その労働委員会が審議し、労働者の訴えにもとづいて救済したものを裁判所が覆すということは、「救済機関」としての労働委員会の役割を否定されたことにほかなりません。「裁判所よ、おまえは何様だ」といいたい気分です。

 そこで私は無理を承知で、以下のようなことを考えています。

 労働委員会は「二審性」ですが、中労委で労働者救済の命令が出たら、事業主はこれに従い裁判を提起できないという拘束力を付議すべきではないかということです。逆に、労働者が負けた場合は、「救済」が実現できない訳ですから、裁判所に訴えができるという規定は成り立つと思います。

 言い換えましょう。労働委員会で労働者救済の命令が出たら、事業主はそれを不服として裁判に訴えることはできない。しかし、労働者の主張が却下された場合は、裁判に訴えることができるという規定をつくり、労働委員会が本来の労働者救済期間として(使用者側に対する)権限を強めるべきだと思うのです。そのためには法的整備が必要になるでしょう。解雇制限法など労働者保護規定をつくり、使用者側への規制をもっと強める必要もあるでしょう。

 こういうことを考える論拠に、命令を書く場合のスタンスの問題があります。ご承知かと思いますが、労働委員会は三者委員で構成され、命令はそのなかの公益委員(ちなみに三者委員とは、公益委員、労働者側委員、使用者側委員のことをいう)が担当することになります。この公益委員が命令を書く際に「裁判に耐えられるか」ということが機軸になっているといいます。つまり、その事案が不当労働行為であるかどうか、ということより命令が裁判に耐えられるかどうかを考えて命令を書く傾向が強い、というのです。もしそうだとしたら、「労働者救済機関」が泣きます。

 新国立劇場の解雇撤回闘争は、こんなことを考えさせられています。がんばれ、八重樫節子さん。(次回につづく)

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