ヘボやんの独り言
07« 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 31.»09
10283 平成維新 
2009/08/31 [Mon] 10:50:54 » E d i t
生活破壊政治への国民の怒りが爆発した
国民をなめきった 自公両党への天罰が下った
メディアによる「政権選択選挙」という後押しもあったものの
自公政権への〝怒りの破壊力〟は掛け値なしにすごかった
そのすごさに あの人たちは気づいているのだろうか

日本国民は大きな変化を選択した
そのことは 外国通信社の報道に如実に表れている
大切なことは 国民の思いに民主党がどう向き合い
マニフェストを誠実に どう実行するかである
急ぐべきは 医療・年金・介護問題である
なかでも後期高齢者医療制度は 即廃止だ

今回の結果を 平成維新と命名しよう
明治維新は封建制度の打破へ 為政者らが中心になったものだった
それと比べて今回は 国民の手によって土台から覆したのである
同じ維新でも その意味するところは格段の差異がある
くらしに直結した政治を 土台によって変えることができる
そのことを学んだ日本国民の力は 捨てたものではない
この国の民主主義が 少しだけ前に進んだ

共産党と社民党が 現状維持を果たし健闘した
小選挙区制度は小政党には不利で 選挙の度に小さくなり
二大政党に飲み込まれ いつかは消滅するという宿命を持っている
それに歯止めをかけた国民の投票行動は おおいに評価していい
その側面からも この国の民主主義が 少しだけ前に進んだ

とりあえず自公政権と決別したことに 安堵する
しかし私は 民主党政権になったからと 安住はしない
これまでと質は違うかもしれないが もしかするとこれからが
本当のたたかいなのかもしれない
相手が誰であろうと
国民いじめ 弱いものいじめとのたたかいは 休むわけにはいかない

★脈絡のないきょうの一行
選挙区惨敗の公明党。小選挙区制度の〝法則〟は、党を選ばなかった。
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2009/08/28 [Fri] 10:29:15 » E d i t
 いよいよあさって30日、総選挙で審判が下されます。中曽根元首相発言の『戦後政治の総決算』が目前というところでしょうか。総決算されるのが自民党であるところに、歴史の皮肉を感じます。

 その状況下で、あいかわらず多くのメディアは民主党優勢を伝えています。そのことに対して、一昨日の毎日新聞の「記者の目」欄で、論説副委員長の倉重篤郎さんは少しだけ警鐘を鳴らし、世論調査予測の独り歩きを心配していました。これは識見というものでしょう。その上で氏は、選挙後のことに言及しマニフェストをもとにした「10年後を見据えた課題の設定」を提起しています。

 そのなかの日米関係の対等化について言及した部分は私も同感で、そのことに触れたいと思います。倉重氏は「外交・安全保障は米国に委ね自らは経済発展に専心する、という吉田茂元首相の路線は高度経済成長という世界に例のない成功体験を生み出したが、国家としての自主性を著しく劣化させたのも事実である」としながら、バランスのよい見直しを提起しています。

 具体的には「在日米軍基地の扱いと日本の外交力強化」をあげ「核の傘から普天間移転まで現在進行形の難題も山積するが『緊密なる対等化』というキーコンセプトは正しい」と述べています。片務契約的な日米安保条約は廃棄すべきだ、というのが私の主張ですが、同じ軸上でアメリカとの交流はおおいにすすめるべきだ、とも考えています。それは、倉重氏のいう「緊密なる対等化」によって保障されるものです。

 国と国の関係は、対等でなければならないのは歴史が教えるとおりです。ところがこの国の政治は、特に自民党はアメリカ追従の外交をすすめてきました。それは戦後一貫してつづけられ、そのことによって沖縄県民は塗炭の苦しみを押し付けられてきたのです。「米国追従外交」は思いやり予算に代表されるように、血税さえも投入しています。

 その桎梏から解き放たれるには、とりあえず自民党政権を終わらせることです。その上で新しい政権が、「緊密なる対等化」でアメリカと対峙できるかどうか、外交政策の試金石の一つでもあります。これもしっかり監視したいものです。

★脈絡のないきょうの一行
8月18日現在で非正規雇用労働者の失職者は23万2448人に。これこそが選挙の争点だ。
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10281 一抹の不安 
2009/08/27 [Thu] 10:04:08 » E d i t
 総選挙の結果、民主党が政権を担うようになったときのことを考えると、ある問題について私の中に一抹の不安がつきまとっています。それは、社会保険庁の年金問題のとき、公務員労働者のなかに「民主党が叩き、自民党が処分する」という言葉がはやったことに由来しています。この一言、いい得て妙だと思ったものです。以降、農水省内組合のヤミ専従問題など、国会で民主党が追及し、自民党がそれを受けて処分するという図式は、ずっと続きました。民主党と自民党の出来レースではないかと思ったことさえあります。

 官僚主導政治との決別は私も賛成です。実績主義で、融通が利かず、紋切り型的思考による行政はうんざりです。本来、行政は国民がより豊かに暮らすための潤滑油の役割を果たすべきものです。それは残念ながら自民党政権のもとではなし得ず、真逆の〝強きを助け、弱きをくじく〟ことでしかありませんでした。民主党はそこにメスを入れよういう訳でしょうからそれは大いに歓迎です。

 しかし問題は、「官僚政治からの脱却」の方針はいいのですが、それが公務員いじめと公務員減らしに直結するのではないかという恐れがあることです。その典型が社保庁職員の身の振り方です。ご承知のように来年1月に「日本年金機構」が設立され、社会保険庁は解体されることになります。その際、現在の社保庁職員全員が採用されればいいのですが、今年5月の同機構設立委員会の発表によれば、28人が不採用となり1119人が保留となっているのです。

 これは大変な問題で、最悪の場合は国鉄の分割民営化のときに1047名が解雇されたときの二の舞になる恐れがあります。この問題の一番の解決策は、日本年金機構の設置を凍結することですが難しい側面もあるようです。本題から少し逸れましたが、民主党政権が誕生したあと公務員への攻撃が強まるとしたら、それは断じて許すわけにはいきません。

 「民主党が叩く……」―というこの構図は、霞ヶ関に働く労働者には今でもトラウマとして残っており、今度の総選挙では世論調査に表れた国民の意識と違って、民主党政権への危機感が強まっているといいます。この現実、あなたはどう見ますか。

★脈絡のないきょうの一行
民主党の「国家戦略局」構想。趣旨はいいがネーミングに創造力が欠ける。
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10280 私の政権構想 
2009/08/26 [Wed] 10:35:38 » E d i t
 小泉元首相の「自民党をぶっ壊す」という言葉が、間もなく現実のものとなりそうです。自民党は選挙結果責任のなすりあいで、分裂もあるかもしれません。民主党にすり寄るヤカラも出てくるかもしれません。特に、「これまで所属してきた党すべてがなくなった」あの女性議員などが。この党内抗争も楽しみです。ヤクザとどこが違うか、しっかり見定めたいものです。

 それはそれとして、私の政権構想を披露したいと思い立ちました。私の構想は世論調査結果のそれとは違い、自民・公明両党が衆議院の55%程度を確保し政権を維持、参議院は現状のように与野党逆転状態が望ましい、というものです。さらに、国会のご意見番としての日本共産党には、予算を伴う議案提案権の50人は無理としても、せめて伴わない提案権に必要な20人はほしいところです。

 なぜ自公政権維持か。一つは、民主党が政権を取ったらまたもや「大連合」が浮上するのではないかと思うからです。ジャーナリストを気取ったどこかの新聞社のおエラさんが言い出しっぺでしたが、自民党崩壊とともにこの大連合構想がゾンビのごとく蘇る可能性があります。もしも大連合が現実化したら、この国は間違いなくいつか来た道に戻ります。

 二つ目は、民主党政権下で出されるさまざまな法案に自民党は修正を加えるものの、危ない法案がスイスイと通過してしまうのではないかという懸念です。たとえば消費税。民主党は「4年は上げない」といっていますが、それ以降は上げる、ということと同義語です。そのとき自民党は尻尾を振って賛成することになるでしょう。さらに、衆議院比例部分の定数削減問題があります。これも自民党は賛成する可能性があります。そのほか、民主党と自民党には似通った政策があり、不安材料には事欠きません。

 自公政権のままの方がいいという三つめは、民主党が試されることになるからです。この4年間、重要対決法案について参議院で否決しても衆議院で与党が3分の2を占めていたことから再議決という方法で成立してきました。最近では海賊法がそれですが、昨年の9月24日以降、麻生内閣になってからは10法案が再議決で成立しています。

 ところが、政権与党が55%程度だと再議決はできません。海賊対策法などのように対決法案が否決されてしまうことになります。この間の国会で、民主党は再議決を見越して参議院でいくつかの法案を否決したと思われる節があります。たとえば昨年のテロ特措法についてみれば、国会会期末まで徹底抗戦をすれば成立を遅らせたり、あるいは政局を動かすこともできたはずです。ところが民主党はそれをやらずに再議決で成立を許しました。

 衆議院で再議決ができない状態になったとき、民主党がどう対応するか。私流に言わせていただけば、この党はもがき苦しむことになるのではないでしょうか。それは政権を担う力を試されることにもなります。その意味において、とりあえず55%の議席占有率による、現政権の維持が望ましいのではと考えるのですが、あなたはいかがでしょうか。

★脈絡のないきょうの一行
夏の甲子園決勝戦。勝った方の選手に涙、負けた方はニコニコ。うん、いい試合だったね。

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2009/08/24 [Mon] 10:20:52 » E d i t
 どこの誰が言い出しっぺか分かりませんが、多くのメディアは今度の総選挙を「政権選択選挙」と表現しています。私はこの言い方、最初は当たり前のことのようになんとなく聞き流していたのですが、最近、ちょい気になり始めました。なぜならすべての総選挙はもともと政権を決めるものであって、今回に限らず政権を選択する選挙だからです。

 その当たり前のことをあえて言い出し、ことさら強調するメディアの意図はどこにあるのでしょうか。

 この際だからはっきり言いましょう。自民党と民主党の政権交代を意図している、と断言できます。言い方を変えましょう。このネーミングは(とりあえずは良いことですが)自民党にとっては、かなり不利です。少なくない人々の中には、各党の政策に目を向けるのではなく、政権をどうするかという単純な選択を迫られているように思えるからです。

 4年前を思い起こしてみましょう。全てのメディアは「郵政選挙」と声高に叫び、郵政の民営化に賛成か反対かを(国民に)迫りました。結果はご承知のとおりですが、力を得た小泉構造改革は郵政の民営化だけにとどまらず、国民生活全ての分野に広がり、「生活破壊」政治が強行されました。

 新聞をはじめとした各メディアの総選挙の予測が出揃いました。「民主党300議席を超えるか」というのがほとんどです。4年前の「自民党300議席に迫る勢い」という見出しと違うのは、主語だけです。いま国民全体に「政権選択」というバイアス、いや、催眠的暗示がかかっています。そのなかでの調査結果は、この間の自民党の悪政を見れば自ずと決まってしまいます。

 民主党が政権を奪取するのはほぼ間違いないでしょう。問題はその後、です。同党は改憲を言っていますし、衆議院の比例部分を減らすことを公約にかかげています。憲法と民主主義の土台にかかわるはずの、この問題について論じるメディアはとんと見かけません。選挙はやはりいつの時代でも、政策で論争し国民に信を仰ぐべきです。そのための役割をメディアは果たすべきです。

 今度の日曜日、政権が代わることになるでしょう。それ以降、メディアが本来持っていなければならない「反権力」の精神を、新政権に対して貫けるか、今から監視していきたいものです。

★脈絡のないきょうの一行
派遣切りなどで住居をなくした人は、この選挙で投票できない(宇都宮健児弁護士)。これはひどい。
2009/08/21 [Fri] 10:40:08 » E d i t
 1997年5月2日・金曜日。午前3時に車で家を飛び出し、関越道に乗りました。平日ですが、GWの最中で車が込み合うだろうと考えたからです。その目論見はうまくいき、途中のサービスエリアで朝食を取り、沼田ICから一気にこの山の登山口であり、尾瀬沼の入口の一つでもある鳩待峠に進みました。峠の駐車場で一眠りして動き出しです。

 鳩待峠(はとまちとうげ)。いい名前です。情緒があるだけでなく、平和のシンボルのハトを思い浮かべます。鳩待峠からの山道はスタートから雪道でした。2年前の6月に会津駒ケ岳の残雪を踏んだときを彷彿とさせます。油断をすると踏み跡を見逃しそうになり、慎重に歩きます。所々に赤い目印のテープが枝にしばりつけてあり、それを見つけるとコースが間違っていない、と、ほっとします。

 雪解けの早い木の根元で雪の深さが分かります。1メートルはあったでしょうか。とはいえ、暖かさもあり雪の表面は柔らかく、持参したアイゼンを使うことはありませんでした。高度を稼ぎ、小至仏山を巻いて歩くときはちょっと怖い思いをしました。急斜面に積もった雪が、雪崩を起こすのではないかと心配になったからです。

 しかも前に歩いた人のものでしょう、トラバース(ふみ跡)がついています。雪が溶けはじめるこの時期、踏み跡を境に雪崩が起きるということを聞いたことがあります。その部分を歩くときは、下山のときもそうでしたが足早になってしまいます。実にこころと身体が一体となって動いていました。

 至仏山の頂上にはスキーをかついだ人も含めて4、5人が休んでいました。天気は良く、遠くまで見渡せます。北側には平ヶ岳がドンと鎮座し、その先には雪で真っ白になった越後駒ケ岳が早く来てくれと手招きし、東側には見間違うことのない相耳峰の燧ケ岳がそびえ、その左手遠くに会津駒ケ岳がうっすらと姿を見せています。西側には巻機(まきはた)山、南には武尊(ほたか)山の山塊が存在を誇示しています。日光白根山と皇海山(すかいさん)が連なっています。そのパノラマは見飽きることがなく、深田久弥が至仏山を百名山の一つに選んだ理由に納得して、下山しました。

*徒歩総時間/3時間50分
鳩待峠(6:10)-小山沢田代(7:25)-至仏山(8:35  9:05)-小山沢田代(9:55)-鳩待峠(10:35)

★脈絡のないきょうの一行
ボルト、陸上100㍍と200㍍で世界新。人間の限界への挑戦は、やはり、感動である。

2009/08/19 [Wed] 10:09:22 » E d i t
 登山家の山野井泰史さんが、ヒマラヤへ向けて出発しました。パートナーの妙子さんも一緒ですが、今回は7500メートル峰に単独で登るといいます。2002年10月にギャチュンカンで遭難して手足の指10本を失ってから、初めての本格的な挑戦です。どうしてそこまでやるのか、彼の宿命なのかと考えていたら、彼のブログ「山野井通信」8月13日付けに下記のように記してありました。その凄まじいまでの山へのこだわりは、凡人の私たちの理解をはるかに越えています(一部転載をお許しいただきたいと思います)。

                    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 予定は2ヶ月間。ネパールでトレッキングし5000メートル台の順応、その後、陸路でチベットに入り、目標の7500メートルの山を単独で狙うつもりです。

 時々部屋の中で一人これから向かう目標の山を想像しています。雪煙がたなびく稜線、怪しげなセラック、そして光り輝く氷壁を……。

 期待と恐怖に胸が締め付けられそうになりますが、いつもどおり冷静に山と身体のコンディションを見極め、自分の能力を最大限に発揮し山を登ることを楽しもうと誓う自分がベースキャンプにいることも想像できています。

 それにしても飽きることない登攀意欲に自分自身感心してしまいますが、登っていない限り生きてゆけないのは、ずいぶん昔から気がついているので諦めてもいます。それでは……のんびり遊んできます。

                    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 彼らしい、飾りのない淡々とした文章です。昔、「柔道一直線」というコミックがありました。彼の場合は「山一直線」です。その彼が成田を出発する前に、「NPO法人自立サポートセンターもやい」に活動資金を寄付しました。昨年9月、クマに襲われたとき仲間たちからいただいた見舞金が余り、それを充てたものです。

 この寄付に関して私も少しだけお手伝いしましたが、余った見舞金を派遣切りなどで苦しむ人たちに使ってほしい、というその発想に驚きました。今度のヒマラヤ遠征に使えばいいではないか、と思うのですが、彼のポリシーがそうさせないのです。やはりこの男、根っから心優しいスポーツマンなのです。2ヵ月後、元気に帰ってくることを願っています。

★脈絡のないきょうの一行
非正規雇用47万人減、正社員29万人減。それでもGDPがプラスになる不思議、どう見るか。
2009/08/18 [Tue] 09:55:24 » E d i t
 2日目は朝から雨が降っていました。5月という時節柄、雨はさほど冷たくはなく、ポンチョをかぶって意を決してスタートです。途中、雪で滑って何回か転びながら前進しているうちに、三平下の標識を見落としてまっすぐ進んでしまい、長蔵小屋まで歩いていました。自分自身に情けなくなり、引き返して大清水方面へ再挑戦です。

 途中、かなり多くの人と出会いました。傘をさしている人、ポンチョをかぶっている人、雨具で完全武装している人などさまざまです。なかには普段着スタイルで「ミズバショウを見に行く」というカップルもいました。大清水に着いてみると、観光バスが駐車場いっぱいに並んでいました。マイカーも負けずと多く、〝ミズバショウ効果〟に改めて脱帽でした。

            ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

  ■三平峠に建つ「群馬県尾瀬憲章」の立て看板から■ 

 尾瀬は、自然の偉大な恵みによって生まれた自然の厳しゅくな法則のもとにすぐれた原始的景観を保ってきた。
 高層湿原をいだく美しい自然は、ここに育成する動植物とともにきわめて高い学術的価値を有している。
 この貴重な尾瀬の自然は、祖先から受け継いだとうとい共有の遺産であって、これを国民の宝として大切に保護し、後世に伝えることはわれわれの責務である。
 ここにわれわれは尾瀬の自然の美しさを愛し、そのとうとさをいっそう深く認識し厳正な保護と秩序ある利用のもとに、国民の願いをこめて尾瀬の自然を守ることを誓う。
 一、尾瀬を訪れる人は その自然を愛そう
 一、尾瀬に接する人は その利用に責任を持とう
 一、尾瀬を尊ぶ人は その景観を破かいから守ろう
 一、尾瀬に親しむ人は その豊な恵みに感謝しよう
 一、尾瀬に誇りをもつ人は その美しさを後世に伝えよう
 尾瀬を後世に伝えることは、県民あげての願いである。
                 昭和47年5月11日   群馬県

*徒歩総時間/1日目・7時間55分、2日目・5時間
1日目・大清水(4:55)-三平峠(7:00 7:20)-長蔵小屋(7:50 8:00)-休憩(8:20 8:40)-昼食休憩(10:30 11:15)-燧ケ岳・俎(12:00)-柴安(12:20)-第2長蔵小屋(14:25)泊
2日目・第2長蔵小屋(7:20)-長蔵小屋(10:20 10:30)-大清水(12:30)

★脈絡のないきょうの一行
第45回衆議院選挙が公示された。自民党よ、公明党よ、クビを洗って待っておけ。

2009/08/17 [Mon] 10:44:36 » E d i t
 俎(まないたぐら)には強風にもかかわらず、5、6人が休憩していました。燧ケ岳はここよりもう一つ先の柴安(しばやすぐら)のほうが高く、こちらがピークです。俎に長居は無用と前進です。柴安へは雪で覆われた急斜面を登らざるをえず、「ここで雪崩が起きたらヤバイ」などと考えながら、恐る恐る、一歩一歩雪を踏みしめて登りました。

 山頂に出たとたん、目の前が開けて至仏山が飛び込んできました。その様は、尾瀬沼を前景にしてみごとです。頂に立った者だけが味わえる特典の瞬間です。こういう景色を見ることをできることが、山に〝憑かれる〟理由の一つだといえそうです。

 柴安からこの日に泊まる第2長蔵小屋へ下る途中、踏み跡を見失ってしまい少々、焦りました。長英新道と違い目印もなく分かりづらい道で、20分ほどうろついてしまいました。単独登山だったこともあり、真剣です。やっとのことで分岐を見つけ正式なルートに乗ることができました。天気がよかったらいいものの、吹雪いていたら危ないところだったかもしれません。

 第2長蔵小屋に着いて、尾瀬ヶ原に出てみると雪の一かけらもありませんでした。小屋の従業員によると40、50年ぶりの少雪だといいます。確かに前年の同じ日に、反対側の至仏山からみた尾瀬ヶ原は、一面、雪に覆われていました。夜も1400メートルの高地にもかかわらず、寒さをさほど感じませんでした。これらも地球温暖化の影響かと、心配がよぎったものです。(次回につづく)

 ※普段あまり目にしない「」という文字を調べてみました。広辞苑には見当たりませんでしたが、『漢語林』(大修館書店)には「嵒と同字」として、「ガン、ゲン、①いわお②けわしい」と記していました。この字、ほかの山でもしばしば見かけますが、岩でできており、険しいという意味で使われているようです。

★脈絡のないきょうの一行
GDPが15ヶ月ぶりにプラス。年度換算で3.7%だという(内閣府)。実感なく、怪しい。

2009/08/14 [Fri] 10:07:29 » E d i t
 百名山の報告です。この山は98年5月2、3日にかけて歩きました。残雪に悪戦苦闘し、数え切れないほど雪の中に転び、柴安(しばやすぐら)から尾瀬ヶ原の小屋に向う途中、雪のなかで踏み跡を見失ない〝彷徨〟してしまう一幕もありました。2日目は雨に打たれて全身びしょ濡れになり、おまけに分岐の標識を見落とし余分に歩いてしまったり……そんな、ちょっぴりスリルまじりの山行でした。

 1日の第69回メーデーから帰ってくるなり、家の中で仮眠です。いうまでもなく、夜中出発に備えるためです。午後11時過ぎに目が覚めて自宅をスタート。関越道を走り沼田ICから尾瀬沼の登山口・大清水に着いたのが午前2時過ぎ。駐車場に車を止めて車内でもう一眠りし、明け方とともにスタートです。

 大清水の土産物屋の手前の湿地帯には、ミズバショウが満開状態になっていました。それを横目に林道を詰め、第一関門の三平峠をめざします。途中から雪道に変わり、サクサクと音を立てながら歩きます。三平下のロッジに出ると目の前に尾瀬沼が出現しましたが、ガスが立ち込め燧ケ岳を臨むことはかないませんでした。さらに前進し、長蔵小屋の手前でミズバショウが咲いているのに出合いましたが、大清水で見たそれと比べるとかなり小さい。気温の差によるものでしょう。

 沼の北側に回り込み、長英新道で燧ケ岳へのルートに乗りました。雪で覆われた樹林帯は道を間違いやすく、木に赤いペンキが塗ってあるのを見落とさないよう慎重に歩きます。樹林帯を抜けると、右手に会津駒ケ岳が現われ、左手を見下ろすと尾瀬沼の様子が手に取る位置にあります。爽快感を味わいながら、雪が途切れた燧ケ岳の相耳峰の一つ俎(まないたぐら)を見上げる場所で昼食を済ませて、改めて山頂をめざします。ところが、稜線に出たとたん、強風となりうっかりすると吹き飛ばされそうです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
連続する地震、水害は地球の人類に対する、環境破壊への警告ではなかろうか。
2009/08/09 [Sun] 08:18:41 » E d i t
 東京地裁で8月3日から始まった初の裁判員制度による裁判の判決が、6日に言い渡されました。4日間の審理を経て出された判決は、懲役15年でした。専門家によれば、この種の殺人事件の判例は、懲役12年から15年程度といわれており、順当といえばそうでしょう。

 この4日間の動きを見てきましたが、釈然としないものが残りました。一つは、メディアの取り上げ方です。NHKは「同時進行 裁判員裁判」として特集的に取り上げ、この4日間、特設スタジオも準備したようです。動きを逐一伝え、新聞も、裁判員の発言などを一問一答にまとめるなどしていましたが、「そこまでやるのか」と不快感さえ覚えました。裁判員制度導入後、初めてのこととは言えメディアがはしゃぎ過ぎた、の観は免れませんでした。

 二つ目は、懲役15年を決めるに当たって尋問の時間が実質3日間で良かったのか、という問題です。任命された裁判員がその事件について熟知しておれば別ですが、素人です。3日間のやりとりだけで判断を下すことが出来るのか、疑問です。弁護人も対策を練るには、時間が少なすぎるのではないでしょうか。結果的に、検察側主導の判決になってしまったと言えます。

 三つめは、「三審制」の意義が貫徹されるだろうかという疑問です。地裁で懲役15年が言い渡されたわけですが、二審でも三審でもこの判決が維持されるのではないか、という危ぐを禁じ得ません。今回は懲役刑でしたが今後、死刑判決が出た場合「裁判員の判断が入っているから」とそのまま維持されることはないでしょうか。

 四つ目は、被害者や被害者家族のプライバシー問題です。これまではメディアはほとんど取り上げませんでしたが、裁判員制度になったことで、弁護側の主張も公表せざるを得ませんでした。弁護側の主張には、被害者やその家族にも落ち度があったのではないか、というものが含まれ、それは結果としてプライバシーが暴かれることになります。

 五つ目は、今回は有罪を前提にしたものでしたが、被告が行為を否定している場合はどうなるでしょうか。「そういう事件は裁判員には扱わせない」ということもあるようですが、だとしたらそれもまた、問題だと思います。調書の段階で是認しても、裁判になったら否認することがあるかも知れません。その場合の対策は考えられているのでしょうか。

 裁判終了後、裁判員の顔がテレビに映し出されました。これはいいのだろうかなど、まだまだ疑問はありますが小ブログで以前、指摘した問題が浮上したように思えてなりません。ご意見お聞かせください。

※夏休みに入りますので、しばしお休みさせていただきます。

★脈絡のないきょうの一行
酒井法子の出頭で芸能界の覚せい剤汚染を指摘する人も。徹底的に洗い出すべし。
2009/08/08 [Sat] 17:36:15 » E d i t
 もし途中に小屋があったら、こんなに大量の遭難死が出ることはなかったのではないか、という点は衆目の一致するところでしょう。北海道は総体的に小屋の数が少ないのが現状です。今回の事件のコースで考えてみますと、ヒサゴ沼小屋から最短距離の登山口まで7時間20分となります(東大雪荘までは8時間25分)。しかもこのコースは3合目あたりまで樹木はなく、強風には厳しいものがあります。

 7時間20分程度はたいしたことはないと考えがちですが、北アルプスなどでは4、5時間歩けば、次の小屋に到達できるほど沢山あり、それと比べると少ないことがお分かりでしょう。前出の、北海道山岳ガイド協会の会長は「寒さをしのぐテントは必要だが、避難小屋があれば全員助かったかもしれない。風雨を避けて体を温めれば、低体温症も回復が可能」(十勝毎日)と語っています。事故があった地元の新得町も、道に対して小屋の新設を要望していました(同)。

 新しい小屋をつくることは、遭難を防ぐために必要なことですが、登山客が増え、新たな環境問題が発生する可能性もあります。いわゆるオーバーユース(過剰利用)問題です。その意味において山小屋建設には慎重さが要求されますが、遭難防止の視点もぜひ入れてほしいものです。

 そういえば、この事件でケイタイ電話が通じたという前トム平には、私がこの山に登った05年7月13日には、可憐なコマクサが群生していました。そしてトムラウシ分岐あたりには、エゾイチゲが一面に咲き誇り、真っ白な花びらが光り輝いていました。この遭難で亡くなった8人の方々はいま、それらのお花畑で遊んでいることでしょう。合掌。

★脈絡のないきょうの一行
酒井法子、一転、犯罪容疑者に。しかも弟が同じ容疑で逮捕されていた。どうなっている芸能界。

2009/08/07 [Fri] 10:14:04 » E d i t
 今回のような遭難を防ぐには、防寒対策が何より重要です。山は夏であっても寒い、という認識を持っておくことが大切です。標高が1000メートル上がれば、気温が6度下がることは知られているとおりです。それに強風が加われば、体感温度はもっと低下します。

 その対策で大事なことの一つは、インナーウェアです。最近ではいい繊維ができており、発汗性と防寒性が備わったものも出回っています。普通のそれより少々高くなりますが、これは必需品だと思います。私はカミさんによく冷やかされます。「あなたは山の衣類はしっかりしたいいものを持っているけど、普段のものはいい加減ね」と。このくらいのこだわりを持ちたいものです。

 トムラウシ山の遭難事件が起きて、1週間ほどあとだったでしょうか、たまたまテレビを見ていましたらあのときの当事者の女性が出ていました。その女性は山中がいかに寒かったかを説明しながら、それをしのぐために持っていたタオルに穴を開けて頭からすっぽりかぶり、寒さをしのいだと語っていました。これはとっさの機転とはいえ、すごいことです。タオルは単なる汗拭きだけでなく、防寒具にも早変わりします。たった1枚のタオルが身を守ることもあるのです。

 さらに大事なことは夏山であっても、小さなものでもいいから上に着るダウンなどの防寒着を持ち歩くことです。これは3000メートル級の山小屋に泊まったときなど、威力を発揮します。雨具の選定も大事です。価格は少々高くなりますがゴアテックス製は、通風性にすぐれているだけでなく、防寒性も持っており山歩きの頻度が高い人は、必需品でしょう。

 遭難防止には、防寒対策とともにもう一つ、避難小屋の建設問題があります。つぎにこの問題を考えてみたいと思います。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
原爆症認定のたたかい、国が19連敗でやっと解決の目途がついた。だが64年は長すぎる。
2009/08/06 [Thu] 10:38:08 » E d i t
 きょうはヒロシマに原爆が落とされて64回目のその日です。「同じ過ちを繰り返さない」その思いは、米・ロの核弾頭削減合意によって少し前にすすみましたが、人類の悲願として運動は広げなくてはなりません。改めて、犠牲者のみなさんのご冥福をお祈りいたします。

 今回のトムラウシ山遭難で、ツアー参加者の体力に問題があったのではないかという報道もありました。このコースは確かに健脚向きです。それもあるせいでしょう、ツアー会社は、募集に際して山に慣れており「健脚」であることを、参加の条件にしていました。次にこの体力問題をみてみましょう。

 昭文社発行の登山用地図によりますと、一行の予定コースの所要時間は(旭岳ロープウェイを使ったとして)1日目・ちょうど6時間、2日目・7時間35分となっています。集団ですから、これに2割ほど加えて計画するのが常です。長丁場にもかかわらず、一行は2日目のヒサゴ沼小屋までは順調に歩いており、体調に異変をきたした人はいなかったように見受けられます。だとしたら、必ずしもツアー客の体力の問題ではなさそうです。

 体力ではなかったとしたら、原因はどこにあったのでしょうか。それは暴風雨のなかの低体温にあったと思われます。「18日に行われた司法解剖の結果、8人全員の死因は凍死であったことが判明した」「道警は8人のアンダーウェアやカッパ、帽子などの着衣を捜査資料として保管。18日午後、登山用具などの遺留品が遺族に返された」(十勝毎日)。

 原因はこの報道に尽きるように思います。恐らく亡くなった人たちの多くは、防寒対策が弱かったのではないでしょうか。そこに生と死の明暗があったように思えてなりません。冬ではなおさらですが、強風時の体感温度は極端に下がります。体温が低下すると動きが鈍くなり、判断力も低下します。八甲田山で1902年(明治35年)1月に日本陸軍の冬季訓練中に199人が凍死した事件はあまりに有名ですが、これも低体温が原因でした。(次回につづく)

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環境NGO10団体が、高速道路無料化撤廃を各党に要請。気持ちは分かるが、杞憂では?
2009/08/05 [Wed] 10:04:55 » E d i t
 一行の2度目のバラけは、最初の2人を残してから間もなくのことでした。別の女性が動けなくなり、ここで5人がビバークすることを決め、残る11人が下山を続けることになります。この判断もやむを得なかったと思います。この時点で問題になるとすれば、テントが小さかったことでしょう。結果的にはここにビバークした女性2人が亡くなっています。

 5人を残して、ガイドを含む11人は下山を開始します。ところが「隊列はやがて分裂していく」(毎日新聞)ことになります。先頭を歩くガイドのペースが速すぎたという証言もあるといいます(同)。これに対してツアー会社の社長は「ガイドは先に下りて救助を求め、再び山に入って助けようとしたのではないか」(十勝毎日)と語っていますが、真偽のほどは分かりません。

 11人はばらばらになり、最終的にはガイドと2人の客だけとなり、ケイタイ電話の通じる5合目・前トム平まで進みます。「午後3時55分にガイドが道警に救助要請。最初の体調不良者が出てから約5時間半も経過していた」(毎日新聞)のです。

 ビバークした人を残して進んだ11人のうち、4人が亡くなっています。後付論になる可能性もあるのですが、もし、11人全員が一緒に動いていたら犠牲者が増えている可能性もあります。その意味において、何がなんでもパーティーは離れてはいけない、という考え方に、私は組みすることはできません。状況判断で、パーティーを分けることもありうるというのが私の持論でもあります。

 もう35年ほど前になりますが、谷川岳に最初に登ったときにそれを経験しました。上野駅発の一番列車に乗って、男女8人で土合駅に降り、西黒尾根で山頂に向かいました。パーティーのなかで私が一番年上で、事実上のリーダーでした。途中の岩場で、怖くなって動きが遅れる女性がでました。そのとき私は、このまま8人で進むのは危険、と判断し4人ずつの2隊に分けました。

 これは正解でした。もちろん私は後ろの隊に入り、ゆっくり前進です。結局、谷川岳の肩の小屋に着いたのは、午後8時少し前でした。今ではこの小屋は無人ですが、当時は小屋番もいて「8時になったら救助隊を要請するところだった」と聞かされ、平謝りしたものです。怖い経験ですが、「何がなんでも一体」という考えは道理に合わない場合もあると思うのですが、いかがでしょうか。(次回につづく)

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「票で撃て派遣年寄失業者」――きょうの毎日新聞の川柳の一句。座布団5枚!
2009/08/04 [Tue] 09:59:10 » E d i t
 7年前の02年7月11日から13日にかけて、このトムラウシ山で2人が遭難死する事件が起きています。実はこのとき、私(たち)は羅臼岳に登る計画で、10日に知床半島の「ホテル地の涯」に泊まっていました。しかし、28年ぶりに7月の台風が北海道に上陸し、早朝から暴風雨となり登山を断念せざるを得ませんでした。ところが、遠くトムラウシ山にはその台風をついて登った人たちがいたのです(この事件の詳細は、山と渓谷社刊「ドキュメント気象遭難」羽根田治・著に出ています。興味のある方はぜひご覧ください)。

 私たちの場合は個人登山ですから、予定は自由に変えられます。もしあの時、無理して羅臼岳に登っておれば私たちが遭難した可能性は否定できません。このように、個人登山であれば変更は自由ですが、ツアー登山はそうできない問題をはらんでいるのです。今回、一行が強行しなければならなかった理由の一つに、この「スケジュール管理」問題があると思います。

 今回のトムラウシ山遭難の報道で、山岳ガイドや登山家が登場しいろいろな意見を述べていました。大量遭難死につながった理由の一つに、参加者がバラバラになったことをあげ、「パーティーは一緒に動かなければならない」と言った人がいました。率直に言って、この発言、私には疑問です。一行は午前10時半ころに動けなくなった女性を前に、北沼付近に1時間半ほど留まっていますが、その女性とガイド1人を残して他は動き出しました。この人はこれを批判しているようです。

 女性1人が動けなくなった時点で小屋に戻る、という判断もあったでしょう。しかし、「すでに険しい岩場などの難所を通過し、引き返すのは無理だった」と北海道山岳ガイド協会の川越昭夫会長が推測しています(十勝毎日)が、そのとおりだったのではないでしょうか。まずここで2人と16人に分かれるわけですが、この判断はやむを得なかったと思います。もしこのままの状態でここに全員がビバークする事態になっておれば、犠牲者はもっと増えたかもしれません。

 問題は1時間半もこの場所に停留したことです。そのときの状況がどうであったか、詳細は分かりませんが動けなくなった女性を励ますなどしていたのでしょう。「ツアー客は『救助要請して』『じっとしてはいけない』などと訴えた」(毎日新聞)といいますが、その間に登山者全員の体温が下がっていったであろうことは、想像に難くありません。1時間半もの間、動かなかったことは疑問の残るところです。(次回につづく)

脈絡のないきょうの一行
熊本の原爆症認定訴訟第2陣、全員勝訴で国は19連敗。それでも抵抗するこの国、ヘンだ。
2009/08/03 [Mon] 10:10:29 » E d i t
 ビバーク組み5人を残したあと11人は、ばらばらになりながらも、午後11時50分・2人が自力下山。日付を越えて、17日午前0時55分・2人が自力下山。3時55分・自衛隊など捜索を開始、ヘリも出動。4時35分・1人が自力下山。5時10分・ヘリで1人救出。6時50分・救助隊が北沼付近で3人救出。10時45分・1人救出――ということになります。

 以上、時間を追って、救出された人の動きだけを中心に整理してみました。こうしてみると、風雨のなかで自力下山した5人以外の13人が、山中で一晩を過ごしたことになります。そのうち助かったのは5人ですが、これは驚異です。もっと犠牲者が増えていても不思議ではありません。

 亡くなった人は最初に残った2人、ビバークした5人のうちの2人、下山を始めた11人のうちの4人(トムラウシ分岐付近1、南沼キャンプ指定地付近1、前トム平付近2)の、合計8人となりました。

 「出発時は暴風雨。雨は横なぐりに降り、強風で立っていられないほどだった」(十勝毎日)と、静岡のパーティーの1人が話しています。まず、第一のつまずきはそういう天候状況の中で、スタートした、いや、せざるを得なかったことです。「午後から天気が回復するから大丈夫」と一行のガイドが語り、予定より30分遅れてスタートしたといいます(毎日新聞)。

 ここからは推測に過ぎませんが、小屋から動きだした理由で、天候回復の〝見込み〟だけではなく、ツアー登山の宿命ともいえる「スケジュール管理」の問題があったと思います。今回のツアー客は関西方面からの参加者が多かったようですが、安い飛行機を利用するには、往復ともに決まった便に乗らなくてはなりません。行動予定時間が狂うということは、それができなくなり参加費用にも影響するのです。それが無理な行動を誘発する原因にもなっている可能性があります。(次回につづく)

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マニフェストで、自民党と民主党で一致するものがもう一つあった。時期は違うが消費税増税だ。
2009/08/02 [Sun] 14:49:24 » E d i t
 7月14日に入山した一行は、旭岳に登りその日は白雲岳避難小屋に、前日の15日はヒサゴ沼避難小屋に泊まっています。このコースの小屋はこの2ヶ所と、その途中で少しルートを外れた忠別岳避難小屋の3ヶ所しかありません。したがって、ヒサゴ沼小屋を出たら、東大雪荘まで建物はありません。

 この季節、北海道は登山シーズンでツアーの客だけしか山小屋には泊まっていなかったのか、と疑問に思っていましたが、やはりいました。静岡県から来た6人のパーティーです。この人たちは、一行とほぼ同じ時間に小屋を出発し途中で15人を追い越しています。 一行を追い越した静岡のパーティーは「ツアーの後ろを歩いたが時間がかかると思い、頂上手前で、休憩していたツアーを追い越した。(下山して)東大雪荘に到着し、遭難を知りびっくりした」(十勝毎日)と語っています。

 この話しは、かなり厳しい風雨であったものの、〝歩けない〟状態ではなかったことを物語っています。それは予定より4時間遅れとはいえ、このパーティーが無事に下山したことで証明されています。

 ここで、遭難に到った経過を時系列でまとめてみましょう。16日午前5時半頃、一行はヒサゴ沼避難小屋を出発します。5時にスタート予定だったそうですが、天気の様子を見るために30分ずらしたといいます。10時半頃、北沼付近で一人の女性が動けなくなり、全員が1時間半にわたってその場に停留。このときに前出の静岡のパーティーは追い越したのかもしれません。

 正午頃、その女性と61歳ガイドの2人を残して、他の16人は出発。動き出した直後に女性の1人が意識を失い動きが取れなくなり、その人を含めて女性3人、男性1人と32歳ガイドの計5人がビバークすることを決定。残る11人は38歳ガイドを先頭に出発。間もなく、ばらばらに。午後3時55分、38歳ガイドと2人が5合目の前トム平まで下山し、やっとつながったケイタイで救助を要請、事態が明るみに出ました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
マニフェストに、自民党と民主党で一致するものがある。9条改定だ。あれっ!?
2009/08/01 [Sat] 12:37:43 » E d i t
 きょうから8月に突入。年齢が高くなれば、時の流れを早く感じる(これは理論的に証明されています)といいますが、そのとおりのようです。暑さに負けず、お身体ご自愛を。この季節、登山は本格化しますがそれを迎えるにあたって、遭難問題を考えたいと思います。

 7月16日、北海道トムラウシ山において9人が遭難死するという痛ましい事故が起きました(同じ山域の美瑛岳でも2人死亡)。このうち8人は同じ登山ツアー客でした。この山、すでに小ブログの「百名山」でも紹介していますように、私は登ったことがあり〝土地勘〟はあるつもりです。強風のなか、あの山容ではビバークする場所もなく厳しいものがあったであろうことは想像できます。

 この報道に接して私が直感したのは「冬の装備、とりわけインナーウェアの防寒対策をきちんとしていなかったのではないか」ということでした。この直感はその後の報道を検証してみると、間違っていなかったようです。防寒対策の有無が生死を分けた、と断言できそうです。この防寒対策の問題は後述するとして、事件のおさらいをしてみましょう。

 事件が起きた地元の新聞「十勝毎日」が、かなり詳しくこれを報道しています。そのウェブと、毎日新聞が7月23日付の紙面で特集を組み、ドキュメントでまとめていますが、それも参考にさせてもらいながら考えてみたいと思います。東京のメディアは「北海道トムラウシ山で8人死亡」を見出しにしていましたが、実はもう1人、茨城県の単独登山者(64歳男性)が亡くなっています。この人は一旦外して、ツアー参加者の動きなどを中心にみていきたいと思います。

 ツアー客15人とガイド3人の18人のグループでした。このなかの8人が亡くなったわけですから、大惨事です。一行は2泊3日の予定で、大雪山の主峰・旭岳に登り、白雲岳とヒサゴ沼にそれぞれ1泊、トムラウシ山に登り南下して国民宿舎・東大雪荘まで歩く予定でした。このコースは距離もあり、アップ・ダウンもあり、文字通り健脚向きです。私は4年前の同じ時期、05年7月11日にこの東大雪荘に泊まり、翌日、トムラウシ山をピストンで登頂しています。このときはまだ雪が残っていました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
有効求人倍率、悪化。〝景気底打ち〟に疑問。それとも企業が経済状況を奇禍として採用自粛か?