ヘボやんの独り言
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2009/05/29 [Fri] 10:31:15 » E d i t
 このコーナー、前回で終わるつもりでしたが、「このブログに書かれた裁判員制度の問題点を整理してほしい」「政治改革が小選挙区制だったとすれば、この裁判員制度は何を目的としていると思うのか聞かせてほしい」という連絡を受けました。ご指摘のとおり以下、整理してみます。

 裁判員制度の疑問・問題点は、①日本の民主主義的土壌は、裁判員制度を導入するまでに成熟しているとは思えない②判事(裁判官)の任官のあり方を変えるのが先③「判検一体化」問題を解決し、法曹三者(判事、検事、弁護士)の人事交流をもっと積極的に行うべき④裁判員の取り扱う範囲が広がり、国民がえん罪の片棒をかつがされる恐れがある⑤一審にだけにしか裁判員がかかわらないのは、三審制度のもとでは不十分⑥裁判員は刑事事件だけでなく、民事や行政訴訟にもかかわるべき⑦殺人現場の写真を見せられた場合など、裁判員のメンタル問題についての配慮がない⑧守秘義務は撤廃すべし――ということになります。

 ①は民度の問題、②と③はこの制度を導入する前に解決すべき問題、④は一般刑事事件も取り扱うことになったら危険な面が出てくるのではないかという問題、⑤以下は、現行制度の不十分さ――を考えてみました。参考にしていただければさいわいです。

 次にこの裁判員制度の行き着く先は何か、という点ですが、私は「警察国家」の到来を危惧しています。裁判員という一時的な身分を通じて、「法律を守る」ことを思想化させ、警察や検察にモノ言えぬ状況を作りだす。刑事事件にだけしかかかわらせないのは、そのための教育を意図しているからではないかと、疑っています。

 教育改革は日の丸・君が代の強制であり、構造改革は大量の貧困を生み出す格差社会づくりだったし、行政改革は公務員の削減だった、と同じように「司法改革=裁判員制度は、警察国家づくりだった」とならぬよう、監視を強めたいものです。

★脈絡のないきょうの一行
GM、破産へカウントダウン。102社あるという日本のGM部品を製造している企業が心配だ。
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2009/05/27 [Wed] 15:41:35 » E d i t
 裁判員制度賛成者でも、守秘義務の問題について批判的な人は少なくありません。国民に開かれた司法をめざすというのであれば、裁判の進行中はともかく終了後の守秘義務は撤廃すべきです。

 現在の制度によれば、裁判員は自らかかわった裁判について終生の守秘義務を負わされることになっています。これはどんな角度から見ても変です。重要な裁判であればあるほど、国民の関心は高まります。その裁判の結果にいたった経過について、知る権利もあります。守秘義務はそれらにふたをすることであり、今までの裁判のやり方と大差ありません。重ねて言いますが、撤廃すべきです。

 以上、少々長くなりましたが裁判員制度の問題について書いてきました。長いあいだのおつきあい、ありがとうございました。この問題については、とりあえず、ここで筆を置かせていただきます。

 が、実はもうすでに国民参加の裁判が行われてきていることにお気づきでしょうか。そうです、「労働審判」がそれです。かたちは違いますが、これも一種の裁判員制度です。最高裁は司法改革の一環として、この労働審判制度を位置づけています。

 この制度、2006年4月からスタートしていますから、もう4年目に突入しています。少しだけこの制度を復習してみますと、労働者側、使用者側の審判員各一人と裁判官で構成し、申し立てられた事項について、3回の審問で結審し判断を示す、というものです。

 そのスピードがいいという声があがっていますが、一方で労働委員会への救済申し立てが減る、という現象が起きています。昨今の経済情勢を反映して、労働審判への申請件数が増え、都市部で対応できなくなる事態も生まれており、現在500人のところを来年4月からは100人増やす動きとなっています。

 この労働審判制度、さまざまな意見があります。「個別紛争を解決するにはいいが、組合の組織化にはつながらない」「結局のところ、この制度は弁護士を儲けさせているのではないか」「3回だけの審問では、事件の内容・本質が分かりにくい」などがそれです。この問題、別のところで考えてみたいと思います。

脈絡のないきょうの一行
明日、原爆症認定集団訴訟の東京高裁判決。生きているうちに全員救済を。
2009/05/26 [Tue] 09:57:54 » E d i t
 殺害現場のその写真は、凄惨きわまるものでした。いろいろな角度から撮影されたそれは、映画に出てくるそれよりも生々しいもので目を背けたくなりました。裁判員制度が適用されるのは、「死刑もしくは無期の禁錮」に限られるわけですから、当然、殺人事件を扱うことになります。

 ということは、裁判員は殺害現場の写真を見せられることになります。最近では、ビデオ映像も使用するという動きもあります。これでもか、これでもか、という感じで殺害現場を見せられた裁判員はどうなるでしょうか。言い換えれば(好きな人は別でしょうが)、ホラー映画を強制的に見せられることと同じなのです。

 判事や検事、弁護士は司法修習の段階でこの種の問題について一定の訓練を受けています。たとえば私の弁護士の友人の一人は、修習の一つとして死体解剖に立ち会ったことがあると話していました。ところが、裁判員になる一般国民はそういう訓練を受けていません。いきなり凄惨な殺人現場の写真を見せられたら、有罪かどうかのまともな判断を損なうばかりか、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症する恐れもあります。

 さらに、仮にその人がかかわった裁判で死刑が決まったとして、「自分のせいで死刑になった」と自虐に追い込まれる人が出てこないとも限りません。このようにいま進められている裁判員制度は、裁判員になる人のメンタル問題に配慮しているとは思えません。オーバーな言い方を許していただければ、裁判員の人権が無視されることになるのではないでしょうか。

 そしてもう一つの問題は、守秘義務です。量刑的にはこれに違反した場合、「6ヶ月未満の懲役、あるいは50万円以下の罰金」ということになっています。これもおかしな問題です。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
この国、よほど孤立化が好きらしい。しかも今度は全人類の敵ともいえる、核兵器で。
2009/05/25 [Mon] 10:29:27 » E d i t
 重大事件だけに裁判員の参加を絞ったという理由は、件数が大きくなり国民負担が増えるから、としていますが、これはそれなりに理解できます。しかし、前回述べたように一般刑事事件にも広がる恐れは否定できません。裁判員制度導入の次の疑問は、なぜ刑事事件、しかも一審だけに参加が限られているのか。なぜ民事事件や行政訴訟に裁判員はかかわらないのか、という点です。

 この疑問についていろいろ調べてみましたが、回答らしきものを見つけることはできませんでした。まず裁判員が一審だけしか参加しないという問題ですが、「三審制」を旨とするこの国の司法にあって不十分ではないでしょうか。判決が二審、三審で逆転することもあり、高裁で差し戻し、ということもあります。国民が参加した「一審重視」ということも考えられますが、そうなれば三審制の意義がうすめられてしまうではありませんか。一審だけにしか国民が参加しない、というのは釈然としません。

 裁判員がかかわるのは刑事事件だけ、というのも変です。民事などは利益がからむから、ということなのかもしれませんが、司法制度は「刑事」と「民事」そして「行政訴訟」と(それ以外に「少年審判」や「簡易裁判」などもありますが)基本的には大きく3分野あります。そのなかの刑事事件だけに裁判員が参加するというのは、どうしても府に落ちません。「司法改革」というのであれば、刑事事件以外にも扱う分野を広げるべきではないでしょうか。

 そして最後の疑問は、裁判員に起用された人の精神的負担と守秘義務の問題です。

 メディアはほとんど触れていませんが、裁判員になった人の精神的負荷についてどれだけ考慮されているのか、まったく見えません。私は一度だけ、殺人現場の写真を見たことがあります。あるえん罪事件で、子どもを殺された親が、殺したとされる子どもたちの親を相手に、民事で損害賠償請求を行いました。えん罪である以上、その責を負う必要はないだろうと、支援にたちあがったのです。そのなかで、書証として出てきた殺害現場の写真を目にしたのです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
結局、モンゴル人対モンゴル人の優勝争い。相撲はどこの国の国技だったっけ?
2009/05/22 [Fri] 14:29:19 » E d i t
 葛飾ビラまき事件は、住居侵入罪をめぐる刑事問題だけでなく、言論・表現の自由という基本的人権問題もはらんでいます。自分の支持する政党の議会報告をポスティングすることは、自由であるべきです。一審では無罪になったものの、二審はこの問題には目もくれずに、有罪としたのです。

 この事件が裁判員制度に持ち込まれたらどうなるでしょうか。公訴自体が不当であること、マンションの共用スペースが「住居」といえ、そこに入ることが「侵入罪」に抵触するのか、ということが論点になります。その点では裁判員の中でかなりの議論になることは想像できます。

 しかし、もう一方の言論・表現の自由にかかわる議論が十分になされるでしょうか。私ははっきり言って、期待できません。「12人の怒れる男たち」という映画や芝居をご覧になったことがありますか。あの中の一人の陪審員が、「野球を見たいから早く終わらせよう」と有罪を主張する場面があります。これと同じように葛飾ビラまき事件の場合、「他人のマンションに無断で入ったのだから有罪」という単純な結論が出てしまうのではないかと、私は恐怖すら覚えるのです。

 導入された裁判員制度は、重罪を対象としているから心配はいらない、という声が聞こえてきますが、その場合においても同じようなことが起きる危険性は高いと思うのです。(先に書いたことと重複しますが)たとえば、あの和歌山・毒入りカレー事件です。動機も分からなければ物証もなく、ただ状況証拠だけで結局、最高裁で死刑が確定しました。

 この事件、メディアが〝後押し〟した観は拭えません。あの容疑者は怪しい、という報道が溢れました。そのような洪水のなかで、「疑わしきは被告人の利益に」という原則を何の訓練も受けていない裁判員が貫けるでしょうか。これも「ないものねだり」に思えて仕方がないのです。そしてそれは、結果としてえん罪の片棒を国民が担(かつ)がされる結果になってしまう恐れを持っているといえます。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
特別給付金が振り込まれていた。くれるなら、もらってやるけど入れないよ(毎日新聞川柳)。
2009/05/21 [Thu] 12:43:09 » E d i t
 いよいよきょうから裁判員制度がスタートしました。しっかり見守りたいものです。

 昨日の続きです。あの国公法ビラまき事件が裁判員制度にも取り込まれたらどうなるか。おそらく有罪になると思うのです。「国家公務員が政党活動をしてはいけない」という思想は、私たちが考える以上に国民には〝浸透〟しているようです。検察は国公法をタテに有罪を主張してきます。そのとき裁判員は「国公法が間違っている」と主張できるでしょうか。

 この国の民度を考えたとき、はっきりいって無理だと私は思います。裁判員の中に一人でも「国公法が間違っている」という意見の人がいて議論されたにしても、それは表に出してはいけないシステムになっており、闇に葬られることになります。裁判員には厳しい守秘義務が課せられており、それを破った場合は刑事訴追を受けることになります。これはもう、「国民」という名を借りた密室裁判です。

 もう一つ、有罪になったとき恐ろしいと思うのは、裁判員制度によって国民のフィルターを通して、国公法が間違っていない、というお墨付きを取ってしまうことです。誤った判断が当然のこととして普遍化してしまう危険性を持っています。

 葛飾ビラまき事件は、住居侵入罪で起訴されました。マンションの共用通路のポストに立ち入ったことで、住居侵入罪を適用してきたのです。マンションの共用通路は住居とはいえず、「侵入罪」を適用するには無理があり、これはもうビラ配布を非合法化するための、意図的な公訴としか思えません。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
滋賀県で4月から県労働委員会の労働者側委員に、はじめて非連合で一人が任命。変化だ。
2009/05/20 [Wed] 13:49:44 » E d i t
 明日、21日から導入の裁判員制度による取り扱い事件は、前回述べましたように「死刑または無期の懲役・禁錮に当たる罪に関する事件」に限られています。しかしこれは、間違いなく拡大されると思うのです。なぜならこれまで私たちが経験してきた各種政策は、前回のこのコーナーで例示しましたように無言のうちにそれを物語っているからです。ではそれが拡大された場合、どういう事態を招くことになるのでしょうか。

 一つだけ14日の③で述べました「ビラ配布」問題について、例をあげてみましょう。休日の自分の時間を使って、自分の支持する政党の政策ビラを配布しただけで逮捕され、国公法違反に問われている堀越事件。マンションで自分の支持する政党の議会報告の機関紙を配布しただけで、住居侵入罪で逮捕され裁判を余儀なくされている葛飾ビラまき・荒川事件。堀越事件は地裁で有罪となり高裁で係争をつづけ、荒川事件は地裁では無罪となったものの、高裁で逆転有罪となり最高裁にあがっています。

 これらの判決は、前述した裁判官の純粋培養的法知識による〝世間知らず〟が招いたものだと思います。もしこれが裁判員制度のなかでも扱われたらどうなるでしょうか。少なくない人が「無罪になるのではないか」と答えました。残念ながら私にはそうは思えないのです。

 堀越事件は、国家公務員の政治活動を国公法によって制限していることから起きています。公務員であっても、支持する政党があって当然ですし、その政党の宣伝をすることは言論・表現の自由のはずです。それを許さない国家公務員法の政治活動制限条項は、憲法違反です。「言論・表現の自由、思想・信条の自由」と「国公法」のどちらを優先させるのか。本来、裁判所はそういう問題にも言及すべきだと思うのですが、裁判員制度でこれらが扱われるようになったら、どうなるでしょうか。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
滋賀県の長浜キャノンに期間工労組が結成。反撃はつづく。
2009/05/19 [Tue] 11:03:58 » E d i t
 次の問題は、裁判員が取り扱う事件の範囲が広がるのではないかという恐れです。現行では裁判員が取り扱う事件は、「死刑または無期の懲役・禁錮に当たる罪に関する事件」に限るということになっています。この国の為政者は、一つの出来事を拡大してきたという〝実績〟があり、今回の裁判員制度も同じことを繰り返すのではないかという懸念を拭えません。

 たとえば、高速道路の要所に設置されたテレビカメラです。これは交通状況の調査のためであって、犯罪の取り締まりなどには使わないと警察は明言してきました。ところが、あのオウム事件で一変しました。上九一色村のサティアンなるものに通う容疑者を、高速道路のカメラが捕らえ捜査に利用しました。以降、あのカメラは犯罪捜査になくてはならない存在となっています。

 日の丸・君が代問題も同じです。文部省や地方自治体は「強制はしない」といい続けてきました。ところが強制するだけでなくそれに従わない人には、処分さえしてきたではありませんか。高校の教師たちを中心にした「日の丸・君が代処分撤回裁判」がそれです。内心の自由という、人が人として生きていく上での心のよりどころに冷水、いや泥水をかけたのです。

 「政治改革」もそうでした。企業献金が汚職・腐敗政治の元凶であることから、それをなくすために政党助成金を導入したはずです。結果は、小選挙区制だけが残り、企業献金は大手を振って歩いており、民主党小沢一郎前党首のような事態を招いています。ことほど左様にこの国の政治はごまかしをやってきたのです。

 今回の裁判員制度も例外ではない、私はそう踏んでいます。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
最近、交通情報に「人身事故」がやたらに多い。世相の反映だろう。
2009/05/18 [Mon] 11:33:58 » E d i t
 先にやるべき問題の第2は、判事と検事の人事交流はあるものの、弁護士と判事のそれがほとんどないことを改善すべきではないかということです。これは前回、判事の任官条件として「労働者5年以上の経験」などを、と述べたことと共通するものがありますが、重要なことだと思うのです。

 判事と検事の人事交流は「判検一体化」問題として批判の声があります。つまり、刑事裁判において、裁判官は検事寄りの考え方を自然に持ってしまうということです。それゆえに、刑事裁判は検察官主導になるとも言われています。最近知ったことですが戦前は、判事と検察官が法廷で一緒にならんでいたそうです。これを現代に当てはめてみると、座る場所は別でも精神的には同じようなものなのかもしれません。

 この「判検一体化」が刑事裁判において、自白偏重や取り調べのときの調書を重視した〝調書裁判〟と揶揄(やゆ)される原因となっています。そしてそれがえん罪を産み出す土壌になっていることも知られているとおりです。えん罪を防ぐために裁判員制度を導入した、という声が聞こえてきそうですが、「改革」を言うのであれば「判検一体化」問題の解決を先に行うべきなのではないでしょうか。

 その解決方法の一つが法曹三者(判事、検察官、弁護士)の人事交流だと思うのです。たとえば、「判事の割合は弁護士経験者の3割以上にする」などの規定を設けることも一案ではないでしょうか。そのとき弁護士が判事になれば収入が減る、という問題が浮上するでしょう。それは知恵でいくらでも解決できることだと思います。全ての弁護士を擁護する訳ではりませんが、「弁護士あがりの判事」など素敵ではありませんか。「赤ひげ判事」が誕生するかもしれません。

 司法改革を言うのであれば、現在、問題のあるこういうことに手をつけるべきです。そのうえで、裁判員制度の議論があるのであれば、私にとっては許容範囲となります。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
水際作戦で「退治」したはずのウィルス、巷で動き出している。あの騒ぎは何だったのか。
2009/05/15 [Fri] 10:17:50 » E d i t
 問題の二番目は、「司法改革」というのであれば先にやるべきことがあるのではないか、という点ですが、その一つが裁判官=判事の任官のあり方についてです。

 「どうしてこんな判決が」と疑いたくなるようなものがマスコミを賑わすことが多々あります。よく言えば浮世離れした、悪く言えば非常識な判決をよく耳にします。とくに、労働裁判においてそれは顕著です。何故、そういうことが起きるのか。原因ははっきりしています。これも誤解を恐れずに申し上げれば、判事があまりにも世間知らずだからだと思うのです

 多くの場合、判事は司法修習が終わってすぐに任官します。そのほとんど、いや全てといってもいいほど「労働」の経験がありません。したがって判決を下す場合の判断基準は、純粋培養的に「学問」としての法知識に拠ることになります。労働裁判の場合、使用者と労働者の争いです。その意味ではナマものと同じです。生きているものに、法的知識だけで判断するのは無理があり、ゆえに信じられないような判決が出てくるのです。

 弁護士と検事にもその問題は当てはまるのではないか、という指摘があります。確かに労働者の経験のない弁護士もたくさんいます。しかし弁護士は、仕事柄(役柄ともいえますが)、依頼人すなわち世間との接点があり、浮世離れのしようがありません。逆に浮世離れしたのでは、依頼人の利益は守れないからです。検事は刑事事件のみにしかかかわらない訳ですから、ある意味、前述の法律知識で対応することは許容範囲だと思います。

 判事の「世間知らず」を解決する方法は一つしかありません。判事になるためには、たとえば「一般労働者の経験が5年以上必要」などの規定をつくることです。その問題意識からでしょうか、判事が一定期間、国家公務員の仕事に就く、ということをやっているそうですが、それでは不十分のように思います。民間企業のなかで成果主義の何たるかを経験すれば、職場のチームワークの大事さを経験すれば、労働者の苦悩を知れば、赤提灯での会話を思い浮かべれば、……人間味あふれる裁判官になれると思うのです。司法改革を言うのなら、こういう問題から手をつけるべきではないでしょうか。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
民主党代表選挙は「鳩山VS岡田」。ちっとも新味がないなー。ここも人手不足か。
2009/05/14 [Thu] 11:12:42 » E d i t
 民主主義的土壌の延長ともいえるのですが、メディアのあり方にも問題があると思います。山口県光市の母子殺害事件に関して、犯人とされる元少年に対してこの国のメディア、特にテレビは「死刑にすべし」の報道をたれ流しました。これはもう、一種のリンチです。元少年の弁護人にも、的外れな批判が行われました。

 確かに、被害者遺族の気持ちが理解できない訳ではありません。愛する妻と、目に入れても痛くないほど可愛かった娘を残忍な方法で殺害された、その気持ちは推して余りあります。犯人を死刑にしてほしい、という気持ちは理解できます。しかし、遺族の気持ちが理解できることと、報道は別でなければならないのは当然のことです。

 今後も同様のメディア・スクラムが起きないという保障はありません。もし、そういう事態が起きたとき、裁判員に指名された人は担当したその事件に冷静な態度で臨めるでしょうか。私には、ないものねだり、に思えて仕方がないのです。戦後になってやっと培われてきた民主主義を否定するような教育といい、メディアの対応といい、この国の民主主義の度合い(民度)は残念ながら「人が人を裁く」に到達していないと思うのです。

 もう少し、言い方を変えましょう。この国の民度は成熟しているとは思えないのです。後ほど具体例として出しますが、たとえば政党の政策ビラの配布について、言論・表現の自由の立場から考える人がどれほどいるでしょうか。「他人のマンションに入るほうが悪い」と答える人の方が多いだろうことは容易に想像できます。そういう『民度の到達状況』のなかでの裁判員制度は、危険だと思うのは杞憂でしょうか。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
柏崎・刈羽原発、新潟県知事の承認を経て稼動再開。本当にほんとに大丈夫か?!

2009/05/12 [Tue] 10:07:19 » E d i t
 疑問点の最初の問題ですが、誤解を恐れずに申し上げれば、日本の民主主義的土壌は欧米諸国と比べて、産業革命と同じように100年遅れている、というのが私の意見です。300年という長きにわたる鎖国時代、天皇統治という他国には見当たらない〝特殊な政治的支配状況〟のもとでこの国の人々はくらしてきました。

 その生活様式は、上意下達的・家父長的であり、長いものにまかれろ式だったことは異論のないところでしょう。女性蔑視の歴史も、改めて説明の必要はないでしょう。そのくらし方は、ある意味、民主主義とはかけ離れたものでした。それは敗戦によって、やっと〝開放〟され民主主義を国民のものにすることができました。その民主主義的な意識は教育によって保障・発展されるものですが、この国はこの点について軽視、いや、逆行させてきました。

 その最たるものが1960年代半ばの「期待される人間像」でした。一部の成績のいい子どもを重用視し、モノ言わぬ大量の従順な子どもづくりをめざしたのです。その結果、民主主義とは相容れない、受験戦争という言葉を産み出し、校内暴力や家庭内暴力、いじめが社会問題となったのはついこの間でした。最近でも同じようなことが繰り返されています。

 学校を卒業して社会人となり、企業に入ってからも「競争」を続けさせられています。その典型が成果主義賃金です。企業に都合のいい「期待される」社員だけが厚遇され、大部分は格差に甘んじなければならないところに追いやられているのが現実です。これらもまた、民主主義に反する行為だと思います。こういう民主主義が軽んじられる「戦前化」した生活様式のなかで、裁判員制度がほんとうに機能するのか、私には疑問なのです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
献金疑惑にふたをしたままの辞任。ヘンだよ、やはり小沢一郎さん。
2009/05/11 [Mon] 09:57:25 » E d i t
 いよいよ今月21日から裁判員制度がスタートします。鳴り物入り的宣伝は、どこまで国民の理解を深めることができたのか、率直に言って私には疑問です。この制度について賛否両論があるのはご承知のとおりです。「裁判が早くなる」「国民の視点が司法に反映される」「取り調べがガラス張りになる」などなど、利点について多くの例示がされています。

 が、私には空疎に聞こえます。「司法改革」と銘打ってつくられたこの制度、信用できないからです。その立場からまず、総論です。以前もこのブログに書きましたが、この国の為政者のいう「改革」はハナから信用できません。

 政治改革は小選挙区制導入の方便でしたし、行政改革は公務員の人減らしでした。教育改革は日の丸・君が代の強制でしたし、構造改革は国民いじめの大量の貧困を産み出す格差拡大政策でした。今回の裁判員制度も司法改革の一環としており、他の「改革」路線と軌を一にするもとしか考えられず、国民のためのものと思えません。

 そのことを前提に私は、①この国の教育や民主主義が、裁判員制度を導入するに足る到達点になっているか②司法改革というのであれば、もっと先にやるべきことがあるのではないか③先々、重罪だけでなく軽犯罪なども裁判員に判断させる危険性をはらんでいるのではないか――という疑問を持っています。そのことについて順次、考えてみたいと思います。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
NPT(核拡散防止条約)再検討会議準備委員会に「核兵器のない世界を」とオバマ大統領。歓迎。

2009/05/08 [Fri] 11:58:02 » E d i t
 那須岳のつづきです。強風に耐えて朝日岳に登り、次のピークの熊見曽根を越えて清水平で昼食。強風に加え、寒さも襲ってきて鼻水まじりの食事となりました。食後はいよいよ那須岳の最高峰、三本槍岳です。風は強まり、クマザサの平原を振り返れば、朝日岳がガスの間に見え隠れし幽玄的ですらありました。

 三本槍岳の山頂で記念写真を撮り、大峠を通過してこの日の宿泊所・三斗小屋温泉の煙草屋で靴を脱ぎました。温泉に入ると一日の疲れが吹き飛びます。当然、4人の宴会となりました。露天風呂は最高でした。

 2日目。SさんとMさんは、三斗小屋から大倉山を抜けて会津側に下山することになり、私とIさんはロープウェイに戻ることにしました。午前7時前に別れて、私とIさんは南月山と茶臼岳にチャレンジしました。先に南月山に登り、峰の茶屋から茶臼岳にアタックしました。その山頂は人だらけで、これにもびっくりしました。この頃、「百名山」がある意味ブームになっており、その影響もあったのでしょう。私たちは茶臼岳の火口を一周し、ロープウェイでふもとまで戻りました。

 この1年ほど後、Iさんは難病を患い亡くなりました。私より2歳ほど下だったはずで、寂しい思いをしたものです。彼とは、奥穂高岳に登ろう、という約束がありました。が、那須岳が最後の山となり、その約束は永遠に反故のままです。この山は、彼岸に行った二人の仲間を忘れることのできない山ともなっています。

*徒歩総時間/第1日目・4時間25分、第2日目・3時間45分
 1日目・ロープウェイ山麓登山口(9:55)-峰の茶屋(10:40 10:50)-朝日岳(10:20)-清水平(11:55 12:35)-三本槍岳(13:05)-大峠(14:00 14:15)-三斗小屋・煙草屋(15:25)泊
 2日目・煙草屋(6:50)-牛ヶ首・沼原分岐(7:40 7:50)-牛ヶ首(8:30 8:45)-南月山(9:20)-牛ヶ首(9:55 10:05)-峰の茶屋経由-茶臼岳(10:50 11:15)-ロープウェイ山頂駅(11:35)

★脈絡のないきょうの一行
1000円効果で渋滞が2倍。ガソリンが高くなったとき「環境にいい」と開き直ったのは誰?
2009/05/07 [Thu] 10:38:17 » E d i t
 山の報告です。百名山では「那須岳」と称していますが、この山塊は煙の上がる那須(茶臼)岳、朝日岳、南月山(みなみがっさん)、そして最高峰の三本槍岳などで構成されています。ロープウェイ側から登って、三斗小屋に下る峰の茶屋あたり(今はありませんが、昔は茶屋があったそうです)は、風の分かれ道でしょうかいつ行っても強風で、分水嶺ならぬ「分風嶺」と言えるかもしれません。日本海側からの風と、太平洋側からの風がここでぶつかり合うからでしょう。

 朝日岳と茶臼岳はすでに2回、山頂を踏んでいましたが最高峰の三本槍岳はまだでした。この三本槍岳の山頂を踏まないことには、百名山の那須岳に登ったことにはなりません。そこで96年10月9、10日にかけて山仲間4人でチャレンジしました。

 この山行は少々、思い入れのあるものとなりました。このときの2年前・94年の9月に茶臼岳に一緒に登ったEさんが、この年の7月にガンで亡くなっていたからです。山が好きで、尾瀬の自然を守る活動にも積極的に参加していたEさんでした。茶臼岳に登る姿は苦しそうでした。そのときすでに、病に冒されていたのかもしれません。Eさんの病室を訪ね「もう一度茶臼岳に登ろうよ」と声をかけたとき、かすかに頷いてくれました。しかしそれから1週間後、彼は帰らぬ人となったのです。享年、55歳でした。

 そんな思いを抱えながらの〝弔い山行〟の気分です。4人のうち私は車で、あとの3人は電車で行くことにし、黒磯駅で待ち合わせ。ロープウェイが強風で休止し、山麓駅から歩き始めです。途中、紅葉の鮮やかさに驚かされました。峰の茶屋に近づくと、例によって強風です。「福島から来た」という小学生の大集団も、黄色い声で大騒ぎです。(次回に続く)

★脈絡のないきょうの一行
新型インフル問題で、米軍の空爆によりアフガン市民多数が死亡したことが薄まっている。
2009/05/06 [Wed] 10:23:59 » E d i t
 この産業再生法を国民のためのものにするための二つ目は、この法律を適用する企業に対して解雇や賃下げをしないことを前提にさせるべきではないか、ということです。すべてと断言してもいいほど、大企業の「再生計画」すなわち企業再建策は、労働者の首切りと人減らしがセットになっています。これを行わないことを前提でなければ公的資金を投入しないことを明確にすべきです。その資金は国民が拠出した税金であり、労働者のために使うべきものだからです。

 そして三つ目は、コンプライアンス(法令遵守)の問題です。「わが社はコンプライアンスを徹底します」と言い切っている企業ほど、それを守っていないとみるのは私だけでしょうか。コンプライアンスを逸脱した企業には公的資金は投入しない、くらいの姿勢で臨んでいいと思います。最近、日立がエコ機能のない冷蔵庫を「エコ製品」として売り出し、顰蹙(ひんしゅく)を買っています。その日立が今回の産業再生法の適用企業として名乗りをあげているようですが、「お詫び広告」に使った費用は、どこから出たのでしょうか。

 成立した改定産業再生法は今のままでは、「リストラ促進法」になってしまう恐れ大です。企業再生のために公的資金を投入するのであれば、そこに働く人を大事にしたものにさせなければなりません。経済危機はじわじわと忍び寄ってきています。いまこそしっかり全労働者が手を結ぶ時期に突入しています。「遅すぎた」ということのないよう、取り組みを強めたいものです。

★脈絡のないきょうの一行
多国籍企業に課税強化。不公平税制是正の米・オバマ大統領の政策、大賛成だ。
経済問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2009/05/04 [Mon] 07:24:27 » E d i t
 この産業再生法、税金を使うのですから、国民に還元させるものであったらおおいに歓迎です。ところが、これまで説明してきましたように、この法律は企業のためのものであって、解雇を制限するなどの、そこに働く労働者の利益を守るための「しばり」はありません。その部分を是正してはじめて、労働者・国民に顔を向けた法律となります。

 そこで考えなければならないのは、その基準とすべきものです。具体的には、企業再生のための経営政策の策定にあたって①各企業が現在もっている退職引当金を除く内部留保を活用しきる②人減らしや解雇を行わない③コンプライアンス(法令遵守)の徹底――を盛り込ませることにしたらどうでしょうか。これが実現できれば労働者・国民から歓迎されることは間違いないでしょう。

 内部留保のなかの退職引当金を除くとしたのは、労働債権だからです。この部分は企業としてきっちりガードさせなければなりません。その上で、利益剰余金や設備投資計画資金や貸倒引当金、そして株主配当金など、内部留保や各種配当を吐き出させることを適用基準の前提にする必要があると思います。

 自ら溜め込んだ資金を使わずに、公的資金を使って企業再生をしようなどもってのほかです。労働者のクビを切って、株主配当をするなど許してはなりません。きれいな言い方ではありませんが、他人=国家の褌(ふんどし)で儲けさせるなどとんでもないことです。そうでなくても、大企業は税制の緩和によってぼう大な〝利益〟を産んできているのですから。(次回に続く)

★脈絡のないきょうの一行
今、私たちは2000年前の北極星を見ている。


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2009/05/01 [Fri] 16:03:07 » E d i t
 祝・第80回メーデー。いい天気になり良かったですね。日焼けしました。五月晴れの空でしたが、世界経済の危機的波は日本にも押し寄せており、気分はあの空のようにすっきりしていません。

 昨日のつづきです。難しい法律用語を易しく説明したつもりですが、もう一度読み返してください。さあこの要件、どんな企業に適用されるのでしょうか。もうお分かりですね。思い浮かべることが可能なほど、対象企業ははっきりしています。中小企業ではなく、大企業であることが。

 改定された産業再生法、実は大企業に公的資金を投入するための法律なのです。選定要件をすべて説明するには紙数が不足しますので、適用要件の中の「企業を3年で再生させるための経営計画を策定」する問題について考えてみることにします。

 この項目は、この法律の主要な部分を構成しています。つまり企業再生、すなわち経営再建が可能な企業にだけ(法律を)適用し、公的資金を投入できると言っているのです。そうなれば経営者はどうするか。はっきりしています。企業再生のための経営計画は、雇用調整という名の人減らし・解雇などが中心となり労働者に負担が強いられることは目に見えています。それゆえに私はこの法律を、「国お墨付きのリストラ促進法」といっているのです。それではこういう法律は必要ないのでしょうか。私はあってもいいと思いますが、条件つきです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
地球は、壊れたら復元する再生機能を持っているのかも。環境悪化は身を守るためのそれだ。

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