ヘボやんの独り言
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2009/04/30 [Thu] 13:48:19 » E d i t
 もう少し騒がれてもいいと思いました。先週4月22日、国会で成立した改正『産業活力再生特別措置法』(以下、産業再生法)のことを。この法律、言い方を変えると「リストラ促進法」だと私は疑っています。そういう問題意識を持ちながら、この法律を以下、考えてみます。

 その前に、少しだけ理屈を。「リストラ」という言葉は、フルネームで言うと「リストラチャリング」、あるいは「リストラチュアリング」といいます。直訳すると、「企業再生」「企業再構築」となります。それを短縮してリストラといいますが、日本ではこれを「解雇」あるいは「合理化」というふうに〝翻訳〟して、「リストラされた」などと表現しています。

 その言い方の延長線で言えば先週成立した法律、実は「リストラ促進法」なのです。リストラ促進法と言ってしまうと、国民にホントウのことを知られてしまうので、日本語的に再翻訳(実はこれが本当の訳なのですが)して「産業再生法」などと、ちょっと難しい言葉を使って、〝いいんじゃないの〟と国民に思わせるような、耳慣れない表現をしているのです。小理屈はこれくらいにして中身を以下に。

 法律ですから、少し細かくなります。我慢して読んで下さい。この法律は経営が厳しくなった企業に公的資金を投入することを目的としています。その選定要件は①従業員が5000人以上(連結ベースで可)であること②四半期で20%以上、または半期で15%以上の減収であること③企業を3年で再生させるための経営計画を策定すること④民間の金融機関が、協調融資あるいは協調出資を行う条件があること――などを前提としています。(次回につづく)

 明日、第80回メーデーです。私は連続45回目の参加となります。自分で自分を誉めています。なんちゃって。

★脈絡のないきょうの一行
「人生」という単語、過去完了、現在進行、未来形の三つの時系列を備えた不思議な言葉。
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経済問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2009/04/28 [Tue] 09:50:17 » E d i t
 憲法18条は『奴隷的拘束及び苦役からの自由』として「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」としています。つまり奴隷的扱いを禁止しているのです。

 これを受ける形で労働基準法第5条は『強制労働の禁止』として、「使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によって、労働者の意思に反して労働を強制してはならない」としています。この項目は「奴隷的労働の禁止条項」とも言われています。

 そこで件の東和システム社です。この企業が不当労働行為のデパートであることは以前にもこのブログで書きました。ところが屋上屋とでも言いましょうか、恥の上塗りといいましょうか、この会社は奴隷労働の禁止条項に抵触することを行っているのです。

 東和システムは、名ばかり管理職問題で裁判に訴えた3人を〝隔離〟して、〝仕事をさせて〟います。仕事をさせているとは言っても、実は何の仕事も与えていません。ただひたすら、就業時間中に机に座らせたままの状態で監視しているのです。これはもう〝仕事をさせない〟方式の、労基法5条にいう「監禁その他精神又は自由を不当に拘束する手段」であり、奴隷労働そのものです。

 その会社の仕打ちに、歯を食いしばってがんばっている3人は素晴らしいと思います。そんな攻撃には動じない3人ですが、改めて敬意と激励の拍手をおくります。ガンバレ小林、ガンバレ松木、ガンバレ小番。

 会社は裁判に負けた腹いせで、このような所業に出たのでしょうが、あまりにも幼稚ですし、意図的だとしたらこれはもうファッショです。この問題、労働運動の沽券を賭してでも許しておいてはなりません。東和システムに奴隷労働をやめさせなければなりません。

★脈絡のないきょうの一行
政党助成金は税金だ。自分の支持しない政党に使われているのはイヤだなー。
10210 憲法25条③ 
2009/04/27 [Mon] 13:24:11 » E d i t
 25条が履行されていない具体例として、東京をはじめ各地で「生存権裁判」がたたかわれています。高齢者と母子家庭の生活保護費が、年間20万円も切り下げられたことに抗議する裁判です。東京地裁と広島地裁の一審判決は「司法よ、おまえもか」と言いたくなる判断でした。両裁判ともに控訴し、たたかいはつづいています。

 1960年代に「朝日訴訟」という裁判がありました。日中戦争で身体を壊し結核を患った、岡山県の朝日茂さんという人が生活保護費は低すぎる、と訴えてたたかったものです。一審判決は朝日さんの訴えを認めましたが、二審で逆転、最高裁は二審を支持しました。しかし地裁判決はその後の25条に大きな意味を与えたのです。

 当時、25条は「単に国家の政治的・道義的な責任を規定したもので権利を保障したものではない(プログラム規定説)」という解釈が主流をなしていました。しかし、一審東京地裁は1960年10月19日、「低い生活保護費は25条に合致せず、25条は人権である」と断を下したのです。この裁判はその後、人間裁判とも呼ばれるようになり、現在に息づいています。

 25条はたたかいによって、いのちを吹き込んできたといえます。その延長線上で9条守れ、の運動と連動して「25条の空洞化許さず」の運動を強めることは重要になっています。ときあたかも、憲法誕生を題材にした映画「日本の青空」の監督、大澤豊さんが「日本の青空Ⅱ」製作でメガホンを取っています。これは25条をテーマにしたものです。早ければ7月には上映できるそうで、期待したいものです。

★脈絡のないきょうの一行
95年から始まった政党助成金、累計で4,720億円になるという。国民生活に回っておれば……。

政治問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
10209 憲法25条② 
2009/04/24 [Fri] 12:40:38 » E d i t
 25条のポイントは第2項、つまり、国民の生存権に関する国の「義務」が履行されているかどうかです。「健康で文化的な最低限の生活」は、国が保障しなければならないことになっています。ところが現実は大きくかけ離れているとしか思えません。

 「9条は人を殺していないが、25条は大量の人を殺した」――過日、九条東京連絡会の学習会における東大教授・渡辺治さんによる講演の一節です。9条は自衛隊によって空洞化されています。しかし、鉄砲で国民や他国の人を殺したことは一度もありません。「9条守れ」の運動がそうさせていると思います。

 しかし25条の空洞化状態は、9条の比ではないところとなっています。前回は自殺者問題を考えましたが、今回は高齢者問題を見てみましょう。まず、思いつくのは先月、群馬県の老人施設で起きた火災のことです。10人の犠牲者を出し、その多くが東京都足立区からの転入者でした。行き場のない人が、姨捨山同然に連れて来られたのです。結果があの火事でした。この事件、「可哀そうに」で終わらせてはなりません。いつ自分の身に降りかかってくるか分からない問題だからです。

 この4月から、介護度の認定基準が緩和されました。しかし、利用者や介護の現場から「これでは要介護者の切り捨てが大量に発生する」という悲鳴があがり、厚労省はとりあえず現行どおりという通達を出さざるをえませんでした。しかし、この新認定基準を撤回するとは言っていません。25条の空洞化がますます深化する気配です。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
成立した改正産業再生法、3年後の経営再建の義務付けありリストラ推進法になりかねない。
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10208 憲法25条① 
2009/04/22 [Wed] 10:17:02 » E d i t
 憲法25条=【生存権、国の生存権保障義務】すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 日本国憲法は国民の生存権をこのように謳っています。ほんとうに、本当にそうなっているでしょうか。この項の国の義務のなかで唯一、実行されているのは公衆衛生問題だけで、あとは放置されている、といっても過言ではありません。餓死者の出現、雇用不安、自殺者の増大、高齢者いじめ……など、枚挙にいとまはありません。

 この国の国民は〝真綿で首を絞められる〟事態が常態化しているのではないでしょうか。自殺を例にとってみれば、毎日どこかで事件が起きています。首都圏だけでみても、朝の通勤時間帯にどこかの鉄道で「人身事故」が起きています。年間3万人を超える「自殺大国」ニッポン。その原因の多くが生活問題にあることを忘れてはなりません。

 国民に痛みを押し付ける一方で、ODA(政府開発援助)や米軍への思いやり予算、そして防衛費は聖域化されつづけています。「海外の支援より、国民の生活だ」と言い切るのは〝一国平和主義〟なのでしょうか。在沖縄米海兵隊のグアム移転に日本が拠出するお金を、国民生活に回すことはできないのでしょうか。

 憲法25条・生存権問題を考えてみたいと思います。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
最近、死刑判決が多いと感じるのは私だけだろうか。
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2009/04/20 [Mon] 13:08:28 » E d i t
 前回のつづきです。先週金曜日の帰宅中、電車内でギョッとしました。「『週刊新潮』はこうして『ニセ実行犯』に騙された」という吊広告を見つけたからです。それを見たとたん、あの朝日新聞阪神支局襲撃事件についての週刊新潮の記事は、虚偽であることを承知の上の新潮社による〝売らんかな〟のための確信犯的行為だったのではないか、という疑いを強くしました。虚偽を書いて国民に週刊誌を買わせ、それが誤報であったことがばれると今度はそれをネタにして、あたかも被害者を装いオモシロオカシク記事を書いて、また買わせるという、国民・読者をバカにした所作としか思えないからです。

 ノンフィクション作家の佐野眞一さんはこの誤報事件について、裏づけ取材もせずに掲載したことに「ジャーナリズムの自殺行為だ」と厳しく弾劾しました。東京新聞も同様の批判をしています。私も全く同感です。今回のこの事件、言論・報道の自由の範疇(はんちゅう)だからいいではないか、という声が新潮社サイドから聞こえてきそうですが、私はそうは思いません。〝書き得〟という言葉がありますが、ジャーナリズムには断じて相容れないものだからです。

  「言論・報道の自由」とは一定のルールに基づくべきもので、何でもあり的な「奔放・放任」とは区別しなければなりません。その基本は①伝えたいと思う事がらが事実であること(虚偽・捏造報道禁止と検証責任)、②批判はいいが誹謗中傷をしないこと(取材対象への人権配慮義務)、③取材対象だけではなく、読者・視聴者など不特定多数を含めて恐怖感を与えないこと(脅迫的・扇動的報道の規制)――などです。これらのルールが貫徹されてはじめて、「言論・報道の自由」を言う資格が生まれると私は思うのです。

 1989年4月、朝日新聞が沖縄のさんご礁の落書き写真を掲載しました。環境破壊だとして大問題になりましたが、後日、それは同社のカメラマンが傷つけたものであったことが判明しました。そのとき朝日新聞社の社長は責任を取って辞任しました。あの捏造報道はメディアの生命線が揺らぎかねない問題であり、社長辞任は当然でした。

 さて、今回の週刊新潮の「朝日新聞阪神支局襲撃事件誤報問題」(すみません漢字ばかりで)、どう責任を取るのでしょうか。まさか、編集長なり社長なりが辞任を表明し、それをネタにまたぞろ「売り」に利用するのではないでしょうね。それとも、責任を取って廃刊発表があるでしょうか。

★脈絡のないきょうの一行
IOC委員らによる東京視察。オリンピック開催予定地として、何が分かったのだろうか?
2009/04/16 [Thu] 13:45:52 » E d i t
 87年5月に朝日新聞阪神支局が襲われた事件に関して、「自分が実行犯」とする男性の手記を週刊新潮が掲載し、これは事実に反するとして朝日新聞社が批判していた問題で、新潮側は誤報を認めました。これは単に「誤報だった」で済まされない問題をはらんでいると思います。あれだけ重要な事件にもかかわらず、新潮側はまともな検証をせずに手記を発表しているからです。

 メディアは集めた(取材した)情報が事実かどうかを検証・確認することは常識。それが行われて初めて、活字にしたり電波で流すことが許されるのです。昨年、「クライマーズハイ」という映画が話題になりました。日航機墜落事件をテーマにしたものですが、あの中で地元新聞社は墜落の原因が「隔壁」にあったことを突き止めながらも、あと一歩の確証が取れないということで掲載を見送りました。ところが全国紙がそれを抜いたのです。

 あの映画の中で地元新聞はスピードにおいて負けました。しかし私は、あと一歩の確証が取れない状態のままでは報道できない、と抵抗した編集責任者の対応は正しかったと思っています。それが報道する側(送り手)のマニュアルであり、見識であり、責任だからです。

 今回の週刊新潮の誤報事件、あまりにもおそまつです。朝日新聞が指摘していたとおり、いくつかの簡単なチェックさえしておればこのような事態にならなかったはずです。それすらやらなかった新潮社の責任は重大といわざるをえません。同時にこの事件はメディア全体が改めて報道姿勢を問い直す、いい機会になったとも思います。他山の石とすべきです。

 阪神支局襲撃事件のとき同支局の支局長だった大島次郎さんは、彼岸でこの問題をどう考えておられるでしょうか。ジャーナリストとして貫徹された大島さんに、ぜひ、意見を聞きたいものです。

★脈絡のないきょうの一行
消費税導入20年。なんのことはない、その分はそっくりそのまま大企業減税になっている。
10205 高千穂峰(1,573M)② 
2009/04/14 [Tue] 11:54:28 » E d i t
 この高千穂峰(たかちほのみね)にはいつか登りたいと思っていました。そのきっかけは8年前の3月に韓国岳山頂から見たときでした。今回もそうでしたが、韓国岳から見ると新燃岳を前景にして、高千穂峰はすっくと立っており、その凛々しさに登山欲をそそられたものです。

 山開きの神事が終わり、鳥居下の登山道から頂上をめざします。この山、2合目あたりから樹木はありません。噴火による溶岩で燃え尽きたのでしょう。その溶岩跡の瓦礫の上を歩きます。富士山や十勝岳とよく似ています。噴火口の縁を歩くところは十勝岳と全くおなじです。硫黄の臭いが漂う「御鉢」と呼ばれる噴火口を覗きながら、時計回りに15分ほど歩くといよいよ高千穂峰にチャレンジです。

 御鉢から少し下って、登り返します。見上げるほどの急登で、瓦礫に足を取られながらも一歩、一歩、前進です。ほぼ目測どおり、30分で山頂に到着しました。周辺は広場のようになっており、真ん中に逆鉾があり周囲には防護柵が張ってありました。柵は、いたずら防止にやむからぬことです。山頂には子ども連れなど、ファミリーが多くいました。それだけこの山は親しまれているのでしょう。

 山頂から一昨日に登った韓国岳が一望できました。さすがに霧島連山の盟主だけあって立派です。山頂からの景色を楽しんで下山です。ふもとまで一気に下りました。久しぶりのスピードある下山となりました。

 帰りの鹿児島空港で、飛行機の待ち時間にテレビのニュースを見ていたら、高千穂の神事が映し出されていました。画面の中に、少しだけ私たちの姿を見ることができました。

*徒歩総時間/2時間35分
高千穂河原登山口(10:30)-(途中休憩10分)-山頂(12:10 12:35)-高千穂河原登山口(13:40)

★脈絡のないきょうの一行
介護認定基準の変更は要介護者の切捨てであったことが判明。それでもあの人たちは撤回しない。


2009/04/13 [Mon] 12:00:28 » E d i t
 昨12日、鹿児島県の高千穂峰に登ってきました。10日に霧島山・韓国岳(からくにだけ)、11日は九州南端の開聞岳に登ったあとの山行でした。この山は山頂に天の逆鉾があることが有名で、誰が、いつ、何のためにそれを埋設したか全くわからないところが、ミステリーで面白いところです。宗教的なことだったのでしょうが、発見されたのは江戸時代だったといいますから、歴史は古いものがあります。

 高千穂河原の登山口に着いて支度を整えてスタートしようとした矢先、発信元はビジターセンターでしょうか、「ただいまより山開きの神事を行います。ご参加下さい」という声がスピーカーから流れてきました。これは面白そうだと思い相棒と相談の結果、見学していくことにしました。山の関係者や、私たちのような登山客150人ほどが広場で始まりを待ちました。

 テレビカメラも放列を作っています。始まる直前、関係者でしょう「一般の参加者はいらっしゃいますか」と問いかけてきました。何の気もなし手を上げると、その人が私のところにやってきて「すみませんが、一般参加者の代表として玉串をささげていただけませんか」ときました。何のことだかさっぱり分からず、断る理由も見当たらないことからOKの返事をしました。きっと、相手は一定の年齢に達した人を選んだのでしょう。

 神事は二人の神主さんによってすすめられ、祝詞(のりと)があげられると雰囲気は最高潮になります。そして関係団体の代表が玉串を奉奠します。市長や商工会の会長や、県の観光課長、ボランティア団体の代表などがつづき、最後が「一般参加者代表」の私の番です。前の人に倣い、玉串を差し出して「二礼、二拍、一礼」を行います。ちょっとおごそかです。

 山の神事には、03年8年6月8日に氷ノ山に登ったときに出会っています。このときは山頂で行われることになっており、400人くらいになるというので早々に下山しましたが、山でこういうことに遭遇するというのもいいものです。山の神事は遭難防止を目的としていますが、登山は無事故でありたいものです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
北朝鮮のロケット発射問題について、国連安全保障理事会は「議長声明」で決着。良識だ。

2009/04/09 [Thu] 09:59:31 » E d i t
 小屋のオヤジさんとの会話は面白かった。「雪は7月末まである。小屋の前に池があるが、雪で埋まっている。冬はその上を歩くことになる。だから山頂まで歩くのは楽だ。花を見たいのなら8月に来ればいい。色とりどりの花が咲く」

 「孫は8人いる。夏休みにここまで遊びに来るが小遣い銭をもらうのが目的のようだ。それが分かっていても孫は可愛い。小屋番を始めて11年になる。予約が入って、わざわざ小屋までやってきても誰も来ないこともある。反対に大勢やってきて困ることもある。一番多い食事はラーメンだ。焼肉パーティーをやる連中もいる。いろいろだ」と取りとめもない話に花が咲きます。当然持参したウィスキーも底をつき、カップ酒を注文するほどでした。

 面白かったのは「吹雪のときに途中まで客を送っていって、同じところをぐるぐる回ってしまい、ようやく水場の所にたどり着いたことがある。その帰りに晴れ上がり迷ったところに来たら、大きな円を描いた足跡があった。自分のものだと分かって恥ずかしかったからすぐ消したよ。そのままにしておいたら、他の人が迷ってもいけないから」という話しでした。プロでも迷うことはあるのです。

 翌日、朝早く目が覚めたので山頂を往復して小屋に戻ってから、朝食となりました。山頂へは夏道はジグザグに登りますが、冬場は雪のため直登となり前夜、オヤジさんが言っていたとおり楽でした。朝食後オヤジさんに別れを告げて下山しましたが、私の姿が見えなくなるまで見送ってくれました。迷わないか心配してくれていたのでしょう。別れ際にいただいた小屋のバッヂは、しばらくのあいだ私の登山帽に飾ってありました。

 そういえば、「夏の花の季節にもう1回来ます」という約束は反故のままです。

*徒歩総時間/1日目・3時間30分、2日目・2時間10分
1日目/登山口(14:05)-水場(15:55)-会津駒の小屋(17:35)
2日目/駒の小屋(4:40)-会津駒ケ岳山頂(4:55 5:15)-駒の小屋(5:25 6:30)-水場(7:05)-登山口(8:15)

★脈絡のないきょうの一行
支持率が上がったいま、解散・総選挙のチャンスですよ、麻生さん。
2009/04/08 [Wed] 09:35:20 » E d i t
 この山にも2回登っています。1回目は95年6月2、3日、2回目は01年4月29日です。2回とも雪山歩きとなりました。ここでは小屋に泊まった1回目のものを報告させていただきます。

 もう14年も前になる95年6月2日、前日、鬼怒川で労働組合関係の会議を開き、それが終わって桧枝岐(ひのえまた)の登山口に着いたのは午後2時頃。それから歩き始める訳ですから、山頂ピストンは無理なことから小屋泊まりとしました。6月だというのに会津の山は雪に覆われていました。登山道(らしきところ)の樹木にくくりつけられた赤いリボンを頼りに登っていきます。一人だけの雪山は少々心細いものがありますが、前進しかありません。

 樹林帯を抜けて見通しのいい場所に出たところで、正面にアンテナが見えました。そこに向って一直線に登ります。それは予想どおり小屋のもので、到着と同時にビールを注文し、一気にのどを潤し宿泊者名簿に記帳、宿賃を払いました。これが山小屋のオヤジさんとの二人だけの宴会の始まりとなったのです。

 この日の宿泊客は私一人。自炊の小屋ですから自分で食事はつくります。持って行ったレトルトカレーを温めて夕食です。食事を済ませてシュラフを取り出し、寝る支度をしていると小屋のオヤジさんが声をかけてきました。聞いてみると、この年に60歳になったといいます。とすれば、私と同じイノシシではありませんか。これで意気投合し、3時間を超える宴会となったのです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
楽天、開幕4連勝。天変地異の前触れか?
2009/04/07 [Tue] 14:03:07 » E d i t
 今回は〝黄金(こがね)の山〟磐梯山です。この山は96年6月2日と9年後の05年9月17日の2回、登っています。96年は前回報告の安達太良山のあとに続く山行で、残雪がありました。05年のときは下山後、道路を挟んだ反対側の猫魔ヶ岳にもチャレンジしています。ここでは96年のときのものを記します。

 前夜泊まった横向温泉から車2台で、磐梯ゴールドラインの八方台駐車場の登山口からスタートしました。途中、雪の中に埋もれるように「中の湯温泉」がたたずんでいました。(ところがこの温泉、05年に行ったとき、家屋のほとんどはなくなり潰れていました。ちょっと寂しい気がしたものです。)残雪を踏みながら歩きましたが、天気もよく気持ちいい登山になりました。

 途中で、50人ほどの団体さんを追い越しました。中年男女のパーティーで(ちなみにこのとき私は49歳です)、女性たちがよく喋ること。そのパワーに脱帽です。山頂直下に弘法清水小屋があります。この小屋の横に清水が流れていました。美味しい水で、たっぷりいただきました。ここから頂上までかなり厳しいものがありました。が、いきなり開け山頂です。

 民謡に、「会津磐梯山は黄金の山よ」というのがあり、その黄金とはクマザサが秋口に枯れるときの様子である、という記述を読んだことがありますが、そのとおりなのでしょうか山頂周辺はクマザサに覆われていました。山頂は登山客でいっぱいになっており、その隙間を縫うように記念写真を撮って下山しました。安達太良山と磐梯山、東北の2つの名山は天気と温泉に恵まれてご機嫌の2日間でありました。

*徒歩総時間/3時間35分
八方台(9:15)-中の湯(9:50)-弘法清水小屋(10:55 11:20)-山頂(11:40 12:30)-八方台(14:05)

★脈絡のないきょうの一行
内閣支持率がちょっと上がった。給付金効果か、それとも敵失効果か。
10200 警鐘乱打!④ 
2009/04/06 [Mon] 10:06:00 » E d i t
 座りが悪くこのコーナー、もう1回おつきあいください。

 5日午前、北朝鮮は発表どおりロケットを飛ばしました。それは、アメリカによると軌道を外れて太平洋に落下したといい、北朝鮮は「人工衛星は軌道に乗って音楽を発信している」と伝えています。どちらが正しいかの論評は無意味です。

 この日の午後7時のNHKニュースは30分枠で、なんと「北朝鮮飛翔体」問題で26分間も放送しました。「飛翔体」という単語は広辞苑にはなく造語です。飛翔は「空中をとびかけること」としています。それと「体」を合わせて『空をとびかける物体』と翻訳させるつもりでしょう。この表現、「ロケット」と言っても、「ミサイル」といっても抗議が来るための苦肉の策と考えられます。

 ヒショウタイ。耳慣れないこの言い回し、アナウンサー泣かせです。これを号外で出した新聞社もあったようで、テレビに流れたその見出しは「北朝鮮、ミサイルを発射」と躍っていました。26分間もタレ流したNHKもさることながら、号外を出した新聞社の意識水準をも疑いたくなります。

 この事件、大山鳴動して鼠一匹、で終わった出来事だったといえましょう。結果は北朝鮮の思惑にはまった形で〝収束〟し、それを奇禍として国民総動員訓練を〝成功〟させた日本政府をニンマリさせることになりました。それにつけても、前日の誤報といい、麻生首相の「看過できることはできない」という、相変わらずの支離滅裂的日本語は、お笑いの一幕でした。

 この項にコメントをいただいたcucapさんに私も同感です。メディアはよからぬことを期待していたと思いますし、この事件の本質を伝えているとは思えません。日本政府のいつか来た道を歩もうとする姿勢と、それに追随しているメディアのあり方に、改めて警鐘を乱打したいものです。そういえばこのブログ、200回目を迎えました。これからも可愛がってください。

★脈絡のないきょうの一行
同郷人としてセンバツ優勝おめでとう、清峰高校。小さな町からの大きなプレゼントだ。
10199 警鐘乱打!③ 
2009/04/03 [Fri] 13:04:58 » E d i t
 「それでは、北朝鮮のロケット発射に対して何もしなくていいのか」という声があります。その問題にもお答えしておかなければ、無責任批判になってしまいます。もちろん対策は必要です。

 対策は何よりも「対話」です。北朝鮮が準備しているとされるロケット発射は、何のためのものかはっきりしていません。アメリカから提供される衛星からの映像によって、ロケット発射の準備が進められている、ということしか分かっていません。この映像だけで日本の政府やメディアは一方的に「ミサイル発射の訓練」と分析しています。

 これは乱暴そのものです。日本におけるロケット打ち上げは、気象衛星などのためのもので理由ははっきりしています。それゆえに、関係諸国から問題視されることはありません。もしこれがミサイル訓練であったら、国際世論は大騒ぎになるはずです。北朝鮮に関しても同様の扱いをすべきです。北朝鮮のロケット打ち上げの趣旨が分からないのであれば、対話によってその内容を聞きただすことこそが重要ではないでしょうか。

 私は決して北朝鮮を擁護しているのではありません。前述の問題を当てはめれば、国際社会に協調するのであれば、北朝鮮政府はロケット打ち上げの目的などをきちんと公表すべきで、それをしようとしない同国に抗議するものです。しかし、国際社会の常識としての「対話」を日本やアメリカは行おうとせず、〝ミサイル発射〟の対応だけが先行していることを看過することはできません。

 言い方を変えましょう。北朝鮮のロケット発射や、ソマリア海の海賊出没を奇禍として、日本の政府は日本国民に〝戦争慣れさせ〟をしているのではないか、そのことに重ねて警鐘を乱打したいのです。

★脈絡のないきょうの一行
相続税緩和を検討中とか。金持ち優遇減税だし国家的振込め詐欺じゃないの。
10198 警鐘乱打!② 
2009/04/01 [Wed] 10:20:31 » E d i t
 貧すれば鈍する、という言葉を使いたくはありません。貧したときこそ〝鈍〟ではなく〝鋭〟にならなければならないと思うからです。

 1929年の世界大恐慌は、地球規模で貧困に陥りました。その延長線上で、ヒロヒトやヒトラーやムッソリーニという異常権力者が台頭し、第二次世界大戦につながったことは歴史にあるとおりです。紙数の関係で敢えてそれを振り返ることはしませんが、この時代の問題に関する私の考えは、このブログの「山梨学院大学講義」のなかに書いてありますので、興味のある方はぜひ覗いてください。

 そこで貧困です。いま、国内は失業者であふれる勢いです。非正規労働者の失業者数は19万人を超えたといいます。「2009年問題」は4月からますます先鋭化するでしょう。多くの国民の目は、世界経済の動向と生活問題に向けられています。それはそれで当然であり大切なことです。しかしそのとき忘れてならないのは、貧すれば鈍する方向に流されるのではなく、戦争と平和問題に対して〝貧したときこそ鋭になる〟ことだと思うのです。

 国民の目が逸れたとき、(いや、逸らされて)歴史は戦争の道を歩いてきました。ソマリア海と日本海への自衛艦の配備は、明らかに戦争準備です。そこをしっかり見据え、鋭になった「反貧困」のたたかいを構築する必要があります。そしてメディアは、反戦・反権力の立場からこの問題に警鐘を乱打すべきです。1000円高速道路や、陣内・紀香離婚報道はもうたくさんです。

 そしてもう一つ忘れてならないのは、時代や社会が混乱したとき、必ず独裁者が出現したことです。これもまた歴史の教訓です。私はこの問題についても警鐘を乱打したい、そう思っています。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
〝自民党支部長〟を隠した千葉知事選挙、経歴詐称でこれは無効だろう。
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