ヘボやんの独り言
01« 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28.»03
スポンサーサイト 
--/--/-- [--] --:--:-- » E d i t
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 *  TB: --  *  CM: --  * top △ 
2009/02/28 [Sat] 07:41:49 » E d i t
 昨日、09春闘行動の一環として千代田区と中央区の関係労働組合による「官民共同行動」が展開されました。朝の築地市場前で移転反対の宣伝行動から始まり、関係企業への春闘回答促進の申し入れなどを行い、最後は農水省へ築地市場移転問題に関する要請で締めくくりました。お昼頃から雪が降り出し、寒い中の行動でしたが意義あるものとなりました。

 さて、築地市場の移転問題、これは深刻です。その一つに場所が変わるだけでなく、現在築地で中卸を営んでいる人たちの大部分が締め出される可能性があることです。代わりに入ってくるのが大手(水産・農産物)業者だといいます。まさにこれは大企業優先の施策以外のなにものでもありません。さらに、市場の外に展開されているすし屋さんや小売業者も締め出され打撃となります。加えて築地市場は長年かけて「文化」を形成してきましたが、その灯も消えることになります。

 もっと深刻なのは移転先・豊洲の土壌汚染です。汚染の状況について土地の持ち主である東京ガスが2002年に「土壌汚染状況調査報告書」を出しています。それによると、約2000地点(ベンゼンは約400地点)の土壌溶出試験分析試料のうち、最大値として例えば、ベンゼンは15mg/L(環境基準の1500倍)、シアンが49mg/L(490倍)、ヒ素が0.49mg/L(49倍)、水銀が0.012mg/L(24倍)、鉛が0.093mg/L(9.3倍)等、非常に高い濃度が検出されたとしています。他にも含有量試験、地下水においても基準を超える高い濃度の検出が示されており、非常に高濃度に汚染されていたことが分かります。

 昨年5月には東京都が調査結果を発表しました。それによるとベンゼンだけで基準値の4万3千倍の箇所がみつかり、地下水からも1000倍が検出されています。しかも、検査結果の一部を隠していたことが最近明らかになり、問題視されています。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
09年度予算案、衆院を通過。民主党の〝抵抗〟が弱かったのが気にかかる。
スポンサーサイト
政治問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
10181 渡邊錠太郎 
2009/02/27 [Fri] 14:13:42 » E d i t
 先週の土曜日、故あって杉並区立郷土博物館を訪ねたところ、「渡邊錠太郎展」なるものをやっていました。聞いたことのない名前かと思いますが、この人、「二二六事件」の犠牲者の一人なのです。なぜ、杉並区かといえば事件当時、渡邊錠太郎の家は杉並区上荻窪にありここで渡邊は倒れたのです。その家が昨年2月に取り壊され、門や居間などの一部が区に寄贈されそれが展示してあるのです。

 なぜこの人に興味を持ったかというと、実にたわいないことで私と同じ4月16日が誕生日だったからです。それはそれとして「二二六事件」をおさらいしてみましょう。

 1936年(昭和11年)2月26日未明、陸軍の青年将校らが1483人の兵士を率いて「昭和維新断行・尊皇討奸」をかかげて起こしたクーデター未遂事件です。兵士らは斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡邊錠太郎陸軍教育総監の3要人を殺害(岡田啓介総理大臣は難を逃れた)。これらを守ろうとした警察官5人も殉職しています。この事件の4年前に起きた同じように軍部によって起こされた「五一五事件」のとき、殺害されたのは犬養毅総理大臣一人だけだったことを考えると被害は甚大です。

 ところで渡邊錠太郎はリベラル派で、「天皇機関説」の立場をとっており、これが虐殺される原因になったといいます。この天皇機関説とは、大日本帝国憲法下において統治権は法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの補完を得ながら統治権を行使する、という立場に立ったものです。

 これに対して天皇は絶対的な存在であると考えた若い将校らが、これに反発して決起したのが二二六事件だといわれています。殺害の現場で、渡邊錠太郎は娘をかばって銃弾を受け、両足の骨は粉々に砕け肉片が飛び散ったといいますから、凄まじいものがありました。この事件を期に、日本は戦争への途を突き進んだのは知られているとおりです。若者たちが『天皇』のもとで狂走したあの時代、再来させてはなりません。

★脈絡のないきょうの一行
①法的措置(死刑)②戦争③正当防衛―の三つの場合に限って人殺しが許されるというが果たして。
10180 盗人に追い銭 
2009/02/23 [Mon] 12:18:58 » E d i t
 中川ろれつ発言辞任劇の最中に、アメリカのクリントン国務長官が来日(2月16~18日)していますが辞任問題が大きくなり、影が薄くなりました。クリントン国務長官は、ご承知のように元クリントン大統領の連れ合い。来日中にこの国務長官、とんでもない約束をして帰りました。

 ななんと、沖縄に配置されている米海兵隊のグアム移転に日本の協力を要請してきたのです。それも全てが移転するかというとそうではなく、1万8千人中8千人を動かすだけだというのです。全てを移転するのであれば、立ち退き料として少しは考えてやってもいいのですが、半分以上を沖縄に残したままなのです。

 その「移転費用」、実に61億ドル・日本円にして6000億円にのぼるのです。思いやり予算ここに極まれり、という感じがします。ここまでやるか、という「怒るというより呆れ果てる」としか言いようがありません。6000億円があれば、どれだけの日本人が救われるでしょうか。この国の政治家のカオはどこを向いているのでしょうか。

 何ゆえにここまで日本はアメリカに追従するのか、根源に日米安保条約があることははっきりしています。もう終わりにしていいのではないでしょうか、アメリカへの思いやりは。盗人に追い銭のこのグアム移転費用、国会でもっと議論させ国民に知らせるべきだと思います。そのためにメディアが役割を果たすべきではないでしょうか。

★脈絡のないきょうの一行
小泉元首相の「怒るというより、笑っちゃうくらい」発言、今年の流行語にノミネート確実だ。

10179 母③ 
2009/02/20 [Fri] 10:19:57 » E d i t
 母はきょうでちょうど88歳になりました。改めて、祝・米寿です。3年ほど前でしたが、正月にひ孫ちゃんたちが母を訪問したとき、「何歳まで生きる予定ですか」と冗談まじりで聞いたことがあります。そのとき何故か彼女は「105歳」ときっぱりと答えました。最近では増えて、106歳と言っているようですが、「それじゃ、こちらが先に行くよ」とみんなで大笑いしたものです。目標まであと17年、さらにその上、大還暦めざしてがんばってほしいものです。

 母は戦時中、父を戦地(中国)に送り出したあと炭鉱にもぐって炭掘りをしたといいます。小柄な身体は、狭い石炭層から炭を掘り出すのに便利だったようです。もしかするとその時に粉塵によってぜん息を患ったのかもしれません。夫が留守中、3人の子どもを守ってがんばりました。しかし、一番下の子は、モノ不足で薬を与えることができず肺炎で亡くしました。私にとってはすぐ上の姉に当たりますが、かなりショックだったようです。

 私は母から怒られた記憶は1度しかありません。原因は定かではないのですが、弟がイタズラをして私がそれに怒って、弟を殴ったときでした。「殴るほどのことではないだろう」とかなり厳しく批判されました。父からのDVによって暴力に対する否定的思いがあったからでしょう。もちろん私は、以来、兄弟に手を上げることはありませんでした。

 1963年3月、私は長崎県松浦市の調川(つきのかわ)駅に停まっていた列車の乗客の一人となっていました。「金の卵」ともてはやされた時代で、愛知県に向う集団就職列車の客の一人として。中学を卒業したばかりの15歳の子どもを見知らぬ地に送り出す、母親の気持ちはいかほどだったでしょうか。母は見送りの列のなかで、涙ながらに手を振ってくれました。その光景は46年経った今でも、忘れることができません。

★脈絡のないきょうの一行
「ろれつ発言辞任」でかすんだ人がもう一人いた。来日中だったアメリカのクリントン国務長官だ。
10178 母② 
2009/02/18 [Wed] 13:41:11 » E d i t
 母は現在、練馬区内の特養ホームで暮らしています。介護度は「3」で認知症もかなり進んでいます。車椅子を押しながらだとなんとか歩けるのですが、介助なしではトイレまでやっと伝え歩きができる程度です。若いころからぜん息を患っており、それが原因だと思われますが肺機能が低下しており、部屋のなかには酸素吸入器が常設されています。肺機能低下によって、身体障害者3級の認定を受けています。

 体調がすぐれないときは、「食事をしていない」「おやつを貰っていない」などを訴え、孫たちが遊びにきても誰だか分からないこともたびたびでした。しかし最近は少し元気を取り戻しました。ここ5年ほど見なかった笑顔も少しだけですがもどってきました。時折、孫たちはどうしているかと聞いてくることがあります。心は子どもより孫に行っているようです。

 その母のところには行けないこともありますが、週に1回は顔を出すことにしています。カミさんは2回ほど行ってくれ、母も喜んでいます。最近、その母のところを訪ねる度に不思議な感覚に見舞われることがあります。特養ホームのその空間だけが、なぜか時間がゆるやかに流れているように感じるのです。

 特養ホームに入所している皆さんも、母と同じような年齢で全ての人たちの動きはきわめて緩慢です。そのゆるやかな動きが、時間の経過を遅く感じさせているのかもしれません。当初はその感覚に戸惑いを感じました。しかし最近では何故かほっとしたりします。それは私自信が「ゆるやか世代」に入ってきたのかもしれませんが。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
中川財務・金融大臣の「ろれつ発言辞任」で、麻生総理の「反対だった発言」がかすんだね。
10177 母① 
2009/02/16 [Mon] 13:18:04 » E d i t
 今週20日に、私の母・安子は米寿(88歳)を迎えます。戦時中に女の子を一人亡くしていますが、7人の子どもを育て上げた〝肝っ玉かあさん〟です。その母のことを少し書いてみたいと思います。しばし、おつき合いください。

 以前、このブログでも書きましたが母は1921年(大正10年)2月20日、長崎県北松浦郡鹿町町(しかまちちょう)で生まれました。私の父・久吾とはこの町で知り合い、駆け落ち同然で町を離れ結婚しました。炭鉱夫だった父のあとについていきましたが、貧しい暮らしばかりでなく、この連れ合いは酒を飲むと暴力を振るう今でいうDVの持ち主で、これにも大変な苦労をさせられました。

 私たちが子どもの頃、父の暴力的言動に身体を張って私たちを守ってくれたこともありました。自らも父の暴力でケガをしたこともあります。私たちが大きくなって「どうして離婚しなかったのか」と聞いたことがあります。母は「私がいなくなるとあなたたちが可哀そうだったから」と答えました。かように優しい母でした。その連れ合いは干支でいえば母より一回り上でしたから、生きていればちょうど100歳になっています。が、67歳で彼岸に行き、今は都立八王子霊園に眠っています。

 貧乏から抜け出そうと一生懸命の父でしたが、そういう暴力行為に対して私たち子どもには良い思い出はありません。しかし母の「優しさ」は今でもしっかり根付いています。私のなかに培われてきた「思いやりの大切さ」は母から学び受け継がれたものだと思っています。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
人生で絶対に1回しかないことが2度ある。生まれたときと死んだときである。
2009/02/12 [Thu] 10:35:36 » E d i t
 生活保護を受けることに抵抗するAさんに、「生活保護を受給するのは、国民の権利で遠慮することはない」ということを理解してもらうのに、30分ほどかかりました。Aさんの田舎は新潟にあり、両親にそのことを知られるのは困るというのです。しかし、生活保護は未来永劫に受けるものではなく、当面、住むところと食べるものを確保するための緊急措置であることを強調、やっと理解してもらいました。

 考えてみるとAさんだけでなく、生活保護を受けることに抵抗感を持つ人はたくさんいるように思います。なかには「生活保護」の制度そのものを知らない人もいるのではないでしょうか。視点を変えてみると、このネーミングにも問題があるのかもしれません。たとえば「生活援助給付金」みたいなものにすれば、今まで支払ってきた税金の一部を利用させてもらい、自立したらまた税金という形で返す、という考え方を確立させてみてはどうでしょうか。

 生活難民を作ったのは企業と政府です。したがって、その人たちを税金で救済することは当然であり、基本的にはその財源(税金)は利益を上げている大企業が負担すべきものです。そこのところの的を外さず、射抜くことによって、貧困のスパイラルから多くの人々を救出する、そんな議論を改めて強めたいものです。

 そこでAさんのことです。やっと生活保護を受けることを納得しました。そこで、私はふと気がついて雇用保険の存在を聞きただしました。なんと、「ある」というではありませんか。そこで急遽、方針変更です。私の計算では、月に15万円程度は受給できるはずで、これの手続きを先に行い、その後必要になれば生活保護の申請を行うことになりました。一安心ですが、生活に追われてしまうと雇用保険の存在そのものも忘れてしまい、貧困の悪循環から抜け出すのは大変なことであることを考えさせられる一幕でした。

★脈絡のないきょうの一行
登山において、登りより下りのほうに脚にはより負担がかかる。
政治問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2009/02/10 [Tue] 10:24:55 » E d i t
 Aさんに、この間、職探しで何件くらいにアタックしたか聞いてみました。「10件近くあたりましたが、全てダメでした。住居が定まっていないのが厳しいですね」とポツリ。住むところがないということは、雇う企業にとっても安心できず敬遠するのは当たり前かもしれません。

 同じように派遣会社から解雇された人たちとの連絡は取れているのか、という質問には全くない、という返事。これもまた止むからぬことといえそうです。「派遣」というある意味差別的身分で、〝同僚〟との交流はやりたくてもできない、その図式が手に取るように分かるからです。一人ひとりの労働者が、完全に分断されているのです。

 今、一番やらなければならないと思うこと、つまり要求は何かを聞いてみました。「住む場所が欲しい」と、即答でした。住居がないことが新たな職探しに不利であることが、Aさんはいやというほど身にしみたようです。それではと次の段階の話しになりました。つまり、自立するために必要な生活保護の申請問題です。

 ところがAさん、生活保護を受給することに抵抗しました。なぜかというと、そのことを田舎の両親や兄弟に知られるのがイヤだというのです。確かに、生活保護の申請をすれば親兄弟に「扶養紹介」という形で、福祉事務所から関係者に問い合わせがいきます。「そんなカッコ悪いことしたくない」と彼は言うのです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
郵政民営化に「実は反対だった」。だったら国民新党に行けよ。
政治問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2009/02/09 [Mon] 11:04:17 » E d i t
 派遣会社から解雇通告を受けてネットカフェを転々とわたり歩いていた男性から先日、労働相談を受けました。話しを聞いていて、アリ地獄を見る思いがしました。

 仮にこの人をAさんとしておきましょう。34歳の彼の本業はとび職の足場屋ですが、仕事がみつからず派遣会社に登録して、昨年1月に神奈川県のいすゞ自動車のある工場に入りました。ところが、契約期間を5ヶ月残して昨年11月半ばに解雇通告を受け、12月下旬に会社の寮も追い出され、「ネットカフェ難民」化したのです。

 Aさんは必死になって仕事を探しました。派遣会社にも問い合わせるなどしながら、今年に入って10数か所の会社を訪ね歩きましたが、全てダメでした。特定の住居がないことも職探しには不利でした。そして先日、川崎のいつものネットカフェで財布を落としたか盗まれたかで、お金がなくなり店に頼んで調布市に住む叔母さんに電話して、迎えに来てもらいました。そのとき、電話代もなかったといいます。

 彼には子どもが3人います。しかし奥さんの家庭の事情で、まだ籍はそのままですが離婚状態になっており別居生活を余儀なくされています。しかし彼は、子どもたちのためにと月に10万円の仕送りを続けてきました。寮生活とはいえ手取り17、18万円の中から10万円の仕送りは大変だということは容易に想像できます。しかしAさんは、歯を食いしばりがんばってきました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
「かんぽの宿」売却問題に汚職事件のニオイを感じるのは私だけか。
政治問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2009/02/06 [Fri] 10:04:53 » E d i t
 ちょっと難しい経済問題に挑戦です。

 現在の世界経済は、政府をして「100年に1度起きる状況」と言わせています。それだけ厳しいものがあるということでしょう。その発端となったのはアメリカのサブプライムローンの破綻でした。何故、アメリカの金融危機が世界に広がったかは言を待つまでもなく、各国の金融機関が〝金余り〟状況となり、それをそこに投資したからです。

 それでは何故、単なる金融危機が経済危機にまで追い込まれたのか、それを追求してみる必要があると思います。が、残念ながら私は経済学者でもなければ専門家でもありませんので、正直、分かりません。「金融工学」なる耳慣れない言葉が、なんとなく鬱陶しくさえ感じます。

 しかし、一つだけ理解できそうなことがあります。それは、金融というのは本来、経済を活性化するためにあるもの。しかし、その金融(とりわけ余ったお金)が力を持ちすぎて、経済を支配するという逆転現象となってしまったこと。そこに今回の金融危機の原因があるのではないか――ということです。言い方を変えると、経済が金融の下僕になってしまったのではないか、ということです。「力関係」が逆転したところから悲劇が始まったといえそうです。

 その根源に「新自由主義」があったことを見逃してはなりません。この新自由主義からいかに早く脱却できるか、それは一日も早い経済の再生に直結している、経済問題ど素人の私のとりあえずの〝結論〟なのですが、いかがでしょうか。ぜひ、ご意見を。

★脈絡のないきょうの一行
夜明けの来ない夜はないが、夜の来ない昼もない。
経済問題 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
10172 斎藤ヒデさん 
2009/02/04 [Wed] 10:45:49 » E d i t
 新聞各紙の2日付けに、斎藤ヒデさんが昨年12月24日に亡くなっていたことが報道されていました。101歳だったといいますから、ある意味、大往生です。斎藤ヒデさんは松山事件の犯人として逮捕された息子・幸夫さんはえん罪であるとして、全国を行脚しついに死刑台から息子を取り戻した、すばらしいお母さんでした。

 この斎藤ヒデさんとは40年前に会っています。私が白鳥事件の村上国治さんの救出を求める全国縦断行動(今でいうキャラバン)に通しで参加、九州から北海道まで歩いたとき、東北地方を伴走してもらったのです。東北弁、なかでも津軽弁は聞いていても理解できず、斎藤さんに〝通訳〟してもらったものです。斎藤さんはそれが可笑しいと、コロコロ笑っておられました。思い起こせばあの時、お母さんは今の私と同じ61歳だったのです。

 松山事件は、1955年に宮城県松山町で一家4人が殺害された事件で、その犯人として斎藤幸夫さんが逮捕・起訴され、1960年に最高裁で死刑が確定しました。しかし、ヒデさんをはじめ国民救援会のみなさんの再審のたたかいがやっと実を結び、79年に再審が始まり84年に無罪が確定しました。松山事件の詳細はこのブログの「山梨学院大講義」の中にありますので参照していただければさいわいです。

 斎藤ヒデさんは、物静かで穏やかな人だったという印象を持っています。しかし、えん罪で息子を殺されてなるものかと、その気迫は凄まじいものがありました。この母親の執念が幸夫さんを死刑台から救いだしたのです。小柄で丸顔の愛らしい姿は今でも忘れられません。今頃は彼岸で、06年7月先に逝った幸夫さんと思い出話しに花が咲いていることでしょう。合掌。

★脈絡のないきょうの一行
「隠蔽させず貧困の可視化こそ大事」。毎日新聞・東海林智記者の意見に賛同。
10171 あれから1年 
2009/02/02 [Mon] 14:14:19 » E d i t
 昨年の2月からスタートしたこのブログ、ちょうど1年になりました。この間書いたのは170回、これが多いか少ないのかは比較データがありませんので分かりません。が、自分なりにはグッド・ジョブ(よくやった)だと思っています。

 内容も、政治問題から社会問題、山の報告とバラエティに富んでいます。これからもこんな感じでやっていきたい、と思っています。よろしくお願いします。

 それにつけても、イタズラ書き込みにはハラがたちました。が最近は、人間が出来てきたのでしょうか、そういう人たちが可哀そうに思えてなりません。こういうイタズラの書き込みをやって何が楽しいのか、と考えると憐憫の情さえ生まれてきます。

 千代田区長選挙は残念ながら負けました。しかし、取り組みが短かった割には互角にたたかえたと思います。得票差が前回より縮まりました。もし投票率が60%台まで伸びていたら、差はもっと縮まったし逆転もあったのでは、という気がします。今後の教訓にすべきでしょう。

 いよいよ2月。4日が立春ですから明日は豆まき。派遣切りのオニを吹き飛ばし、フクを呼び込むおおきなたたかいを構築したいものです。

★脈絡のないきょうの一行
ヒラリー・クリントン新国務長官の最初の外遊は日本だって。おねだりに来るのかなー。

未分類 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。