ヘボやんの独り言
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2008/08/29 [Fri] 15:45:50 » E d i t
 大きな岩の横を抜けて、一踏ん張りしたら登山道は反対側からの渡渉(幌尻山荘からの)コースと合流しました。ここまで来れば山頂はわずかです。気合を入れ直して一気に前進、午前9時45分、山荘を後にして4時間35分で幌尻岳山頂に到着しました。99座目、百名山達成への「王手」の山です。

 天気はガスがかかってはいるものの、近くの山は見渡せます。昨日歩いた奥新冠湖も眼下に見えます。渡渉コースからの登山者が集団で登って来る様子も手に取るように分かります。山頂で休んでいるときやって来た青年に、渡渉した沢の状態を聞いてみたら、きょうは股下のところまであったと言います。山荘の人の話しでは、昨日は雨で胸まで浸かり登山を断念した人もいたということで、あの雨では、うなずけるというものです。結果的にはリアカーを使って、新冠湖からの林道コースを選んだのは正解だったのかもしれません。

 山頂でしばらく遊び、腹ごしらえをして下山です。登りはきついものがありましたが、下りもやはり厳しかった。小屋には2時前に到着し、その気になればゲートまで戻ることは出来たのですが、誰もそのことを口にしません。それほど疲れ切っていたのです。「昼寝」をむさぼったのは言うまでもありません。

 最終日の3日目です。

 早朝から小雨がぱらついていました。予報どおりですが、それを突いて車まで戻るしかありません。支度を整えている最中、雨は収まり結局その状態はゲートまで続き、「雨中行進」は避けられました。林道で出会った人たちは、リアカーを見て一様に驚き、そのアイデアにも感心していました。

 車を置いたゲートに到着し荷物を整理、長い林道を眠気と闘いながら運転、前年も立ち寄った門別町の「とねっこの湯」で汗を流しました。ここで昼食をとり、OさんとSさんを新千歳空港まで送り、フェリー組みのKさんと私の二人は翌朝のフェリーに乗るため、小樽のビジネスホテルに投宿し、今回の山行に終止符を打ちました。

 *徒歩総時間/1日目・5時間00分、2日目・6時間40分、3日目・3時間50分
 1日目/発電所ゲート(8:00)-途中休憩30分×3回-奥新冠湖(12:40 13:00)-ニイカップポロシリ山荘(13:50)
 2日目/ニイカップポロシリ山荘(5:10)-途中休憩10分×4回-幌尻岳山頂(9:45 10:30)-中腹の沢(11:25 11:40)-ニイカップポロシリ山荘(13:50)
 3日目/ニイカップポロシリ山荘(5:20)-途中休憩5分×8回-発電所ゲート(9:50)
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2008/08/28 [Thu] 11:32:53 » E d i t
 幌尻岳アタック2日目です。

 空には青いものが少しだけ広がっており、前日と違っていい天気を予感させます。4時に起床し朝食の準備をします。小屋の宿泊者はわれわれの他には2人と3人の2パーティーだけで、その人たちも同時刻に起きていました。朝食を済ませていよいよスタートです。2人組みのご夫婦連れはその日のうちにゲートまで戻りたい、と、われわれより早く出て行きました。

 山荘から緩やかな山道を小1時間ほど歩くと沢に到達しました。前夜の雨で増水しており、渡る場所を選ぶのに迷います。この沢を渡ってから、急登が続きますがときたま平坦な場所に出るものの、短い距離でがっかりさせられます。その登りはつづら折りではなく直登に近く、これはなかなか厳しい。ひたすら我慢です。

 森林限界地点で小さな沢に出ました。手持ちの地図には水場の印があり、沢の上方には雪が残っています。案の定、冷たくて美味しい水でした。ここの高さだとキタキツネも上がって来ることはなく、北海道特有のエキノコックス病の心配はなさそうです。その場で休憩し冷たい水で汗を拭き、水筒の水を取り替えました。

 少し気分が変わったところで、再び歩き始めます。ここからは樹木がなく上がってきた太陽の暑さに悩まされます。急登はさらに厳しさを増してきて、ふと、前方を見ると白い花が見えました。さらに前進すると黄色のそれもありました。周辺を見まわしてみると急斜面にお花畑が広がっており、これは感激でした。シナノキンバイ、エゾイチゲ、チングルマなどお馴染みの花たちですが、疲れた身体を癒してくれます。カメラのシャッターを押したのはいうまでもありません。(次回につづく)
2008/08/27 [Wed] 10:26:17 » E d i t
 06年7月12日、さあ、いよいよ「06年北海道夏の陣」本命の幌尻岳(ポロシリダケ)にアタックです。早目にスタートしようということで、Oさん、Sさん、Kさんの4人組みで、午前3時半に札幌のホテルロビーに集合して動き出しました。雨の中を高速道路で苫小牧東ICから日高道に乗り、富川ICで降りて国道235号を南下、新冠(にいかっぷ)町役場手前を左折して新冠湖をめざします。新冠あたりは「サラブレッド銀座」という地名になっており、競走馬を育てていることでも有名です。

 一般道から林道に入ってからが長く、ダートな道を2時間近く走りました。車はガタガタに揺れ、壊れるのではないかと心配になるくらいでした。新冠湖のダム上を走りカーブしたところにゲートがある、とネットで事前に調べたものに記してあります。が、そのゲートは開いているではありませんか。よし、それではと前進です。

 結局、発電所近くのゲートまで進みました。ここからだとこの日泊まるニイカップポロシリ山荘までは17キロ程度で、歩く距離がかなり短くなり、気分的にも楽になりました。天気は予報どおりホテルからここまでずっと雨で、午後から上がるというそれに期待するしかありません。

 雨のなかで本邦初公開、ゲートの向こう側で折りたたみ式のリアカーを組みたてます。長い林道を歩くことは事前に分かっており、東京での打ち合わせのとき、Sさんが「リアカーを使ったらどうだろう」と提案し、「それはいい」ということで一致、ネットを検索して探し出し、32,000円で購入したものを車で運んできたのです(この山行は私の車で新潟から小樽までフェリーで渡りました)。このリアカーがおおいに役立ちました。

 4人の荷物と2Lのミネラルウォーター1箱(6本)を積みました。各自の荷物は計量した訳ではありませんが、3日分の食料が入っており一人あたり15キロは下りません。全部で80キロ近い荷物を運ぶことになりました。15㍍のザイルを半折りにしてリアカーに繋ぎ、2人がそのザイルを、1人はリアカーについているパイプを引き、残りの1人が後ろから押すという4人の連携プレーで動き出します。林道は所々、急な坂があり息を切らしますが4人の力で押し上げます。結局、リアカーは山荘の前まで入ることができ、これは快挙です。(次回につづく)
2008/08/25 [Mon] 13:09:22 » E d i t
 00年7月13日、前夜泊まった白金温泉の民宿をあとにして、十勝岳の登山口「望岳台」から歩き始めました。同行は前出のKさん、Mさんとの3人です。十勝岳方面に目をやると、トンガリ頭の山頂が少しだけ見えます。その左手に美瑛岳と美瑛富士がすっきりと見えます。しかし、それはしばらくするとガスに消されて、二度と見せてくれませんでした。

 当面の目標として十勝岳避難小屋をめざします。途中で、見たこともない花が咲き乱れ励ましてくれます。避難小屋に到着し、宿で作ってもらったおにぎりで朝食とし、それが終わればいよいよ本格的な登りにアタックです。途中で小雨が降り出し、雨具をつける場面もあり高度を稼ぐにつれて、風も強まりました。

 新々噴火口の稜線に着いたら、風はますます強まり油断すると吹き飛ばされそうになります。慎重にその火口を進んでいくと、今度は雪渓が現れその横の急登に取り付きました。ここからが正念場です。このコースではここが一番厳しいかもしれません。息を切らせ、強風をしのいで、稜線に出て10分ほど歩くと山頂に到着です。

 山頂で休んでいると、十勝温泉の方向から女性一人を含む4人の外人さんが、大きなザックを背負ってやってきました。聞いてみると(もちろん日本語です)、ニュージーランドとオーストラリア人だといいます。30代前半と思われる若者たちで、トムラウシ山を経て大雪山・旭岳まで行くといいます。すごいファイトですが、北海道の山の魅力がそうさせているようです。

 30分ほど待ちましたが山頂ではガスが上がる気配はなく、景色を見るのを諦めて下山し、次の宿泊地へ進みました。十勝岳は、このあと06年7月10日にコースを変えて登っています。このときも山頂に立ちましたが、ガスの中歩きで景色を見せてもらえませんでした。どうも私は十勝岳に嫌われているようです。

 *徒歩総時間/5時間40分
 望岳台登山口(5:20)-避難小屋(6:25 7:00)-新々噴火口(8:05 8:20)-十勝岳山頂(9:20 9:55)-避難小屋(11:10 11:50)-登山口(13:05)
2008/08/22 [Fri] 12:36:18 » E d i t
 18日、白馬岳で土砂崩れによる遭難事故が発生しました。2人の遺体が発見され、1人は22日のお昼の段階でもまだ見つかっていません。事故現場は、私も雨の日に歩いたことがありひと事とは思えません。十分注意したいものです。

 百名山登山の報告にもどらせていただきます。この山・大雪山には2度登りました。1度目は00年7月14日、2度目は06年7月9日です。ここでは1度目のときのものを記します。北海道の山は、この回の山行が初めてでした。クマの出没に緊張し、山の状態に不安を抱きKさん、Mさんとの3人旅となりました。大雪山に登る前に、十勝岳の山頂を踏みましたが、天気は「ガスの中歩き」という状態でイマイチでした。

 前日は、大雪山のふもとに泊まり、一番発のロープウェイに乗ろうと乗り場に駆けつけました。が、同じことを考える人がたくさんいて、乗り場は人だらけです。ザックを背負った登山者が並んでいます。ツアー客らしき集団もいます。4便ほど待って私たちの番です。ロープウェイの山頂駅に着いたら、宿でつくってもらった弁当で朝食を済ませてスタートしました。

 天気は、ガスで真っ白となり遠くは何も見えません。まず山頂に向って右側の道をとり、地図とにらめっこしながら「姿見の池」をめざします。途中、ガスの中でお花畑が出現し、感激です。北海道の花は一斉に開花するといいますが、まさに百花繚乱です。姿見の池に着いて、大雪山塊の最高峰、旭岳の山容を見たいと思いしばらく待ちましたがガスは消えません。やむなく山頂に向けて歩き出しです。山頂をめざす登山者で溢れる山道は、通勤ラッシュなみの人ごみのあとについて。

 「頂上を仰ぐな」という山登りの鉄則に沿って、うつむきかげんで腰をためて、じわり、じわりと詰めていきます。途中で大集団を追い越しました。頂上に着いたのは、山頂駅から1時間55分の記録でした。ガスのため最後まで景色は見えず、山頂の標柱前は人だかりで、北海道最高峰に「ヒト」を見に来たような錯覚でした。

 下山後は、札幌に出て毎日新聞社の仲間たちと一杯交わしながら、夜遅くまで楽しみました。翌日は小樽の運河を見て、小林多喜二の文学碑を訪ねてから帰路につきました。

*徒歩総時間/3時間15分
 ロープウェイ山頂駅(7:00)-旭岳山頂(8:55 9:25)-(10:15 姿見の池でガスが上がるのを40分待ち 10:55)-ロープウェイ山頂駅(11:25)
2008/08/20 [Wed] 10:08:11 » E d i t
 他人のことは気にするな、と怒られそうですが中国は今回の北京オリンピックにどのくらいのカネをかけたのでしょうか。あの規模から見て、「相当なもの」に達しているでしょう。当時の国家予算は3兆6000億円だったのですが、1964年の東京オリンピックは1兆円かけたそうです(毎日新聞)。いうまでもなくそれは全て、税金でまかなわれました。

 それだけのカネをかけて、あのオリンピックで国民にどんな「還元」があったでしょうか。せいぜい、東海道新幹線で東京・大阪間の時間が縮まった程度でした。以降、モータリーゼーションは急速に進み、環境破壊の道を突き進みました。当時私は新聞配達をしながら定時制高校に通っていましたが〝五輪景気〟とやらで、新聞広告がやたら多くなり、新聞のページ数が増えて配達に苦労した覚えがあります。新聞社の職場では、増ページによる大量の腰痛患者が発生し混乱していました。結局得をしたのは一部の企業、それもテレビを売りつけたりした大企業だけだったようです。

 それにつけても、2016年のオリンピックを東京に招致しようとする石原都知事の対応が気になります。「8年後に同じアジアで開くわけがない」というのがもっぱらの下馬評ですが、この世界何が起きるか分かりません。石原知事の意図するところに、築地から豊洲への市場移転の強行策と同じDNAが、見え隠れするように思うのは私だけでしょうか。だから、ふたたび東京にオリンピックは不要です。

 とはいえ、北京の日本選手団にはがんばって欲しいものです。野球、ソフトボール、新体操、シンクロ、そういえば大穴の可能性を秘めたテコンドーもまだ残っていますね。男子マラソンはメダルの期待は薄いのでしょうか。8月24日までの賞味期間限定のナショナリストになって、「星野ジャパンがんばれ」、「大和なでしこ、メダル取れ」、「ニッポン、チャ、チャ、チャ」の大合唱で応援しましょう。
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2008/08/18 [Mon] 13:28:01 » E d i t
 松下電器の宣伝ではありません、オリンピックのはなしです。何故か、オリンピックになると私たちはナショナリスト(民族主義者)になってしまうようです。「ニッポン、チャチャチャ」がその典型でしょうが、普段、日の丸に顔をしかめる人もあの表彰台にそれがあがると、笑みが浮かびます。私もきっとその一人です。

 もともとヒトは古代から群れて生活していました。いや、群れていないと生活できなかったというほうが正解でしょう。その意味において「ナショナル」は生活の基本単位であり、一緒に暮らす仲間に思いを寄せるのは当然のことといえます。ひとつのルールのもとに他民族と戦うことになれば、自国の仲間を応援する心は摂理と言えましょう。あの、しんぶん「赤旗」でさえ、連日1面でオリンピックを扱い日本人選手の活躍を報道しています。

 北京オリンピックは24日で幕を下ろしますが、この間の日本勢の成績を見てみますと女性の活躍がめざましいですね。柔道、レスリング、ソフトボール、メダルに届かなかったものの卓球など、目を見張るものがありました。涙あり、笑顔あり。レスリングの浜口京子ちゃんの笑顔は千金の価値がありました。これから始まる新体操やシンクロも楽しみです。

 女性が活躍する社会に戦争は起きないといわれます。「生命(いのち)を生みだす母親は、生命を育て、生命を守ることをのぞみます」という日本母親大会のメーンスローガンにあるように、女性は生まれながらに(例外もありますが)反戦思想を持っているからです。「がんばれニッポン」ならぬ、「がんばれ女性」とエールを送りたいものです。(次回につづく)
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10088 和名倉山(2,036M)② 
2008/08/12 [Tue] 14:35:21 » E d i t
 夕食はレトルトのカレー。コンロで温めましたが、最近のレトルトはよくなっているのでしょうか、おいしくいただきました。夜、テントを抜け出してみると寒いくらいで、持参した寒暖計は15度を指していました。もちろん、自宅の熱帯夜と違いぐっすり眠れたのはいうまでもありません。

 2日目。明るさで目が覚めて、腕時計のアラームが鳴る前に起きて朝食を済ませ、午前6時前にスタートしました。クマの出没が怖いので、サブザックに鈴をしっかりつけました。まず5分足らずで将監峠(しょうげんとうげ)です。ここは雲取山から甲武信岳への縦走路です。峠から20分程度で、和名倉山への分岐点に着きました。

 天気は曇りで陽射しはないのですが、風がなくむし暑い中を歩くことになりました。将監小屋と和名倉山は標高差200メートル程度なのですが、これが思ったよりきつい。アップ・ダウンがたくさんあったからです。100メートル級のそれが3ヶ所程度、50メートル級は10ヶ所ほどだったでしょうか。ひたすらガマンで歩きます。

 テントをあとにしてちょうど4時間、山頂に到着です。が、ガイドブックにあるとおり山頂は樹林に囲まれており、景色は何も見えません。山の楽しみの一つは山頂からの眺望にありますが、この山だけは別格ですからこれから登ろうという方はぜひ参考にしてください。この山は「歩くこと」に楽しみがある山といえそうす。山頂の写真を撮って、ハラごしらえをして下山開始です。

 下山を始めて間もなく、ゴロゴロと雷の音が聞こえ出しました。しかも3方向から。必然的に早足になります。しかも雨具を取り出すほどではない、小雨もぱらついてきました。将監峠に近づいたとき、前方から明らかに私より年上と思われるカップルとすれ違いました。27時間ぶりに「人」との接触です。なぜかほっとしたりして。

 もう1泊の予定でしたが、空模様が怪しくなってきたため撤収を決め、そそくさとテントをたたんで、下山の人となりました。途中で雨がひどくなり、びしょ濡れになってしまいましたが無事、車に到着、体力はまだまだ衰えていないという実感を持った登山に終止符を打ちました。

 すみません。「お盆休み」でこのあと今週は休筆させていただきます。
10087 和名倉山(2,036M)① 
2008/08/11 [Mon] 13:30:14 » E d i t
 山はやはりすずしかった――。高度が1000メートル上がると気温が6度下がります。1800メートル地点でひさしぶりにテントを張り、山を楽しみました。還暦を過ぎたこの体躯、体力の〝現状調査〟も兼ねた山登りで、今回は「百名山」から少し離れてフツーの山の報告です。

 先週8、9の両日、和名倉山(別名・白石山)をめざしました。この山は「200名山」にカウントされているのですが、あまり知られていません。山頂は埼玉県に位置し、秩父湖の奥まったところにあり、深くて一般的には目にすることはあまりなく目立たないからでしょう。しかし「山好き」の人は必ずと言ってよいほど、「一度は登ってみたい」といいます。玄人受けする山なのでしょうか。

 登山口は埼玉県の秩父湖側からと、山梨県甲州市(旧・塩山市)の一ノ瀬高原からの2ヶ所、そして雲取山から甲武信岳への縦走路からも取り付けます。私はマイカーを転がして青梅街道を走り、一ノ瀬高原・三ノ瀬から入りました。午前10時、歩き始めです。初日の目標のテント場は将監小屋(しょうげんごや)に併設されており、そこをめざします。ザックはテントと食料などで15キロほどになり、重さは肩に食い込みます。

 道は2㍍ほどの未舗装林道となっており歩きやすいのですが、標高差は約500メートルあり、普通の山道と同じほどきびしいものがありました。加えて、夏の陽射しが追い討ちをかけます。途中に水場があり、その水の冷たくておいしかったこと。単独行であることを忘れ「ご馳走さまでした」とつぶやいてしまいました。2時間半ほどで青い屋根の将監小屋が見えました。

 小屋に着いて早速、管理人室のドアをたたきましたが、返事がありません。留守のようです。やむなく、幕営料金500円を所定の箱に入れてテントを張りました。登山者は私一人だけで、静かそのものです。水場のせせらぎの音と、虫の声、そして時折かん高い鳥の鳴き声だけが響いてきます。翌日の下山中にご夫婦連れと会うまでの27時間、ラジオの電波も届かず人と「社会」から遮断された生活となりました。これもまた、良き哉です。(次回につづく)
2008/08/08 [Fri] 05:11:32 » E d i t
 5日に東京を襲った集中豪雨により、豊島区で下水道工事をしていた5人が流され4人が遺体で発見される(8月7日現在)という痛ましい事故が起きました。豪雨が発生するメカニズムの変化が人為的であることと、短時間で鉄砲水が発生することが分かっていながら事故が起きたことをみるならば、これは人災としかいいようがありません。

 あの日のお昼前頃から、私の勤める千代田区神田神保町周辺は雷と激しい雨に見舞われました。スコールのような雨が続き周辺はどうなっているかと、事務所のベランダから交差点(専修大交差点)をのぞいてみると冠水しており、それは歩道にまで広がっていました。とても歩ける状態ではありませんでしたが、どうしてもという人がいてそれを見ていましたら、膝下まで水に浸かっていました。

 たたきつけるような雨、という表現がありますがまさにそれでした。あの日の天気図は南からの前線が停滞し、天気は雨含みの模様でした。ところが、ヒートアイランド現象によって都心部に雲が発生し、それと前線の雨雲が刺激しあって活発化し大量の雨を降らせたようです。つまり、その土地でできた雨雲によって集中的な雨を降らせたと見ていいでしょう。

 最近、消費者運動で、その土地で作ったものをその土地で消費する「地産地消」という言葉がありますが、この日、大量の雨を降らせた雲もそれと同じだと考えてもいいでしょう。この雲、名づけて『地産地消雲』。

 下水道工事者の鉄則として、膝下まで水が増えたら工事を中止するというのがあるそうです。報道を見る限りでは、危険を察知し作業を中止しようとしたところへ急激に増水した水が押し寄せ、流されたようです。撤退する時間的余裕がなかった、と言えばそれまでですが「なぜもっと早く」という思いはぬぐえません。

 ヒートアイランドで〝人為的〟に作られた雨雲と、撤退を指示する時間の遅れというダブルの悲劇(人災)によって起こされた今回の事故、教訓にすべきことはたくさんありそうです。いま、「ハプニング」という映画が上映中です。その映画と今回の事故がオーバーラップし、〝神の怒り〟が爆発したのでは、という思いに駆られちょっと背筋が寒くなりました。
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10085 63回目の暑い夏 
2008/08/06 [Wed] 10:49:39 » E d i t
 市民を核兵器から守る途は、唯一、廃絶だけです――。今朝の広島の平和祈念式典での秋葉忠利広島市長のあいさつの一節です。ヒロシマに原爆が落とされて63年目。核兵器の廃絶は文字通り悲願であり、広島市長の思いは世界に届いたと思います。

 翻って人類は、いや日本国民は、いやいやもっと縮めてこの国の為政者は「ふたたび同じ過ちはくりかえしません」という誓いを実践しているのでしょうか。きょうの式典に福田康夫総理大臣も出席、「被爆者の基準を緩和し、救済の道を広げた」といかにも自慢げに発言していました。これは、原爆投下地点より少しだけ遠くにいたり、広島市内に入ったのが遅かったりしたことにより被爆者手帳を受け取れなかった人たちが、裁判を起こした結果によるものでした。しかも原告のみなさんが要求する基準には程遠い内容で不十分そのものです。それを自慢げに語る姿は、まさに〝語るに落ちた〟そのものです。

 被爆者への温かい救済政策を取りうるかどうかが、「過ちを繰り返さない」リトマス試験紙だと私は考えています。きちんとした救済をする、ということは反省がなければ成り立たないからです。63年経った今でも被爆者へのまともな救済が行われていないということは、言い換えれば、あの戦争への反省をしていないという悲しい証明でもあります。この国はいつになったらまともになるのでしょうか。

 そういえば、私の街頭署名活動のデビューは核兵器廃絶を訴えるそれでした。もう40年以上も前、高校生のときのことです。クラスメートの代表を原水禁大会に送ろうと、カンパ活動も一緒でした。ニキビ面の高校生が、街頭に立ってそれを訴える様子は鬼気迫るものがあったかもしれません。この核兵器廃絶運動が転化して、私を労働運動の世界に誘ってくれました。いわば、そのなれの果てが今だといえそうです。街頭署名デビューの場所は、現在では毎月第3木曜日に消費税反対の宣伝行動を行っている、御茶ノ水駅前でした。

 きょうは「69行動」の日。神保町交差点で午後6時から1時間、核兵器廃絶と憲法9条擁護を訴えます。このブログを見ていただいたみなさん、ぜひご参加を。
2008/08/04 [Mon] 11:26:28 » E d i t
 ▼質問――水久保さんは、労働運動に取り組まれてきましたが、どうしてこのようなえん罪事件にかかわるようになったのですか。そのことについて聞きたいのですが。

 えん罪問題は、民主主義の問題です。労働運動は民主主義が保障されなければ成り立ちません。そういう意味から、冤罪をなくし、えん罪被害者を救出する運動と労働運動は、根っこのところでつながっています。

 とりわけ、労働組合は組織力を持っているわけですから、その力をこの問題で発揮することは重要だろうと思っています。白鳥事件は、私が労働運動をすすめるなかでたまたまめぐりあったものでした。自分たち労働者の権利や生活だけでなく、無実の罪で獄中におかれている人を救うことは、労働者として、いや、労働組合として取り組まなければならない大事な課題だと自分自身で位置づけてきました。

 最近では、「痴漢えん罪事件」の取り組みもやっています。やってもいないのに『犯人』として扱われることは、耐えられないことだと思います。その人のプライド・人権にかかわる問題です。先日、「町田痴漢えん罪事件」の〝被告〟家族と会いましたが、悲惨です。どういう角度から見ても無実だと思うのですが、裁判長にはそう見えないようです。裁判所の襟を正させるためにも、この種の運動は大切だと思います。
 
 同様に、平和を守り、戦争に反対する運動も労働組合にとって大事な課題だと思います。なぜなら、いったん戦争が起これば、歴史が証明しているように労働運動そのものが否定されてしまうからです。そんな思いを持ちながら、私は労働運動をつづけています。(この項、おわり)
2008/08/01 [Fri] 11:19:11 » E d i t
 福岡事件とは――1947年5月20日夜、福岡市博多区で、日本人と中国人の2人が射殺され、現金10万円が奪われた。当時は旧軍関連の物資の闇取引が盛んだった。捜査当局は「架空の軍服取引を持ちかけ、被害者2人をおびき寄せた強盗目的の計画的犯行」と断定。いずれも元軍人だった西武雄さんを首謀者、石井健治郎さんを実行者として、強盗殺人容疑で計7人を逮捕した。西さんと石井さんは48年、福岡地裁で死刑判決を受け、56年に最高裁で確定。残る5人のうち1人は控訴審で無罪が確定したが、藤永清喜さんら4人の懲役刑は確定した。 (西日本新聞)――というものです。

 この事件のどこが特異かといいますと、死刑が確定した西さんと石井さんのうち、西さんは死刑が執行され、石井さんは恩赦で無期懲役に減刑されたという点です。しかもそれが同じ日だったという謎が残っているのです。石井さん(現在91歳)は89年に仮釈放となり、死刑執行された西さんの遺族らとともに、05年5月に再審請求をしました。

 西さんは一貫して無罪を主張。石井さんは殺害を認めたうえで「勘違いから発砲した」として強盗目的を否定し、残る5人も無罪を主張していましたが、前出のように最高裁までいき、刑が確定したものです。死刑執行前に西さんは3回、石井さんは5回にわたって再審請求をしましたが、棄却されています。

 それでも改めて再審請求を行いました。死刑が執行されてからの再審請求は初めてのことです。しかも、この事件は旧刑事訴訟法によって捜査、裁判が行われており物証もなく拷問と自白で作られたものである、として弁護団は支援を訴えています。それに応えるように、九州大学、西南学院大学、久留米大学の法学部の学生らが、判決文をデジタル化するなど、協力しています。

 まさに特異なこの事件ですが、ぜひ皆さん方にも取り組んでいただきたいと思うのです。私(たち)には残された時間はあまりありません。若い皆さん方だったら、きっとできる、そう思うからです。小林多喜二が虐殺された小説「蟹工船」のなかの一行はどこか、ということと、この福岡事件にぜひ取り組んでいただきたいということを〝宿題〟とさせていただいて、話しを終わらせていただきます。ありがとうございました。(質問があり、次回につづく)
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