ヘボやんの独り言
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2008/05/30 [Fri] 09:21:11 » E d i t
 今ではほとんど使われていませんが、かつてはマスコミ関係組合の闘争スローガンの中に「客観報道を貫こう」「真実の報道を守ろう」というものがありました。確かにこれらの表現は耳ざわりがいいのですが、少し深めて考えてみると、おや、ということに気づきます。松岡英夫さんの指摘どおり、報道は送り手側の主観が間違いなく入るのです。真実の報道を守ろう、というスローガンも、マスコミはそれまで真実を守ってきたのか、という疑問にぶつからざるをえません(でした)。

 そういう疑問を議論するなかで1975年頃から始まった、毎日新聞労組の再建闘争のなかから「真実の報道を貫こう」というスローガンが誕生しました。「貫こう」という言い方は、『真実の報道』を主体的に自らの課題としたことになり、ここに大きな意味がありました。このスローガンは新聞労連をはじめ、マスコミ関連労働組合の運動として今に引き継がれています。蛇足ですが、15年ほど前でしたか、新聞労連に「ジャーナリズムの復権」というスローガンが立てられたことがありました。これは、「復権すべきジャーナリズムはかつてあったのか」という疑問とともに、ゆるやかに消えていきました。

 話しを「報道は主観によって成り立っている」という問題にもどしましょう。4月14日夜、日本MIC、JCJ(日本ジャーナリスト会議)の呼びかけにより水道橋・全水道会館で映画「靖国」の上映妨害、言論弾圧問題についての緊急シンポジウムが開かれました。緊急の取り組みであったにもかかわらず230人も集まり、しかも若い人がたくさんいたことに元気づけられました。ちょっと遅れた私は会場の外で話を聞くことになりました。

 シンポの報告者の一人、映画監督・ドキュメンタリー作家の森達也さんの話しは、ドキュメンタリーづくりに関するものでしたが、前出、松岡英夫さんの「ジャーナリズムは主観によって成り立っている」という言葉とオーバーラップし興味を持って聞きました。(次回につづく)
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2008/05/28 [Wed] 13:30:57 » E d i t
 三つの分野を制する者はその国を制することができる、といわれます。司法、マスコミ、教育がそれです(「立法」と「行政」は選挙によりある程度国民が関与できますから、敢えて外します)。北九州市で(今もつづいているはずですが)「マスコミ大行進」という運動が毎年秋に取り組まれています。この運動のメーン・スローガンは『司法、教育、マスコミの反動化反対』であり、三つの分野全てが包含されており、平和と民主主義を守る運動では象徴的なスローガンとなっています。

 この三つの分野の一つマスコミ、すなわちメディアの現状やあるべき姿、についてしばらく考えたみたいと思います。おつきあいください。3月のこのブログで、私の師匠の一人である元東大新聞研究所所長の稲葉三千男さん(故人)のことを書き、そこでメディアの基本的使命は反権力を貫くことであると申し上げ、読売新聞社社主・渡邉恒雄氏の「大連立」関与問題など、現状の問題点を整理してみました。ここではそれらと重複しないように少し視点を変えてみます。

 70年代前半から中盤にかけて、サンデー毎日の「サンデー時評」で大宅壮一さんのあとを継いで、健筆を振るわれた松岡英夫(01年4月死去・享年88歳)さんをご存知でしょうか。松岡さんは毎日新聞の政治部長、編集局次長、論説委員を歴任、1983年の東京都知事選挙の革新統一候補としてもがんばられました。その選挙応援の最中に松岡さんからいわれた一言は、今でも忘れられません。

 「君ね、労働組合はよく客観報道を貫けというけど、それはありえないよ。原稿を書けば、必ずその記者の主観が入る。その原稿を読んで、紙面化するとき見出しをつける整理記者のそれも主観が入る。そもそも新聞記事は主観の集まりだ」。ジャーナリズムには客観性はないしそれを求めるには無理がある、という、かなり大胆な言い方ですが、的を射ていると思いました。(次回につづく)
2008/05/26 [Mon] 11:50:05 » E d i t
 阿寒岳は雄阿寒岳・1,371mと雌阿寒岳・1,499mの二つがあります。雄阿寒岳は阿寒湖に接しており、湖畔からみると形のいい山です。これもいつかは登ってみたいと思っています。雌阿寒岳は湖からはみえませんが、こちらの方が高いからでしょう、日本百名山では「阿寒岳」といえば、この雌阿寒岳のことをいいます。雌阿寒温泉の登山口から午前8時ちょうど、雪の舞う中をスタートしました。

 前日の羅臼岳と違うのは、布が樹木に巻きつけられていたり、岩に赤い印がつけられていたことです。それを頼りに前進します。樹林帯でエゾリスが現れて、われわれを歓迎してくれました。その愛らしさは表現のしようがありません。途中で、アイゼンを装填して安全を期します。低木帯となった6合目あたりから風が強くなり、風とのたたかいがはじまりました。

 9合目の真下で道は雪に覆われており、ルートを探すのに苦労しましたがなんとかクリア。山頂への稜線に出たところで、今度は強風です。吹き飛ばされそうな強さで、雪も交じっており、危険度も増していました。しかし意を決して、その中を前進です。10分足らずで山頂を示す石碑に到着、お互いを称えあいました。強風に巻き込まれSさんはザックカバーを火口に持って行かれてしまいました。人が飛ばされなくて良かった。

 寒さも増してきます。私の眉毛は凍りつき、ツララ状態となって白くなり村山富一元首相のような白い眉毛になってしまいみんなから笑いを獲りましたが、それどころではありません。吹雪の中で山頂の記念写真を撮って下山開始、登山口にある民宿「景福」の温泉で汗を流しましたが、ここも透き通っていいお湯でした。

 温泉から上がり、最終宿泊地の札幌へ前進、層雲峡を経て比布JCから道央道に乗って、札幌入りし、夜の「すすきの」で雌阿寒岳登頂を祝って乾杯しました。

☆山頂までのタイム/徒歩総時間4時間35分
 登山口8:00-(途中休憩20分)雌阿寒岳山頂11:10-(途中休憩35分)登山口13:25

2008/05/23 [Fri] 11:02:17 » E d i t

 百名山5番目の報告です。05年5月5、6日で羅臼岳と阿寒岳の2山にアタックするつもりで北海道に渡りました。しかし、雪男か雪女がいたのでしょうか、初日の移動以外は5、6日の2日間とも雪という、天気には最悪状態に見舞われました。羅臼岳は撤退したものの、雪の阿寒岳の山頂を踏むことはできました。6人のメンバー全員に拍手! です。(羅臼岳は4月14日からのブログを参照)

 2月の北八ヶ岳につづいて、愛知県春日井市からT夫妻がエントリーしてきました。それに加えて久しぶりに「やっさん」ことSさんも参加、いつものOさん、Kさんを含めて男4、女2の総勢6人のパーティーとなりました。4日、新千歳空港に降りてレンタカー2台を入手し、T夫妻をとかち帯広空港で拾って、知床半島の根元にある「ホテル地の涯」に投宿です。

 2日目は4時に起床し、羅臼岳に向かいましたが途中でホワイトアウト状態になり、前進することができず下山を余儀なくされました。「改めてチャレンジしよう」という約束は、この年の夏に実現しました。下山後は、荷物を整理し直して知床五湖に行ってみました。五湖はまだ凍結しており、記念写真を撮って次のオシンコシンの滝を見て、この日の宿舎・斜里温泉湯元館に急ぎました。湯元館は温泉宿とはいっても、お湯の出る山小屋風でなかなか良く温泉も豊富でもう一度行きたい温泉にランキングされました。

 北海道に行って3日目(05年5月6日)。午前5時過ぎに、湯元館を後にして雌阿寒岳登山口をめざしました。ところが、です。斜里の街中を抜けたあたりから雪が降り出し、道路は白くなり峠の高い場所は積雪が見られ除雪車も出動していました。その天気は変わることなく、登山口から粉雪舞うなかを歩くことになりました。(次回につづく)
10051今どきの若者③ 
2008/05/21 [Wed] 12:18:20 » E d i t
 5月4日から3日間、「9条世界会議」が開かれ、日本の憲法9条に学ぼうと法律家団体や、平和や環境にかかわるNGOなど30カ国の代表が集まりました。私は初日の全体会に参加しました。会場の千葉県幕張メッセは参加者の長蛇の列ができ、3000人が溢れたといいます。私は、早めに行ったことが功を奏し中に入ることができました。この世界会議は若い人たちと女性の活躍がめざましかったと思います。広島からスタートしたピースウォークも、当日の裏方も若者たちが先頭でがんばっていました。

 小林多喜二の小説、「蟹工船」が若者の間でブームになっているそうです。新聞の解説などによると、ワーキングプアや貧困などの世情が若者の共感を呼んでいるのではないかといいます。世相とプロレタリア文学がこれほどマッチしたことがかつてあったでしょうか。生活苦と「蟹工船」が若者の琴線に触れた、ということなのでしょう。

 それだけにとどまらず、現代の青年はきちんと声を出すしものごとを真摯に受け止め、考える力がそなわってきている、と私は考えます。前々回のこの場でも具体例を書きましたが、「名ばかり管理職」や残業代不払い問題への取り組みもその一つです。若い人たちが声をあげることの影響力というか、パワーは間違いなく変化を生み出しています。

 どこかの国の首相たちが「改革!」などと声高に叫んでいた時代がありましたが(今でも同じですネ)、あのオジサンたちこそ若者から学ぶべきではないでしょうか。そういえば、18%台までに落ち込んだ福田内閣への支持率ですが、カンネンして解散・総選挙をやってほしいものです。そのとき、若者パワーが炸裂するような予感がするからです。

 ★今回から通し番号をつけることにしました。このブログがスタートした2月を10001として、付け直してみましたら今回は51番目になりました。早いものですね。ちょっとうっとうしいかもしれませんが、整理のためですお許しください。
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10050今どきの若者② 
2008/05/19 [Mon] 09:59:43 » E d i t
 1ヶ月ほど前の同じ西武線の帰宅途上の電車内の出来事です。私はドアに近いところに立って雑誌を読んでいました。目の前にドアに背をもたれるように20代半ばの青年が立っており、その右側には20歳になったかどうかという感じの若い女の子二人が、まあ昔風に言うならばキャン、キャンと会話に弾みがついていました。

 電車が石神井公園駅に近づいた頃、目の前にいる青年の顔色が真っ青になっているのに気づきました。ちょっとこれはアブナイナと思ったと同時くらいだったでしょうか、その青年はその場にうずくまってしまったではありませんか。もちろん私は「大丈夫か」と声をかけ、腕を取って立ち上がらせようとしましたが、動けません。

 間もなく電車は駅に到着し、私たちが立っている側のドアが開きました。その青年を降ろさなくてはなりません。ちょうどホームにベンチがあり、そこに座らせたがいいと考え「少しがんばれ」と励ましながらその青年を動かそうとしました。しかし、重い。すると、近くにいたキャン、キャンの若い女の子たちが手を貸してくれたではありませんか。二人とも一生懸命になって、青年を動かすのに力を出してくれました。

 やっとの思いで青年をベンチに運び終わると、協力してくれた女の子たちは「救急車を呼びましょうか」とケイタイ電話を出しました。青年を横にならせて様子を見ていますと、ちょっと顔色ももどってきています。会話もできるようになり、気分はどうかと聞いてみると「すみません、心配をおかけしました。ちょっと飲みすぎたみたいですが大丈夫です」と、元気をアピールしました。額に手を当ててみると、体温の上昇・下降もなさそうで、女の子たちと「大丈夫みたいだね」と確認し、私はホームを後にしました。

 私は駅を離れながら密かに〝自己批判〟していました。それは、はっきり言ってチャラ、チャラした若い女の子が、困っている人を助けることなどない、と思っていたことにです。この日の光景は、想定外のことだったからです。前回このブログで書いた、危険を顧みず車内で痴漢を捕捉した青年といい、「今どきの若者、捨てたものじゃないぞ」というのが最近の私の実感です。(次回につづく)
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10049今どきの若者① 
2008/05/16 [Fri] 10:54:15 » E d i t
 昨夜。帰宅途上、西部池袋線「石神井公園」駅のことです。電車を降りようとしたら、男の声で「この人、痴漢です。つかまえて下さい」という鋭い声が背後から聞こえてきました。振り返ってみると20代前半でしょうか、若い男の子が50歳くらいのオヤジの腕をつかんでいました。

 その容疑者らしき男、酔っ払っているようで逃げようとしています。私はとっさにそのオヤジのもう一方の腕をつかみ、その場から逃げるのを阻止し電車から降ろしました。その間、若い男の子は自分の荷物を網棚から持ってきて、再度オヤジに取り付き「駅員を呼んで下さい」と叫んでいます。若者と私に腕をつかまれた容疑者、観念したらしくおとなしくなりました。


 傍らには被害者らしき女性がいました。私は状況が分からず念のためにと思い「被害者は誰だ」とその若者にたずねると、やはりその女性でした。20代後半くらいでしょうか、すっかり怯えた様子でした。そのオヤジを若者に託して私は駅員を探しました。周りが騒々しくなって気がついたのでしょう、駅員が走ってきました。「警察を呼べ」とその駅員に声をかけ、容疑者らしき男を捕まえた若者のところに戻ってみると、被害に遭ったと思われる女性が泣いており、それを若い女の子がしきりに励ましていました。

 状況から察するに、オヤジを捕まえた若者と被害女性は全くの他人で、被害女性を励ましていた若い女の子も全く知らない関係のようでした。「おっ」と思ったのはここです。見ても見ぬふりをする昨今にあって、痴漢行為を目の当たりにした若者は、身を挺してその悪漢をつかまえたのです。ややもすると〝返り討ち〟にあうかもしれない世情にあって、その行為は高く評価できるものです。

 車内の痴漢現場にいなかった私は、そこにいても役立たずと思い、若者に「あとはよろしくね」と声をかけ、泣いている被害女性とそれをなだめている若い女の子に「しっかりがんばって」と励ましてその場を離れました。ホームで数人の駅員が走ってくるのと出会い、警察への通報を確認すると「やりました」というので安心して自宅に向いました。(次回につづく)
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2008/05/14 [Wed] 10:22:49 » E d i t
 縦走コースの分岐地点は風もあり気持ちいい。周辺はお花畑になっており、目を楽しませてくれました。休憩していると、十勝岳方面から若い女性が一人で歩いてきました。聞いてみると美瑛から登りはじめて、天人峡まで縦走するといいます。これはすごい、大変な健脚です。それもさることながら、若い女性が大きなザックを背負っている姿に、何となく凛々しい安堵感を覚えたものです

 一休みしたらいよいよ頂上への道に乗ります。コマドリ沢の水場あたりから前後しつつ歩いてきたご夫婦連れと一緒になって登ります。最後の急登をしのいで山頂に到着しました。歩き始めから実に6時間15分、休憩時間を含めたこのタイムは立派で、充実感そのものです。山頂に着いたら、一緒に歩いてきたご夫婦が何やら紙切れを取り出しました。そこに書かれたものを読んでみると「百名山完」と書いてあります。そう、百山の達成なのです。すかさず、周辺から拍手がわき起こりました。東京の狛江市に住んでいるという、70歳近くになるのではないかと思われるお二人に乾杯です。

 狭い山頂は反対側からやってくる登山者も含めていっぱいになりはじめ、記念写真を撮ったら下山です。百名山達成のご夫婦とも別れを告げて、もときた道を戻ります。コマドリ沢からの登り返しは、蒸し風呂状態の中で全身汗まみれになるほど厳しいものがありましたが、一気に歩き切りました。この急登を登りきれば、安心です。ところが疲労もあったのでしょうが、ここから登山口までがヤケに長く感じられました。

 東大雪荘は2泊の予約をしてありましたので、部屋にころがり込むようにもどり早速、温泉です。湯船に浸かると1日の疲れが飛ぶようでした。夕食時、3日間連続登山を称えあって4人の「大宴会」となったのはいうまでもありません。羅臼岳、斜里岳、そしてこのトムラウシ山の北海道3名山一気踏破は、私の山登りの歴史の1ページを飾ってくれました。一緒に登ってくれた仲間たちに感謝です。

☆山頂までのタイム/徒歩総時間10時間00分
 登山口03:40-(途中休憩40分)トムラウシ山頂09:55-(途中休憩50分)登山口15:10
2008/05/12 [Mon] 10:44:38 » E d i t
 山の報告にさせていただきます。4番目は、北海道のトムラウシ山です。前日(05/7/12)、斜里岳から下山して一気に北海道のヘソあたりになる、東大雪荘まで走りました。ここは大雪山塊の南側にある国民宿舎ですが温泉がいい。広々とした湯船に加え、露天風呂も良く厳しかった斜里岳の疲れが取れるようでした。宿の客はそのほとんどが登山者で、たまたまエレベーターで一緒になった二人のご婦人に聞いてみたら「きょう12時間30分でトムラウシを往復してきた」といいます。それを参考にさせていただいたのはいうまでもありません。

 05年7月13日。日本百名山の通し番号4番は阿寒岳ですが、羅臼岳、斜里岳のあとにこのトムラウシにチャレンジした関係で、ちょっとだけ順番を換えさせていただきます。明るくなりはじめと同時に歩こう、ということになり午前3時に宿を出て林道を車で登り詰めました。広々とした駐車場にはすでに10台を超える車が止まっていました。準備を整えて3時40分にスタートです。パーティーは羅臼、斜里を一緒に歩いてきた4人です。

 雪解け水でぬかるんだ山道を歩いて、「カムイ天上」の分岐に着いたら「旧道立入禁止」の看板が立っていました。地図を見ると03年から新道だけの利用となったらしく、そちらへ歩を進めます。いくつかの雪の残った斜面を歩くと急な下り坂が現れました。「帰りにこれを登り返すのはイヤだ」などと悪態をついても仕方がない、前進あるのみです。「コマドリ沢」の分岐に水場があり、ここで前夜、宿で作ってもらったおにぎりで朝食です。水は雪解けのそれで最高でした。

 休憩が終わると次の目標、「前トム平」へと前進です。分岐から終点の見えない雪渓をひたすら登る。まだか、と思うくらい登ります。大きな岩がゴロゴロしたあたりで雪が途絶え、さらに急登をしのぐと、前トム平に到着。そこにはお花畑が広がりほっとさせてくれます。しかも、高山植物の女王・コマクサが咲いているではありませんか。地形の条件は可能でしょうが、この北海道で見ることができたのは感激でした。

 前トム平で休憩ののち、さらに前進です。「トムラウシ公園」までやってくると、トムラウシ山の一部が見え出します。目の前にゴツゴツしたピラミッド型の山がそびえていますが、これが山頂ではありません。その左側に少しだけですが、頭をのぞかせているのがピークです。公園から一旦下って登り返し、一気に山頂直下の分岐まで進みました。(次回へつづく)
2008/05/09 [Fri] 10:30:27 » E d i t
 「死にたい」という願望は存在し、それは明らかに精神的な病気です。前述した私の高校時代の友人、Aさんもその一人です。Aさんは今でも時々〝発作〟が起き、自ら精神科の門をたたきます。カウンセリングを受けて、医者が危ないと判断したら入院措置となります。状況が好転するまでは、一時帰宅も含めて退院はなかなか許してくれないようです。

 現在は元気に通常の生活を維持していますが、かつてその入院先にケーキを持って見舞ったことがあります。Aさんはお茶をいれてくれ、病室で話しをしていて「本当に死にたいと思っている人なのか」と疑問に思うほど普通だったことに驚きました。「水久保クンとこうして話していると普通なんだけど、ふわっと、わけもなく死にたくなることがある。それが怖いんだ」と淡々と語ってくれました。

 精神科医の友人によると死にたいと考えるのも、うつ病の一つで、現在ではこれに効果的な治療薬があるといいます。それも長期間、効果を維持することができるものもあるそうです。医学はそこまで進化しているようです。が、問題はAさんのように自覚があって危ないと思ったら自ら病院に行く人ならいのですが、そうでない場合「手遅れ」になってしまい家族を悲しませることになります。

 とはいえ、精神的に病んだ人でも外部からのきっかけで「死にたい」と思うようになったのであって、外部からのストレスをどう排除していくかが社会的な課題といえましょう。それはヒトが生きていく上での条件整備をすることでもあります。そしてそれは、環境であり、経済であり、政治であることを肝に銘じておくことが大事なのではないでしょうか。年間3万人を超える〝自殺大国〟の汚名を返上するためにも。
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2008/05/07 [Wed] 10:54:44 » E d i t
 連休中にも自殺事件が相次ぎました。残念で悲しいことです。

 「スタンピード」という言葉をご存知ですか。直訳は『暴走』というそうですが、サバンナなどで動物の集団の一匹が走り出すと、周りも一緒になって走り出す光景をテレビなどで目にすることがありますが、あの訳もわからず走り出す暴走状態を言い表しています。最近では、株取引にも使われていますし、マスコミが一斉に同じ方向を向いて報道する、メディアスクラム(過剰・過熱報道)にも当てはめることができます。

 かつての子どもの時もそうでしたが、最近の硫化水素による連続自殺も、このスタンピード現象と言えそうです。もしかしたらヒトにも持って生まれた「追随思考」があるのでしょうか。ヒトも動物であることを考えたら、あるのかもしれません。が、人間の場合は、自殺したい人が集団で暮らしているわけではありませんので、メディアやインターネットがそこに介在していることを見逃してはなりません。

 こうしてみるとメディアは、連続自殺にも間接的に〝関与〟しているといえそうです。それを知ってか最近は、自殺の手段となっている硫化水素の作り方などを報道しなくなりました。それはそれで自主規制として許される範囲だと思いますが、悪弊を促進する役割から早急に脱却してほしいものです。とりわけ、テレビには。

 もっと許せないのは、政治による「自殺促進政策」です。5月4日付け毎日新聞は、山形市で孝行息子と評判だった団塊世代の男性が、母親が認知症を患いその介護で自分が働けなくなり、母親の後期高齢者医療制度による負担増への不安が追い討ちをかけて、その母を殺害し自らも生命を絶つという事件を詳しく報道しています。これはまさに政治による、文字通り他動詞の殺人事件です。高齢者や貧しいものは死ね、に等しい政策が起こした事件であり、これは氷山の一角と言えるのではないでしょうか。後期高齢者医療制度が強行されたいま、この問題への監視を強める必要がありそうです。(次回につづく)
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2008/05/02 [Fri] 10:34:38 » E d i t
 自殺願望のAさんとの電話での会話は、真夜中に1時間を超えました。私は、原因と思われるものを聞き出すことに全力を傾注しました。結論的には、職場の人間関係がその背景にありました。経済的にはAさんは家作持ちで何一つ不自由はなく、そこの心配がないことは知っていました。

 何とか(自殺を)思いとどまらせなければという私の気持ちが通じたのでしょうか、翌朝、精神科の病院に行くことを約束させました。精神的にかなり混乱していても、こういう約束を取り付けると相手は安定するようです。そしてその約束は果たされ、翌日の昼前に「○○病院に入院することになった」という本人からの連絡を受けました。

 出張(組合大会)が終わって東京に戻り、即座にその病院を訪ねたのはいうまでもありません。病室の人となったAさんとは5年ぶりくらいの再会でしたが、痩せて人違いかと思うほどの変わりようでした。末期がんの友人を見舞ったことがありますが、まさにそういう状態と同じで精神的な負荷によっても、こうまでなるのかとびっくりしたものです。人は、精神的であれ肉体的であれ、病気になったときは同じような状況になる、ということを知らされた思いでした。

 これはほんの一例ですが、前回このコーナーで述べたとおり、自殺は明らかに外部から何らかの「力」が加わることによって起きます。問題は、その負荷をどうやって排除するか、あるいは起こさせないか、ということです。いじめによる子ども(大人にもありますが)の自殺が社会問題になっています。これへの対処は、さまざまな形で行われています。

 しかし、経済問題(貧困)や人間関係への対処は手がついていないのが現状です。なかでも経済問題は深刻ですが、解決はかなり可能です。お金の問題は〝政治〟によって改善が可能だからです。最近も足立区で、零細企業家が家族を殺害し自らの生命を絶つという悲惨な事件がありました。この事件はもしかしたら防げたかもしれない、そんな思いを持っているのは私だけでしょうか。(次回に続く/連休中は少し休みます)
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