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ヘボやんの独り言
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2008/04/30 [Wed] 11:51:55 » E d i t
 このテーマ、実に重いということに気づきました。全面展開すると、紙数も時間も限りなく必要になります。そこで、エイヤッと、一点集中的に凝縮させて考えてみることにしました。自分自身でも不満が残りそうですが、カンベンしてください。

 「死ぬ」というのは自動詞で、「殺される」というのは他動詞です。人間にとって死ぬということは、厳密に言えば長寿を全うした(老衰死)ときだけに許される表現だと思います。自動車事故や火事や山の遭難で死亡する状態は他動詞です。「自動車事故で死んだ」のではなく、正確には「自動車事故で殺された」というべきです。病死も実は、病原菌に殺されたのであって他動詞です。自殺も「自分」という『他』に「殺される」現象であって、他動詞です。

 したがって自殺は、外部からのなんらかのベクトルが働かない限り起きようがないと思われます。私の高校時代の友人にもいますが、日常的に「死にたい」と考えている人がいない訳ではありません。いわゆる自殺願望ですが、これはもって生まれたものではありません。どこかに原因があるはずです。

 高校時代の自殺願望の友人をかりにAさんとしておきましょう。20年ほど前のことです。私は組合の大会で、伊豆長岡にいました。そこにAさんから電話が入ったのです。自宅に電話して出張先の連絡先を聞いたそうですが、「死にたい」の連発でした。私は汗びっしょりになって、説得しました。ときには諭し、ときには怒鳴り、高校時代を思い出させるなど1時間余の格闘でした。

 そのとき私はAさんに、「死ぬな」という言い方を敢えてしませんでした。死ぬな、ということは「生きろ」ということであって、生きることの大事さを語ることの大切さを感じていたからです。実はこのことについて、私はすでに学習済みだったのです。この電話を受ける数年前、子どもの自殺が大問題になったことがあります。そのとき、うちの子どもたちとこの問題について「家族会議」を開き議論しました。そのなかで死ぬことを否定するより、生きることの大切さを教えるこが大事だということに気づいたのでした。(次回につづく)
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