ヘボやんの独り言
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2008/04/30 [Wed] 11:51:55 » E d i t
 このテーマ、実に重いということに気づきました。全面展開すると、紙数も時間も限りなく必要になります。そこで、エイヤッと、一点集中的に凝縮させて考えてみることにしました。自分自身でも不満が残りそうですが、カンベンしてください。

 「死ぬ」というのは自動詞で、「殺される」というのは他動詞です。人間にとって死ぬということは、厳密に言えば長寿を全うした(老衰死)ときだけに許される表現だと思います。自動車事故や火事や山の遭難で死亡する状態は他動詞です。「自動車事故で死んだ」のではなく、正確には「自動車事故で殺された」というべきです。病死も実は、病原菌に殺されたのであって他動詞です。自殺も「自分」という『他』に「殺される」現象であって、他動詞です。

 したがって自殺は、外部からのなんらかのベクトルが働かない限り起きようがないと思われます。私の高校時代の友人にもいますが、日常的に「死にたい」と考えている人がいない訳ではありません。いわゆる自殺願望ですが、これはもって生まれたものではありません。どこかに原因があるはずです。

 高校時代の自殺願望の友人をかりにAさんとしておきましょう。20年ほど前のことです。私は組合の大会で、伊豆長岡にいました。そこにAさんから電話が入ったのです。自宅に電話して出張先の連絡先を聞いたそうですが、「死にたい」の連発でした。私は汗びっしょりになって、説得しました。ときには諭し、ときには怒鳴り、高校時代を思い出させるなど1時間余の格闘でした。

 そのとき私はAさんに、「死ぬな」という言い方を敢えてしませんでした。死ぬな、ということは「生きろ」ということであって、生きることの大事さを語ることの大切さを感じていたからです。実はこのことについて、私はすでに学習済みだったのです。この電話を受ける数年前、子どもの自殺が大問題になったことがあります。そのとき、うちの子どもたちとこの問題について「家族会議」を開き議論しました。そのなかで死ぬことを否定するより、生きることの大切さを教えるこが大事だということに気づいたのでした。(次回につづく)
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自殺考 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2008/04/28 [Mon] 12:28:41 » E d i t
 最近、硫化水素を発生させて自殺するという事件が頻発しています。それも自宅、ホテル、マンションと場所を選ばずに行われ、身内だけでなく避難を余儀なくされる周辺住民やホテルの宿泊者などにも被害が広がっています。一歩間違えば、地下地サリン事件と同じようなことになりかねず、これはもう明らかな自殺的殺人犯罪です。

 ネットで自殺に関するサイトを初めて検索してみました。あるは、あるは、びっくりです。硫化水素の項ではごていねいに「ガスが発生すると、卵の腐ったような臭いがする。もしそれがなかったら失敗だから、再度やり直せ」と〝懇切丁寧〟に説明しています。しかもその「材料」の買い方も、(自殺を)疑われるから薬局ではだめだ、などと教示しています。

 これらがいわゆる「有害サイト」といわれるものでしょうが、私はこれを咎めようとは思いません。ネットの内容が反社会的であっても特定の誰かを誹謗・中傷したり、脅迫するなどの犯罪性はなく、極端な言い方をすれば「表現の自由の範疇」だからです。そしてこれらは放置しておいてもユーザーから「不要」のレッテルを貼られたら、ないに等しい存在ともなるからです。

 大事なことは有害サイトの批判にとどまらず、人は何故自殺に走るのか、社会的背景はどうなっているのか、それを止める手立てはないのか、などを考えてみる必要があることではないでしょうか。年間3万人を超える「自殺大国」ニッポン。社会のどこか、何かの歯車が狂っているとしか思えません。そういう問題についてしばらく考えてみたいと思います。おつきあい下さい。(次回につづく)
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2008/04/25 [Fri] 13:21:26 » E d i t
 23日の新聞各紙は、光市母子殺害事件の広島高裁判決を論じています。そのなかで朝日新聞の社説は「見逃せないのは、被告や弁護団を一方的に非難するテレビ番組が相次いだことだ。……裁判の仕組みを軽視した番組づくりは今回限りにしてもらいたい」と、強い口調でテレビへの批判を展開しています。

 一昨日、このブログにも書き込み(コメント)がありましたが、まさにそのとおりで異常としか思えないテレビ番組が相次ぎました。「死刑ありき」から出発したとしか考えられない編集もありました。その意味では、これらの番組は拘置所内にいて、反論の出来ない被告に対する「電波によるリンチ」といっても過言ではなかったと思います。それが最高裁の差し戻しにつながり、「永山基準」の軽視になったのではないでしょうか。私が今回のこの判決に釈然としない理由はここにあります。

 敢えてお断りしておきますが、だからと言って被告に同情するわけでもなく、その罪を許すわけでもありません。犯した罪はきちんと償うべきであることは当然です。その償いの方法が死刑の場合があるかもしれません。それはそれで選択肢の一つだと思いますが、しかし今回の判決は世論ではない強い作為が働いたとしか思えないのです。

 私は、いわゆる「死刑廃止論者」ではありません。しかし、死刑は「ないほうがいい論者」ではあります。分かりにくいヤツだな、とお叱りを受けるかもしれませんが、戦争はもとより正当防衛も含めて、ヒトがヒトを殺すという行為に対する愚直なまでの否定論者だからです。同時にその延長線で、『死刑』には忸怩たる思いを禁じ得ません。なぜなら殺害された被害者の遺族や関係者の、容疑者に対する「殺したいほど憎い」という思いも分かるような気がするからです。

 オウム真理教によって殺害された、横浜法律事務所の坂本堤弁護士一家の説明の中で、フリー百科事典・ウィキペディアは以下のように述べています。「横浜法律事務所はリベラル色が強く、死刑廃止論を主張する弁護士が多かったが、事務所仲間である坂本堤弁護士が殺害された事件を機に、横浜法律事務所の弁護士は死刑廃止を主張しなくなった。なお坂本弁護士自身は死刑廃止論者であった」
2008/04/23 [Wed] 13:50:19 » E d i t
 私は、それでもこの条件は容認できないのですが、人が人を殺すことを許されるのは三つの場合に限られる、といいます。①戦争②正当防衛③法的処置すなわち死刑――の三つです。

 99年に起きた山口県光市の母子殺害事件で昨日、差し戻し審を受けた広島高裁は当時18歳だった元会社員に死刑を宣告しました。もとの1、2審の無期懲役判決を差し戻した最高裁の意を汲んだ形の判決でもありました。生後11ヶ月の乳児を床にたたきつけて殺害、その母親を強姦して殺害するという残忍な犯行は、とうてい許されるものではありません。その局面を見る限り「極刑は当然」という思いは理解できないではありません。

 しかしこの判決は、死刑判断に関する「永山基準」というものがありますが、それとの関係では逸脱しているとしか思えません。永山基準とは、68年から69年にかけて連続ピストル射殺事件で4人を殺害した、当時19歳の永山則夫元死刑囚(97年に死刑執行)の事件の審理過程で確立されたものです。

 それは①犯罪の性質②犯行の動機③犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性④結果の重大性、特に殺害された被害者の数⑤遺族の被害感情⑥社会的影響⑦犯人の年齢⑧前科⑨犯行後の情状――これら9項目を総合的に考慮し、その刑事責任が極めて重大でなおかつ罪の大きさと罰の重さのバランス、そして犯罪予防の観点から考えてやむを得ない場合に極刑が許される、としています。

 ここでは紙数がありませんので永山則夫元死刑囚の生い立ちや事件の内容には触れられませんが、この基準を当てはめた場合、今回の極刑判決は釈然としません。新聞各紙では、今回の判決はこの基準に沿ったものであるかどうかの賛否両論があります。そのなかで一つ、私のこころに引っかかったのは昨日の毎日新聞の夕刊で、「家裁の人」というコミックの原作者・毛利甚八さんのコメントです。

 「判決は裁判官が独立して決めることなので、どうこう言えないが、判決文で、被告の教育歴など事件の背景をきちんと認定し、記録として残すことが重要だ。死刑判決が出たことで、世の中にはホッとしたり、スッとした人もいるだろう。本当にそれでいいのか。被告は子どものころに虐待を受けており、その時、児童相談所は機能したのか、国民一人一人が真剣に考えるべきだろう。それが奪われた被害者の命に対する社会の責任だ」

 (次回につづく)
10039短会話の魅力 
2008/04/21 [Mon] 10:02:09 » E d i t
 私の好きなモノの一つなのですが、世界一短い会話を知っていますか。もちろん日本語で「くけ」、「く」という会話です。決して「か行」を示しているのではありません。少し解説すると「これ食うけ」と質問したことに対して「食う」と答えた会話なのです。もちろん東北地方のそれだと分かりますね。

 「この席、とっとっとですか」という質問があります。「はい、とっとっとですよ」と答えられると、諦めるしかありません。ニワトリの会話ではありません、解説しましょう。劇場や乗り物の中で「この席は取っているのですか」と質問したとき、「はい、取っています」と答えた状態です。わたしはこれを長崎県の「トットット会話」と言っています。

 先日、わたしの誕生日プレゼントだよとケーキを贈ってくれた娘に、「ゴチ」というメールを送ったら「ドイタマ」という返事が返ってきました。これもなかなか短くて洒落ています。会話は、短い中にどれだけ自分の言いたいことを凝縮できるか、という楽しみ方があってもいいのではないでしょうか。作家の名前は忘れたのですが、あるショートショート作家が「きょうは時間がないので手紙が長くなります」と書き始めたというものを読んだ記憶があります。

 先週17日、28期中央労働委員(今年は30期)の任命が連合に独占されているのは不当であるとして起こした裁判の上告審で、弁論を開いて充分な審議をするよう最高裁に申し入れました。当事者のお二人を軸に、地裁も高裁も問題を解決していない。最高裁で議論を深めるべきだ、と求めました。私も発言し「君、司法の番人たりて、行政の番犬となるなかれ」と締めくくりました。果たして、通じたでしょうか。
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2008/04/18 [Fri] 08:34:20 » E d i t
 05年7月12日。前日の羅臼岳の経験から早めのスタートがいいだろうということで、ふもとの山小屋・清岳荘を抜け出し4時半に歩き出しました。北海道の夜明けは本州のそれより早く、ヘッドランプは不要です。登りは滝側の旧道コースを、帰りは山側の新道コースを採ることにしました。ところが、山小屋にも書いてあったとおり、旧道は残雪だらけでその雪の上を踏み抜かないように慎重に歩きますが、これは結構疲れました。しかも、前日の下りに左の膝をいためたらしく痛みもあります。サポーターはつけているものの、こちらにも注意しなければなりません。

 沢を過ぎて樹林帯を抜けて最後の急登をしのいだら「馬の背」に到着です。ここに来てやっと展望が開け、きのう登った羅臼岳が天を突いています。北方四島(国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島)も手に取る位置にあります。こんな近くに見えれば、島の返還を思う心は分かろうというものです。いつの日にか領土問題に決着がつくのでしょうが、早めの解決を祈らずにはいられません。

 馬の背から斜里岳の山頂が見え、登山者が次々とそこに到着する様子が分かります。さあ、あそこだと気を入れなおして前進です。手前の小ピークを一旦下って登り返すと山頂に到着しました。天気が良いと山頂は気持ちいいものです。眼下に雲海が広がり、世界遺産登録直前の知床半島が羅臼岳を盟主にして広がっている様子が両手を広げた位置にあり、久々に得をした気分になりました。

 下山時間になるとガスが立ちこみはじめ、あっという間にそれは広がり、知床半島は隠されてしまいました。下山路は山側の道を歩きましたが、ここでも困難を極めました。ぬかるんでおり、急登になっていたからです。飽きるほどの距離をただ、ただ、黙々と下っていく。左膝に時々痛みが走り、次の日の行動が気になります。沢の音が聞こえはじめそこに到着したらほっと一息です。急な下りを歩いたことで、4人とも腿やふくらはぎに筋肉痛を起こしていました。

 前夜泊まった清岳荘に到着したら、次のトムラウシ温泉「東大雪荘」めざして車を転がします。天気の良さに誘われて、途中、摩周湖に寄ってみました。これは大正解で、展望台からの湖面はガスもなくみごとな藍色をたたえていました。中心部にカムイシュ島が楚々として浮かんでいます。摩周湖に立ち寄ったのは今回で3度目ですが、初めてその全容を見せてもらいました。摩周湖から阿寒湖を経て、次に登るトムラウシ山のふもと、「東大雪荘」をめざしました。

 ☆山頂までのタイム/徒歩総時間7時間20分
登山口04:30-(途中休憩30分)斜里岳山頂08:35-(途中休憩55分)登山口12:40
2008/04/16 [Wed] 10:01:55 » E d i t
 きょうは私の誕生日。ワーイまた1年、生き延びたゾー。天と仲間と家族に感謝。羅臼岳のつづきです。

 雪が終わったところにお花畑が出現し、小雨気味の中でカメラのシャッターを押します。南北アルプスもそうですが、高山の花は可憐です。とくに北海道の花は、夏が短いことから一斉に咲き誇ります。それを知って、小さな虫たちもこぞって花の蜜に群がります。「花と虫」というテーマで写真を撮るとしたら、北海道が最適ではないでしょうか。

 お花畑から5分ほど進むと「羅臼平」に到着、前述の木下弥三吉さんのレリーフがあり、その前で長休憩を取り、いよいよ山頂アタックです。羅臼平から岩清水あたりまでは通常の登山道ですが、ここから岩場が連続し緊張感を高めてくれます。じゃまなストックをザックにしまって、両手を使い岩に抱きつくようによじ登ります。その苦しさも30分ほどで終わり、山頂に到着。木下小屋からちょうど5時間でした。残念ながらガスで視界は閉ざされ何も見えず、しかも雨具を通して寒さも伝わってきます。大急ぎで記念写真を撮って下山を開始。

 下山し始めた直後、3つの大集団とすれ違いました。同じ旅行会社のワッペンをつけたツアー客で、この山の人気の高さがうかがえます。1グループで20人から25人、それをかわすのに時間を取られますが、登り優先です。すれ違う人たちに「山頂までもう少しですよ」と励ましてやります。羅臼平で小休憩を取り、弥三吉水で水の補給をして一気にふもとまで下りました。下山後、5月のときに泊まった「ホテル地の涯」の温泉で汗を流して次なる斜里岳の麓、清岳荘をめざしました。清岳荘に着く頃には、薄日も射し始め次の日の良い天気を予感させました。

 「日本百名山」を記した深田久弥は、雨飾山(新潟・長野の県境)に登るのに3回目でやっと成功しています。深田はそのときの心情を「山は心をあとに残す方がいい、と言った人がある。一ぺんで登ってしまうよりも、幾度か登り損ねたあげく、ようやくその山頂を得たほうがはるかに味わい深い」と書いています。3度目にして羅臼岳の山頂を踏むことができた私には、深田のこの気持ちは分かります。もう一つ、深田は雨飾山の山頂に立ったときの気持ちを「久恋の頂に立った」とも表現しています。「百名山」のなかで「恋」という表現をしているのはここだけで、筆が滑ったのかもしれません。ね。

☆徒歩総時間・7時間20分
木下小屋4:35-弥三吉水6:30-羅臼平9:30-(途中休憩35分)羅臼岳山頂8:35-羅臼平10:30-(途中休憩25分)弥三吉水11:55-木下小屋12:55
2008/04/14 [Mon] 11:00:41 » E d i t
  山の報告その2です。
 
 この山は「三度目の正直」で山頂を踏むことができました。最初の02年の7月は、この時期としては28年ぶりの北海道上陸という台風に遭遇し取り付くことさえも許されず、05年5月は大雪に阻まれて途中撤退、リベンジでこの年の7月に再々挑戦し山頂を踏みました。今回の山行は羅臼岳から始まって、斜里岳、トムラウシ山の北海道3名山にアタックすることになり、大き目の車がいいだろうということで、私の車を使いSさんと2人でフェリーを利用し新潟港から出発、7月10日早朝に小樽港に着岸しました。

 飛行機で飛んでくる(5月に一緒に撤退した)Oさん、Sさんの2人と新千歳空港で合流、高速道路を使い、北見市から小清水町、斜里町を経て、前回泊まった知床半島の「ホテル地の涯」の先にある木下小屋に直行して投宿、翌日の山行に備えました。この小屋は、自炊ですが温泉があります。温泉大好き人種のOさんとSさんは3回ほど入ったでしょうか。知床半島が間もなく世界遺産に指定されることもあり、記念にもなりました。

 翌朝、早めに出ることにし、4時半過ぎにスタートです。われわれの思いが通じたのでしょうか、前夜降っていた雨は上がっていました。しかしガス状態は残っており、最初から急登に取りつきました。途中で5月に来たときにマーキングとして木にくくりつけておいたリボンを発見し、なんだか嬉しくなります。

  「弥三吉水」=やさきちみず/羅臼岳へのこのコースを守り続けた木下弥三吉さんを記念して名づけられたもの。木下小屋もその名前をとっている=の手前で小雨模様となり、雨具を装着。この弥三吉水で水を補給し、極楽平の平たんな道を歩くと、5月に撤退した仙人坂を過ぎた辺りで雪渓が現れました。5月に来たときに実感したとおり、今年は残雪がかなり多くあり30分近く苦労させられました。(次回につづく)
10035偶然の集積③ 
2008/04/11 [Fri] 12:18:01 » E d i t
 とりあえず、「偶然の集積」は前回で締めくくろうと思ったのですが、なんとなく座りが悪く、もう1回つきあってください。この項を書いているうちに「人生」って何だろう、というつまらないことを考えてしまったからです。

 広辞苑は「①人が此の世で生きること。②人間の生活・生存。③人が此の世で生きている間。人の一生。」と書いています。なるほど、前回ここで私が書いた「偶然の集積」を重ねてみるとぴったりします。そこでこれをもう一ひねりして、人生は現在進行形か過去完了形かを考えてみました。この視点でみれば、両方ともあてはまります。生きているうちは現在進行形で、死んでしまったら過去完了形になるからです。さらに未来形も備えているではありませんか。このように、時系列すべての三つのカオを持っている言葉もめずらしいですね。

 最近、ある友人と人生論になり「自分(他人もそうだと思うのですが)の人生が良かったかどうかは死んでみなければ分からない。しかし、死んだあとでは自分でその評価をすることができない。人生とはそういう困ったチャンなのだ」という会話になっていました。さらに、「何をもってその人の人生が良かった、悪かったと判断するのか。基準をどうするんだ」という件(くだり)になると、酒も入っており、支離滅裂状態となってしまいよくおぼえていません。

 とまれ、人生とはこのような会話みたいなもので、基準や決まりはないようです。少なくとも私が生きてきた60年、いや、もうすぐ61年の経験からして断言できます。だから、しつこいようですが、人生は面白いのです。だから、人生を形づくる偶然は大事にしなければならないし、偶然は面白いのです。そして改めていうまでもなく、人生=此の世で生きること=は大事にしなければならないし、自分で断ち切るようなことがあってはならないのです。この項、これで少し座りがよくなったような気がするのですが……。
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10034偶然の集積② 
2008/04/09 [Wed] 16:47:33 » E d i t
 安田かおるさんとのバスのなかでの出会いは、二人のその日の行動条件が一つでも欠けていたらありえませんでした。だから偶然というのは面白いのです。しかし冷静に考えてみますと、人生はすべからく偶然の積み重ね、なのではないでしょうか。

 「れば、たら」論というのがあります。「あの時ああしておれば」、「こうしていたら」の「れば、たら」です。この論、結果が悪かったときにしか使われない不幸な役回りをしています。本来ならば、いいことがあったときにも使うべきなのですが、私たちは良い事にはそれを忘れてしまうからです。とはいえ、良いことがあったときは「ああしたから」、「こうしたため」という言い方になりますから、これは「から、ため」論ということになりましょうか(ちょっと屁理屈)。

 話しをもとにもどして、自分自身のこれまでの人生(ちょっとオーバーか?)を少しだけ振り返ってみましょう。私は、父と母が偶然に知り合って結婚し、生まれました。もし結婚していなければ、もちろん私の今はありません。結婚があったから私は存在しているのです。それは、私自身の結婚についてもいえます。

 私は今年10月で結婚36年になります。連れ合いと知り合ったのは、「70年安保闘争」でした。日米安保条約を廃棄しようという運動の中で彼女とは知り合いました。もし安保がなければ、結婚はなかったでしょう。したがって、私の2人の子ども生まれなかったことになります。

 例を出せばキリがありませんが、こうしてみると私たちの人生は「偶然の集積」といっても過言ではないでしょう。極端な話し、宝くじが当たるのも、交通事故で死亡するのも偶然です。だから、私たちは「一期一会」「袖振り合うも他生の縁」などという言葉に、惹かれるのかもしれません。

 東京芸術座の安田かおるさんに偶然出会ったことを考えているうちに、いつの間にか「人生の集積論」になってしまいました。飛躍し過ぎだ、とお叱りがあろうかと思いますが、これも偶然のなせる業としてご容赦ください。それにつけても、いつ会っても元気印の安田さんには脱帽で、実は密かにパワーをもらっています。今度は偶然ではなく計画的に舞台の芝居を観に行きたいものです。行くゾー、なんちゃって。
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10033偶然の集積① 
2008/04/07 [Mon] 09:57:58 » E d i t
 先週の月曜日(3/31)の帰りがけ、いつも乗り降りする西武池袋線「石神井公園」駅から久しぶりにバスに乗りました。「発車します」という声とともに運転手さんがドアを閉めました。すると、「待ってー」という声がかかりドアが再び開けられ、1人の女性が飛び込んできました。

 私はこの日の夜はめずらしくオフで、中国・上海に住んでいる先輩が久しぶりに日本に帰って来たということで、旧交を温めてホロ酔い加減でそのバスに乗っていました。普段ですと、カミさんが駅まで迎えに出てきてくれて、マイカー帰宅なのですが、この日カミさんは地元の観光会社が主催する「身延山花見ツアー」に参加しており、出迎えは無理と判断、バス帰宅にした次第です。バスに乗るのは半月ぶりくらいのことでした。

 そして、バスの中です。飛び込んできた女性を見てびっくり。東京芸術座の女優・安田かおるちゃんではありませんか。「オー元気そうだね」と声をかけると今度は彼女がびっくり、周りをはばからず「アー!」と大声をあげていました。

 彼女は私の家からバス停で5つほど先に住んでおり、きょうはたまたまヤボ用で劇団のある上井草まで行って、すぐ帰るつもりが、たまたま「一杯やろう」と先輩に誘われ、その帰りでした。しかも、自転車で行ったものの酒を飲んだ関係で帰りはたまたまバスにしたといいます。

 この出会いは「偶然」の積み重ねで起きたものでした。私の側から見れば、カミさんの花見旅行がなく、いつものように私が遅く帰っていたら。上海からの来客がなく旧交を温めていなかったら――。彼女側からは、その日でなくてもよいヤボ用を違う日に設定していたら。そして先輩から、飲みに行こうと誘われず、自転車で帰っていたら――。きっと二人は会えなかったでしょう。そんなこともあり、偶然の面白さをしばし考えてみたいと思います。(次回につづく)
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2008/04/05 [Sat] 00:13:32 » E d i t
 「靖国」上映に関連する件について、稲田朋美議員の発言は「表現の自由ではないのか」という意見が聞かれました。発言の内容そのものはそうでしょうが、経過が問題です。たとえば、彼女が映画館に足を運んでその映画を観て、自分の感想を言ったとしたらそれはまさに自由の範疇であって、私(たち)はきっとそれに反論し、議論の場ができたでしょう。

 しかし問題なのは、検閲まがいの試写会を「開かせ」、当該映画が一般公開される前にメディアを使ってモノを言ったことです。つまり「モノを言う」に至る経過が問題なのです。助成のあり方を考えるとはいえ、事前に試写会を開き自民党内でそれを議論すれば、どういうことが起きるか、ある意味、素人でも想定できます。それが分かっていながら、彼女たちは行動を起こした訳ですから、これはもう未必の故意ですし、確信犯です。それゆえに私は、この事件は言論弾圧だ、といいたいのです。

 東京で上映を中止した映画館への批判も起きています。「上映中止を求める電話がかかってきたり、周辺で抗議行動があった。近隣に迷惑がかかってはいけないので中止した」(毎日新聞ウェブ)ということがあり、それが引き金になっているのでしょう。迷惑がかかるということを口実にした、右翼を恐れての上映中止で、「情けない」の一言ですが、今回の問題と、先に起きたプリンスホテルが日教組の教研集会の会場をいったん受けておきながら断った事件とは質的に違い、同じ次元で一律に批判できないと思います。

 今回は自民党という与党(権力)が横ヤリを入れて、それを受ける形で右翼(らしき者)が蠢いたことにより映画館が〝自己規制〟した形になっています。プリンスホテルの事件と質的に違うのは、権力が直接かかわっている点です。ここを見落としてはいけないと思います。その意味では、映画館を批判しつつも、激励も同時進行させる必要があるのではないでしょうか。

 この言論弾圧事件についてマスコミ関係の組合などを中心に、抗議声明が出されています。機敏な対応に「言論死さず」の頼もしさを感じました。関西では上映館が増えています。さらに、この弾圧に負けず独自の上映会をやろうという声も聞かれます。言論や表現の自由は空気みたいなもので、普段はあまり感じませんがなくなると深刻です。そんな思いをこめながら、今回の問題をしっかり見据えたいものです。
2008/04/04 [Fri] 10:01:12 » E d i t
 3月28日の記者会見で、稲田朋美氏は12日に試写会が行われたことについてしきりに「事前検閲ではなかった」と〝弁明〟しています。助成金を出すにふさわしい作品かどうかを見極めるための試写会だったと言います。それだけなら、ああそうかい、と聞き流すのですがチベットを引き合いに出して、「ダライ・ラマの主張だけの映画に中国政府が助成金を出したら問題になる」というくだりで、一気に胡散臭くなりました。

 なぜならこの発言は、映画「靖国」そのものに一定の予断をもって試写会に臨んだことを自ら暴露したにほかならないからです。しかもその試写会は、前出の「伝統と創造の会」のメンバーらが、文化庁に助成の妥当性を問い合わせたところ、この映画の配給会社「アルゴ・ピクチャーズ」が緊急試写会を開いた(産経新聞ウェブ)といいます。これらは言い方を換えると(稲田議員は試写会を要求したことはないと言いますが)、「助成」問題をテコに試写会を開かせ、予断をもってそれを観て問題にした、という図式が浮かび上がります。この見方は、飛躍し過ぎでしょうか?

 ダライ・ラマの例示も幼稚ですが、この会見の冒頭、稲田議員は「映画の内容については問題視していない」と語っていますが、どうしてどうして、しっかり踏み込んでいます。「この映画がある一定の見方、靖国に対するメッセージを持っている」、「小泉首相の靖国参拝に対し、原告側のメッセージが入っている」などと述べています。この発言はもう、『問題視』そのものではありませんか。

 稲田議員は、小泉元首相を被告とした「靖国参拝訴訟」の被告側弁護団(だった?)の一人です。その立場が、今回の動きに結びついていることは容易に想像できます。いわゆる「靖国派」だからです。とはいえ、この映画を観たという友人の一言は効きました。「あの映画にイデオロギーはないよ。敢えて言えば、あそこに出てきた〝靖国派〟支持者の発言がお粗末でアホでひどすぎる。自民党の連中は、それを見せたくないから今回みたいなことになったんじゃないの」――うーん、厳しい。(次回につづく)
2008/04/03 [Thu] 14:25:44 » E d i t
 ドキュメンタリー映画「靖国」(監督=中国人のリ・イン)が上映不能に追い込まれました。これはもう、言論・表現への弾圧にほかなりません。この映画に文化庁が750万円の助成金を出したことに疑義を唱えた、自民党の稲田朋美議員らの発言がきっかけの一つとなったようです。

 この間の動きをタイムテーブル的に並べてみますと、①3月12日/与野党国会議員を集めた緊急試写会を開催②翌13日、自民党若手議連「伝統と創造の会」(会長・稲田朋美衆議院議員)らが自民党本部で会合を開き助成金を出したことに異論噴出③3月18日/この映画を上映予定していた新宿の映画館「バルト9」が上映取りやめを決定、その後、4月に入ってからも都内の上映予定館すべてが中止を決定④3月28日/稲田朋美議員が日本外国特派員協会で記者会見を開き、意見を開陳――というものです。

 本題に入る前にこの映画のあらすじを点検してみましょう。口コミサイト「映画生活」には以下のように説明しています。

                          ◇=◇=◇
 ふだんは静かな靖国神社だが、毎年8月15日になると様々な人々が集まってくる。大きな国旗を掲げ、英霊や天皇を称える者。旧日本軍の軍服に身を包み、ラッパの音に合わせて行進してくる一団。「天皇陛下万歳」を叫ぶ者、戦没者集会に現れる議員たち、歌われる「君が代」、そしてそれに抗議の意を唱える近隣諸国の若者…。「英霊」という名の姿形がないものをめぐって、称える者も反対する者も熱くなる。そんな「靖国」とは…。

 今年90歳になるという刀鍛冶職人が日本刀を作るシーンから本作が始まる。あまり知られていないが、靖国神社のご神体は日本刀なのだ。毎年夏になると、ニュースで大きな話題になる「靖国問題」だが、戦後60年たった今、「英霊」と言われても、多くの人にはピンとこない問題だろう。実際に靖国神社に行ったことがなく、まったく関心もない国民も少なくない。本作は日本滞在歴が長い中国人監督によるドキュメンタリーだが、「靖国」の歴史やイデオロギーを解説するのではなく、そこに「集い」、「行動」する人々の姿をただカメラに収め、結論は見るものにゆだねている。知っているようで知らない「靖国」の一面を見るのにいい機会だろう。
                          ◇=◇=◇

 この解説は実に普通です。あとで触れますが、前述とは別の場所の試写会に参加した人も、イデオロギー性などない、と、断言しています。にもかかわらず、あの人たちは何を恐れているのでしょうか。3月28日に稲田朋美議員が行った会見のやりとりを中心に、以下、考えてみます。その記者会見の模様について以下の「Jan Jan」サイトに詳細が出ています。参考までにどうぞ。(次回につづく)

http://www.news.janjan.jp/government/0803/0803283785/1.php
2008/04/02 [Wed] 15:08:32 » E d i t
 9合目からは難所続きとなりました。ガレ場は砂状態のところが多く、一歩進むと半歩下がる、という状態で悪戦苦闘しながら前進です。加えて、島特有の強風が襲ってきて、砂塵が時折目に飛び込んで難渋します。下山してくる人とすれ違うのも一苦労です。

 やっとの思いで利尻山頂に到着です。歩き始めて5時間15分かかりました。先客は早立ちした人たちでしょう、10人ほどいました。風は当然強く、その中で記念撮影のあと若干の腹ごしらえです。山頂から南側をのぞき込むと、お花畑が広がっていました。極寒とたたかって咲く、その花たちは健気(けなげ)でありました。

 下山の時間になる頃、ガスが立ち込み始めました。Mさんが疲れ気味で、2組に分かれて登山口をめざすことに。途中で飲んだ「北限の名水・甘露水」のおいしかったこと。登山口まで民宿の車に迎えにきてもらい、利尻温泉で途中下車、汗を流しました。ここで温泉に入れるとは思ってもいなかったので、喜びもひとしおで、湯上りのビールがうまく感じました。

 民宿には2泊して、帰り際、民宿のおばさんと記念写真を撮って港へ。シーズンのせいでしょう、観光客はたくさんです。船が動き出すと同時に、カモメが近寄ってきます。船客に餌をもらうためで、慣れているらしく人の手から直接餌をとっていきます。その可愛らしいこと。稚内から一気に札幌にもどり、夜は花火大会を楽しみ、翌日はニセコアンヌプリと羊蹄山に登る2組に別れてそれぞれの山頂を踏んで、帰路に着きました。

 山頂までのタイム/徒歩総時間9時間5分
 登山口04:25-長官山07:25-山頂09:40(途中休憩35分)-登山口14:45(途中休憩35分)

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