ヘボやんの独り言
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10015なくせ貧困 
2008/02/29 [Fri] 10:13:29 » E d i t
 今年の春闘の主テーマは「なくせ貧困」です。これは時宜を得たスローガンだと思います。格差が広がり、ワーキングプアが増大するなかで、緊急かつ切実な課題です。この「貧困」問題に二つのテーマがある、と私は考えています。一つはいうまでもなく生活の貧困。そしてもう一つは「こころの貧困」です。

 私自身も子どもの頃、貧困のどん底にいたことがあります。日本ジャーナリスト会議が制定しているその年の報道で優れたものにおくる『JCJ賞』があります。1960年の第3回JCJ賞は写真家・土門拳さんの写真集「筑豊のこどもたち」が受賞しています。学校に行っても給食費が払えないばかりか、弁当さえも持っていけず昼休みの給食時間に本を読んでいる子どもの写真は、見る人をドキリとさせました。まさに貧困の象徴でした。

 実は私自身、炭鉱夫の父をもちあの子らと同じ経験を持っています。給食時間がいやでした。教室を抜け出して、校庭に出て行ったことが何回もありました。父は必死に仕事をしていましたが、貧乏の子沢山で米びつには一粒のコメもないことがありました。そんなとき、長男だった私は父に連れられて、ウラのイモ畑に忍び込んでそれで飢えをしのいだこともあります。50年を超えた今でもそのときの恐かった夢を見て、飛び起きることがあります。

 貧しい生活でしたが、こころまでは侵されていませんでした。大自然の中で兄弟やクラスメートたちと遊ぶ、そのなかに間違いなく夢や希望があり、喜びもありました。しかし、現代の貧困は生活だけでなく、こころをも貧困に追い込み蝕んでいるように思えます。年間3万人を超える自殺者はそれを物語っているのではないでしょうか。希望が持てない、未来が見えない、それが自殺へと直結しているように思うのです。

 現代の貧困の根源に、構造改革路線と新自由主義があることは自明の理です。50年代後半から60年代前半の貧困と比較すると、現代の貧困はこころまで侵食されているという点において、質的に違うと思います。構造改革を推し進めてきたあの人たちの責任は、重大といわざるをえません。同時に、それとのたたかいなくして「ストップ貧困」はなし得ないといっても過言ではないでしょう。
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10014中央労働委員会 
2008/02/27 [Wed] 10:54:18 » E d i t
 「労働委員会」って、ご存知ですか。労働三法の一つ、労働組合法に基づいて設置された労働争議のあっ旋や調停などを行う機関です(三法のあとの二つは労働基準法と労働関係調整法)。労働委員会は各都道府県にあり、その命令が不服の場合は中央労働委員会に不服申し立てができます。裁判の場合は三審制ですが、労働委員会は二審制となっています。なおかつ、中央労働委員会の命令が不服な場合は、裁判に訴えてその取り消しを求めることもできます。

 ちょっと分かりにくいのですが、考えようでは労働争議は労働委員会と裁判所という二つの機関を経ることができる、「五審制」になっていると言ってもいいのかもしれません。これは労働者保護を重視していることの証しでもあります。この労働委員会は、「三者委員」によって構成されています。三者委員とは労働者を代表する労働者側委員、経営者を代表する使用者側委員、そして公益委員のことです。

 中央労働委員会は各委員15名、合計45人で構成されています。現在、そのなかの労働者側委員15名は、ナショナルセンター別で見てみますと、全員が「連合」の出身となっています。日本にはもう一つ、「全労連」というナショナルセンターがあり、全労協やマスコミ関係組合や金融関係組合などのように、ナショナルセンターに所属していない中立系の組合もたくさんあります。中労委の労働委員が連合に独占されていることに対して、「それは不公平だ」と公正な任命を求める運動がこの間広がりました。

 各都道府県の労働委員の任命権はそれぞれの知事に、中央労働委員は内閣総理大臣にあります。今でいえば福田康夫さんです。同じ康夫さんで、前長野県知事の田中さんは知事就任後、全労連系に県労働委員の枠を与えました。これはまともな識見といえます。総理大臣の福田さんはどうするのでしょうか。

 なんと不肖、私が、今年10月に改選・任命を予定している第30期中労委の労働者側委員に、中立系労組と全労連を代表して立候補することになりました。肩書きは「新聞労連特別顧問」となります。新聞労連はどこのナショナルセンターにも所属していない、中立系の組合です。立候補は少々、荷が重いわけではありません。が、「一人の労働者も泣かせない」ために、実現めざしたいと思っています。声を福田康夫さんにぶつけて下さい。
10013中国産? 
2008/02/25 [Mon] 11:30:31 » E d i t
 私は東京都練馬区に住んでいます。周辺はまだ畑が残っており、農家では野菜づくりにがんばっておられます。ダイコン、ニンジン、キャベツ、エダマメ、サツマイモなど旬のものを道路に面したところに小さな小屋をつくり販売してくれています。産地直売で、農薬などもほとんど使っておらず安心ですから、その小屋で売られているものがわが家の食卓にはよく並びます。

 もうほとんど終わりに近いのですが、最近はブロッコリーの収穫期です。それらを作っているSさんと、山好き仲間として懇意にさせていただいています。Sさんは嘆きます。「最近、見たこともない若い人が買って行くんだよね。それも必ず〝これ中国産じゃないでしょうね〟と聞いてくる。輸入されたものをここで売っていると思っているらしい。冗談じゃないよ」

 「最近ひどかったのは、このブロッコリーを見て、〝どこで作っているんですか〟と質問されたこと。悔しいから〝あんたの目の前のこの畑だよ〟と答えてあげた。その人、びっくりしたね。ブロッコリーがどういうふうにして出来ているのか知らないんだよね」。

 悩ましい会話です。ギョーザ事件で輸入食材への関心が高まったことはいいことだったのですが、それが変によじれているような気がしてなりません。事件が起きて大騒ぎしてもいいのですが、もっと根源的なこと、たとえば「食の安全教育」や「食の安全報道」などを重視すべきではないでしょうか。そしてもう一つのSさんの言葉も気になりました。「練馬区で農業に従事している人の平均年齢は68歳だってさ」。
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10012小林多喜二③ 
2008/02/22 [Fri] 11:11:46 » E d i t
 治安維持法時代(1925年4月-1945年10月)に活動し、獄中で過ごした経験を持った人と私が話しをしたことがあるのは二人だけです。一人は「母べえ」のところで紹介した連れ合いの父親、宣平(のぶへい)。そしてもう一人は、小林多喜二とも一緒に活動したことのあるプロレタリア作家の山田清三郎(1896年-1987年)さんです。

 山田さんはご承知の方もいるかと思いますが、白鳥事件(1952年1月、札幌で起きた警官射殺事件。これを共産党の仕業として北海道警は、村上国治らを逮捕し最高裁まで争ったものの有罪判決を受ける)の研究をされた一人です。私自身、かつてこの事件の村上国治さんを救出する運動にかかわり、そのとき山田さんとは知り合いました。

 「夢なりき/夢にてありき/今はなき/小林多喜二の/あの眉/あの鼻――」
 「今はなき/小林多喜二と/――じゃまた……/と握手交わして/醒めし夢かな」
 山田清三郎さんが残した短歌です(「わが生きがいの原点」白石書店)。小林多喜二への思いがこもっています。山田さん自身も2度、下獄しています。小柄で温厚でその人のどこにエネルギーがあったのか不思議でなりませんでした。ただ、言葉の端々に出てくる権力への飽くなき怒りは、手に取るほど伝わってきました。

 その山田清三郎さんが語った「小林多喜二は蔵原惟人の推せんで共産党に入党し、私は小林多喜二の推せんで入党した」という一節が、今でも私の記憶装置にこびりついています。三人とも亡くなっておられ確認しようがなく、山田さんの書いたものの中にその記述がないか、探してみましたが見つかりませんでした。どなたかお分かりでしたら、教えてください。そういえば、小林多喜二の遺体を囲んだ写真が残っていますが、そのなかに(特定はできないのですが)山田清三郎さん、蔵原惟人さん、江口渙さんも入っているそうですがいかがでしょうか。そして、映画「母べえ」で父べえが遺体で帰ってきたときのシーンに、この写真とオーバーラップしたのは私だけでしょうか。

 2月20日は、小林多喜二が殺された「治安維持法時代」を忘れない、繰り返させない、そんな誓いの日にしたいものです。この日は同法が発効する4年前の、1921年に生まれた私の母の誕生日でもあります。87歳になった母は、認知症が出てきていますが元気です。
10011小林多喜二② 
2008/02/21 [Thu] 07:44:16 » E d i t
 前回紹介のメモを書いた江口渙は、小林多喜二の葬儀委員長をやったということで、検挙されています。多喜二の殺し方の異常さと、江口の逮捕も含めて、こういうことが国の〝お墨付き〟で行われていたことを忘れてはなりません。

 暗黒社会を形作った治安維持法。その12年間は『治安維持法時代』と言えるのではないでしょうか。戦国時代も、江戸時代も、明治維新も大正デモクラシーのときも、生命の危険にさらされる厳しいものはありました。しかし、この治安維持法時代ほどモノを言っただけで、書いただけで、国家が堂々と国民を弾圧し人殺しを行った時代は稀有なのではないでしょうか。

 そういう時代にあって、権力を批判し続けた小林多喜二をはじめ宮本顕治ら、プロレタリア作家に改めて頭が下がる思いです。真実を貫くために生命を賭ける、どこからその不屈の精神が発揮されたのでしょうか。そのすさまじいばかりの、真っ直ぐに未来を見つめた姿は、私たちを感動させてくれます。

 同時に、あの時代の再現・回帰を許さない、しっかりしたスクラムの必要性も痛感しています。時あたかも、メディアも含めて総スカンをくい廃案になったはずの「人権擁護法」制定の動きが出始めました。人権擁護を名目に、メディアにモノ言わせない法律は、断じて成立させてはなりません。(つづく)

 以下、友人から「面白いから読んでみたら?」と届いたブログです。言論の自由の範疇として、紹介を許してください。私の未熟な表現力の不十分さをはるかに上回って、そのことを書いています。

http://teagon.seesaa.net/article/82465449.html
10010小林多喜二① 
2008/02/20 [Wed] 09:51:49 » E d i t
 きょうは、「蟹工船」「党生活者」などで知られる、プロレタリア作家・小林多喜二が29歳の若さで、東京築地警察の特高警察官によって1933年に虐殺されて75年目のその日です。多喜二は希代の悪法・治安維持法(1925年4月-1945年10月廃止)によって逮捕・拘禁され、その日のうちに拷問によって殺されました。

 このときの模様を後年、多喜二と活動をともにし、遺体に立ち会った江口渙(1887年-1975年)が以下のように書き残しています。抜粋ですが、様子が分かります。目を逸らさないで読んでください。

                        ◇=◇=◇
  すごいほど青ざめた顔は、はげしい苦しみの跡をきざんで筋肉のでこぼこがひどい。頬がげっそりとこけて眼球がおちくぼみ、ふだんの小林よりも十歳ぐらいもふけて見える。左のコメカミにはこんにちの十円硬貨ほどの大きさの打撲傷を中心に五六ヵ所も傷がある。それがどれも赤黒く皮下出血をにじませている。おそらくはバットかなにかでなぐられた跡であろうか。
 首にはひとまきぐるりと細引きの跡がある。よほどの力でしめたらしく、くっきりと深い溝になっている。そこにも皮下出血が赤黒く細い線を引いている。両方の手首にもやはり縄の跡がふかくくいこみ赤黒く血がにじんでいる。
 だが、こんなものはからだのほかの部分にくらべるとたいしたものではなかった。帯をとき着物をひろげてズボン下をぬがせたとき、小林多喜二にとってどの傷よりもいちばんものすごい死の「原因」を発見したわれわれは、思わずわっと声を出していっせいに顔をそむける。
 毛糸の腹巻になかば隠されている下腹部から両脚の膝がしらにかけて、下っ腹といわず、ももといわず、尻といわずどこもかしこも、まるで墨とべにがらとをいっしょにまぜてねりつぶしたような、なんともいえないほどのものすごい色で一面染まっている。
 そのうえ、よほど大量の内出血があるとみえももの皮がぱっちりと、いまにも破れそうにふくれあがっている。そのふとさは普通の人間の二倍くらいもある。さらに赤黒い内出血は、陰茎から睾丸にまで流れこんだとみえて、このふたつの物がびっくりするほど異常に大きくふくれあがっている。
                        ◇=◇=◇

 メモはまだまだ続くのですが、このくらいにしておきましょう。特高警察の残忍さが浮かび上がっています。私がこの文章を初めて読んだのは、確か20歳前だったと思いますが怒りに震えました。人間って、怒りが沸点に達すると震えがくるんだ、と、奇妙な納得をしたものです。(つづく)
10009国鉄闘争③ 
2008/02/18 [Mon] 13:12:48 » E d i t
 国鉄闘争は22年目に入りました。日本国民の、いや、日本の労働者と労働組合の威信とプライドを賭けてでも、早期解決へ全力をあげるべきだと私は考えます。いまさら述べるまでもなく、JR不採用・国鉄闘争は国家的不当労働行為とのたたかいであったし、それは日本の労働者全体にかけられた攻撃でもあったからです。

 国鉄の民営化が決まった前後、マスコミは国鉄労働者の「ヤミ、ポカ」の執拗な報道を行いました。まさに現在で言う、メディアスクラムそのものでした。カラスの鳴かない日があっても、国鉄労働者の〝不祥事〟の報道がない日はありませんでした。それは結果として国労を分断していきました。

 ある意味国民が、国家と一体となったメディアの「目くらまし」にあうなかで、政府は国鉄の分割・民営化を強行したのです。そのことに気づいたとき、1047名の仲間たちは職場を放り出され、たたかいを余儀なくされていました。

 目くらましにあった責任上、自己批判をして国鉄闘争の解決に全力をあげるべきだ、と、短絡的に言うつもりはありません。ただひたすら、22年目に入った仲間たちの生活を立て直し、人道的立場からも全面解決を図るべきだと思うからです。

 そのたたかいの一環として、3月5日夜、東京市ヶ谷の「エデュカス東京」7階ホールで集会が開かれます。講談師・神田香織さんが『ぽっぽや義士伝』を語ります。講談を聞きながら、改めてこの闘争の意味を考えてみる機会にしたい、そう念じています。
10008国鉄闘争② 
2008/02/15 [Fri] 10:43:46 » E d i t
 JR不採用による国鉄闘争の当事者である4者(国労闘争団、鉄建公団原告団、鉄道運輸機構原告団、全動労原告団)と4団体(国労、建交労、国鉄闘争共闘会議、中央支援共闘会議)は、統一要求を決めました。簡単にいうと①雇用②年金③解決金――がそれです。
 ※注・建交労は旧全動労が加盟しているため4団体に入っている。

 おや? と首をかしげる方がいるでしょう。そうです、要求に「解雇撤回」が入っていないのです。かなりの議論になったそうです。その詳細は分かりませんが、時間が経ちすぎていることもあり、解決の道筋をつくる上での重要な決断だったと思います。

 この4つの要求の中で、深刻だと思うのは「年金」です。21年間にわたって(国民年金に加入してきた人はいるようですが)経営者の負担分はもとより、賃金にかかわる比例報酬部分の「納付」はできていません。事件当時、40歳だった人は比例報酬部分の受給資格が発生しています。「消えた年金」が大問題になっていますが、1047名の仲間たちは払いたくても払えない『消された年金』といえます。

 21年間の1047名の年金〝空白〟を埋める義務が、国とJRにはあります。先の二つの裁判の判決は、不当労働行為性を認めて慰謝料の支払いを命じました。その延長線でみても、「年金」に関する要求は道理あるものです。(次回へつづく)
10007国鉄闘争① 
2008/02/13 [Wed] 10:43:27 » E d i t
 このブログの書き込み、ちょっとスピードを出し過ぎたような気がしています。今後は、毎週、月、水、金に出すことを目標に進めて行きたいと考えています。ご理解をよろしくお願いいたします。

 いま私が争議関係で緊急的に取り組むべきだと思っているのは、JR不採用・国鉄闘争と明治乳業の賃金差別闘争問題です。国鉄闘争は21年、明乳闘争は23年にもなっているからです。まず、国鉄闘争について考えさせてください。

 今度の土曜日、2月16日は1047人の仲間たちが「解雇通知」を受け取った、怒りの丸21年目です。17日からは、22年目のたたかいに入ります。長い、あまりにも長すぎる……、心がいたんでなりません。このうちすでに47人は鬼籍に入り、遺族がそのたたかいを引き継いでいます。

 闘争戦術をめぐって意見の違いが生じ、統一的な闘争が組めない時期がありましたが、国鉄の仲間たちはそれを乗り越え解決への決意を新たにしています。1月23日に全動労関連の東京地裁判決がありました。未払い賃金は認めませんでしたが、JRへの不採用について慰謝料の支払いを命じました。

 あの司法をしてこの判断は、一定、評価できるものです。つづいて3月13日は鉄道運輸機構訴訟の判決が控えています。この間の流れからみると、楽観は許されませんが敗訴はないでしょう。そうしてみると地裁段階とはいえ、JRの1047人への不当労働行為性は司法的には決着したと見ていいのではないでしょうか。問題は、JRとそれを指導した国交省が真摯にこれを受け止めるかどうか、です。(次回へつづく)
2008/02/11 [Mon] 09:46:25 » E d i t
 前回のこのブログは後期高齢者医療制度問題で書き、もしかしたらあの人たちは長生きすると「末期高齢者」と言い出すのではないか、という不安を述べました。な、なんと、2月10日付け毎日新聞は1面でその不安が的中するような報道をしました。

 見出しは「延命治療の有無――『生前意思』に診療報酬」というもの。内容はちょっと分かりづらいのですが、対象は75歳以上とし、患者本人の希望に沿った終末期治療を目的として、患者が医師らと相談し、延命治療の有無などの希望を文書などで示す、リビング・ウィル=生前の意思表示=を作成すると、診療報酬が支払えるようにする制度を導入する、というもの。しかも、終末期治療の範囲をどこまでにするかの規定はあいまいなままです。

 おやおや、何か変。確かに尊厳死や終末期治療のあり方の論議はいろいろあります。延命治療についても、賛否両論があります。しかし、患者に「生前の意思表示」をさせ、診療報酬を支払うということは見方を変えると、医者や病院関係者に治療中止を促すことになるのは、素人の私でも考えつくことです。なぜなら恐らく終末期患者の多くは、家族の負担を考えて延命治療を望まないだろうからです。

 これは、健康保険料を支払わせる医療制度の改悪につづいて、またしても高齢者を狙い撃ちにしてきたもの以外のなにものでもありません。しかも今度は死期を早めさせようとしています。弱いものいじめを許さない、「高齢者一揆」がいよいよ必要になっているのではないでしょうか。全国の高齢者団結せよ! と呼びかけたいものです。
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10005後期高齢者 
2008/02/08 [Fri] 06:41:56 » E d i t
 いまさら何を、と怒られるかもしれませんがこの国の行政は、情もなければデリカシーもない、そんな気がしてなりません。「後期高齢者」問題はその一つです。今年4月1日から後期高齢者医療制度の導入が控えています。75歳以上のお年寄りから、健康保険料を徴収しようという制度です。

 そもそも「後期高齢者」という言い回しが不愉快です。日本経済を汗水たらして支えてきた先輩やお母さんたちを、75歳になったとたんに「後期高齢者」と名指しし、まるで邪魔者扱いです。何をもって「後期」という表現をしたのでしょうか。まるで長生きするのが悪であるかのような、その語彙力の貧困さに憤りすら湧いてきます。そのうち90歳を超えた人のことを、あの人たちは「末期高齢者」と言いかねない、そんな恐ろしさを禁じえません。

 私の母はまもなく87歳になります。現在、健康保険は私の扶養家族になっています。ところが後期高齢者医療制度が実施されると、私の扶養から外され健保は独立することになります。月7万円程度の遺族年金から、保険料が強制徴収されます。これはもう、高齢者に「死ね」というに等しい仕打ちです。

 春闘が始まりました。労働組合はこの制度の中止に向けて、何よりも先に取り組むべきではないでしょうか。現在の組合員は長生きすれば間違いなく75歳になります。その組合員のためにも、未来のために今、断固阻止する必要があります。労働者の最大の武器、ストライキを打ってでも。時間は、少ししかありません。
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10004母べえ③ 
2008/02/07 [Thu] 10:09:28 » E d i t
 『母べえ』を観ながら、治安維持法と弾圧問題を考えつつ、私の身近にあの家族と同じような経験をした人がいることを思い浮かべていました。

 八坂スミ(本名・石塚ルイ/1891年-1986年)という歌人がいたことをご存知でしょうか。90歳の時につくった短歌「這うことも/できなくなったが/手にはまだ/平和を守る/一票がある」は、多くの人々の共感を呼びました。「わたしは生きる」と題した歌集は、86年度の小林多喜二と宮本百合子を記念してつくられた「多喜二・百合子賞」を受賞しています。

 八坂さんは婚家を捨てて上京、養子を迎えました。その子が戦前から共産党の活動を行い、共産党の幹部を自宅にかくまったりして投獄されたこともありました。息子のその活動に影響を受けた八坂さんも社会活動に目覚め、共産党員となり歌人として社会変革に身をささげました。

 八坂スミさんのところに養子として入ったのは、愛知県出身の永村宣平、のちの石塚宣平(1900年-1978年)でした。宣平は井上松美と結婚しましたが、小柄で健康もすぐれず徴兵を免れました。しかし戦中は特高警察ににらまれ続けていました。宣平と松美の間に終戦直前と戦後に、2人の女の子が生まれました。その下の娘が、私の連れ合い・牧子であることはほとんど知られていません。

 映画『母べえ』は、私にこんなことを思い出させてくれました。そのうち機会があれば、私が知りうる限りの八坂スミさんのこと、石塚宣平さんのことをこのブログに書いてみたいと思っています。
10003母べえ② 
2008/02/06 [Wed] 10:23:13 » E d i t
 昨日の続きです。『母べえ』の舞台となったあの時代と同じような状況が、ひたひたと忍び寄ってきていると感じるのは私だけでしょうか。その典型が、言論・表現の自由が不自由になってきていることです。国公法堀越事件、葛飾、立川のビラまき事件などがそれです。平和や民主主義や国民生活擁護を訴えるビラ配布のどこが罪なのでしょうか。

 これらの事件を放置することは、天に唾する行為に等しいと私は常々考えています。歴史をつぶさに見るならば、堤防の小さな穴がいつの間にか大きくなり、決壊し、大洪水となって庶民を飲み込み、塗炭の苦しみに追い込んでいったからです。

なかでも、メディアはこれらにもっと敏感になるべきだと思います。本来的に自らの問題そのものだからです。それにつけても、司法の体たらくはひどいものがあります。堀越事件では耳慣れしない「執行猶予つき罰金刑」を言い渡し、立川事件と葛飾事件は高裁で逆転有罪となりました。

 1950年代半ば、えん罪の八海事件をモデルにした映画『真昼の暗黒』(今井正監督)は、有罪判決を受け続けた被告が「まだ最高裁がある!」と叫んで終わりますが、現代では「最高裁に行けば負ける!」という恐ろしい事態になってきています。『坐頭市』流では「イヤな渡世(とせい)」ということになるのでしょうか。

10002 母べえ① 
2008/02/05 [Tue] 14:09:20 » E d i t
 いま各地で上映中の、『母べえ』を先週の土曜日に観ました。母親と娘と父親の愛情物語であるとともに、戦前の治安維持法の恐ろしさをしっかり描いています。お国にたてつく者を監獄に押し込んだあの時代を、改めて山田洋次監督が告発しているのではないか、そんな思いを強くしました。

 当時の日本政府は、「贅沢は敵だ」というキャンペーンを張り、国民から戦争に必要な物資を巻き上げました。しかし庶民は、「贅沢は素敵だ」と静かな抵抗を試みていました。そのシーンに、つい笑みが出てしまった私でした。庶民の知恵に、権力はかないません。

 母親役の吉永小百合の熱演もさることながら、廻りの陣容もみごとでした。女の子たちの役回り、「武士の一分」の女房役で光っていた檀れい、その敵役だった坂東三津五郎など、それぞれが味わいある存在でした。

 重ねてこの映画、母の強さと家族の結びつきだけでなく、時代背景にぜひ目を向けていただきたいものです。
10001 ネジレ妖怪 
2008/02/04 [Mon] 18:14:39 » E d i t
 お待たせしました。小林さんのご協力でやっとスタートできるようになりました。
 
 国会周辺を「ネジレ」という妖怪が跋扈(ばっこ)しています。しっかり見張っていないと、こいつはいい事もしますが、時々悪さもします。
 
 二重否定は強い肯定となりますが、このネジレも同じです。先の臨時国会は、テロ特措法を期限切れでいったん無効にしたものの、与党提出の新テロ特措法案は衆議院で再議決されました。このとき、民主党が提出した自衛隊の恒久派兵法案は継続審議として残りました。ネジレ妖怪の悪さと言えましょう。

 今国会では、ガソリンの暫定税問題で、与党は姑息にも同税を「つなぎ法」でしのごうとしましたが、世論の力に押されて撤回しました。が、ネジレがもう一度ねじれて「暫定」が「固定」にならないよう、監視の必要があるのではないでしょうか。
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