ヘボやんの独り言
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2011/06/22 [Wed] 09:39:38 » E d i t
 昨21日のウェブで気になる記事を見つけました。自殺者が5月に大幅に増えたというのです。以下、一部省略しますが紹介しましょう。

                         ◇=◇=◇
<自殺>急増で震災影響調査 5月、前年比2割増…内閣府
毎日新聞6月21日(火)11時27分配信

 今年5月の全国の自殺者が3329人(暫定数)で、昨年5月の2782人(確定数)に比べて547人、19.7%増えていたことが警察庁の調べで分かった。昨年12月から今年3月までは4カ月連続で前年を下回った減少傾向から一転したうえ、月別の自殺者数が3月と9、10月にピークを迎えることが多い近年とは傾向が異なる。内閣府は「東日本大震災による生活環境や経済状況の変化が影響している可能性がある」として、震災後の自殺者の性別や年代、出身地など、警察庁の統計を詳しく分析する。

 4、5月の自殺者数がそれぞれ3月の自殺者数を上回ったのは、警察庁が月ごとに自殺者数を発表するようになった08年以降、今年が初めて。また、今年5月の自殺者数は08年以降の月別自殺者数で最多だった。

 厚生労働省の人口動態統計で04~08年の月別自殺者数を平均すると、自殺者数のピークは3月。8月までは減少傾向で、10月に2度目のピークを迎える。いずれも企業の決算期と重なっており、経済的な要因からの自殺が多いためとみられている。

 警察庁の都道府県別自殺者統計は、出身地に関係なく遺体が見つかった都道府県の件数にカウントされる。避難先で自殺した被災者がいる可能性もあることから、内閣府経済社会総合研究所は警察庁から自殺者の出身地についても情報を提供してもらい、分析する。

 内閣府参与で分析に加わるNPO法人「自殺対策支援センター・ライフリンク」の清水康之代表は「5月の自殺者数は異常な数字。防止策のため分析を急ぎたい」と話している。

 被災者向けに「心の相談電話」を開設している日本精神衛生学会(東京都新宿区)によると、3月19日~今月20日に受理した相談は2997件。震災直後は被害の大きさを話す人が多かったが、5月ごろから「生きていても仕方ない」「自分だけ助かって後悔している」など、自殺願望を話す人が目立ち始め、6月も増えているという。【鈴木梢】
                         ◇=◇=◇

 1ヶ月の自殺者が3000人を超えたことは確かに深刻です。素人の私からみても、大震災が関係しているであろうことは容易に想像できます。被災地からの「自分が生きていて申し訳ない、という人がいます」という報告は、決して誇張ではないと思います。この対策、困難ですが何にもまして優先する必要があります。

★脈絡のないきょうの一行
国会、70日の会期延長。メディアは菅首相の退陣時期問題に終始。大事なのは被災者支援論議では?

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2008/05/09 [Fri] 10:30:27 » E d i t
 「死にたい」という願望は存在し、それは明らかに精神的な病気です。前述した私の高校時代の友人、Aさんもその一人です。Aさんは今でも時々〝発作〟が起き、自ら精神科の門をたたきます。カウンセリングを受けて、医者が危ないと判断したら入院措置となります。状況が好転するまでは、一時帰宅も含めて退院はなかなか許してくれないようです。

 現在は元気に通常の生活を維持していますが、かつてその入院先にケーキを持って見舞ったことがあります。Aさんはお茶をいれてくれ、病室で話しをしていて「本当に死にたいと思っている人なのか」と疑問に思うほど普通だったことに驚きました。「水久保クンとこうして話していると普通なんだけど、ふわっと、わけもなく死にたくなることがある。それが怖いんだ」と淡々と語ってくれました。

 精神科医の友人によると死にたいと考えるのも、うつ病の一つで、現在ではこれに効果的な治療薬があるといいます。それも長期間、効果を維持することができるものもあるそうです。医学はそこまで進化しているようです。が、問題はAさんのように自覚があって危ないと思ったら自ら病院に行く人ならいのですが、そうでない場合「手遅れ」になってしまい家族を悲しませることになります。

 とはいえ、精神的に病んだ人でも外部からのきっかけで「死にたい」と思うようになったのであって、外部からのストレスをどう排除していくかが社会的な課題といえましょう。それはヒトが生きていく上での条件整備をすることでもあります。そしてそれは、環境であり、経済であり、政治であることを肝に銘じておくことが大事なのではないでしょうか。年間3万人を超える〝自殺大国〟の汚名を返上するためにも。
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2008/05/07 [Wed] 10:54:44 » E d i t
 連休中にも自殺事件が相次ぎました。残念で悲しいことです。

 「スタンピード」という言葉をご存知ですか。直訳は『暴走』というそうですが、サバンナなどで動物の集団の一匹が走り出すと、周りも一緒になって走り出す光景をテレビなどで目にすることがありますが、あの訳もわからず走り出す暴走状態を言い表しています。最近では、株取引にも使われていますし、マスコミが一斉に同じ方向を向いて報道する、メディアスクラム(過剰・過熱報道)にも当てはめることができます。

 かつての子どもの時もそうでしたが、最近の硫化水素による連続自殺も、このスタンピード現象と言えそうです。もしかしたらヒトにも持って生まれた「追随思考」があるのでしょうか。ヒトも動物であることを考えたら、あるのかもしれません。が、人間の場合は、自殺したい人が集団で暮らしているわけではありませんので、メディアやインターネットがそこに介在していることを見逃してはなりません。

 こうしてみるとメディアは、連続自殺にも間接的に〝関与〟しているといえそうです。それを知ってか最近は、自殺の手段となっている硫化水素の作り方などを報道しなくなりました。それはそれで自主規制として許される範囲だと思いますが、悪弊を促進する役割から早急に脱却してほしいものです。とりわけ、テレビには。

 もっと許せないのは、政治による「自殺促進政策」です。5月4日付け毎日新聞は、山形市で孝行息子と評判だった団塊世代の男性が、母親が認知症を患いその介護で自分が働けなくなり、母親の後期高齢者医療制度による負担増への不安が追い討ちをかけて、その母を殺害し自らも生命を絶つという事件を詳しく報道しています。これはまさに政治による、文字通り他動詞の殺人事件です。高齢者や貧しいものは死ね、に等しい政策が起こした事件であり、これは氷山の一角と言えるのではないでしょうか。後期高齢者医療制度が強行されたいま、この問題への監視を強める必要がありそうです。(次回につづく)
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2008/05/02 [Fri] 10:34:38 » E d i t
 自殺願望のAさんとの電話での会話は、真夜中に1時間を超えました。私は、原因と思われるものを聞き出すことに全力を傾注しました。結論的には、職場の人間関係がその背景にありました。経済的にはAさんは家作持ちで何一つ不自由はなく、そこの心配がないことは知っていました。

 何とか(自殺を)思いとどまらせなければという私の気持ちが通じたのでしょうか、翌朝、精神科の病院に行くことを約束させました。精神的にかなり混乱していても、こういう約束を取り付けると相手は安定するようです。そしてその約束は果たされ、翌日の昼前に「○○病院に入院することになった」という本人からの連絡を受けました。

 出張(組合大会)が終わって東京に戻り、即座にその病院を訪ねたのはいうまでもありません。病室の人となったAさんとは5年ぶりくらいの再会でしたが、痩せて人違いかと思うほどの変わりようでした。末期がんの友人を見舞ったことがありますが、まさにそういう状態と同じで精神的な負荷によっても、こうまでなるのかとびっくりしたものです。人は、精神的であれ肉体的であれ、病気になったときは同じような状況になる、ということを知らされた思いでした。

 これはほんの一例ですが、前回このコーナーで述べたとおり、自殺は明らかに外部から何らかの「力」が加わることによって起きます。問題は、その負荷をどうやって排除するか、あるいは起こさせないか、ということです。いじめによる子ども(大人にもありますが)の自殺が社会問題になっています。これへの対処は、さまざまな形で行われています。

 しかし、経済問題(貧困)や人間関係への対処は手がついていないのが現状です。なかでも経済問題は深刻ですが、解決はかなり可能です。お金の問題は〝政治〟によって改善が可能だからです。最近も足立区で、零細企業家が家族を殺害し自らの生命を絶つという悲惨な事件がありました。この事件はもしかしたら防げたかもしれない、そんな思いを持っているのは私だけでしょうか。(次回に続く/連休中は少し休みます)
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2008/04/30 [Wed] 11:51:55 » E d i t
 このテーマ、実に重いということに気づきました。全面展開すると、紙数も時間も限りなく必要になります。そこで、エイヤッと、一点集中的に凝縮させて考えてみることにしました。自分自身でも不満が残りそうですが、カンベンしてください。

 「死ぬ」というのは自動詞で、「殺される」というのは他動詞です。人間にとって死ぬということは、厳密に言えば長寿を全うした(老衰死)ときだけに許される表現だと思います。自動車事故や火事や山の遭難で死亡する状態は他動詞です。「自動車事故で死んだ」のではなく、正確には「自動車事故で殺された」というべきです。病死も実は、病原菌に殺されたのであって他動詞です。自殺も「自分」という『他』に「殺される」現象であって、他動詞です。

 したがって自殺は、外部からのなんらかのベクトルが働かない限り起きようがないと思われます。私の高校時代の友人にもいますが、日常的に「死にたい」と考えている人がいない訳ではありません。いわゆる自殺願望ですが、これはもって生まれたものではありません。どこかに原因があるはずです。

 高校時代の自殺願望の友人をかりにAさんとしておきましょう。20年ほど前のことです。私は組合の大会で、伊豆長岡にいました。そこにAさんから電話が入ったのです。自宅に電話して出張先の連絡先を聞いたそうですが、「死にたい」の連発でした。私は汗びっしょりになって、説得しました。ときには諭し、ときには怒鳴り、高校時代を思い出させるなど1時間余の格闘でした。

 そのとき私はAさんに、「死ぬな」という言い方を敢えてしませんでした。死ぬな、ということは「生きろ」ということであって、生きることの大事さを語ることの大切さを感じていたからです。実はこのことについて、私はすでに学習済みだったのです。この電話を受ける数年前、子どもの自殺が大問題になったことがあります。そのとき、うちの子どもたちとこの問題について「家族会議」を開き議論しました。そのなかで死ぬことを否定するより、生きることの大切さを教えるこが大事だということに気づいたのでした。(次回につづく)
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