ヘボやんの独り言
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2017/04/30 [Sun] 13:14:57 » E d i t
 昨年3月18日の小ブログで報告したが、東電福島第一原発近くの国道6号線沿いの放射線量調査を4月28日(金)に行った。今回は4回目である。初回は封鎖が解除(14年9月15日)された直後の9月21日。それ以降、2回目は15年11月20日、3回目は16年3月11日に行っている。

 今回は3台の線量計を使った。より正確な数値を出すためだ。例によって、同じ地点を調査した。相対的には初回より線量は減っている。が、世界基準からみるとほとんどがオーバーしており、通行も帰還もできるような状態ではなかった。

 【今回使った線量計】
170428線量計

 改めて、放射線量の被ばく許容量をみてみよう。
 ●世界基準は、年間1m㏜(ミリシーベルト)となっている。したがって、
 ●1m㏜は1000μ㏜(マイクロシーベルト)だから、
 ●1000μ㏜÷365日=2.74μ㏜(1日の許容線量)
 ●2.74μ㏜÷24時間=0.114μ㏜(1時間の許容線量)
ということになる。したがって(線量計は通常1時間あたりの線量を表示しているが)許容量は1時間あたり0.114μ㏜ということになる。

【観測地点の数値】
170428線量調査4ブログ用

 今回は、常磐道が全線開通したことから浪江インターで降りて東進、JR常磐線の跨線橋を越えて6号線に入った。少し高くなっている跨線橋から、浪江町の様子を見ながら走ったが、駐車場に止まっている車は見えず、人の気配はなかった。いつになったらこの街は復活するのだろうか……。国道6号線の調査区間は、許容数値をはるかに上回っていた。別図は1回目と比較している。全体として初回より数値は下がっているが、①の浪江町以外は全てアウトであった。

【第一原発が見える地点から】
第一原発近く

 写真は、第一原発に近いところだ。作業用のクレーンが見える。線量はこの辺りが無茶苦茶に高かった。許容量の50倍となっている。ところが、国道から左右に分かれる主要県道に、車の侵入を防ぐ警備員が立っていたこ。一応マスクはつけていたが、被ばくしているのは間違いない。この人たちの健康は大丈夫なのか、心配になった。国道6号線のこの部分、健康問題を考えるならば封鎖すべきだと、改めて感じた。

★脈絡のないきょうの一行
失敗した北朝鮮のミサイル発射。電車を止めたり、射撃訓練の執拗な報道は、戦争を想定した国民の〝教育〟ではないのか。
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2017/03/18 [Sat] 09:37:14 » E d i t
 初めて、原発避難者訴訟の判決が出た。国と東電の責任を認めたことは評価できるが、その賠償内容に忸怩たる思いを禁じ得ない――。

                           ◇=◇=◇
<原発避難者訴訟>原告、笑顔なき勝訴…苦労報われず落胆
毎日新聞 3/17(金) 21:20配信


 笑顔なき「一部勝訴」だった。17日の原発避難者訴訟の判決で、前橋地裁は東京電力と国の賠償責任は認めたものの、命じられた賠償額は原告の請求からは程遠かった。古里を奪われた代償を求めて3年半。大半の原告が周囲に知られないように名前も伏せ、息をひそめるようにして闘ってきた。「もっと寄り添ってくれる判決を期待していたのに」。苦労が報われなかった原告の顔には落胆の表情が浮かんだ。【尾崎修二、山本有紀、鈴木敦子】(以下、省略)
                           ◇=◇=◇

 1960年代、エネルギーが石炭から石油に変わるとき、多くの炭鉱労働者が職場を追われた。一部では、大量の指名解雇も行われた。そのとき言われたのが「去るも地獄、残るも地獄」であった。原発避難者訴訟は、この言葉とオーバーラップする。

 避難指定区域かどうかを問わず、福島を離れることを決断せざるを得なかった人たちの思いはいかほどであっただろうか。原発事故から避難してきた人たちを私は知っている。子どもの健康を考えたとき、自宅を〝捨てて〟離れる決断をした苦渋の選択に至る経過も聞いた。福島に残った人たちに、申し訳ないと思いながらふるさとを捨てる苦しみは、測り知れない。

 原発避難者の子どもへのいじめは報道されているとおりだ。それを避けるために子どもを避難先から離れた学校に通学させている家族もある。当然、経済的にも負担は重くなる。「そこまでして……」という避難への批判的な声が聞こえる。が、子どもをまもる親の気持ちは、そこまでする、のである。

 翻って、福島に残った家族のことに想いを馳せてみたい。不安はない、と言い切れるだろうか。「コントロールされている」とウソで固められた放射線対策を、どれくらいの人たちが信じているだろうか。子どもと一緒に逃げ出したい、しかし、その経済的保証がない、だから残らざるを得ない、という家族はいないのだろうか。

 今回の判決の賠償内容もそうだが、原発避難者の子どもへのいじめも今の政治の縮図に見える。「弱い者いじめ」がまかり通る図式である。安倍自公政権は、年金カット、高齢者医療費負担増、介護の必要な人の切り捨て――など、典型的な〝弱い者いじめ〟政策を強行している。同じことが原発避難者にも行われているのだ。悲しい現状ではないか。

 いや、待てよ。もしかしたらこの国の国民全体が「去るも地獄、残るも地獄」状態に置かれているのかもしれない。

★脈絡のないきょうの一行
「森友疑獄」は籠池泰典理事長VS安倍晋三首相による日本会議の内紛化してない? メディアさん、誤魔化されないでね。
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2017/03/11 [Sat] 04:50:27 » E d i t
 6年の歳月が経た。未だに2500人を超える行方不明者を残したまま、そして人々のこころが、いまだ癒えぬままに……。

 忘れてはならないこの大震災、直後の写真を見ながら改めて考えてみたい。(名取市閖上の写真は、仙台市在住の友人・佐藤康雄氏が撮影したもの)

【名取市・閖上の日和山/撮影日・3月29日】
0329東日本巨大地震 084
 今では、観光のスポットとなった日和山。震災から18日目の山頂の様子である。山頂といっても10㍍足らずの小高い場所。まったく手つかず状態である。そこに流れ着いた家屋が痛々しい。この地域は名取市で一番多い犠牲者を出している。

【その日和山山頂から海方面/撮影日・3月29日】
0329東日本巨大地震 096
 家屋が流れ着いた山頂から、海方面。調査にきたのだろうか、自衛隊員の姿が見える。階段下のバイクは友人の物。その先の空き地は、現在ではこの地を訪れた人たちの駐車場になっている。この風景、忘れてはならない。

【石巻市街地/撮影・4月16日】
14161石巻02
 旧市役所に近い商店街。この辺りも津波に襲われた。整頓はされていたが、がれきが置かれたままになっていた。写真一番手前のおもちゃの飛行機の持ち主は、無事だったのだろうか。元気に過ごしているのだろうか。

【石巻市・日本製紙の紙倉庫/撮影・4月16日】
0416DSC_石巻日本製紙
 私たちが訪ねたとき、周辺はヘドロの臭いが充満していた。1年後にはこの倉庫はきれいに撤去され、レールも車両が通れるように整備されていた。企業の復旧は早かった。一般住宅もこのくらいのスピードがあれば……と思うのはないものねだりか。

【亘理町荒浜地区の被災現場/撮影・4月16日】
0416DSC_3757亘理町 (1)
 この地を訪ねたときは、言葉がなかった。津波の恐ろしさを見せつけられた思いだった。ここも、閖上と同じように多くの犠牲者を出したところである。日常生活に使う毛布や布団などの剥き出し状態は、「ここでくらしていた人たちがいたのだ」という実感が押し寄せ、涙を誘った。写真撮影場所の真後ろは阿武隈川の河口になっている。その土手のサクラの木につぼみを見つけた。あの津波に負けず、生き続けていることに感動すら覚えた。

【亘理町の一角に打ち上げられた漁船/撮影・4月16日】
0416DSC_亘理町23760
 その現場から、車で5分ほど陸地に入ったところで見つけた漁船。海からの距離にすれば5、6キロはあるだろう。この船の持ち主は大丈夫だったのだろうか。写真を撮りながら、沈黙の時間がつづいた。

 紙数の関係で6枚だけしか紹介できないが、「3.11を忘れない」一助にしていただければ幸いである。

★脈絡のないきょうの一行
いきなり南スーダンから自衛隊PKO撤退表明。森友学園で下がった支持率の回復策に利用?

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2016/10/26 [Wed] 21:25:29 » E d i t
 石巻市と宮城県に賠償命令が下った。84人のいのちを奪った津波。賠償命令が出たからと言って、いのちが帰って来る訳ではない。つらい判決である。

 判決は市と県の責任をどういう形で認めたのか、現段階では不明である。その内容が明らかになったら、改めてこの問題に言及したい。が、地震発生から45分間にわたって、避難することもせず待機していたという。何故なのか。

 福島県浪江町の請戸(うけど)小学校では、いち早く避難し一人の犠牲者もけが人も出さなかった。同小学校は2階部分にまで津波が押し寄せていた。それでも「避難する」という素早い判断が子どもたちのいのちを守った。こことの違いはどこにあったのか。

 疑問はまだ闇の中だが、あいまいにしてはならない。〝災害列島〟における危機管理の在り方、いのちを守ることの大切さ、そのときの判断――。この事件に潜む教訓は、山ほどある。防災と災害被災者支援に取り組んで、20年を超えた私自身も気づかないところにあるかもしれない。この裁判の行方、しっかり見極めたいものである。

                           ◇=◇=◇
<大川小訴訟>石巻市と県に14億円賠償命令
河北新報 10月26日(水)15時16分配信


 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁(高宮健二裁判長)は26日、学校の責任を認め、計約14億2660万円を支払うよう市と県に命じた。公立学校教職員の管理監督下で震災の津波で犠牲となった児童生徒を巡る司法判断は初めて。全国の教育現場に大きな影響を与える可能性がある。

 19遺族は2014年3月に提訴。訴訟では(1)津波の到達を予見できたか(2)津波の被害を回避し、児童を救えた可能性があったか―が主に争われた。遺族側は「防災無線や市広報車からの情報で津波の襲来は認識できた。裏山などへ避難すれば全員助かった」と主張。市側は「当時得られた情報から想定を超える規模の津波は予見できず、結果は回避できなかった」と反論していた。

 訴えによると、11年3月11日午後2時46分の地震発生後、大川小の教職員は約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。校庭近くの北上川堤防付近(標高6~7メートル)に避難を開始した直後の午後3時37分ごろ、高さ8メートルを超す津波にのまれ、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。

 当時、校内にいて助かったのは教職員11人のうち男性教務主任1人と、児童4人のみ。学校の管理下で子どもが犠牲になった戦後最悪の惨事とされ、遺族らは真相究明を求めてきた。

 仙台地裁で言い渡された津波訴訟判決は6件目。行政の賠償責任が認められたのは、東松島市野蒜小を巡る訴訟(仙台高裁で審理中)に続き2件目となる。
                           ◇=◇=◇

★脈絡のないきょうの一行
ETC料金で4万件の過剰請求。中央道と圏央道に関する路線だと。うちも被害に遭っているかも。怒。

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2016/06/02 [Thu] 13:45:43 » E d i t
 阿蘇神社は阿蘇市民、熊本県民のこころの拠り所の一つだという。ここまで崩壊してしまうと、メンタル的にも影響を与えるのではないか、そんな気がしている。阿蘇神社から熊本に戻ろうということで、豊後街道と呼ばれる国道57号線を走った。

 ところがこの道は崩落した阿蘇大橋の近くを通るため想定どおり、通行禁止となっていた。少しバックして、う回路に入った。国道から入ったすぐの踏切近くに列車が止まっているのを発見。どうも傾いているようだ。車を道路わきに寄せてそれを見に行った。

 豊肥線「赤水駅」が見えている。1両は駅ちかくに、もう1両は踏切の向こう側に止まっていた。駅近くの車両は脱輪して傾いている。写真1、2でその様子が分かる。車輪がレールに乗っていない、この光景は珍しい。

 写真3は、脱輪の瞬間に強烈な力が働いたのだろう、レールが曲がっている。そのレールの下にある木製の枕木が千切れ飛んでいる。あの強固なはずの枕木が千切れるほどの力がかかったことになる。これはすごい。写真を撮っていると、年配のご夫婦がやってきた。

【写真1/止まったままの列車】
赤水駅脱線09

【写真2/脱線部分(進行方向右車輪)】
赤水駅脱線脱輪03

 話をしてみるとご主人は鉄道のことに詳しい。「私は撮り鉄(鉄道写真のマニア)ですよ」と笑っていたが、かつて鉄道員だったという。そのご主人の話。「1回目の地震のとき、2両編成の列車は赤水駅で足止めとなった。しばらくして試運転をしようということで、動き出した。そこに2回目の地震が襲ってきて脱線した」というのだ。

 「転覆しなかったのはラッキーだった。運転士は怖かっただろう。列車の1両目は、踏切内に止まり、車の邪魔になるというので少し動かした」という。上記写真の向こう側に見えるのがそれだ。

 もっとすごいと思ったのが下の写真3だ。

【写真3/千切れた枕木】
赤水駅脱線07

 脱線するときに力が加わったのだろう。レールが曲がっておりその下の枕木が千切れている。枕木が千切れるほどのエネルギーはすごい。列車が脱線や転覆するとき、このような想像を絶する負荷がかかるのだ。これは記憶にとどめておきたいものである。

 未だにこの列車のために豊肥線は動いていない。地震の爪痕の一つとして記憶にとどめておきたいものだ。帰路に益城町町役場の前を通った。道路の向かい側の文化会館の駐車場で、夕食の支度だろうか炊き出しが始まっていた。一日つきあってくれた従姉妹の娘が住んでいる駅近くで彼女を降ろして、別れ。宿泊地の大牟田市でもう1泊して東京に戻った。車のメーターは、東京を出てから2,825㎞を記録していた。一人運転の最長不倒距離樹立であった。

 熊本の現地は、仮設住宅建設が遅れているようだ。早めの建設をお願わざるをえない。揺れは小康状態になってきているようだが、被災者のみなさんが一日も早く、日常生活に戻ることが出来るよう念じてやまない。

★脈絡のないきょうの一行
北海道の男児不明事件。まるで神隠し。どうしたことだろう。

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