息子を山に送り出すたびに「もしかしたら、これが別れになるかもしれない」という、思いと〝恐怖〟がつきまといます。本の題名に、やや奇をてらった感がないわけではありませんが、『登山家の息子(46歳)と自分(79歳)のどちらが先に死ぬかは、五分五分』というのが著者の弁です。
最初の部分を紹介しましょう。
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「おやじ、『今度こそ死ぬのではないか』と思っていただろう。おれはおやじの雰囲気からそんなことを感じた。おれも少しやばいなと感じていたが、出かけたんだ」――。
2009(平成21)年秋、ヒマラヤ遠征から帰ってきた泰史とこんな会話を交わした。泰史のこのつぶやきのようなひとことを聞くと、二ヵ月前の8月19日、成田空港での胸を締めつけられるような出来事が蘇ってきた。
いつものように、ヒマラヤに出かける前夜は私の家に泊まる。しかし泰史の態度からは、これまでのような挑戦前の「ワクワク、ドキドキ感」が感じられなかった。空港でも同じだった。ギャチュンカン事故後初めての大岩壁挑戦は、二年後の中国・ポタラ北壁だったが敗退し、さらに一年後にはようやく成功した。ポタラ北壁で敗退した時も成功した時も、挑戦者の泰史からは「ワクワク、ドキドキ感」が私にも伝わってきた。しかし今回は、「決めたことだから行く」という雰囲気が感じられて仕方がなかったのだ。
そんな時、いきなり泰史が立ち上がって私たち三人にカメラを向けた。泰史が空港で私たちにカメラを向けたことはこれまで一度もなかった。
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続きは本で読んでください。このときの写真はこの直後に著者から送られてきて、私の家のパソコンにストックされています。確かに、長年つきあっている登山家・山野井泰史の顔は珍しく緊張しています。それを即座に読み取った著者は、さすがに父親です。
福島第一原発事故で、東電は津波の高さが「想定外だった」と弁明しましたが、登山家にとっての「想定外」は即、死を意味します。だから、山野井泰史には想定外は存在せず、持てる全ての叡智を使って遭難と対峙し生還してきました。その凄さみたいなものを、一番身近な父親の目を通して書いています。そして、泰史さんの連れ合い妙子さんへの思いもまた温かく伝わってきます。
仲間うちで、山野井さんのこの本を応援しようということで呼びかけ人を募って宣伝を広げています。私もそのなかの一人です。連絡いただければ送料込み1,890円で送らせていただきます。サインつきで代金は現物と一緒に振込用紙を同封します。隠れたベストセラーにしたいと思っています。ぜひお読みください。
★脈絡のないきょうの一行
「放射能がなくても雨に濡れれば、体調は崩れます。雨には濡れないほうがいいですね」と、放射線専門家の野口邦和さん。確かに。彼が言うから意味倍増。
餅つきは、ご存知の方が多いと思いますが事前の準備が大変です。前日からもち米を研いで、水に浸しておかなければなりません。最近は人数が増えたこともあって、もち米はなんと40㌔になりました。これを研ぐために前夜から泰史さんの両親、孝有さんと孝子さんが泊まり込みます。それを全てお任せするのは申し訳ないと、私の家で10㌔を研ぎますが、2時間余の作業となります。奥多摩ではその3倍の量ですから、大変さは推して知るべし、です。
朝からお湯を沸かして準備が整い、11時過ぎにスタートです。12時過ぎると、つきあがった餅で昼食とします。つきあがったばかりの餅はうまい。広場で〝立ち食い〟ですが、大根おろしや黄な粉、納豆と一緒に食します。妙子さん手作りのあんこは、あっという間に売り切れます。このあんこも実にうまい。
今年は10回目の記念に赤飯をつくりました。それをお願いしたHさんは、事前に自宅でリハーサルまでしてくれて、上手に仕上がりました。この赤飯も「売れ行き」抜群で、短時間でみんなの胃袋に納まりました。全てのもち米が餅に姿を変えたのは、午後4時半を回っていました。
これからが、本番です。この餅つき忘年会に参加するのに、特段の資格はありません。友だちが友達を呼んで、増えていきました。今年は現役の内科の登山家医者一家と、その後輩の医大生も加わりました。この小ブログを読んだことがきっかけで参加するようになった「山ガール」もいます。女優の市毛良枝さんも参加したことがあり、今年は急用でだめでしたが、作家の沢木耕太郎さんは〝常連〟です。NHKで放映された「夫婦で挑む大岸壁」の撮影クルーの皆さんも時間を割いて来てくれます。
忘年会は、今年1年を振り返って全員のひとこと発言が〝義務〟づけられています。今年の圧巻は、インドの7千メートル峰登山と、毒キノコに当たって入院したという二人からの報告でした。詳細は別に譲りますが、この日初めて出会った仲間もいますが、それを感じさせない雰囲気があります。
宴会が終わると、翌日、山に登るメンバーはお泊りです。帰る人たちにはこの日つきたての餅と、泰史さんと妙子さんが周辺からいただいてきた柚子などのお土産が持たされます。泊まる10数人は持参のシュラフにもぐりこみ、翌日に備えます。山は、昨年同様に倉戸山に登りました。それも泰史さんの案内で、登山道とは違う新しいルートを使って。
山から戻ってきたら、泰史さんのご両親らが作ってくれた昼食の焼きソバが待っています。これも慣例となってしまいました。20人ほどになるこの昼食もにぎやかです。そしてお別れ。つきたての餅をお土産にもらって、それぞれがマイカーに分乗します。私はお土産の追加に、妙子さんが作った大根をいただきました。これもうまかった。
★脈絡のないきょうの一行
「派遣村」のないこの年末、懸念の声が出ている。ボランティア任せでいいのだろうか。
JR奥多摩駅から鴨沢、丹波山方面へのバスに乗って、「倉戸口」で降りて倉戸山(くらとやま)への道にのります。舗装道路と別れるあたりに「倉戸山登山口」の標識があり、階段を登ります。ここを通過したら本格的な山道になりますが、その短い階段を登る途中左手にネコの額ほどの畑があり、その向こう側に民家の屋根が見えます。ここが登山家、山野井泰史・妙子夫妻の住む家です。
この畑、妙子さんが丹精込めていろいろなものを作っています。この季節はダイコン、ミズナ、ホウレンソウ、ときにはハクサイの姿を見ることがあります。畑の端にグミの木があります。この木、意外なほど大きな実をつけます。口に放り込むと、甘酸っぱさが広がります。家の周辺には、タラの木が林立しています。夫妻がここに引っ越してきて6年ほどになるでしょうか、当時は数本しかなかったものがいつの間にか増えています。
自宅に入るには、登山口の階段をやり過ごして反対側の階段を登ります。急斜面の階段で、泰史さんがクマに襲われ(09年9月)自宅に帰りついた後、この階段を運ばれるのは危ないと考えて、下まで降りて救急車を待ったという、いわくつきです。階段を登って右手が泰史・妙子さんの家です。
玄関左手に泰史さんが作った小さな池があります。そこには大きくなった金魚が悠然と泳いでいました。渋谷の登山用具店「モンベル」の店に金魚が飼われているそうですが、この池から〝移住〟したものだといいます。過日、友人がそれを確認に行ったところ、確かに元気な金魚がいたと報告してくれました。
玄関の手前にちょっとした空き地があります。ここが、毎年冬に行われる餅つき忘年会の会場に変身するのです。この小広場は日当たりがよく、12月も中旬だというのにポカポカと小春日和のなかで、楽しいひとときを過ごします。この餅つき忘年会、10回目ですが一度も雨が降ったことがありません。これも珍しい記録です。
この忘年会は2000年に山野井泰史さんがK2(8,611M)に登った(単独無酸素で南南東リブから初登頂)とき、スポンサーをつけずに資金調達する彼に何らかの役に立てばということで、募金活動を行いました。そのお礼にということでその年の暮れ、夫妻の住む奥多摩の自宅で始まったものです。以来、夫妻が凍傷の治療を余儀なくされたギャチュンカン遭難(2002年)の年を除いて毎年開いているものです。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
東国原前宮崎県知事が東京都知事選に出馬報道。これはもう政党政治の危機ではないのか。
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予定は2ヶ月間。ネパールでトレッキングし5000メートル台の順応、その後、陸路でチベットに入り、目標の7500メートルの山を単独で狙うつもりです。
時々部屋の中で一人これから向かう目標の山を想像しています。雪煙がたなびく稜線、怪しげなセラック、そして光り輝く氷壁を……。
期待と恐怖に胸が締め付けられそうになりますが、いつもどおり冷静に山と身体のコンディションを見極め、自分の能力を最大限に発揮し山を登ることを楽しもうと誓う自分がベースキャンプにいることも想像できています。
それにしても飽きることない登攀意欲に自分自身感心してしまいますが、登っていない限り生きてゆけないのは、ずいぶん昔から気がついているので諦めてもいます。それでは……のんびり遊んできます。
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彼らしい、飾りのない淡々とした文章です。昔、「柔道一直線」というコミックがありました。彼の場合は「山一直線」です。その彼が成田を出発する前に、「NPO法人自立サポートセンターもやい」に活動資金を寄付しました。昨年9月、クマに襲われたとき仲間たちからいただいた見舞金が余り、それを充てたものです。
この寄付に関して私も少しだけお手伝いしましたが、余った見舞金を派遣切りなどで苦しむ人たちに使ってほしい、というその発想に驚きました。今度のヒマラヤ遠征に使えばいいではないか、と思うのですが、彼のポリシーがそうさせないのです。やはりこの男、根っから心優しいスポーツマンなのです。2ヵ月後、元気に帰ってくることを願っています。
★脈絡のないきょうの一行
非正規雇用47万人減、正社員29万人減。それでもGDPがプラスになる不思議、どう見るか。
「このくらいのスピードで逃げた」と実演してくれましたが、私が全速力で走ってもかなわない速さです。「このあたりまできて、やっとクマは諦めたようだった」という地点は、クマとの鉢合わせ場所から1キロ近くはあったでしょう。逃げる方も必死ですが、小グマを守ろうとする親グマも真剣です。
泰史さんは出血がひどいことに気づき、少し慌てました。気を失うのではないかと考えたからです。その後の経過は、以前このブログに書いたとおりです。クマとの格闘のときなど、冷静になれることに驚嘆です。ソロで未踏の山に挑戦してきた人であったからこそできたことだったのかもしれません。もって生まれた才能に、経験が蓄積されているのでしょう、やはり山野井泰史はダイハード男です。
この餅つき忘年会に参加して来るメンバーは、魅力的な仲間たちばかりです。登山家がいて、冒険家がいて、作家がいて、女優がいて、放送局のプロデューサーがいて、フツーの主婦がいて、普通のおじさんがいて……。これもまた、泰史・妙子夫妻の人柄によるところが大きいと思います。そのうち、この人たちのこともこのコーナーで書きたいと考えています。
★脈絡のない今日の一行
明日、後期高齢者になる天皇、医療費は天引きされるのかなー。