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ヘボやんの独り言
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2008/12/19 [Fri] 10:04:18 » E d i t
 クマから襲撃された現場検証には、野次馬根性も手伝って列ができました。自宅から現場まで距離にして2キロとはないでしょう、整備されたハイキング道を歩きます。シカ除けの金網が張ってあり、前進するには扉を開けて中に入ります。そこから10㍍ほど先が左手にカーブし見通しの悪いそこを曲がった瞬間、クマが突進してきたといいます。

 恐らくクマが先にヒトに気づいたでしょう。走ってくる泰史さんを追い払おうと、猛烈な唸り声をあげながら襲ってきました。泰史さんもかなりのスピードで走っていたといいますから、彼が気づいたときはすでにクマに飛びかかられていました。瞬間、彼は右腕で防御しましたが噛みつかれてその場に押し倒されました。

 ハイキング道は進行方向に向って左側は30㌢ほどの土留めの杭が打ち込んであり、右側は傾斜角度45度くらいの急斜面になっています。その土留めの上に押し倒される形で、仰向きになったところに、泰史さんは鼻を噛みつかれました。「どのくらいの時間だったか覚えていないが、2分くらいだったのでは」とご本人。

 ギャラリーから「野生のクマだったから臭かったでしょう」というピント外れの質問が飛び出しました。そうです、あなたもお気づきでしょう、鼻を噛みつかれているのですから、ニオイなど分かるはずはありません。噛みつかれた瞬間、泰史さんは「あまり動くと鼻をもぎ取られる」と考えたといいます。冷静です。(次回につづく)

★脈絡のない今日の一行
文部科学省をバカ呼ばわりした知事も相当なバカ。「目くそ、鼻くそを笑う」の典型。
2008/12/17 [Wed] 10:10:44 » E d i t
 12月13日土曜日、奥多摩の山野井泰史・妙子夫妻宅で恒例の「餅つき忘年会」を開きました。今年で8回目です。そもそものスタートは2000年、夫妻がカラコルム山脈の盟主であるK2(8,611M)にチャレンジしたとき、スポンサーをつけずに自力で資金作りをするお二人に、個人のカンパだったらいいだろうと、泰史さんのオヤジさんの意を受けて行動したのがきっかけでした。

 カンパは100万円近く集まり、費用の一部に充ててもらいました。K2へは、泰史さんは新たなルートから無酸素で登頂に成功しましたが、妙子さんは別ルートでアタックしたものの果たせませんでした。二人が帰国後、新潟に木臼と杵を持っている人がおり、これを泰史さんが譲り受け、餅つき忘年会をやろうということになったのです。以降、2002年にギャチュンカンで夫妻が雪崩に遭って凍傷を負った年はお休みにしましたが、一貫して続いており、冒頭のように今回が8回目となりました。

 最初は10人程度の参加でしたが、仲間が仲間を呼び今回はNHKのテレビカメラマンも含めて30人になりました。もち米の量も増えて、今年は33キロ・10臼をつき上げました。杵を操る動作は疲れます。若者の参加があり楽にはなりましたが、なかなか大変でした。餅つき終了の目処がついた段階で、明るいうちに9月の「泰史クマ襲撃現場」の検分をやろうということになり、ご本人の案内で出かけることになりました。

 泰史さんのけがの状態は、かなり良くなっていますが右目の縫ったあたりが引きつり、ものが見づらくなっている、というのが本人の弁です。噛みつかれた右腕は、無理をして動かすと軽く痛みが走る程度で、ほぼ完治状態とのこと。やはりこの人、ダイハード男です。現場を見に行こうと、希望者20人ほどが泰史さんの案内に従いました。(次回につづく)

★脈絡のない今日の一行
薬害肝炎。一部報道に終結したようなニュアンスがあるが、この問題、終わってはいない。
2008/09/26 [Fri] 10:07:25 » E d i t
 山野井泰史の冷静さはやはりすごいと思います。まずクマとの出会いです。(私もきっとそうでしょうが)普通の人だったらそれだけで身体がすくんでしまい、パニックに陥ります。ところが彼は果敢にたたかいを挑みました。その〝攻撃的防御〟にクマはひるんで口を離したのではないでしょうか。

 たたかいながら、小グマが歩いている様子を観察しています。余裕がなければできません。自宅にもどってからも、保険証や現金、連絡先のメモなどを隣家に頼んでいます。出血が激しく、「いつ気を失うかわからない」状態下でそれらをできるというのは驚異的です。

 2002年10月にヒマラヤのギャチュンカン(7,952m)登頂に成功し、その下山中に、妙子さんと一緒に雪崩で遭難したとき、凍傷になることが分かっていてハーケンを打ち込む手懸かり場所を探すため、小指から順に使っていったという話しを聞きました。これも私たちには考えられない冷静な判断です。「そこまでやるか」という気持ちでした。その冷静な判断力が、世界の未踏の山に、それもソロで挑戦しつづける原動力なのかもしれません。

 泰史の両手足の指10本を凍傷で失うという代償を経て、夫妻はギャチュンカンから生還しました。そのことが評価され、翌03年の『植村直己冒険賞』が夫妻に授与されたのです。ヒマラヤで拾った生命(いのち)を、日本のクマに取り返されたのではシャレになりません。またしても冷静さと的確な判断によって、彼は救われました。もしかすると、「ダイハード」の本物の主人公は彼なのかもしれません。そうは言っても、ご両親の心配を誘う親不孝はいただけません。

 見舞ったとき病床で、「事件後、地元の猟友会が山狩りに入ったという報道があったよ」という話しをしたら、「見つかっても撃たないでほしいなあ」と彼はつぶやきました。山野井泰史はいのちを大切にする、どこまでも優しいホンモノの登山家であります。
2008/09/25 [Thu] 09:57:44 » E d i t
 自宅に帰り着き、泰史が考えたのは関係者への連絡の取り方です。メモの置いてある部屋に行こうとしましたが、立ち止まりました。畳やじゅうたんに血が落ちることを恐れたからです。そこで隣家に駆け込み助けを求めました。隣家を通じて自宅下の家の人にも、協力を依頼しました。確かに血痕は、板張りの廊下には落ちていましたが、部屋の中には落ちていなかった、と、妙子さんは笑っていました。

 隣家のご夫婦は、血だらけの泰史を見てびっくりしたそうです。こんなとき、男より女のほうが落ち着くようで、おじさんはパニック状態になり、ただうろうろするばかりでした。おばさんに健康保険証や現金、必要なメモを取ってきてもらいました。その上でこの日、取材を受けることになっていた関係先や、旅行中の妻・妙子さんの宿泊先、千葉の実家などに連絡してくれと頼んで、自宅から石段を自分で下り、道路で救急車の到着を待ちました。その石段は急で「タンカで運ばれるとき、あそこで落とされる危険があると思ったから道路まで歩いた」というのが本人の弁です。

 到着した救急隊はケガの状況を見てヘリの出動を要請、救急車はヘリポートが常設してある奥多摩町の消防署近くまで行き、泰史はそこからヘリで青梅市民総合病院に搬送されました。ヘリの病院到着は8時40分過ぎでした。クマと格闘したあと、実に1時間半程度で病院に運ばれたことになります。この連携プレーはみごとなものでした。千葉の実家や旅行先の妙子さんには8時前に事故の連絡が入っており、こちらもスムーズでした。

 病院では当然、ICUで手術を受けました。さいわいに鼻の頭を噛みつかれだけで、食いちぎられてはいませんでしたが、その縫合手術に時間がかかりました。クマの歯の衝撃で、骨折もしています。が、それらはあまり心配はなく、医者が恐れたのは相手が野生のクマだったことから、破傷風菌や雑菌感染でした。それを見極めるには、1週間程度の時間が必要だろうという診断でした。(次回につづく)
2008/09/24 [Wed] 07:55:43 » E d i t
 クマ出現の認識がせめて10秒前であったなら、泰史はきっと逃げ切れたと思います。なぜなら俊敏性ではクマより泰史の方がはるかに上だと思うからです。追いかけられたらクマのほうがスピードはあるかもしれませんが、逃げながら泰史は瞬時に対策を考えたことでしょう。

 クマは仰向けに倒れた泰史の鼻に噛みついてきました。そのとき、「ここであまり動くと鼻を食いちぎられる」と考え、顔は動かさず下から足でクマの体を蹴り上げ、さらに頭を両手で叩きました。そのとき、近くを小熊が歩いている様子が目に入り「親子クマだった」とはじめて気づきました。下から蹴られたクマは驚いたのでしょう、一瞬口を離しひるみました。泰史はその隙にクマの身体の下から抜けて逃げ出しました。したがって、クマと格闘した時間はほんの1分程度だったのではないでしょうか。クマは200㍍ほど追いかけてきました。

 ラッキーだったと思うのは、このクマは前足をあまり使っていないことです。泰史の身体には、噛みつかれたときにクマが動いたであろうと思われる引っかき傷が、お腹に少しついている程度でした。前足で顔を張り倒されたら、人間はそれだけで参ってしまいます。それがなかったことは不幸中の幸いだったかもしれません。もっとも、相手も子どもを守ろうとかなり興奮しており、噛みつくことしか念頭になかったかもしれませんが。

 泰史がジョギング中に走る道は、(前出のように、私も歩いたので知っていますが)シカを防御するための金網が広範囲に張ってあります。その防御ネットは山道のところでトビラ式になっており、ハイカーは自分でそれを開閉することになります。泰史はそのトビラを開けて、自宅に走り帰りました。自宅に向かいながら出血のひどいことが分かり、いつ気を失うかそれが心配でした。自宅に着いたのは7時30分頃でした。(次回につづく)