ヘボやんの独り言
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2012/06/29 [Fri] 05:44:32 » E d i t
 胃ろうの手術はうまくいったのですが、3度目の誤嚥は致命的となり医者から「緊急事態」を告げられました。母は危険な状態に陥り、きょうだいにその旨連絡を取り私は母のベッドの横に補助ベッドを設置してもらい、〝臨戦態勢〟に入りました。

 つくば市に住んでいる妹親子が駆けつけてくれましたが、3度目の誤嚥をおこして8時間余、母は私の目の前で静かに89歳の人生を閉じました。

 人の生き死にはどうなるか誰にも分かりません。しかし私は、あのとき胃ろうの手術を承諾したことが、今でも心に引っかかっています。手術をしていなければ、いや、手術をしなくても入院したまま医療行為を続けてもらうことができるのであったなら、痛い思いをさせることなく見守ることができたのに、という悔恨です。

 「手術の承諾がなければ、退院してもらうことになる」という病院側の説明に、どれだけ反論しようと思ったことか。しかし、自宅に引き取ることは前述のとおり不可能であって、それはある意味、手術を容認せざるを得ない〝人質〟状態でした。反論してもどうにもならない、いや、反論を封じ込められていたことと同義です。砂を噛む思いというのは、きっとこういう状態のことでしょう。

 あのとき、胃ろうの手術をしていなかったら、母はもっと早く逝ったのかもしれません。しかしこれは結果論ですが、10日間の間の〝違い〟に過ぎません。それであったなら、やはり、痛い思いをさせずに逝かせたかった、そう思うのは身勝手でしょうか。

 紹介した読売新聞のウェブは、患者側(家族側)に胃ろうの手術をするかどうかの判断を委ねる、というものです。ということは、手術をしなくても退院させられることはない(とはいえ、入院は3ヶ月間だけという制約は免れないが)、ということになります。この制度があのときに出来ておれば、きっと私は手術を拒否したでしょう。

 私の友人のなかにも、親が胃ろうの手術をした直後に亡くなった、という人がいます。多くの場合、胃ろうを必要とする高齢者は、認知症に陥っています。逆に言えば自力で飲み込む力(嚥下力)も、食べ物を噛む力も衰えているのは、認知症が原因の一つだと思われます。

 そんな状態のときに、誤解を恐れずに申し上げれば、生命を維持するだけのための胃ろうは必要なのだろうか。それは本人にとって幸せなのだろうか、私が経験した母のことを考えると、疑問はつきません。

★脈絡のないきょうの一行
復興予算5.9兆円使われず(朝日新聞)。無駄な公共投資はきっちり使い、必要なものは余らせる。やはり変な政府だ。
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2012/06/28 [Thu] 23:13:02 » E d i t
 きょうの読売新聞ウェブに、以下のような気になる記事をみつけました。一昨年亡くなった私の母の場合に当てはまる問題をはらんでおり、考えてみたいと思います。

                         ◇=◇=◇
胃ろうなど人工栄養中止可能に、医学会が指針
読売新聞6月28日(木)10時13分配信

 日本老年医学会(理事長・大内尉義東大教授)は27日、高齢者の終末期における胃ろうなどの人工的水分・栄養補給について、導入や中止、差し控えなどを判断する際の指針を決定した。

 指針は医療・介護関係者向けに作成されたもので、人工栄養補給を導入する際は、「口からの摂取が可能かどうか十分検討する」などと指摘。さらに、胃ろうなどの処置で延命が期待できたとしても、本人の意向などにそぐわない場合、複数の医療関係者と本人・家族らが話し合った上で合意すれば差し控えが可能とした。

 人工栄養補給を開始した後でも、苦痛を長引かせるだけの状態になった場合などは、再度、話し合って合意すれば、栄養分の減量や中止もできるとした。

 医療側に対しては、患者側が適切な選択ができるよう、情報提供することを求めている。

 国内では近年、口から食べられなくなった高齢者に、おなかに小さな穴を開け、管を通して胃に直接、栄養分や水を送る胃ろうが急速に普及。認知症で、終末期の寝たきりの患者でも、何年も生きられる例が増えた。一方でそのような延命が必ずしも本人のためになっていない、との声が出ていた。
                          ◇=◇=◇

 生前、特養ホームに入っていた母は89歳でしたが、誤嚥(誤って食物が肺に入る)がもとで肺炎を起こし、近くの大学病院に緊急入院しました。治療はうまくいき、自力でおかゆ中心の食事をとれるようになりましたが、病院内でまたしても誤嚥を再発。以降、口からの食事が取れなくなりました。

 口からの食事ができなくなったことから、胃に直接食物や水を送る胃ろうの手術が必要になるというのですが、高齢の母にとって厳しいと考え、それを拒否したらどうなるかと担当医師に聞いてみました。医師は、「この病院での治療はこれで終わることになり、退院してもらうことになる」というそっけないものでした。退院して自宅での介護は事実上不可能で、やむを得ず胃ろうの手術を承諾せざるをえませんでした。

 手術そのものはうまくいきました。胃に穴を開けそこから食事を補給します。ところが手術後10日ほどして、またしても誤嚥を起こしたのです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
株主総会が集中した28日、「謝罪、謝罪の不祥事企業」(毎日新聞夕刊)。じん肺で不祥事つづきの日鉄鉱業は謝罪なし。これはもっとひどい。
10393 母のぬくもり⑧ 
2010/04/16 [Fri] 13:41:01 » E d i t
 葬儀社の人、この人たちこそ「送り人(おくりびと)」です。丁寧なあいさつをいただいたあと、これからの手順の説明が行われました。この瞬間から、母の身体は「病院=医師」から、「葬儀社=送り人」にゆだねられます。

 告別式までの間、遺体をどこに安置するつもりか。葬儀はどこ(の地域)で行うのか。宗派はどこか--など細かい質問を受けます。その質問は、事務的ですがソフトです。おおむね話しが終わると「寝台車を手配しましたのでまもなく到着すると思います。それまで病院の霊安室でお待ちいただきます」と案内されました。

 母の身体は、病院の地下にある霊安室に移動しました。入院時に持ち込んだ私物は整理され、ワゴンにまとめて載せられておりそれも一緒に運びます。霊安室で初めて線香が焚かれました。病室で線香を使わないのは、人目に触れ線香の臭いが染みつくのを避けるためでしょう。線香の煙が静かに上がっていくと、母の死がやけに実感を帯びてきます。私につづいてカミさんも焼香します。

 寝台車が到着するまでの時間を使って、返ってきた手回り品をマイカーに運びます。母のものであったことを考えると、悲しみが募ってきます。寝台車が到着したことを葬儀社の人が病棟に伝えると、医師や看護師さんたちが見送りに来てくれ焼香してくれました。最後までありがたいことです。母の身体は、葬儀が始まるまで葬儀社の霊安室で預かってもらうことにしたため、寝台車はそれのある世田谷に向けて病院を離れました。

 全てが終わって自宅に戻ったのは午前1時前でした。母が息を引き取ってから3時間余のことでしたが、私には2日も3日も過ぎたような気がしてなりませんでした。そして翌日の午前、葬儀社の担当者が自宅を訪ねてくれ、葬式の準備に関する打ち合わせとなりました。葬祭場が込み合っていることもあり、あす17日に通夜、18日に告別式ということになりました。本格的な母との別れです。奇しくもきょうは私の63回目の誕生日。ここまで育ててくれた母に改めて感謝し、こころからお礼を言いたい。そして、母のぬくもりは忘れられない、大事な、大事な思い出となりました。

★脈絡のないきょうの一行
7月の参院選挙に向けて民主党の公約骨子案が分かったらしいが、年寄りを大事にする政策にしてほしい。
10392 母のぬくもり⑦ 
2010/04/15 [Thu] 11:54:56 » E d i t
 聴診器で心音を確認したあと、医者は「残念ですが…」といいながら看護師に血圧計を身体から外すよう指示します。そのあと順次、酸素吸入器など、母の身体に取り付けられた管がはずされていきました。全ての管がなくなると、母はスリムになり楽になったように見えます。私は「よくがんばったね」と母に声をかけ、医者と看護師さんに深く頭を下げるだけでした。

 あまりの急展開に少々うろたえながらケイタイを持たない人の私は、病院の廊下に設置された公衆電話からまずカミさんへ連絡です。自宅に帰り着いたばかりの彼女も驚きです。兄弟にそれを知らせてくれるよう頼んで、電話を切りました。病室に戻る途中担当医から呼び止められ、「死亡確認をしたい」といいます。

 初めて知ったことですが、死亡確認は家族立会いを原則にするといいます。医師、看護師、そして私の3人で改めて時間を確認しました。「ただいま午後9時57分、確認します」という医者の事務的な声に、私はうなずくだけでした。母が息を引き取ったのは私の時計では9時50分でしたが、私が自宅に電話したりするためのロスタイムがあり57分が確認時間となりました。

 次の作業の手順を聞くと、遺体の体をきれいに拭いて新しい衣類(持参のパジャマ)に着替えさせたあと、病院と契約している葬儀業者が来るといいます。葬儀業者は家族が指定できる、と言いますがあてはなくそこに依頼することにします。身体を拭いてもらっている間、面会室で待ちます。その間、連絡の必要事項を確認するため、改めて自宅に電話を入れて車で来てくれるよう、頼みました。

 「準備ができました」という声がかかり病室に戻ると、母と二人だけの時間が過ぎていきます。化粧も施してくれたのでしょう、頬のあたりが薄いピンクになっています。声こそ出せませんでしたが、つい先ほどまで呼吸をして脈もあり、生きていた母が無言の人になったことに言葉にならない違和感が走ります。白く長くなった髪の毛を、撫でてやります。「よくがんばったね。もうゆっくり眠っていいよ」とつぶやきながら。しばらくすると、黒い服を着た葬儀社の人がやってきました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
政府税調で消費税増税問題が浮上。3党合意・民主党マニフェストを凌駕して。これ何!?
10391 母のぬくもり⑥ 
2010/04/14 [Wed] 17:07:18 » E d i t
 息を引き取る――。この言葉の奥深さ、優しさ、切なさをこれほど実感したことはかつてありませんでした。そして、日本人の表現力の豊かさに改めて感服しました。

 昨13日午後9時50分、母は、深呼吸をしたのではないかと思ったとたん、静かに息を引き取りました。その様は「息を引き取る」という表現にふさわしい、眠るような安らかさでした。享年89歳、人が彼岸に旅立つときは、こんなにもあっけないものかと不可思議の世界に迷い込んだような錯覚もありました。しかし母は、間違いなく息を引き取りました。大正、昭和、平成と3つの時代を生き抜いた女がひとり、黄泉の世界へ旅立ちました。

 13日の午後、入院中の病院から「容態が急変した」という連絡が入りました。胃ろうの手術後、そこから〝食事〟を補給していた母は、昼食後にその食事の一部をもどしました。その際、それが誤嚥と同じ状態で肺に逆流し肺炎を起こしたようです。もともと肺機能が弱っていた母の身体には大きなダメージだったのでしょう、急激なドロップダウンを引き起こしました。死亡診断書の「死因」欄には肺炎、そのなかの「疾病経過に及ぼした病名等」には肺気腫と記されています。

 連絡を受けた私は、病院へ急ぎました。先に病院に着いて様子を見ていたカミさんは、私の到着を待ちわびていました。担当医から病状を聞いて状況を把握、とりあえず職場にもどって仲間たちに連絡を取り、改めて病院へUターン。病室には、付き添い用の簡易ベッドが搬入されていました。ただ見守るだけしかできないことに、隔靴掻痒感は募るばかりです。茨城県つくば市から妹が子ども(母にとっては孫)の車に乗せてもらい、到着しました。

 様子に変化はなく、妹たちには翌日の仕事もあることから帰ってもらい、カミさんには翌朝に再度来てもらうことにして引き上げさせました。私一人になって、仮眠態勢に入ろうとしたとたん、母の呼吸回数が少なくなりました。もしやと思い、母とパイプでつながれた計測器に集中します。その器械には心拍数、血圧、体内酸素濃度、呼吸数の数字が並んでいます。血圧は15分おきくらいでしょうか、自動的に計測しています。

 計測器は最初に酸素濃度を示す数値がゼロになりました。間もなく呼吸数もゼロ表示となりました。その段階で間隔が長くなっていましたが、母はまだ呼吸をしていました。心拍数も表示されています。最新の情報を示す血圧は48-30と高い方が50を切る数値を示しています。とはいえそれは、計測器が冷厳に人のいのちの「終焉」を知らせていることにほかなりません。看護室のモニターで監視していたのでしょう、事態を察知した医者と看護師さんがかけつけてくれました。

 母は深呼吸したのではないかと思うほど、大きな呼吸を一つしました。そのあと、静かに永久(とわ)の眠りに入りました。私の腕時計は午後9時50分を刻んでいました。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
母の葬儀は、身内だけで行うことにしました。前から決めていたことで、ご理解ください。

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